はてなキーワード: ガントチャートとは
俺は、スケジューリングがクソ下手だ。夏休みの宿題を計画的にやった試しがない。そもそも時間把握能力が末期的に低い。一週間が七日周期であることを実感できるようになったのはごく最近だし、一ヶ月がおおよそ四週間で構成されている実感にいたっては、三十代になった今でも依然ふわふわしている。多分調べれば何か名前のある症状なんではないか。少なくとも、俺自身は自分の時間把握能力の低さに、日々苦しんでいる。
もちろん、言葉にすればわかる。一ヶ月は四週間とちょっとだ。でも、その四週間というのは、つまり、その、つまるところ何週間なのだ? 大金すぎる金と一緒だ。俺は十億という金を具体的に想像できない。いったい、それはねるねるねるね何個分の金額だ? それはどのくらいすごいんだ? 同じように、一ヶ月という時間は、俺にとっては膨大すぎる。一年ともなれば、もはや天文学の世界だ。そのくせ、膨大な割に時間はあっという間になくなる。そんなところまで金に似ている。
何よりも恐ろしいのは、そんな俺が今や会社で億規模のプロジェクトの責任者であるということだ。かつ、俺のスケジュール回しへの評価が意外に高いことだ。冗談じゃない。ガントチャートに引かれた線への実感はいまだにない。二十人日がねるねるねるね何個分のすごさなのかは、今も闇の中だ。ただ、わからなくても、方法論は知っている。中国語の部屋の中で、規定されたプロセスに従って俺は反応する。人員の進捗状況がこうならこうする、ああならああする、そういうミクロなテクニックと、「なんか先にこれやっといた方がいい気がする」という理屈レスのおまじない的経験則の集合だ。その積み重ねで俺のプロジェクトは俺自身の理解を置いてきぼりにしたまま安全に進んでいく。
でも、俺は腑に落ちない。もっといえば、不安だ。ドーバー海峡を溺れながら渡りきったみたいな気分だ。本人が一番どうやって渡りきったのかわかってない。再現性があるか保障がないし、いつか崩れさりそうで怖い。仮に再現性があったとして、いつでもドーバー海峡を渡れる保障があるとして、「よーし、今からちょっと溺れながらドーバー海峡渡ろう」という気分にはなかなかなれない。溺れるのは、疲れるのだ。泳げる人がドーバーするべきだ。しかし、ドーバー海峡を渡れるのは俺だけだという。泳げる人間はドーバーを渡れず、渡れる人間は泳ぎ方を知らない。だから、仕方なく俺は今日もよくわからないままドーバーで溺れている。
あと、俺は喋りがクソ下手だ。トークがつまらないという意味ではなく(否定はしないが)、吃音症なのだ。若い頃、ちょっと働きすぎて職場でぶっ倒れて以来、舌がもつれるようになった。おかげで、客にしょっちゅう聞き返される。こんな俺が客前に出て次期案件とか取ってくるのだから、世も末感がある。もっと喋れる奴が前出てくれとよく思う。俺の喋りを100%漏れなく聞き取れるのは、俺の把握している限り、二歳離れた俺の妹だけだ。
とはいえ、不満があるかといえば、そんなにあるわけでもない。なんだかんだ会社は俺を評価してくれている。上長からの覚えもめでたく、現場の士気は高く、仕事はこう書くと嘘くさいがやりがいがあるし、なんだかんだ楽しい。給料は任されてる仕事に比べるとちょいと低めだが、あまり上がると責任もセットで追加されるので、悪くない塩梅だと思っている。悪目立ちするな、しない範囲で右肩上がれとおまじないをかけている。休日はバンドでボーカルしたり、同人描いたり、LT会に参加したり、友人と飲んだりしている。悪くない。全然悪くない人生だ。
ただ、そういう意味での不満はないが、思うのは、皆もそうなの?ということだ。ドーバーで溺れているのは俺ひとりなのか。意外にみんな一ヶ月は十億円と同義なのか。身体的ハンデと戦いながら、客前に立っているのか。あんなさりげない顔をして。みんなも実はそうなの? おまえは俺なの? もしおまえが俺の同族だとして、俺はこんなだるんだるんな俺がうまく立ち回っていられてる仕組みが全然わかんないんだよ。この惑星の公用語は、俺の言語帯と全然被さらないよ。被さらないまま、なんでか先頭を走っているこの状況の不思議さだよ。世界にかつがれてる気分だ。いつかハシゴが外されそうで怖い。
でも、そうなったら、少し安心する気もする。
むかついているがどうにもできない。そのことにさらにむかついている。
うちの会社は社員数も売上高も数千の中規模SIだ。いつからかわからないが中国にも支社があり、現地の技術者を採用したりもしている。(こうした実績からグローバル企業を謳ったりもしている…)
この会社に入って最初の合同研修期間で彼らと接することになったのだがまずスペックの高さに驚いた。
まず3ヶ国語を扱える。中国語はもちろんネイティブ、英語はビジネスレベルで習得しており、個人差はあるもののみんな日本語での日常会話に支障はない。外国人に難しいとされる日本語の読み書きも、漢字をある程度知っているだけあってアルファベット圏の人々より習得が早いらしい。
俺は文系学部出身だが在学時からプログラミングを始めてWebサイトをいくつか趣味で立ち上げたりしていて、同期の間ではコードが書ける方だろうなどと思ったりもした。半数を超える文系学生と真面目に勉強してこなかった理系学部生・院生の中ではその自己評価はあまり間違っていなかったが、彼らには到底かなわなかった。コンピュータのことを深く理解していて、俺がにわか知識や付け焼き刃で語っている内容に「それはどうやって動いているの?」「既存のあの技術との違いは?」と鋭い突っ込みを何度もくれた。
彼らとの会話は刺激的だったし、一緒に行ったプログラミング研修は楽しかった。研修後の配属先はバラバラになるが「いつかまた一緒に開発しよう」と話していた。
しかし、それから数年が経ち、彼らはみな会社を去ってしまった。
俺が地方に飛んでいた数年の間に彼らと会話ができたのは数えるほどだった。社内報の退職情報欄に彼らの名前が載る度に「何があったんだろう」と思ってはいたが、開いた距離を積極的に埋めることはしなかった。
ところが最近、辞めた中国人同期のうち2人が俺の住んでいる地方に来るというので久しぶりに会おうという話になった。数年ぶりに再会した彼らの日本語はさらに上達していて、日本人とは遜色ないぐらいで驚いたのを覚えている。
だがそれよりも驚いたのは、彼らが在籍時に会社が彼らをいかに扱ったか、という話だった。
SIerでの業務がいかなるものであるかは世に多くの体験談があるので詳細に書くことはしない。が、一言。うちの会社も例に漏れずExcel仕様書を使い、一時代二時代も遅れた技術を使い、技術者よりも管理者を大事にする会社だとは言っておく。
日本の新卒よりも遥かに優れた技術者である彼らが業務においてコードを書いたのは数えるほどだったという。
ある一人は会社が代理店契約を結んでいるMicrosoftの製品サポートをひたすらやらされ、英語ができない他の社員の代わりにサポートデスクとメールをしていた。Microsoftは日本のサポートも充実しているらしいがなぜそういうやり取りが発生するようになったのか誰もわかっていなかったというし、理解しきれない製品を売っていることも不可解だった。
またある一人は1年目から3年目まで巨大プロジェクトのテストをひたすら任され、それが終わった後には小さな開発案件のサブリーダーとして派遣社員への指示やガントチャートの管理をするようになった。技術者としてプログラムを書いたり研究に没頭したいという主張をしたが受け入れられなかったらしい。この会社にとってプログラマは外注で十分だし、その頃の彼は「テスト歴2年の若手」としか映らず、活かす道はそのまま凡庸な「SE」ぐらいしかないと思われたのかもしれない。
そして最もひどい扱いを受けた一人。彼は1年も俟たずに辞めたがその理由もさもありなん。
彼は同期の中国人の中で最も日本語ができなかった。とはいえ日本人の平均的な会話スピードであればリスニングはできるし、スピーキングも落ち着いていれば悪くない。少なくともグローバルカンパニーを標榜するうちの社員の悲惨な英語力に比べれば圧倒的にマシだった。
しかし、その時点で配属先の部署は彼を役立たず扱いした。「カタコトの日本語では客先に連れていくことはできない」「派遣や請負の方と話すときも伝達の齟齬で仕様ミスを生むかもしれないから必ず上長を介して」などといって、所属しているはずのプロジェクトでも何も仕事を与えられなかった。代わりに経費で購入された日本語の学習本を読むことを一日数時間強要された。彼は一日でも早くその状況から抜け出そうと努力し、1ヶ月でJLPT N2(日本語能力試験の上から2番目)を取得するにいたった。そしてプロジェクトに溶け込もうとしたが、こねくりまわされて複雑怪奇になったドメイン知識やそれを体現するExcel仕様書はJLPT N1より遥かに難しかったという。
「"君たち優秀なグローバル人材の技術力が欲しい"と言われたから移住してまで入社することを決めたのに、中国語も英語も技術力も何の意味もなかった」
「日本の企業で働かなければ純粋に日本を好きなままでいられた」
「中国の同期生は僕がSIerで役に立たない技術やカスタマーサポートやExcel仕様書のために時間を費やしている間にキャリアを積み上げている。面子を大事にする中国に戻れば"出戻り負け組"として侮蔑的な態度を取られることもある」
そんな話を聞いて俺はむかついている。
会社は嘘をついていないし、やっていることに違法性はないらしい。過度なパワハラと訴えることが精々だろうか。その程度では人生の一部を無駄にしてしまった彼らの無念と後悔は晴らせないかもしれない。
優秀な外国人技術者を使い捨てるSIerの実態。「すべてのSIerがそうじゃない」「主語がでかい」と誰かが必ず言うだろう。俺もそう思う。きっと彼らが行くべき会社は他にあったのかもしれない。
でもどうか知ってほしい、こういう会社があることを。
そして止めて欲しい、こうした不幸な選択をする人が身近にいたら。
直に、俺も会社を去る。
私は大規模・小規模、それこそものすごい人数でのチームや、自分一人のプロジェクトまで経験してきた。化石のような連邦事務局でもクールなシリコンバレーの会社でも働いたことがある。私は12種類以上のプログラミング言語を学び使っていた。私の時代には ウォーターフォール/BDUF (big design up front), 構造化プログラミング, トップダウン, ボトムアップ, モジュラーデザイン, コンポーネント, アジャイル, スクラム, エクストリーム, TDD, OOP, ラピッドプロトタイピング, RAD, その他思い出せない様々な手法が生まれた。 でもそれらで上手くいってると思えるものは一つもなかった。
( 注:ここで書いてある「ソフトウェア開発手法が上手くかない」の意味について説明させてほしい。それらはソフトウェア開発のプロセスや、ソフトウェア開発そのものについて予測性や再現性を提供していないという意味だ。ほとんどのソフトウェア開発手法はプログラミングに工学風のプロセスを提供してくれる。しかし、上記の理由でそれだけでは不十分だ )
チーム生産性・幸福度・メンバーのつながり・1日あたりのコード量・人月・コードの品質・製造された成果物、、、そういったもの以外でソフトウェア開発手法が上手くいってるか、いってないかを図るものはあるのだろうか?
もちろんどんな手法論だって、それに合わせた正しい指標を使えば上手くいってるか・いってないかが計測できる。しかし一番肝心の問題 ーー予算と期限内で要求を満たす事ーー について定常的に結果を図れる開発手法を見たことがない。
上記は私の経験則だけど、僕の知ってる殆どのプログラマは同じような事を経験している。それらの話から言えるのは「ソフトウェア開発手法について厳密な研究は存在しない。なぜならソフトウェア開発上のすべての要素をコントロール事が出来ないからだ」
こんな思考実験をしてみよう、
2つのプログラマのチームがある。どちらも要求・期間・予算はしっかり確定していて、同じ開発環境・プログラミング言語・開発ツールを使うとする。一つのチームはウォーターフォール/BDUFをつかう。もう一つのチームはアジャイルテクニックを使う。
この思考実験にはもちろん意味がない。メンバー一人ひとりのスキルや性格、お互いにどんなコミュニケーションを取るか、そういったことの方が開発手法よりも大きな影響を与えるのは明らかだ。
アリスター・コッバーンが2003年に"People and methodologies in software development" (http://alistair.cockburn.us/People+and+methodologies+in+software+development) という記事でまとめている。
" 人と人の間で、更には刻々と経過する時間の中で変化するメンバーのキャラクターこそがチームの振る舞い、結果に影響する最初の要因だ。 "
私がプログラミングを始めた1970年当時、開発体制はプロジェクトマネージャー・ビジネスアナリスト・シニアプログラマと言った階層構造でガッチリと管理されていた。開発言語やツールを選ぶことは許されていなかった。私はいくつかの大きく複雑なプロジェクトに関わっていたが大体上記の様な働き方だった。成功したプロジェクトもあれば上手くいかないものもあった。
今は開発言語やツールに合わせて、開発手法・働き方をプログラマが選ぶのが当たり前になっている。アナリストやらがプログラマを監査することは殆どなくなった。プロジェクトマネージャーは"リーダー"・"スクラムマスター"という形で矮小化され、管理職の権限は無力化され「チームの意見をまとめる事」以外は何も出来なくなっている。
ガントチャート・スケジュール・ドキュメントを使った「厳格なマネジメント」は"ユーザー"や"ステークホルダー"の関与を省かせて、"ユーザーストーリー"を要約していた。今や私の周りではまともな大人が監督してるとは思えないプロジェクトばかりだ。プログラマのカウボーイスタイルのコーディングを放っておいてるのに、彼らは自分好きな手法を適用するか作るかさせて、1980年代以上に決め事・儀式だらけだ。
実際、今のプログラマは1970年代のCOBOLの現場以上に手法論について厳格で、盲信している。実際私が最近関わるプロジェクトは、大体の場合何も価値を生み出さないのに一人か二人のメンバーが開発したプロセスや"ベストプラクティス"を背負わされてるものばかりだ。
プログラミングチームが手法論を採用する(多くの場合チームの数名か、一人のいじめっ子が決めるのだが)と、やがて厳格に従うように要求を始め、やがてそれは宗教になる。そうなることではじまる無自覚な攻撃が、手法論やテクノロジーが生産性を高めるより早く、チームの生産性を下げてしまう。
私の経験から言わせると、アリスター・コッバーンの論文やフレデリック・ブロックスの「銀の弾丸はない」http://www.cs.nott.ac.uk/~cah/G51ISS/Documents/NoSilverBullet.html で述べられているように、プロジェクトを成功させるにはチームメンバーが共通のビジョンを共有する事(その本では「コンセプトの統合」と呼ばれている)が必要だ。特に何かの手法論を指しているのではなく、これと言ったプロセスがない場合でも同じだ。私はプロジェクト管理ツールの「完了」ボタンをクリックするだけのチームで働いことがあるが、何故か分からないがBDUFやアナリストの監査の元で働いていた昔よりも気分が悪いものだった。
私はプログラマは様式やツールにこだわるより、同僚の話にもっと耳を傾け、もっと一緒に働くことに注力したほうが良いとおもう。そしてプログラマは手法論やプロセスについてもっと疑って掛かった方が良いと思う。そうすればみんな魔法の様に生産性が上がる、間違いない。多分プログラマが社交的なスキルを高めるのは他の職業より大変な事だと思う。(私は必ずしもそうだと思っていないが。)でもそういったスキルを鍛える事は、手法論を試すより事よりはるかに元が取れる、間違いない。
これの翻訳です。
http://typicalprogrammer.com/why-dont-software-development-methodologies-work/
中高とずっとイジメられていて、殴り殺されたら楽になるのにとずっと考えていた。
当然友達なんて一人もいなかった。
けど、ToHeartやこみっくパーティーやToHeart2のアニメを見るために、東映KANONのアニメを見るためにとりあえず生きていた。
P/ECEに音楽を入れて電車の中で聞く時間だけが救いだった。(叩かれそうだから、ボカして書いてるけど色々察し欲しい)
そして、ToHeart2のアニメを通じてラジオという人間が生み出した最高の娯楽と出会い、少し前向きになり、
そのラジオで話されていた「同性愛」というものに興味をもち、ジェンダーについて学びたく大学進学のために勉強をはじめた。
相変わらず友達は一人もいなかったけど、教授や院生の先輩たちと仲良くなった。
最初は教授の外国語の講義で興味をもって、その教授の交通学の講義をとって、その教授のゼミに入って、
そこで交通シミュレーションのプログラムに触れたのが、僕が動いているプログラムに触れたはじめたの体験だった。
教授自身に興味をもち、交通学に興味をもち、そしてプログラムっていう仕事に繋がる楽しいことが見つかった。
論文を書いて学会に出たはいいけど、質疑応答でしどろもどろになって、ホテルで教授に慰められたのもいい思い出だ。
四回生の先輩の卒論用のプログラムを代わりに書いていたら、気づくと卒論の本文までほとんど僕が書くことになったのも
自分が四回生になったときに、ゼミの人たちのプログラムの大半に携わっていたのも、大変だけど本当に楽しかった。
大学でやっていたFortranとは全然違う.Netをはじめとするマイクロソフトの技術に触れたことで、より一層プログラムが好きになった。
特にSilverlightを使って3DアニメーションのUIを開発したときは、大学の時に学んだ数学がこんな所で役にたつのかあ、とシナプスが繋がる楽しさがあった。
プログラムだけじゃなくて、自分で企画したWebアプリのプレゼン資料の準備をするのも楽しかったし、
派遣でいった先で、Flexに触れて、暇なときにパフォーマンスチューニングをゴリゴリやって、レスポンスを10倍ぐらい早くできたときは
「自分この仕事向いてるんじゃないかな?」とか天狗になって、そのあとそのパフォチューのせいでバグが見つかって大目玉を食らったけど
それでもやっぱり、楽しかった。(本番環境にデプロイする前で本当に助かった)
RIAだけじゃなくて、WindowsFormsでガントチャートをなんのライブラリを使わずにつくる仕事も楽しかった。
D&Dの実装はメンドイし、お客からは「この線を船の形にしてや!」なんて無茶振りにこたえるのも楽しかった。
そのあと、確かSilverlightが実質終焉を迎えた頃、事件があった。
女性社員と個人的にもめたのが拗れて、裁判沙汰になり、和解金を払い解決した。
その事件のせいで、就職した会社にはいられれなくなったものの、タイミングよく独立する上司がいたたため、
その人についていって、仕事に困ることはなかった。
本当に楽しかった日々は、それ以来ツラいだけの日々になった。
なのに、今僕は中高生のツラかったあの日々よりも、ツラいと感じている。
何も理由はない、転職したけど仕事にも不満はない、友達は相変わらずいないけど、Xboxをつければフレンドのアバターが迎えてくれる。
はてなにログインすれば、お知らせのところの赤い丸数字が承認欲求を満たしてくれる。
なのに、今ただただツラい。
本や漫画を読んでも、文章がブロック単位で入ってこない、ただの一文字一文字の羅列としか思えない。
ゲームをしていてもコントローラーを持つ手がいうことを聞いてくれない。
仕事もあれだけ楽しかったプログラミングがただの穴を掘って埋める意味のない作業にしか思えない。
特に女性の声は聞くだけで発狂しそうになる、タオルを口につめないと大声をあげてしまいそうになる。
ただただ、ツラい。
足を動かすのが、トイレにいくのがツラい。
それでも、その上司のことを考えると自殺するわけにはいかないと思い頑張ってきた。
けれど、どうももう僕がいなくても、大丈夫になったと思う。
そう思えたときから、ツラい日々が「どう自殺するか?」を考える日々になった。
今請け負っている仕事が終わるのが三月末。
そろそろ退社の意思を伝えて、六月ぐらいに退社して、自殺しようと思う。
嘘です。
自殺なんてしたくない。
死にたくない、ラジオを聞きたい。
ゲームがしたい。
アニメがみたい。
本が読みたい。
プログラムがしたい。
でも、その全てが楽しくないんです。
誰か僕を見つけてください。
追記
http://d.hatena.ne.jp/Yamashiro0217/20131004/1380855545
ほぼ、考えることだ。
これは正しい、正しいがゆえに
場合によっては駒の重さが30kgぐらいある。
どんだけ優れた将棋指しでも、30kgの駒を100回とか動かしたら、
30kgもある駒を動かすのは大変だ。
開発環境工夫したり、色々して駒を軽くする。
Googleなどの世界的な企業で活躍する、畏敬する人々は得意な道具こそあれ
なぜならは
ほぼ、考えることだ。
ということだから。
研究であれば重要な仕事の殆どは調査や新しいアルゴリズムの考案だし、
システム開発であれば設計こそが最も重要な作業ということになる
手を動かす段階になれば、時間がかかる仕事や重要な部分の殆どは終えている。
その段階で慣れた道具か?そうでないかの差で生まれるパフォーマンスの違いは
それほどの割合にはならない。
出来るエンジニアが最も求めるのは、深く考える事が出来る環境と、
周到な議論を繰り返せる優れた同僚に他ならない。
道具などは、プレゼン用や出張用に貸与されるようなノートPCに、そこらのエディタですら困らない訳だ
もちろん慣れた道具があれば越したことはないけど、それが全てでも最重要でも全くない
手を動かす作業が早くなることが能力の証明=所詮はコーダーのドカタさんorただの社二病
プログラマになりたてのお子ちゃまが、無駄にテンプレートやデザインパタンを使いたがって
パフォーマンスの悪い糞コードを乱発するくらいに質が悪く、筋が悪いことだ。
ということで
聞く人が聞けば、鼻で笑われて、相手にされなくなる
はあ。メモ帳とコマンドプロンプトだけでIDEと変わらない効率でコード書けるってことですか。そりゃ優秀ですなあ。/酷い道具でも効率落ちないのって無能過ぎて既に効率が0だからじゃないの?
DDD位は使わせてくれるんなら余裕でできるよ。
プリントデバッグのみじゃ、さすがに苦しいけど、その環境に叩きこまれたらバグ出さないように手を動かす前に考えぬけばいいだけ
そもそもエラーハンドリングなんて、IDEなくたって幾らでもやりようあるだろ
おめえエクセルでテキストボックスひとつ動かすのに5秒掛かるPCでガントチャート作ったことあんのか?地獄だぞありゃ。/経営者の皆様、社員の方々にはちゃんとした道具を使わせてあげてください。
その段階になったら、普通はプログラム書いてエクセルをコントロールしてチャートを作るんだよ
何エクセルのGUI使って直接作ることにこだわってんだ?だから、エクセルがサクサク動く環境でなければダメなんて奴は無能なんだよ
ところが実装してみなければ分からない問題ってのが往々にしてあるわけで、だからPDCAサイクルといった手法があるのよね。設計だけしかやってないSE(笑)だったら道具にこだわらなくてもいいのかもしれないけど。
設計が簡単だと思ってる時点で笑える。しかも実装しなければ、分からないって、手を動かす前に考えろよ無能w
だからそう言ってるだろ、あればあるに越したことはない、慣れた道具で作業すれば楽にはなる、が大事なことじゃない
良い道具を知らない人ほど、道具に拘るなと主張する。
色んな道具を知ってるから拘らないんだよ
もちろん、慣れた道具で作業できればそれに越したことはない
ま、こんなところか。
拝承できない人の特徴は、よくネットやテレビで見かけますが、SIerに向いていない人の特徴 はあまり見かけたことがないので、10個挙げてみました。
いくつか似たようなのが含まれてますけど。
過去に出会った人々(自分も含め)の中で、「SIerに向いていない」と思った人々の特徴をあげていってみました。さすがにこの特徴を全て満たしている人には会ったことないですが、近い人はいた気がします。(自分も含め)
あくまで「SIerに向いていない」なので、納品しない受託開発などの場合にはこの限りではありません。
他にもたくさんあると思うので、これぞという特徴を思いついたらぜひ教えてください。
東京電力に望む物。
何かが発生したときに生じた追加費用(水漏れが起こったら、それをチェック・改修するのにかかった費用)。
これは、なんだかんだ言って国民が負担するしかないんだからな。
何かのミスで追加費用が10億かかりました、なんてのを隠すんじゃないぞ。
これらを最低1日1回更新しろ。
2)ダンスで表現するのがEXILE、マウスで表計算するのがEXCEL
3)セールスを記録するのがEXILE、セルに記録するのがEXCEL
4)新曲はヒットチャートなのがEXILE、進捗はガントチャートなのがEXCEL
5)真っ黒のサングラスをかけるのがEXILE、マクロの線グラフをかけるのがEXCEL
6)行列が出来るのがEXILE、行と列で出来てるのがEXCEL
7)Choo Choo Train なのがEXILE、=Choose() =Choose() =Trim() なのがEXCEL
8)レコード会社と契約するのがEXILE、レコード単位で編集するのがEXCEL
9)ボーカルがデュエットなのがEXILE、テーブルがピボットなのがEXCEL
戦友たちの作った、血の池で
涙で編んだコードを引き
悲しみで鍛えられたライブラリを振るう
どこかのだれかの顧客のために
システムに機能を
収支に夢を取り戻そう
われらは そう 働くために生まれてきた。
それは新人のころに聞いた話。
誰もが笑う御伽噺。
でも私は笑わない。
私は信じられる。
あなたの職歴を見ているから。
あなたの腕前を知っている。
今なら私は信じられる。
あなたの作るシステムが見える
あなたの差し出すツールを取って
私も一緒に駆けあがろう
幾千万の私とあなたで
あのデスマーチに打ち勝とう
どこかのだれかの未来のために
マーチを歌おう
そうよ未来はいつだって
このマーチとともにある
全軍!残業!
たとえ我らが過労死しようとも
そうよ未来はいつだって
このマーチとともにある
私は今一人じゃない
いつどこにあろうと
ともに歌う仲間がいる
時をも超えるマーチを歌おう