はてなキーワード: 演算とは
半導体について少し調べてみた。
ムーアの法則は堅調に保ってるらしいが、2025年から先が自分の調査では見えなかった。
2年で2倍のペースなので、現状のスパコンやらとかが能力伸ばせるのがあと4倍程度ってことなのだろうか。
GPT-3などの明るい新技術が出る一方で、マシン能力の打ち止めのため、夢のシンギュラリティが来ないんじゃないかと心配になってる。
シンギュラリティによって人類が救われることだけが生きてる希望なので、このあたりがはっきりしないのはすごくストレス。
物理の数値シミュレーションソフトとか動かしてみると、全然終わらない。数秒のシミュレーションでも3Dにした瞬間1ヶ月とかかかったりする。
いろいろな物理シミュレーションの限界がスパコンの処理能力で決まっちゃうんだけど。
シミュレーションアルゴリズム自体の効率も結構上がってはいるけど、機械学習みたいなチートを使ったとしてもまだ足りないわけで。
2025年まで5年あるので、ブレイクスルーが出てくる可能性はあるんだろうけど。どうなんだろう。
個人的には現状の1000倍(2^10)くらいは欲しいので、あと10回くらいはムーアの法則やって欲しい。
シンギュラリティとかで、収穫加速とか言ってたのに、その辺どうなんだろう。
それとも、量子コンピューターがどんどんよくなったり、光量子コンピューターが実用レベルになるのか?
2025年までの5年が勝負に感じるんだけど、どうなんだろうか。
AWSのサーバーがとんでもない量のエネルギーを食ったり、世界のITによる消費電力がヤバイらしく、パワー半導体などで消費電力が下がるか、エネルギー技術で蓄電や新発電がうまくいけばメモリーを積みまくれるとかになって解決とかしないのだろうか。
それとも、演算能力より先にIOTで自動運転やら生活が便利になってIT以外の労働力がITに流れるようになってITの発展がより強くなっていくのか。
(調べた内容)
NANDメモリー ⇨ 多層化により発展中、現在200層つめるのが確定のうちの100層くらい積んでる。2年で2倍の容量増加で現状1T程度だから2022年に2Tまではいくが、そこから先が不明
DRAM ⇨ 微細化により発展中。現在20nmを切ったくらいで、2021年に14nmくらい行きそう。3dにすることでさらに伸び代があるが、2024年くらいから先の見通しは見つかってない? RRAM,MRAMなど次世代も商品化されてるものなどあるが2025年までは少なくともDRAMが支配的。
メモリー上で直接演算ができる、レジスターを持っているスタックマシンという謎なものもさることながら
どうせSIMDでXMMレジスターが15本もあってHyper Threadも対応していることなので
すっ
すっ
とん
っていう機能も欲しいです。すでにあるそうなので使い方がんばって覚えるけれど ベンチマークがまだ不安定100nanoぐらいなんですが・・・たぶんスタックの切り替え間違えている気が
場合によっては8Mのキャッシュも16このスレイブスレッドごとすべて
すっ
すっ
とん
って切り替えてほしいの マスターから見ると16本はスレイブスレッドだからマスタースレッドが切り替わるとスレイブ16スレッドも全部切り替わるから
モノが売れなくなり、各国の税金なり、企業の研究開発費から巻き上げる構図になっている。
福祉が国の税金をつぎ込まざるを得ない状況になっているのと似たような状況として、
科学技術のキャッチアップとして資金を投入せざるを得ない状況になっている。
根拠の必要性は提示して相手に納得をさせることができるかという情報で、その情報には物理的な後ろ盾がないとほぼ成り立たたず
情報のみで根拠と成すためには時間を利用した歴史や前段階的な公知の情報、相手の認識範囲内において納得される情報である必要があるでしょう
それをもとに相手に自分の像を自分の描いている像に近いものと、自身が認識できる状態になることを自己肯定とすると接する人間の人数分その根拠が必要になり対応が複雑になり
そこまで対応しきれないので根拠がないことを自己肯定とするという選択肢もあるかと思います
自己肯定というのを他人と接する際に自分に自信がないため他者に対しての抵抗力とすると前述のような二択に近いものになるのではないか
自分が自分を肯定するという語彙においては他者は関係なくともよいと考えると他者を考慮しないことを自己肯定とする方法もあるのではないでしょうか
これから発生する何かしらの問題について不安を解消するためにその発生予想をするにあたり他の人間の認識を知っておきたいところについて
自分がアピールして植え付けたであろう周りの人間の対応を予測することで半ば安心感のようなものを得ることがその目的だと思われますが
他人の思考などわからないし自分が植え付けたはずの努力がそれ相応に実を結ぶのであればそんなに心配する必要もないでしょう
自己肯定感の不足を感じるほどに自分の予測的行動における未来の状況が不安なのであれば現時点での行動にそれを充足へ導くとしたら
現在の行動のさらなる充足か、それを利用しない充足方法の発見になるかもしれません
人を思いのままに行動させるような誘導的な干渉をもって交友関係を広げるか、他者評価を一切受け入れないか
経時的に発生する予測が十分でない事象をその時々に楽しい事であると感じるようにするかという行動様式が外見的に自己肯定の所在を認識されやすいのではないでしょうか
新しく体験することになる事象に不安が大きいのはそれを測定しづらく測定値の定義がないため不安になりうけとった事象を測りかねるためそれを肯定する元データを求めるのが不安というものだとしたら
自分自身の定義をもってそれを測るのがよいのではないでしょうか
自分がきめた尺度で事象を評価するにあたって、その評価結果に対立する意見もでてくるかと思います
それぞれに論拠を示すことになると思いますがその経過について異なる見解を受け入れないといけないというストレスに曝され自己犠牲によりそれからの解放が早くなるのであれば
自身が拠り所としている好きなもの、あこがれるもの、自分が自分であるという根拠にしているものを自分で否定することで早期に解決はするかもしれません
そうすることで、見た目上折れたり根拠のない自信をもっているとか根のないうわついた人といわれるかもしれませんが、実際そうであるものとそうみせかけて
相手を動かすことで自分自身は一つの行動指針に準拠しているということもあるかと思います
自己肯定というのは、自分自身の尺度をもつことは前提としてあるかと思いますがその尺度は自分という思考の演算の基本値であるためそれを相手に理解されたところで
自分自身という絶対無二の視点から得られる結果はそれぞれに異なり理解されること自体がとくに意味をもたないため、共有をすることができませんが
それが共有されない悲しみを自分自身への理解がなされないことだと悲観せず、それは通常だれしも共有はされずそれこそが個性として個別にあることこそが人が一人でないことの意味であり
個性がそれぞれにあることで予測ができないことが楽しみであり、予測ができるだけ大きく長い時間できる個性との長期的な関係こそが喜びだと思えないでしょうか
①自己肯定は個性という人が物理的にそこに存在する経過で得られた経験そのものを尺度としたもの
②他者の自己は否定するものではなく全く別物なので共通点、共存方法を考えるべきもの
③共有する未来の結果予測についてその方向性があうものあわないものはあり、最終的に結果なにが必要なのか取捨選択する
こう考えて、自己肯定感の礎となる根拠は今存在している自分自身であり、これからの不安を自己の尺度で認識する、していく、評価基準は経験値により変わるとすることで
先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!!
私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????
567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルのオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人からの身バレ防止のためここからの大学の描写はボンヤリとしたものになります。コメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的に批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!!
誤字脱字はすいません。
いままで約20年間、数学や物理、化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。
大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。
私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。
もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。
読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章の稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。
①去年~今年2月の話
学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。
趣味だったイラストのサークルにも加入し、高校が同じだった友達が学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校のクラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。
サークルの友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。
安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。
私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系の学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)
私の大学受験のサポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。
有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生や担任の先生、大学で理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。
私が受験に合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。
これが理由で、理系学部に進んだ私は自分の学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。
もちろん授業が倍になるなら試験もレポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。
1年間やりきった。成績も上々でモチベーションは入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。
2月、実習も終わって大体の友達が実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。
実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルスの話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。
その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazonで教科書を用意した。
友達は出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元の友達とショッピングセンターや居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元の友達と毎日のように遊んでいたらしくてラインもzoomも使わなくなっていた。
私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュースで危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学の友達が理解できなくなった。
ほとんどの大学の友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。
4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレにメイク、同人誌を作れるレベルで二次創作もした。自担(地下)の過去の映像を見て1ライブできるぐらいにはダンスも練習した。(クソデカ過大評価)
むしろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手にピザだのウーバーだの頼まれて友達が勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分の感覚で自分を許すことができるこの時間を人生の夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。
5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。
連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベルで課題が出るのだから家から出ることが本当に、絶対、多分無理。
オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達はもっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽にイライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分の性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSでみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。
そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかったことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語もせっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ
そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。
なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系と教育学部、医学部、薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子と出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークルの男子が教えてくれた。マジで無理だった。
こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。
インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。
正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから、他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。
メンタルボロボロのまま毎日徹夜でレポートを書いた。エクセルで演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推しの夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタルが回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。
コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネット・オンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。
リアルの人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターのフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまり家から一歩も出なかった。5月から1ミリも変わらない暮らしをしていた。
大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名のフォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能な距離にあるのかという内容であった。正直に送った。
しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情をメールして渋々だったが郵送させて頂いた。
その後も何人もの教授が大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールにファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部で実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家で講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。
もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。
教授の気持ちはわかる。高校の部活で演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離で暮らしている子もいます。Word文書は気持ちが伝わりにくいなら、手書きはどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学にプリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。
この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドルの現場でお会いしたことのある方で事務所を経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前で鬼のように検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。
しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブを自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。
その頃だった。コンカフェの店舗を構える予定の歌舞伎でクラスターが発生したのは。
もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。
捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味の雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)
ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。
いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチ重メンヘラコーナー)
そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日を実家で送っています。最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています。
私はこれでも勉強に趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京で毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手にロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。
そしたら今日、大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。
8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要な書類は大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。
実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生が教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。
だから私はどうする?
教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事もネットにはいっぱいある。
メールが来てから2時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。
県内で感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?
介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所で感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいから明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?
私今まで通り大学生活送れる?
もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。
なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいものは教師じゃないのかも知れない。
私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20
なにが、ベクトルか?ですね。
複数の演算がベクトルで、1つの命令で複数の演算ができるというのが違います。
たとえるなら
ALUが1つのコアに4つあり、1クロックで4回の足し算ができるプロセッサと
コアが4つあり、1クロックで4つの命令ができるプロセッサというのは
なにをベクトル化しているか?といういみでソフトから見ると処理が異なります
SIMD命令というのは1つのコアの中で16個の足し算命令を1つにパッキングして16個同時に実行できたりします。
あくまでも16個のコアが個別に1個加算を16個のコアでやります。
1つのコアの中で2つのスレッドを物理層で同時に動かすSMT ハイパースレッド