はてなキーワード: 漫才師とは
知らない人に説明すると宮下草薙っていうのは割と売れかけてるその名の通り宮下と草薙からなる若手のお笑いコンビで、
主に芸人としては珍しい草薙の方の陰気なキャラクターがウケてて『超ネガティブ漫才師』として名を最近馳せている。
多分スタイルとしてはボケのネガティブさを誇張したブラマヨに若干近い感じで、だけどエネルギッシュでヤンキー上がりみたいな雰囲気の吉田と違って草薙からガチっぽい陰気さが滲み出てるからそこが斬新だと思った。
お笑い好きの自分としてはおもしろ荘で初めてネタを見たときからこんな面白い芸人がいたもんだと驚いたもんだ。
ネタは多分テレビで披露したことあるものについては見たことない奴がないくらいは見まくったし、珍しく実際に劇場に足運んだこともある。めちゃくちゃ笑わせてもらった。
自分も割とネガティブで陰気な性格のお笑い好きだから、若干自分と重ねて応援してた部分も少なからずあったと思う。
まあネガティブで陰気な雰囲気をまとってると言っても芸人という職業を志した上で大手事務所に所属して、そこで事務所のイチオシ芸人として上り詰められる時点で俺とは全く違う人種だというのはまあ最初からわかってた。
もとの性格は知らないけど少なくとも今のキャラクターは計算の元ある程度の誇張と創作を加えた上で成り立っているチャラ男や毒舌やハーフタレントや”おバカ”的な芸能人タレントと同種のものだというのはまあお笑い好きなら誰でも理解してると思う。
最近はネタ番組だけでなくトークバラエティですらそのネガティブなキャラクターのまま人気のベテラン芸人に混ざってドッカンドッカン笑いをとってて、少しでも自分と重ねてたことがなんか恥ずかしくなったよ。
ちゃんとしたロジックのもとで作られたセンスのある陰気さっていうのは俺と同じ陰気でもこんなに人を魅了するんだなって思った。
俺もTwitterで辛いとか被害妄想的なことは呟いたりするよ、でもRTもお気に入りも全然されたことねえよ。
「はいどうもー」
「僕、今でこそ漫才師やってますけど、昔は刑事になりたかったんです」
「唐突やね」
「踊る大捜査線」
「テッパンやね」
「太陽にほえろ」
「最高やね」
「松田優作さんね、かっこよかったね」
「舘と柴田」
「ヨーヨーで戦うやつね」
「……?」
「知らんよ!知らんし、《ペニバン》って公衆の面前で言っていい単語なん?」
「《ペニバン》っていうのは…」
「……?」
「どうした?」
「…おれの思っていた《ペニバン》と違う」
「どんなのを想像してたんだよ」
「こんなとこで言えるか!…そもそも何やねん『全世界の《ペ》の中で2番目にすごい』て」
「いやもう、そのまんまだよ」
「世界の《ペ》の中でランキングがあるってこと?ほな、1番すごいのは誰やねん!ペ・ヨンジュンか?」
「1番は、ペ・ドゥナだよ」
「ほな、ヨンジュンは何番やねん」
「2番」
「ペニバン刑事(デカ)やないか!ペ・ヨンジュン、ペニバン刑事(デカ)やないか!」
「そうだよ。何言ってるの?今さら」
「そんな常識みたいに言われても」
「覚えてる?あの名シーン、雪だるまのシーン」
「知らんよ、そんなん」
「……」
「冬ソナやん」
「冬ソナやん」
「あと、雪玉のシーンもいいよね」
「……」
「『プレゼント!』っていいながら雪玉を投げて」
「それも冬ソナやん」
「雪玉を割ったら、本当のプレゼント」
「もうええけど、平成が終わろうとしてるのに、その熱量で冬ソナの話する?」
「ペニバンやん!」
「……?」
「それがペニバンやん!」
「ペ…ニ…?」
「ほんまは知ってるやろ!そんで、今そんな『不思議やな?』って顔するとこ?」
「(無視して)で、ヨンジュンはその黒ブリーフをおもむろに履く!」
「ここであの名台詞!『ぼくはペニバン刑事(デカ)なんだよ』」
「せやろね」
「ここで曲が流れる!『あ〜いよ〜 き〜えないで も〜う〜』」
「……」
「普段このタイミングで流れるのはED曲なんやけど、このときはOP曲なのが、またアツい!」
「いや、それはたしかにアツい展開やけど!」
「だろ!」
「《GET WILD》やんか!そして、やっぱりさっきのOP曲は《City Hunter〜愛よ消えないで〜》やないか!」
「お、知ってる?名曲だよね〜」
「よく知ってるね〜、さすがこのネタを書いてるのが33歳既婚子持ちのおじさんだけあるね」
「設定めちゃくちゃやな!もうええわ」
普段は老害丸出しのうるさいジジイ読者ばかりの投書欄が週に一度だけ小学生から高校生の投書のみ掲載する日があり、
ある日暇潰しで読んでたら俺と同じ中2の投書で「ぼくは、お米が好きです。お米は日本人の誇りだと思います」なんていう誰でも書ける幼稚でアホみたいな作文が乗っており
このレベルで掲載されるなら俺も楽勝だろう、と掲載されたら貰える図書カード3000円目当てに送った。
もともと深夜の芸人ラジオや雑誌の読者投稿大喜利コーナーで度々採用されていたので、こういうのは採用される自信があった。
俺は、それが学生時代の青春と言い切れるほどお笑いが好きで、小学生の頃から爆笑オンエアバトルを毎週チェックして漫才・コント・落語にのめり込んでいたのだが
小学校時代にめちゃイケのワンコーナー「しりとり侍」での、しりとりに失敗すると袋叩きにされるという演出が批判され放送中止になるという出来事があり、
それを元に「俺はお笑いが好きだが、これは暴力であって笑いではない」みたいなことを国語の作文の授業で書いたら
矢鱈と先生にウケがよく、プリントアウトされ全校生徒に配られ、それをもとに議論するみたいな特別授業までやらされて、「大人が求める文章」というのもなんとなくわかっていた。
で、小学校の時に書いた「お笑いは好きだがバラエティーの暴力描写はダメだ」的な内容を中2なりにリライトしたものを投書したら見事に採用され、俺の投書が朝刊に掲載された日、学校に行くと国語の先生と担任が滅茶苦茶テンションあがっておりべた褒めされた。
自宅にも、普段滅多に合わない色んな親戚から電話が次々かかってきては褒められた。
数日後、新聞社から待ちに待った図書カードと共に編集部による俺の投書への評が届き、
「きみの観察眼は見事だ、思い起こせば今のテレビのお笑いがこうなったのはタモリが登場してからであり~」で始まる、終始タモリdisをしている謎の内容で
「いやいや、確かにタモリもドッキリ特番の司会やってたみたいだけど、バラエティー番組を過激にしたのはどちらかって言えばたけしでしょ」と、編集部のオッサンはどこかズレていると思った。
そんな俺の周りでの新聞投書フィーバーが過ぎ去った数週間後、自宅に新聞社から電話があり俺と話がしたいと言ってるとかで、何事かと電話に出てみると
「あるお婆ちゃんの読者から問い合わせがあって、戦争のとき、友達と漫才をやって周りを明るくしていたらしいんだ。お笑いも好きだし、ぜひきみと合ってその話をしたいと言っている。その様子を記事にしたい」
えー!無理無理無理!!知らない婆ちゃんの戦争の話聞かされるとか無理!絶対寝る!1ミリも興味ねえ!拷問!
いや、そりゃ戦争の話聞いた感想書けって言われたら、大人が望む文章は書けますよ。
でも投書と違って、行っても何も貰えないっていうし、何が悲しくてただただ知らないババアの戦争の話聞かされなきゃならんのだ。俺はボランティアじゃねえぞ!新聞に俺の写真が載るのも御免だ!
そんな何の魅力もない誘い話、乗るわけないじゃない。電話の向こうの記者はえらく食い下がったけど、とにかく断った。
後日また新聞社より電話があり、「実はそのお婆ちゃん、20歳の孫がいて、最近漫才師としてデビューしたらしいんだ。そのお孫さんときみとで、漫才をしてほしいらしいんだ。その様子を記事にしたい」
いやいやいや!この前の話より更に地獄度が増している!
知らない婆ちゃんの戦争話聞かされて、デビュー間もない若手芸人だという孫と、どうせウケる訳もない寒い漫才させられて、何の報酬もない割に俺の労力がえぐい!
だいいち、俺中2だぞ。相手二十歳だぞ。そんな知らんガキと漫才しろだなんて、向こうも困るだろ!芸人とはいえ、知らん兄ちゃんと急に対面させられても何喋っていいかわかんねえし!
無茶振りがすぎる。
もちろんお断りし、記者も食い下がったが長い押し問答の末ようやく記者も諦め、そこから電話が来ることはなかった。
まあ、日々平凡に暮らす中高生諸君にとって、急に大人たちから褒められる新聞投書は面白いのでオススメしたい、と言いたいところなのだが
ネットで文章書けるような学生(学生に限らずみんなもね!)は、何かしら投稿すると良いことはあるし面白いからやってみると良いよ~。
毎度のことだが核心をついた意見や評論が日本のメディアではなかなか出てこない。
いつもどこかポイントがずれた話で終わってしまう。また、それにきちんと声をあげれる一般人も少ないと思う。
コンサル目線で「M-1の問題点」と「とろサーモン問題」を総括してみようと思う。
まずこの二人が毎度採点コメントで脇役のはずなのに爆笑をとろうとするのがいけない。今年だけの話ではなく、以前から気になっていたことだ。
この段階で笑いをとってしまうので(結果的に)コメントの合間に漫才が入る形になり、客も視聴者も全力で笑いにいけないのだ。
採点者はあくまでも脇役なのだから客をじらして漫才で笑わせてあげるようにもっていくべき。
松本人志は「ダウンタウンなう」でもそういう傾向があり、インタビュー番組なのにゲストの話を折りまくる結果になっている。
2. トップバッターの採点
一番手の採点は一律で全員90点に統一するべき。二番手以降は一番手を基準に審査員が個々の判断で上げたり下げたりすればよい。
また最低点は80点でよいだろう。厳しい予選を勝ち抜いてきた漫才師たちなのだから変に低い点数は必要ない。
この2つの改善を導入することで、(1)一番手が不利になる状況、(2)立川談志みたいなやつが50点をつけることがある、という今までの運用で出ていた問題を改善できる。
ちなみに、上沼恵美子の採点が大勢に影響を与えていないのはすでにネットで証明されており、彼女の採点には全く問題がなかった。
この度は私の不徳の致すところで、上沼恵美子さまに失礼極まりない言動をしてしまい申し訳ございませんでした。今後は二度とこのような事がないよう深く反省しお詫び申し上げます。
謝罪は「自分がやったこと」を謝罪するのではなく、「それによって不快な思いをさせてしまったという部分」を謝罪した方がよい。
例えばあるプロジェクトを動かしているとして、(1)「自分がやったことの謝罪」はイコール「自分の非を認める」になってしまう(これはこの後裁判になることを想定すると自爆というかNGのアクション)し、(2)気分を害したという結果に誠実に謝罪した方が相手(クライアント)の怒りも収まりやすくプロジェクト全体が建設的に前に進みやすいのだ。
それに加えて、とろサーモン久保田の酒癖の悪さは有名だったそうで、今回はそんな人間のたわごととして済ませてしまった方がよかったように思える。酔いが醒めてから事の重大さに気がついた→気分を害してしまったことをお詫びしたい、という流れで処理するのが適切だったように思う。
自分がやったことをフル謝罪した場合は、ねちねち永久に攻め続けようとするやつが昨今のネット社会では後を絶たないよ。
吉本興業がさくっと謝るという方法もあったと思う。個人レベルで謝るのではなく、会社の公式コメントとして謝罪してすばやく手打ちにするのも選択肢としてあったと思うが。
『M-1グランプリ2018』で立川志らくは何をどのように審査したのか。
http://memushiri.hatenablog.com/entry/2018/12/04/213330
あの聞いている方がハラハラしてしまうような態度は何だったの?
審査員という立場にいる人間が、不必要に場の空気を変にすることが果たして適切だったのか。
文章化するとまともに見える?当たり前だよ、言い方や態度が関係なくなるから。
適切な内容と適切な伝え方、二つが揃って初めて適切な審査と言えるんじゃないか。
以下、想定問答集
過酷な賞レースであると同時にエンターテイメントショー(…であることに異論はないと思う)
だから審査員側から積極的に変な空気を作り出すのはおかしいし、フェアじゃない。
例えばオール巨人師匠は本来もっとズバズバ言う人だけど、ちゃんとM-1向けに出力を調整していた。
それは漫才師側の心構えであって、審査員が伝え方を考えなくていい理由にはならない。
あなたが強いのよ。
逆。せっかく内容が適切なのに伝え方に問題があったらもったいないと言っている。
誰も内容を否定していない。
じゃあその人たちについても同じ主張をします。
・昔はもっとキツかった。やっさんvsダウンタウン知らないの?
そういう時代もあったんですね。
・Twitter見ろ。ちゃんと若手のことを考えているぞ→https://twitter.com/shiraku666/status/1070233712640458753
この優しいツイートだって、M-1の時と同じ調子で言われたらやっぱりウッとなるでしょ。
芸を生業にする人にとって「場の空気」は重要なもの。志らく師匠がそれを知らないはずはない。
だからこそ点数と一致しないコメントを出したり、誰かを意識したような態度を取ったり、
そういうことはしてほしくなかった。
枝野氏を支持することはおしどりマコ氏を支持することと同じ、と例のブコメで吹き上がっていた人には是非宣言してもらいたいね。
はい残念。 左側でイキってた人たち、みーーーーーーーんなだんまりです!!!
はてサは当然有田を擁護してる立憲民主党支持者にはあまいし、漫才師を擁立する立憲民主党を批判しない。都合が悪いことにはだんまりだんまり。アーキコエナイキコエナイ。
Lhankor_Mhyとosugi3yだけ。この二人は偉い。
しつこくてごめんだけど、そもそも自民党はLGBT差別撤廃に「どちらかと言えば反対」( http://woman-action-network.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/data/2015/10/13/21222302f33c2507a41cf2759b818994.pdf )という立場だよ。
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高校生の時、周りが就職や進学などでいろいろ騒いでいる中、自分は何がしたいのか、まったくわかっていなかった。また、それに対しての焦りも感じておらず、どうにかなるだろうと、漠然と思っていたものだ。では、その高校生の時になにをしていたかというと、特になにもしていない。中学校の頃はバスケットボールをしていたのだが、高校に入ってからはやめてしまった。友達と遊ぶのが楽しかったのだ。
自分の友達というのはいわゆる「悪友」で、よく酒を飲んだりタバコを吸ったり夜遊びしたりしていた。(もちろん、シンナーや暴走族といった、本格的な悪友では無かったが。)週末になると「ドーバン、ドーバン(土曜の夜のこと)じゃけーけーや(だから来いよ)」と呼び出しがかかり、深夜の駅前の街で違う学校の奴や女の子たちと酒を飲んだり、道の真ん中に円状に座ってボケ合戦をしたりして盛り上がっていた。2年生の頃から付き合っている彼女がいたので浮気することはなかった。
あるとき、町中に「fan」というファッションビルができた。スカスカのファッションビルで、小さな舞台とテレビ局を内包しているもので、ヒマ人だった自分たちは、そこに女子校の女の子たちがよく遊びに来るという情報を聞きつけていたので、学校帰りによくそのファンクに立ち寄っていた。女の子とも仲良くできるし、行けば誰か知り合いがいたので、ファンクに行くのは楽しかった。そんな日々を過ごしていると、小さな舞台で撮影をしているのを見学していたら、「漫才師募集!テレビに出てみませんか」という告知が。趣味でコンビを組んでいた(学校の旅行とかで披露するため)自分はおもしろがって応募する。そしてその場でショートコントを3分ほどやった。コンビの相方が変わったがテレビに隔週で出れる事になった。なぜかギャラはいつも3000円分のお食事券だった。
そんな生活だったから、もちろん成績も悪く、また、勉強する気もまったく無かった。周りも同じだった。
卒業後、とりあえずなんの目当ても無く東京へ上京する。親の知り合いの娘が自分と入れ違いで岡山に帰るということで、そのままその部屋を借りることになる。家具とスクーターをもらって、経堂という世田谷区の小田急線沿線の駅に住む事になった。
本当になんのアテも無かったので新宿のビアホールでアルバイトをしていた。始めてのアルバイトはけっこうきつく、ビアジョッキをよく落としたりお客さんにかけてしまったりした。それでもあまり怒られる事はなく、東京って優しい人が多いなーと思っていた。アルバイトは大学生がほとんどであったが、友達に大学生が増えてきても、まだ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかった。いまだにあまりわからないのだが。アルバイトは他にも飲食店を何度かやった。
高校卒業時、服、特に「裏原宿系」と言われるものに興味を持っていた。そこでそういった服を扱う広告制作会社に就職。一年間ほどそこで営業、広告制作、取材などしていた。れっきとした下働きであったが自分用のパソコンも与えられ、そこでコンピュータの使い方、(イラストレーターやフォトショップなど)を覚えた。しばらくして、なんか違うということで、やめた。それが20歳のころ。
とりあえず働かなければ、ということで派遣のアルバイトでプレイステーション2のメールサポート、という非常に地味な派遣バイトを始める。時給が1500円とすごく良かった記憶がある。そのバイトでは、周りにパソコンに詳しい人が多かったから、ホームページの作り方を教えてもらう。プログラムが視覚的に色や形になるのが面白い。なかなかホームページを作るのは楽しく、そのころ友達と趣味で作っていたTシャツをインターネットで売り始める。けっきょく一枚しか売れなかったのだが、インターネットの面白さに目覚めたので、ウェブ制作会社に就職する。半年ほど働いて、会社がつまらない仕事ばかりするので辞める。22歳。
ウェブ制作の派遣アルバイトをしつつ、個人でグラフィックとウェブの仕事を受注しはじめる。そのころフラッシュでサイトを作れる人が少なかったらしく、仕事にこまることは無かった。グラフィックはフライヤーやメモ帳、DVDのパッケージなどを作った。ウェブサイトはいくつかコンペに勝って受注することができた案件もある。しかしながら、クライアントとディレクターとプロデューサーと、、、何層にもなっている仕事の進め方にうんざりして、つまらなくなってきていた。
結果、素晴らしい文学作品だと感じた。その理由を文章にしたくなったので、筆をとってみる。
また、文学の意味や定義を認識していないのにも関わらず、「文学の香りがしない」などという人がいる。
自分のスタンスを明らかにせず、批評するのは誠実ではないと思う。
僕の文学の定義は「個たる人間の根源においてその社会、世界、宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業」だ。
ゲド戦記 影との戦い(岩波少年文庫)のあとがきから頂戴した。僕が思う文学を一番的確に表す言葉だ。
この言葉の補足をしよう。
夏目漱石の私の個人主義を読んだ事がない人は読んで欲しい。定義では、「個たる人間」で表現している。
教養小説は、簡単にいうと若者が社会の壁にぶつかりつつ、自我に目覚め、他者を認め赦していく小説だ。自己形成小説とも言われる。
「社会、世界とのつながりを全体的に把握」「人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業」とは上記のような事を指している。
"火花"は「個たる人間の根源においてその社会、世界、宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業」にあてはまるだろうか?
答えはYesだ。
文章文庫火花の文庫版が手元にあるので、ページ数はそちらを参考にして欲しい。
・21P
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堕落論(坂口安吾)では、"生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか"という言葉がある。
・60P
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確固たる立脚点を持たぬまま芸人としての自分が形成されていく。
その様に自分でも戸惑いつつも、あるいは、これこそが本当の自分なのではないかと右往左往するのである。
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・153P
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神谷さんから僕が学んだことはことは、「自分らしく生きる」という居酒屋の便所に貼ってある様な単純な言葉の、血の通った劇場の実践編だった。
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・155P
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もし、世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。
周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつらがやってないこととか、そいつらの続きとかを俺たちは考えてこれたわけやろ?
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彼は実生活ベースでの繋がりについては、きちんと認識できない人だ。
物語後半、神谷さんはジェンダー論を刺激する様な行いをして徳永に怒られる。
火花は、文学的な意味で人間的だが実社会に馴染めない神谷さんや、芸人社会を中心とした現代日本社会を通して徳永が自己を形成する物語だ。
ここでいう自己形成とは、神谷の認識していた文学的な繋がりと、実社会における繋がりどちらも差す。