はてなキーワード: スターウォーズとは
映画を撮るのは金がかかる。かといって小説として書くのにもある種の困難が伴う。
だって同じ文に対して同じような反応がいくつも得られたとしても、その反応を示したそれぞれ読み手の頭に浮かんだ心象風景はだいぶ異なっているかもしれない。
漫画でいうならそれこそ絵で読者の反応を操作させるようなことが、小説だと文から心象風景(漫画でいうなら絵に当たる)を媒介してしか反応を操作できない。
しかもその心象風景さえ読者の頭の中のブラックボックスになってしまっていて、その好感触や悪い反応がどういう心象風景に基づくものかもわかりようがない。
ある文を書けば万人が唯一の心象風景を思い浮かぶということだったら、しかもそれが書き手の目に見えるものだったら、反応に多少のばらつきがあったとしても、文と心象風景が連動しているのだからフィードバックさせられる。そうやっていけばいずれ心象風景とともに反応を理想のものへと収斂させることもできる。そういう意味では漫画は書き手と読者で同じ絵を共有しているわけだから随分やりやすい。
だけど小説は文も心象風景もそれに対する感想も何一つ一対一に対応しない。しかもブラックボックスなのである。
映画なら「迫力がない」と言われればとりあえずエキストラを増やしてみればいいかなと見当のつきそうなことも、小説では読者がそもそも心の中において何を見ているかが分からないから立つ方策も立たないのである。
だからといって映画は資金(調達)力がないとだめだし、小説のような長編化もスターウォーズ並に売れないと無理って意味でハードルが高いわけだけど。
1を高校生時代リアルタイムでやったおっさん世代。8(PS2)までやってゲーム自体から距離ができてた。
生活に余裕もある事で、15年ぶり位にSteam版でドラクエXIを遊んだけど、ものすごい進化と集大成感、そして満足したって話を書く。
思いついた事だけつらつら書く。ネタバレ全開なので、少しでもやろうと思ってる人は読まない事をおすすめする。
主人公の育った町が破壊され、やがては復興する。かつてのナンバリングでも同じように街が滅ぼされたり、街を発展させたりするエピソードはあったけど、皆で力を合わせて日常を取り戻そうとする描写とか、強くあろうとする普通の村の人々の声や態度とかが、一見するといつものドラクエなんだけど、震災を経験してから見ると言葉に重さがあってなんかたまらくなる。
また、かつて有った国や町が滅んで、別の地域に移り住んだ人の8人目のあいつのエピソードや、滅んだ国やそこで亡くなった人に思いを馳せるシーンがさりげなく描かれていて、思わず涙した。
一回目のエンディングでのあのじいさんの行動とか表情とか、もう悲しくてたまらなかったな。
シルビア、もうシルビア良すぎだろ。彼と対話する人間が、彼が自認している性別をありのまま受け入れて、それを前提に会話している所でシビれた。仲間の台詞とか、対話相手の言葉とか。厳格な父親でさえそうなの。普通だったら父親との確執に性別に対する由来なんかを脚本に入れて来そうなもんだけど、それを一切入れない、これは性に関する問題や脚本を避けているというより、そんな事はとっくに解決した世界ので出来事として扱われているのが凄かった。
昭和や平成のノリならオネエネタで弄りに行く表現や、それって良くないよね的な表現やメッセージを入れてしまいそうな所だけど、暗にそんな事はこの世界では既に解決してますよ。という状態だけにして物語を進めているんだよね。ちょっと滑り気味世直し隊のギャグもすべてそう。
多分脚本や表現の至る所にそのコンセプトをきっちりマネージメントして最大限気を使っているのがひしひしと伝わりました。保守的なゲームなのにこういう所がしっかりしてるの凄く良い。
そのくせに奴は、特技で「レディファースト」とかいうのを持ってて、戦闘で自分の番を女性キャラに譲り渡す。ってのがあって戦闘中にも関わらず「お先にどうぞ」とかめっちゃ紳士な対応しててげらげら笑ってしまった。
1回目のエンディングまではひたすら一本道のシナリオやゲーム構成で、一つの問題を解決しないと次には進めない構成を徹底してた。
確かにリッチなムービーとかシナリオは満足感高いんだけど、遊んでるというより、ひたすら一本道の簡単な戦闘の合間に映画みてるというか、作業感があるんだよね。悪くはなんいんだけど、なんかヌルい。UIでも「次にこれをやれ」という記述が徹底していた。最初の方の戦闘とかヌル過ぎて、あードラクエもすっかり今風の作業ゲームなんだなあ、って思いながらやってた。
あと「過ぎ去りし時を求めて」ってサブタイトル、後ろ向きでノスタルジーだなって思ってた。
実際にエンディング後はノスタルジー便りの作りになっていた。でもあえてそれをやる潔さがあって逆にこれで良かった気がする。
そもそもドラクエって日本的な文化に根差した凄く保守的なゲームで、要は水戸黄門だよね。
主人公達は様々な街を冒険して、そこでの問題の解決をしたり、人々の悲喜こもごもな出来事に遭遇しながら諸国漫遊をして
最終的にはボスを倒す。という作り。ゲームの内容もひたすら同じことを繰り返せば、だれでも強くなってクリアできるし反射神経や頭を使う作業はいらない。(但しウマレースを除く)
https://www.masurao-channel.com/entry/2019/06/22/142149
オリンピックの開会式でやるらしいけど世界的な知名度低そうなのに大丈夫か?
でもシリーズ3作目までのドラクエって実は1本道感って薄くて、様々な謎やヒントが各所に散らばって並列して謎が提示されるんだよね。ある意味不親切。下手に見えない境界を越えると強すぎる敵に遠慮なく殺されて、痛い目見て学ばせたり、情報の整理や試みをユーザーに委ねる感じなの、HPやMP、アイテムのリソース管理も厳しくて、それが逆に常に緊張感を生んでいた。だからふっかつのじゅもんと共に、街の人の言葉のヒントをメモしてて、その不便さを楽しんでいたというか。文章入力型のアドベンチャーゲームの系譜としての不便さや謎を解く楽しみを持ったゲーム感があったよね。
その昔の感じがゲームの後半からだんだんと強くなって行く感じが良かった。ある時から一気にできる事が増えて、突然理不尽に強い奴と戦う羽目になって全滅とかした。これは今は無理だな。とかちゃんと思わせる作りになっていたのが逆によかったなぁ。
それでもヒントの提示はしてくれたけど、世界での選択肢が多すぎるのであればアリだと思う。
ところでここ数年アニメ化される異世界転生ものが、ことごとくドラクエの世界観や「勇者」という概念を下地にしたものばかりだけど、改めてその影響ってすげえな。と思った。「勇者」って言葉自体、確かシリーズ3が初出だと思うけど、今や「勇者」って完全に概念だよね。ドラクエ前には「勇者」って言葉には世界のを命運を握る意味合いも、特別な力を保持する意味もなかったけど、今やそれ込みの言葉になってしまった。
関連語 豪傑(ごうけつ)
なんかそんな今の流れを知ってか知らずか、ちょうどの現代のドラクエ自体が作り出した「勇者」って概念に1000%フォーカスした物語を今あえてやるってなんかすげえなと思った。
2回目のエンディングなんて特に、ファミコンでリアルで遊んでいた時の思い出がぶわーっと出て来る感じが凄かったな。
世界の名前が既にロトXXXXと付いているので、そこに繋がるんだろうなとは思っていて、途中で出て来る過去の勇者の姿とか構成がどう見ても3で、たけど、どうつなげるんだろうと思いながら最後を迎えて、あーーーーそうくるかーーーーー!となった。
まだナンバリングの時間の相関が把握しきれてないけど、前提として 3→1→2 でしょ。
11の過去に3があって、11の未来に1に繋がる事を示唆していたから 3→11→1→2 ってことか?
そもそも3→1 の間には結構時間が流れているって事だったけどMAPは同じだったから間に入る11のマップとの整合性が付かないけど、その辺のこまけー話はいいんだろうな。
ドラクエの3やった時に1に繋がる事で、あーそうなるんだー!って強く思った経験が、後にスターウォーズのEP3でも感じられたけど、今回再度同じような感じを味わえたのは良かったなぁ。
ドラゴンクエストのナンバリングは今後も続くのだろうけど、堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういちの構成は年齢的にももう厳しいかな。
この構成ならではの保守性を味わえるゲームなので、今後自分が楽しめるドラクエが出る事も無いのかな。という気もしていてる。それこそ過ぎ去りし時の中だけに留めたいと思った。
おばさんといっても30代を少し過ぎたばかりで
今考えると全然おばさんではないし、
当時でもおばさんという気持ちは抱いていなかったが
発覚してないだけで未成年とセックスする女なんて掃いて捨てるほどいるし
昔なら今よりいっそう見つからなかったであろうことは想像してもらえると思う。
3Pおばさんは私の初めてづくしの人だ。
はじめてキスした人だし、はじめておっぱいをもんだひとだし、はじめてクンニをした人だし、
はじめてづくしは当たり前だろう。
当たり前でないのは3Pおばさんとは常に3人でセックスをしていたという点だろう。
これだけはかなり特異だと思う。
3Pおばさんのセックス相手は一子相伝というかスターウォーズのシスに似ている。
それは一番上の学年の生徒が、真ん中の学年の生徒を勧誘することから始まる。
おもにターゲットは3Pおばさんが顧問をしていたクラブの生徒から選考されるが例外もあったようだ。
ただ私の場合は私のシスは私が所属していたクラブの部長だったし、
私の弟子は私が部長をしているときに次の部長候補としてリストされている生徒だった。
その一年間にセックスをする生徒は二人だけ。それ以上にはならない。
上級生が卒業したときにひとりになるが、ひとりになっている間、3Pおばさんは絶対にセックスをしない。
これは私の師匠のときもそうだったし、わたしのときもそうだった。
なんで3人だったのかは謎なんだけど、おそらくはそのほうが秘密を守れる、
僕たちをコントロールしやすいとおばさんは考えていたのだと思う。
とにかく僕たちが互いに嫉妬を抱くようにおばさんは常に仕向けていた。
おばさんに気に入られたいという思いから自ら進んでおばさんに服従していた。
そうしておいてから、
……少し長くなってしまった。
お酒も回ってきた。
供養のつもりで書き始めたが
しんどくなってきた。
寝るわ。
https://anond.hatelabo.jp/20210708230828
おばさんといっても30代を少し過ぎたばかりで
今考えると全然おばさんではないし、
当時でもおばさんという気持ちは抱いていなかったが
発覚してないだけで未成年とセックスする女なんて掃いて捨てるほどいるし
昔なら今よりいっそう見つからなかったであろうことは想像してもらえると思う。
3Pおばさんは私の初めてづくしの人だ。
はじめてキスした人だし、はじめておっぱいをもんだひとだし、はじめてクンニをした人だし、
はじめてづくしは当たり前だろう。
当たり前でないのは3Pおばさんとは常に3人でセックスをしていたという点だろう。
これだけはかなり特異だと思う。
3Pおばさんのセックス相手は一子相伝というかスターウォーズのシスに似ている。
それは一番上の学年の生徒が、真ん中の学年の生徒を勧誘することから始まる。
おもにターゲットは3Pおばさんが顧問をしていたクラブの生徒から選考されるが例外もあったようだ。
ただ私の場合は私のシスは私が所属していたクラブの部長だったし、
私の弟子は私が部長をしているときに次の部長候補としてリストされている生徒だった。
その一年間にセックスをする生徒は二人だけ。それ以上にはならない。
上級生が卒業したときにひとりになるが、ひとりになっている間、3Pおばさんは絶対にセックスをしない。
これは私の師匠のときもそうだったし、わたしのときもそうだった。
なんで3人だったのかは謎なんだけど、おそらくはそのほうが秘密を守れる、
僕たちをコントロールしやすいとおばさんは考えていたのだと思う。
とにかく僕たちが互いに嫉妬を抱くようにおばさんは常に仕向けていた。
おばさんに気に入られたいという思いから自ら進んでおばさんに服従していた。
そうしておいてから、
……少し長くなってしまった。
お酒も回ってきた。
供養のつもりで書き始めたが
しんどくなってきた。
寝るわ。
宇宙世紀の「正史」を我が物顔で「偽史」に塗り替えてしまったからだ。
UC以前の宇宙世紀スピンオフはあくまで「稗史」としての分を弁えていた。
とはいえ、いやだからこそ、宇宙世紀を拡張できたのが福井晴敏だけだという事実も直視せねばならない。
富野亡き後もサンライズはガンダムシリーズを続けるつもりである。
閃光のハサウェイは映像面でのニュースタンダードを示したが、しかし原作は富野である。
次にアニメ化されるのはクロスボーンガンダムだろうか。これも富野原作である。
その次は?
その次は?
誰が新しい宇宙世紀を作り出せるのだろうか。
我々は次の百年も福井晴敏に苦しめられるのか?
新しい路線を貫徹することができず盛大に転倒し、
ガンダムはどうなるのか。
薄らと初代をなぞるだけの模造品など必要ない。
「アレみたいだけどアレじゃない新作を{見たい|見せろ|作れ}」という声は観客からもスポンサーからも上がるものです。
ある程度以上たくさん作られると”西部劇”「ジャンル」になり、数が少なくて類似度が高いと「パクリ」と言われたり。
ジョーズ然り、スターウォーズ然り。ゴジラ然り。PUBG然り。ドラクエ然り。
吸血鬼を狩るアニメも鬼滅のヒットを受けてきっと企画が走っているでしょう。
で、本作は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ものと言えます。実際はそれよりずっと前からの企画だったようですが。
(「ヘイル・シーザー!」「プロデューサーズ」という作品もありました)
1974年のハリウッドを舞台にした、人間の屑映画プロデューサーが主人公の、映画作りを舞台にしたコメディ。
主たる劇中劇がマッチョな映画の代表ともいえる西部劇作品なんですけど、女性が監督に立候補する。え?西部劇だよ?無理無理、って反対する主人公(プロデューサー)らがちょっと間抜けに描かれます。逆にマッチョの体現者(ジョンウェインを思わせる)老俳優がその女性監督を抜擢させます。
映画の内容も、ざっくり言うとインディアン(アメリカンネイティブ)を敵として生きてきた主人公が老人となって最後にインディアン(アメリカンネイティブ)の味方になるというもの。これもステレオタイプではない、「新しい」西部劇っぽいですよね。
BLM時代を反映する黒人差別ギャグもあります。メインキャラクターの一人、モーガン・フリーマンは映画オタクで部下のチンピラを引き連れて主人公の映画製作の邪魔をしたりする悪役なんですけど美味しい役どころ。
部下も当然黒人。
親分が「ここで○○(作品名)がShotされたんだ」って言うと
撮影のことをShootっていうのが掛け言葉になってるんですね。(ツーショット写真のShotと散弾銃ショットガンのShot)
でも最後には「これからは黒人主演の黒人のための映画を作るぜ」ってなっちゃう。(タランティーノも好きな「ブラックエクスプロイテーション」ってやつを反映してるんだと思う)
これは字幕で訳出されていないんですけど、新進気鋭の女性監督はリアルを追及して地味な色調のまま画を撮ろうとする。インディアンの服も、橋も、建物もみんな茶色。
頭が古そうなベテランスタッフは「カラーが足りない…」とボヤく。
で、撮影中に上記の黒人ヤクザの子分が派手な服装で現れたのを見てそのスタッフが一言
これ、服の色だけじゃなく、Colored People =有色人種 というネタですね。
英辞郎でいうと”1.色のついた、色付きの、着色[彩色]された、有色の、色づいた
2.有色人種の ◆特に「黒人の」という意味で用いられた時期もあったが、今日ではblackを用いるのが一般的。”
また、若き日の俳優は黒人女性と愛し合っており、結婚したかったのですが、キャリアのためにそれを断念したー断念させられたという過去が明かされます。ここも現代風ですね。
現代社会視点の盛沢山の中に、最後にLGBネタまでもぶち込んでくるのはサービスしすぎかな?
多幸感に満ちた、「これぞ大団円」って感じで終わるので、多少のツッコミどころはありますが、おおらかな気持ちで楽しめる、良い作品でした。
エンドロールが始まってから、冒頭の屑プロデューサーの作ったクソ映画の嘘予告編が流れて、これもタランティーノを連想する要素でした。
スターウォーズ:パパが大悪党だったので緑色のじいちゃんに剣を習ってバッサリ切り落としました。
プレデター:作戦行動中に襲われて仲間が全員死んだけど、倒した。
ランボー:山に引きこもってたけど、大佐が出てこいって言うから出てきた。
ランボー/最後の戦場:軍事政権と戦ってみた(YouTuber感)。
ブレードランナー:レプリカント殺してたけど俺がそうだった件。このレプリカントがすごい!選出。
ブレードランナー 2049:俺が息子だと思ってたけど息子じゃなかった。パパは娘に出会えてよかったね。
スタンド・バイ・ミー:死体探しに行って時折気まぐれに不良に拳銃を突きつけて帰ってきた。
グーニーズ:宝物を探してたら族の仲間と仲良くなって宝も見つかってバンザイ。
オール・ユー・ニード・イズ・キル:なんか繰り返してるうちに攻略法覚えたから楽勝。
ポリスストーリー/レジェンド:この中に犯人がいる、とかやってたら、いた。
カーマ・スートラ:アホの王子が狂乱にふけってると他国に攻め込まれて滅亡。
キッド:俺おとなになったらこうなんのかい。と駄々をこねてどうにかする話。
時計じかけのオレンジ:不良が迷惑を掛けるはなし。
マトリックス:脳内麻薬できぼじいいーーーしてたけど、叩き起こされたので戦う。
オーシャンズ11:潜入しようと思ったので潜入した。
2012 シュガー・ラッシュ(日本のゲームキャラクターが多数登場、日本のゲームからの影響を監督が明言)
2013 マン・オブ・スティール(ドラゴンボールや鉄腕バーディーからの影響を監督が明言)
2014 オール・ユー・ニード・イズ・キル(日本のライトノベルが原作)
2014 ベイマックス(数々の日本アニメからの影響を監督が明言)
2016 ローグ・ワン/スターウォーズストーリー(黒澤映画やAKIRAからの影響を監督が明言)
2018 レディ・プレイヤー1(日本のキャラクターが多数登場)
2018 スパイダーマン: スパイダーバース(宮崎アニメなど多数のアニメからの影響を監督が明言)
2018 パシフィック・リム: アップライジング(監督が代わった続編、日本の特撮やアニメからの影響を監督が明言)
2018 シュガー・ラッシュ:オンライン(続編、日本のゲームキャラクターが多数登場)
2019 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(監督が代わった続編、日本の映画が原作)
2019 アリータ: バトル・エンジェル(日本の漫画が原作)
他にある?
https://note.com/arisan_designer/n/n77e068511f5c
こちら、フォントの歴史の話が珍しくホッテントリまで上がってたんで、まあちょっと嬉しくなったんで。
まあフォントはみんな好きなんで、いろいろブコメつくんだけど、まあ「知ってても何の役に立つんだ」「海外仕事するとき以外無用知識」的な「半端にイキってんじゃねーよ」的コメとか「読みづらい文字死すべし」的「デザインは理論原理主義」、「小林章さんが全て言い尽くしてる」っていう「有識者権威主義」はたまた「〇〇が好きなフォントです!」的「無邪気なフォントLOVER」がそれぞれワイワイいって、「で、どうすりゃいいんだ」ってなかなか意見が出んよね。
まあわっしもそんなに決定版的回答出せるほどの絶対的知識ないんだけど、現場で選んでるときの一例だせれば「ほーん」てなるかなって。
元記事の歴史的な背景知ってるときに、有効な例っていくつかあって
なんかは役に立つよなと。
時代性的なことで、有名な例としてスターウォーズのポスターのフォントとしてTrajanが採用されてたりするんだけど、あれは見た目がトラッドでかっこいい以上に、スターウォーズが年代記的英雄譚、言ったら「サーガ」だから背景的にもバチっとハマってるってのがある。
Trajanは碑文から発見された文字にインスパイアされて作られた文字なんで、言ったら最古のグループのフォント(まあそこをイメージして作られたんだけど)で、伝説にはピッタリよねと。
あと、Frutigerなんかはシャルル・ド・ゴール空港のサイン用書体として開発されたっていう経緯があったりして、デザイナーのアドリアン・フルティガーの作ったフォントはシステマチックなラインナップ展開を考えた作りで、近代性・工業性を表現できる書体かなって思う。
まあでも同じ人が作ったやつでデザイナーがより好きなのはAvenirかなー、円形とか直線とか、かなりジオメトリックなエレメントを持ちつつ、ちゃんと人間が描いた字として読みやすいから、意味と画面の平面構成的美しさがバーンと同時に目と頭にくるんだよね。
和文欧文混植の話は、厳密に000年だから、みたく同時代性に合わせるってより、それぞれのなかで相対的な「トラッド・モダン」のポジションを持ってるものを組み合わせた方がしっくり来るよと。
たとえばA1明朝で、A1についてる英文だともうちょっとニュアンスが足らんよなー、もっと優雅さをだして落ち着きと伝統性出したいよね、なんか欧文フォント組み合わせたいってなったとき、A1明朝ってのは、リュウミンなんかよりより伝統的ムードを強調して作られた書体なんで、時代性として相対的に古いと理解できる。
で、欧文はなにがマッチングするかと言うとローマンの中でも古いやつの決定版のGaramondなんかは合う。
ここら辺は頭で「時代性があう」からだけじゃなく、エレメントとして、和文の場合は漢字とかなの大きさの差や、「ふところ」なんていわれる「田」みたいなエレメントの狭さと、欧文のベースライン・ミーンライン間の幅と、アセンダー・ディセンダーラインの比率を見て、これが大きければ、要はクルっと丸まった部分とシュッと縦に伸びてる部分が差が大きい、「ふところ」の狭い和文フォントと似てるね、ってなって、「あいつら上手くいきそうじゃない?」ってなるわけ。
あと、和文の伝統的なものを意識したフォントは、縦組みに使いやすくなってるので、はらいの方向が斜めだったりして、こう言う斜めのながれは、欧文ではOの字の一番細い部分を縦に結んだ線が垂直か斜めかに対応している。
斜めになってるローマン体は相対的に古く、伝統的で、ここも合わせるときに見所かなー。