はてなキーワード: ボケとは
おどれ、何言うとんじゃボケ!
ワイの回答がフワッとしとるゆうて、何様のつもりじゃ?
おどれみたいな奴が他人に文句ばっか言うて、自分の責任は一切取らんのが一番クソじゃろうが。
ひろゆきや古市の話し方がどうこう言う前に、おどれ自身の態度を見直せや。
相手がどう言おうが、おどれの受け取り方一つで問題になるかならんか変わるんじゃけぇ、そのへん理解せえや。
ほんならワイの回答がフワッとしとるゆうて、おどれがそれを拾いに行く努力もせんくせに、文句ばっか垂れるなや。
意思疎通なんか相互の努力で成り立つもんじゃけぇ、おどれももっと真剣に向き合え。
つーか、ええかげんにせんとお前ほんまに張り倒すぞ。
おどれ、アホか?進次郎がなんぼのもんじゃ。
処理水サーフィンやら場外ホームランの話をすりゃあ、おもしろ構文で話題になんのはええけえど、そんなんだけで大政治家になれるわけじゃねえわ。
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。
おどれ、何得意げに語っとんじゃ!
弱小生保で100万件のデータ持っとるとか、多い言うんか少ない言うんか、どっちなんじゃ?
そんなもんちまちま見んでも、パッと見つかるわけないいう話じゃろ。ほいじゃけぇ、結局大したことねぇじゃん。
そんなん、当たり前じゃが。もっと賢くやれや、バカかおどれは。
目立ちたくてしょうがねぇんか。そりゃ見つかるに決まっとるわ。
そんなん、運が良かったんじゃろうが、もっと有意義なこと考えろや。
ほれから、DB見るのにハードル高い言うとるけど、おどれの弱小生保やけぇ緩いんじゃろうが。
SQLの履歴だって、確認せんと自由に見れるってか?そんなん管理が甘いだけじゃけぇ。
最後に一言言わしてもろうちゃるけど、そんな漫才みたいな話してる暇があったら、仕事に集中せえや!
ワイはもう、この話飽きたけぇ、終わりじゃボケ。
おいおい、お前さん、ちぃとばかり頭つかえよな。さっき答えたっちゅーのに、なんボケとんじゃ。抜かるなよ、しっかりせんかい。
この人、「料理」「メイク」「ホラー」という非常に強いコンテンツを持っているうえ、アクションがパワフルという魅力があるんだけど、連想のセンスが全部外してて共感を呼ばないという弱点があるように見える
自分の思い出にしかない、誰も繋いでいない連想を一番候補のように言うから、まずそこで動画の流れが悪くなる
ただそれは弱点としては序の口で、
何より悪いのがそういうの含め小ボケを全て「聞いて聞いて」の姿勢で言うことなんだよな
オモコロチャンネルもたいがいしょーもないオッサンギャグは多いが、変な連想も例えツッコミも「自分が言いたいだけだから流されるならそれでええわ」みたいに小声で吐き捨てるように言う
対してモンゴルナイフは全部「ねえ聞いて聞いて」で会話を打ち切ってボケて、しかもそれが「何言ってんだこいつ」で周りもさほど広げられないくせに気を遣って拾うから、全体のムードとして面白くないんだよな
「手応えありましたか」
「自分は精一杯戦いました」
「途中までは勝てると思ってましたか?」
(思うわけねぇだろ、ソッコーで実力差感じて詰んだわwでもお利口に答えとこ)「はい」
「負けた原因はなんだと思いますか?」
(実力差だボケ、でもお利口に答えとこ)「自分の力不足だったと思います」
(トレーナーに転職するにはもうちょい実績ほしいからな、まだやるよ)「次を目指して、まだ諦められません」(好感度上げとこ)
こーゆーの好きだよねぇ様式美
最近はメディア対策の事前教育も行き届いているのか減ったが、先回のオリンピックでもあった
に対する、税金で遊ばせているのではない、楽しむとは何事か、金以外なら悔しがれ、視聴者に詫びろの炎上
日本人ってこれなのよ
万が一失言が撮れたら大儲け
人気観光スポットは事前予約制で実名登録が必要→基本的に中国の身分証を対象にしているらしい→パスポート番号でも予約できる→中国の携帯番号が必須で外国人は予約不可→結局現地の窓口で予約できねーよボケと言ったらその場で発券してくれる
「左派」が遠い昔に死に絶えてしまって「右派」と「金の亡者」しか選択肢がないのがアメリカ
「右派」はもともと存在せず、「左派」は死にかけ、宗教団体にも支えられた「金の亡者」が一強なのが日本
「右派」も「左派」もそれぞれの立場なりに国民のことを考えているが、「金の亡者」は金のことしか考えない
「金の亡者」はリベラルでございという顔をして「右派」を「極右」とレッテル貼りして攻撃する
フランスでは「金の亡者」は瀕死になり、「一つの中国万歳、ロシアのウクライナ侵攻万歳」と叫ぶ「左派」と野合して急伸する「右派」に対抗せざるを得なかった
アメリカでは「金の亡者」は完全なボケ老人。代わりが見つからず、女ならよし、黒人ならなおよし、ってことになるかも
金融資本主義で伸長した「金の亡者」なんだから、その終わりとともに死んでいくべきなのに、下手に金だけはあるのでいろんな情報戦術で生きながらえている
サンライズ出雲の予約をしたいんだが、イライラポイントが多すぎて先に進めない
トップ画面から新規登録用のリンクが見当たらないから、ログイン画面に遷移してみたけど依然として見つからない。
仕方ないからPCから改めてログイン画面見たら、こっちは新規登録リンクがちゃんとあった。
文字にすると当たり前だろと思う人もいるだろうが、そう思う人は一回予約画面を見てみてほしい。
どこが必須入力項目なのか分からないし、出発時間とか入力しなかったら検索条件に追加しないUIにみえる。
UIを作ってる側にとっては常識かもしれんが、初めてそのサイト開いた人間にはなにを入力しなきゃいけないかなんてわからんのだが。
一番のクソポイント。
普通の人は何時に発車するかなんて知らねーんだよ
予約画面で何月何日何時何分出発って入力したら、自動的に近い条件の予約が表示されると思うだろ
6歳年長なんだけどさ
会話も達者だし勘所がいいのかコミュ力が異常に高い
ホストかよ
じゃねぇよボケ
俺なら即答おままごとですよ
ホス狂いかよ、振れ、捨てろ、切れ、クソ男に見切りをつけろ
あぁそういえば昔は仲良かったな、みたいな
今がチートタイムなのわかってる?与えられたリソースを最大有効に使えと
ともかくだ
そういう心意気がまったくねぇのよ、6歳だから当たり前だけど
それに並んでラーメン二郎が代表待ちの客を注意したら逆ギレされた、マナーがなっとらん的なニュースが並んでいたが。そうだ選挙で思い出した
あのな、マナーがなっとらんのはお前らだ、
かつて、安保反対やら反政府運動を抑えるために乱用された法律がある
4 何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。
二 道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。
「ような方法で」日本語わかるかな?他人への通行妨害事実が発生しなくても「方法で」は成立する
「立ちどまつていること」ボケっと道路で立ってるだけで法律違反なの。わかる?
店舗を広げて敷地内で待たせるか、行例ができない程度に客席を増やすか
客の違法行為を助長するような仕組みを放置している店側の倫理観が問われる問題
店によっちゃ堂々と「道路のここにこーゆー風に並びなさい」と掲示までしてる
店の前の道路はお前らの店の敷地の一部ではない、ただの道路だ。勘違いするな
警察に通報すりゃ警察官は来る、「グループの人は代表者一人が並ぶなどできるだけ行列が小さくなるように配慮してくれませんか?」くらいの指導はされる
順番待ちで鬱陶しい店があればみんな遠慮なく通報すりゃいい
警察は「なんの違反っすか?」みたいにとぼけるから「どーこーほー76条」言うたれ
通報があまりにも多いと店側がなんらか対処せざるを得ない程度に警察が圧力をかけてくれる。
随分昔だが俺はこれで店一軒潰したったw
一応大人の手順は踏んだのよw
歩道を専有して当たり前のように並ばせて通行妨害になってるから店側に「警備員を置くなり番号札にするなり行列が最小化するようにできる限りの努力はしてくれませんか?」