はてなキーワード: 貨幣とは
特にNobanbaさんと雪椿姫さんなど文章の含蓄がある人に聞きたいと思って書く。
↓この記事なのだが…この文章で使われてる構成の技法がわかるかしら?
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20121110/1352537384
アカデミックの名前がわからないけど、上記の文章は僕が伝統的に7・8年前から使う最も古典的にして、僕らしい文章技術です。僕は「縄」とか呼んでる技法で、一つの話をするためにいくつもの例え話や実話を絡めながら、積み重ねてコンセプトを強調する技法を僕はそう呼んでいます。
…が、この文で使った技法をはてなの読者がただの散文にしか見えないようです。
この記事ではエロと野球と努力のプロセスの話を並行させてその場その場で言いたいことを噛み砕いて説明してくれるお話を出しています。一本の縄、を作るためにそれを豊かな味わいにするために、別の話(に見える関連性の高い話)を同時進行で喩え話として持ってくる。
(もうちょいざっくり説明するか)
「才能」の話だけだと「才能とは個人技や先天性のものではなく、むしろ続けていくための努力そのもの…批判に耐える精神力のことを言う」だけで終わっちゃう。
だけど、それだけだと「うん、そうだね」で終わっちゃうし、わかりにくいから野球の話を絡める。なぜ、努力そのものか…それはプロ野球選手おのものがオールスターで地元で、その世代でブイブイ言わせたプロ集団だから。なぜ、精神的耐性が必要なのか?それは、プロ同士が平然とやっている野球は素人には到底及ばない高度な技術の結晶体で、素人は打席にすら立てないほどだから。
…だけど、これを一度だけ言っただけでは面白みに欠けるし、強調技法としても弱い。そこで意外性のもう一手(初めのエロ)の話を違うようでいて同じ話で言い換えて強調する。
『要するに表現とはオナニーで、評価・貨幣化とは射精だ。何度もやりたがる女の子は期待するファンであり、商売というのはヤリたいときにやる事ではなく、女の子が期待し続ける限り、期待に応えることだ。』
…3種類の言い換えを違う話のように上塗りして強調することで、メッセージ性をより深く頭にすり込む。(その上で全く同じことの言い換えではなく、言いたいことを狭く指し示す言葉を最後においていくことがポイント。)
これを順番を変えながら、同じ話を違う例え話・アプローチでする。…まるっきり違う話をしているようで居て、同じ話なんです。これが文章というエンタメの本質だと思うんです。(それを2~5種類絡める技を僕は「縄」と呼んで、高校時代から使ってます。)
例えば…みんなで同じものを食べたとしよう。
Aさん「おいしい!」
Cさん「えびもいいけど、えびのだしの染みこんだこのご飯が美味しい」
Dさん「大きなエビ、スパイスで黄色く染まったご飯、それにトマト…見た目も綺麗でしょ?」
Eさん「久々に五感で食事した。口に含むと塩気じゃなくて、えびの風味が鼻から突き抜けていく。」
…これ、家族で母が作ったパエリアを食べた時の会話です。文章書くヤツはAとBは使うな!使うぐらいなら、言葉なんか使わずに美味しそうに食べてろ!白々しいから。(まぁ、ABはオヤジなんだけどさ。)
『旅行を楽しむからには「疲れをとる」とか「新しいものを見るとか」じゃなくて、感覚的に新しいモノを持ち帰りたい。…そういう考えを僕は持つことが多い。そんなことを考えながら一人で被災地やら、神戸やらに遠出することもあるが、その必要はないのかもしれない。
例えば、私の母の料理は食卓にいながら、旅にでたような刺激的でいて、癒しをも与えてくれる豊かな表現力を持ち合わせている。とりわけ、私が子どものときからつくるパエリアの味は絶品で、食事とは旅…綺麗で、美味しく、いつもと違う空気が味わえる。そんな行為だと教えられるのだ。』
3種類混ぜると…パエリア・旅行・エロでできなくもないんだけど…俺以外のコメントが10埋まったらやります(笑)
僕はイケメンじゃないけどさ、女の子をアクロバティックに褒められる人だとは思ってますよ。その表現力だったら、紙媒体だろうが、生身だろうが、僕に勝てる人はそんなにいないと思ってます(笑)だから、多少は信用があるかなぁ・・・と。
「造幣局がバングラの硬貨鋳造を受注」というニュースが流れている。
要は、「電子マネー普及で鋳造量が激減してリストラ危機の造幣局が、
存在感アピール、組織防衛のために、赤字を承知でダンピング受注した」というのが真相で、
こんな姑息なことをせず、正々堂々とバングラにODAを供与して、造幣局をリストラするのが王道である。
ところで、硬貨流通量のピークは1974年で、今の7~8倍も流通していたらしい。
そのことが「造幣局の黄金時代」で、あとは凋落の一途だが、なぜ1974年がピークだったのか?
なぜ1975年以降減少したのか?
推察できる理由は2つ。
1)この頃から「現金払い」から「口座振込」へ時代が進んでいった。
1974年頃は、まだサラリーマンの給与も「現金」で支払う会社が多数だったのだ。
その分、オヤジの威厳も保たれていた訳だ。
あるいは、アパートの大家さんに家賃を払う、学校に給食代を払う、
電気や水道の公共料金を払う、そういう局面でも、結構現金払いが主流だった。
なので、「集金人」なんて職業も、成立していた。
現金払いの主役は紙幣ではあるが、端数分は硬貨が使われていたから、硬貨の流通量も増えていった訳だ。
しかし、1975年頃から、生活の中に、徐々に「口座振替」「振込」「ATM」が普及し始め、
「自動口座引き落とし」とかで、わざわざ銀行に出向く必要もなくなる便利な社会になった。
今までだとリアル紙幣・リアル硬貨の出番だったのに、銀行内のバーチャル電子データ移動で
同時にサラリーも口座に振込まれるようになった。
総務部の仕事はラクになったが、オヤジの権威の源泉は喪失された。
2)口座振替の普及とほぼ同時期に、クレジットカード、いわゆるVISA・マスター・JCBが普及した。
今までなら、デパートで買い物、レストランで食事、となると、1万円札数枚に千円札数枚、
100円玉や10円玉・・・となっていたのが、カード決済だと紙幣も硬貨もいらなくなった。
ということで、1974年をピークに、貨幣・硬貨流通が減少したのは
「第一次キャッシュレス革命」と呼べる現象じゃないか、と思っている。
徐々に「公共料金の支払いにカード使えます」「電車乗るのにカード使えます」
「病院の支払いにカード使えます」「コンビニにATM置きました」てな程度でしか進まなかったが、
2007年前後の電子マネーの普及は、一気に少額決済のキャッシュレス化をもたらした。
電子マネー普及による少額貨幣流通量激減、これを「第二次キャッシュレス革命」と呼びたい。
この革命は特に大都市圏、いわゆる「SUICA経済圏」で進行中である。
ただ、第三次キャッシュレス革命は、法律の手助けも必要かもしれない。
第三次キャッシュレス革命とは、電子マネーを法定通貨とみなし、全店舗、全個人に電子マネーと読み取り装置を配布し、
紙幣貨幣を全廃する、という「資本主義の血液の総交換作業」である。
今から見れば第三次キャッシュレス革命は「絵空事」のように見えるだろうが、
第一次キャッシュレス革命の時代(1975)から現代を眺めれば、
「SUICAで自動販売機ジュースを買えるなんて、SFの世界に見える」だろう。
それと同じで、第三次キャッシュレス革命、つまり貨幣硬貨全廃は、決して絵空事じゃない。
第三次キャッシュレス革命、つまり「オール電子マネー化」のメリットはこちら
↓
http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/19700215
>リフレ派に増税反対してる人がいるようだけど、日銀がお金をたくさん刷って、インフレを起こせば民間の所有する貨幣価値が下がるから増税と同じじゃん。
増税効果の有無が一致すれば、どんなものでも全部一緒だと言うの?馬鹿じゃん。リフレは経済全体のパイを拡大させて、そこからインフレ税を取る。消費増税は経済全体のパイが同じまま(あるいは縮小させながら)、そこから増税分を取る。インフレ税なり消費増税なりの分を取られた、残りの分け前の大きさは全然違ってくる。
税金を取ることで、何をしたいのか不明瞭。
税収はすなわち即金として使用できる。それが財政健全化をもたらすという。建前上の一番のインセンティブだ。
ところで、日本の国債利回りは0.098(1年)〜2.088(40年)(基準はH24.8.21。財務省HPより。)と、低い。
この数字が語るのは、我が国はお金の保存先としてはトップレベルの信頼性をもつ国だということ。
それはなぜなのか。2011年度で、海外からの国債保有率は9パーセント弱。圧倒的に国内の機関投資家の割合が高い。
この状態だと、デフォルトに陥る可能性があるとは考えにくい。
海外及び家計を含む国債保有者の内訳は、http://www.boj.or.jp/statistics/sj/sjexp.pdf から参照できる。
今後外国のファンドによる保有率の向上が考えられるが、そうなるのは利回りが上昇傾向をみせてからだ。つまり、経済成長が確実視されてからということ。
政府の歳出の面を見ても、ODA で今後約30兆円の支出が決まっているところからみて、我が国の国庫の安定性は当の財務省主計局でも織り込み済みのようだ。
その金の半分は復興と脱原発に関連した予算に回すべきと思うが。
最初に述べたように、税収は即金だ。その金の遣り繰りを掌握すること、また借金(国としては給料の前借りと同意義なのだが)を増やす事への制止ができれば、
坂本龍一の「たかが電気」発言でネットがにぎわっている。言うまでもなく、この「たかが」は「電気」にでなく、「(人間の命に比べた)電気」にかかっているということは彼の発言を実際に聞いた人にはわかるだろう。昨今の原発に関する議論の中でここまで当たり前な正論を言った人はいないのではないだろうか。「原発を止めると人が死ぬ」「原発を止めるのなら、代わりのエネルギー案を述べよ」。実にずれたところで話が交わされていると思わないのは私だけであろうか。彼らインテリはけっして責任をとらない。このまま第2、第3の事故が起こっても絶対に彼らは責任を取り得ない。取る気もさらさらないだろうが、取りえないとという前提にすら彼らはたたずに好き勝手にものを言う。
生物が利用できるエネルギーは、基本的に自然界にあるものだけである。太陽は昇って落ちない日はない。水は空と地の間を駆け巡り続ける。こういう物に植物は支えられて生き、動物はそれを食べて生きる。もしくはそのような動物を食べる動物がいる。これが生物をつつむ大きなサイクルである。半永久的な、私たち生命を育むエネルギーである。だが、この範囲を超えようとする生物が現れた。人間である。人は自分が食べれる以上のものが欲しい。あればあるだけ嬉しい。貨幣に換算して、できるだけ多く持っておきたい。もっと豊かな生活を送りたい。「近代的な富」が欲しい。そうして人は自然のサイクルをはみ出した。まず化石燃料がその欲望を支えた。化石燃料はいつか無くなる物である。このサイクルを超えては、永久的な生活の維持はできない。だが人はこの燃料に手を出した。だが、ここでやめておけばまだ良かったとも言える。なくなるだけですんだかもしれないから。悪いのは原子力エネルギーに手をだしてしまったことだ。100年程度しか生きれない人間が、「後世の人間がやってくれるだろう」「みんなでやればきっと管理できる」という無責任さで起こしたことがこれだ。私たちに補償されたエネルギーサイクルからとれるもの以上に欲しがればこのようなことが起こることは必然だろう。これは急進的な考えだろうか。私にはどうも当たり前なことに思えるのだが…。
原発推進派も反対派も結局共通しているのは、今の生活は維持したいということだろう。だが、言うまでもなく今の生活が自然サイクル以上の物を超えて行われているのだから、この生活は本来やめなければならないし、いつか終わる物なのだ。そのような自覚を一人一人が持たなければいけないのではないだろうか。これを少しはマシにするものがあるとすれば、太陽光、水力、風力のエネルギー開発だろう。だが、これもまだまだ今の生活を維持できるほどには発展していない。結局は、今の生活はいづれ終わるということ、本来生物は自然のエネルギーサイクルの限界を超えては生きれないということ、この前提に立ち返ることが必要なのではないだろうか。
ちょっと横道にそれるが
http://anond.hatelabo.jp/20120620181955
自分の認識では、ギリシャ危機一番の原因はEUに加盟したから、という認識。
ギリシャは小国な故に輸出よりも輸入が多い。この状態を10年も続けていれば、赤字が膨らむのは必然。
EU以前であれば為替効果で輸出も増やせたが、EU加盟で為替が無くなった為に赤字が増え続けていく事になった。
たとえ貨幣がドラクマに戻ってドラクマが暴落したとしても、貿易というものが存在する限り、時間をかければ復活の可能性はある。
今のままEUに援助してもらっていても、借金は増え続ける。輸出大国に一変すれば、EU加盟のまま改善できるだろうが、それは流石に有り得ない。
無論、ギリシャがEU脱退となったら、借金帳消しされるドイツやフランスが今度は大荒れになる。ユーロが大暴落して世界恐慌が起きるかもしれない。
米国では、また求人倍率が下がった。失業者のテント村もでき、大学院卒のプログラマさえもテント生活している状況だ。世界恐慌になれば、日本も例外にはならないだろう。
ギリシャ以外の国にとっては、ギリシャは自転車操業になろうと絶対にEUに残留するべき。
ここら辺の相関関係をギリシャ人は解っているのか解っていないのか知らないが、
こういった事を把握した上で、ギリシャ批判すべきだ。
言い方を変えれば、老人はなぜ金を持ってるのに使わないか?
将来が不安だからだろ。将来が不安だから、金を貯めこむ。金を溜め込むから経済が回らない。経済が回らないから将来が不安になる。
悪循環なんだよ。
だから、年金なんてものを作って、少しは消費に回してくれってのが現代社会。
貨幣を作っても作っても、消費やもっといえば、投資にまわらず、どんどんどんどん貯めこまれてしまうと結果経済が悪化する。
その部分を抜きに、経済は語れない。全てじゃないけど、重要な要素。
投資というと株式投資で、いちど株式投資にまわると、額を増やすことばかりに目がいって消費に回らない。これも結果貯蓄と一緒なんだよね。
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/17378
フロムダさんは結局のところ絶対の価値なんて存在しないと思ってる。
「ほんとうにいいもの」だとか「ほんとうによいこと」や「ほんとうのしあわせ」なんて存在しないと思っている。
そして、だからこそ一定の程度でルールとして価値を測れる軸は存在するべきだと思ってる。
そして、その根拠のかなりの部分を市場メカニズムに求めている。そして、それは一定の程度正しい。
なにせ、そもそも「ほんとうの価値」なんて存在しないのだから。
「学術的には価値があるが、市場的には価値がないものに対して、公的にどれだけ支出してもいいか」という問いに対して
「その学術的『価値』って何なの、あやふやすぎないか」と思う人は少なくないだろう。
そんなものよりも、市場的価値を軸にした方が明解だと思っても不思議ではないだろう。
需要と供給。提供できるものと、人が欲しがってるもの。それが釣り合い、高い価格がつけられる。明解だ。
そして、それはまた一定の程度欺瞞を含む。
「市場メカニズムで評価されているものなのだから、それは肯定すべきものだ」という言い訳に容易くつながる。
僕はソシャゲーのプランナーが実際にそう語っているのを聞いたことがある。
そして、その需要や欲望をゲーミフィケーションや己の持つ技術を駆使して操作して最大限に利益を貪ることは正しいことだと。
彼は本気でそう考えているのだろう。骨の髄まで市場メカニズムを内面化させているのだろう。
そうやって心の底ではくだらないと思っていることで、洒落たオフィスで働き高収入を得ていることに対する罪悪感を消し、自分を正当化させている。
そう僕は考えるから、これを自己欺瞞だと勝手に断定する。そして自己欺瞞であるが、一定の程度正しい物言いでもあるのだ。
なにせ、そもそも「ほんとうの価値」なんて存在しないのだから。
そして、この経済ゲーム、市場ルールという価値を測る軸に対して、
「そもそもある種ソシャゲーって違法じゃん」という法律ルールという価値軸による反論がある。それも正しいのかもしれない。
ただ、「クソ」なソシャゲーについて、市場メカニズムも法律も、合法か違法か、儲かっているか儲かっていないかしか答えない。
倫理や美意識や価値について答えられない。それが本当に「クソ」なものであるかについて答えられない。
というよりも答えない。
あらゆる価値軸というものは「一定程度」正しくて、「一定程度」間違っている。
世の中はゲームとルールというシステムでほとんど全てのものが動いている。貨幣ゲーム、政治ゲーム、恋愛ゲーム、権力ゲーム、道徳ゲーム、etc
すべてを超越する価値を想定し、他人に押し付けることはできない。ある一定の範囲である一定のルールが定められたある一定のゲーム内での結果が出るだけだ。
付け加えれば、「人生ゲーム」だとか「超越的価値ゲーム」なんて存在しない世界に僕らは生きているというのが、ウィトゲンシュタインやニーチェのお話だ。
だから、法律をギリギリの線で見切って、ギリギリ法律内で市場メカニズムにおいて稼ぐものに対して、確かな答えは出ない。結局、個人的な答えしか出ない。
だから「多くの人がソシャゲーはくだらないと思っているが、着メロのようにささやかな幸せを提供するものだ」と言うことはできる。
そしてフロムダさんが、ここの部分で「もののような気もする」とふんわりと述べているところに一定の揺れを僕は感じるのだ。
「ソーシャルゲームで金を稼ぐこと自体が社会的に無価値であるかのように言うのは、ちょっと違うんじゃないかと思うのだ。」というのも
「金のために作ってるクソ商品の方が顧客を幸せにしたりする」というのもレトリックだ。
「合法のソシャゲーが社会的に無価値である」ということを断定することはできる訳がないし、
金のために「クソ」なものを売ったって、市場メカニズム内で評価されていれば、それは「クソ」ではなく「顧客を幸せにしている」と定義づけることも可能だろう。
ただ、そこから「合法の範囲で市場メカニズムで稼ぐことは正しいことだ」という価値観に走ることは容易い。
「オレはこんなクソみたいなものをビジネスにして楽しいわけがないが、金が儲かるんだからしかたがない」という信条と
http://kwsearch.goo.ne.jp/life/1544.html
どんな人も胸をはれるようなものはもっているもんだと思う。
例えば四肢や五感の一つや二つがない人でも発達障害でも同じで、「普通」というのを平均としヒストグラムで数値で表したときに2シグマ以上離れた数値を「能力がある」とすると、何かが欠けた人は何かの能力を持っていることが多い。
ってのは、結局のところ人間の能力なんて先天性のものもあるけれど、後天的なものと合せて「1」が個人的な考えで、どこにしてもなんにしてもどっかで帳尻があうもんなんじゃなかろうかなーってことなんだけど、どうも人ってのは自分にしても「どこかで比較をしてしまう」傾向があって無駄だとも思うんだけどするんだよね〜。
これは自尊心からくるのか、過去の経験から来るのかはわからないけれど、人間ってのは競争する遺伝子でももってるもんなのかな?
なんていうか、ここまで多様化すると競争することすら意味がなくって、共存する方法を作ることに対して本来労力をかけたほうがいいんじゃないかなーとか思ったりする一方で、金融なんていう、貨幣価値がくそなものを考えると、一方が一方をしいたげるシステムでありまた興味深い。
就職活動で、クレジットカード業界(JCB・三井住友VISA・三菱UFJニコス)の説明会を受けて思った。
どの会社も、クレジットカードの利点は現金より「便利」だと言う。
でもクレジットカードって便利か?
店舗だと、クレカで払うたびにサインしなきゃいけないし、現金で買うほうがよっぽど便利だ。
正直、現金とクレカ両方で払えるなら現金で払うほうがよっぽどよい。
多分これが日本の貨幣の取引率のうち、クレカでの支払いが15%程度にとどまってる原因だと思う。
スーパーでの雑貨の購入や、ラーメン屋での飲食程度にクレカ使わない人が多い。
これからカード会社は、クレカでの支払い率をあげてゆくべきだと思う。
今までのように「便利」を押し出してもクレカでの支払い率は高くならないだろうし、別方法を考える必要がある。
例えば、クレカの支払いという価値観を「便利」でなく「当たり前」にしてしまってはどうだろう。
クレジットカードで支払うことが当たり前で、現金で支払うことは野蛮であるという価値観を蔓延させる。
ドラマのスポンサーになって、ドラマでの支払い方法はすべてクレカにする。(ついでに支払いシーンも無意味に入れまくる)
とにかく現金で支払うことはスマートじゃなく、クレカで支払うのはかっこいい、といったイメージをメディアを通して植えつける。
中年層は既に現金での支払いになれてしまってるし、一度得た価値観は代えづらい。
そして、若年層向けのクレカを作る。支払い限度5000円とかそんなおもちゃで十分だ。
彼ら若年層は、それをきどって使うだろう。
彼女とパスタを食べたときなんかに、ちょっと背伸びをしてカードで支払う。
なぜならクレカで支払うことはかっこいいからだ。サインを求められることはかっこいいからだ。
一度クレカでの支払いになれてしまえば、不慣れな現金の支払いに戻ることは考えにくい。
もちろんかっこいい価値観の普及に合わせてクレカでの決済機能も店舗に普及させる必要がある。
クレジットカード会社は、「クレカを持つこと」を当たり前にしたのだから、
通貨が余ってるからインフレになるんじゃなくて、通貨が余ってるとデフレになるんだよね?で、デフレになると利益が減ってしまうから
インフレを起こす つまり、通貨を大量消費させる必要がある ということだと思うけど。(ゲームない通貨は実際には貨幣ではなく、ゲーム内通過という商品であり、現実貨幣に対してデフレになる。)
通貨とアイテム 通貨が多い=アイテムが人気がなくて売れない>アイテム価格を下げるしか無い>アイテム価格を下げるとコインの対現実世界の価値が下がる=コインの価値が下がると広告収入が減る
それは困るから、ゲーム会社としては 広告収入を増やすために、アイテムがよく売れる状況にしなければならず、(これは安いアイテムが大量でも、高いアイテムが少量でもどちらでもよい)かつ、アイテムが売れるのが主目的ではなく、通貨価値を維持するのが目的だからデフレにはできないから、通貨価値維持 または インフレの いずれかの政策を取らざるをえない。
で インフレを引き起こしすぎるとアイテムが高すぎて、逆に売れなくなるから、通貨価値の調整ではなく、ゲームの目的性で 通貨の流通量を維持しないとだめで。
通貨の流通量を維持しないと デフレ(アイテム価値が下がる=ゲーム内通貨の価値が現実通貨に対して安くなる)が起きて これはNG というところで 均衡して
通貨の流通量を維持する必要があるというのは正解だけど インフレ という単語は 誤用だとおもう。ここで使っているデフレも誤用で
純粋に インフレデフレ関係なく 通貨の流通量=ゲーム内通化という商品の売れいきを維持する必要があるというところで、それは売上維持するのは商社としては当然と。
今の日本の政治システムは、限界が近づいている。うんたらかんたらていうタイトルを書こうとしたけど、
やめておいた。
そういう国は、余程人徳がある国王の国、ブータンのようなものでなければ
戦争で滅ぼされたり、
誰かにコントロールされる事は本来ない。
本来誰もが自由なはずだ。
どう生きてもいい権利が一人一人に与えられている。【日本には、貧富の格差はあってもカースト制はない。】
少なくとも、ニートをやっていようが罰される事はない。後ろ目たさがあるなら、そりゃあお前が何か過去に何かした事に対してだろう。
起業するのも自由、
アーティストになるのも自由、
表現するのも自由、【ただし、パクると叩かれる可能性は否定できない。】
オカルト紛いの宗教をやるのも自由【宗教法人は税金がめちゃくちゃ安くなったり、不思議でしょうがない。】
自己啓発セミナーは、ある意味では宗教団体のようなものだ。だが、宗教が存在してはいけないわけではない。
それも本人の自由だ。友人、知人がそういう類に入っていったら、きっと止める事はできない。
できる事は、気づかせてあげたり、いつか真っ当な道を生きるだろうぐらいに信じてあげる事ぐらいだとおもう。
話がそれ過ぎた。
自由過ぎて何をしたらいいのかわからないのだろうか?
そもそも何をしたらいいか?というのがなんなんだろう?
何がしたい?
という問いがあったとしても、
何かをしなきゃいけない。
ていうのは、生命体にあるんだろうか?
働かなきゃ生きていけない。
というのは、昔は紛れもない事実だったが、
それが事実ではない。
これは、人類史上
初の出来事で、
生活保護というシステムは、革命的なものだとおもう。豊かな国が生み出した堕落する事も許容したシステム。
と言ってもいいぐらいの成果物。
という事。
どうやったら飢えないで生きるか?
が課題だったように想える。
漁をするか、農業を営むか、
他の集団から守るために
村や街ができたりして、少しずつ少しずつ大きくなった。
最近流行りのブラウザゲームをイメージしてもらえればよくわかるとおもう。
そして、だんだんと大きくなった。
地球全体で、そのやりとりが行われている。
アフリカの各地で起きている革命なんて、一週ぐらい先をいっている話。
江戸時代の、天草四郎 ぐらい古い事やっているようなもんでしょ。
そんなんゲームの話でしょ?サムライスピリッツにでてくるキャラクターだよね?
ていうぐらい古い話。
別に日本の総理大臣 めっちゃ権限もってて偉いとかじゃないし、
ただ在るのは、
その人が考える思念があるぐらいでしょう。
ここでいう思念ていうのは、
その人が持っている、
思考や想い
それがなんだっていう話じゃない、
一人一人の世界観
狭い世界だと想う人もいれば、
問題だらけだと想う人もいる、
拡大している世界観を持つ人もいる
あれ?
世界て人それぞれ違うの?
ていうのが俺が生きてきて、
最大の気づきかもしれない。
やりたい事が見つからない。
どうなったらいいのか?
それがそうじゃない原因は何かて考えたら結構上手くいく。
でも、一人一人が世界を変えていく事で、
この地球はより良い星になる気がしている。
一人一人の中に、
世界を変える力ていうのがあるんだぜ。
それを使わないのは、余りにももったいない。
不幸でいるのも自由だが、
途中で、書き直しては、消したりしていたが、
途中、書いててこの文章が宗教臭い感じがして飽きてきたのでやめておいた。
でも、せっかく書いたので流してみる。
とりあえず、今想うのは、
せっかく与えられた命、
常識だの、恐怖なんかに負けて
生きる事をやめたらアホらしいよね!
ていう事。
今の日本の政治システムは、限界が近づいている。うんたらかんたらていうタイトルを書こうとしたけど、
やめておいた。
そういう国は、余程人徳がある国王の国、ブータンのようなものでなければ
戦争で滅ぼされたり、
誰かにコントロールされる事は本来ない。
本来誰もが自由なはずだ。
どう生きようと一人一人与えられている。
少なくとも、ニートをやっていようが罰される事はない。
起業するのも自由、
アーティストになるのも自由、
表現するのも自由、【ただし、パクると叩かれる可能性は否定できない。】
オカルト紛いの宗教をやるのも自由【宗教法人は税金がめちゃくちゃ安くなったり、不思議でしょうがない。】
自由過ぎて何をしたらいいのかわからないのだろうか?
そもそも何をしたらいいか?というのがなんなんだろう?
何がしたい?
という問いがあったとしても、
何かをしなきゃいけない。
ていうのは、生命体にあるんだろうか?
働かなきゃ生きていけない。
というのは、昔は紛れもない事実だったが、
それが事実ではない。
これは、人類史上
初の出来事で、
と言ってもいいぐらいの成果物。
という事。
どうやったら飢えないで生きるか?
が課題だったように想える。
漁をするか、農業を営むか、
他の集団から守るために
村や街ができたりして、少しずつ少しずつ大きくなった。
最近流行りのブラウザゲームをイメージしてもらえればよくわかるとおもう。
そして、だんだんと大きくなった。
地球全体で、そのやりとりが行われている。
アフリカの各地で起きている革命なんて、一週ぐらい先をいっている話。
江戸時代の、天草四郎 ぐらい古い事やっているようなもんでしょ。
そんなんゲームの話でしょ?サムライスピリッツにでてくるキャラクターだよね?
ていうぐらい古い話。
別に日本の総理大臣 めっちゃ権限もってて偉いとかじゃないし、
ただ在るのは、
その人が考える思念があるぐらいでしょう。
ここでいう思念ていうのは、
その人が持っている、
思考や想い
それがなんだっていう話じゃない、
一人一人の世界観
狭い世界だと想う人もいれば、
問題だらけだと想う人もいる、
拡大している世界観を持つ人もいる
あれ?
世界て人それぞれ違うの?
ていうのが俺が生きてきて、
最大の気づきかもしれない。
やりたい事が見つからない。
どうなったらいいのか?
それがそうじゃない原因は何かて考えたら結構上手くいく。
でも、一人一人が世界を変えていく事で、
この地球はより良い星になる気がしている。
一人一人の中に、
世界を変える力ていうのがあるんだぜ。
それを使わないのは、余りにももったいない。
不幸でいるのも自由だが、