はてなキーワード: クラスメイトとは
「ある弱小野球部が、甲子園を目指すことになる。上手い選手はピッチャー1人だけ。残りの選手は一見カスだが、ある者は家が金持ちなので、練習場所や特注のバットを提供する。ある者は実はコンピュータの天才で、パソコンで戦術をシミュレーションする。ある者は心理戦に長けていて大人たちを懐柔する。陸上部からの助っ人は、まともに打てないが駆け足だけはべらぼうに早く、非現実的な盗塁をやってのける。そんな感じで全員が協力し、見事県大会で優勝する」
上の話は今適当に考えたものだが、強烈な既視感を覚えないだろうか。恐らくこのような物語は過去、何十作品、何百作品、下手すると何千作品と存在する。「それぞれがそれぞれのポジションで頑張って目標を成し遂げる」話は、超王道なのだ。
サマーウォーズも例に違わず、この王道パターンを踏襲した話である。ある者は数学で、ある者は花札で、ある者は格ゲーの腕で戦って敵を倒す話である。なので、全体の骨格について批判するのは賢いとは言えない。サマーウォーズの骨格を否定するならば、スポーツ漫画、バトル漫画の過半数も否定しなければダメだ。
では次に検討の対象になるのは、肉付けの部分だ。サマーウォーズの肉付けの特徴は、次の2点である。
1は今日既に珍しいものではない。マトリックス以降、サーバーパンクはもはや王道ジャンルの1つである。
2はどうだろう。実はこれ、珍しいんじゃないだろうか。ほとんどの協力バトル物語では、仲間は部活のメンバーだったり、クラスメイトだったり、軍隊や会社の一部門であったりする。「田舎の大家族」設定は、サマーウォーズ独自のものと言って良いだろう。
では、この設定は本作において生かされているだろうか。答えはYESだ。「部活メンバー」や「クラスメイト」設定に比べて、年齢も職業も違う家族のほうが能力のバリエーションがつけやすい。より多角的な戦い方が出来る。その分散漫に鳴りやすいという欠点はあるものの、試みは一応成功している。
というわけで、僕のサマーウォーズの評価は、「協力バトルものという王道の物語を、田舎の大家族という設定で味付けした、無難で普通に面白いアニメ」である。特別斬新な試みがあるわけではないが、disる要素もない。
サマーウォーズを楽しんで観ている層は、情弱でもないしオタクでもない。普通に面白い作品を普通に面白がりたいという、ごく普通の人たちである。叩いている層は、このアニメにエヴァのような何かを求めていたのではないだろうか。それは完全にお門違いである。サマーウォーズはエヴァではなく、むしろドラえもんである。
小学校でもいじめはあったんだけど、グループのリーダーだったワガママな子が下剋上にあってシカトされるようになり…といったある意味自業自得なもので、
いじめられる方もタフなのでしばらくすると復権したりなんかして、まあ放っておいてもまずいことにならないようないじめだった。
あとから考えるといじめじゃなくて、あれは強いもの同士のケンカだったんだね。
でも中1の頃にターゲットにされたのは、わがままな振る舞いなど一切しない地味な子だった。
すごく痩せていて存在感が薄く、滅多に喋らず、たまに喋っても歯並びや顎に難があるのか、何を言っているのか聞き取りづらい子だった。
その子はまずリア充系の男子に目をつけられ、ひどいあだ名をつけられ、授業中に消しゴムを投げつけられたりしていた。
それをリア充系の女子も面白がるようになり、リア充系の男子はリア充系の女子の関心をひくために、さらにいじめをエスカレートさせた。
私は発言力も権力もない存在で、正義ぶったことを言ってその子をかばえば自分がいじめられる立場だった。
だから怖くて何もすることができず、遠くから見ているだけだった。
結局その子は中1の冬に不登校になった。
それからしばらくしてクラスメイトと話しているときに、不登校になった子の話になった。
一人の男子が「だってあいつクセーもん」と、すごく楽しそうに嬉しそうに笑いながら言った。
私は一瞬でカッとなって、反射的に「あんたの方が臭いくせに人のこと言える立場?」と言ってしまった。
でも私は畳みかけるように「自分のこと見えてない奴ってウザいよね」と周囲に同意を求めるようなことを言い、皆黙り込んだ。
リア充系の男子がいくら不登校の子をいじめても、怖くて黙ってみていた私。
でもオタク系の男子が適当な侮蔑の言葉を口にした瞬間、憎悪に近い感情が噴出して、反射のように攻撃していた。
私もルックスで序列つけてた。
いじめる資格のある人間と、いじめる資格のない人間を、ルックスで分けてた。
イケメンブサメン関わらず男はブスが嫌いだし、可愛いブス関わらず女はブサメンが嫌い。
イケメングループがブスをいじめるのを見て、ブサメンやギャルは面白がる。
容姿が悪い人に味方なんて居ないのだ。
さいわい私は友達グループに最大2週間シカトされるくらいが関の山で、たいしたイジメを受けずに生きてこられたけど、
自分の娘がブスに生まれたら、息子がブサメンに生まれたら、と思うととても怖い。
昨日のビューティーコロシアムで、出演した女性の母親が「きれいに産んであげられなくてごめんね」と言ったという話が出てきた。
こんな台詞、言いたくない。
きれいに、産みたい。
ひどいいじめを受けたり、それがもとで不登校になったり、恋人がずっと出来なくて苦しんだり…そんな経験をしないで、
幸せに生きて欲しい。
小学校の頃からいじめにあっていたが、その頃から疑問に思っていたのが面識のない人間からもいじめられたことだった
クラスメイトにいじめられるのはわかる、性格に問題があるからだと理解は出来る
ただ、面識のない人間から一方的にいじめられるのは納得がいかなかった
社会に出てからも人が嫌がる仕事を押し付けられることが多かった
友人の勧めで入社した会社も、わずか3ヶ月で夜勤で休憩無し一人勤務というおかしな職場に異動させられた
体を壊し、上司から言われたのは自己都合で退職してくれとの言葉
挙句の果てには、ハローワークの就労支援員に、ノルマ達成の為か勝手に紹介状を発行される始末
相手の反応を気にしてしまう余り、貧乏くじを引いてしまう
聞き上手と言われた事があるが、こちらが強く断れないのをいい事に、無理難題を押し付けてくる人間には嫌気がさしてきた
「こいつは何も言い返さないから好き勝手できる」
小学生の頃、面識のない他のクラスの子も、労働基準違反の職場に移動させた上司も、そういう考えで僕に接触してきたのだろう
テーマから外れたものはおろそかにせざるを得ない
ここについてはちょっと違っていて、テーマから外れたものを導入し辛い、になるのかな。
例えば自宅に家族を描写する場合やら、クラスメイトとの交流を描く場合、上手くやらないとラブコメなんかのアプローチはとても不自然になる。
学校内で男女がかなりの親密さ(友人風ではなく)で存在した場合の周りの反応とか想像してみれば、あの箱庭がどれだけ不自然かわかる。
ただまぁそれは、創作と言う枠の中で不自然さの度合いが、よりファンタジーに近いと言うだけで、大抵の創作物は表現テーマを優先するために矛盾や不自然さを抱え込む事になる。
そんなものにケチを付け始めるってのは、大人になるための第一段階ではなかろうか。
宇宙空間で爆発音がするのはおかしいとか、殴って相手を貫ける拳のアクチュエータってどんなテクノロジーだよとか。
成長に伴い、そうした不自然さをそれはそれで楽しめるようになってくる、だから生暖かく見守るのが吉。
「死ぬほど英語」第三弾。
第一弾: http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
第二弾: http://anond.hatelabo.jp/20100621000447
あ、ちなみに俺増田でこれ以外は書いてないです。
ブコメとトラバを見渡していて、やっぱりもう一度書き足しておくことに意味あるな、と思ったので。コミュニケーションって難しいよねー日本語ですら。
ブコメの伸び方を見て、やっぱり日本人には英語ってオオゴトなんだなあ、と痛感する。しかし俺はそのオオゴトっぷりが正に問題であると思っている。もっとどうでも良くなればいい。「死ぬほどキヴンジョ語を勉強してきたからわかる、キヴンジョ語学習の限界」というエントリぐらいの扱われかたがいい。そうなったら、英語で不幸になる人がずっと減るはずだ。俺は日本人の英語力向上とか心底どうでもいい。だけど日本から英語で不幸になる人がいなくなるといいと思っている。
結局のところ、俺が叫びたいのは、で自分の学生には実際に叫んでるんだけど、まあそれは何かというと、「自分の英語力にプライドを乗せるのはやめなさい」ってことになるんだと思った。「自分は英語ができない」ことを自尊心に対する脅威と受け取って萎縮したり反発したりするのも、「自分は英語ができる」と鼻高々に吹き上がるのも、どっちも誰かを不幸にする(そしてその二つは大抵表裏一体だったりする)。俺のTOEICは600点あいつは900点とかうだうだやってたって、ネイティブに対しては所詮フリーザの前の地球人だ。そしてその意味では、死ぬほど英語を勉強してきた俺だって変わらないんですよ、ということなんだ。
で、自分で書いたときは全然意識して無かったんだけど、俺が例として挙げた、「指導教官に英語表現を直された」「学部生にあいつの英語はだめだと言われた」。沢山の人が、これを「苦杯」もしくは「挫折」の例として受け取ったようだ。「俺はこんなに英語を勉強してきたのにこんなに出来ないことがあった!俺の努力は報われなかった!」という愚痴を引っ張る枕詞としての例。
自分の文章を読み返すと確かにそういう取り方もできるなあ、と思った。でも実際は全然そんなことないのだ。例の出来事が起きたとき、まず頭に浮かんだのは、「うっわーアメリカ来てよかったー」という安堵感だった。日本にいたら多分こういう指摘をされることは無かっただろう。アメリカ来て、自分では見えていなかった自分の英語力の実態が分かって、これからはそれに合わせて対策をとることができる。よかったなーホント来てよかった。そんな感じ。落ち込む要素は全然ない。
考えてみたら俺は、自分の英語力に全く思い入れがない。XBOX360の実績ポイントって知ってる?XBOXのゲームには、「実績」という要素があって、例えばあるゲームであるボスを倒すとXXポイント、という風にポイントが獲得できる。そのポイントは各ゲームとは独立にハードウェアに記録されて、色々ゲームを遊んでいくうちにどんどん増えていく。XBOXを起動して自分のアカウントでサインインすれば、今までの実績ポイントの累積が表示される。現在5480ポイント、とか。
俺にとって英語力は、実績ポイントみたいなものだ。そりゃまあ増えればそれなりにうれしいけれども、別にポイントを増やすためにゲームをやってるのではない。面白いと思うゲームを楽しんでやってたら勝手に溜まっていく。自分の実績ポイントを人に自慢するとか、他人の実績ポイントを見て一喜一憂したりとか、そういうことには何ら興味がわかない。俺のポイントは俺のポイントで、こないだよりは多少増えている。それだけ。
で、そういうわけで俺は、これまでの人生で自分の英語力に誇りを感じたことも、苦い思いを味わったこともないんだよね。うーん、それでも大学合格した時はちょっと誇らしかったかなあ。地元では周りにやたら持ち上げられたし。でも入学してみたら、同級生には帰国子女がわんさかいた。そもそもお前らもう英語なんか勉強しなくていいだろ、って連中ですよ。誇ってる暇なんか全然なくて、むしろ「クラスメイトからも英語を教われる」ことがすごく嬉しかった記憶がある。だっておっさんネイティブ教師より、かわいいバイリンガル女子に聞いた方が楽しいじゃないですか。授業でわかんなかったとこを丁寧に教えてくれた女子に告白して玉砕したのは、まあ苦い思い出と言えなくもない。
真実として、英語は、英語だ。「たかが」でも「されど」でもない。「英語なんか」でも「英語こそ」でもない。英語。自然言語の一つ。英語。「死ぬほど英語を勉強してもネイティブ並にならなかった」という事例には、俺にとっては何のドラマ性もない。ただ「そうだった」だけである。そうだったからにはどうすればいいのか考えればいいだけである。そこに苦いドラマを見いださずにはいられない人がいたら、その人はたぶん英語をオオゴトにしすぎている。
たまごっちブームのとき、みんなたまごっちを買ってもらえたのに、私だけ買ってもらえなかった。
皆たまごっちの話ばかりしていて、話題についていけなかった。
バトエンブームのとき、やっぱり私だけ買ってもらえなかった。
皆がバトエンに夢中になっているとき、気をひきたくて、「すべらない話」のような小噺をした。
それなりにウケて人気者になった。
テレビで情報収集して、モノが必要ない遊びを知り、クラスで流行らせたりもした。
中学を卒業する頃、皆携帯を買ってもらった。わかってはいたが、私だけ買ってもらえなかった。
はじめは面倒ながらもわざわざ遊びに誘ってくれた中学時代の友達も、だんだん誘ってくれなくなった。
高校のクラスの打ち上げの連絡も、携帯を持っている皆にはメールで連絡が行き、私にはわざわざメモで渡された。
幹事に手間をかけさせてるなと思った。
四六時中、憂鬱だった。
クラスメイトがゴンゾーとかいう着メロサイトの話をしていた。どうでもよかった。
立ち位置を築くことが面倒くさくなっていった。
就職して、モンハンが流行った。モンハンの話題だらけになった。
金と時間はあったが、合わせるためにやる気がしなかった。
今、職場ではiPhoneが流行っている。iPhoneの話題だらけになっている。
面倒くさい。買う気がしない。
他の話題で気をひこうとも思えない。
私の友達はゼロになった。
行動力に溢れていて尚且つ喋りが面白いという、
そして俺のようなクズにも屈託無く話しかけてくれるという人格者で、
眼の輝きからして俺みたいな底辺とは比べ物にならない、
そんな同級生に久しぶりに会った。
別人かと思うぐらいに変わっていた。
頭髪は手入れが全くされておらず、髭は生えるままに任せ、
腹は前に突き出し、手足の肌はやけに白く、服装はよれよれのスウェット。
かつてクラスメイトを楽しませるジョークを連発していた口からは、
排泄物のような臭いが漂っていた。
快活な雰囲気は完全に失われていて、代わりに周囲を陰鬱にさせるような気配を纏っていた。
何よりも眼が違う。
あの気力が充溢し、本当に輝きを発しているかのように思えたあの眼。
実家に帰省し、お使いを頼まれて訪れた先のスーパーで偶然見かけたのだ。
俺は信じられない思いだった。あの彼が? 嘘だろ、と思った。
確かめるべく近づくと饐えた汗の臭いが鼻をついた。何日も風呂に入っていない臭いだ。
名前を呼んで、話しかけた。
びくんと身体が過剰に反応し、ばっと振り向いた。その途端に、荒い息が口臭を伴って俺の鼻に届いた。一歩引いてしまう酷い臭い。
再度声をかけると、彼も俺が分かったようだ。
そして「それじゃ」と言って小走りで去ってしまった。
長い髪が背中で左右に揺れているのを眺めながら、俺を呆然と彼を見送った。
あれが、あの彼? あんな風な人間になれたらなぁと羨望と時には嫉妬を抱きながら憧れたクラスメイト?
何があったのかは分からない。学校を卒業した後では連絡などとっていなかったからだ。
でもなんとなく、クラスの階級ピラミッドの上の方にいた連中はその後もそれなりに上手くやっているものだと思っていた。
自分のような底辺を這いずり回るゴミ虫とは比較にならない輝かしい人生を歩んでいるものだと。
切ないような寂しいような、複雑な気持ちのまま買い物を終えてスーパーを出ると、駐輪場に彼が居た。
ママチャリの籠に買い物袋を詰め込んで、走り出したところだ。
呼び止めようとしたが、やめた。きっと無視されていただろう。
俺も自分の家に向かって歩き出した。
・・・偶然とはいえ、彼と会いたくなかったなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100517002333
読んで小5の写生会を思い出した。
図工の時間、外で描いた絵の仕上げを皆で黙々とやっている時、シーンとした図工室内で
ギョッとして顔を上げたら担任の怒りの矛先は自分だった。
担任「真面目にやりなさいよ!」
意味がわからない。今まで黙々と作業をしていたし、隣りの友人とふざけていたわけでもない。
絵が前衛的だったり漫画チックだったり絵の具べた塗りというわけでもない。
まあ上手くも下手でもない、いつも通りの自分の絵である。
そこから延々と私は一人だけ怒鳴られ初めた。怒られる理由がさっぱり分からず泣く自分。固まる周りのクラスメイト。
怒りの声&泣き声があまりの音量だったのか、隣りの教室から別の教師が「どうしたんですか?」と入って来た。
I先生「ちょっと、これ見てちょうだいよ!」(と、自分の絵をその教師に見せる)
隣りの先生「どうしたんですか?」
I先生「こんな絵描いて!」
隣りの先生「普通に描いてるように見えますけどねえ」(この言葉で余計泣く自分)
I先生「ふざけてんのよ!」
その後、この時間がどう終わったか覚えていない。当然、出来上がった後の校内写生展でも賞を外れた。
今の自分が当時にタイムスリップでもしたなら「ちゃんと描いてますけど?」などと冷静に反論できるが、
小学生当時の気弱な自分にとって教師はそれなりに絶対的な存在であり、また
突然怒り出した大人に向かって「何がいけないんですか?」など聞けなかった。
例え怒る相手の勘違いだったにせよ、「怒られる」にはそれなりの「怒られる理由」というものが存在する。ほとんどの場合、怒られる時はその理由がわかる。
でも、30歳手前になった今でも、この時だけはなぜ怒られたのかわからない。
頭に浮かんだ話を漫画や小説にするのが楽しくて、続きや新作を期待するクラスメイトたちに囲まれ、満たされていた毎日。
しかし、中学校に入ると、次第に周りから人が減っていった。
ジャンプやサンデーやマガジンの連載漫画の話はしても、それ以上の領域はダサいオタク趣味として皆敬遠し始める。
他にも、部活やら定期考査やら、小学校とは大きく日常が変わったというのもあるのだろう。
わざわざアマチュアかそれ以下のものを作る人間を取り巻き、もてはやす必要も、暇もない。
思春期を迎え、他人の価値や能力を認めるのは自分の価値を下げることに繋がると、特に同年代に対して無意識のライバル心を強く持ち始めていたというのもあると思う。
結局、漫画や小説が書けるというのは、かけっこで一番早いとか、新幹線の停車駅を全部言えるとか、皆より少し秀でていたり、特殊な技能を持っていることが羨望の対象だっただけ。
小学校の頃はクラスないし、学年や学校や遊び場が僕らの「世界」の全てだったからこそ、ナンバーワン、もしくはオンリーワンでいられただけでしかなかった。
僕らにとっての「世界」が一気に社会というレベルにまで広がり、色々なものをその基準で相対的に見るようになると、一気にその価値は暴落した。
中学校でも、最初こそ、小学校時代からの縁で僕が何かを書いているのを見て集まる人がいることに鼻の穴を膨らませていた。
僕は常にみんなの中心にいて、同年代の中の絶対的な勝者、そこらの奴とは違う特別な人間だと優越感に浸っていた。
でも、いつしか周りにいるのが特定の数人だけになっていて、女子には遠巻きに見られ、自分が中心にいるグループと他のみんなとの間に物理的にも隙間があることに気付かされて、激しく動揺した。
ゼロではないとはいえ、自分の周りから人がいなくなったのは凄まじい衝撃だった。
僕の書くものは僕自身であり、その変化は「お前という人間の価値は実は大した事がない」と宣告されたようなもの。
以降、隠れて授業中に書く以外、文芸部でだけ活動するようになった僕は、先輩や顧問に褒められることを根拠に、「自分は人とは違う」「自分は優れている」と思うようになったのは、単なる現実逃避だったと今では思う。
分かる人は分かってくれる、分からない低脳なんて無視しろ、僕は才能があるんだと、ことあるごとに自分に言い聞かせていた。
天才と言われる人種はもっと早くからだろうけども、そうでなくとも中学くらいになると、その「才能」より秀でた結果を出す人間が現れる。
それは必ずしもスクールカーストの上位に位置するわけではないだろうけども、少なくとも「才能」によってある種のヒエラルキーの上位に認識される現実が、僕の絶対的な価値観になっていた。
だからこそ「才能」を裏付けるために、小学校の時のような「人気」ではなく「権威」を求めた。
その人たちに認められるのがすなわち自分の「才能」ゆえだという思いは、市が募集しているジュニア文学賞を取るに至ってピークに達した。
そして、三年生に進級して先輩がいなくなる頃、自分は先々文芸で社会的に認められるのが当然の人間だという意識しかなかった。
ネタを探したり、物語を書くために読んだ本のせいで色々と得た雑学のお陰であちこちで博識キャラで認識されたことに気をよくし、哲学書に手を出してみたり、感想や校正を求める後輩に偉そうに指摘して批評していたあの頃の思いあがった黒歴史は、今でも時間を遡って殴りつけてやりたいと思えるほど酷い。
そして同時に、オタク趣味も変わらず持っていたため、あとはよくあるワナビ街道まっしぐら。
ラノベの世界を知り、自分なら簡単にこの作者たちを追い抜ける、もっと素晴らしいものを書ける、と当然のように思っていた。
小学校からやっていた自分は一日の長どころではないものを持っているのだから、市の文学賞を取ったくらいなのだから、と。
設定を細かく決め、物語を練りに練った自称大作を、高二の頃に自信満々で応募。
「大賞受賞作」の帯とともに書店に並ぶ光景と、「高校生作家」の響きを頭に思い描いていたところに届いたのは、落選の知らせだった。
ふむ、何が拙かったのだろう、ライトノベルに自分の書くものはそぐわないのだろうか、もっと大衆向けを意識しなければならないのだろうか、ファンタジー王道のあの作品やSFのあの作品は、などと思いながら二つ目を書いて応募し、また落選。
受験をはさんで数年それを繰り返してことごとく撃沈し、完全に自信を失った。
それでも諦めきれなかったが、どうしようもなく煮詰まっていた僕が次に逃避したのはネットに投稿される二次創作小説だった。
その頃はまっていたアニメの二次創作を書いて投稿すると、知らない人から感想メールが来て、そこに並ぶ褒め言葉に感動。
次第にその数が増え、アクセスも増え、いつしか小学校の頃の自分に戻ったように感じていた。
僕が書くものを楽しみに待っている皆がいる。
僕の書くものを褒めてくれる、認めてくれる。
さらに、そのジャンルから本職の作家になった人もいるということが希望と自信になっていった。
まさかの縁で、本職作家さん(ラノベではない)とも知り合えたとき、もはや自分の中ではそのジャンル内での本職デビュー最有力候補の気になっていた。
やはり僕には人に認められるだけの才能があり、その縁で更に素晴らしい才能を持つ人とも知り合う事ができたとまた増長していた。
その頃、二次創作作者の中で中堅キャリアの良作作家という評価を得ていたことから、そろそろ頃合いだと思い、「僕がその実力を認める作家仲間」に声をかけて、また新人賞に応募。
そして見飽きた選評。
受賞した人の出版された作品を読んでみると、自分の応募作がそれらに比べてそこまで劣っているとは思わないし、自分のほうが上だと思うものも珍しくない。
何故落選なのか分からなかった。
知人の本職の先生にも度々話を聞かせてもらって参考にし、応募した仲間うちでも互いに批評と推敲を重ねたのに何故なのか。
それで何かがふっと切れた。
今年はどこにも応募していないし、そのつもりもない。
ワナビ熱が冷めてしまったということだろう。
今でも書くことは好きだ。
でも、素人文芸の枠でいきがってるのがせいぜいということなのだと思う。
「僕が認めた二次創作作家仲間」ではない人が、件の先生に声をかけられているらしいという噂を耳にした。
僕と同じように「中堅キャリアの良作作家」と言われていたその人は作家志望ではないはずだった。
そのアニメ好きが高じて趣味で二次創作文芸をしているだけで、創作を始めてまだ数年、オリジナルを書いた経験がなく、二次創作の発表作品数も僕より少ないというのは聞いている。
読書もあまりすることがないらしいのに何故なのか全く分からない。
マンツーマンで数時間色々な話をされ、数年中にデビューしろと言われたらしい。
僕はお願いして時間を取ってもらい、軽く話を聞かせてもらっただけである上、そんなことは言われもしなかった。
「才能の差でしょ」と妹に言われたけれど、多分そうなんだろう。
度々思い上がり、叩きのめされ、浮上してまた思い上がり、を繰り返しているだけだった自分には、「天性の才能」なんてただの夢物語だった。
それが本当に誰しもが夢見るだけのものだったならよかったのに。
「才能」という言葉、それが表すもの、僕も欲しかった。
http://www.nytimes.com/2010/05/02/opinion/02edmundson.html?scp=2&sq=pink%20floyd&st=cse
「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」
卒業を間近にしたバーモントの田舎の大学で、少なくとも十数人のクラスメイトに、私はこの質問を聞いてまわった。友人たちの答えに、私はとても安心した。特に何もないさ。羽根をのばすんだ。ぶらぶらするかな。考えたいことが色々ある。まずはゆっくりするよ。1974年だった。誰もが、そういう風に話すのが当たり前の時代だった。
実際のところは、友人たちは本当のことを教えてくれなかったのだ。見方によっては、とんでもない嘘をつかれた、とさえいえるかもしれない。卒業式の日までに、同級生のほとんどは、ロースクールや大学院に進んだり、ニューヨークやサンフランシスコで、クールで貴重なインターンシップをはじめることがわかった。
でも、私の場合は、本当にゆっくりすることにした。5年のあいだ、私はあちらこちらを点々として、何もしなかった。正確には、どうしても必要だったとき以外、できるだけ、何もしなかった。タクシーの運転手、映画フリーク、コロラドの山男、バーモントにあったクレージーなヒッピー学校の教師、映画館の支配人(これは、ほとんど仕事がなかった)、船の乗組員、ディスコのドアマン、そんなことをやっていた。
そのなかでも、ジャージー・シティの音楽プロダクションでやったステージクルーの仕事が、一番思い出深い。職場はルーズベルト・スタジアム、芝生席もいれると6万人を収容する、古い、化け物みたいな箱だった。トラックからアンプを引っぱりだし、ステージに設置する。6時間かそこらしたら、トラックに戻す。これを私は、グレイトフルデッド、アリス・クーパー、オールマン・ブラザーズのライブでくりかえした。クロスビー・スティルズ・ナッシュのステージは、ちょうど、ニクソンが大統領を辞めた日の夜だったのを覚えている。けれども、私にとって、一番思い出深い仕事での一番の思い出は、ピンクフロイドが出演した夜に起きた。
ピンクフロイドは、サウンドに相当のクオリティを求めていた。ステージ上のアンプは、縦にも横にも、周囲を威圧するほど積みあがり、パリ・コミューンのバリケードのようだった。それだけでなく、スタジアムの高い位置3か所にも、ピンクフロイドはアンプを集めて設置するよう要求した。それで、私は午前中ずっと、オンボロスタジアムの階段で、どでかい木製のアンプやら配線機材を運びつづけた。
仕事はもうひとつあった。パラシュートの形をした絹製の白いキャノピーが、ピンクフロイドのステージには必要だった。設置には6時間かかった。私たちが聞いたところでは、キャノピーを使うのははじめてで、ピンク側のスタッフも、どうしたらいいかよくわかっていなかった。設計図らしきものはあったが、あまり役にたたなかった。だが、「アメリカの知恵」をもってして、キャノピーはなんとか屋根の形に膨らんでくれた。「アメリカの知恵」とは、つまり、ロープをあちらこちらにひっぱったり、手当たり次第に結んでみたりした、ということである。
ピンクフロイドのライブは夜10時にはじまった。ところが、私たちが死にそうになりながら運んだアンプからは音が出なかった。たくさんの人がアンプの上に座ったか、蹴ったか、配線を切ったかしたのだろう。アンプのタワーが沈黙をつづけるなか、ピンクは自分たちの仕事をし、観客は公演の終わりでライターに火をつけた。そして、私たちは、3時間かけてアンプをバラして、トラックに戻した。階段上に残ったアンプは、私たちが作業を拒否したので、お互いをいくらか罵ったのち、ピンクのスタッフが回収した。
あらためていうと、ツアースタッフとステージクルーの間には、ほとんどの場合、何らかの対立があったのだ。あるとき、たしかクイーンのライブだったと思うけれど、クイーン側のスタッフ5人と私たちのクルー十数人が殴り合いになった。すると、騒ぎを聞いて駆けつけたセキュリティまで、喧嘩にくわわった。だいたい、バイカーギャングだったり、空手の黒帯だったり、そういう連中だ。ツアースタッフの方はそれなりにがんばったけれど、ついに勝てないとが分かったらしい。ひとりが、シャンパンをケースごと持ってきて、回し飲みをはじめた。それで、みなが酔っぱらい、幸福感にひたった。
ピンク側のツアーマネージャーは、キャノピーをそっと降ろして、きちんとたたみ、元の木の箱に戻すよう求めた。しかし、キャノピーにはヘリウムガスがたっぷり詰まっていたし、さらに栓がどこにあるのか、誰にもわからないことが問題だった。また、キャノピーをステージに固定した際、私たちがあらゆるところを馬鹿丁寧にきっちり結んだおかげで、それをほどこうとしたら、水夫たちの集団だって頭をかかえたに違いない。誰もが疲れていた。酒を飲んだ人間は、使い物にならなくなった。そして、もう朝4時になっていて、家に帰るべき時間だったのだ。
空飛ぶ枕をどうやって片付けるか、みなで作戦を練るうちに1時間が過ぎた。だんだん、大学のゼミのようになってきた。そこに、私たちステージクルーのチーフ、ジムが登場する。ジムは、私たちはジンボーと呼んでいたのだけれど、お人好しのバイキングの親玉のような人で、どんなときも、何があろうとクルーを擁護した。ギターケースを落っことした私を怒鳴りつけるスティービー・ニックスに、エドマンドソンに怒鳴る権利があるのは俺だけだと、大声で抗議してくれたこともある。そして、ピンクフロイド屋根事件のときも、ジンボーは危機的状況で自分がいつも期待されていることをした。つまり、行動を起こしたのだ。
ジンボーはステージのすみに忍びより、ポケットから折りたたみナイフを取り出して、聖なる屋根を地球につなぎとめているロープのひとつを切りはじめた。私たちクルーの3、4人も、同じことにとりかかる。「おい、なにをしてるんだ!」ピンクフロイド側のチーフが叫んだ。「お前らをぶちのめして…」そこまでいってから、かれはジンボーの手にナイフがあること、クルーの数人も同じだと気付いたのだった。2、3分後、私たちはロープを皆断ち切った。
最後の太いロープが切れたとき、大きなため息のような音がした。すぐには何も起きなかった。また少し待ったけれど、何も変わらない。
しかし、キャノピーはついに上昇をはじめた。白くて柔らかい、贅沢な雲のように飛んでいく。そのとき、地平線から太陽が沸きあがり、キャノピーの絹地も、薄く、柔らかな緋色にかがやいた。熊が腹の底から笑うような、ジンボーがいつも通りの笑い声をあげた。私たちも一緒になって大笑いする。ピンクフロイドのスタッフも同じだった。私たちはまるで、終業式を迎えた日の、学校の子どもたちのようだった。私たちは裸のステージから、大西洋の先へ静かに流れてゆく絹の屋根を見つめていた。何人かは手を振った。
「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」35年が過ぎて、大学の教師になった私は、自分の学生に同じ質問をする。今日の学生たちは、あまり隠し事をしようとはしない。そして、ロースクールにメディカルスクール、ジャーナリズムやビジネスでの学位、中国での研究留学、日本で英語教師をすれば相当のお金になることなど、いろいろと話してくれる。そういう彼らを、世間は肯定するだろう。
そう、私も学生たちにはとても感心している。だがその一方で、心配もしているのだ。かれらは、決心を急ぎすぎてはいないだろうか。もうすこし落ち着いてみたり、ゆっくりすることも、やってみたらどうだろう。私はそう考えずにはいられない。そして、空に消えた白い絹のキャノピーを私は思い出す。まだ今も目の前にあるかのように、私はそれを見ることができる。私は手をあげて、それを指し示したい。学生たちにも、見てもらいたいのだ。
私の友達も全く受けてない。補習も受けてない。
全部生理ってことにして。ごめんね。
スクール水着なんか死んでも着たくないし、着た姿をクラスメイトに見られるのもごめんだった。
スクール水着の股が嫌だったの。
あんなの、パンツ丸出しと変わんないじゃん。本当に、死ぬほど嫌だった。
タンキニっていうんだけど、キャミソールとショーパンにしか見えない、普段着っぽい水着があって、
そういう水着を毎年新調しては、着倒してた。
言い訳させてもらうと、スクール水着があんなじゃなかったら、ちゃんと授業受けてます。
男子の水着は競泳用のピチピチのもあるにはあるけど、ゆったりした海パンっぽいのも用意されてた。
で、みんなゆったりの方を選んでた。
逆に言いたい。ずるい。
あんなピチピチの、股間丸出しみたいなもの、着たくない。
あんなもの着るのはマドンナやレディーガガだけでいいよ。
そう思うとブルマが指定体操着だった世代の人間じゃなくて本当に良かったって思います。
誰が考えたんだよ、あんな服で屋外で運動させるなんて!気狂ってるよ!
23歳になるこの年までほとんど体験したことのなかったことだった。
この春大学3年生になる僕の死に関する体験といえば、3歳くらいの頃に曾祖母がなくなったことだけだ。
なくなったのは2歳下のクラスメイト、言っても携帯のアドレスすらしらない。
けどすれ違えば挨拶するし、別の友人に会いにアパートに行くとよく遭遇した。
報告を受けた瞬間の、激しい動揺となぜそんなことをという疑問。
昨日見かけた彼の車に荷物を載せていた中年男性は、お父さんだったのかという衝撃。
家に帰ったら激しい頭痛、ご飯も半分しか食べられなかった。おまけに吐き気に悪寒。
死の衝撃がこんなにも辛いものだなんて思わなかった。
「若い」
だから絶対に自ら命を断とうとは思わない。
でも世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな考え方がある。
死を選択したのは彼の考え方の行き着いた先であり、誰にも止めることはできなかったかもしれない。
それでも、僕やその他大勢の同輩にとって彼の朴訥としたしゃべりや笑顔は忘れることのできないものだ。
止められるものなら止めたかった。
彼の冥福を心から祈ります。
誰にでもやさしくしなさいって言われて、それをかたくなに信じて、そのまま育った人なんだろうなぁ。
まあ恋愛方面に限定するとして、自分が特別に思われてるというのを感知したとき、
自分も相手を特別に思っていますよ、というのは伝えないんだよね?
特別扱いはみっともない、良くない、悪いことなんだもんね?
他人を巻き込んだらきちんと完結できていない人間なんだもんね?
そんなわけない(笑)
全世界とは言わないが、自分のまわりだけでも、付き合い方ってそれぞれに違うでしょう?
同性同士だって、親友、いつもの仲間、クラスメイト、顔見知り。全員に同じ対応をしてはいないでしょう。
そういう扱いの差もあさましいかな?
もしも増田がそれをよしとしないのであれば、おそらくある程度以上の親しい人間関係はつらいだけだろう。
だって、親しいからこそ出てくる差ってどこにでも絡んでくるもの。
そこまで徹底しているのであれば、それを生かして、司祭か牧師になるといいと思われる。
博愛万歳! 人ラブ! フェアネス!
おれの眼はフシ穴だったようだ…
どれくらいフシ穴だったかというと、ヤツらにとっておれは本当に友人なのか…?と疑問に感じるレベル。
以下ほとんど編集も編纂も推敲もせず、書きなぐるだけ書きなぐったクソ長い文章です。
楽しいところなんかどこにもないので、余程の物好き以外はここで帰った方が身のためです。
話は昨年4月に遡る。
高校卒業以来、ほとんど会う機会の無かった友人(以下女1)から突然「じーだぶりゅーに集まろう!」的なメールが届いたのが全ての始まり。
なんで?しかも急に?10年ぶりくらい?と思うも、懐かしいなぁとか思って何も疑問に思うことなく参加することに。
メンツは高校時代のクラスメイト。男7人、女5人の合計12人。ほとんどが高校卒業以来の再会だった。
(ちなみに男友達のうちの2人(以下男1、男2)は卒業後もたまに飲みに行ったりしていた)
この時点では、普通に集まって普通に遊んで普通にメシを食ってオシマイだったわけだが、今にして思えば、これが「序章」だったようだ。
時は流れて7月後半。
ゴールデンウィークで久しぶりに再会して、それでオシマイで当分会うことはないだろうと思っていたのだが、またもや女1から突如メールが。
「前回のごーるでんうぃーくのメンツ中心に、8月の夏休みに泊まりがけで遊びに行こう!」みたいなメールが届く。
お泊り…?とか、前回からやけにスパンが短いなー、とか思いながらも、二つ返事で参加することに。
メンツは男7人、女3人の10人編成。前回と一緒じゃないのか?とは思ったが、都合がつかないだけかと思いスルー。
まあいろいろあって(遅刻して樹海をさ迷うハメになるなどエライ目に遭ったりしてw)、なんやかんやでこの回も楽しむことは楽しんだ。
誰も寝ずにほぼ徹夜状態でトランプとかUNOしてるとか、なんちゅーか高校生の合宿みたいだった。
で、もう終わりも近づいたあたりで、気の早いことにみんなで次のプランを立てるのであった。
そして解散となったわけだが、みんなと別れてから、いや、別れる前からおれの中ではとある疑念が湧いていたのであった。
そう…泊まりがけで男女が出かけたというのに、特殊な関係になったりとか、有り体に言えばカップリングの気配が全くしてこなかった。
それどころか、「そういう類」の、いわゆるコイバナらしきモノすら無かった。男と女の集団が、泊まりがけで、出かけたというのに。
後日、この集団とは別枠のくされ縁の友人(以下ダチ)に土産話として聞かせたところ、
「何も無かったとかどう考えてもありえんやろ」「この歳(20代後半。いわゆるアラサー)になって男女が宿泊旅行を企画するのは、『ソレ』が目的に決まってるやろ」「オーラとか、にじみ出るモノとか感じひんかったん?ガッツキとか。」「おまえら男も女も草食系か。肉食獣はおらんのかい」などとさんざん言われてしまった。
つーか、おれもゴールデンウィークの時からそれは感じてた。むしろゴールデンウィークに集まろうという話が出た時点で、
「なにかドッキリでも仕掛けられているのか…?」とすら思ったほど。
思えばこの時、既に私の眼はボンクラだったようである。
さらに時は移り11月。
8月の合宿?の終了間際に立てたプラン発動。またしても泊まりがけで旅をすることに。
メンツは8月と同じ…予定が、新型インフルなどにより2名倒れてしまい、男が5名、女が3名の編成に。
おれは「だんだん数が減っていくなぁ…」と思ったとか思わなかったとか。まさか…
この回はごく普通に観光地を巡るプランだったのだが、旅費節約のためどう考えても無茶苦茶な行程を経ることに。行程自体は省略。
このときおれは「旅に出たときにカネをケチったら相当しんどくなるのでは…?」と進言したが、聞き入れられず。別にいいけど。
まあこれは今回の話とは関係ないので割愛。
そして例によってこの回も「何も無かった」。
前回と同じく、ピロートーク系のキャッキャウフフな話など誰の口からも発せられることは無かった。
ダチに話すと、ついに「おまえら、ヘンな集団やな…」という感想になってしまった。
後にして思えば、おれの眼はやはりフシ穴もフシ穴、ヘッポコもいいところだったようである。
そして年を越して、3月の頭。
3月末にまた遠出をしようとのことで、おれに連絡が届いた。今度は男1から。
この時はさすがにフシ穴なおれの眼、おれの耳でも、すごい違和感を感じ取れた。いつものパターンと違うってだけではない、あからさまな違和感が。
男1からの電話は、「遊びにいく日」と「女2と女3(ずっと参加してた3人の内の2人)が来る」という内容だった。展開された情報はそれだけ。どこに行くとか何をするとか、メイン情報は一切おれには伝えられなかった。後述するが当日も、結局最後まで伝えてはくれなかった。
いくら眼と耳がフシ穴でも思い至るわ。「何故女1の名前が一切出てこないのか」と。
いつも3人組で行動してるような中から、「2人しか」名前を出さなかったのは、後から考えれば当然のことだよな。
「もう1人」たる女1の名前を一切出さなかった、本当に「一切」名前が出ることがなかったのは、防衛機制ということだろう。
逆に、物凄く違和感あるっちゅーねん。
前回と同じメンツなのかと思いきや、男2人の女3人、合計5人のメンツに。ついに男女比逆転。
傍目には、やっぱり何も変わらない。至って普段どおり。パッと見では絶対にわからない。
しかし言い知れぬ違和感を感じていたおれは、男1と女1の行動、仕草、言動をロックオンしていた。人間観察が趣味なんです。
…ところが、ロックオンしててもごく僅かしか「それっぽいところ」は出ていなかった。おそらくそうじゃないかと思っても、確信には至れず。
そしてとあるタイミングで、ほんの一瞬だが別行動に。この時すかさず残された2人(女2と女3)に向かって、おれは「…いつから?」とだけ発言した。
そしたらさすがに女性同士での横のつながりは強固なのか、充分すぎるほどウラが取れた、ということ。
そして、知らなかった、いや、「知らされていなかった」のは結局おれだけだったことも判明。なんだそりゃ…
ちなみに、「始まり」は、どうやら8月の合宿(?)にて解散した直後だったらしい。
そりゃあそうやわな…何も無い方がおかしい。
しかしヤツらのポーカーフェイス、ミスリーディングは実に見事だった。
特に女1の方は、毎回仲よさげにトークしていた相手が異なっていた。
8月の時は男3と夜空を見上げながら小一時間もの間1on1トークを繰り広げていてちょっかいを出せる雰囲気じゃなかったし、
11月の時は男2とほぼ四六時中いっしょに行動していた。連絡取るときも男2のケータイに速攻でかけていた。
今年の3月は、当然おれ。なんというスケープゴートっぷり。おれら3人ともいい道化。
で、男1の方はというと、おれと月に1度ペースで連絡取ってて、ダチが言ってたような内容(何も無いとかおかしくないか?とか)を言ってたんだが、後から考えるとよく言うわ、よく言ってたなって感想しか無いなまったく。
後でウラを取ったときに聞いたが、8月はもとより、11月の時点でも誰ひとりとして気づいてたやつはいなかったらしい。
おれの眼がフシ穴とかいうレベルではなく、全員をケムにまいていた。凄まじい演技力。
ちなみに何故判明したのかと言うと、女1が女2と女3に自分から言ったらしい。それが今年の1月。当然それまで誰も思い至ることはなく。
ここから、おれがヤツらに対して、無性に気にくわなかったことを語る。
くっついていたことを隠していたこと。これはおれにとってはそんなに気にくわないことではない。
半年以上も黙りっぱなし(結局本人たちのクチからはいまだに聞いてないしな)なところは、友人としてどうなんだと思わんでもないが、まあ言いたくないこと、イジられたくないことってのは人間誰しも持っているもんだし、それについては置いておける。
最も気にくわないのは、3月の集まりの時のヤツらの態度。特に男1の方は度を越していた。
3月の集まりにおれを誘ったのは男1で、当日に至るまでに数度電話をもらったのだが、その内容がひどすぎる。
カラクリを知ったあとで反芻すると、あまりにもゲスい事しか言ってない。
先程も言ったが、集まりに関して伝えてくれた情報は、「日にち」と「女2と女3が参加する」の2つのみ。
どこに、何をしに、誰とどれだけの人数で、どうやって…これら普通の基本的な情報を一切言わなかった。
そして、電話の内容は終始「おれに残りの2人、すなわち女2と女3を『あてがおう』」としていた。そのトークばっか。
1ヶ月前くらいに日にちだけおさえられた後は、「女2と女3とキャッキャウフフしたってやー」とかそんな話ばかり。ばかりというか、それのみ。
おれが何を言っても、何を尋ねても、「そんなことはいいから女2と女3と遊んだってや」みたいな返答しか無かった。
悪巫山戯にも程がある。しつこすぎて「もうええわ…」ってなったし。
他に言うことがあるだろうと。伝えることがあるだろうと。最低でもどこに行くかくらい、聞かれたら答えろと。
一言で済むことをなぜはぐらかす。それをはぐらかして何の意味があるのかと。
当日になっても、何故「ガソリンスタンドに行く」だけのことを答えない必要がある。
おれの質問に、いや、他愛も無いコトに対する応対がそれか。ずっとそれか。ずっっっとそればっかか。
そもそもの話、いったい何のために、何故おれを誘った。何がしたかった。
おれがいる意味があったか?本当に「おれと女2もしくは女3と『くっつけ』ようと」したのか?
そんな鬱陶しいことをされて本当に「くっつく」とでも思ったか?逆にめんどくさくなるっちゅーねん。
正直に思うに、「言いたくないこと」っていうのは、ある。
おれにだってトップシークレットはある。サイトやってることとか(ショボイなw)。
それをほじくられて、うっとうしい、言いたくないっていうのはわかるし、言わんでも良いと思う。
そもそもの話、言ってしまえば「何も無い」コトの方がおかしかった中でのヒメゴトなのだから、ある意味当然の流れ、当然の結果、なるべくしてなったコトである。だからそこに関しては何も問題はないのである。
要は、当時のおれ(たち)の眼がフシ穴、ボンクラ、ヘッポコだった、それだけの話。
そこに関してはどちらかと言うと賞賛に価する。「友人」としてはどうかと思うけど。
まあ、それについては別にいい。どこで何をしようが、普通の意味でもゲスい意味でも何をやってようが一向に構わん。
それこそ好きにしたらいい。それに別段興味も無い。
何が腹の虫が収まらんって、そこじゃないんだ。
最低限の連絡も無く、最低限の情報すら伝えずに、最低限の尋ねにも答えず、ただただ振り回すのみ。
そんな風にスッとぼけられて、そんな風にはぐらかされて、しかもそれが終始となると、友人以前に人間の対応としてどうなんだ。
秘密主義もここまで来ると呆れを通り越す。
アンタらの脳内ではプランはカンペキに出来上がっているんだろうが、それに振り回されるこちらの身にもなってくれ。
そんな態度を取られて、相手はどう感じるとかってところに思考は回らんのか。回す必要も無くなったか。
そして、そもそも最後の3月のやつ、何故おれを誘ったのかがいまだにわからん。「半年もの間何も伝えられていなかった」おれを。「その時まで本当のことを何も知らなかった」おれを!
おれを含む、「残された3人」の三角関係でも見たかったか。そのためにおれに「2人」をあてがおうとしたのか!?
スケープゴートにせよ緩衝材にせよ、何にせよおれが道化であることに、おれが道化になることに変わりはない。
邪推しようと思えばいくらでもできてしまうんだぞ。
10年来つるんできて、「関係」を言わないのはまだいい。そっちはさっきも言ったがどうでも良いし、なるようになれば良い。
そんなことよりも、3月の集まりでヒトとしてどうかと思うような態度を終始取りやがったのが本当に気にくわない。
高校を卒業した直後に「前科」があったことを思い出してしまったじゃないか。
あの時も、おれとダチの2人に対して意味不明な態度を取ったものだが、今ならあの時ダチがブチギレて半分絶縁状態なってしまった理由と感覚がわかってしまう。そりゃあ間違っても気分の良いものではないわな。
こんなところでひとりで吐き出しまくっているおれの方が、本当の意味で下種いことはわかっている。
しかし、本気でおれもアイツらに対して取る態度を考えないといけないのかもしれない…と感じてしまったのである。
まあ、今でもアイツらのことを友人だとおれは思っているから(向こうがどう思っているかは若干不安になってきたが)、
良くないところはたしなめるべきなんだが、この内容をそのまま伝えてしまうと本当に交友が壊れかねない。変に邪推が入っている可能性もあるし。
それに、こんなくだらんことで壊れるのはさすがに悲しい。それはイヤだ。
だからこそ、一度吐き出し尽くして、臓物に漂うドス黒い、暗い、闇の拘泥を薄めたかった。
ここに、マスダイアリーにこんなことを書いた最終的な目的は、それだけだった。
こんなクソ長い、クソみたいな、クソ同然の文章を、世に出してしまって本当に申し訳ありませんでした。
4月1日。完。
最近になって初めて自分がいわゆるモリマンであることを知った。というか自覚?した。
モリマンモリマンって言われてる水着画像とか二次画像見て「えっ……ふつう…じゃないの、これ」って思っていたけど、どうやらふつうじゃないのは自分のほうだったようだ。あとついでにどうやら前付きってやつらしい。
そういえば高校時代体操着がブルマだったけど、記憶を辿ると周囲のクラスメイトの股間は自分と比べてもっとすっきりしていた気がするぞ…!!15年前に気付いておけ、私!しかし気付いていたところで何かが変わるわけでもなく、今もなお処女であることにきっと変わりなく。今日も一段と冷えるな…。
俺は口が悪い。つい調子に乗って言い過ぎてしまう。だから友人も少ない。
最近は努力して、少しはましになった(それでも結構酷いけど)。
それで、A子ってクラスメイトと話すようになった。といっても、会話の大部分はA子が話す。んで、俺が総括とか、その話の感想とか言う、その程度。
だけれど、ある日、俺はA子に言い過ぎてしまった。怒鳴ったとかじゃなくて、サラっと「A子ってすこしデブだもんね」
デブじゃなくてぽっちゃりでよかったかも知れない。ダイエットしなよ~って言った方がよかったかも知れない。
A子の話しに対して、少しずれたつっこみだったかも知れない。ちょっと後悔した。
それで、謝ろうとしたんだけど、周りに居た関係ない奴らがいきなり「ああ、A子ってたしかにデブだよね」とか「A子肉つきすぎだよ」って言い出して、
デブデブもりあがっちゃって、俺は蚊帳の外になって、できなかった。
その二、三日後に、知らない女の子(たぶん違う学年)が俺の教室やってきて、いきなり怒り始めた。内容を要約すると、
1.私は、あなたのことを良く知らないし、A子のことも良く知らない。
1.でも、ナイーブ(体重のこと)な話をしたA子さんに対するあなたの態度は酷いと思う。A子を傷つけた。
1.あなたの態度は幼稚であり、同じ高校生として、恥ずかしい。
1.これから、私はあなたみたいな幼稚な人達(たぶん、デブデブ騒いでた奴らも含めて)とは一生恋人になんかになれません。
これ聞いたとき、驚いて、頭のなか?だらけになった。その場は、はあ、さいですか、って済ませたんだけど、今でも、もやもやしてる。
人前で勝手にフラれてショック。でA子はそれをネタにして「デブとか言うから。そんな調子だと、どんどんフラれちゃうよ」とか言うし。
疲れた。
A.誰も変態と呼ぶべきではないよ
良くわからないのが「世の中そうなってはいない」という事実が存在したとして、それが一体何を物語るというのだろう。
世間がそうだからといって「あなた」がそれに即した思想信条を持たなければならない理由は?
進め一億火の玉だ、お国の為に戦うぞ、というのが「世間」の風潮だったら竹槍でB29に立ち向かう訓練をするタイプだよね。
そして「それ」は現実にちょっと前の日本という国で起きた話なんだ。
戦争で日本が勝てるとか本気で思っていた国民が何割いたのか私は寡聞にして知らないのだけれども「お国」が怖くて多くの人達は従うしかなかった人もいるんじゃないのかな?赤紙、という召集令状が来るのを誰もが恐れていたのに送り出す時は涙を隠しながら万歳三唱をしていたという話はいろんな文献に載っている。
「世間」というのは、だから恐ろしい、というよりは「世間」を理由にしてはならない、と思う。ましてや「思想」を行政に委ねるなどという行為は余程慎重にしなければ危険極まりない行為だと思う。
とてもではないのだけれども「感情」によって思想を委ねるような大事なことを決定するような事は避けるべきだと思う。
勿論、「未成年者が性的な陵辱を受ける行為を肯定的に描く行為」を気持ち悪いとか怖いとか言う気持ちは十分に理解するし、そうした事を言いたかったり法の整備を願う気持ちを否定はしないよ。
個人的には他人に肉体的・精神的危害を与えない事なら何をやっても良いと思ってる。
SMだって怪我したり死んだりしなければ良いんじゃねえのと思う。八王子の監禁王子の裁判がこないだ開かれて話題になっていたけれど、ドアを部屋の中から出られないようにしてるとかは流石にどうなんだろうねえ、と思う。檻に閉じ込めるプレイはあるけど何日も監禁するのは流石にどうよ、と思うからね。余程当事者同士の了解がなければやったら裁判になる事だってあるでしょ。
小学生の女の子が30歳の年齢差がある男の人と恋愛沙汰になっていいかについては法律云々を除外して考えるなら精神的に未発達な部分があるからもう少し待ちましょう、としか言いようがない。日本国籍を所有しているなら16歳になれば婚姻出来る。
逆に言うなら16歳で婚姻出来るのに18歳未満の「未成年者」が性行為をする事は法律で認められているにも関わらず、その表現を抑止しようとする合理的理由が説明されていないのは謎といえば謎だよね。
で。同性愛。まー、釣りで書いてるのかなって思うけど、これは趣味とか嗜好とかじゃなくて生まれついてのものだから。中には思想的理由から同性愛に走る人もいるんだけれど、同性愛というのは左ききとかと一緒で「なおす」とか「かくす」ものではないし「いけない」ものでもない。個人的にはスカトロだろうがSMだろうが隠さなくたって良いと思ってるし、私も散々はてなダイアリで書いて来たように女装をして外出とかしてた人間なんだけど、恥というのは「世間」という構造が産み出したものであり、その世間というのは何処に存在するかというと「人からどう見られているのか」という眼差しそのものであり、結局は「私を眼差す私」なんだって事に気づいたりする。それを「世間」という存在するかしないマジョリティに肩代わりさせて言ってるに過ぎないって思ってる。世間という曖昧もこもこな、それこそ非実在世間とでも言えば良いんだろうか、「みんながそう言ってるから」っていう「みんな」って誰と誰と誰なんですかって話なわけで、そもそも数的に多かったら正解なのかとか従わなければならない具体的根拠は何よって話なわけですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100324111235に「感情論で人を裁くのか」という話が書かれているのだけれども感情で人を裁く事があるという事実をもってして、気持ち悪い、怖いという「感情」で思想を法の下にひざまずかせて良い根拠にはならないと思うよ。
気持ち悪いとか怖いというのは個人の価値基準でしかなくて、それを言い出したら「怖いというあなたが怖いので、怖いというのをやめてください。そうしないと私の恐怖を取り除く事はできません。どうしてもやめないのなら法にするべきです」と言ってしまう事だって出来るでしょ。
先ず、いろんな「人」と逢い、話を聞くこと。趣味や嗜好以外の「人」の部分で話し合えない人というのは殆どいない。
少なくとも私は出逢った事はない。
大抵の意見の相違は「ぼたんの掛け違え」を超えるものではない。人はそれをエゴと呼ぶ。
例えば私はうんこは食わないし、食いたいとも思わない。目の前でうんこを食うプレイを見たいとも思わない。
同じように「未成年者が性的な陵辱を受ける行為を肯定的に描く行為」を見たいとも思わないし、極端な話そんな描写満載の漫画とはこの世の中から抹殺されてしまっても構わないとすら思っているよ。
だけれど東京都((ではなくてもどの行政でも良いけれど))が「法律で」表現に対して「あれは駄目、これはオッケー」と決めるのってどうなんだろうね、本当にそんな事をして良いの、という疑問がある。だからちゃんと話しあおうぜ、というのが私の考え。
個人的には子供にロリエロを見せる事はないでしょう、と思うんだけど、じゃあビニール袋に封入したらロリエロ野郎が減るわけじゃないよね、とも思う。ロリエロ読めないと犯罪しちゃうぞゲヘヘヘヘって言うわけじゃなくて、増える事はないかもしれないけれど減る事もないんじゃね、と思う。規制されたら減りましたとか増えましたって数字は知る限り存在しなくて、じゃあ規制しても良いだろって事を言い出す人もいそうなんだけど規制しても「隠される」だけで、まあそれで安心っていうのはなんか変な話っていうか、臭い物に蓋をしたらもう安心みたいな何も解決になってないじゃんっていう。まあ解決しようもないんだろうけれど解決しようもない事にわざわざ法律という網を被せなければならない理由が「怖いキモい」はどうなのかなあ、と思うし、エロロリにビニール袋被せても状況は変わらないと思うよ。ハレンチ学園は禁止にならないって話もあるように絶対「漏れ」る表現が出て来て、じゃあそうした「漏れたもの」を見て不快に思ったらどうするの?規制強化を訴えるの?その先にあるのは何?って思わないのかな、思わないか。
で。ちょっとだけ寄り道的に自分語り。
私はローマンカトリックをあつく信仰している両親の元に生まれた。
従って幼児洗礼を受け、物心ついた頃には「日曜には教会にいくもの」と決まっていた。
キリスト教の事について知らない人もいると思うけれど、当たり前のように東京都の青少年うんたらなんかよりずっと厳しい戒律がある。知ってる人もいると思うけど「汝、姦淫をするな」というアレね。
まー、アレはモーゼの十戒って奴でキリスト以前に存在した言葉なんだけど、って話をしはじめたら長いんで省略するんだけど、「汝、姦淫をするなかれ」の「姦淫」をどう定義付けるかというのかって言う話なんだけど「結婚したら貞操を守れ」とか「レイプすんじゃねーぞ」って思われてるかもしんないんだけどそうじゃなくて結婚する迄貞操を守りましょう、一度相手を決めたなら、他の異性を性的な眼差しで見たり、あるいは心の中で「良いな」と思ってはならない、というのが「姦淫するな」という事です。
結婚する迄貞操を守れとかって、某掲示板の人達が手を叩いて喜びそうだけど、じゃあ「あのコかわいいな」ってちょっとでも思ったら姦淫の罪っていうのも大変だよね。でもまあそれが当たり前だと思っていた私にとっては助平な話をするクラスメイトとかその手の本を持ってくるクラスメイドが大嫌いだったし憎んでもいたし反発もした結果、いじめを受けた。
で。18歳になるくらいまでこうした事の意味がわからなかったりしてロクに友達も出来ない儘、図書館にある本だけが自分にとっての情報源だったんだけど((私が子供の頃はインターネットなんて存在しなかったからね))、いろいろと読んでいるうちに「自分の考えは間違っているのではないか」と思うようになった。
その理由の一つに「自分は左ききである」というのが起因している。キリスト教は特段に左利きに対して定めているわけではないのだけれど「神の偉大な右の手」みたいなフレーズが出てきたり十字を切るとか聖体拝領とかを左手でやると物凄く怒られたのね。自分はだから、自然に左手を使ってしまう自分を「悪い子」だと思っていた。
そんな体験を持つ私が敢えていう。思想信条は国家が抑制してはならない。どんな神を信じるのかが自由であるのは、神を信じない自由が保障されてこそなのだ。あなたはキリスト教を信じる事が法律で決まったら、それに従うのだろうか。こういう書き方をするとキリスト教を馬鹿にしていると思う人がいると思うのだけれど、決してそうではない。私の父はキリスト教と共に生き、教会とともにあり、キリスト教に多くの貢献をし、多くの人に愛されながら逝った一人だからである。私の父は父なりの人生を歩み、幸福であったと確信している。
しかし、父は父、私は私なのである。
それぞれの人生が異なるように、何を信じ、何を信じないのかを決めるのは、その人に委ねられるべきであり、決して行政の手に委ねられてはならない。
さて。私は自称売れない絵描きとプロフィールに示している、利害関係者の一人だからポジショントークだと言いたい人もいるらしいんで、可能な限り利害関係にないと思われるところから発せられている反対表明のリンクを書いてこのエントリを締めたいと思います。勿論、下記のリンクを示す事が私の言説の正しさを示すものでも、未成年者児童に対しての表現抑制を主張する人の意見が間違っている事を証明するものでもありません。単純に「こういう人達が、このような立場から意見を表明している」という事実を示したうえで「どう考えるのか」を皆さんが考える一助となれば、と思い、示しています。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/100318_3.pdf
日本弁護士連合会による反対表明。
http://www.jla.or.jp/kenkai/20100317.html
http://miau.jp/1268478000.phtml
miauによる反対表明。
http://nbi.sfc.keio.ac.jp/files/statement_20100312.pdf
ネットビジネスコンソーシアムによる反対表明。
(1)
客 「そんなことじゃなくて、これ交換しろよ。」
店長「私がしたことじゃないですよ。交換はできません。責任は取らせますから。」
(2)
客 「修理をしてもらった車にキズがついていたよ。」
店長「あの車は新人がやったんですよ。すみませんね。工業科卒のくせにだらしない。」
客 「タダで直してよ。」
(3)
支店長「窓口のことまで私は知りませんよ。お気の毒ですが、銀行に責任はありません。」
(4)
顧客「あなたが責任者ですか。納期遵守率と不良率のどちらも水準以下ですよ。」
顧客「それでは説明になっていない。改善できなければ、取引を打ち切りますよ。」
部長「・・・。(俺の責任じゃないのに。次の担当者次第だな。)」
(5)
警部「あんたの組員がやった事件だ。来てもらうよ。」
組長「たしかにアイツはウチの新入りだが、不始末を起こしたからには組のものではない。」
警部「あなたが指示をした証拠もある。ご同行を。」
組長「組長だから命令はするさ。やったのはアイツだ。ワシは知らん。」【※1】
トラブルが起きたなら責任は組織が負うものだ。上のような話は常識的にありえない。
商品もサービスも、店(組織)に依頼をしたのである。担当者の能力、外部の状況に関わらず、店は依頼を履行する責任がある。店長に当然責任があるし、謝罪した上で相応の責務を果たすものだ。さらに上位の組織(会社)が対応する場合もあるだろう。そもそも組織のトップが逃げていては部下はついてこない。
最高裁の決定から1ヶ月が経とうとするが、あまり話題にならない。
京都市に納税をして子供を学校に通わせる親として、これでは不安が募るばかりである。
京都市立小学校で2004年4月から1年間の条件付きで教員採用した男性(36)について、「指導力不足」を理由に分限免職とした市教育委員会の処分の適否が争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は27日までに、市側の上告を受理しない決定をした。男性の処分を取り消した一、二審判決が確定した。決定は25日付。
2008年2月の一審京都地裁判決は、男性が受け持ったクラスが「学級崩壊」状態になった点に触れ「指導が不十分な面はあったが、適格性に欠けていたとはいえない」と指摘。「市教委の裁量権行使は誤りで違法」として処分を取り消した。
昨年6月の二審大阪高裁判決も「分限免職を検討する際には、将来成長していくだけの資質や能力があるかどうかとの観点から判断すべきだ」として、一審の判断を支持した。
二審判決によると、男性は04年4月に採用され、5年生の担任になった。市教委は「指導力が著しく不足しており、保護者の信頼を喪失した」などとして05年2月、男性本人に同3月31日付の分限免職処分を通知した。
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022701000596.html
2010/02/27 17:55 【共同通信】
この事件をまとめるとこんな感じ。
他の自治体で講師経験を積んだひとが、2004年に京都市の小学校教員として採用された。どの組織でも同じことだが、新卒より中途採用の門戸は狭い。水準以上の能力は見込まれて採用されたはずである。
ところが、最初に担任をした5年のクラスが学級崩壊が進む。学校と教育委員会もこのクラスに効果的な支援ができずに、クラスを立て直すことに失敗した。先のたとえ話で言えば、学級崩壊はこの学校組織の責任であるが、上司である校長は、教育委員会に担任教師に全責任があると報告。教育委員会はこの教師に自主退職を勧告。その後「分限免職処分」、つまりクビにした。
この教諭は前の職場では日教組(社会党→民主党系)に加入していた。京都市に日教組はないので組合未加入だったが、免職後に京都市教組(共産党系)の支援を受けて分限免職の取り消しを求めて提訴。
↓
公判中に京都地裁が和解を勧告。(行政裁判で和解勧告って?市側の敗訴が見えていたから、裁判所が配慮したのでは?)
↓
↓
市教委が主張する複数の免職理由が「免職理由に当たらない」「事実でない」「管理職に客観性がない」と京都地裁が認定して、さらに管理職の責任も問われて、市側の全面敗訴。
↓
↓
大阪高裁で京都市側に不利な認定を付け加えられて、市が全面敗訴。
↓
京都市が上告。
↓
労働法規の常識から考えてこの裁判、京都市が勝てるはずがない。日本は末端の担当者をクビにすればいい国ではないからだ。【※2】
教育委員会は「主張が認められず残念」とコメントしたらしいが、最高裁を相手に反省がないのは立派なものである。教育委員会が無能な職員を免職するという立場をそれほど強硬に主張するならば、無能なこの校長と教育委員会の裁判担当者と労務担当者をまとめて分限免職にしたほうがよい。自分たちは特別だから、法規を守らなくていいと考えているのだろうか。学校を社会の中で特別に位置づける態度があるならば、それ自体がひどい慢心である。
京都市はなぜこの勝てない裁判を強硬に続けたのだろうか。この裁判のようなケースは京都市にとって(特殊事例ではなく)良くあることなのだろう。裁判になったのは氷山の一角で、同様のケースをすべて法令遵守するとおそらくは体制が維持できないのではないか。この裁判からは上司が部下を追いつめるだけという、京都市の惨めな職場環境【※3】が想像できる。教育を担う組織が、部下・後輩の人材育成に興味がないなんて異常事態である【※4】。学校組織を活用するという考え方があるなら、教育の質を教員個人の資質に偏重して求める「スーパーティーチャー」なんて制度を市が作れるはずがないし、この裁判の流れからは、京都市教育委員会における人材の払底ぶりが見えてくるのである。
学級崩壊は担任教師の資質だけで起こるものではない(これはあきれた幻想である)。仮に「頼りない教師」であっても、組織(校長、教頭、教務、主任、学年団)で対処できるし、しなければならない【※5】。もちろん、児童集団の性向は重要な要素である。小学校のクラス分けは、学級運営が上手くいくように慎重に割り当てすることが常識になっている。例えば1年生をクラス分けするために、近辺の保育園や幼稚園への聞き取りだって広く行われている。児童の質を見極めて、適切な教員を配置するのは給料が高い管理職の仕事である。
しかし、学級運営を学級担任個人の責任に負わすことができるならば、問題児童対処の「悪魔の方法」が管理職の手に入る。学校で手に負えなくなった学年ができたとき、問題のある児童(軽いADHDとかね)を集めたクラスを編成して、新任教師を担任に付ける。新任教師は他府県からの中途採用者でであれば、うってつけである。学校の状況をよく知らないこの教師がうまく運営できればしめたもの。失敗した場合は、新任は試用期間中だから仕方がないと、保護者と教育委員会に報告して、年度終盤で教師に退職を迫る。退職しなくても、その教師を指導力不足として免職すれば、犠牲者一人で学校は丸く収まる。保護者も納得する。校長に責任もない。問題は1年先送りできるし、いったん崩壊したクラスであれば、後任担任も言い訳がつく。
民間企業では考えられないが、採用経費が潤沢にあって、顧客に対して責任が無くかつ組織と自分の体面を重視する公務員であれば十分にありうる仮説である。
さて、ここまで読んで頂いたかたには、「タイトルの阿久根市長は釣りだよね」と思われるむきもあると思う。
この裁判での京都市側責任者は当時の教育長 門川大作氏だ。門川氏は、教育長としての手腕を買われて、安倍内閣時の教育再生会議のメンバーに唯一の行政出身者として選ばれている。その後、この裁判のさなかに京都市長になったお方である。京都新聞(Web版)は、この裁判の経過を高裁判決以降黙殺した【※6】。国の委員や市長までなった人を、非難することはいけないのである。たとえ高裁や最高裁の指摘であっても、行政長であれば反省する必要もないということなのだろう。
裁判の結果からは、京都市の教育について少なくとも組織での対応は期待できないので、子どもには良い担任とその人が処理可能なクラスメイトに当たることを祈るだけだ。
京都の私立小学校が繁盛しているのは、公立小学校の低レベル・オペレーションへの失望の現れである。
※
常に一緒にいるような友人はクラス内におらず、高校から一緒に進学してきている馴染みの者しか、友人と言えるようなものがいない。そしてその馴染みの友人と言うのが全て別のクラスに在籍している。つまり一緒に授業を受けるクラスメイトがいないし、どうでもいい話ができるようなクラスメイトもいないということだ。かろうじて知り合い程度の、たまに瑣末な情報交換ができる程度の「知人」が数人いるばかりである。
彼はクラスの中で孤立している。留年した過年度生かと思われるほどの浮き具合である。いや、それならばまだ諦めがついていたことだろう。同世代のクラスメイトがいないのであればまぁ、しょうがないよな、と達観できたであろう。彼は他の大多数のクラスメイトと同時期に入学し、大多数がそうであるように現在二十歳である。残念ながら。
なぜ彼に友人がいないのか。それはおそらく、友達になろうという気概を彼が他者に対して積極的に向けなかったからであろう。無理に友人を作ることはない、今は他にやるべきことがある、それを終えてからでも遅くはないだろう。という考えが1・2年時の彼にはあった。彼が言う「やるべきこと」というのは、アニメを見る・バイトをする・本を読むなどなどの他者から見れば友達を作れないことへの言い訳めいた事柄ばかりである。この時点はまだ友達ができるか分かっていない状態だから、友達が作れない『かもしれない』という恐れから「友達は作れないんじゃなく作らないのだ」と言い訳するために作った事柄に見える、と言ったほうがよいだろう。
では実際はそうではなかったのかというと、彼にも確かなことが分かっていない。
大学入学前から彼の心には不穏な何かがあった。入学直前の休みの間、彼は形容しにくい焦燥感に駆られていた。ちょうどそのころ進学に伴い好きな女の子と離れ離れになってしまうし、告白はしたが遅すぎたというやや落ち着かない状況でもあったから、心がぶれてもいただろう。新天地である大学へ前向きに進んでいくような心を持てていなかった可能性はある。なおかつ彼はどういう理由で大学へ行くのか、大学の向こう側にどういうビジョンを持つのか、自分なりに答えを定めていなかった。周りの人々や情報に身を任せ、自立ならぬ他立でもって過ごしてきた彼に、志や譲れない何か、まして断言できる事柄なんて、頭の中にも腹の底にも無かったのである。
それでありながら彼はたまたま大学に受かってしまった。高校もなんとなくで受かっている。そこで高校もしくは大学に落ちていたら何か変わっていたかもしれない。流されるままの自分を見直す時期に恵まれていたかもしれない。言っても仕方のないことを言うのはそろそろやめておこう。流れに身を任せるだけの生き方を選んできた彼の自業自得だ。
そうして彼は流されるままに大学へ進んでいかざるを得なかった。自らの足をどこへ向け歩ませればよいのか、どうにもはっきりしない。今の僕の中にあるもやもやがそれである。
彼が求めているものはなんなのだろう。希望を見出せる未来だろうか?それとも一緒に歩んでいける友だろうか?それは彼には判らなかった。だからこうして文章を書いている。分かっていただけているだろうが、「彼」とはここまで文を書いてきた僕である。主語を僕とか私とかにするとどうにも正直に書けない。一応ここまで書いてきたことは、自分の中では極めて客観的なものだと感じられる。僕はこうして自らを「自分の中の他者」の視点から書くことで自分をしっかり見つめ直そうと考えた。ゆえに書いた。
http://anond.hatelabo.jp/20100228163035
私の母は私に友達が出来ると、あることないこと吹き込んで遠ざけようとする。自分には友達がいないから、友達と付き合う私がうらやましいらしい。お母さんには「お母さんの友達を大事にすりゃいいじゃん。娘の交遊関係なんか心配してないで」と言い返してやればいい。
「言い返す」ということが出来ないところに、元増田の「友達がいのなさ」の原因があるように思える。友達って自分のいいところばかり見せるもんでもないし、仲良くばかりしているもんでもない。きついこと言い合って「絶交だああ」と叫んだ口元の乾かないうちに「ああ、そういえば、あの話きいたあ?」などと、先程までのケンカはどこにいったんだと自分でも突っ込みたくなるような気楽さで関係を修復できる間柄を言う。
などと偉そうに友達論をぶってるけど、そういう友達が出来たのはつい最近、高校卒業してから20年も経ってから。大学行けば、交遊関係もクラスメイトだけじゃなくて、学外とか趣味の会とか生協の理事会とか、いろいろ知り合い方のバリエーションが出てくるから、そのうち「一緒にいるとラク」と感じられる相手とめぐり合えるかも知れない。
私も、そういう気のおけない友達が出来るまでは、一人でいるほうが気楽だった。でも、二人でいることの楽しさ(まして、相手がこちらの気持ちを汲んで一人でもいさせてくれるとなると)を知ってから、一人でいることがつらいと思うようになった。