「本社」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 本社とは

2024-04-15

anond:20240414130047

竹中擁護するつもりは毛頭ないが、Webで拾ってきたものを貼っておく。

信じるか信じないかはあなた次第です。

派遣の拡大は、厚労省がやったこと」

高橋 竹中さんがされてきた派遣の拡大とかですね。

竹中 いえ、そこが間違ってるんですよ。厚生労働省がやったんです。私は1990年くらいからずっとやってるし、小泉(純一郎)内閣10年以上前からやっているし、現実にそういう働き方をしたいという人が多い。ついでに言うと、派遣は全労働者わずか2%です。

 ワイドショー的な議論だと、「派遣は悪いことである、それをやったのが竹中である」みたいなことを平気で言いますけども。これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです。

 もう一つ、やはり地方創生はすごく重要テーマになってきています。ご存じのように、パソナ2020年9月から本社機能の一部を淡路島に置いていますけれど、そうした地方創生基本的な方向について意見を言っていました。

https://bunshun.jp/articles/-/64145?page=2

2024-04-13

四月なのにきょう26度まで上がるっていってるけど大丈夫かな

ブ厚いゴワゴワの冬服しかない

夏服あるらしいが入ったのが先月始めなんで支給されなかった

おとついに夏服あるのをきいてきのうの現場にこれも持ってない無線機といっしょに届けてもらえませんかっていったら結局は無線機だけ来て服は週明けに自分本社にとりにいくことになった

からきょうあすはこの冬服のまま

おれしぬ?

10半から13時まで、つぎはその45分後から16時まで、でその15分後から19時までだよ~

やっぱズボンポッケにちっちゃいペットボトル忍ばせといて立ってる合間に飲んだほうがいいよね?しぬよね?

水じゃないほうがいいのかなぁ…

いろいろかんがだしたら7時に起きればいいのにもう眠れなくなっちゃった

2024-04-12

先月末の本社総会?には続々と歴戦の勇士の風格を漂わせる一匹狼のボス野良猫たちが集まって来てた!!というのはもう書いたが、きょう、その中のボス()の一人に相対した

なかなか凄かった

バンカラ無頼漢問題児?を装った拗らせ警備員のフリをしてみせてる喰わせ者、という印象

きょうの現場はツキイチの臨時なのだが、イキナリ「ここで三回、出禁になってる」とカマしてきた

妻が水瀬いのりに泣かされた日。

水瀬いのりという、声優がいる。この人に妻を泣かされた日のことは、忘れられない。

私は水瀬いのり氏と同年代だ。いわゆるZ世代

勉強のよくできる大学を経て、お利口な人たちが集う、そこはかとなく大きな企業で働く、平凡なビジネスパーソン

特に水瀬氏に思い入れがあるわけでもないが、そこまで知らず。

たまに、Apple Musicシャッフル再生で流れてくるのを聞いて、なんだか落ち着く歌手がいるなあ、くらいの感覚

転機が訪れたのは、本社に配属されてから

多少規模の大きい会社の勤め人ならわかるだろうけど、本社の中枢の経営のあたりに投げ込まれると、

それはもう、胃が痛くなることが多くなる。辺境の支社ののんびりびよりが懐かしいことこの上ない。

じきに水瀬いのり氏の音楽の落ち着く効能に縋って、通勤時は「モーツアルト」「水瀬いのり」のヘビロテであった。

同氏のおかげか、はたまた私の才によるものか、お作法にうるさい経営対応も、ちょっと神経質な霞ヶ関対応も、

朝飯前とは行かずとも、まあなんとかなるようになった頃、今の妻と出会った。

妻はアニメジャニーズもわからぬ箱入り娘であったが、私が運転中にやたら水瀬氏の曲を流すものから

自然と当たり前のように、やはり水瀬氏の音楽聴くようになるのである

じきに妻は身籠り、さて人生も実に順調と言ったときに、またもや転機が訪れる。

私が肺がんになってしまったのだ。

タイミングが悪いと言えなくもないが、今考えると、良かったとも言える。

とにかく、クリスマスから正月にかけて肺を摘出するために、入院することとなった。

絶賛コロナ禍で面会もできず、妻は出産直前だし、何より手術日は妻と初めて出会った記念日クリスマス

実に申し訳ないことをした。

同期の医者の計らいで用意してもらった、病院VIPフロアの個室で、皮肉にも美しい夜景を見ながら、

年末で他の患者も家に帰ってしまい、あるいは静かな沈黙病棟で、

水瀬氏のバラードが鳴り響いていたが、文句を言う人すらおらず(年末から

私はむしろ、どんどんと平静さを取り戻していった。

日も上らぬ早朝から叩き起こされ、手術の仕込みをされることとなるも、実に私は幸せな気分でいられた。

とにかく手術は成功し、かなり異例の速さの回復具合だったようで、病院のいろんな医師が物珍しそうに見に来たのが印象的である

モーツアルト水瀬いのり氏の曲がずっとそばにあったことは言うまでもない。

(ちなみに大きな手術するとき患者は好きなCDを流せることが多い。私は「CDで」と言う記載を見逃していたので

主治医趣味デスメタルを聴きながら手術台に上がる羽目になった。覚えておいて損はないはず)

退院してまもない頃、これまた妻の陣痛が始まった。これまた妻を抱えるようにしてのせて、東京の真ん中あたりの病院に車を転がした。

妻は私の手術の話を聞いて、何を思ったか知れぬが、こどもが生まれる時は、水瀬いのり氏の「Happy Birthday」がいいと言うから

私の娘は生まれたと同時に、水瀬いのり氏の歌声を聞くこととなる。

さて、色々と落ち着いた頃合いに、Apple CarPlayから水瀬氏の新曲「While We Walk」が流れた。

その瞬間、東京の車の喧騒ピタリと止み、娘すら泣き止み、静寂が私たちを覆った。

「生まれた日のことを・・・何か憶えている・・・

神様の目を潜り抜け・・・宇宙内緒口付けを」

参考:https://www.uta-net.com/song/343412/ 

妻は大泣きしてしまった。それは、水瀬いのりに泣かされたように。

水瀬いのり氏には、本当に感謝を伝えたい。

・・・

本当に、ありがとうございますあなたのことばで、しあわせに近づけました。

これまでも、これからも、よろしくお願いします。

・・・

全く関係はありませんが、娘には「いのり」と名付けました。

2024-04-07

anond:20240407180412

同じく新社会人だけど、先週末の本社新人研修ずっとぼっちだったか上司も先輩も優しくて暖かく迎えてくれる支店に出勤できる明日が嬉しくてたまらない。

研修担当の人事の人らが「今日のメインは研修というより同期との交流から」ってやたらと休憩時間を多くしたり早めに切り上げたりするからマジで苦痛だった。

最後の方には他の同期同士タメ口になっててそのまま飲みに行く予定だったらしいけど、俺はずっとお互いさん付け敬語で飲みも誘われていない。

まっすぐ夕方帰宅したら母親が「今日飲み会とかなかったの?まあ、とにかく一週間お疲れ様」って言って寿司買ってきてくれたのが辛かった。

2024-04-05

ピッキングに戻りたい

日雇いピッキング作業者→同倉庫ピッキングアルバイト準社員(現場アルバイト管理)→社員(倉庫長)

って感じで上がってきたけど、倉庫マジでおもんないかピッキングに戻りたい。

あのクソゴミ生産性の中で最高効率を狙う立ち回りを考えるのがいっちゃん面白かったのに、

毎日毎日毎日毎日数字にらめっこして本社からガーガー言われるだけの日々ほんまにつまらん。

配達員に心付けを渡した後でお金を返して欲しいって本社へ連絡する嫌がらせをしてる

嫌がらせのためにやっているので

お金を入れるところから

渡すところまでばっちり撮ってある

2024-04-04

市役所入ったけど周りとの格差が辛い

新卒公務員になんてならなければよかった。

なんと研修が一日もなく、入社式終わったら配属された部署普通に業務が始まった。

民間企業に行った友達は、いまだに毎日本社近くのホテルや寮に同期集められて毎日研修したり一緒にご飯食べて仲良くしたりわいわいやってるっぽい。


面接理系科目無理すぎて公務員以外受からない自分が悪いけど、同じ新卒なのに扱い違いすぎてつらい。

自分がいい企業からない無能だったから仕方ないかもしれないけどさ、それでもせっかくの新卒なのにあんまりの扱いでつらい。どうせこれから長い間労働という名の苦役に耐えないといけないなら、せめてはじめぐらいちょっとくらいはしゃがせてほしかった。

2024-04-03

「配属ガチャ」に思うこと

今年は新入社員関連のニュースで、「配属ガチャ」という言葉を多く聞いた。

入社してからの配属をガチャガチャに例えたもので、近年は「配属ガチャ」が外れたことを理由に辞める若手が多いことから企業新入社員希望に沿うように、部署や勤務地を極力考慮してるらしい。

そんな配慮は全くなかった10年ぐらい前に社会人になった者としては「羨ましい」と思うものの、大学卒業したての若者に決めさせるのはちょっと酷だよなという気もする(もちろん、始めから専門性があるような学生は別だが)。

私は面接から東京本社営業がしたい、と言い続けてメーカー入社した。

入社後の面談でもそう言い続けたものの、希望は全く考慮されず、縁もゆかりもない超僻地工場経理をすることになった。

簿記勉強したことがなかったのでかなり苦労したが、勉強し始めてみると意外と奥が深くて面白く、最終的には会計士資格も取った(そして資格を使って結局転職した)。

勤務地も、のぞみが停まらない、空港もないようなところだったが、自然が多くて魚も酒も美味く、今でも年に一度や二度は訪れるぐらい好きなところになった。


20代前半の貴重な5年を東京で華やかに過ごせなかったことは若干悔やまれるが、「配属ガチャ」に外れなければ、会計士になることも、超僻地の良さに気づくこともなかったので、結果的にはよかったのだと思う。

「配属ガチャ」がなくなってしまうと、こうした偶然の出会いもなくなってしまうと思うと、それはちょっと残念なことだよなと少し思ってしまった。

お局さん辞めちゃった😭

うちの部は各部から依頼が来てそれに対応する系の部署なんだけど

うちのお局さんは本社人間にはゲロ甘だけど支社の人間にはめちゃめちゃ高圧的ですげー苦情が来てたのね

苦情きてるから言葉遣いだけでも何とかしてって何回言っても聞かないか

しょうがなく一番苦情が来てる支社に3月に異動させたんだけど、もう辞めちゃった😭

本社経験長かったから支社と本社を繋ぐ架け橋になってほしかったのに😭

2024-04-01

新入社員時の思い出

強く生きようと心に誓ったあの日。そのおかげでスキルを蓄積して上手いこと立ち回って今に至るので、この時の経験には感謝している

わけねーーーーだろばーーーーーーーーか!!! その工場今潰れそうになっててざまあああああああ!!

anond:20240401170158

あるある

ワイローテク小売り業本社、気管支が悪い?ような50代後半社員が常に端っこで作業してて早めになるほどと気づいた。

リモートワークは現場社員と不平等になるからという理由実施されていない。

2024-03-31

転職やる気になる奴らすごいよな。就活もう一回やるってことだぜ?

俺はもう二度とやりたくねえよ。

意味分かんねえ圧迫面接を通して「俺がお前という人間本質を見抜いてやるぜ」なんて面して人事ごときに媚びへつらうあん時間

そもそもさ、人事って会社において使えない奴らが行き着く場所じゃん?

コミュ力があるなら営業、処理能力があるなら経理想像力があるなら開発、お勉強が得意なら設計、真面目な奴は設計、そうやって能力毎に配置を振っていったあとの余り物が行き着く先が人事じゃねえか。

そんな連中がごくごくたまに他人に対して横暴かませるタイミングとして心待ちにしてるのが面接だよ。

久方ぶりに合う自分より立場の弱い奴相手に好き放題ハラスメントかますその姿はまさに驕り高ぶり言語道断

それを自分の狙った会社に受かるまで何度も何度も繰り返す。

面接なんてやればやるほど自分時間と金がなくなってく。

本社面接するから東京に来てくださいだの、配属予定の場所二次面接をしたいから今度は関西に飛んでくださいだの、こっちの都合も考えずに好き放題よ。

なんでもありの滅茶苦茶な世界で散々振り回され、契約書類確認してふと気づく「あれ?この会社って偽装請負で人売りしてるだけじゃね?」って。

そんなのを何社も何社も繰り返してようやく最後にたどり着いた会社で当たりを引ければいいもんだ。

入社前に聞いてなかった謎のサービス残業が飛び出し、理不尽な配置が起き、隣の席にキチガイがいて、直属の上司アスペルガー

あーあーそりゃそうだよねーちゃんとした会社じゃないから俺なんかが浮かれたんだねーあーあーあー馬鹿らしいと思いながらの日々。

社内の面談でひたすら隣の部署への異動を申し出続けて、ようやく脱出ってもんだ。

そんなことを人生で何度も繰り返したくねえよ。

ぶっちゃけさ、会社なんて外から見てもよく分かんねえじゃん?

それで何度もガチャ引き直すってリスクばっかデカくてうま味が少ねえよ。

やるなら社内の部署異動だね。

上司が変わるだけで働きやすさはぜんぜん変わる。

パワハラキチガイの下で年収800万円もらって心の病院に行くより、まともに話が通じる人間の下で年収400万円で働いたほうがマシってもんだ。

転職なんてギャンブルしかねえだろ。

人生をかけたギャンブルだ。

自分の座ってる席がよっぽど自分の身の丈に合ってねえと感じるでもなきゃやるべきじゃねえぜ。

エンゲージメント経営指標に入れられた現場で何が起こっているか

部長「やれ」

 ↓

課長「おかのした」

課長本社に怒られるから頼むわ。点数が悪いと忙しい中研修とかグループディスカッションが設定されます。」

 ↓

社員罰ゲームうぜえから適当で(๑•̀ㅂ•́)و✧」

 ↓

経営幹部エンゲージメント改善した!」

2024-03-30

新人時代トラウマを思い出したので吐く

この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会トラウマを思い出したので書く。


新卒就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人派遣を行う人材派遣会社だった。

当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社看板も、営業網も使えていた。

それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。

からか、当時入社するプロパー入社式はそれはそれは華々しく行われていた。


いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。

プロパー新人記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。

派遣会社事務所から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。

簡単事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である

課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。

周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。

15インチスクエア液晶DELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。

当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。


それから数日して、プロパー新入社員挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月お盆明けからだが、と聞かされた。

何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。

すごいね

グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって

すごいね

そうして彼らプロパー新人新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。

忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というもの存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。

このように同じ職場メンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである

いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。


さて、この内容を何故標記増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったかである


時は流れて8月プロパー社員新人正式職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である

今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。

私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。

そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。

なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事必要から」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである

偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。

今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。


ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットであるもっと具体的に言うとこの増田はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。

そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。

みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。


さて、その後だが、元グループ本社ブランドが使えなくなり、営業から外され、元グループ会社格安で担っていた間接機能自分でやらなければならなくなり赤字に転落。

グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれプロパー社員ボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件改悪、激変が続く事になる。

当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単ビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。

同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社系列グループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社からではなく、他の派遣会社から人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社機能依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。

さら賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外EMSに出されるようになっていった。

しかし、プロパー社員派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。


ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラ黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である

そのタイミングで、元グループ会社本社最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。

そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社グループ内向け派遣会社であるからである


最後に、その後私がどうなったかを書かせてほしい。

かつて敷地内にあった派遣会社事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。

そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。

もちろん、断った。


会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業工場地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。

から自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。

さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。

そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足タイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。

引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社グループ本社吸収合併される事が決まった。

本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社正社員になることができた。神風が吹いたと言える。


そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢新入社員一年目が、悪夢ホテルでの夜が頭をよぎるのである

からみなさん、相手所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから

また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである

頑張ってほしい。

2024-03-29

anond:20240319142904

コメントにあるけど、本社採用が違うんだよな…

あくま現場組織向けだったら、クリエイティブ志向の人は退屈に感じるかも

anond:20240319143807

でもあそこって本社叩き上げ極端に少なくて、転職エリートばかりらしい

役割が明確になってるんやろうな

anond:20240329105111

お前の職場は勤務中に自販機飲み物買いに行っていいかなんてその場の上司のノリで決まりそうなルールをいちいち本社稟議かけたりするのか???だとしたらすげえ息苦しそうだな。

なんかワイの想像する職場とお前の職場はかなり規模感が違うかもしれん。的外れだったならすまんな。

2024-03-28

anond:20240327125848

気持ちはめちゃくちゃ分かるけど、増田さんはたまたま無職の時に自分が好きな業界募集があって舞い上がっただけなように見える。

向こうとしては当然プロを求めてるわけだし、業界経験ゼロ提供できる価値が人当たりの良さとマルチタスク、ではふんわりしすぎているかも。

氷河期土地柄や性別で悔しい思いをしたところ、同情できる点はたくさんある。でも私はずっとやりたかったクリエイティブ系の仕事のために別の仕事しながら資格かめっちゃ取ってオンラインやらオフ会や展示会の度東京行ってコネ作って準備が整った30歳の時点で全部家族との縁とか捨てる覚悟で一念発起して地方から上京した(今もその業界に何とかしがみついてるよ)からぶっちゃけ増田さんの職務経歴書を作り込んだという話だけでは"甘いな〜"とも思ってしまった。

東京本社出版社なんて、もっともっとガツガツして準備して郷を捨てて人を蹴落としてでも職を掴んでやるって覚悟の人がごまんといるよ。学生時代から編プロに潜り込んでなんとかコネ作ったり、顔覚えられるぐらい出版持ち込みしたりとかね。

増田さんは小説書きになりたいの?それとも本気で編集者になりたいの?編集者に本気でなりたいなら、九州在住でもやれたことはたくさんあったはず(地域誌のバイトボランティアに参加するとか、勤めてた医療系の広報と関わりを持って出版系のコネを作るとか、オンライン編集技術のワーク受講とか)そういうのがない時点でいくらグイグイ面接に来てくれても"お客様気分で応募してきたミーハー同人作家"としか見れないと思う。

でも面接までやってくれてのは、多分九州支部の人が"この人は見込みがあるから一度面接だけでも"と東京の人に伝えてくれたんだろうし、オンラインだろうと面接実施したのはきっと増田さんの職務経歴書履歴書編集者目線で見て光るものがあったのだと思うからすごい。全く落胆する話ではないと思う。その行動力を活かして次何をするかが1番大事だと思う。医療という絶対に食いっぱぐれないスキルがあるのは強いから、思い切って別業界に飛び込むのもアリなのでは。

自分と重なることが多くてついキツイ文章になってしまいごめんなさい。応援してます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん