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2011-08-05

あらすじ私的連絡用うぷ

「I Have a Dream」・登場人物表

神田 環(かんだ たまき)/カンダータ・マ・キ

…外見年齢15歳。ウテナ星の王子地球人に偽装し、高校に通う。地球風俗に疎く、とんでもない誤解をすることも。三白眼がトレードマーク。背が高い。偽装を解くと耳が尖っている。

シッダルタ王 …外見年齢30歳。環の上司でもある。環と血のつながりはない。アロハグラサンの色男。女にだらしない。

稲葉 つぶら(いなば つぶら) …15歳。大家娘。高校へ通うため、父の持つアパート管理人を兼ねて1人暮らしをしている。初対面の環にも親切。

城島 亜鈴(じょうじま あれい) …15歳。つぶらの親友。環を異様に敵視する。

宮沢(みやざわ) …15歳。環のクラスメイト。不良にパシリにされている。背は小さいがツッコミは鋭い。

小森信慈 …15歳。茶道家元の息子。父が死んでからは茶をたてていない。イケメン

ミッキー …つぶらの飼っているジャンガリアンハムスター。環からネズミと呼ばれる。




「I Have a Dream」・プロット・あらすじ

ウテナ星の王子であるカンダータ・マ・キは、このたび、惑星会議によりウテナ領となった地球の視察のため地球に降り立った。指示された居住地に向かう環。そこは廃墟しか言いようがないオンボロアパートだった。管理人を兼ねる居住者つぶらに挨拶をし、惑星間通信で王に連絡すると高校生として学校に通えという。しかたなく翌朝、学生服に身を包み登校する。偶然にもつぶらと同じクラスと知るが、つぶらの親友だという城島は環を敵視する。さっそくクラス宮沢と仲良くなるが、彼は不良にパシリにされていた。なにげなく鉄柱を飴のように曲げる環を見ておののく不良。つぶらが茶道部であることを知り調査を兼ね見学するが、華道部部員一人しかいない茶道部茶室の使用時間で揉めていることを知る。自らが茶道部新人であると宣言する環。宮沢追随するが正式な部員には足りない。そこで新人探しをする。茶道家元の息子の信慈に目をつけるが断られる。環は信慈をむりやり連れてきて茶をたてる。拙いながらも一所懸命茶をたてる環を見て信慈は茶道部に入ることを了承する。ある日王に、征服せず保護区とするわけにはいかないかと尋ねる環。しかし、この星に知的生命誕生させたのは自分である、また、この星の真の所有者は自分ではなくさらに上位の権力者であり、そのまた更に上位がありまた更に上位があり~誰が本当の所有者かはわからないという。では自分達も誰かに作られたのかと尋ねる環。ある日華部員が現れ、再び茶室を譲れと主張する。そこで環は華道茶道でどちらが優れているか勝負しようと言いだすが、つぶらに「茶道は人と争うものではない」と諭され、つぶらは茶室を明け渡してしまう。憤懣やるかたない環。しか城島能力のある人間にはそれにふさわしい待遇が与えられるべきだと言われ、言い返せなくなってしまう。やがて再び勝負を持ちかける環。つぶらから止められるが、時に相手にモノ申すのも茶の道ではないかと反駁する。第三者に茶道華道を体験してもらい、より素晴らしいほうを選んでもらうという勝負を行う。全てにおいて完璧華道部茶道部ミスを連発する。しか茶道部に軍配が上がる。(環は足の痺れたC子のために茶の席を早く終わらそうとし、それにC子は感じ入ったのだ。環は、素晴らしい席を設ける、客を思いやる、どちらも揃っていることが一番素晴らしいのではないかと語る)後日つぶらにデートを申し込み、遊園地で遊ぶ環とつぶら。宇宙人であることを告白しようとするが、自分が伝えたいのはそんなことではないと気付き、つぶらに告白する環。ふたりはキスをする。だが環は自分痕跡を消すため、友人たちから自分に関する記憶をすべて消し去ってしまう。宇宙船に戻る環。環は王に、この星を征服するべきではなく発展するまでひそかに保護下に置き、やがて対等に交易をするべきだ、と伝える。そして環は、そのときまで1人この星を見守り続けることを誓う。

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110803161104

今時草食系男子(165cm/54kg)が、

黒髪ロングの大和撫子っぽいクラスメイト(155cm/44kg)に恋心を抱いているのに、

いろいろな意味で豪快な↑の友達女子柔道部員(172cm/85kg)にいきなり告白された。

というのはいかがでしょうか。

草食系男子女子柔道部員をなんとも思ってないという前提で。

2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?

中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。

人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。

大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。

現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。

なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20110724223843

小中高大と、いつでも友達いない子は心配だと思うけど

ならなんで友達ができる手助けをしてやらないん?

って思う。

初対面の相手の名前を覚えるゲームとかあるじゃん

あいうのやってもいいし、クラスメイト顔写真見せて、全員の名前を言えるようになるまでテストしてあげてもいい。

4,5人でグループ組んでやって(好きな人同士とか言わないで)、全員が協力して、声をかけあいながらやるような共同作業を課してやってもいい。

入学したての1週間くらい、クラスメイト同士で遊ばせてやるだけで、友達が作れない子供は激減すると思うんだけどな。

2011-07-19

「二人組つくってー」におびえなかった人間オタク自称してはいけない

「寝たフリしてるだけだったりして(クスクス」

「いつもお昼どこで食べてるの?」

友達かいる?」



こんな言葉に心を痛めた経験のない人はオタク自称してはいけない。

きっとそういう事なのだと思う。シロクマ先生が嫌われるのは。

オタク」という言葉をどんなに浄化しようと、「オタク」はやっぱり罵倒語

オタクキモイ」と陰口を叩かれた事がない人間に、オタク面で「オタクでも努力すれば」なんて説教されたら困るのだ。

オタクの多くは、オタク的なアニメ漫画ゲームたまたま好きな普通の人なんかじゃ全然なくて

物心ついた頃には友達ができない事に悩んでいて、クラスメイトに興味が持てない以前に個々人の区別もつかなくて、教室は居心地が悪くて

休み時間が嫌いで、何をしたらいいかからなくて、頭の中でお気に入り漫画キャラをずうっと動かしてたような、そんな子供が成長しちゃった姿なのだと思う。

先天的な障害を抱えていたのか、生育環境のせいか、本人の努力が足りなかっただけなのか、そんなのはからないし色々なパターンがあるだろうけど

物心ついた頃には、遅くとも小学校4年までには、コミュニケーションの障害を自覚していて、一般社会が辛すぎるから、居心地のいいオタク文化に傾倒してしまったのだ。

大学入学まで、一般人として何不自由なく暮らしていたシロクマ先生オタク面されたら本当に困る。

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110718/p1#tb

2011-06-20

不思議なんだけど。彼女は昼食を食べている途中でそう切り出した。不思議なんだけど、最近よく同じ夢を見てしまっているんだ。

へえ。どんな夢なんだろう。私は購買で手に入れたサンドウィッチを飲み下してからそう尋ねてみた。

変な夢なの。彼女は箸を置くと、困ったような悲しんでいるかのような表情を浮かべて力弱く微笑んだ。とっても変な夢でね、いつもいつも、その時間帯に受けなければならない授業に出席できない夢なんだ。

決まって授業に遅刻してしまった場面から始まるのだというその夢は、確かに奇妙で意味深な内容を伴っていた。彼女には寝過ごしてしまったとか、気分が優れなくて少し体調を気にしていたとかいう具体的な理由があるわけでもなく、出し抜けに授業が始まってしまった学校廊下を歩かざるを得なくなってしまっているのだという。

わたしはね、出なければならない授業のノート教科書参考書と筆記用具を腕に抱いて、一人ぽっちのまま、惨めな気持ちでとぼとぼと静かすぎる廊下を歩いているの。恥ずかしさとか後悔は全然ないんだけど、ただひたすらに辛くて苦しくて悲しい気分になってるの。

それはまた面妖な夢だね。相槌を入れると、彼女はまた萎れかけた向日葵のような笑顔を浮かべた。スーちゃんもそう思う? まあ、私なら少なくとも辛くも苦しくも悲しくもならないと思う。そうだよね、どうしてわたしは夢の中でそう思ってるんだろうね。

それは本人にしかからない類の問題だった。答えに一番近いはずの彼女がわからないのだから、私になんてわかるはずがない。黙したまま紙パックのジュースを飲み始めると、でもそれだけじゃないんだよね、と彼女が続きを口にした。

わたしはね、夢の中でまっすぐその時間帯に受けなければならない授業がある教室に向かっているんだ。サボろうとか逃げちゃおうとかいうことを考えもせず、じっとリノリウムの床に眼を落としたまま、脇目もふらずにその教室に向かっているの。それで最終的には目的教室に辿りつけるんだけどね、こう、ドアをスライドさせてね、びくびくしながらも懸命に勇気を振り絞って視線を上げてみると、時間を飛び越してしまったみたいに、その教室ではもう次の授業が始まってしまっているということに気がつくの。英語なら英語化学なら化学。わたしが抱えていたノート教科書とは全く別物の、わたしとは関係の無い別のクラスの授業が開かれてしまっているの。

わたしは夢の中ではこれっぽっちもお呼びじゃないみたいなんだ。そう言って彼女は少しだけ俯いた。追いつけないんだよね。何をしても。何があっても。結局どこにも行けないんだ。搾り出すような声は紛れもなく小さな悲鳴だった。

でも、夢なんでしょ。現実じゃあり得ないことでしょ。私はできるだけ、それがなんでもないことであるかのように口にした。気にすることないよ。気にしないほうがきっといいことであるはずだよ。

でも、この夢、結構堪えるんだ。暗く沈んだ声で彼女は口にする。いつもみんなに置いていかれてしまうんだもの。どれだけ繰り返しても、どれだけ身がつまされそうになっても、わたしが望む空間には絶対に辿りつけないんだもの。それにね、朝起きると、汗がすごいんだ。ベタベタしてて気味が悪いの。

堪ったもんじゃないんだ。彼女は諦め卑屈になってしまった敗北者のごとくいびつに笑った。嘲笑だった。彼女自身はまるで悪くないはずなのに、自分自身のことを嘲り貶して一笑に付したのだった。

しばらく私はなんと返事をしたらいいかからず迷った。励ませばいいのか、同情すればいいのか、あるいは突き放してしまったほうが彼女を思いやることに、優しさになるのかどうか。重たい沈黙が流れこんできて、更に焦ってしまった。残っていたパンを食べきった。ジュースを三度口に含んだけど、あまり味がしなかった。

ちらりと上目遣いに彼女を覗いてみると、箸を手に持って食事を再開していた。動作は緩慢で、なるほど最近妙に元気がなかったのはこの夢があったためなんだと確かな確証でもって納得することができた。

紙パックをじゅこじゅこいわせてジュースを飲みきり、私は一言だけ、大変だねと彼女に話しかけた。顔を上げて、うんと頷いた彼女の表情は、内心どこかほっとしているようだった。

ちょっとだけね。かなり、大変なんだ。そう言って屈託なく砕けた彼女の表情には、今にも崩れ去ってしまいそうな脆い矜持が滲んでいた。

やっぱり、私は何もできない、できるはずがなかったのだ。

その揺るぎない事実をありありと突きつけられて、私は少しだけ鼻の奥がツンとした。

そうなんだ。うん。ま、あまり気にしすぎないことだよ。スーちゃん、それさっきも言ってたよ。そうとしか言い様がないんだから仕方がないよ。ふふ、それもそうかもしれないね

食事を終えて、私は窓際に設置された横に長い業務用のストーブに、彼女はすぐ側の椅子に腰掛けた。私は窓の桟にもたれかかってぼんやりと外の景色を眺めている。ちっとも動かない雲とか誰もいないグラウンドなんかを、頭を空っぽにして見下ろしている。

きっと隣で彼女は、おしゃべりに興じたり忙しなく教室から出入りしているクラスメイトを見ているんだと思う。ちょっとだけ淋しそうな、羨望の色を帯びた眼差しで、彼らのことを見守っているのだろう。

でもね、と言って彼女は夢の話を切り上げる際にちょっとだけ付け足しをした。でもね、もう絶対にどんなに願っても足掻いても辿りつけないのだとするのならね、いっそのことそこに辿りつけなくてもいいような気が、最近はするんだ。どこにも行かないまま、この場所に留まったまま私の時間を過ごしていたほうがいいようなね。何かにつけて、今はみんな早過ぎるんだもの。ついて行けなくたって仕方がないと思わない?

苦笑を浮かべた彼女に、私は何も答えなかった。そんなこと言っていられないよと思いつつも、やんわり苦笑を返しただけだった。

ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めてみる。グラウンドに動くものは見つからず、ぽっかり空の真ん中に浮かんだ雲は動かないままだった。

2011-05-29

高専への進学を考えている中学生とその保護者の方へ

私は某高専卒業したです

昨年、某国立大学の3年次に編入し現在大学4年生です

少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリットデメリット高専に向いている人、向かない人)をまとめました

最後高専入試がどのようなものかも書いておきます

高専への進学を考えている方に少しでも参考になれば幸いです

6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。

高専で学べること

まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校ですですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学したからすぐに数学英語国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります

もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校卒業してすぐの学生高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学からなにか特別なこと(例えばプログラミング電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。

ちなみに私のいた学科情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした

この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります

一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです数学英語国語はもちろん、物理化学生物地理歴史なども学びますしかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです地理歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。

逆に専門科目に直結する数学物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます

高専目的は「5年間でエンジニア養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです

専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。

また高専では専門や高校よりも高度な数学物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます

高専生活

高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的学生が集まっています。

6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがありますしかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的学生、と表現しました。もちろんアニメフィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはな環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽プログラミングサッカーアニメ、工作、麻雀カメラ、銃、ゲームバスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます

またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります男子女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校学科によっては1:1もありえるそうです高専ホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。

クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります

校風は自由で服装などの制限はほとんどありません。

また大半の高専には学生寮があります学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会したり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境した

6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事した。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。

部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます

もちろん体育祭学祭、寮祭などの学校行事もあります

その後の進路

高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです高専から就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人学生希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります

自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)

しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはなようです

さて、進学の方はといますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです

専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます

もうひとつ大学3年次(大学によっては2年次)編入です地元国立大学に編入する人もいますが、東京大学京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生東大京大に送り込んでいるところがあります。(各高専ホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです

6/1追記・普通大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月広島大学を受けて、7月筑波大学を受けて、8月大阪大学を受ける、など)複数の国立大学受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります

メリットデメリット高専に向いている人、向かない人)

メリット

・早くから専門をみっちり勉強でき、技術が身につく

・圧倒的な就職

大学編入も可能勉強次第で難関大学へも編入できる)

個性的学生が集まる

・自由な校風

就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる

高専卒は優秀、という一定の社会的評価がある(らしい

(6/1追記・編入試験で複数の大学受験できる)

デメリット

・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い

留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない

大卒とは昇進や昇給の面で待遇が異なる

女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます

・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです

普通高校が羨ましくなる

大学1、2生が羨ましくなる

高専に向いている人、向かない人

これまでの説明で高専いか普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます

高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました

しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます

高専入学するには

当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。

まず、高専への入学方法は推薦と学力試験の2つがあります

推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。

中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。

学力試験過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。

さいごに

中学生に戻れるなら、また高専に入りたい?」

こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。

中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください高専の雰囲気がよくわかると思います。

繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください


では、最後まで長文にお付き合いいただきありがとうごいました

2011-04-23

牛頭さんの中学時代

中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。

彼女言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないでしいと思った。知るのが怖かったのだ。

教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタート悪魔がせせら笑った気がした

はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。

昨日まで楽しかった学校拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。

私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期少年少女ありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。

無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。

2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものはない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。

私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。

血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界から情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。

無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活けが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。

オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このとき絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。

家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。

「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した

私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。

突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。

恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日目標ができて私は嬉しかった。

それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通ことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。

3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイト不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。

3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。

年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。

合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。

私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情ダムは決壊した

気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。

その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。

卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトアルバムに寄せ書きをした写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。

下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした

「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後最後味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした

帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい

2011-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20110419201013

http://anond.hatelabo.jp/20110419201917

はぁ?お前が見たことないからどうだってんだ?

たまたま自分の観測範囲になかっただけで架空存在たいな扱いしてんじゃねえよボケ

普通に小学生が履いとるわ

直接肉眼で見た例だけでも少なくとも四~五回あるから間違いない

ちなみに一番見る機会が多かったクラスメイトのその子のあだ名は「馬ヅラ」だったが

いやそれはどうでもいい

とにかくお前が見たことあろうがあるまいが二十年以上前から普通に存在してんだよボケ

何?萌え記号としての成立過程?知らん!他の奴に聞け

俺は90年代ぎりぎりまでNIFTY-SERVE見てたがFGALAGにもFQLDにもそんな流れがあった記憶はないぞ

HDDを漁る限りでは2001年にimg######.jpgたい名前で保存されたしまぱん群が何個かあって、群で発掘できたものとしてはこれが手元における最古

(中身はイラストとかアニメキャプチャかばらばらなので、無断転載系のぱんつ収集スレと思われる。ちなみに2000年にはお絵かき板も無断転載板も両方定着している)

見た感じ2002年から急減に新作しまぱん画像が増え始めるので、怪しむとした2001年を中心に前後一年といったあたりだろう

記憶ではこの時期伺か界隈のどこかでしまぱん談義を読んだような気がしているのだが記憶曖昧なので明言は避けたい

ただし2001年夏に伺か系絵板でぱんつ祭りが起きていることは明らかであり、ここにはしまぱんも複数含まれている

ボケ

2011-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20110418102038

だが、そこは問題じゃない。

成人前の行いってのは、「あのころやんちゃした」みたいな扱いにする奴が多い。

だがな、今のそいつらを作ったのは、他でもないガキの頃のやんちゃだよ。

他人を貶めることで得た根拠のない自信やら、他人を哂うことで得た社会性、そういったもので生活してるんだ。

そういうクソまみれな奴なのにな、自分らが貶めたやつを他人事のように批判するんだよ。

コミュ障害だっけか?

引きこもりだっけか?

社会問題なんだって

社会クズから保護する必要ないってか。

誰がそのクズ生産したんだよ。

お前らゴミ生産したんだよ。

お前らが寄ってたかってクラスメイトを晒し上げて、コミュ障害にしたんだろが。


そういう、自分たちの行いを顧みることができないゴミがな、「あのころやんちゃしたしめいわくもかけた」とかヌカスの見ると吐き気がするんだよ。

あのころ」じゃねぇよ、現在進行形ゴミだろがよ。

許すとか許さないとかじゃないんだよ。

自分がどれだけゴミだったか、他人の人生を潰すってことがどれだけひどい事か、パワハラ挙句リストラされて初めて気づいたゴミを知ってるよ。

大抵は、自分が同じ目に合わないと気付かないんだよ。


別人になってるとか、身内には優しいとか、そういうのは人間性の評価には何も影響しない。

ゴミゴミのまま、「おれはなかまだけはうらぎらない」とか言うようなもんだ。

あほしい

2011-03-09

就活で横行する嘘

大学3年就活中。

大手に内定をもらい、現在もいくつも最終選考まで進んでいるクラスメイトの話。

彼は、面接で『サークル長』『ゼミ長』の2つの真っ赤なウソ

巧みに使い選考を進めている。

正直、真面目にやってる人間がバカみたいだ。

そんな嘘すら見抜けない企業の人事は、いったい何をしているんだろう。

ちなみに、彼はイケメンです

これが、現実なの?

2011-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20110301141300

都下の小学校に4年までいて、引っ越し埼玉へ行った。

都内まで30分とかそのくらいのところなので、それほど田舎でもない。

都内では公立の小学校。1学年100人くらいだからみんな顔見知り。

その中で、飛びぬけて上でも下でもない、ごく普通の人だった。

テストをやれば大抵100点、でもクラスの3割くらいはそう。

それがあたりまえだったから、実は違うって知らなかった。

埼玉でびっくりしたテストの平均点が20点は違う。

テストの難易度のせいかとも思ったけれども、逆に東京のほうが難しかったと思う。

で、できなくてもぜんぜん平気。30点のテストを平気で人に見せる。

勉強ができるとガリ勉死語)だと馬鹿にされる。

毎日めちゃくちゃ走らされる。午前中の中休みに2km+その他の休み時間に1kmがノルマ

未消化分は累積していく。たくさん走る奴=カッコイイ。毎日7kmとかどこの野生児だよ。

都内の高校へ行った子が言っていた。

「私は下から1割くらいの成績だったけど、クラスメイト東京の子は学年ビリだったって。

 それで同じ高校に入ったってことは、私も東京にいたら底辺だったんだね……」

http://anond.hatelabo.jp/20110302152800

高校の時、夏休み中に和歌山毒カレー事件があった。

休み明けに友人とその話題で盛り上がった。

俺「和歌山の事件さ、亜ヒ酸を混入させたから発覚したけど、混入させたのがO-157だったら単なる食中毒と思われて終わったんじゃない?」

友人1「O-157が湧くのが自然な状況かどうかにもよるだろ、カレーならサルモネラとかの方が……」

友人2「いや、サルモネラは毒性が…云々」

クラスメイト「お前ら、アブない話をするなよ」

2011-02-26

父親と祖母の事を思い出す

言われたことを思い出す

土下座しろ」「低脳」「人間クズ」「出て行け」

そんな言葉しか思い出せない

すぐに殴る蹴るだ

ループする

俺が動けなくなるまで

怪我もした火傷もした

ろくな治療うけられなかった

近所の人に何度か助けられた、ごはんも食べさせてもらった

母親はおびえるかヒスを起こして喚いているだけだった

くちごたえなんてしたことがなかった

暴力があまりにも怖かったからだ

クラスメイトそいつの親に意見しているのを見たときショックだった

親にモノ言ってもよかったのかって

高校生になり、父親が寝てから深夜に帰宅するようになったが

何も言われなかった

なんだったんだよ、一体

家にいる時間が減る

寝るときだけ家に帰る毎日

高校卒業して、地元を出てすぐ働いた

高校進学にかかった金を返す

からの貸りを徹底的に返したかった

親との関係をなくしたかった

俺は順調にコミュ障になった

話すのも聞くのも空気を読むのも人がたくさんいる所にいるのも未だに苦手だ

隣で肩の高さに手をあげられると、反射的に身構えてしま

10年経っても、15年経っても治らない

人が視野の隅で動くたびにビクッとしてしま

感情が顔に出せない

人の感情を読めない

何を言っても棒読み

常に何かを警戒してる

怯えてる

人が怖い

進学にかかった金を返し終わっても毎月振り込んでいた

文句は言わせない

手切れ金だ

電話もかけてこないが毎月振り込んでいた

親はもうけと思っていたのかもしれない

25の時だったか、親から電話がきた

なくもできなくてごめんなさいと

だんだん俺のことが怖くなったのだと

それに傷跡や後遺症を治すならいくらでも金を出すと

ゆるしてくれと

かばしい、そんな金もいらないし傷も消したくない

嫁入り前の娘でもなし、そんなことに意味があると思えない

かばかしくなった、金を振り込む頻度も少なくなった

ゆるしてくれって元々憎んでもいない

ただ怖かっただけだ

子供時代の補完なんてできるわけがない

詫びなんて聞きたくないんだ

俺の今の仕事を聞いてくれ

彼女の話を訊いてくれ

俺にあやまらいでくれ

当たり前の話を訊いてくれ

からするのは怖いんだ

2011-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20110115201750

「A君は頭が良すぎてクラスで浮いてるから、周りの馬鹿クラスメイトたちに合わせましょう」ってことだよね?

 

A君は理系クラスなのに国語社会が大得意。

それは素晴らしいですが、肝心の数学が平凡。

周りのクラスメイト国語社会が苦手です

それは、そもそも主目的じゃ無いんです

なんでA君が頭良すぎる扱いになってるんです?

 

っていう話じゃない?

電話機のくせに通話以外のとこばっかり過剰に発達してるのが特異なんでしょ?

ガラケー批判ってつまり、

「A君は頭が良すぎてクラスで浮いてるから、周りの馬鹿クラスメイトたちに合わせましょう」ってことだよね?

2010-12-19

死にたいって君が言ったから。

高校生の頃書いた遺書を、未だに宝物のように持っている。

僕をいじめていたクラスメイト名前や、僕を阻害していた教師の名前や、その当時お世話になったネットの人のハンドルネームが書かれている。読み返すと、当時のグチャグチャした嘔吐のような感情が蘇ってきて、今でも頭の中が真っ白になってしまいそうになる。

あれから十年。

僕の『死にたい』という気持ちは未だに続いている。当時よりももっと複雑化、多様化したそれは、日々自分の中の「これでちゃんと生きられるかもしれない」という希望の芽を簡単に食いちぎっていく。生きているという実感なんて、とうの昔に無くなってしまった。

それでも。

それでも、あの頃よりは、自分を誇れるようになったよ。未だに僕の心は脆弱で崩れやすいけれど、それでも日々をちゃんと飲み込めるようになった。時々ちゃんと飲み込めなくて、むせて、こぼしてしまうけれど。

いつか僕の『死にたい』が報われるといいな。それを信じて、僕は今日も生きるのさ。

心情を吐露したくなったので。ごめんなさい。

2010-12-03

何のために勉強してますか。

高校生最後テストが終わったということで、

記念に日記を書いてみます

あなたは、何のために勉強していますか。

教養を増やすためですか。

将来の夢を叶えるためですか。

ただ、なんとなくですか。

私は義務教育から今に至るまで、

ずっと「自分を守るため」に勉強してきました

教養なんて身についてません。

夢なんてありません。

小学校は、親に怒られないように勉強しました

いい子を演じるために。

「何で勉強してないのに点数取れるの?」と言われるのが好きでした

親が喜ぶ顔が好きでした

中学受験を迎えた年、

「落ちて周囲の人に迷惑をかけたくない」という理由から、

レベルを落とした学校を目指しました

教科書の本文を丸暗記する単純作業だったので、

中間期末テストはいつも首位でした

そんな勉強した結果、高校には首位で合格しました

高校では、首位を守るために勉強しました

クラスメイトからは「頭が良い」と認識され、

勉強でわからないことがあれば私に聞いてきました

私はその時、とても嬉しかったのです

検定に合格すると先生が喜んでくれるので、

必死になって勉強しました

そして何よりも親が喜んでくれました

高校二年になって、とうとう首位から陥落してしまいました

どんどん検定にも受かりにくくなっていきました

親は悲しみ、やればできる子だからと励ましました

先生は私に目もくれず、成績の良い生徒に話しかけるようになりました

この頃の私は、勉強の仕方がわからなくなっていたのです

教科書本文だけを丸暗記する勉強方法は、

高校では通用しなかったのです

勉強では一番という自己の拠り所を失った時、私は気づきました

私から勉強を引けば、何も残らない。

二位に陥落した結果、クラスメイトは気を遣ってか、

「頭が良い」とは言わなくなりました

私の存在価値勉強できることだけなんだと改めて自覚しました

独り歩きする私の姿を、止まっている私は眺めることしかできませんでした

走っても走っても追いつくことができず、

愛想笑いを浮かべることしかできませんでした

私って、何のために勉強しているんだろう。

そう考えたのは、高校三年になってからでした

振り返ってみれば、私は自分を守るためだけに勉強をしていました

だから教養も、夢も、何も無いのです

私はこれから大学に入学しても、

他人のご機嫌取りのために勉強をするのでしょうか。

またしても自己防衛をするのでしょうか。

勉強することが、怖くなりました

2010-11-23

小学校の思い出

ぼくは学校がすきです。ともだちがいるし給食もおいしいのでたのしいです。でもひとつだけいやなことがあります。それはいじめです。

ぼくはいじめられたことはありませんが、3年生のとき、ともだちのたかはしくんがいじめられましたたかはしくんは学校に来なくなりました。ぼくはいまでも遊ぶけど、たかはしくんはがっこうの話をするとかなしそうな顔をします。だからぼくはいじめがきらいです。

4年生のとき、クラスメイトのおかだくんがいじめられていました。ぼくはいじめをやめさせようとしました。でもどうすることもできませんでした。いじめっ子のいわたくんに話しかけても話を聞いてもらえません。おまえもいじめてやるぞと言われるだけです。いじめを知っているクラスメイトに話しかけても同じでした。自分いじめは好きじゃないんだけど、つぎに自分いじめられるのが怖いから知らんぷりしなきゃいけないんだと言われました

おかだくんも学校にこなくなりましたいじめがはじまってから止めるのはむずかしいとぼくはわかったので、つぎのいじめられっ子が決まるまえになんとかしなくちゃと思いました。そんなとき社会の授業で国連のことを習いました。これだ!と思ったぼくはさっそくクラスメイトを説得しにまわりました

クラスメイトを説得してまわってから1ヶ月後。いじめっ子のいわたくんはまた誰かをいじめようとして、ターゲットをさがしはじめました。そしていわたくんは、ながたくんをいじめはじめました。でも今度はいままでとちがっていました。いわたくんがながたくんをいじめると、いわたくんの教科書ランドセルがかくされたり、いわたくんのつくえ落書きされるようになりました。やったやつだれだよ。おまえか。おまえか。いわたくんはまわりのクラスメイトにどなりました。でもみんな知らんぷりです。みんなもだれがやったのかなんて知らないんですから。

ぼくがみんなに説得したのはこういう内容です。みんなもいじめがきらいなら誰かがいじめられたらいじめっ子に仕返しをしようよ。それにこれに入れば自分いじめられたとき、みんながきみを助けてくれるんだよ。やることはかんたん。ぼくが今度、いじめ同盟に入ってるクラスメイトリストを持ってくるから、その子がいじめられたらいじめっ子に仕返しをするだけ。仕返しといっても本人にちょくせつやるわけじゃないか大丈夫だよ。本人がいないときにこっそりひとりでやるんだ。あとぼくに何か相談があるときもひとりっきりできてね。

みんな半信半ぎだったし、なかに同盟に入らないでようすを見るだけのクラスメイトもいたけど、いじめっ子のいわたくんがいじめられるようすを見てからは、じぶんも同盟にいれてもらおうといそいでやってきました同盟に入っていればみんながまもってくれるけど、同盟に入ってなければだれもまもってくれないのが、よくわかってたからです。

いわたくんは学校にこなくなりました。まずはじめに教科書をかくしたのはぼくだけど、それ以外のことは知りません。半信半ぎだった同盟が本当に実行されているのをみて、みんなすすんでいじめるようになりましたランドセルカッターでぼろぼろにしたり、机にマジックでわるぐち書いたり、体操服をトイレのべんきにつけこんだり。あのつよいいじめっ子自分の手でいじめることができるのがみんな楽しいようでした。

それからはいじめはありません。いじめっ子もいなくなりました。いたのは、こんなすばらしい同盟のわるぐちをいったわるいクラスメイトだけです。いじめかどうかを決めるのは同盟をつくったぼくです。みんなぼくにいじめかどうかを聞いてきます最初にきめたように相談するときもみんなひとりです。だから他のクラスメイトと一緒にぼくのわるぐちをいってたわるいクラスメイトもすぐにわかりました。そしてわるいクラスメイト学校にこなくなりましたいじめっ子も、わるいクラスメイトもいなくなって、クラス平和になりました。これがぼくの小学校の思い出です。

2010-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20101118133435

件の事件は、報道されている内容の限りでは「その程度で自殺するの?」と言う感想を抱いた。正直。

同様に、

「それだけじゃないだろ

自殺までしているんだから」という感想を抱いたよ。

学校認識しているのがあれだけでした。

・それだけで自殺しちゃいました。

って情報操作しているんじゃないのか?

なんの理由も前段階もなく、いきなり一人給食させるクラスメイトも充分おかしいと思うわ。

(ある意味、段階的ないじめをしていたよりも悪質な気もするし)

http://anond.hatelabo.jp/20101118115544

苛めが起こらないクラスはたしかにある。

苛めっ子

その取り巻き

苛められやすいタイプの子

求心力のない教師

いくつか揃わないと深刻ないじめは起こりにくいのではないだろうか。

あと、二面性。

小学校中学年くらいから子供によってだが、

裏表がはっきりする子が出てくる。

成長のひとつだし、多少は必要なことなのだろうが、

親や先生の前ではおしとやかで挨拶もできるのに

友達には嘘つきで暴言を吐く

みたいな子が子供クラスメイトにいて恐い。

2010-10-28

いいんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20101028151341

あたしは親にいじめられてて、でも、食わせてもらってるから逆らえなくって。クラスメイトはどんなに頑張っても、あたしからご飯を取り上げることは出来ないから、どうでもよかったんだよ。親にいじめられること考えれば、くだらねーことばっかりさ。逆らうとひどくなるから、調子合わせて嫌がってるふりしてただけだよ。ぜんぜん、こたえてなかったから気にすんな。

あ「助けてくれてありがとう」って年賀状、ありがとう。返事出さなくてごめんな。

2010-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20101025122856

「からかっただけ」とか「いじってあげていた」と言うのは、典型的イジメ形態

「退学」まで行くのだから、相手(いじめの対象以外にも、クラスメイトや教師を含む)は相当なストレスを感じていたはず。

仮に100%子供を信じるとしても、そういう相手の思いを確認せずに、「良かれ」と思って押し付けるのだってイジメやら嫌がらせになる。


文面に小なりとも子供がかけた迷惑への考えが載ってない辺り、「お察し」ではなかろか。

2010-10-24

RPGツクールの思い出

小学生のころ、『RPGツクール スーパーダンテ』というスーパーファミコンソフトを買った。

まぁいまさら説明不要だと思うけど、簡単にRPGが作れちゃうソフトだ。

だけど、実際はそんなに完璧じゃなかった。

結構プログラミング的な部分があるし、スイッチの切り替えをちゃんと

管理しておかないと、ループして動かなくなる。

それでも何とか兄貴と二人で一生懸命作ったなぁ。

自宅で寝てる俺と兄貴自分の家からスタートするんだけど、

家の中に宝箱があって、その中に5000Gが入ってて。

それを取るとお母さんが「あんたたち!」って言いながら敵として襲い掛かってくるんだ。

グラフィックドラゴンでさえ、ラスボスよりも強そうなんだ。で、絶対死ぬ。

だから宝箱は絶対に取れない。こういうの仕掛けておくのもいいなと当時は思ってた。

で、友達を仲間にして学校に向かうんだけど、学校が異空間とつながってて。

まぁ、マップランダムに配置しただけなんだけど、結構カオスな感じに仕上がってて。

嫌いな先生クラスメイトは敵キャラにしたから、友達とプレイしたときは

なかなか受けがよかったよ。

でも敵キャラとして登場したクラスメイトの一人がその話を聞いて

「何で俺が敵キャラなんだ!」って殴り合いになったこともあったなぁ。

で、学校に向かって、そこで唐突に飽きちゃって。

結局いきなりラスボス校長を出して、「俺たちは、世界を守る!」みたいな感じで

戦ってエンディングが流れて終わったけどね。

何か楽しかったなぁ。

2010-09-03

フリーターがどうこうとか

ネットの主流って、ニートとか、よくてフリーターなのか?

ネタだろ、ネタ

だって、そんなにニートばかりのはずが無い。ニートなんてコミュ力不全だから、ネット世界でさえコミュニティに入るはずがない。

フリーターって、ボーダーがなるもんだろ。

将来を見越したらフリーターなんて絶対に出来ない。

フリーターをやるにしても、その間に人脈作ったり資格を取ったり技能を身に付けたりして、フリーターから抜け出す何かを身につけてるはずだ。

誰も頼れない、だけど何も手を打たなかった、寂しいかわいそう、なんて人種がこの日本に1%もいるわけがない。

貴方のクラスメイトに、そんなヤツの予備軍みたいなのっていたか?

ネタなんだよ、ネタ

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