はてなキーワード: ボケとは
カンニングは卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である。
長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。
だけどカンニングのニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去の清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。
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私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校の行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。
こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。
「なんでこんな低いの?」「なんで勉強をもっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。
でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分を否定してくるという事は、小学生の自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。
そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。
小3くらいの時、学校の先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。
また塾で算数の範囲が簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人が休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツは人生で初めてだったからだ。
中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分の質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。
親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」
積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分は馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。
解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分の記憶力はダメなんだ。自分は馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段の勉強で試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。
また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。
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理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科がひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数と国語だからと特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。
父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。
母はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子は小学生のテストすら0点だから。別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。
ある時、酷かった国語のテストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。
母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味をバカにされる。
そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛と吐き気がする。
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カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。
でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。
勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たときは理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統の問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間と自己嫌悪の時間になる。
勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙にアレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。
「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題をしたことがある。しかし問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説をバンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。
でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。
小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会のプレッシャーの方が何倍もましだ。
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小学校のテストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。
結局、中学受験は面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。
他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズでバカだ。
親としては微妙なラインの学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。
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中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。
そんな中、中学一年の先生は優しかった。一年が終わる時の面談で勉強が苦しいと相談した時こう言われた。
「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生に出会った気がする。
「君の友人の**って子は成績がいいから、その子に相談してみたら?」と目から鱗だった。自分は小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。
そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。
成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風で職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分は先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。
追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生がバカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生。
そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母は戦争体験者で父と似ていて「自由で笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。
母から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学〜高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。
いわゆるピュアオーディオ界隈
ネットでもよく話題にされるがある程度までは人間が体感できるレベルで良くなる
ただし途中からはどう考えても体感できないのに金だけが注ぎ込まれていく
スピーカーの台座に大理石を使ったり極太配線を使ったりコンセントを変えるぐらいはまだ許容範囲で
ハイレゾハイレゾと合唱してるが、なぜCDが44.1kHzなのか分かってるのか?ブラインドテストしたか?
もはや一眼レフ持って写真撮ってる奴はエセ科学分野に半身浸かってる意識を持った方が良い
iPhoneで十分綺麗な写真が撮れるしボケた写真が欲しければ画像処理すれば良い
性能も利便性も携帯性もiPhoneやスマホが圧倒的に上回って何年も経つのに馬鹿デカいレンズで何を撮っているのか
馬鹿デカいレンズをぶら下げて名前も知らない鳥を撮ってクチバシの先っぽにしかピントが合ってない写真でレンズの善し悪しを語ってる意味不明な集団
そもそも200mmでF2.8のレンズが何故存在するか分かってるのか?開放で撮ったら被写界深度2cmぐらいだぞ?
「ハンドルレスポンス」「ブレーキ感度」「吹け上がり」あたりを話し始めるとだいぶ胡散臭くなって
「剛性」「トレース」「意のままに操る」とか言い出すと末期症状
安定性がどうのこうのとか欧州車並とかいうワードで「分かる人にしか分からない」感を出す
・この辺とか噴飯もの。
・昔はマニュアルで焦点を合わせられるのがプロの腕前の一つだったのかもしれないけど、いつの時代の話ですかって感じ。オートフォーカスが優秀になり過ぎて、最近ではAIが自動で動物や人を識別して、その目に高速正確に合焦してくれるのも当たり前になって、プロの人だって、「マニュアルしか使わないのがプロ」だなんて口が裂けても言わないんじゃないかな。
・プロユースなる言葉も雑過ぎて。カメラちょっとかじれば分かるけど、プロって言っても、例えば野生動物写真とか自然風景写真とかカメラにとって過酷な状況下で撮影したい人なんかはマイクロフォーサーズ勢や富士フイルムなんかも好んで使うでしょ。この辺のはフルサイズと比べればレンズが圧倒的に軽量コンパクトで防塵防滴にも優れて画質も悪くない。ボケの量やダイナミックレンジがフルサイズに劣るけど、それを差し引いても機動性を優先したいって向きには向いている。
それ君のことだよね。
おれはさあ、間違いまくってる話をしてる人がいたら、「間違ってるよそれ」とは言うけど、間違いを一つ一つ指摘しないことも多いよ。面倒だし、いちいち指摘したら可哀そうと思う場合も有るし。
映画とかで銃を奪ったときに分解して捨てるときの所作解説→クソリプA「なんで捨てるんだよ持ってりゃいいじゃん」→親切B「持ってたら奪い返されるでしょ」→クソA「だから奪ったそれで相手を無力化すればいいだろ」
相手を殺したくない場合もあるだろ!!!相手は銃を持ってたヤツだけとは限らないだろ!!!心理的圧迫とかあるだろ!!!!!映画館に1年閉じ込めてアクション映画だけ延々見させるぞクソボケがあああああああ!!!!!!!
小ボケに気づいてやらない
https://togetter.com/li/2402260
撮った人がプロすぎるし全部マニュアル(オートフォーカスもOFF!)なので参考にならない
そもそもプロはマニュアルしか使わないしプロユースとして使いやすいかどうかという視点しか持ってない
実際にデジタル化以降のメニュー画面等の操作系はSONYが圧倒的に良い(他が弱すぎるのもあるが)
他のメーカーはセンサーの供給を受けてるけどCanonは独自センサーを使って頑張ってる
そのせいもあってダイナミックレンジ(撮影できる暗所と明所の幅)が狭くてこんな感じの白飛び黒潰れ写真になりがち
ただ、今はその辺も改善されて他社とほぼ同じレベルになってるので
この前のWebサイト画像問題でも炎上したPanasonicだけど実際にあんまり力を入れていない
そもそもプロユースしている人はほぼ皆無で一般人向け家電に振り切っている
ネタとして手振れしてる画像になってるけど、これは「一般人は手振れしがちだよね」という意味合いが大きくて
Panasonicだから特段手振れしやすいとかそういうわけではない
まぁ会社の歴史的にもそりゃそうなんだけどもはや画像処理でどうとでもなってしまっているのが悲しいところ
昔は「フィルムっぽい写真が撮れますよ!」とアピールしてたけど
芸術系にたまにいる印象
オリンパスといえばPENでミラーレスカメラの先駆者となったイメージだけど
個人的にセンサーサイズ至上主義には反対なのでマイクロフォーサーズで頑張って欲しいけれど
まぁ市場的に無理だろうと思う
とはいえ画像の通りOLYMPUSは医療機器メーカーであってついでにカメラを出してるので
別に売れても売れなくてもいいんだろうな
昔から「動体はCanon、静止物はNikon」と言われたようにNikonはAFが全然ダメ
レンズが良いから写りはいいんだけどピンボケしてると台無しになる
とはいえ前述したようにプロはどうせマニュアルしか使わないのでプロユースではCanon、Nikonの二極化が起きてたけど
ミラーレス化にはCanonより先に成功し(Nikon 1は無かったことにされたが)
小中ともにろくな先生ではなかった
小学校の先生はワイのことは可愛がってはくれたけど、正直、教師&社会人としての質はあまり高く無かった
ただ、ワイ個人にはとても良くしてくれたので、何かあったら名誉を傷つけるようなことは言わないであげたい
教師&社会人としての質がゴミだったのはもちろんの事(実際、刑事事件で捕まったとんでもねー奴もいるし)、
特に可愛がってくれたわけでもなかったので、名誉を守ってやる必要性ねーなって思ってるけど、
キッズならともかく、中年が遠慮なく言いたい放題言うと、え〜ヤダーあの人ー💦ってなるので、
何かあったらよく殴られたことだけ言おうかなって思っている。べつに殴られたはくらいはいいよなぁ、殴る方が悪いんだし
しかし、あの当時のワイは殴られて、なぜ訴えると言う発想がなかったのかと非常に悔やまれる。思い出したら腹立って来た😡
高校はなんか知らんけど前世で命を救った?レベルで非常に良くして貰った
教師としての質も異常に高くて、今でもそのご恩に報えていないことに、ちょっとモヤっとなったりする
(もちろん教師全員ではなく8割くらいはゴミだったが、数人ガチ聖人がいた)
・・・と、こんな経験をして来たので、べつに公立小中学校なくていいのでは?(名推理)ってなるんだよなぁ (高校はガチ聖人いたのであっても良い)
確かに今も付き合っている友達の1人は小中で出来たわけだが、別になんらかの子ども集める施設であれば同じ結果になっていたと思う
たぶん程度差はあれど、似たような思いして来た人が多いから、教師の待遇上げろって言われても、
ハァ???????????塾講師呼んできてオンライン授業でも受けさせておけやボケ!!!!!!!!!!ってなるんじゃねぇかなって
なので、小学校の教育は大事だよ~~~人生の基盤だよ~~~~親のフォローを受けられる子ばかりじゃないんだから~~~って言ったて、
家が荒れてるなかで、あの小学校・中学校だったら、今頃檻の中だわ😅としか思わんわけ
まぁ小学校の先生はワイ個人には良くしてくれたから、無理矢理良かった探しをするなら、ワイの通ってた小学校は何かのモデル校になっていて、
発言すること自体にインセンティブがある取り組みがあって、どんなどうでもいいことでも臆せず言えるようなったのは、もしかしたら小学校の影響もあったかもしれない
(でも、同じ小学校出身で同じ中学に進んだやつは、中学校行ったら発言しなくなったので、元の性格の方が強そうな気もしないでもない)
ゴミだけではなく、聖人みたいな まさに聖職者にも(高校でだが)出会っているので、学校は恵まれない子の人生の基盤だよ論に、ほんのちょっと興味もあって、
滅私奉公で、オンライン教育に尽力されたり、学業不振者をフォローされたり、限られた予算で障がいを持った子の可能性を広げようとしている先生方もいるのは存じてるし、
映画『みんなの学校』みたいな取り組みは素晴らしいなぁと思ってるけど、
聖人・先生と呼ぶに値する人だけ給与を3倍にして、あとのゴミはクビにしろがめっちゃ正直な気持ちなのよね
まぁ、どうしようもない先生にも生活あるだろうから、クビはやりすぎにしても、
どうしようもない先生の能力で出来る範囲のことだけやってもらうと誰も嫌な思いしなくて不幸がないよね
それこそ、基本は塾トップ講師のオンライン授業で、それでも理解できない子に個別フォローだけするとか、学校関係・授業準備関係の雑務だけやってもらうとか、
素晴らしい取り組みをしている先生だけ的確に評価することは、現実的には不可能なので、聖人・先生と呼ぶに値する人に報いようとを考えたら、全員給与3倍くらいにする他ない
あと、競争が働く仕組みが無いと残念ながら優秀な人材を得るのは難しいので、やはり給与を3倍くらいに上げるしか無い
福祉・教育分野にいがちな聖人にだけ頼ってたら、公共教育はどうにもならなくなるだろう
教義本とか新聞とか裁判記録とかを読んだり調べたりするから知的に退屈しなさそうだし、
集会とか遠征とかで外に出たり歩いたり喋ったり議論するからボケなさそう。
暇空なんかより石丸よりこういう人間こそが相手していてイライラする。
はっきり言えば人間のクズだと思う。
段々嫌になってきた
罪悪感が湧いてきた
…と考えるとどうかな、
という気もする
少し抵抗がある
たまに不安になるよ
本当に語尾が全てこんな感じ。
「私は私の責任においてこう主張する!」と言い切る箇所が一つもない。
その感情も「自分が主体的にこう感じる」ではなく「こう感じさせられた」と言わんばかり。
「あ、この人と話するの無駄だな」
「あ、この人は話し合いにならないタイプだな」
ってわかる。
心のどこかで「これって普通の家じゃないよね」という思いがあって
なんだこの理由。
これがお前の主張の根拠?
「正常」 「異常」って何?
これさ、なんかデータを取って平均値がこうだとか中央値はこれですって言ってんですらなくて
お前一個人の気持ちや感じ方を超怠惰に正当化する方法として「普通」って言ってるだけだよな?
つまりお前の話って1から10までガキの様なナマの気持ちを垂れ流してるだけなのよ。
・ご意見 「どうかなーどうかなー」 「ちょっとどうかなと思うのも事実」!
・その心は? 「普通そうだし!」 「一般家庭ではそうだし!」
お前の相手してるとこっちの脳まで腐りそう。
知能が低すぎてちっちゃな子供みたい。
それで、今日も「晩ごはんはステーキにしよう」と夫に言われたので、
「流石に食べ過ぎじゃない?肉屋の人もびっくりするんじゃない?」と冗談っぽく伝えてみた
そしたら、「あーそんな嫌ならもういいよ、当分いらない、今日は一人で食いなよ」って不貞腐れてそのまま仕事に出かけていった
いつもこんな感じだ
夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る
お前の問題点は「献立に口をはさむこと」とは別の部分にあります。
おめーが反対するんだろ??ならおめーの意見としておめーの論拠で言えよ!!!
この「冗談っぽく伝えてみた」にはお前と言う人間の問題点の全てが出てるわ。
お前が盾突きたいならお前が気迫を固めて盾突くんだよ。
「冗談っぽく」ってなに?冗談て言葉の意味わかってる?お前のそれの何処に笑える要素があるの?
「伝えてみた」ってなに?言うか言わないか、自分の責任で気迫持って述べるってことが出来ないのか???
仮に本当に肉屋が「この客週4でステーキ食ってる!」ってびっくりしたとしたら、それがなんなんだよ。
話にならねえ。
どういう人生過ごしてきたら成人既婚者でこんな仕上がりになるのかなって不思議でしょうがない。
こんな何一つ自分の意思と論拠で「こうだ!」って言えない人間でも結婚できるの不思議だね。
折衝したり話あったりって能力が皆無で思考もボンヤリ口もボンヤリでも専業主婦さまでございますか。
ちなみに夫とは仲がいい方だ
違いますぅ。
お前の思考パターンと物言うパターンが死ぬほどムカつくカススタイルだからですう。
実際俺もお前に盾突かれたら「あーもういい」ってなるよ。
だって話になんねえじゃん。
お前が主体的に「私は今日どうしても寿司食いたいからステーキは却下!」 っていうなら話になるよ。
若しくはきちんと収入支出貯蓄額ライフプランをExcelにでもまとめて
「月にこれだけ貯蓄したいから食費は月幾らまでにしませんか!」っていうなら話になるよ。
でも全然じゃんお前。
言うこと全部フワフワで、何一つ思考がパキッとしてないバカ丸出しで。
「なんかー」 「どうかと思うのも事実ー」 「普通ー」 「一般ー」
責任逃れ口調ばっかり板について。
お前はそういう、相手に対して超失礼で話になんねえ態度を繰り返したことで
夫ですら「もういい」って回避するようになってるわけ、お前とのシリアスな話し合いを。
こんな人間的に全然尊敬できない話にならねえやつと夫が結婚したのは何故だろう?
お前の実家が凄い資産家とかでなければ、おまんこパワーに目がくらんだとしか思えない。
お前そのままでずっといけるつもりか?いつまで夫婦円満だろうな?
夫の「収入の浮き沈みが激しい自営業」ってのが既にそれほど普通じゃないし、
令和6年にもなって専業主婦の妻ってのも全然普通じゃねえんだよな。
なんて言われたら余計なお世話だろ?お前にはお前の事情がある。
なら夫の週4ステーキに反対する時も「普通は」なんて言葉だけは使っちゃダメだろ?
どうしてその程度のこともネットで関係ねえ奴に突っ込まれる前に自分で気付けないんだ?
お前がまともに相手されないのは当然です。
何故ならお前の思考スタイルとコミュニケーションスタイルが腐りきっているからです。
週4で同じステーキ食わせてくる異常者より100倍ストレスフルなのがお前です。
(本当にお前の気にしてることが家計ならね。そうじゃないようにも見えるが。)
これは一歩一歩やるしかない。
お前等って女が家庭の愚痴を垂れてたら100%同調して味方するよな。
でもさ、この女がバカなのって
もしくは「話になんねえからもういいよ」って見限られて
誰にも真面目に相手されないからこんな風になった部分もあると思わねえか?
ネットで顔も知らねえやつだからこそ言える直言暴言ってものもあるよな。
俺はどう考えたって俺の方がこの女に真面目に向き合ってると思うし
でも、70歳以上には投票しないことにしてるんだ。
国政選挙でも地方選挙でも、とにかく70歳以上には絶対いれないことにしてる。
死なないまでも、骨折からの寝たきりコースとか、ボケたりとか。
やっぱりね、70歳以上には任せられないよ。
ついつい、あんなぐらいじゃ狂気が足りないといういかれてるマウントを取ってしまったんだけど、
その後もなんだかんだゲームの話しとかしてて、戻って、心の中のビュティが画面の下から出てきて突っ込んでくれた とかって視聴時の自分を言語化出来て、
ボケというか異常に対してツッコめるということは、誤っていたとしてもボケ側の狙いを理解できているということで、
読者視聴者側の認知力が足りてない場合はそこをツッコミ役が補ってくれるんだけど、
ボーボボでほぼツッコミもなく、何が起こってるかわからない回とか、ほんとにわからなかったことを思い出し、
(基本的にボーボボは全編通して面白いし、笑えなくても狙いや意図がわかったつもりであったが、ちょいちょい)取りこぼしてしまったし