はてなキーワード: 九州とは
http://news.livedoor.com/article/detail/15585737/
イオンの来店ポイントをだまし取ったなどとして、29歳の無職の男が逮捕された。警察によると、パソコンの位置情報を偽装するなどして、九州の店舗に270万回近くにわたって訪れたように装っていたという。NHKニュースが報じた。
逮捕されたのは、北海道石狩市の29歳の男。イオンの公式アプリのサービスを悪用し、約538万円分のポイントをだまし取ろうとしたとして、詐欺や詐欺未遂などの疑いが持たれている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181112/k10011708151000.html
ニッチな業界なのでわかる人も居るかなくらいの気持ちで書いてます。
全体的な話ですが、東京都内の弓具店ではミズノの商品が買えません。過去にミズノとトラブルがあったらしく組合の申し合わせで取り扱わないことを決めたらしいです。ミズノの矢とかが欲しかったら東京の組合に入っている弓具店からは買えないと覚えておきましょう。(恐らくはっきり話もしてくれないと思います。)
○神田
最も売れている、商売上手な弓具店らしいです。
現在の弓道普及における最も有用なアイテムである、合成弓を普及させた功績が大きく、合成弓の主要購買層である学生弓道との親和性が高いです。
一方で独自ブランドで竹弓を制作・販売していますが、合成弓と同じような考え方で制作しているのか、不良率が高く評判は芳しくありません。
何年かすると改善する可能性も否定できませんが、今のところこちらの銘の竹弓は信頼のおける品ではないものが多い様なので、学生弓道を卒業して竹弓をお求めの際には、学生時代の恩義を引きずっているかもしれませんが、こちらの竹弓を求めるのはやめた方が良いと思います。
商品サービスとしてはやや厳密なポイントシステムに依ります。通販対応も良いので消耗品を求めるのは悪くないと思います。弦類の品揃えはまあまあです。
○魚籃坂
話し好きなお婆さんで有名。
このお婆さん悪い人ではないのですが、自分のこだわり=正しいことであるという思いが強いらしくかなり間違った情報も付与してきます。正しいことも言っていますが、初心者は鵜呑みにするのはやめた方が良いでしょう。取捨選択が可能な知識を得た上で、長話をする時間的余裕があればおつきあいして差し上げる程度でよいと思います。
ただ、このお婆さんの信者も多いようなのでこの業界でこのお婆さんをあからさまに批判するのはやめておいた方が良いかもしれません。いずれにしてもこの方は高段者ではありません。自分の指導者である先生を信じた方が良いでしょう。
このお婆さんは悪い人ではないのですが、このお婆さんの孫世代などはあからさまに騙して粗悪品を売りつけようとしてきますので注意が必要です。
特に竹弓はこだわりが強いせいか、作者を選んだ結果、特定作者の箸にも棒にもかからない粗悪品が売れずに不良在庫になっているらしく、返品を何度もされたようなものの体裁を整えて売っているという噂があります。
○すごい西
もうお亡くなりになりましたが、名匠として高名な某九州の弓師さんの親類縁者です。
その名匠が存命の頃は、その弓を求める人が多く、その方の弓を求めるならここということで随分お客さんがきたそうです。
ただ、そのせいか店主が横柄で態度が悪いので有名です。
客商売をしている人のそれではないと言われることも多いです。
昨今態度が軟化したという噂もありますが、一度痛い目を見てしまうとなかなか足は向きません。
○大塚
アーチェリーと和弓と両方やっていて海外向けの通販などもやっているらしく、特に弓は四寸伸びの品揃えが良いのが特徴です。
消耗品の取りそろえも店舗が大きいので神田の店に匹敵すると思います。
支払いはカードが使える珍しい店ですが、現金特価というか現金割引があるので大物を買う場合にはやはり現金での支払いが吉でしょう。
難点は弓師の耄碌の度合いが酷く、目を全く信用できないのと、竹矢はあまり良い「の」を仕入れられないのか、数矢にちかい揃いの品質のものが多いので注意が必要です。
とはいえ接客がずば抜けて良いし、お茶やお茶菓子がでるのでその他の消耗品などに関しては相談してみるのも良いかもしれません。混雑時でなければ親身に相談に乗ってくれると思います。
○東京大神宮
もともとは矢師らしいですが、矢の評判はあまり良くありません。大塚の数矢品質よりは数段上ですが、そもそも非常に高価だしアフターサービスもあまり良くないので矢を買うのは考えどころです。
ただ、竹弓に関してはそこそこの目利きだし、事情通なので合致する弓があれば購入するのはアリかもしれません。
店が狭いので品揃えは大手には負けてますので、フィットする商品がない場合には選択肢はなくなってしまいます。
接客もそんなに良い方ではありませんし、人を見るという評判なので初めて訪問する際にはこの店に行っている人と一緒に行くことをお奨めします。
自律神経失調症で医者から休養を言い渡されて、10年以上勤めた会社を休んでいる。
「普通は3ヶ月目安だけど、程度も軽いので、大負けに負けて年末まで」と言われて、「え?それでも長過ぎるんじゃ?」と思ったし、生活のペースを失って昼夜逆転になりはしないかと心配したけど、いざ休んでみるとやるべき事ややりたい事が沢山あって全然ボーっとしない。
玄関の掃除、こびりついたコンロと五徳の焦げ落とし、自転車のブレーキシューの交換、行けなかったジム、ちょっとは覚えたい基礎英会話、前半を読んでいなかったDr.STONE、あと最終巻だけ読んでいなかった町田君の世界、使ってない部屋の掃除もまだだし、そういや九州にも行ったこと無かったな。
仕事がそんなに残業漬けでもなかったので、日常生活は大丈夫だと思ってたけど、俺、こんなに生活で出来ていなかったんだなー、と。
しばらくは無理しない程度に片っ端から手を付けようと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20181026222202
あーーーーーーーー
これマジで覚えがある。読んでて頭がぐらくらしてしばらく動悸が止まらなかった。元増田、九州出身じゃないよね?ちなみにこちら九州産のブス。
元増田の
・女にとって、「一方的に好かれた、うざい!」って経験談は、何回もあるとストレスだろうが、ないと恥ずかしいものなのだと思う。今までモテてこなかった女にとっては、そんな初めての経験はやっと与えられた『女認定証』である
これ本当にそうで、ていうのも、自分語り許してほしいけど、私は中高めっちゃ喪女で、オタクでBL好きで、そういう友達で周りが固まっていたのね。普通に楽しかったんだけど、私は好きなキャラが女と絡むのが許せないから、物語から女を徹底排除したいタイプの腐女子だったのね。女だと嫉妬しちゃうから、(当時はそんなの認めなかったけど)男だけで完結してほしかった。自分のほしい言葉やシチュエーションを受けに経験させることで満足感を得てるというか。夢小説に近かったかも。
友達も喪女ばかりだったけど、たまに増田の言う「一方的に言い寄られてうざい」系の話を、それこそ優越感をにじませて語る子もいて、(今思うとそれも大げさに言ってただけの可能性あるけど)そのたびに「うざいね」と相づち打ちながら焦っていた。人一倍恋愛に憧れていたから。
恋愛が”できないんじゃなくて、しない”んだって思いたかったから、彼氏じゃなくてもせめて誰かに好意を寄せてもらいたかった。嬉しそうにウザイと口にしたあの子も、”しない側”である確証?を得てはしゃいでしまったんだと思う。
かくいう私も、受験が終わってすぐに始めたアルバイトで元増田風の褒め男に出会った。歳上のフリーターだったけど、イマドキな感じで、さらっと言う「可愛い」にときめいてしまった。いつも可愛い、真面目、頭がいいと褒めてくれるから(でも同じ職場に彼女がいた)増田の大好きな調子に乗ったブスになるまで時間はかからなかった。友達にもおそらく「彼女持ちのくせに口説いてきてウザイ」とちょっと盛って喋ったと思う。デートに誘われることは最後までなかった
バイトを始めた頃の私はメイクもしていなかったし髪もボサボサ、中途半端なデブで、お世辞にも可愛くなかった。でも褒められ続けると本当に可愛い気がしてきて、気分は〜他の女と違ってナチュラルなのに男を惹きつけてしまう女〜だった。
でもいいこともあって、こっちが本題なんだけど、メイクをするとか容姿に気を使う(最低限以上の努力をする)って、喪女にはけっこう勇気がいるんだよ。変じゃないかなとか、自分がこんなことやって笑われるんじゃないかなとか。何をしても可愛いって言ってくれる人がいるってわかったから、そういう努力ができたんだと思う。
喪女友の中には垢抜けていく私に嫌な顔をする子もいて、その子は興味はあったのに怖かったのかもと今になって思う。私も同じ立場のときは、いいようのないイラ立ちと嫌悪があったから
まとまらないけど、私を褒めてくれた年上の人も(多分だけど)裏で仲間と笑ったりしてなかったと思う。案の定惚れてしまい最後にフラれ、「気がないなら褒めたりしてんじゃねーよ!」と思った時期もあったけど今はそれで良かったかなーと。その後きちんと恋もできたし。
あのお兄さんが増田と同じ性質だったとしても、感謝の気持ちは消えないけど、意地悪の自覚があるのならほどほどにしてね。ブスはあなたのおもちゃじゃないので
昔パート先で人間の尊厳まで否定されるようなパワハラを受けていたと思っていた。
毎日毎日どうしてできないのか?話を聞いてないのか?発達障害じゃないか?お前は絶対にアスペだと繰り返され、皆の前で怒鳴られ、辞める頃には完全に病んでいて、自分が悪いんだ。自分が至らないから上司に言わせなくていいことを言わせている。原因は全て自分にあると思い込んでいた。
博多弁で怒鳴られるので九州のなまりがある人全員を受け付けなくなり、暫くは人に会うのも怖かった。
今から考えれば「え、私全然悪くなくない?」と思えるような量の仕事を押し付けられていただけだった。
以来、お金は必要だけど仕事なんて病んでまでするもんじゃないと思うようになった。
今は清掃の仕事をしていて、重労働だしミスは叱られるけれどパワハラとは無縁のパートを得られたと思っている。
今日は建築現場の前にあるマンションの清掃をしていて、物凄い怒鳴り声が聞こえてきて自分が怒鳴られているわけじゃないのに怯んでしまった。
怒鳴ってる側はやからみたいな言葉でよく聞き取れなかったけど、怒鳴られている側の言葉ははっきり聞こえてきた。
「本当にごめんなさい!!」
「申し訳ありませんでした!!」
自分はパワハラを受けていたと思っていたけれど、これに比べればまだ全然ましだと思った。
建築現場が全てこうなのかはわからないし、職人さんには職人さんの世界があるのだろう。
命に関わるような現場だからこそ怒鳴られているのかもしれない。
だけど建築現場で働く皆様、本当にご苦労様です。
身体もだけど心も壊したりしないように、お気をつけください。
家族写真と言ってもたいそれたものではなく、テーマパークなどで記念に撮る簡単なものだ。
私の実家は九州の田舎にあり、私は高校卒業後九州を出て本州へ。
当時は都会へのあこがれと、将来やりたかったことがありその勉強がしたくて九州を出ることを決めた。
しかし当時の私は反抗期真っ只中。親から逃げたかった気持ちも正直あった。
進学後、そのまま就職して、いつか九州に戻れたらという思いのまま1,2年程経った夏のある日、母から連絡があった。
母方の祖父が亡くなったという連絡だった。
丁度帰省する1週間前の事。
このタイミングで帰ってしまうと長期休暇中帰ることができなくなり、
トンボ帰りにもなってしまうので父と母の判断で葬式には出席せず、帰省後お線香を上げに行くことになった。
今でもその時のことを覚えている。
ショックで、悔しくて、悲しくて、どうして自分はすぐ駆け付けれるところに居ないのだろうと仕事中何度も泣きそうになった。
流石に泣くと仕事に支障が出るので頑張って耐えたが、帰省し、祖父の遺影を前にすると耐えることが出来なかった。
本当に死んだんだ。と実感してしまって。
祖父は無口で、厳しい人だった。よく私とも喧嘩をしていたのだが、その分たくさん可愛がってもらった。
春先に会いに行ったときは元気で、まだ仕事も現役だったので本当に突然の訃報だった。
この夏もまた会いに行って皮肉を言い合うんだと思っていたのに。
人の死ってこうも突然なんだな、と始めて実感して、またこうやって駆け付けれなかったときはと考えると怖くなった。
今もまた、実家を出ているがそれでも九州内なので実家に帰るのも容易で、また両親がこちらへ来るのも容易だった。
そして、先日両親が遊びに来てドライブに行き、冒頭に戻る。
本来私は写真に写る事が苦手で、記念撮影なども避けるのだがこの機会を逃したらまたいつ撮れるかわからない。
そう思うと「別にいいか~」と言ってる父母を引き留めて写真を撮ってもらった次第。
後悔してからでは遅い。というのは祖父の事で思い知り、もっとたくさん撮っていたらよかったなんて思わないよう、これからも写真は撮っていきたいと思っている。
お父さん、お母さんどうか長く元気でいてください。
毒舌は親しい間柄でないと成り立たないし、一般的にいじりは高度な技術だといわれてる
長年付き合いのある地元の友人同士なら通じる冗談でも新しい環境でそれが通用するとは限らない
一気に距離を詰めようとして毒舌を使うのは、初対面でバシバシ二の腕とか背中を叩いてくるおばちゃんの行動様式と根は一緒だと思ってる
自分はひどいことをした(言った)
というのは原因と結果が逆転していると思うので、まずは相手と自分が共通して面白いと思える話題や表現を見つけて
そこを広げていくのがいいんじゃないかな
ちなみに自分も中→高進学時や大学(九州→関西)とか社会に出たとき同じようにノリが違うことに戸惑ったけど
毒というか本音を出せる相手はしばらくすれば何人かできてくるよ
あと、何かを下げて笑いをとるのは笑いとしてレベルが低いと考えるようになったので
思ったより九州と関西では違っている点が多く,適応に努めつつも中々芳しくいかない。
(結局自分の認知に九州バイアスが強くかかっているから無駄に色々考えることも多いんだろう)
関西,異国すぎる。
私が九州に居た時の感覚で言う冗談は,関西人の友人たちにとっては「結構キツい」冗談に聞こえるらしい。
しかしこちらは,正直に言うとぬるいインパクトしか持っていない関西風の冗談を言いたくても難しい。
無理に冗談を言う必要はないが,冗談が言えることは親密さの一要素だと思うので,関西人の冗談を共感はできなくても理解くらいはしたい。
(なんでそんなぬるい冗談でやってられるのか,とか)
そこそこ適応してる同郷の友達(複数)に聞いても,同じような経験はしばしばあるとのことなので,人は色々だと言っても,これは地域的な違いが存在しているかもしれない。
もしくは大学生というなまぬるい身分と地域の相互作用かもしれない。今後は年齢の要因と地域の要因とその交互作用を考えながら研究していこう。
台風25号が西日本に接近していた10月頭の金曜土曜、東京から大阪に出張だった。
土曜日、大阪は朝にちょっと雨が降った程度で、昼間は普通に晴れだった。
晩飯食うには少し早い時間だったので、家に帰ってから喰うことにして、自動券売機で指定券を買った。
会社からの補助は普通車の指定席分しか出ないけど、ちょっと贅沢して自腹でグリーンにした。
自動券売機で買うときはいつもそうだけど、その時間から一番早い列車をとる。
その日は、7分後くらいに発車するやつだったけど、飯はうちで食うので弁当も買わないしお土産も買わない主義なので、時間的には余裕だ。
発券されたチケットを持って改札に向かう。
何番ホームの発車だっけ?と構内の電光表示を見て、初めて気づいた。
列車が乱れてる。自分の買った列車は40分ほどの遅れ。他の列車も90分とか、中には2時間遅れというのもある。
大阪は1日天気は良かったけど、九州の方から来る新幹線は台風の影響があって、夕方のこの時間までまだ乱れてるっぽい。
それにしても、そもそも自動券売機では遅れの表示も何もなく、チケットは買えた。
なんで?と思って駅員さんに聞けば、自動券売機には、遅延情報の表示の機能がないとのこと。
そんなの知らなかったよ! 何時分発って普通に表示されてたら、知らずに買ってしまうじゃん!
どの列車も一律、全体的に遅れてるなら、まあ仕方ないんだけど、遅れてるのはあくまで西の方から来る列車だけで、新大阪始発の列車は普通に定刻通りに発車してるという。
だったら教えてよ! それわかってたら、最初から始発の列車の切符を買うよ!
でも、自動券売機には遅延の表示機能はないから仕方ないと言われる。
だったら切符を取り直すかと思ったら、それもできないと言われる。
列車はまだ新大阪には着いてもないのに、そんなやりとりをしているうちに表記上の発車時刻はもう過ぎてしまってたから。
新大阪発の先に出る列車に買い換えようと思ったら、グリーン車料金まるまる無駄にしないといけない。
おかしくない? そもそも自動券売機に遅延の情報が表示されないなんて知らなかったし。そんなの知ってる人いる?
少なくとも僕は今回初めて聞いた。以後、気をつけるけど。他にも知らない人いっぱいいるんじゃないのか。
これが外は嵐で今まさに台風接近中とかなら、さすがに切符を買う前にもうちょっと慎重に確認もするけどさ。
1日晴れた日で、改札からはちょっと離れた場所で、しかも券売機には遅延の情報も何もなかったら、買ってしまうだろ、普通。
まあ、そのときは結局、40分程度の遅れだし、そのまま待ったけど。
90分の遅れのやつとかだったら、キレてたと思う。
券売機に遅延は表示されないのはシステムの問題なら仕方ないとしても、だったらせめて張り紙でもしておいてよって、後日、JR東海に電話した。
張り紙程度ならお金も人員もかからない。むしろ、間違えて買った客への対応とかにさかれる人員の方が負担大きいだろうって。
そしたら、JR東海の答えっていうのが、遅延情報は改札と駅構内の電光掲示で報せているので、あえて張り紙などの対応はしません、って回答だった。
いや、改札のすぐ横の券売機だったら、こっちも買うときに気づくかもしれんけど、自分が買ったのは地下鉄の乗り換え口の方から来たとところにある離れた券売機だったし。
せめて改札から離れたところにある自動券売機には、なんかわかるようにしておいてよ、って言ったら、
その自動券売機はJR東海の管轄ではなく、JR西日本の管轄だって言われた。なので、言うならJR西日本の方に言ってくれと。
たしかに新大阪駅は、西日本と東海が乗り入れてるわけだけど、券売機がどっち管轄とか、知らんし!
客はあくまで新大阪駅を利用してるんだから、それはそっちで対応してよ。
あー、なんかすげーもやもやする。
ずっとためてたこと
華丸大吉があさイチのMCに決まった時、九州男児は男尊女卑だからいやだ!いやそれは九州出身への偏見だ!みたいなくすぶりが一瞬あって
華丸大吉自身はクソクソ男尊女卑だからな!!!ってずっと言いたかった
数年前までネタの導入に「我々は男尊女卑ですから」って宣言してて、大吉先生は「女性の権利を!とか言われても困る」って海原やすよともこの前でわざわざ言うような人だった
今はあさイチやってそこらへんの話題には気をつけてるんだと思うけどさ
大吉先生は後輩の女芸人がちょっと色気付いてきたっていうだけで「今年中にAV落ちさせる」とか言ってそれでも黒大吉で済まされてたし
華丸さんは自分が男尊女卑なの認めつつ「親がそうだったから」っていい大人が言い訳にもならんような言い訳をずーっとしてる
僕はQUEENのファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所や理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望も目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生の目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校を中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識と目標とは裏腹に自堕落な受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミの社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部にしか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分の学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。
早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値の呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値の呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達の好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義をいくら受けても、言葉と言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族に迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれば路地や公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔で写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家へ架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功だけが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味で理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論が必須ではない法学部だからこそだったと思う。しかし就職活動は完全に捨ててバイトもサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生の方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験と大学の勉強だけしか知らず、その他は中学生で時間が止まっているのでやりたいこと、人生の目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会や面接で行った会社のインターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロの面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生の軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験を受験した。これがトントン拍子に進んでしまい採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接の相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律の素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生は妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的に人生をスライドさせていくことも、ひとつの人生としてはありなのではないかと思った。