はてなキーワード: 秘密とは
真面目に回答したら良いのかな?
おそらくは日本でネット投票がまともに解禁されるようになるには、インターネットで使われる情報技術の標準規格を選定するW3Cが定めたSelf-Sovereign Identity(SSI)というポリシーに則ったDecentralized Identifiers(DID/DIDs)が日本でまともに運用されてからだと思われる。
Self-Sovereign Identityとは訳すと自己主権型アイデンティティで、これは技術の規格というよりも技術を開発・運用するためのポリシーなんだ。
詳しくすると論文が書けてしまうので要約するけどSSIでは以下の10項目が提言されている。
これらの10項目はまだ上手い日本語訳が無くて俺の意訳が含まれていることに注意してもらいたい。
このSSIが何を言いたいかといえば個人情報の公開を第三者ではなく個人自身が管理・制御できるべきということなんだ。
SSIを定めたW3Cはそのポリシーに則って個人情報を管理するためのシステムの仕様を定めた。
それがDecentralized Identifiers(DID/DIDs)で、これも訳すと非中央集権型識別子ということになる。
何のことだが小難しい漢字語になってしまったので、より現代人へ理解しやすく平易な言葉へ置き換えると分散型デジタルIDと表現したほうが理解しやすいと思う。
現在、個人情報(アイデンティティ)というものは中央官庁や巨大企業によって中央集権的に管理されてしまっている。
これでは個人情報の本来の持ち主である個人が自由に利用することが難しいし、そして自身の個人情報がどのように扱われているのかというのを把握するのが非常に難しくなってしまっているよね。
更には中央官庁や企業としても日本国法で言うところの個人情報保護法の兼ね合いで個人情報管理に関して大きなコストを支払わざる得なくなっており、もし仮に個人情報が流出した際に賠償責任などのリスクを負う可能性があるのが現状だ。
そこでW3CはSSIポリシーに則ったDIDという仕様を定め、これまで問題視されてきた個人情報管理の問題点を解消しようと近年動き出している。
DDIはブロックチェーンにより分散的に個人情報を管理しつつ改竄を防ぐ仕様が取られている。
更に特徴的なのは個人が個人の意思によって個人情報請求に対して公開したい範囲の個人情報のみを開示できる仕様になっているんだ。
これはどういうことかと言えば、現在の日本ではタバコや酒類を購入することに関して成人であることが条件になっていて、成人認証には運転免許証やマイナンバーカードなど公的機関が発行する資格・証明証が用いられている。
この問題点はタバコや酒類を購入する際に必要な個人情報は「成人である」という証明だけのはずなのに、例えば運転免許証であれば氏名や現住所、許諾されている運転車両の範囲など余計な個人情報も記載されてしまっていることが問題なんだよね。
しかし、DIDを用いるとタバコや酒類の購入者が開示する情報は「成人である」ということができるようになる。氏名も生年月日も現住所も許諾されている運転車両の範囲も開示する必要がないんだ。
これは中央官庁や企業に取っても非常に安心な仕様だ。何故ならもし誤って個人情報を流出させてしまっても流出するのは誰のものだか判然としない「成人である」という情報のみだから。
他にも携帯電話通信契約などの場合でも本人確認や法的に契約できる者なのかを確認しなければ契約の締結はできないけれど、DIDを用いると開示する情報は「本人である」というものだけになる。
契約業務をする目の前のスタッフはアナタがどこの誰だか全くわからないけれど、アナタが本人であることを知ることができる。こういうことを可能とするのがDIDというシステムなんだ。
ポイントカードやクレジットカードもDIDと紐付けば何枚も持ち歩く必要なんてなくなる。
そして選挙は本人であることや、投票できる年齢であるかどうかを確認したり、投票の秘密を守らなければならない。更に言えば投票の集計もしなければならないよね。
DIDは中央集権に寄ることなくアナタが本人であり投票できる者であることをアナタの許諾を得て承認し、投票の秘密を守り、更にはコンピュータだから超高速に投票集計もしてくれるんだ。
SSIの透明ポリシーによって投票集計のプログラミングコード・アルゴリズムもオープンに公開され公正に選挙が行われる。
これが最も先進的な個人情報管理のために提言されている新しい技術だ。
そしたら、注目されて、人気エントリに乗る。
そのころにははてなブックマークにも乗る。
たったそれだけのことだった。
なお、これをみんなが知ってしまうと大変なこと(具体的には各フェーズのブクマ数などの必要最低数があがってしまう)だから、たまたま読んだ人だけの秘密ね
・パスワード長に制限がある(覚えやすく強力なパスワードを作りにくい)
・パスワード設定時の再入力でコピペ禁止(パスワード生成ソフトのランダム文字列が使いにくい。というかそもそも同じものを2回入力させる意味がない。間違えたら再発行や再設定で対応すればよい)
・秘密の質問がある(利用者が忘れたら再発行・再設定で対応すればよい)
・パスワード再設定時にIDに設定したメールアドレス以外のメールアドレスを送付先として利用できる(メールアドレスと生年月日がわかれば他人がパスワードを再設定できる。つまり他のサービスで漏洩した情報だけで認証を突破できる。)
・7idログイン用のパスワードと7payのチャージに必要な認証パスワードに同一のものを利用できる(フールプルーフのない不完全な多段階認証)
・パスワード変更してもログインしているアプリから自動ログアウトされない(他人が不正ログインに成功したらパスワード変更しても意味がない)
他になんかある?
先日ツイッターでこの記事が流れてきて読み、ずっと心に引っかかっていたので筆者さんが読まれることがあるかはわからないですが、一人の異性の立場から気になったことを書かせていただこうと思いました。
大きなお世話と思われるかもしれませんが、筆者さんを批判するつもりも、書かれてあることに対する怒りでも、男性批判でもありません。
>昔は女が憎くてたまらず(それなのに優しくされたくてたまらず)ネットで女叩きをしていた。
筆者さんをかつていじめた「女」や、「弱者男性」が「敵」とする「女」以外にも社会には女性が存在しています。
ネット上や現実世界で、女叩きをしている人が叩く女性は上記以外の女性であることが多いように思います。
自分が危害を加えられたわけではない、“ただ自分が憎い「女」”という性が当てはまる、叩いたところで自分に危害は及ばない、自分が傷つくことのない相手を選んでいませんか。
憎い「女」を叩くことで、「弱者男性」と近い立場にある女性(いじめを受けた、容姿に恵まれない、男性に危害を加えられたことがある、貧困でギリギリの生活をしている…)を傷つけているかもしれません。
(坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれませんが)
「優しくされたい」「支え合う女」
とはどういうものを望んでいるのでしょうか。
自分と近い価値観を持っている相手と話をして、相手に自分を理解して欲しいのか。
お互いに尊重しあえるような相手と、支え合いながら生涯を共に生きていきたいのか。
自分にとって都合のいい、自分の心を癒してくれて、自分を認め受け入れて生活面でも性的にも望むことをしてくれるアイドルのような若くて可愛い美少女を求めているのか…
とありますが、
「恋愛」や「性欲」を一旦置いて、日常で関わる女性を「女」ではなく自分と同じさまざまな内面をもつ一人の人間として向かい合うことで、
また筆者さん自身が女性や社会に対する考え方や認識を少し変えてみることで
「結婚」はわからないですが、受け入れてくれる女性に出会えるかもしれません。
「おっさんが嫌がるおっさん」を女性は嫌がらないのでしょうか?と、疑問が湧きました。
「男が怖がる男」も怖いですが、「男を怖がる男(筆者さんや女叩きをする男性)」も
(私自身低身長なので性別問わず小学5年生以上なら襲われたら負けると思うので
>男同志の関係が築けていたなら、多分女なんてどうでもよくなる。
女を叩いてる時間、そのコミュミティだけは同性の強い肉体を持つ仲間がいるんだ。
「女叩き」が女性を叩く男性間の共通言語というか、コミュニケーションツールとなって、それをしている間は気持ちが繋がることができるんですよね。
「敵」を攻撃することで繋がる関係じゃなくて、もっと前向きで明るい関係を、同性とも作れたほうが筆者さんの気持ちにも将来にも良いような気がします。
>男は怖いが男を怖いと言ってはいけない気がした
男が怖い男性はたくさんいると思うので、現実で言うのは相手を選ぶと思いますが、ネットやSNSで誰かを攻撃するためではなく、自分や自分と同じ気持ちを持っているかもしれない他人のために、素直な気持ちや考えたことを吐露することはどんどんしたらいいのではないでしょうか。
憎しみを、他人を攻撃する原動力にするのではなく、自分を含めた将来の社会のために使えたらいいなと思います。
余計なお世話ついでに、本読みませんか?
本の世界は負け犬(この言葉は好きじゃないけれど)のために書かれたものや、
世間の言うところの負け犬が書いた本が古今東西山のようにあります。
文学なんてなんの役にもたたない、と思われるかもしれませんが、自分と同じようなことで悩みながら生きてきた人を世界中の様々な時代に見つけることができるかもしれませんし、自分以外の人間の視点で世界を見ることができます。
それによって今までとは違う価値観が生まれるかもしれないし、少しでも筆者さんが生きてゆく力となるかもしれません。
差し出がましいのですが少しだけ筆者さんに私が勧めたい本を…
・整形前夜(穂村弘)
・蚊がいる(穂村弘)
・もうおうちへかえりましょう(穂村弘)
・プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
(アンウォームズリー)
・見える光、見えない光(朝永振一郎)
長々とすみません。
不運の星に生まれつき毎日の日記にも死にたいとしか書けない薄幸美少女増田と、死にたがりにフェラされることにしか性的興奮を覚えるられないという誰にも言えない秘密を抱えた増田
バランス感覚を欠いた魔王メンタルの政治勢力が影響力を増やすのが世界的に進んでいるけど、これって民主主義のバグですよね。性善説によってそれなりに上手くいっていた民主主義だけど、バグを突いてくる勢力が力を増しているのでもうダメなのかなーって感じ。
バグに食いつぶされてしまう前に、民主主義自体を見直さなければならないんじゃあないのかなー。
とはいえトランプ現象のような揺り戻しもまた、民主主義のメカニズムではあるのですが。「誰がどこに投票したか」が秘密であることがミソですね。
よく言われることだと思うけど、独裁ってイコール悪とは限らないんですよね。独裁というのはただ単に統治メカニズムの一形態に過ぎない。それが悪になるか善になるかはまた別の問題で。
世の中が複雑すぎて、彼方立てれば此方が立たぬ、バランス取るの難しすぎて、功利主義がいいのかなあと思ってはいるけどもそれにも問題はあって、何が正しいのかよくわからなくて、自分は匙を投げつつあって、無難そうなシングルイシュー党に投票したほうが自分が理解できる範疇なので有意義だしそうなりつつあるなぁ。
自分で言うのもなんだけど、世の中が複雑に見えるというのは、どんなトンデモであっても全ての主張に対して同情的な視点も持って尊重する成分を見出すからです。
「あーたしかにそんなつらい目に遭ったら魔王になるよなー」 って理解できる。殺意が内に向くか外に向くか、あるいはこじれるか、ということなのかな。
「つらい」ことは同情できますが、「つらい、だから魔王になる」は尊重しかねますが・・。
とはいえそれは自分が処理できる範囲の辛さしか経験してない甘チャンなのか、あるいは処理能力が高いのか、わかりませんが。いずれにせよ不幸自慢の土俵には上がりたくないですね。
つらい目に遭って、それを処理できないと、人は魔王か芥川になるんですかねー
なので、それでもその複雑なものに対してひたすら真摯にバランス感覚を持って、バランスを保とうと試み続けて、統治に取り組む人は偉いと思う。皮肉や子供をほめるようなやつでもなく、ただ純粋に「偉い」です。
そして、そういう人たちによって、この世はまだ捨てたモンじゃねーな、と、保たれているのだなあと思います。
感謝されたくない。
ぼくが何かをやるのは誰かのためじゃない。ぼくが勝手にそれをやっただけだ。
その結果が好ましいものだったとしてもぼくのせいだとは思わないでほしい。
だからぼくはなるべく自分がそれをやったと気付かれたくはない。
喜ぶなら勝手に喜んでくれ。
他人が喜んでいるのはぼくにとっても喜ばしい。
喜んでいるうちは怒られないで済むのだから。
本当は嬉しくもなんともないのに、形だけでも感謝している振りをしなくてはいけなくなったのかもしれない。
あるいはもっと直接的に「余計なことをしやがって」という皮肉なのかもしれない。
あるいは「感謝してやったんだ、またやってくれるよな」という脅迫めいたメッセージなのかもしれない。
わかってはいるのだ。向こうの問題ではなくてこちら側の問題だ。社会性が欠落しているのだ。
だからといってどうすることもできない。
感謝といっても些細なことばかりだし、なんならほんとに形だけということが多いだろう。
別に感謝してもいないのにわざわざありがとうと伝えるのはそれこそ人付き合いのテクニックの一つだ。
簡単なテクニックだから誰でも使う。ぼくはそのたびに対価をよこせと言われているように思う。
どうしようもない。人間と関わらないことが最上の対処法になる。
ただしそれが実行できるかというとそうもいかない。
金を稼がないといけない。金を使わないといけない。
たいしたものを望んでいるわけじゃない。
たいしたものじゃなくても人間と関わらなくては何も手に入らない。
人間として生きている以上、人間に擬態して苦しまないといけない。
自殺したいわけじゃない。
とはいえ、わざわざ苦しみながら生きていく理由になるような喜びは得られそうもない。
人間には人間の喜びがあるのはわかるが、どうもそこからはみ出しているように思える。
羨ましいとは思う。
でもそれは、その行為をしているのが羨ましいのではなく、何かを楽しめること自体が羨ましい。
他の人間と一緒くたにされてそれなりに人間社会を通過してきたが、
間違って違う教室に座っているような感覚がいつまで経っても抜けない。
ぼくだけがある重要な秘密を知らされていないような疎外感がある。
これが問題の根幹だと思う。
元々スクールカースト最底辺で友達も少ない。いじめも多少受けてきた。
修学旅行の風呂で同級生たちを見て興奮し、「あっ、自分はあっち側なんだ」と悟った。
ゲイがバレたら面倒なことになるということは理解していたので、
誰にもカミングアウトせず、恋人も作らずにノンケを装って生きてきた。
大学に入ると周りはリア充ばかり。彼女を作ることなんて全く興味が無いのに、
「えっ、彼女は?彼女いたことはある?童貞なの?www」とマウントを取られる。これは社会人になってからも同じ。
誰かに自分がゲイだとネット上でバラされてしまったらという恐怖感がある。
(「ゲイと付き合う」=「自分がゲイであるという秘密を握られる」ということになり、どうしても踏み込めない)
ゲイだからって、皆が皆彼氏作って幸せにしてると思ったら大間違い。
1人分作ることに特化してるし、味については別に自分が食えたらいいって話だし、要領が悪くても自分の時間が減るだけだ。平日は簡素過ぎるが誰も怒らない。
それが突然複数人に対応して、味や時間やメニューで相手を満足させる必要が生じる。
他の家事についても同様。
子供がいる人生も悪くねえかもなって思ったんだけどな、これも子供を持つことの苦労を知らないから思えるわけでね。
子供ができたとしたら1日も忘れることなく世話をしなければならない。
面倒とかじゃなくてついうっかり忘れたらどうしようかと思う。これが心配で熟慮の上ペットを飼わない決断をしたぐらいだ。
子供が病気になったら的確に判断して適切に病院に連れて行かないと死なせることになる。
親の失言をずっと覚えて曲がって育っちまうかもしれない。
(ネタバレもあるんで一応注意)
すっごい良かった。一点以外は。
どこが良いって、怪獣のリアリティ、迫力が凄い。安っぽい部分が全くない。
シン・ゴジラも別に安っぽくは無かったが、あれは別物というか、生物というより無機質なキリングマシーンみたいな存在だったから、生物としての怪獣では本作が頂点と言える。ちょっと顔がブッサイクでくしゃみ我慢してるような顔つきがダサいけど、それは細かい話。
キングギドラとか、着ぐるみじゃない怪獣は良いよねえ。日本の怪獣は二足歩行型以外はもろ人形だもんな。
パシフィックリムと同様、ちょいと画面暗くない?辛気臭くない?全般的に灰色過ぎない?という部分は無いでも無いが、これはゴジラに限らず最近のハリウッド映画の傾向なので大目に見る。
監督がゴジラ大好きを自認するだけあって、ゴジラのブチ切れ方も割と出てて良かった。
特に良かったのが、ラストのバーニングな放射熱線で、それまでの青い放射熱線がイマイチ迫力ないというか、せいぜい波動拳程度の位置付けだったのが、一気にファイナルサイコクラッシャーくらいの火力に上がってて、ゴジラの放射熱線が何かというのを監督分かってる感が大きかった。
そう。あれは飛び道具じゃなくて「おんどりゃあ」って感じの怒鳴り声のような位置付けが正しい。怒鳴るついで殴る。これがゴジラの放射熱線。
とりあえずぶん殴る。怯んだ所に放射熱線をぶち込む。面倒臭くなっても放射熱線。急いでる時も放射熱線。イライラしても放射熱戦。ジャブからの黄金の右ストレートのような放射熱線。
それを監督はよく分かってた。
で、不満点なんだが、あれこれ綺麗にまとめちゃダメだと思った。
観るまではそんな事思ってなかったけど、観終わってから思った。ゴジラ映画(というか怪獣映画)は綺麗にまとめちゃダメだわ。
当事者の都合とか考えずに、何もかもぶっ壊す。後は野となれ山となれ。それくらい他人の迷惑を考えないのがゴジラの魅力であって、ラストシーンみたいに頂点に君臨しちゃダメよ。
細かい家庭事情とか人の感情とか回収しなくて良いから。そういうのが馬鹿馬鹿しくなってしまうのが怪獣の良いところだから。
希望としては、人間の出番は野球場での放送くらいで終わりにして、後は怪獣プロレスでギドラ爆破してラドンも爆破して、世界中から集まってきた怪獣も片っ端から爆破して、人間の秘密兵器もぶっ壊して戦意喪失した軍隊無視して海に消えていく、みたいな無責任な展開の方が良かったんでないかなー、と思った次第。