はてなキーワード: 様式美とは
なるほど、「アニメのリアリティ」ね。おもしろい考え方だと思う。
かわいいキャラとか衣装が出てくるやつは、その設定の中での作品世界の中における「リアリティ」ってやつがあるのはなんとなく理解している。
リアルな方なのか、アニメならではなのか、本筋のシナリオがどっち寄りを表現したいのかによってくるんだろうね。
部分的にリアルな細かい設定が欲しいって思ったのは、そのあたりがどっちつかずに見えたのかもしれない。
アニメにはありがちな「こんなヤツぁ実際にはいねぇ」っていうのを、そうだと感じさせないような、シナリオの密度の濃さや裏設定等も含めた作り込みがやっぱり大事なんだろうな。
誰ルートーバッドエンド、ノーマルエンド、グッドエンドとゲームプレイ結果に応じてエンディングが綺麗に分かれるタイプです。
フィクションと違いリアル世界では、色々な行動を取っても結果的に良い結果にたどり着けたり、逆にどんな事をしても悪い結果が避けられなかったり進む先はいびつです。
なので、バッドエンド、ノーマルエンド、グッドエンドの3段階とか、特に、ギャルゲーでキャラクター個別エンディングでそれぞれ何段階かの綺麗な分け方だと、制作者側がいかにも話を仕組んだような不自然さを私は感じます。
別に何とか編はバッドエンドのみ、何とか編はグッドエンド2個とバッドエンドが1個とか、ばらばらでも良いんじゃ無いでしょうか。
様式美と言われたらそれまでですけど。
キレたわ
どう考えても審判が買収されてるっていうことにキレたわけじゃないんだわ
審判の買収に関しては、「まあ買収くらいはあるわなー」と速報を一読した後で思った程度だった
ボクシング界での買収はこれまでも存在したし、これからも存在し続けるだろう
その程度のことだ
でも問題なのはメディアがネット周辺に対して行っている炎上収拾のやり方だ
「村田諒太の手数があまりにも少ない、プロから見ればこの結果は当然のこと」
「ダウン奪ってダメージ与えたからと言ってそれが結果に繋がるわけではない。ボクシングで目が肥えてない連中の言ってることを真に受けてはならない」
試合終了後、愚劣極まりないテンプレコメントによって急遽2ch実況やあるいは2chまとめサイトのコメント欄が埋め尽くされ始めた
愚劣極まりない
まっこと愚劣極まりない
繰り返すように、俺が怒っているのは審判に対する買収に対してなどではない。
こんなのはよくあることだ。残念だとは勿論思うけれど
しかし、日本のテレビメディアが実況者として雇った元プロボクサーのコメンテーターたちがしきりに
「この判定は不可解」
と繰り返す中で、ネットでは
「村田の大差負けは明らか」
などといった下らない収拾コメントが溢れている
日本のメディアがそういう欧米他国に対する「忖度」にドップリ浸かっていることは間違いない
もはやそのこともまた様式美だ
けれど、自国民の市井の会話に乱入して、印象操作を堂々とカマして恥じず憚らないという姿勢は、言語道断である。
俺が怒っているのは正にその一点に関してなのだ
お前らA「おうお前ら、こいつを見習って超良い奴になれや」
お前らB「そういうお前が超良い奴になってから言え」
お前らC「何だコイツ格好つけやがって」
お前らD「これぐらいは人間として常識、それでよく偉そうにしてるな」
お前らE「こういう事を強制する奴はクソ」
お前らF「そんな話を芸能人さんはしてません」
お前らH「頑張っても出来ない人もいる」
お前らI「こういう奴ら見てると脱童貞したばかりでイキッてる奴が浮かぶわw」
お前らJ「w付けんな死ね」
お前らM「整形すればいいだけなのに……」
お前らN「お前らケンカすんな本題について語れ」
お前らQ「このまとめ前にも見たわ」
お前らS「良いことをするのに理由がいるの?」
お前らT「アンチ乙www芸能人さんは何も間違ってないというのに」
お前らV「何だコイツ格好つけやがって」
お前らW「コシヒカリ以外は粟や稗と同じみたいな論調やめろや」
お前らY「話がズレてきてるんだが」
お前らGT「そもそもネットで真面目に議論してるアホってなんなの?」
今話題のまとめもそうだけど、ネットの議論って大抵いつもこういうテンプレ展開をなぞるよな。
なんなの様式美なの?
・うらら
キャラは可愛かったけど話は微妙。キャラの可愛さだけで推していけば良かったのになんちゃってシリアス要素モリモリにしたせいで安っぽくなってる。謎シリアルの典型例として名前が残るレベル。
前クールがキレイに終わっただけに今回は何をやるのかと不安があった。序盤こそ引き伸ばしを感じたが師匠の死から次の世代に受け継がれるまでの流れはここまで見続けてよかったと思わせるだけの力があった。
・竜の歯医者
エヴァっぽさの塊。映像は凄いが話は思わせぶりな張り子の虎っぽいので考察はするだけ無駄な匂いがするので深追いはしない。
小泉にパフォーマンス政治を否定させた所で勝ってた。主題歌がつんく♂なのも強い。病気になって業界から姿を消してる間にギャラが下がっていたのだろうか。
・亜人ちゃん
詰め込みすぎというよりも取捨選択の失敗。子供になったヒロインが可愛かった事ぐらいしか覚えてないわ。
画面がうるさい。話は薄い。
・カオチャ
リライトに継ぐ原作圧縮失敗アニメその2。圧縮したからつまらないというよりも演出が下手。積み上げが原作より薄くなることを理解しつつうまく料理する手もあったはずなのだが。
・このすば
いつもの4人に久しぶりに会えたって感じ。一通りの起承転結を前回やっているので外伝のような感覚に。敵のスケールも変わらないし物語的盛り上がりは薄い。話もキャラの魅力を横に広げる形が多いし続きというゆうかやっぱ外伝って感じ。
・バンドリ
登場人物の香ばしさが凄い。頭のネジをぶっ飛ばしている本数がダンチ。話自体は面白くもないしキャラの魅力で引っ張るアニメだった。その魅力が頭のおかしさってのはどうなんだろうか。
・リトアカ
映画の焼き直しではなくて新規の話だらけの新しいアニメになっていたのが良かった。ストーリーはあまり面白くないけど映像とギャグのキレは高い。ギャグをやりつつ話を進めるのも上手いんだけど、それでもまだシャリオシャリオ言うシーンにはクドさがあるんだよなあ。それしかアッコにはないのは分かるんだけど。
・ガヴリール
ガヴのキャラだけでほとんど話引っ張ってたな。れんちょんが1人で頑張ってたのんのんを思わせるわ。
・けもの
今年のナンバーワンは決まったな。映像こそ低予算だけど、ストーリーの納得感やお芝居の出来、キャラクターの活かし方や全体の空気のまとまりっていうアニメで重要な部分で他より頭一つと半分抜けてる。これで作画が良ければ本当に今年一番狙えるんだけどモーションが不自然に止まっている箇所が結構あるからなあ。予算が少ないほど口出しは減るから作品にまとまりが出やすくなるけど、予算がないのは作品に如実に出てしまうっていうジレンマがよく分かるアニメだった。大人数で作りつつしっかり意思疎通してその上でプロデューサーやスポンサーが変な事言わずに作ったアニメが増えねーかなー。
・メイドラ
かんなちゃん可愛い。かんなちゃんと小林だけ居ればよかった他はチェンジ。
天然の意味不明さが減って人工物が混ざってきてる気がする。
・幼女
勢いが合ったのは最初だけかなー。全体的にキャラ立ってるようでキャラがあまり立ってないから退屈なんだよね。話も世界大戦の知識と社会人としての記憶を持って子供からやり直したらこんなもんだよねっていうテンプレだし。あと主人公がTUEEEする割には盛り上がらないよね。はいはいTUEETUEEってなっちゃう。アオイホノの「車田先生のベタを見習え」ってアレなのかね。作者の気恥ずかしさが漏れててノレないんだなー。しぇんきの方がぶっちゃけオモロイ。
・鬼平
どっかで見たような話が多くて退屈だった。そういうお約束を楽しむ作品なのだろうけど、自分はまだまだ様式美だけで30分楽しめるほど老いぼれちゃいないようで。
主人公変えた銀魂。銀魂よりは安定して面白いけど大当たりの破壊力は少し劣る印象。お約束にあまり縛られてない作りなのは好き。
原作の力をそのまま活かしたアニメ。なんだけど原作の持つ行間までは再現できなかったかな。動きやイメージは完璧なんだけど、コマとコマの間の空白を補完することで作品が染み込んでくるっていう漫画という表現法の持つ副作用を原作が活かしすぎているんだよね。だからアニメになるとそこが零れ落ちて結構別物になっちゃった印象。でもイメージの再現は本当すごかったよ。
・オルフェンズ
どうしてこうなった!どうしてこうなった!決定的なアクションを起こすのを後回しにしすぎだった。前半2クールと後半2クールでガラリと話の方向性を変えればよかったのにダラダラ同じことをやり過ぎ。そのくせ最後に焦って話を無理に動かすからとっちらかってる。2クール目~4クール目前半までの中弛みのせいで話をまとめる時間が無くなってるのが本当に痛い。ここまで酷いと時間不足を理由に話を雑に纏めたいがために引き伸ばしをしてたんじゃないのかって勘繰りすら生まれそうだよ。
最近の日本死ねやそれに続く小町じみた内容の投稿には、正直そろそろうんざりしている。
だが、小町で同じことを言ったとして、果たしてこうもバズっただろうか。
多少身内で盛り上がるかもしれないが、そこから外への広がりは期待できそうにない。
正月のアレにしても、「小町のことだし、どうせ年中同じこと言ってんだろ」と片付けられたはずだ。
ちなみに、小町の個人的な印象は、「メインユーザーは暇でやたら自己顕示欲の旺盛な主婦層」で、
「そいつらもドン引きの内容を投稿し、『びっくり』とツッコミの書き込みの集中砲火を食らっても、
なお己の見解を曲げようとしない業突張りの巣窟」というものだ。
これがどの程度正確かはともかく、いったんそういうイメージが多くの人の間で定着すると、
もはや何を言っても「小町発」という冠がついただけで割り引かれてしまう。
だからこそ、主張の場は小町やガルちゃんではなく、増田でなければならなかったのだろう。
似たような例として思い出されるのが、日曜朝の張本勲氏である。
番組では「御意見番」という扱いだが、もはや氏の意見など、言われるまでもなく誰もが予想できる。
とにかくNPB至上主義であり、マイナースポーツを見れば「何が面白いのか」としか言わず、
危険なスポーツを見れば「こんな危ないことしちゃダメですよ」としか言わない。
張本氏の場合は一周回って様式美の域に到達しているが、そうでなければただ退屈なだけだ。
増田が外部で取り上げられるのも悪いことばかりではないだろう。教育困難校の人も気の毒だと思う。
だが、「増田=かわいそうな人たちの叫び場」なるイメージが定着することには、強い危機感がある。
多様性を失い、陳腐化した先には、メディアとしての衰退が待ち受けているからだ。
良くも悪くもネットではオタク関連をことがよく話題になるし(とくにネットニュース関連で)、そのせいもあってかオタクは声が大きいと思うんですよ。
だからこそオタクが好きそうなものが批判される、もしくは批判されたみたいな報告があったりすると、その批判した人物を袋叩きしたり、過剰反応したりすることが、あまりにもよくありすぎて、もはや様式美のように見える。
まあどうでもいいと思ってる人や、その批判を聞いて「おっ、そうだな」と思うような人は積極的に主張しないから、過剰反応する様子ばっかり目に入るかもしれないけど。
それはともかく、ここまで毎回毎回同じような動きになっていると、裏で誰かが面白がって煽ってるんじゃないのと、そんな陰謀めいた考えを最近したくもなってくるわけで。
一応、ネタバレ注意。
Amazonプライムでファイナル・デスティネーションシリーズが第2部の「デッド・コースター」以外4作無料だったんで連続で見てみたんだが、
すっげーワンパターンだなこれ。
物は落ちる。棒は倒れる。液体はこぼれる。電源はショートする。出力は勝手に上がる。店員はすぐいなくなる。
特に液体。
「ほらほら来たよ来ましたよ。もう液体こぼれましたよ。ここで死ぬわけですなこりゃ。ほらやった!」
っつーか大抵の登場人物は、素直に最初の事故で死んでた方がマシな感じの死に方っすな。半分くらいは飛び散るし。
http://anond.hatelabo.jp/20160912204811
まず、大前提として、8割ぐらい……っていうのが間違ってることはおいておいて。
最近の流行は逆に、ニッチな狭い世界観だったり、飯食う、飯食わすだけな作品が多い。
特に連載初期とか。
商業だと、やっぱりアニメ化2期3期目指すといろんなカタルシス必要だし編集が口を出すのだろう。
リスペクトしている作品の展開が王族から認められて、「いやー、俺ってば静かに暮らしたいのに周りがほっておいてくれないのよねー(チラ」がいわゆる様式美だから。
大きなイベントなしでずっと読者をひきつけるのは凄く力量が居る、んでそんな力量ない作者が多い。
日常からの脱却で話を広げて起伏を付けるほうがよっぽど楽、これはテンプレ崇拝とも被るけどね。
昔はともかく、(昔は王道ファンタジーが主流で今に繋がってるんだけれど)、
今は、ファンタジーは供給過多で、のんびり系(生産チートとか)、スローライフとかもあるけど埋もれてる作品が多いから目についてないだけというのもある。
今のWEBファンタジー小説ってゲーム世界感を踏襲してるからキャラの成長は当然あって、成長するといろいろ巻き込まれていくのは当然の帰結だし。
まあ、まとまってないけど、ダンジョン飯みたいなのもあるっちゃあるわけですよ。スローライフ系も流行ってるし。
だけど、それを書く、書ける作者があまりいなくて安易な王道系に逃げているだけというのもあったり、
結局流行廃りの人気産業なので(産業じゃないけど)、まったり系の人気作が徐々に増えているから、そのうちフォロワー(それを真似て書く人)が増えてってというかもう実際増えてるから元増のいうような8割って商業しか見てないよねーって話。
まあ、商業になると、横槍が入って展開に口出されるんだけれど。
僕がシン・ゴジラについて「はいはい庵野庵野」と言ったのは、庵野秀明作品の中ではあからさまな様式美の詰め合わせでかつ、他作品でやったことのやきうつしだったからだし、そこに熱狂する人はオタクとして強度が… / “東浩紀氏「シン・ゴジ…”
典型的な学者気取りのオタクが書いた、わっかりにくい日本語と、エビデンスで取り繕ったクソみたいな文章の好例。こういう文章を自己満足でつくることを評論だ、批評だと言う人が嫌いで俺は評論同人への寄稿をやめた / “『君の名は。』の大ヒ…”
アニメについての評論や批評を見ても作品が面白くなる解釈ができるようになるわけでもなきゃ、アニメの見どころや作画的な技術論がわかるわけでもないことに気づいた途端に急に冷めてしまったのです。あー僕がやりたいのは作品紹介や楽しく見るために抑えておきたい情報であって評論じゃないな~と
「オタク文化がリア充色や社会派色を帯びて一般化して、オタクの時代は終わった」とか言ってる東浩紀に心底言いたいのは「今の20代は子どもの頃に押井守アニメやエヴァみたいな要素を含んだ冒頭からスタートするミュウツーの逆襲からアニメを見始めてそれがおとなになっただけ」ってことさ!!
支援ブクマ。いいぞ~ころしあえ~ / “「『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか」はどこがまちがっているか - 赤目無冠のぶろぐ” (2
「オタク論」は学者ごっこでしかなくて、実際にコンテンツが好きな人がコンテンツの話をするためにやってることではないからなぁ~。「評論ごっこ」「論文的なエビデンス漫才ごっこ」であって、もしこれを人文系の学問というならこんなもんに国がカネ出してる方が異常。憧れて同人作るのも狂気
オタクという自意識を持たない人をリア充だというならそれってどうなんだろうって感じはあるし、ジブリアニメで育った世代はオタクじゃなくてもあんなこじらせたものを国民的娯楽だと言って幼いうちから見せられてるんだから、オタクじゃなくてもその基礎的な土台はオタクなんだと思うぜ?
@tm2501 いやだからその事実自体が「オタクの時代は終わった」なのでは
@kimiterary だったら、それは20年前(もののけ姫や、ミュウツーが邦画の歴代ランキングで上位に食い込んで、アニメ映画をオタク以外が見に行く時代になった時)に約束された話だから、今それを言うこと自体が遅すぎない?…とは思う。
まぁ、その辺は記事にしたので夜に出すけど.それはね、多分「表面上の言葉でこの言い方をしたら絶対に誤解されるから、俺なら絶対こんな言い方をしないわ」っていうレトリックの問題であり、ある種の(正直言って、納得行かないけど)同族嫌悪なんだと解釈してるよ…うん
@tm2501 確かにもののけ姫やミュウツーに「オタク特有のグダグダした心理」の描写はないんだけど、その二十年分の変化の集大成として、節目の年と感じてるって話じゃないのこれ。その二十年前にいるのがまさにエヴァなわけでさ。
@kimiterary 東浩紀の文脈(オタクの定義を動ポモで扱ったものやそれを論じたゼロ年代ゲンロンとした上で)あるものはエヴァでありエロゲなんだろうと思うけど、世の中の人のターニングポイントが本当にエヴァだったのかと言われるとそこにはとても疑問を感じるかなぁ…数字の問題として
というか、うちのブログやそのスタンス自体が、「哲学者・批評家の言ってることを噛み砕いて、アカデミックな言葉を使わないで書く」という部分(本人すらアカデミックでそれをもっとシンプルに言い表した言葉があったことを知らずに書くことは多い)があるからねぇ~うん。
@tm2501 「誰しも土台にオタク的部分がある」のは普遍的にそう。ただ、それを突き詰めても「だからみんなオタクであり同時にオタクではない」みたいなところに帰結するだけで、そこからこぼれ落ちる人間、こぼれ落ちる想像力は確実にあって、で、それらはもはや力を持てないって話なんかなと。
@tm2501 世の中のターニングポイントがエヴァだったのかが問題なのではなくてシンゴジラの監督が庵野であることがこの文脈では問題なのでは?
@kimiterary あー…直感的には理解したけど、いいアクションを持ち合わせない部分がある話やなぁ~。
@kimiterary あー…うん。(概ね納得)
だとするとすげー個人的な話を主語がでかいままネットに書き込んだ系のことやなぁ~。「お前はそうかもしらんが、一般的な分岐はそこじゃないだろ」的なモヤモヤは個人的な話である時点ですでに意味を持たないというかその人の手を離れるわな…
@tm2501 つまり「アニメ・マンガ文化愛好者」としてのオタクと「少数派としてのグダグダなメンタリティ所有者」としてのオタクの問題。前者がもはやメインストリームに取り込まれた(皆オタクであり非オタな世界)として、後者の想像力が表出してくる余地が果たしてあるのか、でしょ。
@tm2501 そもそもアレ個人の感想だけどな?
@kimiterary それな(盛り上がってるから真夜中にがんばって記事を書いたけど、結局東浩紀との対立というよりも、EXILEまでオタク的になったという話までの道のりを自分がポケモンとかジブリを使って補填するようなすごく説明的な記事だからいいんだけどさ…)
@kimiterary 「後者はそもそもオタクなのか」とはてなブログにいるとすげー思うけどなぁ~。結局、何を議題にしてもグダグダにグズグズに揉めてる印象があるから。オタク論争だけでなく、人間関係でも、サイトやブログのアルゴリズムやテクニカルな話でも
@tm2501 ちなみにこんなこと言っておいて難だけどセカイ系とは相性が悪いマンだからさほど感慨はない……w
@kimiterary あ、僕もそこはどうでもいい派。15年以上前のオタク同士でランデブーしてろ派だし、安易に話に入ると誰も幸せにならないから意図的にスルーする派
@tm2501 端的に言って本人の能力値がどこでいいからどこかに向けて高くない限り救いようがない人種だけど、わりとそれオタクの本質の1つだと思うんだよな。
@tm2501 てゆーか貴方だしすっげえ雑なこと言うけど、要は1つのテンプレとしては太宰に感情移入しちゃうタイプのメンタリティが挙げられるんじゃないの、後者。ファウスト系に人生曲げられたマンとしてはこの辺他人事ではない
@kimiterary それ、私には発達障害の問題(IQの低さと高さが混在した人間の宿命や悩み)の話に聞こえるから、哲学案件ではなく、精神科案件か臨床寄りな心理学案件な感じがあるかなぁ…。個人的な話でもあると同時に、それらを病気や克服すべき問題と定義したのはそっちだし。
@kimiterary そこまで広くくくっていい話だとすると、それは確かに哲学案件。
@tm2501 俺としては「病気が治ってしまったら病気が治る前の自分は死んでしまう」みたいな感慨があるからいかに病を抱え続けていけるかの問題、自己肯定の問題なんだけどなそれ。戯言遣いが言う「変わりたいって気持ちは自殺だよね」に未だに取り憑かれてる感。
@tm2501 「太宰に感情移入しちゃうタイプ」の「太宰」に代入出来る解としての庵野なり新海ではもはやなくなった、ってことだと俺は理解してるし、なんならそこに代入できる解って今の世界にいるのか?そもそも求められているのか?ってところで一般化していけそうではある。