はてなキーワード: 登山者とは
彼の単独は、彼自身が山頂と思う場所で一人で登頂写真を撮ること。
無酸素は、酸素ボンベ無しでも普通に登れる山にボンベ無しで登ること。
なので、それを歴史的な偉業と呼ばない人の方が多いだろう。
みたいな感じ。
『恐らく、この栗城さん自身は「単独」とか「無酸素」とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。
たぶん、彼の周りにいる大人がなにか「美味しい都合」で、いろいろ脚色したんじゃないかな?』
『NHKも、おいおいちょっと待てよ、って思わなかったのかなぁ。不思議です。』
『栗城君は全然駄目。市民ランナー的で登山家としては3.5流 俺よりも下。
登山家じゃない。登山家をかたると本当に登山を目指した人に失礼。』
『彼は「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。
一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、もう少し厳密な情報発信が必要なのではないか。』
『マナスル登頂者のなかには、手前のコブを「認定ピーク」と呼んではばからない人物がいる。
頂上ではなく認定ピークに登ったということは、頂上手前のコブで敗退したのと同義なのだが、そういったレベルの登山者が無酸素・単独登頂の成功者としてメディアに登場するご時勢なのだ。』
『勉強しないのにお金をもらって東大を受け続けているようなもんだ…』
『判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。』
http://anond.hatelabo.jp/20170606174324
『原発は安全』な神話も御用学者によって"作られ"てきた。そして事実は暴かれた。メルトダウンによって。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E5%AD%A6%E8%80%85
現代における用法を定義することは難しいが、学術的な調査を改竄ないしは恣意的に解釈し、権力者や統治者、ないしは依頼者に都合の良い結果を導き出す者がこう呼ばれる。一方で、権力者などへの批判側が恣意的な解釈に基づき自らに都合の良い結果を導き出していることを指摘・批判する学者に対して、反権力側がレッテル張りとして用いる場合もある。
現代日本においては水俣病の例が嚆矢である。1956年(昭和31年)、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視されたのだが、同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、厚生省は翌13日に同部会を突如解散。1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表し、彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた[1]。
詳細はナイロンザイル事件を参照のこと。1955年(昭和30年)、日本の登山者がナイロン製のクライミングロープ(以降ロープと記述する)を原因として死亡した。ナイロンは引張りについては従来の麻のロープよりも遥かに丈夫だが、鋭利な岩角などに擦れた場合には容易に切断される。これはすぐに明らかになったが、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治は、事前の実験でザイルが容易に切れることを確認した上で、公開実験ではあらかじめザイルが接触するコンクリート製のかどにヤスリがけをして十分な丸みをつけた状態で、作為的な実験を新聞記者等の前でデモンストレーションしてみせ、ロープメーカーの東京製綱および日本山岳会と共謀して、犠牲者に対する誹謗中傷運動を山岳雑誌・化学学会誌などで長期にわたって続けた。法改正で安全規格が定められ交付されたのは1975年(昭和50年)、最初の事故以降に確認されているロープの欠陥による死者(通産省の調査した範囲内での数字)は、20人を越えるとされる。なお、偽装実験をマスコミの前で実行した篠田軍治は、日本山岳会の名誉会員推薦により、1989年(平成元年)に評議委員会の全会一致で同会の名誉会員になっている。
哲学者の山脇直司東京大学教授は、安保理決議のないままブッシュ政権主導で2003年3月イラク戦争が始められたことへの日本政府の対応について、「アカデミシャンとしての私が今一番一番懸念していることは、アメリカを無邪気に支持し、フランスなどを非協力と言って批判する小泉首相や川口外相のお粗末きわまりない答弁の背後にいる『外務省お抱えの御用学者』の存在です。」「外務省お抱えの『御用学者の知的退廃』を暴く必要を今痛感しています。」[2]と書いている。また、2003年12月からの自衛隊イラク派遣を決定する過程について、政治学者でイスラーム教シーア派に詳しい松永泰行日本大学助教授は「私の知る限り、政府は研究者の実力よりも、政治家や官僚の都合で彼らが望むことを言ってくれる御用学者を起用している」と述べた[3]。
日本たばこ産業に研究費を支援してもらうかわりに、タバコを擁護する発言を行うなど、消費者の健康よりも特定企業の利益を優先するような行為をしている学者を指して使われた事例がある。[4] また、メーカーから多額の研究費を受け取っていたために、タバコと乳幼児突然死症候群との関係があるという論文が、根拠が乏しいというように書き換えられてしまったとの指摘が存在する[5]。 タバコ産業等からの研究助成については学界において問題視されており[6][7]、2003年10月22日に日本公衆衛生学会は学会員に対し「たばこ産業及びその関連機関との共同研究、及び同産業等から研究費等の助成を受けた研究を行わない。」との行動宣言を発している[8]。また、国際的にもたばこ産業による研究助成等について全面規制を求めるたばこ規制枠組条約のガイドラインが追加採択されている[9]。
今日の現実の社会の中では、例えば有力な学者が政府の公共事業などの施策に対して、自己の信念に基づく意見、思想を審議会などの場で反映させる為に、そうした機関に呼ばれる立場を確保するべく、ある種の手練手管として、権力へのおもねりと自己の真の主張を両天秤にかけながら駆け引きをする場合がある[10]。そのため御用学者か否かの線引きは困難な側面を有する。駆け引きに失敗して結果として権力へのおもねりの手練手管を権力に利用されるだけの結果となったときには、結果として御用学者呼ばわりされてやむを得ない側面がある一方、駆け引きに成功して自己の信念を政策に反映させることに成功した場合には、反骨の策士と評価される場合もありうる。また原子力発電の分野では、研究に多額の費用がかかることから権力におもねり、「安全神話」のお墨付きを与えることで電力会社等の支援[11]を受ける例があり、このもたれあいの関係を「原子力村」[12]と評される。
ここで落ちたら死ぬなとか、ここでこういうことが起こったら確実にやばいなとか、そういうことははっきりと意識していた。
当然、可能な回避策は、可能な限り講じた。それでも、「ここで手を離したら死ぬ」とか、「落石が命中したらアウト」みたいなことは防げはしない。
そして、進んで危ない橋も渡った。雪崩に埋まったことも、同行者を滑落させたこともある。ひどい危険登山者だった。
あの高揚感はなんだったのだろうか?
他人にも勧めない。
それを単に年齢のせいと言われても、それは否定はしない。
山は危険だ。近づくな。
http://anond.hatelabo.jp/20170330230830
1年目の夏山合宿の後、冬山のシーズンが始まる前に先輩から必ず読むように言われた本の一つに、「生と死の分岐点」という本があった。
この本は、アルパインクライミングの事例が多いが、山と死について考える大きなきっかけとなった。
筆者はドイツ山岳会の安全委員会委員長を務めるクライマーであり、登山者が転倒、滑落、ロープワークのミス、落石、雪崩、雷、天候の急変などで事故にあった事例を分析している。
死亡した、生還した人は、事故の直前に何を行ったのかを、事故の状況を図や写真、時には遺体の写真も交えて紹介している。
雪崩のケースについても、「生と死の分岐点」(続編の方であったかもしれない)の中で、雪崩に巻き込まれた中、死亡した人と生還した人の違いは、ヤッケのフードをかぶっていたのかや、ザックの背負い方が違ったなど、直前の彼らの行動の些細な違いを分析し、どのように行動すべきかを分析している。
この本には、どんな小さな岩場やちょっとした雪渓であっても死ぬ時は死ぬ、と書かれており、山に行くことが非常に怖くなった。
これらの知識もなく山に行っていたことが怖くなり、ロープワーク、クライミング、山岳気象、読図などを必死で勉強するようになった。
山岳部に入る前、私にとって山は町を隔てるものであって、そこに登ることを楽しむ人たちがいるとは想像すらしなかった。
登山をしたことがない人にとって、なぜそんな危険なのに山に入るのか理解することは難しいだろう。
なぜ山に入るのか。これは各登山者それぞれに違った魅力を感じているため、一般的には説明できないのだろう。
山に入る人には、死ぬ覚悟をして山に入ってほしくない。死ぬ気で頑張るような愚かなことはやめてもらいたい。
死を恐れるべきだし、山を恐れるべきだ。
俺ね、山は死ぬ場所だしオマエが帰ってこれたのはタマタマって言い草、嫌いなんだよね。
それってさ、「えーそうなんスか、遭難って怖いっスね」ってヘラヘラするヤツ増やすだけだから。
だって嘘なんだもん。
注意喚起なら嘘ついてデマ流して良いみたいなの、はてブでは一番嫌われるよな?な?
槍ヶ岳を含む、長野県警察が出してる山岳遭難発生件数、平成26年で272件。
死者46名、行方不明者5名、負傷者148名、無事救出102名、遭難者計301名。
うち、死者に限ると30歳以下は6名、40歳以上が40名。
なお、年齢順にキレーに遭難者数は増えてる。
(http://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/toukei/toukei14.html)
うち、単独行が8,369人。実に2割近くが独りで登ってる。
(https://www.kitaalpsgifu.jp/image/h26hakusyo.pdf)
つまり、長野県で1年間に遭難するのは多くて0.7%だし、死ぬのは0.1%なんだよね。
槍ヶ岳に登ったやつにタマタマって言うと信用されなくなるのは、
だから、若者に対して「山では遭難したら死ぬし、タマタマ帰ってこれただけ」って言うのは、
端的に言って嘘だし、「ああ、このオッサン大げさ言ってんな、へーい反省してまーす」ってヘラヘラされるだけ。
さて、俺が個人的に嫌いな言い方をクサしつつ数字を出したトコロで、
数字見て、ん?って思わなかった?
ヒヤリハットって言葉があって、1件の重大事故には、29件の軽微な事故があって、
さらに300件のヒヤリとしてハッとする不安全行動があるって経験則がある。
そっからすると、長野県で1年間に遭難するのが0.7%って驚くほど高い。
工場なら「登山は不安全行動なので全面禁止、チェックして再発防止します」って対策打たれるトコロ。
時期を揃えると、平成26年の交通事故発生件数は57万3,842件で,これによる死者数は4,113人。
運転免許保有者が8207万6,000人で、自動車運転中に1,024人が死んでるから、0.001%が死ぬ。
(http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h27kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s1_2.html)
つまり、長野県で登山中に死ぬ確率は、運転中に事故って死ぬより、100倍高い。
もっかい言うな。
長野で登山すると、自動車運転してて事故って死ぬより、100倍死にやすい。
だから、自動車保険に入って生命保険に入って準備してんのに、山に行くのにソレよりカネかけないのは不自然。
俺が思うに、山を舐めるなってワカモノに説教するのは、まんべんなくどの業界でも起こる説教と同じじゃないかな。
だって、死ぬのはジジババが多いんだもの。40歳超えると怪我事故遭難増えるんだもの。
最近の傾向で言えば、40歳以上で、男性で、山岳会に入ってない2人か1人のパーティーが、
ツマヅイたり、滑ったり、道に迷ったりして、遭難することが多い。
死んでんのは、転倒滑落がトップ。
(まあ迷惑なのは、無事に救出されてる、悪天候、疲労、道迷いの人たちだろうけど)
だから、靴底すり減ってないか見る、ストックを使う、地図は自分で見る。
最近の雨合羽を買って持ってく、酒は飲まない、タバコは吸わない、疲れたら山を降りる。
山を舐めてるワカモノより、登山計画書を提出してる真面目な登山者ほど遭難してる現実を見つめる。
(登山届の提出率がまだまだ低い中、遭難者の7割が提出してたってのはワリと重要)
40歳超えて、体力に自信がないなら山には行かないのが大前提。
なんかこう、努力すれば報われる系の精神論を山関連で目にすることがある。
山では、誰もが「転ぶ」し「滑る」し「雨に振られる」し「迷う」もの。
これは、経験の長短や、事前の準備、装備や体調に関係なく、確率で起こる。
ただ、体力が十分ある若者は、迷っても一旦来た道を引き返して、それから登り直して無事だったり、
滑って落ちたんで戻るのに時間がかかっても、お湯を沸かしてお茶を飲みながらビバークできたり、
うっかり転んで挫いても、我慢して助けてもらいながら下山したり、
復帰の手数の多さが、「カウントされる遭難(救出作業発生)」との別れ道になる。
俺が思うに、「山を舐めるな」って言うのなら、若者への説教にしない。
嘘をつかない、数字に基づいてモノを言う、体力の衰えてくる中高年に向かってモノを言う。
そうしないと「説教ウゼエな。オッサンが遭難したら死ぬだけだろ」って思われ続けてナンモ変わらんぞ。
地図とコンパスとツェルトワンセットの予備持って登山に行くぐらいしか、オレはやんないけど。
(幸い2個めのツェルト開けるハメになったことはないが、まあ、保険ってなそういうもんだし)
というか、登山靴履いて休憩を挟み水分補給もし、合羽も帽子もヘッドランプも持ち、霧が出れば登頂止める判断力もある若人クサすより、どういう装備で(写真見るとコンパスも首から下げてねぇか?)、登山計画書がどうなってたかを聞き出して載せない、メディアの編集部側に抗議すべきじゃ無いかね。
スペック:大学時代月1で登山する(登山系の中では)ゆるめのサークルに所属。
富士山登ったことない。テン泊で65リットルくらい?のザック背負って北アルプス登ったくらいの山にわか。高校の体力テストDだったのでそれでもきつかった。
ぱっと見思ったのは「健常者の大人ですら登山はしんどいのに、それを1合目から、大雨の中子供に歩かせるのはどうなの」ということだ。
「天候」
まず気になったのは天候である。大雨で登山はまず足元が滑りやすくなるため危ない。プラスして長時間は低体温症で動けなくなる…なんてこともあるだろうし危険である。
そして何より楽しくない。ウチなんかは緩いサークルだったので登山で綺麗な景色が見たいーって思う人が殆どで、雨が降って景色が見れないと「最早修行だなwww」と笑っていた。自分もそう思う。そんな修行を子供に体験させるというのはあんまりにもな所業である。
また、自分たちのサークルでは夏登山は8月前半、遅くても中盤までに終わらせるようにしていた。理由は後半になると台風先生にやられる確率が上がるからである。まあ早くても運が悪いとやられてたんだけど。ひどい大雨なら中止…なんてことも良くあったが、テレビが関わっている企画で果たして中止が易々と出来たのだろうか
「難易度」
あと気になったのは難易度の高さである。富士山はサークルの女性の先輩曰く「酸素ボンベがなければやられていたぜ…!」だったという。酸素が他の山よりも薄いことがダイレクトに体力を奪ったらしい。「ヤマノススメ」という登山漫画でも女の子が富士登山中に高山病に罹患し泣く泣く富士登山を諦めるというエピソードがあった。(まあ漫画だからって言われたらそれまでだけど)そんな大人、十代の少女でも苦労する山を恐らくそんなに体力のない子供に登らせて大丈夫だったのだろうか。
下山の問題もある。登山は山頂登って終わりではない。下山も結構な体力を使うのでけして楽ではない。体力ない奴だと足がガクガクになる。また下山は登りの方がやって来たら端に避けて、登山者が通過するまで待たないといけないのだがこれも何回もやられると足がやられるし、下るのに時間がかかってしまう。自分が北アルプスを1日で一気に下った時に最後の方で尻餅をついてしまったのだが、足に力が入らずしばらく立ち上がれなくなってしまったという感じだ。足が弱くて座ったら立ち上がれなくなってしまった祖母を介護したことがあるが、その時の祖母の気持ちが分かったような気分になった。本当に力が入らなかった。
「安全」
さらに山には「救急車」を気軽に迅速に呼べない。例えばしんどくなったとしても、サークルの登山とかで尚且つまだ歩けそうなら車道がある道までとか歩かないといけない。最悪ヘリコプターのお世話になる。24時間マラソンは辛くなったら即辞めれるし救急車も呼べるからあまり死の危険はないが、山だとそういう救援がすぐにやってこられないので死の危険度は上がっている。子供なんて大人より体力なくて体調崩しやすいのに救急車呼べない状況に落とすのはヤバイ気がする。
因みに体力テストDだった自分は下山してからだが、疲労で38度の熱を出したことがある。
24時間の子供が心の底から富士山大好き!制覇したい!という子供だったら救いはあったのかもしれないが…ていうか思ってもそんなん安全面考慮して止めろよとも思う。
そもそも24時間で子供にハードなことさせる企画自体やるのに良い気分はしない。もしそれでも24時間で登山を子供にやらせたいなら、「登山が好きな子供に、もっと低い山で、天候の良い日に(台風の来ない時期に)登らせる。そしてその録画を本放送で流すべき」だろう。天気の良い日に登らせた方が登山好きな子供だったら景色見れて喜ぶかもしれないし、大雨真っ白な画面よりはテレビ映えもするだろう。
…しかし大菩薩の下山ですら大学時代足がガックガックになった身としては、やっぱテレビの企画という失敗があまり許されない奴で子供に登山させるのなんてやめた方がいいと思わざるをえない。まあ何言ってもやめなさそうだけど。
余談だが北アルプスとかでも親子でイキイキと歩いてる登山者とかいて、後ろで死にかけてた自分はいやあ子供って体力ある子はほんとすげーなと尊敬しました。
登山って大変。
知識も経験もいる。
でもそれをすっ飛ばす人もいる。
山岳会にも所属したこともなく、ネットや書物だけでわかった気になり行動しちゃうアホ。
この前、とある登山者に人気なネットサービスで恐ろしい登山記録をみた。
この時期に行った理由が、整備された富士山を歩きたくない。冬山へ行きたかった。
夏の富士にも登ったことのない、登山を初めて2年の初心者だった。
恐ろしい。怪談を聞いているみたいだ。
しかも富士山は単独峰。雪は歯の立たない氷以上の物質と化し、四方八方から吹く風は天気図を読めるものでも予測不可な動きをし、
一旦飛ばされれば、急勾配を時速数十キロで降下。
止められるものはない。数百メートル、時には数キロも滑り落ち死ぬ。
海外の8000mの山より、冬の富士山は過酷だと言われている。
案の定凍りつき飲むことができなくなったことを反省していた。
どんな低山でも、冬の時期、水は凍らないように保温性のある容器に入れて持っていく。
やまで雪をバーナー(ストーブ)で溶かして使用する時の呼び水にも使用するから必須だ。
単独行や、こういった無茶なことをするやつらに、周りは言う。自己責任だと。
命がけで救助にあたる隊がいるからだ。
こっちのエントリ「御嶽山噴火に群がるマスコミのハイエナ取材 - Togetterまとめ」http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/724387
は、割と賛否両論に☆が集まってる
一方で、こっち「神さんはTwitterを使っています: "火山噴火の1分前のツイートを最後に音沙汰がない登山者にこのリプを送る朝日新聞記者~」http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/9ry3/status/515808119314595840
は、何が悪いんだ報道じゃねーか、的なブコメに☆が集まってる。
もちろん朝日だけを責めるのはフェアじゃない。一方で、フェアじゃないからといって、下衆だという事実は変わらないと思うんだけどね。