はてなキーワード: 報酬系とは
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
そうではない
人間の観測の終わりは観測者を失った無制限の反転の始まりであり、恐怖という生命からの観測の拠り所を失った無制限な観測は、一転してある種生命の喜びに似た様相を示す
泉が流れる様がキラキラとして美しく輝いていて美しく喜ばしいと感じた事はないだろうか?
生命の本質からすると泉よりも自己の人生の方が重要である。泉の周囲に危険がないか、泉の水は飲めるのか、泉を見つけたことで他の群れの仲間から認められたり誉められたり尊敬されたりするのではないか、明日の飯は何か、より社会的に成功するためにはどうすべきか、よりよい異性を獲得するにはどうすべきか、泉に時間を使うのが勿体無いか、泉で休みたいか、泉を見るのも面倒臭いので寝たいか、病気の母がいるか、そんなところである。生命は生存のために作られた観測に自己のアイデンティティを見出してしまう。
しかし、恐れ、心配し、無関心で、関心を持ち、その取捨選択を成せるのは報酬系の機能である。
泉は観測される前は美しく喜びに溢れ、山々も地面も花々も全て喜びに溢れていた。(報酬系が見せる喜びの錯覚とは違う)
生体機能が高度になり、情報の取捨と条件付けが生体自身に観測に「連続性と同一性」という錯覚を与えて、その一瞬一瞬の連続体について自己と認識して同化してしまうシステムのために、世界が美しいことが見えなくなってしまっている、という指摘の歌なのである。
個人的にワーキングメモリーを鍛えるのに役立ったなと感じた事を挙げる。
自分も増田の言及している人物と似たようなレベルだったが、これらを続けて別人レベルに改善されたと思う。
まだまだこういった情報は世の中に普及してないので、知らずにもったいない人生を送っている人がたくさんいるだろう。
これはマジで効く。騙されたと思ってこんまりの本を読んでから思いっきり断捨離してほしい。
(なぜ先にこんまりの本を読むかというと、物が多いやつが自分のそれまでの考え方を引き継いで断捨離したところで捨てられないままだからだ。外部からマインドに介入する必要がある)
物の多さに専有されてた脳内メモリーが解放されかなり頭がスッキリする。
何があるか、どの場所にあるか、いくつあるか、普段は意識してなくても無意識に脳が使われていた諸々の情報が一気にクリアされるのだから当然だ。
ADHDだから物に溢れるのではなく、物にあふれているからADHD傾向が高まるという側面も大いにあると思っている。
我々の脳は以前として原始のままで、現代に適応しきれていない。だから原始脳ベースで考える必要がある。
次の食べ物にいつありつけるかわからない時代の原始のままの脳は、食べ物を見ると自動的に脳の報酬系にスイッチを入れ食べたくなる。
我々は原始脳の「自動的に行われること」から逃れられない。ならばそれは環境でコントロールするしかない。
物が雑然と溢れている状態は敵がどこに隠れているかわからないような状態だ。
常に無意識的に周囲の状況を把握し気を配りマルチタスクが行われている。
物が多いとそれだけで注意散漫になるのだ。(※1)
(※1 参考1・https://wired.jp/2016/04/22/clutter-and-creativity/ )
(※1 参考2・https://studyhacker.net/what-is-dmn)
これだけでかなり効果がある
これも効く。脳の灰白質が物理的に増加するので効くに決まっている。
ただしこちらは即効性はない。根気よく続けることで徐々に効いていく。
最初は1分やるだけでも落ち着いていられないが、徐々に長い時間できるようになる。
20分以上が良いと言われているが、忙しさとの兼ね合いもあるので自分は毎日10分やるようにしている。
先延ばしにしている事があると、常に脳の中にその出来事がキープされていて、マルチタスクをしてるのと同じ状態になる。
これはワーキングメモリーを圧迫する一因となる。
これを処理するだけでもかなりワーキングメモリーが解放される。
郵便物や書類、未処理のまま溜まってませんか?こいつらの有害性はすごいよ
すぐ処理するか、いらん書類は捨てよう。経費と関係ないレシートとっててもWM圧迫するだけで意味ないよ?(かつての自分へ)
心配事や先延ばしにしていること、何でもいいので頭の中でわちゃわちゃしている事を一旦紙に書き出そう。
脳内だけで処理していたものを外部に書き出すことで、頭の中のごちゃごちゃが鮮明になりスッキリする。
厳密なやり方にこだわる必要はない。とにかく書き出して「全部見えるように」する。
とにかく選択肢を減らす事。
数十円のお得のためにワーキングメモリーを台無しにするのはもっと大きな損失を被っている。小を捨て大に就こう
あとこれは自分は試してないけど「Nバック課題」ってのが効くという噂→https://yuchrszk.blogspot.com/2016/11/2016_30.html
ちなみに自分はここに書いた情報の大部分をDaiGoやパレオな男さんから仕入れていたので、人間的弱者こそ侮らずに両名やその他エビデンスベースの人生指南に頼るといいだろう
ということでオススメの書籍も紹介しておく。どれもエビデンスベースの本なので人間の性質への理解が深まり、改善のヒントになるはずだ。
興味があったらぜひ読んでみてほしい
脳の神経可塑性、つまり脳は後天的な訓練で変えられるぞ!という内容が書いてある
脳には神経可塑性があるという事を知ってると知らずとでは、行動やモチベーションに大きな変容がある。
これを知らないと、どうせ何をやっても変わらない、何の意味もないと投げやりな人間になってしまいがちだ。
自分をマシにするモチベーションのためにも読んでおくと役に立つ。
等々
どちらも自己コントロールをするエネルギーの源泉(意志力)について。
前者は平易な文章、後者はやや権威的な文章で書いてある。ちなみに意志力の提唱者は後者。
第6章から「ADHDも運動で改善できるぞ!」って事が30ページを割いて書いてある。
俗なタイトルからは脳筋な内容しか連想されないがきちんと科学的なエビデンスベースの本である。
等々
一部抜粋
ドーパミンとノルアドレナリンが注意システムの調整において主導的な役割を果たしていることを考えると、ごく大まかな説明ではあるが、運動によってADHDの症状が緩和されるのはこの2つの神経伝達物質が増えるためだと言える。それも"すぐ増える"のだ。(P200冒頭)
※ちなみにこの本で効果的と示されてるのは筋トレではなくジョギング等の有酸素運動のほうである。
この本に関しては自分が読んだわけではないがブコメで推薦されていた物。
中身の紹介を見てみたが、まさに自分がここに書いた内容が体系的にまとめられていて、とても良さそうだったので薦めておく。
他の4冊はワーキングメモリーそのものに言及した内容ではないので、時間がない人はまずはこの一冊だけで良さげ。
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/52112063.html
なんか思いの外バズったので、もしかしたらこういう情報が需要があるかもしれないので書いておく。
自分はこの増田を、かつての自分みたいな人を助けたい、役立ちたいと思って書いたので、もしこの記事を紹介、転載したいというメディアの方がいたらどうぞ無許可で広めてくださって結構です。フル引用も可です。
「ここに書いてあることを習慣化できたら苦労してないんだよ!」という人にオススメの書籍
脳は急激な変化を拒むがグラデーションのような連続的な変化には気付きづらい。
その脳の特性を理解し、自分の脳を騙して脳が気付かないくらいの小さな変化から習慣化していこうというアプローチの本だ。
自分の例でいえば、最初は瞑想を1分から始め、徐々に強度をあげていった。
挫折するのは気張るから。本当にバカバカしいくらいに意識の低い「しょぼい習慣」から始めよう。
歯磨きやシャワー・お風呂など、日常の中の既に習慣化されている事にフックして習慣化するIf-Thenルール(If-Thenプランニング)もオススメだ。(例・朝のシャワーあがりに瞑想する等)
傾向と対策が分かっていたらそれは既に答えなので、探る手法はいくつかあると思う。
全く検討もつかないことなら日々行うことが前提なので、 KPT を記述するのが楽だ。
Keep 、今日やって、これからも続けたいこと、良かったこと
Problem 、失敗したこと、何かにネガティブなときはこればかり目につくので、しばらくこれを記述しないのもありかも
Try、 これからどうする、 Keep するものでも Problem でも、この先どうするか、しばらく経ったあとで今それが起こったらどうするか、というのは重要だ。でもそれも明確な答えがどこかにあるわけじゃなから、 Keep や Problem を見て、何を「やってみる」か、を記述する。やってみて駄目だったら次を考えるし、良かったら続けようなんて思わなくても報酬系が回って続く。毎日何かをやってみることで見えることがある。
自分はビジネス書とか好きじゃないんで、組織を運営する立場の人と話していて「それはすぐできそうだしやることが明確」と思ったのがこれだった、というだけなんだけど。
フェミニストがこういう会社に質問状出して締めてくれたらすごいことになるよ。
そうなったら私だけでなく世間みんながフェミニストを応援するよ。
会社の社長引きずり出して謝罪させたら大喝采、フェミニストは世間のスーパーヒーローになるよ。
世間が強く許せないと感じるものとフェミニズムの思想的に容認できないものが見事に一致してる。
なんでこういうのにぶつかりに行ってくれないんだろう。
もちろん他力本願だけど、ぶつかりに行ってるのを見たら全力で応援するし拡散するしお布施するし喝采するよ。
アウトなのかセーフなのか微妙なラインかつ松戸だの秋葉だのの片隅にあるチンケなオタクポスターやムービーに是非を掛けたって
キモオタが大騒ぎして敵に回る&キモオタ以外の世間は無関心で何の功績とも思わないってなって
言っちゃなんだけどフェミニストという集団に何の手柄も利益も積まれないじゃん。
またフェミニズムの思想から言ってもああいうものを狩るのが絶対に必要なのかかなり微妙だと思う。
・キモオタは変に話が噛み合うので叩くと手ごたえがあり党派意識を刺激してくれる(世間的にはコップの中の嵐)
キモオタと延々戦うのってフェミニストの利益にならないしフェミニズムという思想の実践としてもそこまで有意義ではないんじゃないかなって感じ。
キモオタの色んな表現を制限するのって社会の中で困ってる女性にとって優先度の高いタスクなのかな?
本当の社会の悪と戦ってくれないだろうか。
そうしたら絶対社会から尊敬されるしキモオタの中からすらフェミニストのファンは出てくるよ。
キモオタはみんな電通やサイバーエージェントみたいな文化大嫌いだし男性文化だって嫌ってるよ。
フェミニストが上から目線で説教したりコンテンツ制限かけたりすると牙をむくだけで。
でも作品だってちゃんと見てればジャンプ作品ですらどんどん変わっていってるよ。
呪術廻戦とかチェンソーマンとか鬼滅の刃とか見てもジャンプ漫画は旧態的な女性観にとどまってると思う?
読んだうえでの相手の立場を考慮した批判なら聞く耳持つキモオタだって一定数いるよ。本当に。
元増田の会社みたいな誰から見てもクソな文化の社会のエネミーがまだまだたくさんいて
そうやって実績積み重ねたら現状の反フェミやキモオタですら一目置いた下手の態度になるよ。
本当にビジョンと志と実行次第でフェミニストはヒーローになると思う。
撃ってない・・・
いまの統一教会がどうこうの泥沼もさっさと撤収すればいいのにと思いながら見てます
はっきり言ってこの話も世間的には全然興味持たれない話だと思いますよ
「note記事デマでした!今回は確認不足でした失礼!」って切りあげちゃえば終わりだと思う
もしかしたらヤメて次の話始めようとしてるのかもしれないけど
全然違う話を始めればいいのにって思う
kuzudokuzu 「私のヒーローになって」はわざとネジ曲げると、「私のためにあなたの人生を捧げて」をヒーローという耳触りのいい言葉で洗浄してるだけなので、無意識なら増田は気をつけた方がいいよ。無責任なモブの論理だから。
2021/10/04
もちろん普通の人にこんなこと頼めないけど
フェミニストの人たちは普通の人ではないヒーロー志望者に見える
キモオタと戦うことに凄いリソースと情熱を投下してて全然普通の人じゃない
それならあっちをやった方がwin-win-winではないでしょうかと