はてなキーワード: 自己肯定感とは
僕の収入は低くはないんだけど、僕が倒れてしまった時の保険としても彼女が自立して生活できるようにも収入の冗長化をしたいと思っているので彼女にも働いて欲しいと思っているが、これが難儀しているという話。
難儀の原因は、奥さんとのコミュニケーションができていないということ。
というのも奥さんは抽象的なことを理解するのが苦手のようで、「正社員になるのが僕としても家計としても第一希望だけど、アルバイトから正社員に狙えそうな仕事ならアルバイトでもいいよ」と伝えると、「正社員になれ」と解釈してしまい、他にも「過去にライターでの職務経験があるし、文章書くことが好きだからライターの仕事ができればいいかもね。」と伝えると「ライターの仕事を探せ」と解釈してしまう。
また、僕が常々言っていることは「コンビニバイトのような外国人に置き換わっていく次に繋がらないような仕事はやめて欲しい」と言っていてこれを「コンビニバイトだけはやめろ」と解釈していて、単純労働などのデータ入力などはOKだろう、と考えていたようで挙句の果てには「お前の言っていることはわからん。NGな仕事をすべて列挙しろ」とまで言ってきた。
僕は難しい言葉を使ってはいないし、わかりやすく説明しているつもりなのだが、本質がまるで伝わっていない。
結婚した当初は子供ができた時の学費のために復職しやすい仕事に就いて一緒に学費をコツコツ貯めようね、とも言っていたのに、今では「何もできない。仕事をしたくない」と言って泣きじゃくっている。
僕から見ると、子供を作る覚悟がまるで無くて本当にあきれてるんだけど、世間体とか手続きがめんどくさくて穏便に済む方法がないか探していているので、離婚はまだ切り出していない。
彼女の自己肯定感が低いのは、僕が理詰めしてしまっているような気もしていて僕にも悪いところがあるとは思っているけど、まだ子供がいない間に仕事の妥協はあまり妥協はして欲しくなくて、本当にどうすればいいのかわからない。
雑談を振られたら完全に無視する とか丸坊主にする とかすればまあモテなくなるだろうけど、普通に生きようとすると絶対にモテてしまうんじゃないかと思う
俺も美少女に生まれたかったなーと思うことは時々あるんだけど、実際多くの人から好意を寄せられたら相当嫌だろうな
中学の時全然話したことないし当然好きでもない後輩から好かれてけっこう嫌だった 気持ちは嬉しいんだけど付き合うには明らかに覚悟と気持ちが足りないから、できるだけ目を合わさないようにして避けていた
自分は自己肯定感やコミュニケーション能力の低さが世間一般より相当低い。
どうしてここまで低くなってしまっていたのか、自分でもわからない。
おそらくはそれらの耐久値をあげる努力を怠ってきたからというのが大きく占める。
そのため、本文のように自分より優れた人間(また優れていそうな)を見ると、
なんならば全員が自分より優れていると思っている傾向もある。
そしてその嫉妬は純粋に自分のパフォーマンスを下げるだけでなく、
嫉妬となる対象・それに関連する第三者と離れてしまうことがままある。
相手のことはとても尊敬している。しかし、内心でネガティブな感情が溢れてしまう。
自然に接したいのに卑下してしまったり、やけに変に持ち上げてしまったりしまう。。
少しずつ直っている面もあるが、嫉妬に対する感情の扱いを避ける悪い癖はまだまだある。
嫉妬したならば、それを活用して努力するのが一般的な行動ではないものかと思う。
活用し始めて基本的に2手3手遅れているから、全てが手遅れな状態。
世の中が「ウサギと亀」の物語のようにはできていないので、差がひらけば、その差が縮まることはない。
これらがいつもいつもぐちゃぐちゃになって最終的に全てを放棄してしまう。
ここ最近の人生はそれの繰り返し、何かするたびに自分は大したことない人間だと自覚させながらやっているのに、
何かできるのではないかと努力し、周りを見て、がっかりし放棄する。
努力不足なのはその通りなのだが、その努力をするためのメンタルが追いつかないことがままある。
ある時から死ぬ前までずっと面白くなくなり続けてたよな。なんでなんだろうな。俺は悲しかった。
本人の自己肯定感が高まるにつれてつまんなくなってったんだよな
成功して、女優や有名人の友達が増えて、離婚して、内輪ネタの雑誌を作って、って段階を踏むほどに。吉本ばななとスピってたのもショックだったよ。
もしかしたら元リボン担当者の1人目の夫がエッセイとかにもがっつり手を入れてたのかな。あの人、ビートルズのことを語るラジオとかに出ててさ、何回か会ったことあるんだ。若い女の子をしきりに飲みに誘っててなんか…がっかりしちゃったんだよ。不倫で離婚したイメージそのまんまじゃんよ。いや、別に俺がどうこう言うことじゃないのはわかってるが……
初期の漫画もエッセイも大好きだったよ。コジコジくらいまではギリギリ好きだった。新しく作品が出たら買ってた。そんで後になるほど毎回つらくなってた。だからこんなに余計なこと考えちゃうんだろうな。
反出生主義にしろ、女性にありがちな極端な性嫌悪にしろ、あとは反肉食ヴィーガンなんかもそうなのだが
「人間が生物として生きることへの嫌悪」っていうやつは、その思想を信じた奴を不幸にする効果しかないし、もしも自分が子供なり生徒なりに何かを教える立場だったら、真っ先に矯正したい。暴力的エロ漫画の500倍子供に悪影響があると思う。人間を否定してるってことは、自己肯定感や他者への寛容の真逆なんだから。
しかしどういう訳か、そういう人間性否定が"倫理"みたいな雰囲気を纏っていて、そういう思想にかぶれる若者は常に一定数生まれているし、そうして鬱屈した若者(またはかつての若者)が、今日も増田にグチを吐き出してきたりするわけだ。そうなるともう個人の思想の自由としかいいようがないし、俺がどうこう思うようなことじゃあないけど。
自己肯定感についての本を読んでるんだが、
自分が価値のある人間かどうかや、努力すれば大抵のことはできると思うかどうかについての2017年意識調査(対象は高校生)で、そう思う人の割合は日本人は4割くらい。米中韓は8割台。
そんな卑屈だから物事の捉え方がネガティブでやたら批判的だったり熱意持って行動してる人を嘲ったり冷笑するんだろう。
もっと各々が自身に自信を持って活き活きしてた1990年代〜2000年代ごろみたいにならねえかなって思う。井の中の蛙で良いよ。根拠無い自信でいいから己を信じて突き進めよ。
あと「今の自分に満足している」についても日本人は4割台、米中韓は8割台だけど、これは良いと思う。自身の理想と現実との大きなギャップこそ大きな向上心と行動の原動力になる。
年齢を重ねるに従って、如何に自分がルッキズムに支配されているかを痛感するようになった。
外見がイケてないと感じる人には、思考、発言、行動、すべてにマイナスのバイアスが掛かって見える。
周りの態度を見て、自分がこんなにも外見に影響されてることに気付いた。
だけど抜け出せない。
就活市場では顔面強者が就活強者なんて言われていて、それは勿論不当なことだと思うのだけれど。
いざ自分が面接官になったことを想定すると、外見が整っている人には高い評価を下してしまうだろうなって想像がくっきりとついてしまって、初めてヤバいかもと思った。
今でも、同じ職場で関わりのない、顔が整っていてプロポーションが良い異性に対して、「あの人は仕事できそう、この職場には勿体無い」と無意識に思考している自分がいる。
やめたい。
自己肯定感の低さからくる相対評価至上主義が原因の一つなのはそれとして、じゃあどうやってルッキズムをやめる?
何か対処療法的なのってないのかな。