はてなキーワード: 与論島とは
○ 糸満売り(10歳前後の貧困層の少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部・糸満の漁師のもとで年季奉公)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E6%BA%80%E5%A3%B2%E3%82%8A
生活環境は厳しく労働は長時間におよんだ。雇子達の中には粗末な食事しか出されず、親方から虐待を受ける者もいた。
また年季が明ける度にさらに売りに出される者もいた。さらに泳法の訓練も過酷なものであり、縄で括った上で舟から海へ放り込むようなものであった。
また実際に糸満売りとされた人物の証言によれば「ウムカシ(サツマイモから澱粉を取った残りの滓)が常食で、豊漁の時だけはイモがまともに食べられた」とのことであり、
なお年季が明けた(または戦後解放された)後は、幼少期からの過酷な労働により漁師としての技術を得たかつての雇子たちは、引き続き漁師として生計を立てていく例も多かった。
ただし少年期を過酷な漁業の場で過ごしたため、学校での正規教育を受けておらず文盲が多かった。
だが必ずしも非人道的なことばかりがまかり通っていたわけでもなく、預かった子をまるで我が子のように養っていたとの証言もみられ、
例に持ってきたのは年季奉公の中でもハードな漁師だけど、漁師以外の現場においても子どもたちは安く使える労力として扱われた
もちろんそうじゃなかった子どもたちもいる、 親方ガチャで勝利した子どもたち だ
【糸満売り(下)】7年間で150円 家族のために故郷を出て・・・森さん「悪くない人生」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/109819
森さん(99)は「13歳の時、7年間150円」で糸満売りされた。
生まれ故郷は鹿児島の与論島で父1人、子4人の貧しい家だった。「漁で身を立てれば貧乏から抜け出せると思って、後で弟も呼び寄せた」
森さんは泳ぎが得意だったため、じきに年下の雇い子9人のまとめ役を任された。「娘3人だけの家で、息子代わりにかわいがられた」。
20歳で親方の娘と結婚した。義理の親になった親方夫婦と妻をみとった今も糸満に住み、子ども6人、孫10人、ひ孫14人がいる。
人権がなかったから仕方ないとかいうが、貧しくても売られなかった子どもたちがいる
人権がなかったから仕方ないとかいうが、重度の身体障害者であっても間引かれず、職につくよう教育された子どもたちがいる
売られたり間引かれた子どもと、そうじゃなかった子どもたちの違いは何か?
経済レベルがどうこうではなく、親ガチャで勝利した ただそれだけだ