はてなキーワード: 背中とは
毎朝6時半頃目を覚まし、猫に餌をやって家族の朝食の準備をする。または先に起きた妻が用意してくれた朝食を摂る。
トーストをかじりコーヒーを飲んだあと、寝室で眠っている小学校低学年の息子を起こしに行く。寝ているベッドの隣に潜り込み、抱きしめたあと頭を撫でながら起きるように声をかける。目を覚ましたら背中におぶって食卓まで連れて行く。
妻が息子に朝食を食べるよう促す声を聞きながら仕事の準備をして、猫におやつをあげてから、息子と登校班の集合場所まで手を繋いで歩く。息子がハマっているゲームの話を聞いたり、たまにはこっちから小言を言ってみたり。そして登校班が出発したのを見送ってから仕事へ向かう。
大体同じ毎日。
最終的に議員の多様性や代表性、新陳代謝が失われ、政治社会的な活力や効率が失われる。それが問題だと思う。
個別の世襲議員やその予定者がだらしなかったり緊張感や責任感がなかったりするのはそれはそれでダメだけど。
世襲というか、親や親戚の背中を見て自分も成りたいと志すってどんな職業でもあると思うし、親が議員だからって議員になってはいけないってことはない、制度上も倫理的にも。
https://anond.hatelabo.jp/20230604131352
なるほど、とても共感した。産んだ事ない人、産んだ事ある人はそれぞれに生存者バイアスがかかるし、何より価値観でしかないけど、それを言ったら話は終わるので自分はどう思っているかも書いておきたくなった。
◾️結論
・なぜそう思うかは、単純に今、幸せを感じているから。過去に戻りたいか聞かれても、戻る事で今の幸せがなくなるならば戻りたくないと思う
・所得は高くもなく、かといって余裕があるわけでもない程度。貯蓄は高級車が新車で買えるかなくらいで、家は賃貸で普通のサラリーマン
・性格に難あり。1人でいる事が好き
・自分の努力ではどうにもならない事や、環境に左右される側面が強い、いわばギャンブル性が強いと思うこの世界に子供を自分のエゴで産み落とす事に元々抵抗があった
・何より、子供を愛せる自信なんてなかったから、あらゆる面でギャンブルだと捉えていた
・結婚願望は無かったけど、周りの環境に流されて結婚。妻の希望で子作り
◾️結果としてどうだったか
・生まれた瞬間や、乳児期は心境の変化なしで、父親の実感持てず
・何もできない、意思の疎通が取れない事に不安を持っている日々が長くあった
・ところが、何もできない子供に感情が芽生え、できることが少しずつ増えて、コミュニケーションが取れるようになってきてから心境の変化があった
・ペットとも違うし、他人の子供とも違う。新しい感情。もちろんかわいいのだが、自分の子供がかわいいという独特の感情で、そのためだけの言葉がないのはバグだと思う
◾️今後について
・正直、仕事もハードで子供のためだけに生きようという心情にはまだなれていない
・しかし今まで感じることのなかった日々への彩りや豊かさの実感、成長過程を常に見ていきたい感情がある
・未来は不安だ。大きくなるにつれ拒絶もされるだろうし、どんな彼氏をつれてくるのか、とかも考えてしまう
・戦争だってあるかもしれないし、自分が失業して貧乏させるかもしれない。老いもするし老後が見えない
◾️トータルで思う事
・でもよかった。本当にかわいい。社会がよくなってほしいし、みんなも幸せになってほしい
・人に迷惑かけず、適度に頑張って、適度に人から裏切られ、適度にあたたかい家庭を作って欲しい
・元々はいつ死んでもいいやと思ってたけど、今は死にたくない。まだ成長や笑顔を見ていたい。自分も生まれてよかった
◾️世界に期待したい事
・社会の成立や自身の老後のために、とかはまったく思わず、みんながこんな気持ちになってくれるといいなと思う
色々あるし、ギャンブルだと今だに思うけど、賭けてよかったよ。悩んでる人がいるなら、背中を押したい。どうにかなる。どうにかしよう。そんな人が1人でも増えるといいな。
犬がリビングに安置されていたので、母とふたりリビングで寝た。
泣きながら寝た。
今日の午前は母と花を買いに行った。
犬に供える花は、私と母で選んだので、赤とかピンクとかの華やかな色は少なく、
ガーベラやカスミソウ、白いカーネーション、小さなひまわりみたいな花になった。
午後には斎場に持って行くので保冷剤とタオルで包んで冷やすのは昼にはやめていた。
斎場は火葬にするだけで遺骨は手元に残らないので、毛を残すことにした。
胸元の白くてふわふわな毛がかわいいね気持ちがいいねと父が言った。
白いだけだとこの犬じゃ無いみたいだから、と弟が言って背中の茶色と黒の毛も切った。
尻尾の先の黒っぽい毛を母が切った。
私は額の短くてやわらかな毛が好きだった。
叔母と従兄弟たちが来た。
犬に頑張ったねと声をかけて、まだ寝ているだけみたいなかわいい犬の写真を撮った。
みんなで犬と写真を撮った。犬は穏やかに寝ているだけみたいだった。
名残惜しく身体を撫で、声をかけて思い出話をした。
小さくなったねとか本当に長生きしたねとか、こんな写真があったとか、本当にかわいいねとか。
犬は生まれた時から死んだ後までずっと、本当にかわいい犬だった。
箱に犬を入れて、また撫でた。
おやつと花を箱に入れた。
焼き芋を買ってきて、入れてやればよかったと思う。
牛乳は入れることができないので、残念だった。
弟は、タオルに牛乳を少し染み込ませて箱に入れることを提案したが、それは流石に犬も嫌だと思う。
花に囲まれた犬はかわいかった。寝てるみたいだった。きれいだった。
みんなでまた犬を撫でて、家を出た。
祖父母と叔母と従兄弟と別れて、家族5人と犬で車に乗って斎場へ向かった。
ずっと涙が止まらなかった。
しばらく待って中の部屋で箱ごと重さを測り、お金を払って、
もうお別れをするだけだった。
部屋の中に入る前に一回箱を閉じたけどまた開けた。
父がもう一回犬の顔見たくなっちゃったと言っていた。
みんなでまた、犬の身体を撫でて、別れを告げた。
それまでは犬に頑張ったねととか、ありがとうねとか、みんなそういう言葉を言っていたけど、
名残惜しく、何度も犬の顔を撫でた。
そうして箱を閉じて部屋を出た。犬とおわかれをした。
部屋を出て、建物を出て、車に乗った。
もう家に帰っても犬はいない。
私は犬のふわふわの毛の生え揃った額に触れることができない。二度と。
かなしい。さみしい。さみしい。
犬は、セレモニーみたいにしなかったけど、多くの人に見送ってもらえて本当に良かったと思う。
多分、いつか私が死ぬ時よりも多くの人に見送ってもらえただろう。
みんなが大好きなかわいい犬。
気まぐれで飽き性で、元気でかわいい犬。
もう家の中のどこを探してもいない犬。さみしいよ。
一緒にいたい、より、そこにいて欲しい、という感情が近い。
私も犬もベタベタくっつくタイプでは無かったから、こういう気持ちなのかなと思う。
私は普段一人暮らしだし、犬がずっと家にいてくれたら幸せだった。
もう家に犬がいない。さみしい。
今は一人暮らしの部屋に戻ってきてしまった。明日は仕事に行かなければいけない。
いつもはひとりでいることは全然苦にならないのにずっとさみしい。
ずっとかわいい犬。私はさみしいけど、どこかで満足のいくまで牛乳を飲んで、芋を食べて、
楽しく走り回って、気持ちよく寝ていて。
たまには私たちのこと思い出してくれたらうれしい。
私のかわいい大好きな犬。さみしい。
一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。
今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。
家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。
私は実家から1時間弱の場所で暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。
本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。
犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。
犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。
でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。
いつだかシルバーのバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。
外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行の体制になるように支えて歩かせた。
人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。
それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。
とにかく牛乳が好きな犬だった。
犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。
老いてからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家の冷蔵庫の牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。
煮干しの頭が嫌いだった。
頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家のリビングには煮干しの頭が転がっていた。
鮎を貰って大喜びしていた。
近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。
さつま芋が好きだった。
人間の食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋と干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。
抱っこが嫌いだった。
抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。
個人主義者だった、と思う。
我が家の人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。
好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。
甘噛が直らなかった。
直さなかった。塩対応の犬だったが、人間が帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。
お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。
目がよく見えなくなったときは家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。
夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。
よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。
換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。
はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。
キツネみたいな顔だった。
たまに顔がまんまるになっていた。
濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。
しっぽの先端も黒かった。
額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。
犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。
犬よりも人間のほうが好きみたいだった。
亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。
そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。
散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。
近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。
しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。
今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真をグループラインで共有していた。
古いカメラや携帯を引っ張り出してデータをサルベージしては、思い出を語り合った。
家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、
写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。
今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、
犬がまだこの家にいるうちに自分の記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。
犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。
冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。
私は犬のいる家が好きだった。
母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。
そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。
この光景が永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。
もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。
今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。
そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。
自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。
犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格だから心配はいらない。
私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。
それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。
家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、
この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。
別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。
納得しているのに受け入れがたい。
去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。
犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。
ずっと記憶にある思い出。
あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。
意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。
もういない。
こういう意見は本来なら市役所に直接送るものだと思うが、あまりにも岡崎市役所と地元企業らが腐敗しており、送っても無駄だろうと諦めているので記録目的としてネットに書くことにした。
東海オンエアといえば女性蔑視丸出しなコンテンツを提供しているYoutuberで、過去にもその方向で何度か炎上している。
メンバーたちは「痴漢はバレなきゃ犯罪じゃない」「バレなければ痴漢をしてもいい」という性犯罪を促進する発言を繰り返し大炎上した。
「絶対に痴漢をしてはいけません」というなけなしの注釈も、「痴漢をしたら社会的に死ぬから」という加害者の身を守る理由から来ていたことからして、保身のためのタテマエだったことが伺える。
そのほかにも女友達を妊娠させてしまったという相談に対して「子供は堕ろせ」と簡単に言ってのけた過去もあるらしい。
ちょっと検索すれば彼らが女性関係ネタで不適切な発言をし続けてきた情報が大量に出てくる。
こんな思想の集団を広告塔に任命するなど、民間企業であれば絶対にやらないだろう。「ミソジニーや性犯罪への助長に荷担している」と企業のイメージが悪くなるからだ。
それも7年間もやり続けている。
このように異常なことを堂々とやり続けているのは「地元にとって利益があるから」と容易に想像がつく。
東海オンエアは大人気Youtuberだ。事実、岡崎には東海目当ての観光客がたくさん来て莫大な経済効果をもたらしている。
商業ビルの壁には東海のスプレーアートが施され、町中にはメンバーのイラストが描かれたマンホールが、飲食店や観光案内所には彼らの等身大パネルが、国道一号線沿いには集合写真の巨大看板が設置されている。
町じゅうが東海オンエアを持ち上げ、彼らのご利益にあずかろうとしているのだ。
「女性蔑視や性犯罪を助長する発言により、その裏で不快な思いをしている女性たち」という犠牲を生み出しながらも。
親に買ってもらったかわいい浴衣を着て、わくわくしながら友人らと花火大会へ繰り出した。
岡崎城のすぐ近くにある橋を渡っていたときだった。向こうから来た高校生か大学生ぐらいに見える男の集団に「かわいいね」「一緒に花火をみにいこう」と呼び止められた。
私と友ら人はしつこく言い寄ってくる彼らを無視して先を急いだが、彼らは私たちの前に立ちふさがり「かわいい!すっごくかわいい!」「無視しないでよ」「一緒に遊ぼう」と言って、抱きついたり肩や腰に腕を回してきた。
当然抵抗して暴れた。すると彼らは腹が立ったようで、私の髪と浴衣の帯をつかんで思いっきり引っ張ったのだ。
怖かったしショックだった。
私たちは手を取り合い、人混みをかきわけながら走って逃げた。背中から男たちが「ブス!」「ブーーース!!」「ギャハハ!!」嘲笑する声が追ってきた。
人混みをぬけたところでほどけた帯を友人に整えてもらい、その足で交番に向かった。
男性の警察官に事情を説明すると、彼は乱れた浴衣で息を切らしている私たちをにやにや見ながらこう言った。
……どうしてそんなことを言われるのか理解が追いつかなかった。
なんでこの警察官は私を助けてくれないだろう?
結局まともに取り合ってもらえず(それ以上の事情聴取や調査などもされないまま)、早く帰りなさいと交番を追い出された。
「他人に、それも男に公衆の面前で服を脱がされかけ、周りの大人たちは見て見ぬ振りをし、助けを求めた警察官にはないがしろにされた」という経験は、15歳だった私の心に大きな傷を残した。
あの時、橋の上で遭遇した男たちが発していたノリには、東海オンエアに通じるものがあった。「みんなで女を蔑ろにすることで、男同士の結束を強める」というホモソーシャルなノリだ。「みんなで痴漢の練習をする」動画もずばりそれだろう。
市内を移動している最中に東海オンエアのパネルや写真が目に入ると、胸に嫌な気持ちがこみ上げてくる。
痴漢という性犯罪を助長する男たちの顔を、痴漢に遭ったことがある女性が見て不快にならないわけがない。
ましてやそれ以上の性被害に遭ってしまった人ならもっと複雑な想いを抱いているはずだ。
そんな男たちを岡崎市役所が広告塔にかつぎあげて観光客を呼びこんでいることに今更「NO」を出したところでどうにもならないだろうという諦めがある。
そう思うのも、岡崎はあの「岡崎準強制性交事件」に無罪判決を出し、「全員に5万円配ります」と公約に掲げ結局実行しなかった人を市長に当選させたことで全国ニュースになった街だからだ。
性犯罪者におそろしいほど甘く、女性蔑視が蔓延しており、市民の政治的リテラシーが低い。それが愛知県岡崎市だ。ぜんぜんいい街じゃない。男女共同参加企画とか推してるけどこんな街が女性が暮らしやすい場所なわけがない。
こちら都心に勤務でほぼ毎日山手線を利用してますが、もうオバさんとかオジさんとかそういう分類不要で、若いの(小学生くらい)からお爺さんお婆さんまでぶつかってきますよ。スマホ見ながら前見ないで歩くの普通。
2023/06/03
例えばこのブコメとか、「俺からすれば」ぶつかり◯◯の眷属にしか見えねえのよねわりーけど。
だって俺も品川経由で山手線使ってるけどぶつかってねえもんスマホ歩きに。
どう避けてるのかも思い出せないくらい自然にちょっとずつ避けてる。
逆にたまにいるタイプなんだけど
スマホ歩き見るとわざと衝突しにいくやつって確実にいるじゃん?
俺はスマホも進行方向も見えてるから目の前に変なの来ればわかるんだけど
そこで立ち止まったり目をあげたりするとギクッとした感じになるんだよね。
「スマホ歩きで前みてないやつに天誅!」て気分でぶつかろうとしてたしか思えない。
そんでもし俺が目をあげなかった場合はほんとにぶつかってて
そいつその後にネットで「ぶつかられた」って書くと思うんよね。
そういう認知とか歩く速度によってみんな感じ方が変わるからどうにもならん。
俺は歩くの早いから一番邪魔くせえしねと思うのはスマホ歩きじゃなくて
歩くのおせーのに追い越し車線的なスペースに広がってくるやつね。
前のやつと変わらない速度で歩くなら前のやつの背中につけって。
なんかちょっと視界が開けてきもちいーていどのことで無駄に道に広がるなよ。
追い越したい人間からもすれ違う人間からも邪魔きわまりないんだよ。
でもあのあほどもはそういう迷惑かけてるなんて気づきもしないし
これ読んでる多くの人は俺の方が異常者だと思うだろ。
いや、子供の個性によって、楽だったり、きつかったり色々あるのはわかっているが、個人的な感想としては楽である。
基本的にあいつらは、寝てる。3時間ごとに起きて、ミルクをあげて、おむつ替えて、すぐに寝る。
泣いてる時の原因は、
・おなかが空いた:95%
・背中に違和感がある(衣類とかがぐちゃぐちゃになってる):2%
・おむつ替えて欲しい:2%
くらいである。
そう言えばさ、
背中がぎっくり腰になった話しちょっと前にしていたと思って今気付いたら痛みがもう無くなっていて知らぬ間に背中異常ステータスは解消していたわ。
でさ、
今絶賛調べ中、
と言っても私はそんなには関わってなくてデータ照合などのエクセルのお手伝いはしているんだけど、
例の私が以前いた会社の別支店の支店長がオーリョーしてんじゃないか問題の。
もうさ、
オーリョー疑惑のシテンチョーは鬱病を急に発症して診断書などのファクシミリが来ていてあとは弁護士を通じてください!みたいな内容が来ていて、
私も直撃しているわけじゃないけど、
胃が痛いわ。
あれさー
お腹痛かったらトイレ行ってうんこポン!ってやったらだいたいの腹痛は解消するけど、
神経的なこの胃の痛みは
もうトイレに行っても出るものがないからずーっとシクシクとチクチクと痛いのよ。
朝は4時ぐらいにシクシク痛くて目が覚めて冴えちゃってそのまま朝までスプラトゥーン3!って遊んでるんかーい!ってなってるけど、
トイレで踏ん張っても何も出ない涙しか出ないって泣いてないけど
そのぐらいの勢いよ。
気晴らしに何か食べたらお腹痛いの治るかも!鴨鹿!って思って食べても
なんかまたしばらくしたらお腹痛いし、
じゃールービーで消毒だー!って
ルービーをキメても酔って麻痺して痛みが感じなくなって結局酔いが覚めるとまたシクシクチクチク痛いのよ。
そんで、
早く帰ってスプラトゥーン3の開幕戦ダッシュをキメたいところよ!
昨日のバトルとしては
開幕戦1戦目は負けーの次は勝ちの1勝1敗ってところかしら。
まずまずの出だしよ!
でも私が愛して止まない熟練度星5つ取ったブキのセブンファイブオーライダーって塗り性能弱いじゃない、
そんなセブンファイブオーライダーの私が塗りポイント1500とか塗っちゃって、
もっと他のメンバー頑張ってよ!って思ったり思わなかったりよ。
てへ!
塗りの弱いブキの人にたくさん塗らせるんじゃないわ!って思うのあるある?
なんか思い出したらお腹がシクシクチクチクなるのよね。
あー早く開放されたいわ。
うふふ。
こんな調子なので、
事務所の冷蔵庫にストックしてある甘いコーヒーギューニューを飲んだわ。
ビターアンド甘ーいって感じね。
冷蔵庫にあってよかったヒーコーギューニュー!
水筒に持ってきて朝もごくごく飲んできたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私が悪いんかもしれんけども……ある程度のフェイクもあり。チラ裏だと思って書いてるから読みにくいです。
教育実習では実習日誌っていうのを書かなきゃいけなくて。
その日あったことを書いて自分であとで読み返す用のヤツ。一応公式な文書として扱われるから間違えたら訂正印、修正テープは厳禁。ついでに大学にも提出はして実習をした証明になるんだよね。
それを毎日見てもらって、実習校の指導教諭にコメントを付けてもらうことになってた。
ある時その指導教諭にちょっと呼び出されて、何かな?と思ったら
【今日は生徒が授業中に教室を立ち歩いてしまう事案が発生してしまった。その際の○○先生の指導が参考になった。】
「これじゃ〇〇先生の指導が悪かったみたいだから書かないでほしいんだよね、上から紙を貼り付けて書き直してくれない?大学側にも見せるやつなんでしょ?」
????悪かったみたいじゃなくて悪かったんじゃない?????実際立ち歩いてたわけだし………と思ったが、そういうこともあるか、と頷いた。
「じゃあ紙から透けて見えないように修正テープ貼ってもらって良い?見ててあげるから」
こんなこと言われるんだ、社会って……
教師ってもっと誠実で真面目な人がやるものだと思っていたけど、実際はこんなものなんだなあ……
こっそり泣いている私にその指導教諭は「添削をするためにこの間違った文章をコピーしてきてあげるね」と言った。
一生懸命書いた日誌が間違い扱いされて、私はもっと泣けてきた。けど大人しく待っていた。
5分経っても印刷室から戻って来ない。何かトラブルでもあったのか?私は覗きにいった。
指導教諭には日誌を他の先生に見せて、「こんなん書いてきたんだよ?やめてほしいよね〜〜ホント」とニヤニヤ陰口を叩いていた。
無理すぎて職員室に戻った。べそベそ泣きながら(マスクで隠した)添削を受けて、全然違う文章にされた日誌の文章を書かされた。
最悪だった。
「コレじゃ研究授業のことと生徒のことだけじゃん?もっと見学した先生のこととか受けた指導のこととか書いてほしかったな」と言われた。
貴方に初めて添削された時のことがトラウマになってて他の先生の話書けなかったんですけど……
そもそも表現を直すならまだしも内容を全部貴方が変えちゃったら私の日誌じゃなくて貴方の理想の日誌になっちゃうんですけど……
というのを飲み込んで
「他にもまとめは出すので日誌のまとめはこのまま行きたいです…」
とか細い声でもそもそ言ってやった。
その教諭は不満そうに「じゃあ他の先生にも読んでもらってそれでOKもらったらいいよ」と言った。
そして他の先生のところに行って、何やら内緒話を始めた。なんかクソみたいなまとめ文書いてきたんだけどガツンと言ってくれない?みたいな話をしているのか?私はまた泣きそうになった。
その先生にも添削を受け、微妙そうな顔の先生に「まあ……いいんじゃない?他のところでも書くんでしょ」と言われ、不満そうな指導教諭の視線を受けながらそのまま提出した。
最後に職員室を出る時、みんな「お疲れ様でした」と言ってくれた。その指導教諭は私のことを無視して、背中を向けていた。
もともと教育実習は資格とるためだけに行ったけど、(もしかしたら先生になりたいって思うようになるかもな)と思ってた。
実際、生徒は控えめで大人しかったけど優しくしてくれたし、先生たちも差し入れのお菓子をくれたりして、頑張って実習できた。でもああいう教員と一緒に働かなきゃいけないのかな、と思ったら、教職はやりたくないな〜〜になってしまった。民間で大人しく働くことにします。
・実はこの教師恩師の奥さんらしくて「この人恩師の奥さんなのにこんなひどい人なんだ」っていうショックもありました!!!
・今はそこまでショックじゃないっていうかクソ〜〜!!とは思ってるけど平気です!そういう嫌な大人もいるよね
・試験受けます!頑張ります!っていう噓ついて実習受けてたしクソ実習生VSクソ教師だと思います
・民間でも嫌なことあるかもしれないけどお疲れ様ってここで言ってもらえたから頑張ろう!って思いました。有り難うございました。
盛り上がってる賢者たちに置いてきぼりされてる。
彼らは、まるで埋蔵金をどう使うかの算段を話してるみたい。
色んなモノが共有できて節約になるでしょ。
理解のある恋人はいるけどカネがないので結婚しません、ってどーゆーことよ。
結婚指輪が買えないとかどーでも良くねーか。
そーゆーことじゃないのか。
みんなの考えが分からん。
人の目が気になって増田が書けない増田あるあるってアールジーさんばりに早く言いたいわ。
6月入ったじゃない。
隣の会社のところには新しくパートとか派遣の人とかが入ってきたので、
呼ばれたり呼ばれなかったりするかも知れないから
ちょっとソワソワしてるのよ。
人が多いとまったくやりにくくって仕方ないわ。
今日はこの辺にしておきたいところだけど、
個人的にはそうね!
あれよあれ
私は開幕ダッシュを決めなければいけないのよ!
スプラトゥーン3のソフト立ち上げたままスリープしたら更新データダウンロードされないので、
一旦全部終了させて
日々人は進化するのよ!
現状維持ってところかしら。
まあなにせ人が多いと増田が書きにくいあるあるを早く言いたいわ。
でまた昨日の出張の話しもおっかないけどしたいところだけど、
ホッツが喉元を過ぎたごろに書けたらなと思うわ。
あーおっかない。
でも帰りの新幹線では
夜遅かったから車内でプッシュっと缶開ける音が盛大に盛り上がっていて
朝とは大違いね!って感じの車内だったわ。
まあとにかく今日は人が多くて気になって落ち着かないわ。
うふふ。
タイプが何種類か遭って、
厚焼き玉子系か
スクランブルエッグ系かなぐらいの種類があるんだけど
今日のはあんまりお目に掛けないタイプのスクランブルエッグ系だったわ!
もう出るものも出ないしって感じの時の腹痛って出すものがないからお腹痛いのガマンしなくてはいけないのかしら?
今もシクシクとチクチクするわー
まあ今日には直るっしょ!
水出しのタイプのやつで
水出しのスッキリした感じが
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今日、母親に何発も殴られて蹴られてた子供に何も出来なかった。
(母親は意図的にその子が沖に投げたと言って怒っていたが、一緒にいたその子のきょうだいはそうじゃないと言っていた。私は流れた後に来たので見ていない)
「投げんなって言ったよなあ!」「こうなるって言っただろ!」と言って何発もべちんべちんと音を立てて殴ってた。
「どうするって言ってんだよ!」って言われたときに「弁償する…」と子供がボソッと返してた。「そうじゃねえだろ!」とさらに母親は怒ってた。
何回かは蹴ってた。「怒らせんなって言ってただろ!」
「帰るぞ!」って最後に背中をばちんと叩いて父親と母親と他のきょうだい二人の五人は帰っていった。
本当に何も出来なくてごめんなさい。頑張って強くなります。本当にごめんなさい。