はてなキーワード: 既視感とは
しばらく前の話。同僚が韓国のことをえらく悪く言いだした。最初は聞き流していたんだけど、あんまりにも根拠不明のことをガンガン言い募る。コスモポリタンを自認する自分としては、たしなめざるを得なくなって、「その話、根拠なんなの?ソースちゃんと確かめてる?」って訊いた。するとその同僚はあろうことか「増田さん、在日ですか?」と明後日の方向で、息巻いて来た。まあどちらでもいいんだけど、うちの親が言うには我が家は第30代敏達天皇の後裔らしい。なので(笑)論点も外してる上に、事実からも遠い反応なのだが、見当はずれな反論に再反論しても議論は深まらないのでヘラヘラと流した。
そんなことがあってしばらくした盆休みの午後、福音書を読んでいたら、既視感を覚える記述があった。ヨハネの福音書の7章辺りにニコデモって男が登場する。この男は当時のユダヤ人の貴族が集まるサロンの会員で、そのサロンではイエスがえらくヘイトを集めている。理由は、漁民や小役人らと徒党を組んだ田舎者(イエスはエルサレムから3日くらいの道のりのガリラヤ出身)の大工が、生意気にも貴族たる自分たちの既得権益に何やら悪影響を及ぼしているってことだ。そのサロンでの、イエス問題を議題にした会議の最中、あまりにもイエス憎しで結論ありきな議論に嫌気がさしたニコデモは「あんまり予断で話をせずに、本人呼んで話聞いた方がよくなくない?」と発言する。すると「お前、在日?ガリラヤ出身??」みたいな明後日の方向の言いがかりの総攻撃をうける。記述はそこでおわっているが、おそらくニコデモは話す気なくしてヘラヘラしてたんじゃないかなと思う。
BL消費は性欲じゃない、性欲じゃないなら……
https://anond.hatelabo.jp/20180705114202
性差と言えるけどとても似通った何かを感じるよ
日本を代上するロックバンド「RADWIMPS」って知ってますかい。
知らない人は自分がおっさんなのを自覚しといたほうがいいらしいですよ。
Supremeの読み方はわからなくても前前前世はカラオケで歌えるようにしておいたほうがいいらしいですね
「RADWIMPS」がHINOMARUという曲をリリースしてすぐにアクティビストの我らが津田大介さんが
「お国が望む「クールジャパン」ってこういうことなんだろうし、今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう→ https://buff.ly/2M7NnQN 」
「特定の思想がない旨も、自分の国を好きで何が悪い的な物言いも、既視感ありまくりで、それはツイッターのプロフィールにそういうことを書いている人が多いから。そして残念ながらそれを言う人はたいてい排外主義的な主張とセットになっている。②も④もとても「ベタ」な表現なんだよね。」
と「RADWIMPS」を名指しで批判して野田洋次郎をあろうことかネトウヨと同列に扱うってファンにとっては怒りでご飯8杯は食べれる発言までしてしまったんですがね。
流石の津田大介さん過去の発言をほじくり返されて数日が経過した今現在もツイッターでの批判が秒単位でつぶやかれている状態になっています。
でも待ってください。本当に津田大介さんは「RADWIMPS」を批判したかっただけなんでしょうか。
確かに津田大介さんが法定処置を匂わせたことで、老舗ブログBirth of Bluesが津田大介さん関連エントリーを削除したり
人気歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんが
「クリエイティブなものなのに言いがかりつけて表現できなくなって死んでいくことが悲しい。攻めていけない世の中」
といったり。表現業界を巻き込み凄いことになっているんですよ。
ですが津田大介さんは発禁まで要求する人に対してむしろ諌めたりしています
たしかに「右でも左でもないRADはバカ」といったツイートをRTしたり
https://twitter.com/kingcurtis/status/1006402837977300993
RADに対して扇動的な発言をRTしたりはしていますが津田大介さんはこう言いたかったのでは無いでしょうか
「RADWIMPSくらい売れたらポリティカル・コレクトネスを持ってて欲しいそれが文明国家だ」
ここで表題に戻りますが津田大介さんは過去トランプのイラストを書いた外国人イラストレーターに面識があるという設定で「オルタナ右翼」を描いたものだというフェイクニュースを発信して問題になっております。
実際にはその絵師の身内の日本人から指摘を受けツイ消しを行ったのですが津田大介さんはその時も「オルタナ右翼」を批判したかったわけではなく「このくらいの画力があるのであればポリティカル・コレクトネスを持ってて欲しいそれが文明国家だ」と言いたかったのでは無いでしょうか。
とここまで書いてなんとか擁護してみたかったものの流石に無理を感じましたので筆を折るとともにこのエントリーを締めさせていただきますよ。
狂気のゲリラ的バブル型住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都。再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。
都市部と地方の格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。
東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然も文化もあるような、勝ち組の豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。
ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都内だって、2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町の極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。
東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗や交通網の多い郊外や下町地域の方が住むにはいい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線の西側は治安リスクとインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化の問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情を無視するのである。
私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県や千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである。
地域性がハッキリしているのが日本の都市とは言われている。阿佐ヶ谷や亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山の風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである。
私は東海道線で横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎や横浜でさえも、既視感のある風景。特別な理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。
「たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性、関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである。
こういう場所で、このような社会問題が連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである。昭和の裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民が悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。
大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準が日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識を形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。
しかし、2010年代くらいになると、地方にしかなかったファスト風土的光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店や文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困の高齢化、多文化共生などのあおりを受け、都市部の繁栄の広がりは陰りをみせてきた。
オタクだったら池袋と秋葉原の関係。池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化に歴史や多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク系企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。
じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定のインフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉の都市部をもっとオーラを悪くした感じなのである。昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。
限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。
しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏は人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップに葛藤するのである。不都合な現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。
でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷なセクハラが常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性の叫びがネット上に飛び交う。
この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所がオーラを改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たちは放棄してはいけない。
思い出した。
私は男性とお付き合いして結婚し、絶賛子育て中の女性なんだけど、
昔夫の友人の女性に対して「この人を知りたい… でも知ったら戻れなくなりそう…」と
BL界隈で既視感がある、「そういった感情」を持ったことがあるんだった、と。
(私は若い頃BLを読み漁ってた。今はそこにパワーを注げなくなって微妙に離れてる)
結局、夫を介してじゃないと連絡とれなかったし頑張らず、友達にもならず、そこで終わったけれど。
予想だけどその人は結構自由な人なので、私を気に入ってくれたならば女性同士でもお付き合いできたのでは…と感じる人だった。
で、ここまで書いてまた思い出した。
親友の女子がまだ付き合ったことない時に「ファーストキス、男性に奪われるの嫌だなー」とか思ってたし、酔っ払った時にわざと大好きな女子とキスしたこともあった。中学校のときも女の子のふわふわ・さらさらした触感が好きでやたらとベタベタしていた気がする…。
今まで女性とお付き合いしたことはないけど、出会いがあれば簡単にバイになるのではないか、と自分で思ってる。
魅力ある人とは、男女関係なしに仲良くなりたいなぁと思ってしまうし…。
恋に奔放なタイプじゃないので、今の夫とは付き合ってから長いしいろいろな恋愛を重ねてこなかったし、
夫とも別れる予定はないけど、離婚することになったりしたら一度女性とも付き合ってみたいかも…と思いました。
(と、こういうの、女ともだちに話すと構えられちゃいそうなので増田に書いてみた)
1~3話観たけど、予想と違う内容ですっかりハマってしまった。
タイトルに「ソードアート・オンライン」ってあるからソードアート・オンラインなのかなって思っていたんだけれど、要は「SAOを読んだ、原作者とは別の小説家(キノの旅の原作者)が『このGGOっていうやつめっちゃ好き!小説書きたい!』って思って、SAOの原作者に打診して、作中のゲームをテーマにして書いた2次創作」だったのね。
その小説家がすごいガンマニアだったので、本作はそういう趣味全開の内容になっている、という。色んな銃が登場するのだけれど、それぞれの銃について作中で詳しく説明していたり、趣味全開としか思えないようなチョイスだったり。たとえばエムさんのサブウエポンがHK45なのだけれど、H&K製で、.45ACP弾を使う拳銃で有名なのはMk.23またはUSPっていうイメージだったので、「敢えてそっち?!」ってなった。
特に射撃のシーンが凄い。発砲音が武器のカテゴリ(使用する弾丸?)ごとに違うのはまあ分かるけど、それを聞いたキャラがいきなり「あれはマシンガンの音」「あれはアサルトライフル」とか解説始めるし。「ミニミだな」で笑った。やってることがまんまPUBGじゃん。
加えて、ほとんどの射撃シーンで発砲音の他に薬莢が地面に落ちる音が聞こえるんだけど、ちゃんと武器ごとに音が違う。5.56mm(7.62mm?)の薬莢音よりも9mmパラベラム弾の薬莢音のほうが軽い。何が凄いって、画面の中に「排出される薬莢」が写ってないのに薬莢音がすること。ここにすごくこだわりを感じる。
極まってるなぁ、と思ったのが3話。まず主人公の自室(リアル)にP-90のモデルガンが飾ってあるんだけど、額みたいのに入れてあるわけではなく、普通のコート掛けにぶら下げてあるし、赤いポリキャップ付いてるし、なによりそのぶら下がってる銃の角度が生々しい。実際あんな感じの角度になるんだよね。
またその後演習場で、主人公が的に向かってP-90のフルオート射撃をするんだけど、よく見ると1発だけ的の土台(ドラム缶)に刺さっていて、ちゃんと射撃音の中に1回だけ「ドラム缶に弾丸が当たる音」がしている。誰得だよ!
上記でも書いたとおり、本作は「フルダイブ型のPUBGみたいなゲームを遊ぶアニメ」なのだけれど、その戦場となる架空のフィールドに凄まじい既視感を覚える。水没した家とか、荒れ果てた住宅街とか、ビル群とか。「よくゲームに登場する架空の世界の再現度が非常に高い」ってすごくない?背景美術が草薙なのはそういうことなのね。
銃が頻繁に登場する作品はたいていサツバツとした世界観が多いので、その作品の登場人物はピリピリしている人が多い。一方本作はあくまで「ゲームを楽しむ主人公を描くアニメ」なので、主人公がすごく楽しそう。それが新鮮に感じた。リアルなら敵を撃ち殺して「やったー!うれしい!」ってならないし、逆に撃たれたら「くやしー!次は絶対に負けないぞ!」ともならないわけで。「サツバツとした世界」と「よく泣いてよく笑う主人公(めっちゃ楽しそう)」のギャップにやられしまった感がある。
そんな主人公の感情を表すモチーフとしての「耳のついた帽子(気持ちに呼応して動く)」もかわいくて好き。
音泉で毎週更新しているラジオがある。パーソナリティは楠木ともり(レン役)、赤﨑千夏(フカ次郎役)。楠木ともりがラジオを受け持つのは、先のアニメ「メルヘン・メドヘン」の公式ラジオ以来2回目という新人さんのだけれど、(赤﨑千夏のアシストもあり)非常にのびのびとパーソナリティを務めていて、彼女のパフォーマンスの高さに驚いた。主人公の演技もすごい(特にリアルとアバターの演じ分け)し、EDの歌もうまいし。ラジオで言っていたけれど、こないだ高校を卒業したばかりらしい。
なによりこのラジオ、なぜか毎回?作者がゲストで来て、各話におけるミリタリー部分の解説をしてくれる。MCの2人が銃に詳しくないので、解説のトーンは初心者向けなのだけれど、リスナーからの質問メールが基本的に銃オタから沢山飛んでくるらしく、解説内容が非常にディープなものが多い。私はこの分野は素人なので、非常に面白くラジオを聞くことができたし、作品の核に当たる部分を理解しながらアニメを毎週楽しむことが出来て嬉しい。
もちろん、ミサンドリーは決して容認してはならないものだし、最初に炎上した絵師RODが男性相手の商売をしておいて男性叩きのRTをしていたのは理屈がおかしいことくらいは理解できる。
この書き方に何か既視感を覚えると思ったらあれだ
「もちろん痴漢は絶対に悪いが、被害者の方にも一抹の責任があるのではないか」と一緒なんだ
メガリアがやってることは明らかな人身への攻撃であって、明確な悪であるにも関わらず
それに対して文句を言っている男たち「だけ」の責任をあえて問う書き方はセカンドレイプを彷彿とさせる
しかも兵役ってこの世で最も大切な人命が関わってくる問題なのにサラっと流しているし
男の人生設計に多大な影響を及ぼしていて男が差別されている多大な要因であるのに関係ないと知らんぷり
挙句の果てに「逆差別」ときたもんだ それ逆じゃねえから。明確に「差別」だろ まるで女は差別の加害者ではないと言いたいようだ