はてなキーワード: 日本学術会議とは
もう増田ご本人は見ていらっしゃらないかもしれないが、私なりに寄り添って、こんな風に考えてみたらいいんじゃないか、と思ったことを書く。読みにくくてすまん。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
ここにあなたのつまずきがあると思う。
人の話や文章をちゃんと理解する(そしてそれに見合った返答をする)、というのは、実はとても難しくて、たぶん世の中の半分以上の人間にはできない。
増田はたまたまそれが何の苦もなくできる。そしてできる人には、あまりにも自然にできてしまうせいで、できない人がいるということが理解できない。〈誰だって頑張れば理解できるはず〉だから、〈理解しないのはやる気がないからだ〉と思ってしまう。そして〈なぜやる気を出さないのだろう、なぜ俺の話をちゃんと聞いてくれないのだろう〉→〈俺が「キモくて金のないおっさん」だから、見下されていて、消費対象のエンタメだと思われているんだ〉、と思っている。
まったくの勘違いだ。彼らはやる気がなくて読んでいないのではなくて、やる気を出しても読めないのだ。
仮にあなたが「若くてきれいな女性」だとしても、相手があなたの話をちゃんと理解し適切な応答をしてくれるようになるわけではない。無意味にあなたをちやほやと取りかこみ、「わかるー、ほんとむかつくよね!(←全くわかってない)」とか「大変だったね笑そういうときはこうするといいよ笑」とかいうトンチンカンな応答をするやつが増えるだけだ。
ちょっと世間を見ていればわかると思うが、「相談なんてしていない」のに「少し深い話になるとやたらとこちらの言うことを否定してくる」おじさんやおばさんに、若い女性も毎日遭遇している。〈相談されたから解決策を考えてやったら「共感してほしかっただけなのに」とかいわれた、これだから女はw〉みたいな話も日常的にエンタメとして消費されている。つまり増田はほぼ若くてきれいな女性そのものだよ! やったね!
自転車に乗るみたいなものだ。増田は自分が自転車に乗れて、乗れない人がいるなんて想像もできないから、自転車を運転できない人を見て〈まともに乗れよ〉と怒っている。これがどのくらい無意味な行いかはわかるだろう。
あなたは〈みゆさんみたいな人は貴族で、自分は貧民なんだと思っていた〉というが、この表現は劣等コンプレックスを刺激して冷静な対処の邪魔になるので、ちょっと視点をずらして逆に考えたらどうだろう。つまり、少数派にしか許されない特殊なマナーが身に染み付いているあなたが「貴族」で、みゆさんや我々トラバ・ブクマカのほうが庶民なのだ。
だからといって、〈よしじゃあ庶民を馬鹿にしていればいいんだな〉という話でもない。「貴族」といっても別に権力があるわけではないから、正面から殴りにいったらむしろ数の力ですぐに負ける(日本学術会議はこのへんを勘違いしている)。そして道徳的にも、貴族のマナーが無条件で優れているわけではない。「武士の商法」という言葉があるけれど、自分のマナーが正しいことを疑わず、従わないほうが悪いとばかりに庶民のあいだでもそれを押し通すのは、滑稽な所業だ。
さてでは、貴族のあなたが心穏やかに過ごせるようになるには、どんな方向があるだろうか。パッと思いつくのは次の三つだ。
1庶民を丁寧に教育し、マナーを社会的に浸透させる(啓蒙家コース)
2庶民社会のルールに順応し、そのなかで栄達を図る(資本家コース)
3おつきあいはできるだけ貴族同士に限定し、無作法な人には近づかない(社交界コース)
おすすめは3だ。別にそこまで極端に交流を狭める必要もないと思う。普通に生きていると案外、貴族は貴族同士、庶民は庶民同士で集まる。「普段縁のない層」に絡みにいくから摩擦が増える。みゆさんじゃなくて、「別の人に相談した」というその別の人に話を聞いてもらったほうがいいんじゃないか。庶民の恐ろしさを知った今なら貴族の貴重さも身にしみて相手を大事にし、一層深い関係を築けるかもしれない。
自分の信じるマナーが社会全体に受け入れられるという1のゴールはとても素敵で選びたくなるだろうけど、過程がマジで大変だ。もしこれができるようなら明らかに教職が天職なので、さっさとその方面に再就職すべきである。少なくとも、人々が〈やる気がない〉のではなく〈自転車に乗れない〉のだと気づいていなかった増田には難しそうだ。
以下はここまで以上に説明が難しい部分で、フィーリングに頼って話を進める。読んでも非論理的なでたらめにしか思えないかもしれないので、適当に流してもらっていい(「論理」と「合理」が曖昧に使われているのもその一環と許してほしい)。
ここまで「まともに」つまり合理的に読んだり話したりすることの難しさについて述べてきた。けれども人間が非論理的なのは必ずしも悪いことではない。生き物が不合理なエゴを抱えるのは当然で、合理的論理的に考えたら生きる意味はなくなってしまう。その意味で、〈正面から反論せず「それが普通だ」と不合理に押しつける〉のは、人間なら避けられないことといってよい。貴族仲間というのは、不合理な領域が自分と一致しているので苛々しない相手に過ぎない、ともいえる。
問題はむしろ、論理的な人間が往々にして、自分の中の不合理な部分まで論理的だと思い込み押しつけてしまうことだ。2(資本家コース)は不合理な政治的手法に順応するということなのだけど、とくに庶民に対する劣等コンプレックス(軽蔑もしばしば劣等感の反転である)が強い場合、〈実際には不合理なルールを利用しているのに、次第に自分は論理の力でみなを啓蒙しているかのように思いこむ〉機制が働きやすい。インターネットを見れば、中途半端に論理的だったために自分の正しさに凝り固まったイデオローグと化し、敵を感情論と指弾することの不合理な喜びに支配されている右翼や左翼やフェミニストや表現の自由戦士の実例には事欠かない。
このルートに入ると論争のイライラ感に依存するようになって、マジで「世間話をする」みたいなささやかな幸福に支えられて生きていく邪魔になる。なので、自分のなかの不合理な部分は不合理と認めて、適当に愛撫しながら生きたほうがよい。
https://anond.hatelabo.jp/20201024152554
上記の反応エントリがあったので追記で答えます。書いたのが増田なのか別の人なのかわからないのがちょっとやりにくいけど。
あとあらかじめ注意。「多少突っ込んだコメントになると」「あなたたち」等と言われているから、もしかしたらこのエントリ以外にもいくつか念頭に置いているコメントがあるのかもしれない。でも私は私自身の意見の説明しかできません。そこはご容赦を。
ごめん、前提が共有できていなかったみたいだ。ちゃんと読んでもらえば分かると思うけど、前者を擁護しているわけではない(余談部分までいくとまたちょっと別だが)し、読み手についても、ましてや増田について「悪い」とは言っていないよ。
当為(「べき」)と事実(「である」)の区別、って聞いたことないだろうか。私は事実認識「文を読めない人が多い」を確認しただけだ。当為については述べていない。
うん、だからそれは当為認識〈あれこれ論じることができなくてはならない〉なんだよね。で、〈あれこれ論じることができる人は少ない、あれこれ論じるのは非常に困難である〉、これは事実認識。当為によって事実は変わらない。
ここで重要なのは、当為の実現を諦めろっていってるわけじゃないってこと。むしろ当為を将来的に実現するためにこそ、偏りない眼で現状を、そして現実がどういう法則で動いているのかを、正確に認識することが必要だ、という話。
たとえば〈この水は氷になるべきである〉という当為認識があるとしよう。ここで、水を前にただ「氷になるべきなんだからならなきゃおかしい」「なっていないのは誰かが悪いに違いない」とか考えててもしょうがない。そもそも水は氷になるのか、なるとしたらどんな条件下で氷にすることが可能なのか、当為とは無関係に物理法則がどういうルール「である」かを知らなければならない。最終的に、〈この水はこれこれの限られた条件下でのみ氷になる〉という事実認識が把握される。この事実認識を踏まえてはじめて、私たちは技術を用いてその条件を実現し、水を氷にすることができる。
たとえば「沖縄の基地負担は減らすべきである」という当為認識だけがあって、基地とそれを巡る政治的力学についての事実認識がなかったために、ひどい混乱が起こった例はご存知でしょう。
「でもお前の提案した3(社交界コース)は当為を諦めてるじゃないか!」といわれるかもしれない。それは、もともと増田が設定している当為=ゴールが〈万人が言語交流できるだけの知性をもつべきである〉ではなくて、〈増田は幸せになるべきである〉だと判断していたからだ。後者の当為はちゃんと追求している。
前者も当為から外せない場合、1(啓蒙家コース)にあたる。「1は難しい」とは言ったけどそれも事実認識を述べただけで、「1は選ぶべきではない、3を選ぶべき、3を選べなかったのは悪い奴」とは言っていない。なので、1をとりたいならどうぞ。
たぶんあなたは、悲しいことが起こるのはどちらかが「間違ってる」「悪い」からだ、と考えてしまっているんだと思う。そして、「責任のある」「悪い」方が変わる「べきだ」、と思ったんだと思う。だから、私が主に相手を変えない手法を提案しているのを見ただけで、「増田が悪いんだと結論づけ」ていると誤読してしまったのではないか。でも、これは単に、〈相手を変えるよりも自分の選択を変える方がはるかに労が少ない〉という理由から提案したものにすぎない。
と言わざるを得ない。
実は「自転車に乗れない」と書いたところ、最初は「因数分解ができない」という例も考えていたんだよね。学校で授業を受けても因数分解ができない人、文章がまともに読めない人、あるいは一度できたはずなのにしばらくしたら忘れちゃう人、たくさんいるでしょ。恥ずかしながら私も、理科や家庭科で習ったこと、すっかり忘れちゃったなぁ。当為と事実の区別も学校で習うような気がしてたけど、これは私の記憶違いかな。
もちろん私の事実認識自体に反論することはありうる(「事実認識」であって「事実」とまではいっていない)。それならそれでいいです。
それは多分誰も反対しないと思うw
また長く雑ですまん。
【直球&曲球】宮嶋茂樹 まだやっとるんか日本学術会議問題 - 産経ニュース
より
あのな…学者センセイ方…アンタら特別職国家公務員なんやで。公務員が、政治活動や組合活動ばっかり、熱心にやっとったとしたら…あの日教組とやっとること同じやん。
はあ、さいですか。もっとえげつない政治活動やってらっしゃる特別職の国家公務員の方々もいらっしゃるようですがね。国家公務員法の第二条が特別職の国家公務員とはだれを指すのか書いている。引用。
○2 一般職は、特別職に属する職以外の国家公務員の一切の職を包含する。
一 内閣総理大臣
二 国務大臣
四 内閣法制局長官
五 内閣官房副長官
五の三 国家安全保障局長
七 副大臣
七の二 大臣政務官
八 内閣総理大臣秘書官及び国務大臣秘書官並びに特別職たる機関の長の秘書官のうち人事院規則で指定するもの
九 就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員
十 宮内庁長官、侍従長、東宮大夫、式部官長及び侍従次長並びに法律又は人事院規則で指定する宮内庁のその他の職員
十一 特命全権大使、特命全権公使、特派大使、政府代表、全権委員、政府代表又は全権委員の代理並びに特派大使、政府代表又は全権委員の顧問及び随員
十一の二 日本ユネスコ国内委員会の委員
十二 日本学士院会員
十二の二 日本学術会議会員
十六 防衛省の職員(防衛省に置かれる合議制の機関で防衛省設置法(昭和二十九年法律第百六十四号)第四十一条の政令で定めるものの委員及び同法第四条第一項第二十四号又は第二十五号に掲げる事務に従事する職員で同法第四十一条の政令で定めるもののうち、人事院規則で指定するものを除く。)
十七 独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第四項に規定する行政執行法人(以下「行政執行法人」という。)の役員
○4 この法律の規定は、一般職に属するすべての職(以下その職を官職といい、その職を占める者を職員という。)に、これを適用する。人事院は、ある職が、国家公務員の職に属するかどうか及び本条に規定する一般職に属するか特別職に属するかを決定する権限を有する。
○5 この法律の規定は、この法律の改正法律により、別段の定がなされない限り、特別職に属する職には、これを適用しない。
第三項に「特別職の国家公務員」が列挙されてる。「内閣総理大臣」「国務大臣」はもろ特別職の国家公務員。「就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員」は国会議員。というわけで、自民党の議員センセイ方は全員特別職の国家公務員なんですけど、あの人たちも熱心に政治活動やってるよなぁ。
などというと何十周遅れだよと罵られそうだが同じところをグルグル回ってバターになるほど暇でもないし、そもそも何十周もしていながらきちんとした共通見解が出ない概念をどう扱うべきなのかもよくわからない。
たとえば電車の中で許可なく性的な目的を持って女性の身体を触れば痴漢である。
では性的消費に関してどれくらいのコンセンサスが取れているのか?
・裸婦像
・バ美肉おじさん
これらの中でどれが性的消費に当たり、どれが当たらないのか。
それが自分にはよくわからないし、おそらく皆よくわかっていないのではないだろうか。
しかしそうやってよくわからないまま性的消費とはとりあえず悪いものだとして議論が展開されるのは、ワイドショーで日本学術会議のあり方が批判される問題に似ているかもなあとついつい思ってしまう。
日本学術会議やとばっちりで学術振興会などの国の学術組織にお金が使われていることが,
その基盤となっている科学研究を軽視し,科学研究にかけるお金を減らすとどうなるのか.
少しでも研究という行為に携わったことがある者なら,結論はすぐ出るはずだ.亡国だ.
ではなぜ学術振興会にたったの数千億,学術会議に十数億の予算が国から出ていることを
誰だって何に使われているのかもわからないところにお金を出すのは反対するに決まっている.
科学が重要なのは当たり前だろ,というのは科学者の驕りである.
数十年・数百年という単位でみると大幅なプラスとなっていることを説明出来ていない.
今1兆円かけると100年後に100兆円になって帰ってきます.
科学研究投資はギャンブルなんかではなく正しい投資行為なんだということを説明できていない.
これでは,国民が納得することは無いだろう.
科学者が一丸となって,メディアに露出して世間の納得を得るべきだ.
そうすれば,数%の採択率の科研費を取るために一生懸命になって提案書を書くよりも
長期的には科学者全体が得をするだろう.
Matzことまつもとゆきひろといえばプログラミング言語Rubyの作者なのだが、技術的にはともかく政治的にはツイッターを見ていてとてもつらい。
高度なスキルを持つと自負し、高い裁量が欲しい私のような労働者を野党が目の敵にしてることはよく分かった。実に残念だ。— Yukihiro Matsumoto (@yukihiro_matz) March 1, 2018
「定額働かせ放題」とも呼ばれ、専門性も裁量性も低い業種への拡大が懸念される「高度プロフェッショナル制度」について、問題点を理解せず反対する野党を揶揄。
軽減税率といい、改元といい、サマータイムといい、IT 業界を苦しめたいか、生産性を高めるのを阻害したい勢力が政治をコントロールしている陰謀論を信じたくなるな。— Yukihiro Matsumoto (@yukihiro_matz) August 18, 2018
陰謀論に頼らなくとも、そのような勢力が自民党なのだが、なぜか自民党の批判には至らない不思議なツイート。
アベガーが「おい... 待てよ... 本当やめちゃうのかよ...」みたいな事を言い出すB級ドラマが見たい。— mattn (@mattn_jp) August 28, 2020
安倍晋三が辞任することで批判の対象がなくなって困るだろうと想像上の批判者を揶揄。
高ければ「無駄遣い」。安ければ「業界いじめ」。非公表にすれば「隠蔽」。段取りを踏めば「遅い」。この界隈の方の仕事は無限に生まれるから羨ましい。当初の単価400円(送料込)を半分近く削減しても素直に調達努力とは言えず疑惑(=ライターの仕事)にする根性には恐れ入る。https://t.co/NCYvtCN19o— 永山久徳 (@h_nagayama) September 28, 2020
9条信者は今すぐ中東行って仲裁して来いと憤る方々、ちょっと待って欲しい。アゼルバイジャンは日本同様「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」が憲法に折り込み済みなのである(— 我慢@体力練成中 (@g_a_man2) September 29, 2020
レジ袋有料化とか、財政再建のための消費税増税とか、日本学術会議がこれまでしたという提言がどれもこれもヤバイ、どれくらいヤバいかというと、近年の失政のきっかけを全部押し付けられそうなぐらいヤバい。— U.S.S.BlackPrince (@HMS_BlackPrince) October 8, 2020
どれも自民党が決定し実施した政策なのだがなぜか批判を自民党ではなく学術会議に向ける不思議なツイート。
技術者として優秀ならたとえ政治的にどれだけ頓珍漢なことを言っていてもいいのではと考える人もいるだろうが、筆者はそう考えない。現在のRubyの開発はまつもとゆきひろ個人ではなく、オープンソースとしてコミュニティにより行われているものだ。その中で氏は一人の技術者としての役割と同時に、コミュニティのリーダーとしての役割も果たしている。
そう考えたときに、氏が「お上に盾突く」政権批判者を揶揄し続けていることはコミュニティの将来に暗い影を落としている。意見の違う他者に敬意を払う、少数派の意見でも理があれば尊重する、近しい人間もそうでない人間もできるだけ平等に扱うように努力する、といった健全な文化が、そのようなリーダーの下で育つだろうか?
Linuxのリーナス・トーバルズですら過去の暴言について反省し謝罪する時代である。多くのオープンソースプロジェクトはそれぞれに行動規範を定めるようになってきた。
Linuxの行動規範もPythonの行動規範も、それぞれにネット上での議論やオフラインでのイベントで守るべきルールを具体例も交えながら詳細に記述しているし、それだけでなくルールを守らなかった場合の措置や、ハラスメントを受けたときの報告先、その報告がどのように扱われるかまできちんと書かれている。
Rubyにも行動規範があるにはあるのだが、その内容はおそろしく貧弱で具体例にも乏しい。なにより、ハラスメント被害にあったときに被害者が誰に報告すればよいのか、その報告がどのように扱われるのかがまったく書かれていない。この健全なコミュニティ運営に対する無関心も、リーダーの姿勢と無関係ではないはずだ。
以前からPythonの隆盛とRubyの退潮は繰り返し言われていたが、筆者はこれを機にRubyを捨てPythonに切り替えていこうと思う。日本で生まれた言語ということで、なんとなくRubyを応援したいという気持ちもずっと持ち続けていたのだが、そのような気持ちもだんだんと薄れてきてしまった。PythonがRubyに対して利用者数も開発者数もライブラリの充実度も圧倒的優位にある状況が逆転する見込みはないし、コミュニティ運営に対する意識の差も新しく流入する人の数に影響しこの流れを多少なりとも助長するだろう。既存のコードのメンテナンスはともかく、新しいコードはPythonで書くようにする方が将来的にはメリットが大きいだろうと思う。