はてなキーワード: 救急車とは
大筋ではデマだったんだろうが。
痛くない腹を探られたくないと保身が出たのか、
火災現場の近く居合わせたNHKのディレクターが、容疑者とみられる男を複数の警察官が取り囲んでいる様子を映像におさめていました。
撮影したのは、NHKの首都圏放送センターに勤務する吉田達裕ディレクターの取材チームで、京都駅から火災が起きた京都アニメーションの本社に向かっている途中でした。
現場付近に到着した際の様子について吉田ディレクターは、「進行方向に黒い煙が上がっていて近づいていくにつれ周りに消防車やパトカー、救急車が増えていきました。煙もどんどん大きくなり、窓から火が出ているのが見えました。サイレンが鳴り響き、警察官など多くの人がいて現場は混乱していました」と話していました。
そして、現場にほど近い場所で吉田ディレクターたちは、路上に倒れている男を目撃し、映像におさめていました。
撮影された映像には、路上に男があおむけに倒れていて複数の警察官が取り囲んでいる様子が映し出されています。
吉田ディレクターは、「倒れている男がいて、周りに警察官が3人ほど集まり、男に話しかけている様子でした。男の服は右足膝の下からやぶれ落ちていて、靴をはいていない状態でした」と話していました。
吉田ディレクターは、本社での打ち合わせのあと、午前11時ごろから火災が起きた第1スタジオで番組の撮影を行う予定だったということです。
タイトル通りなんだけど、気が狂いそうだからまじでどうにかしてほしい。
きっかけは父親の部屋のクーラーが壊れたことなんだけど、隣の娘の部屋はクーラーが効くからって入り浸るようになった。娘がいない間に涼みに来るだけなら百歩譲って許したけど、いる間にも来る、あまつさえ寝てる間に布団に入ってくるようになった。
「やめろ」と言えば「クーラーがない部屋で寝かせるなんて親を殺したいのか」、「扇風機で何とかしろ」と言えば「それで何とかならないから来てる(※別に扇風機を買ったわけではない)」……
これは出ていってほしいと思う方がおかしいのか?部屋にいれないのは人情がないのか?
確かに昨日の昼頃突然電話が来て「(暑くて)気持ち悪い」みたいなことを言われた。そんなこと言われてもこちとら仕事ですから「熱中症対策に水分はきちんととれ」「どうしてもダメなら救急車を呼べ」とかしか言えない。
そしたら夜、寝静まった頃に突然部屋に入ってきた。寝ぼけ眼で見上げたら父親の影があったときの驚きと恐怖たるや。「このままだと死ぬから」とか言われてそのときは流してしまったけど、何度か目が覚めて自分の布団で目の前に父親がいるんだ。いるんだよ。
今朝もとうとう目覚まし時計より先に起きちゃって、泣きながら訴えたら「親殺しで後悔するなよ」って言い捨ててやっと帰った。
どうなの。これは私がおかしいの?二十過ぎて男親と一緒に寝ないと鬼畜生にも劣る人でなしなの?娘と寝る前に扇風機を買うとかクーラーを直すとかクーラーを直すとかできることがあるんじゃないの?「家が汚くて呼べない」って言うけど、掃除するって言ってるじゃん。何なんだよ。嫌がったら「人殺し」って罵りやがって。何なんだよ。何なんだよ。
追記:適当にいれたフェイクが思いの外影響あって失敗したなと思いました。私は学生で来年就職し、家を出ることが確定しています。
入会は自由ですが、会員は以下のことを守って下さい。
準備編
1)特殊インク、特殊ペーパーなど、胸ポケットなど取り出しやすいところに入れておく
3)普段から、人名を独自の方法による、名付けグセをつけるようにする。
例:山田太郎→81(や=50音順の8列1番)41(た=同4列1番)など
実行編
1)普段から恨まれたり、妬まれたり、または人を人と思わないような鬼畜な生き方をする
2)殺されるような状況になってきたら、犯人の見当をつけておき、ダイイングメッセージの構想を練っておく
3)襲われた際に即死にならないよう、厚手の服装を心がけたり、毒耐性をつけたり、生活にも注意する
4)実際に襲われて死にそうになったら、まず犯人の逃走後、意識がどれくらいもつか目安をたてる
5)死ぬまでの時間の3分の1以内に、ダイイングメッセージの文面を決める
6)残りの時間を使いメッセージを書く。その際、誤字や脱字にはできるだけ注意する
7)特殊インクがない場合は、利き手の人差し指の先端を噛み切り、血で書くようにするとよい。
1)しょぼいダイイングメッセージしか書けない場合は、書かないか、途中で諦めて消す
2)早く死んでしまいそうな時は、犯人の名前をローマ字で逆から書く程度にしておく
3)しばらく経っても死なない場合は、致命傷ではない可能性もあるので救急車を呼ぶ。その際、ダイイングメッセージは消しておく
しかし、経緯を説明すると長くなるので、タイトルに関して手早く読みたい方は一番下の区画だけ読んでいただきたい。
弟はコミュニケーションが苦手で周囲に溶け込みづらく、小中学生の頃はいじめに逢っていたようだ。
特に幼いころからゲームをしているときにその性格が如実に表れた。
ゲームで気に入らないことがあると、イラついてコントローラを投げるのだ。
こうなったら周りが注意しても「うるさい!」と聞く耳を持たず、注意した家族にあたる始末。
結果、家には壊れたコントローラーが大量に溜まっていった。
友達の家でゲームをするとき、たくさんコントローラーを持っているのに壊れているのが恥ずかしくて持っていけなかったことを今でも鮮明に覚えている。
弟が成人してもその性格は改善するどころかむしろエスカレートしていった。
特に対人オンラインゲー(僕もそのゲームが好きなので実際の名前は出したくない)をするようになって、破壊衝動を抑えられなくなっていたのだ。
僕ら家族は母子家庭、3人で賃貸に暮らしているのだが(実家と呼べる家は借金まみれの父と共に手放した)、夜な夜なゲームでブチ切れてはコントローラーや本体を投げ、殴り、踏みつけ壊すのだ。
賃貸のマンションの一室なのに、弟の部屋はいくつも大穴が空いている。
ガラスを割ったこともあったし、ゲーム機やコントローラーも数えきれないくらいガラクタにしていた。
幸い防音はそれなりにしっかりしている家だったからか直接苦情が来ることはなかったが、隣室の人には結構迷惑をかけていると思う。
キレている際に僕や母が「いったんやめたら?」と注意しようものなら、「うるさい!消えろ!」と怒鳴りつけ、それでも僕が食い下がるといとも簡単に手を出す。
隣の部屋で寝ている母が泣きながら怒るのをやめるよう伝えても無駄。
気が済むまでゲーム内の敵を駆逐するか、ゲーム機を破壊しつくすまでは止まらない。
僕は弟がゲームをいくら壊そうが自分の責任なので気にすることはなかったが、人様に迷惑をかけたり増してや母親に危害が加わるのは許せなかったので、ある時徹底的に食い下がった。
もちろん取っ組み合いの喧嘩になるのだが、完全に理性を失っている弟は手加減することなく僕を殴りつけてくる。
不幸にも僕は華奢な体格だし、弟は太っていて体重も20キロ以上上回るので、抑え込むだけでもかなりの労力がいる。
弟の怒りが収まるまで殴り殴られながら説得したことも何度もあるが、そのたびに母は悲鳴を上げて仲裁し、弟は逆上して母にも手を出そうとする。
そんな日々の繰り返しで僕たち家族の精神は日に日に疲弊していったが、それに反して弟のキレ方は悪化していった。
母に手を上げることを厭わなくなった。
殴るだけでは飽き足らず、首を絞めてくるようになった。
そのたびに僕と母は泣きながら静止し、弟も力尽き果てると泣いた。
だが、母はそれを受け入れなかった。
「もともとコミュニケーションが苦手な弟を家族である母すら見捨てたら、今よりも弟のイライラは悪化するのではないか」と。
僕は僕で、母と弟を2人で住まわせる訳にはいかないので、ずっと3人の生活を続けていた。
僕はその日、キレる弟にゲームを止めるように言ったが、聞く耳を持たずに部屋から出ろの一点張り。
それはできないと食い下がると、なんのためらいもなしに手を上げてくる。
こうなると僕が殴り返そうが返すまいが結果は一緒なのはわかっている。
僕は弟の気が済むまで殴らせることにした。
弟は僕の首を絞め、眼をえぐり、壁に頭を打ち付け、うずくまった僕の顔面に容赦なく蹴りを入れてきた。
僕は泣いて静止しようとする母を遠ざけ、通報した後にスマホで一部始終を撮影するように伝えた。
また、僕が一回も殴り返していないことを本人も認めていることから、兄弟げんかではなく傷害事件として処理することができるだろうと言った。
僕はそのまま救急車で運ばれ、レントゲンを撮ったり診察を受けた。
全身打撲と結膜下出血くらいで脳や骨の異常はなかったものの、念のため診断書をもらった。
弟はというと、母親の同意のもと警察の紹介した精神病院に連れていかれた。
とりあえずは2週間の治療?らしい。
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ゲームでキレた弟を止めようとして暴行を受けた僕は、果たして被害届を出すべきなのだろうか?
・警察は現場の状況と僕が一度も殴り返していない証拠があることから、被害届を出せば傷害事件として処理できるだろうと言っている。
・母は、「前科がついて仕事に就けなくなったら状況が悪化するかもしれない」と僕に被害届を出してほしくないらしい。
・被害届を出そうが出すまいが弟は2週間経てば家に戻ってくる。
僕は弟のしたことは人間としてやってはいけないことだと思うし、したことに対してちゃんと罰を受けてほしい気持ちがある。
しかし、母のいうように弟が社会からも拒絶されたと感じてしまえば、今まで以上に事態が悪化する気もする。
仕事に就けなければ当然、一人で暮らさせることもできない。
無難な選択としては被害届を出さないという結論になるのだろうが、このまま有耶無耶にしてしまっていいのだろうか。
自分の感情としては弟のことが許せない反面、もうこれ以上時間や体力を使いたくない気持ちも強くなってきている。
疲れたよ。。。
喉にものが詰まって死にそうなんだけど救急車呼べなくて困ってる、どうしたらいい?
というのは冗談だけど、実際そういう状況になったらどうすりゃいいの?
レストランでとつぜん窒息状態に陥った男性を、駆け寄った男性が背後から抱える動作で救命、ここまで90秒。
ハイムリック法(Heimlich maneuver, 腹部突き上げ法)という、外因性異物による窒息患者への応急処置だそうです。知らなかったら周りでオロオロするしかないですね。
子供の頃に喉にゼリーつまらせたことがあるからわかるんだけど、周囲が気づくのに割と時間かかるし、一人だったらどうしようもないんだよ
救急車呼んで、すぐ胃を洗浄してください!
高専について知りたい人や高専に職を求める人に向けて、いわゆる高専に採用され働いてみた感想を書いた。
高専と一口に言っても色々ある。上から下まで序列ができていて学生や教員の質は雲泥の差であるらしい。上は大学編入予備校と化したお受験高専から、下はコネと気合と根性で中級技術者という名のほぼ技能工を企業に送り出す工業高校のようなものまでが同じ「高専」という言葉でひとくくりにされている。ここに書かれているのはあくまで最下層の淀んだ高専の話であるということにご留意いただきたい。
当たり前だけれど、自分が働いた職場以外のことはほとんど知らない。学会で会った知り合い、部活引率先の懇親会で交わした会話などからほかの高専のことは推察するしかない。私の見てきた世界と、学会などで出会う高専生を比較すると平均的な高専生は素直で良くできると思う。だから、私が感じてきたよりは高専全体のポテンシャルは高いはず。
高専の使命は「実践的技術者の育成」なのだそうだ。実際に私が高専で目にしたものは、平均かそれ以下の学力をもつ田舎の中学生を集めて、食っていける程度に躾と学習を施し、会社へ送り出すというものだった。また、ひとり親家庭など経済的にハンディを抱えた中学生を職業に結び付ける「社会の落穂拾い」でもあった。ここまでこの文章を読んで、あなたは「なるほど高専は社会に役立つすばらしい高等教育機関だ!」と納得したかもしれない。高専がどんな役割をもつ場所なのか、知ってほしい。
実のところ、高専教育は学力以外の「教育」が多い。博士を取って専門を極めてきた人たちにとってはカルチャーショックだろう。この「教育」に馴染める人は高専に残るし受け入れられない人は去っていく。教育のためにすることは会議だ。会議、そして会議のための会議、すべては教育的配慮というふわっとした美名のもとに決まっていく。子供だからと悪人がのさばり、善人が去っていく。
担任をすれば、すべての時間は学生に割かれる。あれもこれも、すべて担任のせいにされる。
寮や部活は前時代的な暴力が支配する世界だ。さすがにいまは身体的暴力はないが、言葉の暴力は公認され教員は暴力を擁護する側に回らなければ運営できない。高専では強くなければ生きていけない、そういう当たり前のことを見せつけられる。それが教育なのだろう。
高専の求人には博士の学位がほぼ必須だ。だから、私は高専教員が独立して研究を行うことのできる仕事なのだと思っていた。働いてみて、高専教員が研究できる仕事というのは嘘じゃないとわかった。しかし、研究に裂けるリソースは驚くほど小さいし、年齢や職位が上がれば上がるほど研究の割合小さくなることが容易に予見できるというのは辛い。
学問的な研究は否定こそされないが歓迎されないと感じる。「実践的技術者の育成」こそが主目的であり、研究はそのオマケであるべきという雰囲気を学校ぐるみで感じた。そんなもの無視している先生もいたけど。時間が限られているので仕方がないが高専での研究内容はよく言えば流行りに乗った、悪く言えば軽薄なものばかりだった、骨太なものは煙たがられる傾向にあった。日本の研究自体が即物的なものに誘導されつつあるので、もうじき高専は過剰適応として絶賛されるだろう。
上司の意向など誰にも邪魔されずに研究テーマを設定できるから、うまく研究を手伝ってくれるパートナーを見つけることができればいいかも。
ちなみに、高専の教員リストには工学博士などの学位がズラッと並んでいる。しかし実際のところ、高齢高専教員の学位は、お上の意向でしかたなく取得したハリボテみたいなものだと知ってほしい。
高専機構というお役人様の改革病に付き合わされて、高専は疲弊している。小さな予算をもらうために企画書を書き仕事を増やし、高専教員は様々な機関の下請けにされそうになっている。そしてこれからクビキリはないにせよ、退職者の不補充で地獄が始まる。
学生たちはよく言えば純粋だし、別のいいかたをすれば子供だった。子供相手には誠実さだけではダメで、チカラで黙らせるみたいなスキルが必要だ。子供が好きで思春期の悩みに向き合って人格的な成長を引き出したい人にこの仕事は理想的かもしれない。でもそれって、工学博士という条件じゃない気がする。
愛すべきテキトーおじさんたちが大好きだった。仕事でやらかした数々の失敗伝説を持つおじさんたちがいて、人生の教訓みたいなものを生で見せてくれた。
私が見てきた高専教員には三つのパターンがあった。第一に間違って高専に来ちゃったポスドクタイプで、こういう人は雰囲気ですぐわかるし数年ですぐ辞める。第二は熱血教師で、学生指導も卒研指導も大好きみたいなワーカホリックだ。そういう人は自分が忙しいだけじゃなく周囲の仕事も増やしていく困ったタイプだけれど、この層で高専の運営は回っている。第三は重鎮タイプで、誠実で穏健なおじいちゃんや、数々の失敗伝説や奇行エピソードをもつ勇者まで様々だ。あなたは、どんな教員になりたいのだろうか考えてみてはいかがだろうか。
いったい、高専教員として長くはたらき続けている人たちは、何に喜びを見出しているのだろうか、私にはわからない。だから、長く働き続ける理由を見つけられたらいいかもしれない。
「高専で研究できなければ、どこにいっても研究できない」という名言を盾に揺さぶりを掛けてくる人がいるかもしれない。それは、ブラック企業の「ここを辞めたらどこでもやっていけない」と同じ構造なので惑わされないように。高専の他に行き場がなければ高専で自らを鍛えてもいいかもしれない。ただし、転職という退路は常に意識しておいたほうが良いと思う。
実名ながらパワハラなど高専のおぞましい実情をほのめかす良質な高専退職エントリもあるのでご参考まで。人材が定着せず次々と求人が出るのはそれなるの理由があるのでしょう。
高専教員は学生からの「勉強教えて~!」の質問攻めに無い知恵を振り絞って切り返すという面白さがあったり。卒研発表会後の学生の笑顔を見れるという喜びもある。この仕事やっててよかったなって感じることもある。しかし、週末や連休になると部活引率で早朝から駆り出され、こんな人生求めてたのかと悩む。嵐の夜は宿直でビクビクしながら眠れない夜をすごすことになるし、救急車の音が聞こえると、学生が巻き込まれていなければよいのだがと心配する仕事である。
道端だったら救急車呼ぶわ
結構遊び歩いてた気の合う奴だったんだけど、そいつの車に乗って出かけたら出先で煽り運転のやり合い始めやがって、止めろ言ってるのに止めないまんま縁石に突っ込む事故が起こった。
助手席に居た俺がまず救急車へ連れ込まれて、運転してたそいつは無傷。
救急車で手当をしてもらって病院に搬送されることになったんだけど、その事をそいつに伝えたら、保険で金もらえるから手に入ったら車の修理費で全部よこせなんて言いやがった。
それ聞いて、ムカついて怒鳴った。
そりゃそうだろ、あんだけ止めろって注意したのに止めないで挙げ句に事故って、怪我した俺に向かって保険で車修理させろってのは無いわ。
もう二度と顔見せるなって伝えて病院。
そして今、消灯で暗い中寂しく増田よ。
公言している。
あたしの家のナッツで
アレルギーになるわけない!
とB男くんに食べさせようとする。
C美さんもムキになって無理やり食べさせる。
B男くんは救急車で運ばれ
一命は取り留める。
このことをマスコミが報じ
C美さんはネット民に叩かれる。
結果、A子さんが謝罪。
Q,あなたの思う悪い人を順番に並べなさい
一般人のこたえ
C美>ネット民
ネット民のこたえ
A子≧C美
ネット民≧C美
マスコミ≧C美>B男
度を越したネット民のこたえ
C美とC美の両親≒A子
マスコミ騒ぎすぎさんのこたえ
ビーガンさんのこたえ
肉食の人>それ以外
フェミニストさんのこたえ
重箱の隅をつつきたい人
≧の使い方おかしいし。
書いたやつ馬鹿じゃね?
書いたやつ一番悪い!
(梅雨前にもう少しいろんなことを進める予定だったので、さらに落ち込む)
救急車のって話してる最中に、配達の電話。「玄関先のメールボックスにいれておいてもらえませんか」
そう言ったけど、郵便受けに不在通知票……。😞
そのうえ、雨のなか。
昨日、また戻れて、荷物を戻してゆくと、傘が出てきた。
駅か救急車かあるいは警察に問い合わせかと思ってたけど、あきらめて傘を買ったところだった。
とりあえずは良かった。軽くて気に入ってる傘だったから。
何よりも母が落ち着いてくれますように、少しでも元気に。
母が自殺した。
もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。
いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。
え?お母さん?自殺?え?
一瞬にして混乱の海に投げ出される。
父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。
鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。
切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。
夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。
とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。
夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間の実家に行くことになった。
私はタバコを吸うのだが、母はタバコもタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコの匂いを落とした。
気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。
長い道中の事も憶えていない。
義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。
母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。
しばらく泣いて落ち着いたところで、居間のテーブルに用意された席についた。
ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。
父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。
なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合、救急車には乗せられないルールがあるらしい。
そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。
母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。
早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。
夕方、警察署からの連絡で、母の遺体を収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。
涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。
「妻っていう字が思い出せない、書けない」
ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。
叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。
刑事さんが書き終えた書類を確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。
私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。
首には吊った後が残っているのであろう。
首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。
枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。
これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。
母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。
私はその言葉に助けられていた。
長い期間、学校でいじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。
でも、その母が自殺を選んだ。
母はパーキンソン病で、近い将来介護が必要になる事を嫌がっていた節があった。
その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。
苦労かどうか決めるのは私達なのに。
母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。
それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。
母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。
実際はそうじゃない。
私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。
その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。
人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。
過去の心の傷と仕事のストレスで鬱になった私は、抗うつ剤と睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。
父と母に会う時間の合間にかかりつけ医に臨時でかかって、強い抗うつ剤と睡眠薬を処方して貰った。
葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。
それだけで動いていた。