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はてなキーワード: 与論島とは

2020-08-10

anond:20200810114300

鹿児島県で有名なのって言ったら、桜島霧島屋久島種子島与論島奄美大島、とか、焼酎とか、黒豚黒毛和牛黒酢、とか、キビナゴさつまあげとんこつ料理、とか。歴史を見れば、明治維新前後島津斉彬とか西郷隆盛とか大久保利通とか東郷平八郎とか。まあ、いろいろあるで。

2020-07-29

歴史創造は良くない anond:20200729055751

糸満売り(10前後貧困層少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部糸満漁師のもとで年季奉公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E6%BA%80%E5%A3%B2%E3%82%8A

 

生活環境は厳しく労働は長時間におよんだ。雇子達の中には粗末な食事しか出されず、親方から虐待を受ける者もいた。

また年季が明ける度にさらに売りに出される者もいた。さらに泳法の訓練も過酷ものであり、縄で括った上で舟から海へ放り込むようなものであった。

また実際に糸満売りとされた人物証言によれば「ウムカシ(サツマイモから澱粉を取った残りの滓)が常食で、豊漁の時だけはイモがまともに食べられた」とのことであり、

先輩などからリンチやいわゆるいじめも横行していた。

なお年季が明けた(または戦後解放された)後は、幼少期から過酷労働により漁師としての技術を得たかつての雇子たちは、引き続き漁師として生計を立てていく例も多かった。

ただし少年期を過酷漁業の場で過ごしたため、学校での正規教育を受けておらず文盲が多かった。

 

だが必ずしも非人道的なことばかりがまかり通っていたわけでもなく、預かった子をまるで我が子のように養っていたとの証言もみられ、

またやはり雇子は親方にとっても「財産であるため無為いじめたり殺すようなことは損であるとして好まれなかったとされ、

雇子と親方の娘が結婚に至ったり、一部年季が免除されると言った事例もある。

 

例に持ってきたのは年季奉公の中でもハード漁師だけど、漁師以外の現場においても子どもたちは安く使える労力として扱われた

現代において年季奉公人身売買定義されている

 

もちろんそうじゃなかった子どもたちもいる、 親方ガチャ勝利した子どもたち  だ

 ↓  親方ガチャSSRの例

糸満売り(下)】7年間で150円 家族のために故郷を出て・・・森さん「悪くない人生

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/109819

 

 森さん(99)は「13歳の時、7年間150円」で糸満売りされた。

まれ故郷鹿児島与論島で父1人、子4人の貧しい家だった。「漁で身を立てれば貧乏から抜け出せると思って、後で弟も呼び寄せた」

 

 森さんは泳ぎが得意だったため、じきに年下の雇い子9人のまとめ役を任された。「娘3人だけの家で、息子代わりにかわいがられた」。

米を食べさせてもらい、親方の娘たちからうらやましがられた。

 

 20歳で親方の娘と結婚した。義理の親になった親方夫婦と妻をみとった今も糸満に住み、子ども6人、孫10人、ひ孫14人がいる。

現代では、人権侵害に当たる糸満売り。森さんは「家族のために故郷を出て、家族が増えた。悪くない人生」と話していた。

 

人権がなかったから仕方ないとかいうが、貧しくても売られなかった子どもたちがいる

人権がなかったから仕方ないとかいうが、重度の身体障害者であっても間引かれず、職につくよう教育された子どもたちがいる

 

売られたり間引かれた子どもと、そうじゃなかった子どもたちの違いは何か?

経済レベルがどうこうではなく、ガチャ勝利した ただそれだけだ

 

 

現代も同じことで、養育に困難を覚えるのは親の資質姿勢問題である

 
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