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はてなキーワード: 自己肯定感とは

2019-11-14

anond:20191114102416

自己肯定感って子供の頃どう育ったかとかだけの気がするわ。

金があってちやほやされて、芸能人と付き合ったり何百万何千万の買い物してるZOZO前園さんもMDMAで捕まったKAZMAXも満たされてるようには見えない。

穴の空いたコップにどんなに水を注いでも満たされ続けることがないような感じ。

自分肯定できないか他人肯定してもらうしかなくて承認欲求がどんどん肥大化してしまってる。

自己肯定感って、かんたんに得られるものじゃないよな

なんか承認欲求自己肯定感って合わせて語られがちだけど

どれだけ承認されようが自分自己肯定感が得られない気がする

世界中からちやほやされでもしたらわからんけど

2019-11-13

anond:20191110134931

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉

自己肯定感が低いなら低いままでいればいい、高くなりたいと思うならそれもまたよし

人を平等にするのならそれもよし、たとえそれが区別の出来なさからくるものだとしても

人に興味が持てないのならそれもよし、その事で一抹の「面倒くささ」を感じるならそれもまた「善い事」

為すべきを為し、また為さず

感じたいように感じ、また感じず

欲することを欲し、また欲さず

それを自由といい、それはまた義務でもあり権利でもある

あなたが、あなた自身必要と不必要に従って生きていけることを祈る

おっさん若い時に努力して結婚してれば良かった系の

日記とか見ると凄いと思う。

だって自分努力してれば結婚出来たという自信があるわけでしょう?

自分も良い年こいたおっさんだが、仮に若い時に努力してても結婚出来ていたとはとても思えないか結婚云々の事では過去に対する後悔がない。

ある意味その自信というか自己肯定感が羨ましい、自分には欠けてるものから

2019-11-12

anond:20191111210608

わたしアラフォー寄りアラサー年収350万くらいの正社員だけど

本当サビ残させる経営者全員逮捕されてほしいし

残業代とか要らないし投薬の関係で酒飲めないのでとにかくサッサと家帰らせてほしい

転職したら定時で帰れない日は月に1日あるかないか(というか無い、マジで毎日定時帰り)で

当日申告で理由なし有給とり放題

おまけに仕事内容が自分に向いてて楽しくて楽しくて仕方がないという天国ですわ

難点はあともうちょい近場に住める給料出ればなーってところ

あと欲を言えばコアタイムフレックス入れてほしいなってくらいか

現状サビ残経営者刑事告訴できない以上、奴隷の身としてはとにかくスキル付けて「ゼニよこさんなら出てくやで」ってやるか(やった)、逆に「ゼニよこさんのやし働かんやで」ってやるしかない

前者は軽い人間不信がずるずる続いてたましいが腐っていく音がするようになるし

後者自己肯定感非業の死を遂げてしまいたましいが腐っていく音がするようになるので

ぶっちゃけどっちもオススメはできないが背に腹は変えられない

何せただ判断先延ばしにして何もしない状態を保ってるだけでも実質的後者戦略を取り続けてることにはなってしまうんだから

本当みんな一度現実逃避ネタではなく生存政略のひとつとして転職について検討してみるべき

2019-11-11

「ツイフェミという人たちは何者か」の分析が始まってる件

一通り話すことを話し終えて、ちょいちょい投下される燃料をちょいちょい燃やすだけになった昨今。

こんどは全体的に「ツイフェミって奴らはどうしてああなんだよ」のコメントを見る事が多くなってきた。実社会モテないんだろうねとか、自己肯定感補填としてフェミってるんだろうねとかいう話ね。

それらはまあ、明らかに素人自己完結分析なので外れたり当たったりするんだろうけど。

 

思うにこれは、かつて「ネトウヨ」に対して起きた反応と同じなんだよね。

から今後、ツイフェミを取り巻く環境は、ネトウヨと同じになるだろう。

 

①それっぽいことを言うとすぐにネトウヨ/ツイフェミレッテルを貼られるようになります

②反面、独自の熱い支持層は全く消えないので、ネトウヨ/ツイフェミ代表の論者にそこそこ大きな市場価値がつきます

③熱心なファン向けに本屋の売り場が使われたりします。

議論が内輪で煮詰まり、言説がデマまじりの専門性を帯びてきます

⑤ある時期から若年層の参加がガクッと減り、徐々にコア層は中年壮年シフトしていきます

選挙の票としては寄与しないことが明らかになります

⑦それでもどこかで社会全体にはうっすら影響し続けます

2019-11-10

anond:20191110220244

これは自分が間違ってましたね。

私は自尊心ではなくて自己肯定感が低いんだと思います

ありがとうございます

ともだちがいない(追記

そもそも問題として自己肯定感が低いので人の好意をうけとめることが出来ない。

いい人だ、優しい人だ、と言われると「この人は私に対して間違った評価をしている」と思ってしまう。

学校職場などを離れたあと、自分のことを覚えている人間がいるのかどうか、自分はあの時友だちだと思っていたけれど本当はそう思われていなかったのではないか、とぐるぐる考えてしまう。結局メールアドレスが変わったことの連絡もできず、新しい環境になる度に真っ新なアドレス帳になる。

しかけるのも話すのも話を聞くのも好きなので初対面の場はすごく得意だ。目の前の相手は未知にあふれていて、相手から見た私もなんの情報がない。色々な人の話を聞くのが好きだし、自分の色々を話すのも好きだ。

ある程度情報を持った相手と話すのが難しい。この人はなんの話しが好きで、嫌いで。私はこの話をして、これはしていなくて。諍いをしたことはあっただろうか?この人は誰と仲が悪かったっけ?

考えなければいけないことが多すぎて疲れてしまう。

人々個々のエピソードに興味があったとしても、その人自身に興味が無いか関係継続しないのだろうと思う。

自分からしかけておいてなんて最低なんだろうと思う。

自分が人に覚えられているかを気にするくせに、自分は人を覚えていないのだ。自業自得だ。

私は私の考える範囲で人に平等だと思う。人に差別ができるほど区別がついていないからだ。誰が何をしたとかの「何を」は覚えてられるけれど、「誰が」はすっかり抜け落ちている。

自分ほど、仲良くする価値がない人間はいないと思う。糠に釘。のれんにうでおし。豆腐にかすがい。

自分はともだちがいないまま、一生を過ごすのだろう。

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追記

正直に言うと自分はこの現状に満足している。

地元を出てから、より一層その思いは強まった。近所の○○さんがどうしたこうしただの。元同級生の▷▶︎さんがどうだのから開放されたからだ。地元はそれなりに田舎で、田舎なりの人間関係の閉塞感があった。

あと、自分として人のことが覚えられないことで得をしていることは集団圧力によるいじめ差別をしない(できない)ことだと思う。

ある時期から完全に人間関係の諸々を覚えるのをやめた(できなかった?)。誰にでも話しかけるし、誰に話しかけられても答えていた。

いじめ悪口をする人間よりも、しない人間といる方がまぁみんな楽なんだろうし安心するんだろう。周りには人が沢山いた。

めんどくさいこはいじめを受けているor集団無視をされている人にたまたましかけた後、つきまとわれたり、行動を監視されたり等、異常に執着されるのはめんどくさいなぁと思う。誰かに特別扱いされたとしても、こちらがその人を特別扱いすることは無い。

先にあげた執着する人はしばらくすると、こちらの対応に不満を持ち、自分を責めて落ち込むor私を異常に嫌うのどちらかになった。

最近そのめんどくさいことがあったので期待に応えられない申し訳なさでこの文章を書いた。書き起すと思考が整理されていいな。

コメントの「友達 甲斐がない」がしっくり来てる。

2019-11-09

anond:20191001170435

両親からまともに愛されてないからそういう思想になるわけよ。

自己肯定感の欠如ってやつ。

自分は素晴らしい→自分性的である性的は素晴らしい、という順序に話が進まないかわいそうな人たち。

2019-11-08

多くの若い女が「若い女」という属性の強さを自分の強さと勘違いしてイキリちらした結果落ちぶれるの、見てて悲惨だし男女格差の原因でしょう

(フェミニストは「男の性欲が「若い女」を強カード化させてるから男のせいだ」と言いそうだけど、私はこれは女性自身の将来設計的な問題だと思う)

わずかばかりの自己肯定感を得るために性の安売りなんかしてないで、もっと勉強しようよ、もっと知性を磨こうよ。

今の時代性別なんかよりも学歴の持つウエイトの方が遥かに大きいのだから。。。

2019-11-07

女癖が死ぬほど悪い、というか多分セックス依存症の知り合いがいて

今回できた彼女がとてもいい人だからあって欲しいとのことだった

若いのに自立していて、ちょっとナルシストっぽかったけど自己肯定感の高い、

メンヘラとは真逆にいそうな素敵な女性だった

同棲の準備もしているらしい

おお〜よかったな〜、これで彼のセックス依存症も治るんじゃないか〜と思ってた

あれから3年

同棲生活は順調なものの、未だ彼は乱行パーティや、一週間東南アジアひとり旅に行っては1日に5人の女性セックスを楽しんだりしてるらしい

全てバレてないか大丈夫らしい。

うそう治らんもんだなあと思いました。

2019-11-06

anond:20191106231605

自己肯定感が低いと理不尽仕打ち自分を責めがち。増田最初はそうだったぽいがどこで回復したのか教えて

2019-11-05

アイドル可愛いと思えない

顔がどうこうというより、芸能界に入ろうという発想が出てくる自己肯定感の持ち主だと思うとどうしても怖く・気持ち悪く感じてしまう。自信満々キャラだと純粋自分とは合わないタイプ人間だなあと思い、自信ないキャラだとなんて欺瞞だと思ってかなり嫌いになる。

アイドルオタクって童貞イメージあるけど本当に童貞をこじらせた人間アイドルにまったく魅力を感じないのではないか?似たような理由声優も…

2019-11-04

自己肯定感が低いやつが叩かれる理由

殴り返してこなそうだからだよな

結局オタク叩かとかもその根底にあるのはクラスキモオタは殴り返してこなかったという成功体験なんだよ

2019-11-03

anond:20191103073736

コメント欄にいる数人の彼らが日本の歪みそのもの。こうして匿名ネット上で他人や女を叩くことでしか自己肯定感をあげられない可哀想人達あなたたちも恵まれなかったんだね、辛い世の中でそうすることでしか生きられないんだね、あなた方に幸ありますように微力ながらお祈りさせていただきます

ともあれ、これは愚痴といえば愚痴だし、周囲に責任転嫁しているという見方をする人もいるでしょう。いて当然だと思います十人十色ですから

そういう見方のできるあなたは恵まれていると私は思います。恵まれているあなた環境感謝して、これからも楽しく生きてください。

同じ境遇の人もコメントいただきまして感謝です。お互い辛いけど体と心を大切にしつつ、頑張りましょう。

毒親に当たらなかった人たちはそれだけで運が良いね、良かったね。運の良さを自分の実力と勘違いしてこっちに石を投げてこないで。

できることなら私も普通の親の元に生まれたかったよ。

献血行ってきました

血の成分褒められた!嬉しい。久しぶりに自己肯定感が満たされた。

2019-11-02

anond:20191102231820

元増田努力家に見えるならずいぶん育ちがいいのにやたら自己肯定感いか

相当な毒親持ちと推測される

これは毒親警察も殴らず見守る

フェミニスト教授牟田さんの記事読んで納得できなかったところ

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185

読んだんだけどさ。

まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。

当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。

女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ

たこれは表現の自由に属する問題でもない。いつでもどこでもどんな表現でも見せてOK、なのが表現の自由であるけがない。

いや、俺は「性が断片化され、人格からきりはなされたものと扱われる」っていうのが何を言ってるのかさっぱりわからんのだが。

だいいち、この人の理屈だと、公共の場に限らず、宇崎ちゃん差別的ダメってことになると思うんだが。

なんで公共の場以外だったらOKになるの? それはそれで適当過ぎない? (挨拶




ここから本題。



ねえ、牟田さんの記事さすがにひどくない?

とても教授が書いた文章とは思えないっつーか。




最初にさ、赤十字じゃなくて埼玉県ガイドラインの話するじゃん?

んで、宇崎ちゃん埼玉県ガイドライン的にアウトって話をするのね。

なんでも女性笑顔にしてるだけでダメなんだってさ。(ここよくわからないポイント1)

んで、埼玉県ガイドラインですらアウトなんだから赤十字もっと公共にあたるし当然だめっていうのね。(ここよくわからないポイント2)



んで、ここまでのよくわからんポイントはとりあえず飲み込むとして

公共での広告の在り方を定めるガイドライン的にNGだから宇崎ちゃんダメ」っていうのはとりあえず受け入れるとするじゃない?

ここまではまだモヤモヤはするけど受け入れられるのよ。


でも、次からこの人の話いきなりおかしくなるのよね。

まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。

当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。

女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ

たこれは表現の自由に属する問題でもない。

いつでもどこでもどんな表現でも見せてOK、なのが表現の自由であるけがない。


ここよんで「はあああああ?」ってならんかった?

なんでさ。

公共ガイドライン的にちょっと自重したほうがいいよっていう話を受けいれたら、

自動的に、「宇崎ちゃんの絵は、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題

ってところに合意させられるわけ? (ここよくわからないポイント3。というか納得できないポイント

そもそも論理が逆転してんじゃん。

今までは一応「ガイドライン」の存在が先にあって、それにひっかかるからアウトって話だったよね。

これはちょっと判定怪しいけどいちおう理屈は通ってるの。

でも、よくわからないポイント3はさ


全然違う話をつなげてる上に、その違う話でNG判定が出たってとこから無理やり逆算してるのね。

ガイドライン的にNGだった」→「女性蔑視・女性差別だから」→「宇崎ちゃん女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われてるものだ」になってる。

これずるくね?

だって牟田さんの記事、どこにも「宇崎ちゃん女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである」ということについて説明してないじゃん。

なんかいつの間にか自明なことになってんじゃん。

なんか、前のガイドラインの件の続きで、あたかもこの点については説明済み・合意済みって前提で話進めてんじゃん。


これが、大学教授の書いた文章ですか?

ちょっと牟田先生の知性を疑いたくなるレベルでひどいと思うんですけど。


いや牟田先生バカからじゃなくて、説明してないことを説明したつもりになって記事書いてるだけならまだいいよ。

でも、もっと恐ろしいのは、牟田先生がわざとこういう構成文章を書いてるとしたら。

それはもう教授失格でしょ。

読み手バカだと思って騙す気満々で記事書いてるよね。

それが教育者のやることですか?

この件での騒動で明らかになっているのは、多くの人々に、女性差別撤廃条約やそれにもとづいて国や自治体が取り組む、女性差別撤廃に向けた取り組みの中身がまったく理解されていないことだ。ツイッターを見ていると、弁護士評論家と称する人たちにさえ「個人気持ち問題」「感じ方の違いにすぎない」「表現の自由を侵すな」等の発言があったのにはまことに頭の痛い思いがした。

別に素人なら頭の痛い思いをしたとか感情的なことを書くのもいいけどあなたフェミニズム学の教授でしょ。

なに素人みたいなこといってんの?

そこを説明するのがあなた仕事でしょ。



そのあとに続く文章ますますひどいよね。

考えてみてほしい。

物心つく前から、街頭で目にするポスター本屋コンビニ店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的ポーズを取り男性欲望に訴える女性の姿を見ない日はない。道を歩いていると見知らぬ人から容姿について卑猥言葉を浴びせられる。学校先生男子たちから体つきについてからかい嘲笑を浴びる…。

日本普通に生きていてこんな体験したことがない女性はいないと断言してよいが、こうした体験は、女性たちの尊厳を傷つけ自己肯定感を奪って、生き方のものさえ歪めてしまう。あまりにも日常的に起こっていることだから自覚することさえなくやりすごすことも多いのだが、これはまぎれもない女性への人権侵害だ。上述の条約基本法の警告や指摘は、女性たちにとってリアルなのだ

そうかもしれんけど。

それと牟田先生がろくな説明もせずに「宇崎ちゃん女性の性を断片化して、人格からきりはなしたものである認定したことは全く関係ないよね。

ごまかしてるよね。


ねえ。

フェミニズムの授業っていっつもこんな非論理的解説やってんの?

それ学問としてどうなの?

さすがに、今回の記事をまじめに書いてこれだったんだったら、教授としての資質を疑いますよ。

象牙の塔で、誰も批判する人がいないからいつの間にかこんなずさんな文章書いてもやばいと思わなくなったのかどうか知らないけど。

さすがにこれは大学教授の書く文章じゃないよ。


書き直して。どうぞ。

ある滑稽な字書きのお門違いな憎悪

 私は二次創作小説を書いている。ジャンルは人気だが、好きなカプは多分マイナーの部類に入ると思う。

 投稿サイトpixivだ。数年前、同ジャンルの別カプで書き、少しの間書くのをやめて(一次創作をしていた)読み手として二次を楽しんでいた。もちろん公式供給にも一人盛り上がり、楽しいオタク生活を過ごしていた。

 そして好きなカプが出来、また書いてみたいなと思って書き手に戻った。

 pixivでの評価は、前カプで二桁、今のカプで三桁行けば良い方。はっきり言って人気はないし、陽も当たらない。でも、前カプのほうがメジャーカプなのに今の作品ほうが評価してもらえるのは嬉しかった。文字数が増えたし、あと自分で言うことではないけど書くのがほんの少しだけ上達したからだと思う。

 前は「書きたいとこだけ書ければ良いや」みたいな考えで殴り書きに近かった。後から読み返して「よくこれで投稿したな……」と情けなくなったし、そんな作品でも読んでくれて評価までしてくれた人がいたのがありがたかった。

 それも踏まえて今度は「せっかく書くならもっとちゃんと考えて書こう」と思った。それであわよくば評価してもらいたい。承認欲求二次創作で満たすのはどうかと思うのだが、創作創作なのでやはりそういう下心もわいてしまった。

 "ちゃんと考えて書こう"という心がけは、一応成果を出した。前の作品で三桁の評価のものはないし、感想までもらえたのだ。スタンプも嬉しかったが、文章での感想は段違いに嬉しかった。

 感想をもらう前はTwitterなどで「感想がなくて筆を折った」や「感想創作者を救う」という呟きを見ても別世界の話で全く実感がなかったのだが、自分が実際にもらってようやく理解した。確かに読んでくれた人の感想は救いだ。これは誇張ではない。本当に本当に、救われたのだ。

 一人であーでもないこーでもないと悩み、一文一文もっと他に良い表現はないかと迷って完成させた小説。好きでやっているとはいえ、暗闇に石を投げてるような感覚だった。

 前カプの時も、暗闇に石を投げてる感覚は同じだった。他所では人気の字書きがワイワイやっていて、他の字書きや絵描き創作はしなくても同じカプが好きな人達と交流している。

 あまり認めずにいたが、私は彼らが羨ましかった。向こうはとても明るくて楽しそうだ。

 良いなぁと羨みながら、まあ私にはああい交流は無理だなと思っていた。なぜなら、私は彼らのように自分から輪に加わろうとしていないからだ。小説面白い面白くない以前の問題だ。

 人気字書きは小説面白さもだが、そもそも社交性があるのだ。Twitter面白い。人付き合いが苦手そうな字書きでも、誠実に小説に取り組んでいるんだなと分かる人はいて、やはりそういう人のもとにもファン同好の士は集まる。

 しかし、私はコミュ障だ。Twitterも何も面白くない。ネタにしたいことを呟けば人に取られるのではと不安で呟けない。盗まれるような大それたものではないのに、被害妄想ばかり膨らんで何もできない。

 もらった感想に対しても、ちゃん感謝を伝えたいのにどれだけ頭を絞っても無味乾燥文章になる。時間をかけて返信文を考えてもそれは相手には伝わらない。ただ"返信が遅かった"という事実しかない。しかも本当に嬉しいのか分からない文章だ。それでも何か返信しないよりはしたほうがマシだと思って返信する。

 これは二次創作関係なく、人から好意を向けられることに慣れてないのも原因なのだろう。自己肯定感が低い。好意に対する耐性がない。

 だから好意を向けられてもどうすれば良いのか分からない。相手にしてみれば、ただなんとなく気まぐれで送った感想なのかもしれなくても私からすると初めて見る光のようなもので、救いなのに耐性がないからただただ戸惑うしかないのだ。

 心の底ではあれだけ欲しいと思っていたのに、与えられたらこれだ。もっとそつなく対応できないのかと自分が嫌になる。

 世の人気同人作家は私とは比べ物にならないほどの感想好意を向けられていると思うと、彼らが別の生物に見えてくる。私より良くできた、なんか違う生物

 人気字書きと比べると憂鬱だ。比べるものじゃなくても比べてしまう。

 二次創作文章力より萌えるのが大事だとよく聞く。それは本当だとも思うが、萌えを伝えるにはまず文章力が必要だし、第一面白い二次小説文章に長けている。

 心理描写、情景描写キャラクターバックグラウンドを伝え、キャラ同士の関係性の変化やシチュエーションで読者を熱くさせる。これは並大抵ではできない。

 私も書くから、その難しさは身にしみてよく理解している。

 しかも、pixivはどちらかというと絵を中心に据えたサイトだ。だから余計に、小説評価されているのを見ると凄いと思う。

 同時に憂鬱なのだ。私も人気になってみたい。

 前もそう思っていたが、今はもっと強く思う。だって前より良いものを書こうと頑張っているのだ。読み手意識するようになってから、見返りが欲しいと思うようになった。

 当然、自分のために書いている。自分が好きなシチュエーションで、自分が好きなカプで。だが、書くなら上手に書きたい。自分他人も良いと思える、納得できる文章が書きたいのだ。

 承認欲求がどんどん大きくなっていく。それでも、まだ私は楽観視していた。書くためのエネルギーになるし、節度さえ守っていれば腹で何を考えていても問題はない。それに、何はともあれ小説を完成させなければならない。これが一番大事なことだ。そう言い聞かせてまた書いた。

 Twitter面白いSSツイートする字書きがいた。仮にAとする。軽い気持ちフォローし、SSを楽しみにしていた。

 Aはpixivシリーズ物長編投稿しており、これもまた軽い気持ちで読んでみた。

 二次小説で初めて圧倒された。徹夜で読み耽り骨抜きにされた。

 まだシリーズは完結していない。評価ブクマも良いねも多く、感想や続きを待つタグもあった。

 TwitterでもAはフォロー数より遥かにフォロワーが多かった。人気も人気、ファンがたくさんいる。

 Aの小説は人を選ぶ作風だった。オリジナルキャラクターが中心にいるのだ。内容も殺伐としている。読んでいてつらいが、それでも面白いのだ。表現力も構成も卓越している。

 私は人気字書きに対して、別の生物だと思うことで精神の安寧を図ってきた。コミュ障自分にみんなでワイワイ楽しくは無理だと諦めていた。万が一輪に入れても人間関係で消耗する。せっかくくれた感想に満足な返信一つ書けず疲弊するのだ。自分と彼らは違う。だから羨望は抱いても嫉妬まではいかなかった。

 しかし、私はAに凄まじく嫉妬した。オリキャラで、シリーズ物。内容も暗い。なのに人気だ。コメント欄感想で溢れている。多すぎるからか返信もしていない。面白いからそれが許される。

 初めは自分ももっと小説が上手くなろうと意気込んだ。だが、私がまだ序盤すら書けていない時にAは新作短編投稿する。それもすぐさま評価された。

 Aはよく、「自分は書くのが遅い」と言っていた。SSをやりながら数万文字小説を書いてそれを短編だと言って投稿するAが。

 Aの物差しではそうなのだろう。Aが言うことに私自身の物差しを当てはめてはいけない。他人には他人物差しがある。

 Aはよく謙遜した。「誰得か分かりませんが」「ほんと自分しか読んでて楽しくないんじゃないかな」「◯◯×△△が好きな人から怒られそう」と。こうして投稿された小説も、すぐに評価される。私も読んだ。面白かった。

 書いている最中投稿前、不安になるのはよく分かる。

 Aはよく質問箱で来る質問に答えていた。「どんな本を読みますか?」「執筆スタイルを教えてください」こんな質問が多い。Aは決まって「本はあまり読まないんです」「執筆スタイルと言えるほどのものはありません」と答える。

 …………

 嫌悪感を覚えた。この嫌悪感については上手く説明できない。嫉妬が源なのは確実なのだが、別の感情も含まれていると思う。

 自分とは何もかもが違う。Aは多くの人から必要とされている。長編コンスタント投稿し、完成度も高い。そして文章ストーリーを長文で褒められ、謙遜してもすぐに否定してくれるファンがいる。

 なんというか、皆に見守られている感があるのだ。見守られながら崇拝されている。

 他にも、Aは作中に性描写を入れずにこれほど評価されているのだ。私は性描写のある小説を書いていて、性描写のない小説投稿したがこれは全然評価されない。読んでももらえなかった。

 もう一つ、Aが私の嫉妬劣等感を煽る理由がある。それは、Aは一次創作でも人気を得るだろうなという確信だった。Aは一次創作をしていない。だからこれは私の想像というより妄想だ。Aは筆力がある。ストーリーに漂う空気感思想も一貫しており、本人に確固たるテーマがあると伝わるのだ。

 原作という確固たる軸をもとに、自己解釈を入れて物語を作るのが二次創作だ。対して一次創作は当然、作者が軸から作らなくてはならない。軸はストーリーを形作る上で作者の一貫した思想テーマ必要なのだ。それが脆弱だとどこか掴み所のない、微妙作品ができあがる。「文章は上手いけど……」とか「題材は良いんだけど……」とか言われるような作品。胸に訴えて来るものがない。

 はじめに書いたが、私は一次創作もしている。一次は二次より苦しみながら書いている。「きっとAは、そんな苦しみもなく、あったとしても見返りのある小説を書けるのだろうな……」こんな感情がわいたのだ。

 Aが書いてもない小説劣等感勝手に抱き、被害妄想を膨らませて勝手に苦しんでいる。滑稽この上ない。しかし理性より感情が勝った。次第に私はAに嫉妬嫌悪感を通り越して憎悪すら感じ始めた。

 Aのツイートを見る度に胸がざわつく。「書くの一生やめないかな」「消えないかな」などと考えるようになった。アカウントミュートにしては気になって解除し、フォローも外そう外したほうが良いと思ってもできなかった。この時点で、私はまだAの小説が好きだったのだ。新作は読まなくなったが、シリーズ物の続きだけが気になっていた。新作を上げる度に、早く続きを書けよとイライラしていた。

 こんな滑稽な人間いるだろうか。憎悪すら抱いているのに、その発端となった小説の続きが読みたいだなんて。我ながら馬鹿で笑える。

 Aはマシュマロを始めて、またたくさんの人に褒められている。マシュマロには丁寧な返信をしている。謙遜して、自分作品を"拙作"などと言って。心温まる返信だ。無味乾燥な返信文しか書けない私とは違う。

 私は今日pixivを覗いて、自分小説評価を気にしている。カプ名で検索しても、もう他の人が書いた小説に流されていくつもページを越えないと私の小説には行き着かない。新作を上げたいが、まだまだ書き終わらない。誰も褒めてくれない。一次も二次も。

 書くのがつらい。やめれば良いのに、やめたら自分価値がなくなる気がして怖いのだ。他人と交われない私にとって、小説を書いて評価されるのは唯一と言ってもいいくら自分を満たす慰めだった。私が書いた小説を、誰かが肯定してくれる。これは私自身を肯定されたも同然なのだ。本当は違うと分かっていても、ほんの少し救われた。

 このカプ、良いですよね。このシチュ萌えませんか。この小説どうですか。私の小説、好きですか。

 所詮趣味なのに、こんな思いを込めて書いて読む人に過度な期待を寄せてしまう。だから評価されないと無視どころか否定された気になる。私が駄目な原因だと思う。もっと軽く楽しめたら良かったのに。

 読み手意識して、感想をもらう喜びを知ったから脱け出せないだろう。何より、小説を書くのが好きなのだ。書いている最中ずっとつらいのに、書き終えるとまた書かなきゃとなる。

 ただ、なんとかAへの憎悪を消したかった。どうでも良いと思えるようになりたかった。その方法が分からない。私が人気になれば良いのか。それも根本的な解決にはならない気がする。Aが私の小説を褒めてくれたら良いのか。私のことなど眼中になく、そもそも全く知らないA。多少承認欲求が満たされるかもしれないが、こういうのは満たされてもすぐになくなる。

 他の人は、承認欲求が満たされたら本当にそれで満足できるのだろうか。欲求というコップがあったとして、まっとうな人は褒められるとコップに水が注がれてどんどん満ちていくのだろう。私の場合、多分コップの底に穴がある。自己肯定感のなさが穴の正体だと思う。はじめは穴がなかったのか、それとももともと空いてたのか、褒められて水が注がれてもどんどん落ちていく。全然満たされない。

 結局のところ、Aがどうのとか評価がどうのではないのだろう。原因は自分にあり、自分でなんとかしなくてはならない。

 自分が納得できる文章を書けるようにしたい。自分が納得できれば、評価二の次になると信じたい。幸い、納得の基準はまだ自分の中にある。こんな文章でこんな小説を書きたいと理想目標がある。これがある分にはまだ頑張れそうな気がする。そこから自己肯定感をつけていけば良いかもしれない。すでに評価依存しているが、まだなんとかなるかもしれない。

 理不尽理不尽だと理解できているうちに、自分小説ちゃんと書けるようになりたい。これで書くのをやめて憎悪に飲まれたら人として何か終わる気がする。荒らしなど惨めなことはしたくない。

 私は小説を書いていたい。一次でも二次でも納得のいくものが書きたい。他の字書きへの嫉妬憎悪原動力では嫌だ。

 嫉妬劣等感もあり、とてもつらいが少しでも気が楽になれるよう、自分の面倒な諸々と折り合いをつけたい。

 これはその一歩として誰にも吐き出せないためここに書いた。読みづらい文章だったと思う。でも、読んでもらえたらほんの少し救われる。小説が好きで、どんな文章でも大事だと再確認できた。それが嬉しかった。自分小説ちゃんと向き合えそうだ。

 読んでくれて本当にありがとうございました

2019-11-01

anond:20191101031356

あなたは頭が良すぎてこの世の不条理に気付いてしまったんだよ。

そうやって気付いている人は他にもいてその中にはうまく折り合いをつけてやっている人もそうでない人もいる。

ってことをどこかで読んだ。

僕も困ってる。もしかして僕は頭が悪いんじゃないかと思って検査を受けたら一部の能力だけは人並みで他は大きく上向きに逸脱してた。

こういう人って誤解されやすく人と関係築くのに苦労するんだってさ。

人に承認されないか自己肯定感も低いとか。

anond:20191101031356

たぶん初期のうつだと思う。

投薬でちょっとは楽になるよ。

あと自己肯定感がないなら「ねこ肯定感」という手もあるよ。

2019-10-29

ささやか善意を踏み躙られている感覚

いやもうさあ……いちおうこれまで何lか献血で抜いてるわけだけどさぁ、ほんと何なの最近献血ポスターバッシング……

医療や血が関係ない作品とのコラボは控えろとか、よく言うよね……世の中そうそ医療や血をテーマにした人気作品が転がってるわけでもないし、医療とも血とも関係ないって理由で俺の好きな作品とのコラボ批判されてたら俺もう献血行く気なくすわ……

別に献血してるから偉いとは思ってない。9割くらい自分のためだし(ルーム無料長編漫画読める3割コラボグッズもらえたりお菓子食べ放題ジュース飲み放題だったりする1割献血に行くという大義名分秋葉原に行ける1割社会の役に立ってる気がして自己肯定感がアップする4割)。純粋善意は1割くらい。

でもまあその純粋な、ささやか善意オタク向け作品とのコラボ理由にこうやって踏み躙られるんだね、って思うとなんかもう心折れる。

しかも叩いてる連中はろくに献血行ってない層だというね。それで献血ルーム凸とかほんと生きてて恥ずかしくないのかな。

分断を煽るポスターはいけないとか言ってる人がコラボむっちゃ批判して分断煽りまくっているという地獄

誰かの未来のためだという1割くらいの善意献血してきてたけど、なんかもうつらい。やめたい。

これまでのフェミ関係炎上、憤りはありつつもどこか他人事感あったんだけど、まさか献血を叩きに来るとは思わなかったので動揺している。自分善意が叩かれるとは思わなかったので衝撃を受けている。

お前の善意は叩いてないって? 同じ口でオタク向けコラボは控えろとか言ってんだから同じだよクソが。オタクは見返りがないと献血に来ないのか? とか煽ってるやつもいてクソオブクソ。

どうせ最初から見返り目的が9割で献血やってるんだから俺が嫌になったらいつでもやめられるしやめていいんだよクソが。お気持ち根拠自分身体への自己決定権行使しているだけなんだからそれに文句は言わせないぞお気持ち根拠他人文句つけまくってるクソフェミども。

まあでも赤十字ちゃんセクハラじゃないって突っぱねてくれたからまた献血行こうかな。赤十字は俺らを歓迎してくれるみたいだし、きっとなんかのアニメポスター貼って漫画お菓子も取り揃えて快適な空間作って待っててくれるんだろうし。これまでの炎上と違って赤十字毅然としてくれてたのはよく行く者としては嬉しかった。炎上事案はみんなこういう対応であってほしい。コラボ第二弾期待してますね。

自由が救いにならない人

結局、人々に罪悪感を持たせることで世の中を規律正しくしたいっていう人たちが結構いるんだよな。

そして弱者を守るには規律が固い方がいいって思ってる層がそれを主張し、自己肯定感の低さを感染させていく。

2019-10-27

anond:20191027184311

正直だれかが話の途中に入ってきててもわからないので大丈夫ですよ!笑

自己肯定感の低さを割り切ってポジティブに考えていてすごいなと思いました。つらいことは多いけれど、自己肯定感がないからこそできることもたしかにありますよね。

相互フォロワーと付き合えたのはたまたまですよ! あれは奇跡みたいなもんだと思ってます。でも「すごい」って言ってくれてありがとうございます

こんな自分を無理に変えようとせず、ゆっくり付き合っていこうと思います。長くなりすみませんアドバイスありがとうございました!

anond:20191027180150

話の途中に入っちゃってごめんなさい。

自分自己肯定感が全くないタイプ

仕事関連の人、友人に「ネガティブすぎ」「自信なさすぎ」って言われてます

自分もどうしても直らなくて困っているのが正直なところです。

から参考になればと思い書きました。

自己肯定感の低さは決して全部が悪い面ではないと思っているから、

以下にして自分は割り切ってます

ネガティブな部分はできるだけ会話には出さない。(普段はいくらでもネガティブでいい)

自己肯定感がないからこそ、他人に対して変に威圧的にならなくて済むと思う

仕事では自己肯定感がないからできる努力もある。

自己肯定感スパイラルに陥った時の対処を見つける、決めておく。


そんな風にして、自己肯定感存在はできるだけ割り切ってる。

相互フォロー恋人できたのはすごい。自分はそれすら無理。

そこそこな年だがその自己肯定感のなさで、ろくに新しい友人はできてない。笑

年を重ねると自己肯定感の低さって負に働きやすい。

から直すために無理をするよりも、ゆっくりと付き合っていくくらいの感覚おすすめ

なんかうまく言えないけど、少しでも参考になれば幸いです。

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