ジョン・C・マクスウェルの本とか、好きそうな友人だな。
俺は一時期ハマッたんだよな。
「その他大勢から抜け出す成功法則」とか
「夢を実現する戦略ノート」とか。
本当に成功する奴って、頭のいい奴ばかりだと思う。
そう言う人って、他人の批判でも一度受け入れて吟味するだけの、頭脳的な余裕があると思う。
吟味した結果、軌道修正するんだよね。他人の意見に流されるってコトじゃなくて、必要な要素はちゃんと取り入れつつ。
普通が嫌で足掻いてる普通の奴って言うのは、その他大勢に批判されたら顔真っ赤になると思うわ。
頭脳的な余裕が無いから。
だから、他の人の意見や忠告ですら、無意識に「批判」としてブロックしてるんだと思う。
まぁ、そう言う意味で、挫折した状態で上記のような本を読むと、多角的な視野でモノゴトを考える力の乏しい頭脳じゃ、そりゃその他大勢からは抜けられないわ、とシミジミ実感した。
会う→金払う→セックス みたいなのが許せないんじゃないか云々。
んなこといったら、昔のお見合いなんて「会う→セックス」じゃないの?
で、男子が生まれないと白い目で見られる。
例えば原作やらアニメ、なんでもいいけど、自分の好きな作品がちょっと微妙な展開だったりしたとき、当然「あー今回はちょっと面白くないな」とか思う。作者とか制作サイドが心配になったりする。えーどうなのこれとか思う。でもそれはできるだけ、言葉にしない。なんというか、これみよがしには言葉にしないようにしている。今回のことは今回のことで、次回にはまた期待しているから。今回面白くなくても、次は楽しませてくれる、そうだろう?って思ってるし、思いたいから。批判や批評が駄目だと思っている訳では全くない。でもそこで「なんかもう最近グダグダ」とか「○○も終わったね」とか言葉にされたものを見ると、なんかその期待を台無しにされたなーくやしいなーって思う。いや、だからって、それで傷つくほど繊細じゃないから、ネットもするし2ちゃんもするんだけど。
その人たちも、期待してたのに裏切られたからくやしくてそう言うんだろう。ていうか実際、期待を裏切られるのってほんとガッカリするもんね。その期待が高ければ高いほど。例えば作者が暴走しだして、今まで自分が好きだった作品が痴態(と自分に思えるさま)を晒しながらあらぬ方向へ向かっていくのを見るのは、確かに辛い。でも、ダメなものにただ「ダメだな」ってコメントつけることって、それでどうなるんだろうなーと素朴に思う。言ってどうにもなると思ってるわけじゃなくても、言うのか。ていうか、特にネットは簡単に言える場だから言う人が多いのか。
言いたくなる気持ちはわかる。というか、同じことをわたしも思ってる。でもなぜか私はそれを言葉にしないようにすることに一生懸命になっている。でも言う方を選ぶ人もいる。これは、私の方が懸命な態度なんだよ!だからお前等も言うな!とか、そういうことが言いたいんじゃない。いや、言いたいのか? でも。でもさー。
作品そのものを楽しむこととと、作品を楽しもうとする行為を楽しむことは、別だと思っている。読んだ漫画の感想を書く、なんていう行為は、作品を楽しもうとする行為だと思う。咀嚼する行為というか。でも、そこで「今回つまんない」とだけ書いて終わるのは、口にパクッと入れたものを数回噛むかそのまま丸呑みしたのと同じようなもんだと思う。しかし「××のシーンはさすがにちょっと無しだと思ってガッカリした。あいつは今までそういうキャラじゃなかったのに…」とか言われると、納得する。肯定的な意見の場合もそう。言ってる内容に納得する以前に、あぁこの人はそう思ったんだーという意味でまず納得する。つまり私は「何故そう思ったのか、感じたのか」が明白でない自己表明が鬱陶しいのだろう。作品の面白くなさを、そのまま面白くないと受けとって「つまんない」としか言わないこと、それがつまらない。逆もそう。面白い作品をそのまま「面白い!」とか言う、それがもう本当つまらない。熱い食べ物口に入れちゃったときに発する言葉は「熱っ!」で別にいいんだけどさ。曲がりなりにも時間を割いて見たり聞いたりしたものを、つまんなーいだの面白ーいって。それは表現じゃない、感情の表出だろ。もっと言葉を尽くせよ。そしてそういう自己表明がネットには多すぎて、特に前者は「今回はちょっとダメだったけど、次は…!」と期待している私にとっては邪魔で、苛立ってしまうのだ。
…そういう意味では、他人の意見に安易に影響を受けちゃっているのかな。だとしたら自覚してなかったけど結構ガラスのハートなのか。そんならお前ネット向いてないからやめたほうがいいよ。と脳内他者が言っている。そうかもしれない。ネットはよくも悪くもそういう場所なんだから。とか。そうかもしれない。
でも、お前傷つきやすいから家から出ない方がいいよって言われても、つまんないし退屈だし外出るし。ガラスのハートでも、ガッチャンガッチャン割っちまえばいいよと思ってる。ていうか向いてないからってやめられるほど、もはやそんな遠いところにネットは無いんだよな。
過去の議論は目を通してないのでループになるかも知れんけど、売春に嫌悪感を感じる理由ってのは、単に自分がとても大切にしているものを、適当に扱ってるという点では?
恋から愛に発展し、そして愛情を育みながら、セックスをする。という価値観の人から見たら、
会う→金払う→セックス みたいなのが許せないんじゃないか云々。
自分の大切にしていた宝物を、横から奪うだけならまだしも、奪っておいて、やっぱりいらねぇやって言って、ポイって捨てられたら、誰だって怒るだろう?
─イニシエーション・ラブ/乾くるみ
の感情に似てるかも。
遠くから投げるといいよ
30代男性 を書いた人です。
他の人と被るのは置いといて、
そんなん世の中いくらでもあると思いますが。
「モーヲタきんもー」とか。(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)
出所では繋がってるみたいですけど、正直そこはどうでもいいです。
私が言わんとしてるのは(たぶん他のトラバの人も)
のはみっともないから止めとけってことで、
一応、語ってみると。
で語られているような「嫌い」の理由には正直あまり興味ありません。
なるほど・・・
相手の反応を極度に意識してしまう俺は、その場の空気を自分が乱してるような感じが嫌なので、直前で断ったほうが精神的に楽だと思ってしまう人間だ。はっきりと断る理由が無いときは特に、当日用事が出来る可能性が高くても、とりあえず、うん、と言ってしまう。
何事も穏便に目立たなく済ませたいって、無意識のうちに思ってるんだろうな。
>素地がペシミストの奴が自己啓発本に感化されて失敗すると悲惨
書き込んだ後、似たような話がすぐ下にあってビックリしたw
俺はその友人を見て思うんだけど、彼が考えてる事っていうのは、売れ残った30代ビジネスウーマンが、売れないミュージシャンみたいな人とばっかり付き合うような事と同じような気がするんだよね。
何ていうか、すでに「普通」に甘んじる事しか出来なくなったプライドばっかり高い奴が、起死回生を狙って起こす理解不能な行動というか。
きっと彼が恐れているのは「普通」の二文字なんだよね。そして、何故それを恐れているのかといえば、自分に自信が無い癖にプライドだけは高いからなんだと思うんだよ。
「普通」に甘んじれるという事はイコール、集団に埋もれてしまっても「自分」という者を持っていられるっていう事じゃん。
キチンと生きてる人間ってのは、普通じゃない肩書きがあろうが無かろうが、ただ自分が生きているだけでそれが個性になりうる、ってのを自分でちゃんと理解してる人なんだよね。
だけど、彼にしてみれば、「普通じゃない事をしている」っていう外見のブランドを身に付けていないと、集団に埋もれて何の特徴もない人間になってしまうって思ってて、自分を保つことが出来ないんだよね。だから、「普通じゃない肩書き」が欲しくて足掻いちゃう。
でも、それを伝えても、まともに聞いてくれないからなぁ。
つーか、スキナーの本にもある通り、成功者の原則の1つは「既に成功している人をモデリングする」ってのがあるのに、全くGoingMyWayで俺は俺で誰かじゃない状態なのは、やっぱりコンプレックスが問題なんだろうな・・・。
まず、僕が起業を考えるに至った経緯について、ちょっと話をする。
僕も、去年の3月ごろは就職活動をしていた。IT業界で、アニメーション制作を合理化するシステムを作りたかった。これから必ず必要とされる分野だけに、今から手をつけていれば確実に利益を手にできますよ、どの企業の面接でも訴えた。しかし、どこの企業も僕の言うことに耳を貸してくれなかった。
そして、大手企業の推薦で落ちたのを機に、急にやる気が失速、というダメ人間っぷりを僕は発揮。実家には金がなく、これ以上大学院に残ってもう一度就職活動をする余裕がない。そのうえ、ドクターに行く金もない。留年もしているので、奨学金ももらえない。というわけで、何もしないまま修了を迎えることになった。
自分も働いて、自分で金を稼がなくてはならない身。しかし、文系修士の既卒なんてどこの企業も採ってくれるはずがない……。そうなると、フリーターになるしかないことに思い至る。
ただ、僕は目的もなくフリーターになるのがいやだったため、どうせフリーターになるなら目標を持とうぜと思うようになった。さらに、自分はアニメ・映像業界へのこだわりが強い。このこだわりを仕事に生かせれば、どんなにつらいことがあったとしても自分のモチベーションを高めて生きていくことができるだろう。
そういうわけで、起業してアニメ業界の役に立ち、自分もその対価で食っていく、ということを目標にするようになったのである。
かなりのマイナス思考から始まった起業の意志である。しかし、どんな言い訳をしようと、一度宣言してしまったからには後には引けない。持ち前のマイナス思考でブレーキを踏みつつ、前進していくのみである。
まず、大きな目標として、「現在のアニメーション業界において、歴史的に構築されたヒエラルキーのもと、アニメーターや制作進行はただのオペレーターとなっている。そこで、アニメーターや制作進行などの仕事を、自己実現を達成する手段としたい」という思いがある。
それを実現する第一ステップとして、 (1) アニメーション・スタッフリストの整備による業界全体の把握 (2) 中小アニメーション企業のWebサイトの制作 をしたい。
いちおう、二つの事業をやっていきたいと考えている。
スタッフリストを集計していて分かったのだが、中小アニメーション制作スタジオは、ほとんどがWebサイトを持っていない。それどころか、住所や連絡先すら公開されていない。これでは、アニメーション制作会社の社会的信頼が得られることは難しいだろう。一方で、中小アニメーション制作会社には、Webサイトを作る暇も金もないのかもしれない。
そこで、僕がアニメーション制作会社のWebサイトを、定型に従って安価に作れば、相手も喜ぶし自分も懐に金が入ってくるのではないか、と考えた。
経済産業省は現在、「コンテンツクリエイター登録制度」というのを考えているらしい。そこで、必要な基礎統計資料となるのが、スタッフリストである。僕はアニメーションのスタッフリストを集計してデータベース化することにより、この動きを支援したい。
アニメーション・スタッフリストとは、アニメーション番組の最初と最後に出てくる、スタッフや制作会社の名前の記載されたテロップのことである。
アニメーション業界は最近やっと産業としての体をなしてきたが、まだまだ発展途上である。特に、関連データの統計があまり整備されていない。
一方で、アニメーションスタッフリストは、テロップという確実な証拠を基にした良質な統計情報である。これを見れば、誰がどの作品とどの作品に関わっていた、というようなことがすぐ分かるからである(すぐ分かるようにするには情報の加工が必要なのだが、それは後のエントリーで述べる)。
アニメーション産業において統計情報がそろっていない現状をふまえると、アニメーションスタッフリストを集計する意義はあるといえる。
これを集計しているサイトとしてD2_STATIONや不審倉庫があるが、それらは残念ながら、リレーショナル・データベース型になっていないので、「○○という人は××という番組と△△という番組の両方に名前が載っている」というような検索の仕方ができない。
私は、リレーショナル・データベース型でスタッフリストを整備し、Web上で登録した人が手軽に検索できるような形にしたい。
(4)は会員制サイトにし、使用料を利用者に払ってもらう。 (6)は、CD-Rにでも焼いて販売する。
親身になって相談にのってくださったことには、たいへん感謝しています。
それで、起業する際に、協力者としてお金を貸してくれるところと、商売相手はどこにしたほうがいいのか、という話題になった。
起業家の方は、「アニメーションのスタッフリストを拡充して、ジャンル、視聴率とその番組のプロデューサー・監督の名前だけ取り出せるようにしとく。それで、『この番組で、このジャンルでこのプロデューサーとこの監督なら、視聴率はこれくらい取れたから、このスタッフで行きましょうよ』とビジネスのネタにする人たち、つまり広告代理店やテレビ局、ビデオグラムメーカーあたりが商売相手としていいんじゃないかな」とおっしゃった。また、「自分の作ったネタでビジネス慣行が変わるとしたら、それはそれで面白いんじゃない?だって、プロデューサーと番組実績がすべて公開されるわけだから、これは商売相手にとってビジネスプロセスを変える大きな力になると思うよ」ともおっしゃった。
そのまま鵜呑みにするわけではないけれども、自分のビジネスがどうアニメーションビジネス慣行に影響するのか、一度考え直してみたほうがよさそうた。
まず、経済産業省や日本動画協会やクリーク・アンド・リバーや映像新聞などは、出資元として有望であろう。
また、パッケージの売り手は、アニメーション製作会社になるだろう。
Web上のデータベースシステム(MySQL)のデータは、アニメーションマニアでも自由に参照できるようにしたい。ただ、Web上のサービスでは、ジャンルや視聴率を載せないで、パッケージとの差別化を図る必要がありそうだ。
とりあえず明日あたり、今まで考えてきたことを文書化する必要がありそうだ。
修士論文執筆時に自分が作り上げたスタッフリストを見て、「パラメータが少なすぎて買う気がしない」という指摘を受けた。たとえば、視聴率とジャンルを付加してみたらどうか。そうすれば、アニメーション企画者が「このジャンルでこのプロデューサーとこの監督との組み合わせだったらこれだけの視聴率がとれたんだから、同じスタッフで行きましょう」というような提案を仕事とする、テレビ局や広告代理店、ビデオグラムメーカーなどに売り込めるだろうと。
また、そうすればアニメーション業界に緊張が走り、業界の構造も自ずと変わっていく。そうなったら面白いだろう、とも言われた。もっとも、そうなると指名される人が限られてきてアニメーション業界が二極分化することも考えられるし、新しい表現分野でのチャレンジも行われなくなるだろうから、そこは気を配らないといけないわけであるが。
プロテスタントの友達は直前で裏切ることが多い。ヨシア兄よ。おまえは教会へ週何回いくのだよ。友達よりも神のほうが大事なのか。ちなみに私はキリスト教ではないのだよ。教会へは誘われていったことがあるが、なるほどまったり空間でアムウェイの泥沼構造もこんな感じで抜け出せなくなるのだな。きっと。
人に言うのは自慢がましくなるから若干恥ずかしくて、あんまり公言できないけど、社会にはちょっとだけ影響を与えた、ってな仕事をしたことがある。俺は恥ずかしいから黙ってるわけだけれど、それをとある人物が横取りして「自分がやった」と公言しているんだな。とても恥ずかしく見えるんだけど、そいつはそういう検証しづらくツッコミしづらい、細かい「手柄」を大量に寄せ集めて全部あげて自慢していて、そうなるとなかなか圧巻なんだなこれが。事情を知ってる奴らはその馬鹿を影で笑ってるんだが、そんなねつ造の手柄にだまされる奴も多くて困る。かといって、俺の仕事だと主張するのも恥ずかしいので、訂正もしづらい。何ともストレスのたまる状況でしばらく過ごしている。
飲み会の幹事をやれば約束の大切さはすぐにわかるようになる。
「急に友達との約束が入っちゃって」
「仕事が長引きそう」
「え?今日だっけ?忘れてた」
んなことこっちは知ったこっちゃないのだ。
なんで先にした約束を破るのか。
なんで仕事が長引くことを予想できなかったのか。
なんで忘れるような優先度の低い飲み会に参加表明などするのか。
約束とは相手に期待をさせることだ。
それに気づかず軽々しく口約束をする人は多い。
しかも、最近そういう人が異常に増えている。
そして、カンタンに、破る。
そのことに気づき、それ以来「できる約束しかしない」と誓い
社会人になった今もそれを続けている。
友達のライブやクラブに遊びに行く日は朝から出社して仕事を早めに片付けるし、
付き合いが悪い人と思われるようになると思うだろう?
そんなことはない。私は「行くと言えば確実に来る」人間なのだ。
だから「無理」と言えば相手は理解を示してくれるし、
「行く」と言えば相手は(たぶん)楽しみにして待っていてくれる。
相手のご機嫌を取るつもりでしている口約束が
実は相手の機嫌を損ねているという事実に気づけたら、
毎日乱発している破るための約束など、できなくなるだろう。
http://ppm-combination.lovelogic.org/article/35755346.html
俺がやりたいのは、自分で考えて、自分で決める生き方だ。老人にこういうこと言うと、よく「考えが甘い!」とか「まず習え!」とか言わるけど、痛い目に合わないと理解できないんだよ人間は。教科書やニュースや親や先生は、戦争はいけない、人を殺しちゃいけない、ってな重要なことを頭に染み付けてくれた。けど、生き方や恋愛や思想に対してまで余計な事を頭に染み付けてきた。俺はそれなりに勉強してそれなりに大学入って東京に来てデカい企業で働いて給料もらって合コンして、もう教科書通りの生き方は十分に堪能した。
何となくネット廻ってて見かけたんだが、俺の友人にそっくりだ。
成人的中二病っていうのかなぁ、こういう症状の人。
そんで、ただ普通が嫌なだけで、結局何がやりたいのか分からず窪塚みたいに落ちていくっていう。
その友人も、「行動力」が俺の唯一の売りだって言ってる割には、口ばっかりだし、理想論ばっかりホザくし、社長やミュージシャンを引き合いに出してこうやって生きるべきなんだよとかいつも語るし、普通って何?みたいな事を延々繰り返すし、今の俺は本当の俺じゃないみたいなことをずっと繰り返すし、始末に終えない。
俺は、その友人を救ってあげたいと思うんだが、彼からしてみれば、「成功」以外に自分が救われる道はないみたいに捉えてて、皆今見えてる世界が全てじゃないんだ!みたいな事言ってるけど、いや、お前のその考えこそが狭いんじゃねぇのかよ、って皆から影で白い目で見られてたり。
彼からしてみれば、社長やミュージシャンや起業した人や芸能人は、みんな毎日刺激的な生活をしてると思ってる。こんな繰り返しの普通の毎日なんて嫌だ!ってずっと思ってる。お前らは、気づいてないんだ!みんな社会に操られてるだけだ!自分で考えて自分で決めて、ありのままの自分で生きたいんだ!とかずっと主張してる。
長い付き合いだから、放っておけないんだけど、こういう人ってどうすればこういう病気が治るかな?
多分このままの考えで放っておくと、本当に窪塚みたいにI can flyしちゃう気がするんだよ。
今は、そんな訳ねーだろwみたいな事言ってるけど、彼が今やってる事は、数年前は同じようのそんな事する訳ねーだろwみたいに言ってた事なんだよ。
草食動物。
先日、前の職場の同僚だった女の子が飲みの席で俺をそう評した。
自分の性分を最も的確に言い表していると思った。
27歳。
高校の時と、25歳の時。
25歳の時は、「プロ論」を始め2005年を中心に話題になってた本だ。
どちらも、自分を信じきることが出来ずに挫折。
高校の時は、自分で立てた勉強計画に沿って問題集を理解しながら進めるってコトが出来なかった。
いついつまでに、この問題集を終わらせないと行けないのに理解力が足りなくて、なかなか先に進めなくて、気付いたら大幅に計画遅れ。
「自分で決めたことも出来ないのか、俺って頭悪い、俺って軟弱、俺って意志薄弱」
いつのまにか、机に向かってるときに考えてるのは、こんなことばかりになった。
25歳の時、「プロ論」他に感化されてからは、仕事でプラスアルファのことをやろうと誓ったのに、目の前のことをこなすので精一杯であっぷあっぷで、上司の発するキッツイお叱りの罵声を浴びるたびに萎縮していき、進捗報告するときですら、罵声が恐くてビクビクするようになった。
「俺ってこんなことも出来ないのか、俺って頭悪い、俺ってこんなにコミュニケーション能力低いのか、俺ってこんなビビリなのか、俺って給料泥棒じゃん、俺って・・・」
いつのまにか、机に向かってるときに考えてるのは、こんなことばかりになった。
自己啓発で一時的にハイになっていた反動で、挫折したときの落ち込み具合の酷いこと酷いこと。
毎日毎日、自分の周りで起こる出来事の一つ一つが、自分を苛んでいるようで常に自己否定との戦い。
自分を信じきれずに、途中で投げ出して、そのくせ夢中になってるときは周りの人に、「俺は燃えてるぜ!」みたいに接してたから、思い返すたびに分不相応に大風呂敷を広げまくっていたことが恥ずかしくて恥ずかしくて、周りの人らに目をあわすのも辛い。
なぜ俺は自己啓発で自分を高めるどころか、更に惨めな境遇に自らを追い込んでしまったのか。
たぶん、俺の素地が99%ペシミストだからだ。
そして、自分が思ってるほど、頭の回転が速くなかったからだ。
自分の軟弱な性格が気に入らない。
自分を変えたい。強くなりたい。賢くなりたい。
小学生のころからそんなことを考えていた。
だから、環境を変えたり、テンションの高い人のそばに居たりしたら自分も変わっていけるんじゃないか、そう思ったんだ、きっとあのときは。
30歳が間近に迫って来てる。
このままの俺じゃ、この競争社会をサバイバルして行く自信が全く無い。
何とかしたい。
いや、いっそ消えてしまったほうがマシなのか?
100年後には誰も生き残ってないだろうし。
草食動物らしくノンビリ生きていけない世の中ならば、せめて逃げ切りたい。
そんなことばかり考えてる。
要するにコウダクミ似のブ・・・じゃなくて彼女って要するに予備校のチューターだろ。
俺も予備校通っててぼっちだったけど、チューターってホイホイヤレるような存在なのかよ。チューターが予備校生のチンポミルク搾りなんてわりとありがちなことなのかなぁ。そうだとしたらミスったなぁ・・・チューターは男だったけどな!
しかし初めての女友達でちんちんねじ込めるなんてすげーなぁ。こっちは高校時代女友達とかいたのにハメることができなかったとゆーのに。
かめさん Svn ならめちゃくちゃ楽だよ!
使ってみると簡単すぎて「これ使ってないやつ馬鹿じゃねーの?」とか思っちゃうよ!
マクルーハン的にいうと電子画面は右脳に働きかけ論理的思考をおろそかにする傾向がある。炎上の力学にはメディア固有のメッセージ性が働いている。それはパンクでありアナーキズムであり、アナルコキャピタリズムの亡霊である。
もっと落ち込んでも良いはずなのにな。なんの感情も湧いてこない。