はてなキーワード: 女房とは
龍以、以龍とお竜さんについて世の中の過半数と解釈違いを起こしている腐女子の戯れ言だと思ってほしい。
Zeroは元々少し知っていて、Apocryphaはアニメを見た。現在友人からstaynightUBWの円盤を借りて見ている。
その程度の人間なのでコハエース、帝都聖杯奇譚も未履修ということを前提に聞いてほしい。
今回のイベントで私はお竜さんにドドドドドハマりしてしまった。超絶タイプの女の子だった、無理、かわいい、好き。宝具の時のピースピースかわいい、好き。自分のことお竜さんって言うの好き。龍馬の押しかけ女房!?なにそれ好きじゃん。
龍竜…いや龍←竜…?龍馬の奥さん≠お竜さんらしいから龍馬がお竜さんに矢印向けてなくてもアリだな?
なんて考えながらこれから大量に増えるであろう龍竜に思いを馳せた。
ところがどっこい周りがハマったのは以蔵と龍馬!なるほど!!
まあそりゃ腐女子の友は腐女子なんだしホモにハマるのは当たり前だったわ。
私も熟考(5秒)した結果「まあアリやな!」ってなった。腐女子だもん。
ここに関しては上下どっちでもいいかなぁ〜なんて思って二次創作を見るわけですよ。
そしてここで問題が発生する。
私はてっきり以蔵→龍馬←お竜、という図が多くなると思ってた。
以蔵とお竜さんの龍馬の取り合い、悪くないやん?いけるやん?って思って。
でも!!現実は!!!2人を許容するお竜さん!!!え!!?!?!
なかでも界隈でよく言われているのが
は?????いや、は??
お竜さんは公式のマテリアルで「押しかけ女房」って言われてるわけじゃん?龍馬一目惚れしたって書いてあるじゃん?だって英霊になっても一緒にいるんだよ???そんなん計り知れない愛があるわけじゃん?
2人は一心同体だから龍馬とお竜さんが一緒に以蔵を攻めるって言うのも見た。
龍馬が望んだことだから??あの子龍馬のいう事聞くけど基本的に欲望に忠実じゃない?(宝具の「食べちゃダメだからね!あ、食べた」から見て)
龍馬のことが好きだからって龍馬のしたいことは全部肯定するような子じゃないと思うんだよ。
龍以も以龍も好きだけどそれを創作してる人のお竜さんの扱いが雑すぎてほんと辛い…私も2人のホモ見たいのに見れない…。
でも難しい問題だよね。既婚者とか彼女持ちでBLするって難しいよね。
やんわり友人まで下げたりいなかったことにしたり、腐女子化とかね。私は腐女子化まじで無理だけど。
いやホモにしなきゃいいじゃん腐女子キモって思うかもだけど寝取りとかそういう男性向けだって彼氏いるけどモブに犯させたいと思った結果のジャンルみたいなもんじゃない?知らんけど。
こんなことが初めてだからどうしたいいか分からない。みんな龍馬以蔵CPのときお竜さんのことどうしてるの?納得のいく説明してほしい。
貴女の一生懸命な姿勢を見て応援をしてきたつもりが間違いだったようだ。
正直、貴女の口からママに土曜日はゼロでも仕方がないと言われていることを聞き愕然とした。私が6月28日の土曜に女房が夜勤のため、一人で夕食を食べに出て行きつけの旨やで食事をし、どうせ食事をしていないと思い好きなネタで一折作ってもらい、果物店で桃を一箱とピオーネを買い6時20分頃携帯へ電話入れたが出ない、また、6時30分頃入れたが出ないのでメールを入れて店の下で待っていた6時40分頃出勤してきた。電話入れたのにと言うと電車でイヤホンして音楽を聞いていたのでわからなかったという言い訳であった。私としては、7時から店を開けるので、それまでに買ってきた鮨を食べさせようというおもいであった。しかし、土曜だから、たぶんお客さんがこないし電話もないという安心感から気にかけていなかったのだろう。非常に危機感にかけると思いエレベーターの中で危機感がないねといい、3階で降りてちょっと認識させるため、帰るわといい階段で降りた。角まで後を追いかけてきたが、帰るふりをしてぐるっとまわり頭をひやしてきたといい普通の様子で店に戻った。携帯にも電話してきてお詫びの留守録が入っていたので反省していると思いぐるっとまわり頭をひやしてきたといい普通の様子で笑いながら店に戻った。それで飯を食べさせ普通に会話をしカラオケを歌っていた時、妹から電話がはいった、暇だからという返事で後はカラオケの音でよくきこえなかった。
そこで思ったのが、私が帰ったため、お客が0ではいけないと思い一人の時に妹に電話をし今かけられないので後で、電話するということになっていたのだろうと感じた。えらくタイミングが良すぎるといったら偶然だと言った。今迄、土曜日に来て妹から電話がかかったケースに出くわしたことがなかったし、最初、店に来たときの経緯から電話したのかと推測した。貴女を呼び出し公園で話をした時、木曜 金曜日に行っても意味がないだろうといったとき、ふふと笑いの表情を見たとき、大変失礼な人間だと思ったと同時に、この人間と話しても無駄だし、日頃からも感謝なんてしてないことを実感した。
私がちょっといつもの鮨屋へよると電話した意図が全く理解してなく、自分の感情で帰ったことからも、日頃からの感謝という言葉に非常に疑問を覚えた。「普通であれば、私が感情外したきっかけとしては最初、貴女にあるわけだから、もし、そういう気持ちが微塵でもあるならば寄ると信じていた。当然、私もその日でわだかまりも解消するつもりであったし、お互いに話をして分かり合えたと思っている。その場合、疲れているということは理由にならないと思うし、この業界では当たり前の事だと私は認識している。それが理解できないなら店を経営する資質にかけるし、その場しのぎなど通用しない。この業界は、お客さんがどういう目的で酒を飲みに行くかということを考えれば、すなわち、心の癒しや発散に行くことにある。だからこそ、気持ちよく受け入れて気持ちよく帰って頂くことを心がけることが店の使命であると認識している。その際、客としてのモラルは心得えなければならないことは前提である。
なぜ、お客である私が出向かねばならないのか、たとえ私に非があったとしても貴女が出向くべきである。お客をどういう認識しているのかアルバイト感覚であり、自分の意思を曲げることなくお客の立場になってまったく考えておらず非常にプロ意識が甘く欠落している。店のオーナーとしてスタートしようと考えている認識からすると現状のままでは論外と言わざるをえない。
所詮、お金だけが目当ての現状だから、お客にはその場だけ合わすが心からお客と向き合うことはない。それが、何処まで通用するのか疑問である。そうしても、お客というのは馬鹿なのかね。
店のお客の質としては、色々なお客がいることは承知されているはずで、すべて、気に入らないお客だけを拒否できるのか。ずいぶん殿様商売にもはなはだしい。当日、店を出たあとに貴女自身が私にくれたメールと相反する行動ではないか。大変、失礼でありお客を愚弄しているにもほどがある。
何時も自分の立場だけを考えている人間だからこそ、そういった行動をとると確信しあんたの人間性を確認できた気がする。このような人間に精神誠意、自分なりに尽くしてきた自分が哀れみさえ感じる。 私は、一週間を通じ一番お客が少ない月曜 土曜日をホローしてきたつもりだが、なんのため、お金を費やしホローしたにもかかわらずよく私に言えた義理だと思った。貴女の感謝は、その場限りのもので、人を利用することしか考えていない人間であるし金だけしか見えない人間である。いくら貴女のためと思って手を差し伸べても本当に貴女が感謝しているのかよく理解できないし、私にはその心が伝わらない。伝えようとするならば、誠心誠意、心と行動が伴ってこそ、初めて相手に伝わる事だと私は確信している。
そのような人間であることは、想定していなかったが、現実、短期間であったが、実感することができたと同時に裏切られた気持ちが非常に強い。人間が分かり合える原点とは心と心であると私は思っている。だからこそ、お互いが理解でき、手を差し伸べようという気持ちに駆られると私自身そう思うし、自分の信条としている。たとえ貴女が正しいとしても主張はすることはいいが、お客さんの主張にも耳を傾ける謙虚さと理解する心使いと気使いが必要である。自分が正しいとばかり思っていてもお客さんを真っ向から否定することは大変失礼である。もう、そのお客さんに来てもらわなくてもいい覚悟であれば別にかまわない。
今、実感している事は、非常にお金を溝に捨てたようなものだと悔やんでいるが、自分の馬鹿さ加減に愛想が尽きているのも事実である。
これは、私の甘さであったことは言うまでもなく自分自身反省すべき事である。 本当に貴女のことを思い自分ができることで、精神的にも金銭的にも精神誠意応援してきたつもりだったが、それも無駄であったようだ。土曜、月曜日など貴女の友人とか姉妹とかの名前で、しかも二人分を貴女のためと思い、応援してきたが、結局、その場だけの利用でしかなかった。その他に日帰り旅行、旅行、食事、お土産など貴女と思い私の勝手でやったことだが、誰もしてくれと頼んだ覚えもないし自分はお客さんだから付き合っただけの論理だろう。
私は、何かを求めて応援してきたわけでないはずであるが、人間として、本当に感謝しているのであれば、貴女の本当の感謝が見てみたい。 あまりにも人間が人間をこけにしているのではないか。これまで、私が貴女のことを思い、してきた事を第三者が聞けば間違いなく馬鹿と言われるに違いないし、なんであんな人間にと罵倒されることはまちがいないと確信している。 私は貴女にも言ったことがあるが、人間というものは長所、短所をもちあわせているが、出来れば短所を長所に変えることで、その人の人生観に希望が持てるよう向き合って貰いたいという気持ちから育成をしてきた。貴女は、それに値しない人間であると思う。また、人の好意に胡坐をかくような人間は論外である。 貴女からすると自分からしてくれとは言ってないという主張をするだろうが、貴女から店に来てくれと頼まれたことも事実である。何れにしろ、貴女に対して憤りは隠せない。もう貴女に対しては私の心中で完全に切れた。貴女からすると自分の主張として、そう思う方が悪いし騙されたと思うほうが悪いという論理だと思う。
人間として、人に迷惑を掛け反省もなく、相手の気持ちを察しない者に同情や励ましなど必要はない。 この人間は、プロとしての意識や危機感が全く見られない。この仕事で自分が食べていかねばならないという意識がないため、私が言った事に対して怒りをあらわにする。本当に体調が悪く仕事ができるのか疑問だし、たとえ、お客さんの前ではそんな姿を見せないと言えどもあんなに明るく振舞えるのだろうか疑問である。それほどの意識があれば、もう少し今迄に仕事に対する姿勢が変わっていたのではないか。
これから、貴女はどういう選択をするのかしらないが、私の知りえぬことだが、出会えたことについては、本当に良かったと思うし、貴女の成功といい人生となることを願っている。最後に有難うという言葉を付け加える。 性格的に勝気さがあり、自分のペースに合わせるタイプである。旅行へ行くことを承諾しているにもかかわらず、自分の体調が悪いことに断ることについて、私が旅行を進めたことで、自分の体よりお金が大事なのかということを私が言われるべきことでないと思う。
自分の体調は、自己管理の範疇で自分が責任を負う部分である。このことから、自分の体調の悪さで止めるとなれば、迷惑をかけるわけだから自分で何らかのリスクを負うことは当然である。
今の貴女の人間性で何処まで通用するかやってみるがいい。自ずから結果が出るだろう。
服を取り違え店に戻り、水割りを2杯程度飲んだ。店を出る際におあいそをしてもらった時にこの分はママから良いと言われてるのでと言われママの好意はわかるが、一旦席に座り飲んだことは事実だから、商売からすれば、それはそれこれはこれと思い3000円出した。ママに怒られるから受け取れないと言ったが、店にいた他のお客さんから次にきたときにストックしときなさいと言われ受け取った。受け取ったお金の管理が社撰なため、昨日、私が言わなければそのお金はどうなっていたんだろう。それは、お客に対し大変失礼な事であり、信頼を無くす原因ともなる。一番やってはいけない事を平気でやることに危機感が感じられない。たとえ、追いかけてきて、これ受け取って下さいといわれても根本である、まず、うっかりして大変申し訳ありませんという言葉が全然ないまま無理にお金をいれようとする態度が腹ただしかった。人間誰しも忘れる事は否定しないが、金銭にかかわることについては、メモをしておいて確認する習慣を身に付けるべきである。ずいぶん頭が良いか、全く気に掛けていないのかよくわからない。先週の水曜日の事なのに本人は全く頭の中にない。
非常にずる賢い感がある。苦手なタイプとしては、ガンというタイプで弱い部分をつかれると弱い。自分に非常に甘い人間である。非常に甘く人の責任にするのが当たり前という。
色恋については「男女とも」両方ビビリだから自分からいかんとまずうまくいかんよ。
仮にアプローチしてきた?と感じてもひょっとして?ってものを気づかなかったら、すんげー態度が悪くなるみたいなことはある。
(話てたら突然「でも〇〇くんのこと思ってる女の子いるのよ?」みたいなこと言われて、へーそうなんだ~、みたいに軽く返したら、なんかあれ?変な顔、、、と思って、なんかその後すんげー態度悪くなって、どうしたらいいもんか?と考えてそのまま疎遠。あるいは、何も考えず女の子から誘われて2人で遊ぶのを4,5回やって、その後態度が悪くなってどうしたらいいもんか?と考えてそのまま疎遠とか。)
色恋は基本うまくいかんもんだし、たまたまうまく行った1人と一生ともにいるんもんだ。
まあ、基本うまくいかんもんのくせに、周りはいじりたがるから、職場とか、就職に係るゼミとかでは絶対やめてよそでさがさんとならんけどな。異性ごときでキャリアダメにするのは非常に馬鹿らしいし。
毎晩のように脳裏に去来するから書き捨てておく。脳のメモリの節約になるだろう。
当方スペックは30代男。年上の妻と子供が1人いる。数年前、子供の手がかからなくなってきた頃、ネズミ講みたいなのにハマりだしたけど、自己実現の機会は必要だろうと思って静観してたら、結局ネズミ講システムで成り上がれないことがわかってきて荒れ始めた。そうこうするうちに証券の営業をしたいとか言い始めた。なんぼなんでも主婦上がりには務まらんやろと賛成も反対もせず静観してたら、採用までトントン拍子だった。挙げ句のうちに日本の証券営業は私が変えるとか凄いことを言い始めた。こういのって、反対しちゃダメなんだよね。かといって、聞き役に徹するのは中々キツいなぁ、と思っていたら、段々外出勝ちになって帰宅も遅くなり、着るもの、特に下着とかが派手になり始めた。幾ら鈍感な俺でも色々疑ってしまう。ただ、その時は悪気無かったんだが、妻がよく携帯を無くすのでその対策にGPS追跡をOnにしてた。ある晩、翌日になっても帰ってこなくなった。嫌な予感がしてGPSを確認するとラブホ街ど真ん中だった。現場に急行してホテル出入りの現場を押さえた。ただ、これ、ホントに情事の現場を押さえないと証拠にならないらしいね。
妻はヤッてないの一点張りだった。こっちとしてはまぁそこを追求しても埒があかないから「どっちでもいいよ。」と言っておいた。キツかったのは家族のために働いてるつもりだったのが、モチベが瓦解してしまったことかな。最初は、妻をそんな状態に追い込んだ自分が悪いんだろう、と考えた。あまり家事をしない方だったが、この日を境にまぁまぁやるようになった。というか後述の理由でせざるを得なくなったのだが。一方で妻には「もう朝帰りはするな。」と約束させたが、その約束は再三破られた。証券会社からはノルマが課され、営業のためにむしろ連日深夜帰宅となった。約束を守らない妻を詰ることが増え、家の雰囲気は険悪になった。ここで、けじめをつけるために離婚するかどうかをかなり真剣に考えたが子供から母親を奪うことに踏み切れなかった。しかし、子供は敏感だ。荒れ始めた。
ただ、妻の浮気はその一晩だけで継続的なものではおそらく無かったのだろう、新しい職場で死ぬほど働いたお陰で頭角を現し、同性顧客を多く獲得して営業成績トップを争うようになった。仕事が落ち着くにつれて帰宅時間が常識的な時間になってきた。それは結構なことだが、家で自分の金融商品が如何に素晴らしいかを営業してくるのには閉口した。正直なところ、惚れた女房だから妻にも未練があったし、子供には尚更未練があった。離婚となればこのような場合でも子供は妻に持っていかれて養育費を払わねばならない可能性が高い。今戦うのは損だ。自分にそう言い聞かせた。だが、10年後、20年後になればこの女も若さを失い、ただの金に汚い人になる。子供達も善悪の区別がつくようになるだろう。だが、妻の不義は墓場に持っていって、将来は性格の不一致で決着をつけよう。短期戦から長期戦に切り替え、将来の安息ではなく将来の戦いのために現在も仕事で戦うという変なモチベを自分に湧かせて生きる気力を維持した。
しかし、こんなモチベが長続きするわけ無い。何もかも馬鹿らしくなってきて、仕事に対する熱意が冷めてきた。こんなに闘争心のない俺、将来戦えるのと自問自答する毎日だった。妻はそろそろ家を買おうよとか言ってきたが、信じられない奴と共同名義で大きな買い物をするなんて馬鹿げてるので生返事ばかりしてた。
こういうクソみたいな状況に異変が生じた。妻が大病を患い、余命数ヶ月と宣告された。この時生じたのはザマミロという感情よりも子供のためにも今死なれるのは困るという打算だった。そのころには感情が摩滅してたので悲しいとかいう感情はほぼなかった。数ヶ月、治療と看病を頑張った結果、5年後の生存率4割というところまで状態が持ち直した。
この間、妻の私に対する態度は大きく変わった。頭というか勘は元々いいから、私との間に未来がない、ということも薄々察してたようで、病気する前は家族写真から私を除外するとか、嫌がらせがひどかった。それが、気持ち悪いぐらい私に対して甲斐甲斐しくなった。
私の方は、貯蓄の何割かは離婚の係争費用にあてるつもりだったのが多少拍子抜けした。将来こんな半病人相手に俺は全力で闘えるのか? というか、妻は戦意ゼロ。ただ、勝ち負けというよりも完全に人間不信に陥ってるから、それを拭えない。例えば、私が病気して妻より弱ったら逆に見捨てられるんじゃね? とか。ごくごく客観的に見ると妻は地頭はいいが、信じられるかどうかで言うと信用できない人間だ。将来私が病気したりして強弱関係が再逆転するとどう出るかわからない。
そういうわけで将来設計は和戦両方を考えねばならない状況があんまり変わったように思えない。世間の人の多くはもうちょっと配偶者を信じることができてるんだろうと考えると、自分の人を見る目の無さには笑うしかない。別に今すぐ死のうとは思わないけど、とにかく生きるモチベが上がらないのはどうしたらいいのかな。
↑を書いた元増田です。
結局、リズと青い鳥を観に行った。
名作名作と言われていても、正直、本当に観る気になれなかったのだが、そんな気持ちを押し殺して行った結果は、予想を裏切る満足感だった。
再販後再売り切れのパンフレット目当てに、もう一回くらい観に行きたくなる程度に心惹かれた。
そして、優れた京アニ作品はもう一回もう一回と、「観たくなる」というより「味わいたくなる」んだっけ…と、TV版の響けユーフォ以来、久しぶりに思い出した。
辛い結果、冷ややかに感じるみたいな。そう、マティーニのように。
よく辛いお酒が人生の辛酸を舐めるほどに美味くなると言われるが、その感覚に近い。
まあ10代はお酒飲めない(ことになっている)けど、お酒飲めなくても、辛口の酒が美味しく感じる程度に辛酸はある。
そんなことを思わずにいられなかった。
自分が希美よりもみぞれの方が遥かに近いタイプだから、尚更そう感じたのかも知れない。
とにかく観ている間、全編に漂うみぞれの危うさと、希美の良くも悪くも深く考えない能天気さが引き起こす、眉間が痛くなるようなすれ違いにハラハラし通しだった。
だからこそ、最後は心底ホッとしたというか、これ以上ないくらいほっこりさせられた。なんというか、余韻漂う後味まで美味しく頂いてしまった。
見事なくらい青春の1ページを切り取ってくれたもんだと感心させられた。
そんなことが出来たのは、業界最高レベルの絵の上手さが前提にあることは言うまでもない。
だから京アニは、その美麗な絵が表現している物語がつまらないものにならないようマネージメントしていれば、良作をどんどん量産できるスタジオだと、本作を観て確信した。
声優については、主演の種崎敦美氏がパーフェクトなのは勿論だが、相方の東山奈央氏の、芸の懐の深さにも驚かされた。
似たようなポジションの役としてはゆるキャン△に続く、素晴らしい仕事ぶりだ。
この、メロディに対して、オブリガードをはじめあの手この手で合いの手を入れる「女房役」は、ある意味では主役以上に難しい上に、その負担に比べて報われにくいポジションだ。
だからそれをやってのける人は、主演よりも芸達者な所を必ず内包しているし、どんどん労いたい。
脇役の「なかよし川」も、ちょい役出演だった「北宇治カルテット」も、絶妙なスパイスとして素晴らしい存在感を見せていた。
ともかく、このアニメにテンプレ的キャッキャウフフを期待すると、その口当たりの辛さに閉口するだろう。
まあそんな人いないだろうというか、youtubeで流れているPVでそういうのを期待させないようにしているのは、良い広告戦略だと思う。
問題は、淡麗辛口が美味しいことをどう予告するか、かな。自分が鈍くて感じ取れなかっただけかも知れないけど。
ああそうそう瑣末な話だけど、いくら強豪校であっても、高校の吹奏楽部にコントラファゴットやハープなんてねーよ!音大付属のガッコじゃあるまいし。
敢えてツッコむとすればそこら辺?
変更前
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
変更後
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
偉大なる元増田様
https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)
https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045
archive.is
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。