はてなキーワード: 鬼畜米英とは
https://twitter.com/May_Roma/status/1683042444085178368
イギリスはロシアが開戦して、光熱費が2倍以上になってしまったから、マジでロシアを憎んでいる人間だらけである。光熱費が一般の家で6万とか10万。月にだよ。貯金なぞゼロ、毎月余剰資金皆無で借金だらけだから払えない家が大量にある。だからロシアへの憎しみは凄まじい。
筋違い。
それとイギリスと違い、日本はロシアの隣人。あとガスも食料も輸入している。
さらに日本と違い、イギリスや欧州はウクライナのかなり凄惨な動画や戦況がテレビで流れまくり、新聞にも詳しい解説が載る。日本だと軍事専門雑誌に載る内容を詳しくやる。犠牲者もたくさん出演する。死んだ子供も出す。負傷した人、障害者になった人もでる。だからロシアへの憎しみが凄い。
ということはイギリスではマイダン以降についてデタラメな報道しかしていない。ジャニーズもそうなのだろう。
だからロシアにわざわさ留学する様な人間、旅行に行く様な奴は人間扱いされない。ロシア人はこっそり暮らしている。ロシア関係のビジネスをやってる奴らもこっそりである。本屋にはロシア擁護の本や雑誌は一切ない。まじで一切である。
日本人は目を覚ましてロシアの残虐さ、今世界で起きていることを理解しないと、本当に有事が起きたら大変なことになる。そのためにはテレビをどうにかしなければならない。日本のテレビは日本の人に外の事実を知らせない洗脳装置になっている。
鬼畜米英とか言ってると負ける。
https://www.bbc.com/news/world-60525350
イギリスに肩入れする義務はない。そもそも日本人をバカにして欧米を押し付けてきた。
今こそつけを払うとき。
「昭和ひとけた生まれというのは、育ち盛りを大戦争の最中に迎えているから、本当にしょうがない。思想は鬼畜米英だし、食べものはない。特に東京の下町などは何もないといっていいくらいで、主食はサツマイモ、菜はカボチャ」だった。
「渥美もこうした環境の下町で育ったから、死んでもサツマイモは食いたくないクチだったろう」あれれっ、いきなりこれではだめかなと思った。それはそれとして渥美関係の本はどれも面白い。気を取り直して片っ端から見ていくと、一冊だけだったが探していたものが出てきた。役者で渥美清の付人でもあった篠原靖治の「生きてんの精いっぱい 渥美清」(主婦と生活社、1997)で、こうあった。
「地方へロケに行っても、食事はごく質素なものでした。朝は旅館やホテルの中の食堂での和食、昼はやはり日本そばかラーメン、またはふかしいも。夜もご馳走というよりはおいもの煮っころがしのような物を何品か選んで食べます」 「宿の人と仲良くなってくると、さつまいもをふかしてもらったりもします。渥美さんはこれが大好物で、ロケ現場にまで持って行くのです」
長年、「シノ、シノ」と可愛がられてきた人の証言だけに重みがある。渥美清はいも嫌いの多い世代の一人だが、他の人たちとは違っていた。なぜか、それが本当に好きだったようだ。
「6回接種!マスク厳守!PCR検査必須!」みたいな知恵遅れみたいな事未だに言ってるし、コロナって老人のわがままに付き合わされただけなんじゃねーの?
ちょっと調べりゃ付着と発熱の区別も出来ないPCRなんか何の参考にもならん事位判るのにな。発病のみ判明する抗原ならまだ判る。
なんかアレよな。戦争が終わって自分だけ鬼畜米英って1人で竹やり振り回してる変わり者の市民に付き合わされてる気分。
若者とかホント良い迷惑だわ。何人健康被害被ったと思ってんだよ。人間何やっても死ぬときゃ死ぬんだよ。それが運命・天命だろ。まゆりが何度も死ぬみたいに、決まってる事に逆らっちゃイカン
タイトルは誇張ではない。本当に言っている。
夕刊フジは洋楽という言葉を使わずに"外タレの曲"呼ばわりして欧米への差別感情をむき出しにしている。
しかも1983年の外タレの曲を使い倒すのは、ぶっちゃけ誰得なのでしょうか?
TBSの「ジャニハラ」にウンザリ WBCでひたすら流れる外タレの失恋ソング ヘビロテで聞かされるのは一種のハラスメント - 夕刊フジ
もしWBCのテーマ曲がJ-POPであれば"外タレの曲"という批判は成り立たないわけで、曲が洋楽というだけでヒステリーを起こしているという、お前が生きている世界線は戦前かよとつっこむのも馬鹿馬鹿しいクソ記事である。
「洋楽は外タレだから使うな」と言うなら、そもそもWBCという言葉自体が外国語だし、WBCを主催するMLBは外国人だし、野球用語は外国語にあふれているし、そこも一貫しろや。
元々はネトウヨが右翼的なものを批判された際に多用した「ウイグル問題の方が深刻だ!なのに、なんでそちらを批判しないんだ!」という論点のすり替え
colabo問題でフェミが同じ論法を使用し、図らずしも、自分たちが憎んでやまないネトウヨと同類であることを証明してしまった
フェミニスと、リベラルは「女である私は男から嫌がらせを受けた。だから、(ジャップの)男は皆女性だ!」「私の周囲の人間は私に冷たい。だから、ジャップは悪い国だ!」と主張する例が多いが、その姿は一部の韓国人を例に朝鮮人は野蛮人であると決めつけるネトウヨとそっくりである
またフェミは女をあてがえ論を引き合いに出して、男叩きをするが、女をあてがえ論を主張しているのは弱者男性の一部であり、同じ男からも軽蔑されている。しかし、フェミはまるでそれが独身男性の総意であるかのように語る
ミソニジストも自分と少しでも意見が食い違うと女性認定、おばさん認定する
一方リベラルも異を唱えた人間をレイシストであると決めつけて反論になっていない反論をする
ジョージ・フロイドが犯罪者であるという事実を述べたゲーム会社の幹部が解雇されたことを忘れてはならない
弱者だから何をしても許される、今まで悲惨な目に遭ったからどれだけ酷いことをしてもいいという理屈
リベラルの主張の根幹を成すと言っても過言ではない
人種差別に反対する黒人がアジア人を差別しているのはなんとも嘆かわしいことである
リベラルの皆さんには是非とも呪術廻戦を読み以下の名言を噛みしめていただきたい
「不幸ならなにしても許されんのかよ」
強者だから何をされても耐えろ、今まで酷いことをしてきた人間には何をしても許されるという理論
例としては
「男は今まで女性を抑圧してきたのだから、差別されても耐えろ、というかそもそも男への攻撃は差別ではない」
「ジャップは侵略をしてきたのだから、原爆を落されるのも自業自得である。鬼畜米英も同じ事をしてた?うっさい、黙れ」
この理屈は早まった一般化と組み合わされて非常に悪質なコンボ攻撃となる
言い換えれば、「一部の日本人男性が女性を差別した。だから、例え女性を差別していなくても日本人男性であるというだけの理由で攻撃しても許される」ということである。
「欧米では死刑が廃止されている。だから日本も死刑に廃止すべきだ!」
「白人男性は人権意識が優れていている!それに対してジャップのオスは人権意識が底辺だ!白人がアジア人を差別している?黙れ」
といった感じである
人種差別反対を主張する人間が白人至上主義者であるとはなんとも滑稽である
ネトウヨも「日本人は白人の遺伝子を受け継いでいる!」と主張したり、白人に日本を賞賛させる下品なホルホル番組で悦に入る
「○○を許せば、歯止めがきかなくなりいずれ~~に繋がる」という理屈
具体例は
「難病で助かる見込みがなく本人も死を望んでいる人間を安楽死させれば、いずれは死を望んでいない健常者も殺される」
「優生思想的な考えを少しでも認めれば、誰も居なくなる」
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
横だが怒りは「発作」と医学的に見る人もいるらしい
この「怒れよ」とか「怒っていい」という表現とその背景にある心理は、近代から現代における「日本人」のダメな部分をよく表しているよな。目的意識が希薄で規範や道理から逸脱したと見做した相手に対する怒りが行動を規定してしまう。
日本人の血であがなった大陸の生命線と利権を徒党を組んでかっさらおうとしたり、満州開発してるだけなのに経済制裁してくる鬼畜米英許せねぇ、からの真珠湾攻撃を喝采してしまう。
でも日本にとっての本当の生命線は英米との良好な関係のほうだったよな。
今まで親しく付き合い、選挙で力を貸してくれていた人たちに向かって親しいわけではないとか関係ないとか言い出すのは確かに不義理なんだよな。
でもそもそも統一教会が政治家にかかわろうとする目的は何か?まず真っ先に摘発逃れだろ。これは指導者自身が述べていて、冷戦の終結もあって90年代に政治家とのかかわりが薄くなり、その上オウム事件もあって「次(に摘発されるの)は統一教会」なんてささやかれるようになった。だからもう一度政治家とのかかわりを強化しましょう、と。
もう少し遠大な目的としては日本を完全に制御下に置くこと。彼らの言葉でいえば、「日本を宗教国家にする」ということ。
このどちらの目的に照らしても、今この瞬間に公の場で怒って見せることに合理性はないんだよな。そしておそらく「内輪もめ」する害のほうが大きい。そもそも政治家の生命線である選挙に食い込んでる上に、私設秘書として政治家の内部事情も把握してるだろうから公開の場で怒って見せるより水面下でやるほうが得策でしょ。政治家には、直接の関係はないとか、関係を改めることを検討するとか言わせておいて、事態の冷却を待ちつつ、カルト対策法(仮)を骨抜きにできればそれで目的は達せられる。
メンツを失うとなめられると思う人もいるだろうが、メンツのために自滅するとかまさに本末転倒だし。
あるいは信者向けのアピールとしてみても、公の場で議員とケンカするより「今は試練の時です。悪魔からの攻撃を耐え忍ぶために議員の方々も苦心しておられる。日本を真の宗教国家にするためにはこの苦難を乗り越えねばなりません」とでも言っておくほうがよっぽどいいでしょ。
今回の場合は統一教会がどうふるまうかという話だから、彼らが怒りに身を任せて自滅してくれるなら「日本人」としてはありがたいけどね。そうはならんでしょ。ある程度教育が行き届いてるはずの集団でそんなことするアホ日本人くらいのものだぞ。