はてなキーワード: 創作物とは
2期見て変な話だが目が覚めた
魔法が解けたというか
よくよく考えてみたら、こんな設定や雰囲気のアニメ見るわけなかった
テレビでザッピングしてたら、たまたまNHK教育でこんなアニメがやってるかもしれない
今期アニメリストの中で、ターゲットが自分ではないと判定するタイプのアニメだ
アニメは悪くない、ただそれはおもちゃコーナーに置いてあって、おっさんの私はそこを通り過ぎるだけの存在だ
子供をあやすためのきぐるみのようなモデルだったが、中に入ってる奴は何らかの達人だった
目を奪われ、心を奪われた
何かアニメが成功すると、皆ジャンルや設定を分析したがるが、もっとそれ以外の言葉や形にしづらい無形の何かが人の心を掴むのではないか
そう言えば結構前に、ゾンビランドサガとけもフレが似てると書いた
ゾンビランドサガも、「ゾンビ」「アイドル」「佐賀」がキーワードであって
たぶん多くの人にとってパワーワードというよりは、スルーする存在だったと思う
特撮に一ミリも興味が無いのにグリッドマンを見たのも魔法がかけられていたからだし
そういった魔法があって、視聴者に「これは最高だ」と言わしめて、ようやく足切りラインにアニメは至る
別に魔法が掛かっていないことは悪いことではない、むしろ魔法が掛けられている方が異常で特別なことだ
何の興味もなかったスポーツや、舞台となった御当地に憧れを持つのだって、魔法がかかってるからだ
アニメには魔法が必要で、だから上手くやるのはかなり難しく厳しい
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いや、どちらかというと私は1期ニコ生1話から見てて、全力で拡散したタイプだよ
ここでも10個以上はけもフレ関係の日記書いた(仕事中に書いた)
どっちも前評判よくなかったね、私は運良く目敏く察した
流行ってるのに感化されちゃう人はたしかに居るね(それでも限度があるけどね。魔法効果が高まるくらい?)
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ほかの創作物でも似ているけど、12回という視聴する/しないジャッジが入るとか、深夜だから明確な意思を持たないと見るに至らないとか、1話抜かすと分からなくなりやすいとか
そういうところが他よりシビアだなと思う
加えて最近は数が多い
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考えてみたら元はゲームだし深夜アニメだから子供向けじゃないし
なんかよく分からなくなってきた
→塔あるらしいので神
(三ツ星カラーズ+ごちうさ+ゆゆ式+ミルキィホームズ)÷4って感じ
うざメイド系かと思ったら、まさかのコミック百合姫、つまりガチ恋である(あ、うざメイドも一応ガチ恋か)
それが吉と出るか凶と出るか
グリッドマンのアカネのその後とか言われててワロタ(ニコ動で見ると面白い)
追記:2話もすごく良かった、これはすごく良い(語彙力)
そういうとこが好きー
「クスッ、お可愛いこと」
アホアニメだったw
皆ポンコツっぽくて好き
2話まで見た
どストレートな設定だ。すげー緊張感で震える
俺も好きだよ
→2話で視聴確定
3分アニメ化と思ったら30分枠だった、と思ったら3分アニメだった
すごくいい感じだったので極力見たい
原作は知らない、いろんな創作物の元ネタになってそうなあたりも面白い
1期アニメ、小説と断念してきたので、自分には合わないと思ったんだが
2話まで見て「ひょっとして面白いかも」みたいに思えた
なろう系アニメ
ゲーム世界を攻略するタイプの作品だから多分好きだと思うんだけど
1話の周りのキャラがちょっと説明的過ぎた感じがする、4話までは見る
設定は面白いんだけど、なんかキャラの台詞回しとかに違和感ある
(こういうのよく当たる)
3話までは見る
→2話で安定したので視聴決定
流し見しよう
猫しゃべると思わなかった
→断念しそう
流し見かな?見るの多くて断念しそう。すでに断念しかけてる。
→ほぼ断念
どうすんだこれw
完全にニコ動向け
ああ、これスピンオフだったんだ
2話まで見た
魔法少女モノもいっぱいあるが、何ていうんだろう
昔のギャルゲにありそうな設定?
(未来日記とかそうだった)
ゲーム原作はやっぱ設定が並列かつ膨大だから、アニメにすると説明しきれない傾向があると思う
2話まで見た。なんか、普通だった。
ドラマでできるような作品で、百合でもホモでもないなら視聴対象から外れてしまう、何でだろう
Netflixじゃん
普段はもっと7割くらい切る事が多いんだけど、今期の生き残り率高すぎる
関係ないけど、異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術イッキ見した
完全にかぐや様にハマった
目つき悪い主人公はハズレないなw
匿名ダイアリー初心者なので、不備があったらごめんなさいと初めに言っておきます。
私は小さな頃からお絵描きが大好きだった。筋金入りのオタクであり、家庭もオタクとして受け入れてくれたので、好き放題お絵描きしていた。私は発達障害なんだけど、星のカービィが大好きで、ずっとカービィやカービィに出てくるアドレーヌやリボンちゃんやチュチュを描いてた。後に知ったが発達障害あるあるとのことでビックリした。
幼稚園、小学校低学年あたり。私は誰かと遊ぶよりお絵描きを選んでいた。同じようにお絵描きを一緒にするクラスメイトがいたので、その子達と教室でひっそり、時には熱の篭った語り合いをしたりと、オタクながらそういう楽しみがあった。まぁオタクだとバカにされいじめられてたけど、それでも漫画が大好きで、お絵描きが好きだった。それだけで生きてた。ゲームして、お絵描きして、本読んで、漫画読んで、おやつ食って、寝てた。我ながら、マイペース過ぎると思うが、幼い頃の私にとってそれが当たり前だった。
お絵描きをしていて、20数年間、一度も褒められたことはない。これは誇張でも何でもなく、本当に誰からも褒められたこと、上手だね、と言われたことが、これっぽっちもない。親からも「あんたは絵の才能ないよ」と言われるほど、絵の才能というものは無かった。
褒められないのに描き続けるって、すごいと思う。幼い頃の私は自我が余り芽生えていなかったせいか、他人の賞賛に気を取られることがそこまで無かった。ていうか、褒められたことがなかったので、そういうもんだと思ってた。その頃の私は、とにかく、絵を描くことが大好きだった。お話を考えるのが好きだったので、将来は漫画家になるんだと勝手に決めていた。
私の同じクラスに、とても絵が上手い子がいた。
イラストがオタク的なことを踏まえても、クラス中から「上手いね」とワラワラ集まってくるほど、上手だった。その子と私はそんなに仲良くなかったけど、親同士が仲がよかったため自然と距離が縮まっていった。そうなると、自然な流れでお絵描き仲間になる。
私はその子が好きだった。イラストも上手だし、性格も大人びていて、何事もスマートに済ませるタイプだった。ドン臭くてオタクでいじめられがちな私とは全く違う子だった。
大好きだった。けれど、ドン臭い私だけど、直接面と向かって比較されるのは、流石に堪えるものがあった。
悔しくて夜は泣いてた。私は私の絵が好きだったから。絵を描くのが好きだったから。好きでやってんのに、勝手にその世界に踏み込んできて「あなたの絵はあの子に比べてあんまり上手くないね」と値踏みしてくる。その無神経さに、私はだんだんとコンプレックスというものを覚えるようになった。
傷付くだけでは癪なので、バカの一つ覚えみたいに描いていたスタイルを変えた。絵柄を研究したのだ。当時大流行りだったありなっちには絶大な影響を受けたし、他にも「こういう目の描き方はどうだろう」とか「もっと手や足のバランスを考えなくちゃ」とか、おバカなりにも頑張ったのだ。もがいたのだ。私の世界を踏みにじられないように。
私の努力は余り実らなかった。まず第一声が「絵柄が変わりすぎて、変だ」と言われたこと。その時は、その言葉が重すぎて、自分の絵柄ってなんだろう、ていうか褒めたことひとつもないくせに絵柄がどうとか今更なんなんだ、と思った。
一番心に残っていることは、まだ幼稚園とか保育園あがりの下級生に言われたこと。
その子供たちは件の絵の上手い子のイラストを見て「この人!すごい!じょうず!きれい!」とはしゃいでいた。その次に、私の絵を見て「この人の絵は好きじゃない」と、ハッキリと、何の悪意もなく、見ず知らずの私の絵に向かって、そう言ったのだ。私はそれをドアの向こうで聞いてしまったのだ。
あ、私、絵が下手なんだ。
ハッキリと理解出来たのは、多分、その時が初めてだったと思う。
同時に、やんわりとだけど「絵が下手ということは、他人に不快感を与える」ということが心にずっしりとのしかかってきた。
その子に対するコンプレックスは、結局消えることがなかった。拗らせまくった私はその子のイラストをパクっちゃうようになった。上記のバックボーンを読み解けばお分かり頂けるだろうと信じる。ただ教師からすれば、私は他人の絵やアイディアを盗む問題児だった。何度も注意された。他のクラスメイトたちの前で注意されたので、ビックリするくらいの速さで「記事主(私です)は絵が下手だからパクってる最低のやつだ」と情報が出回った。つまり、子供ながらに、こいつはコンプレックスに溺れてる奴なんだ、ということが知れ渡ってしまったのだ。その通りなんだから、私は何も言わなかった。口数は減り、絵を描くことへのコンプレックスや、その子に対するコンプレックスはどんどん膨らんでいった。
話はトンと変わる。
私はそんな小学校生活が嫌すぎて、私立中学へ進学した。心機一転し、お絵描き仲間もいたので、アホみたいにずっとオタク話をしつつ絵を描いて手紙交換してた。相変わらず褒められることは特になかったけど、絵を描く楽しさは少し取り戻せた。
進路を決めるとき、なぜだか分からないけど、当たり前のように美大進学をする流れになった。オタクだし、いつも落書きしてるし、じゃあ美大でしょ?みたいなノリでみんな美大進学を決めていた。
私は、その"ノリ"に、ある種の嫌悪感を覚えた。
だって、誰からも褒められたことの無い人が、なんでその手の専門分野にノコノコと踏み込めるの?コンプレックスが心の底で燻っていたんだと思う。私は絵が下手だ。好きだけど、下手なんだ。いくら勉強しても、努力しても、ダメなもんは、ダメなんだ……。
「いつも絵かいてるなら任せてもいいよね?」と勝手に頼まれた文化祭の表紙絵。部活のチラシ。頑張って描いた。オタクっぽさを抑えたつもりで、なおかつ、見栄えするように色んなイラスト雑誌を参考にして、描いた。「オタクっぽくないやつってお願いしたんですけどね」「え?マジでこれ、人前に出すの?」どれもこれも、散々言われて、却下された。ねぇそれ、寝ないで描いたんだけど。下手なのは分かってる。でも、そんな一蹴されてもね、私は、どうしたらいいんだろうね。そんな言葉を言うくらいなら頼まないでよ。好きで下手なんじゃないんだよ。好きで描いてんの。何時間も構図考えて装飾も書き込んで細いペンでガリガリ描いたの。わかんないよね、だってあなた達はジャッジする側の人だから。絵が下手だと、気持ち悪いと、判断を下すのは、至って簡単なことなんだ。
学生なんだから仕方ないよ、と、思った方もいるでしょう。子供だし言葉選びが出来ない面もあったと思うし、私自身好かれてるわけじゃなかったのかもしれない。
3年ほど前だろうか、私はあるジャンルにおいてとても活発に活動していた。
学生の頃の対人関係は断ち切って、趣味に打ち込んでいた。その一環で、少しだけだがイラストを描いていた。ほんの少しだし、やっぱり評価はなかった。でもそのジャンルで、初めて、褒められることがあった。初めてだった。そのおかげで私は一次創作が大好きになったし、今でも感謝している。だからイラストよりも他のことで満たされていた。とても幸せな日々だった。充実していたし、ここにいていいんだ、と思えた。
そのジャンルで、とても過激な人がいた。ビックリするほど過激だった。言いたい放題言いまくり、形容し難いがともかく人格に異常があるんじゃないか?ということが多々あり、私は彼女と険悪であった。というか私が一方的に嫌っていた。その人は要するに絵描きで他のジャンルでも活躍している方だった。
私がその方を嫌っているということが知れ渡った途端、数人が「ブログ主は、絵が描けないからね」「絵が描けないからって、嫉妬丸出しで恥ずかしい」と言っている、ということを、人づてに耳にした。その悪口を言っている人達は、普段、私と懇意にしている人達だった。
サーっと血の気が引いて、ガラガラと積み重なっていたものが崩れていった。どうやって辿り着いたか分からないが、病院に行き、過呼吸を起こし泣き崩れた。あまり覚えてないが、安定剤を投与され、しばらく横になっていたのはうっすら覚えている。
まだ言われるんだ。
いつまでも、イラストが下手だって、描けない人間なんだって、カテゴライズされるんだ。
気持ち悪いとか不快とか怒ったとか、そういうのは、あまりなかった。
カテゴライズされることは、子供だからとかそういうわけじゃなくて、大人になっても、こびりついてくるものなんだ。イラストを描ける、描けない。上手い、下手。こんなことで、人間を仕分けるんだ。ニコニコ笑って遊んでても、心のどこかで「こいつは絵が下手だから」こうやって思ってんだ。
ぶん殴られた気分だった。ゴルフクラブでフルスイングされたくらい、衝撃だった。結論から言うと、絵が描けなくなった。絵だけじゃない。創作物全般が、だめになった。絵描きさんが、怖くなった。
たまに見かける、絵師は絵師だけでしか交流しないという愚痴。私は愚痴すら出てこない。そういうもんだろ?ってもう決めつけてるから。技術を持った者同士が仲良くなるのは当然のことだし。ただ上記のことで分かったのは絵師同士でも裏側ではバチバチ険悪な場合があるってこと。あと、私の子供の頃みたいにコンプとリスペクトが混ざりあってごちゃごちゃになって結果絵柄やストーリーはてには日常生活までパクっちゃう人もいること。悪意があるにしろないにしろ、そういう人々も、結構いた。
なんで私が突然こんな自分語りを始めたかというと、おそらく5年振りくらいにペンタブに触ったからなんです。結論から言うと、楽しかった。ここ数ヶ月スケッチブックに絵を描いてたんだけど、やはりコンプレックスが強すぎて画像載せても消してしまってた。界隈にはイラスト激ウマ人間ゴロゴロいるし、比較されたくない一心だった。
余りデジタルは触ったことなく、ペンタブもホコリ被ってたけど、手探りでペンタブを弄ってたら、楽しかった。語彙力皆無で申し訳ないんだけど、楽しかったの。お腹も空かなかったくらい、熱中した。もちろん下手くそなので評価とかはない。でも楽しいし自分なりに上手く出来たんじゃな〜い?みたいな自己肯定感が生まれた。
お絵描きへのコンプレックスは消えることないと思う。でも、やっぱり私はお絵描きが好きなんだ。誰からも評価されないけど、私は私の絵が好きだ。下手だなって思うけど、自分なりに上手く描けたなってとき、それは宝物になるよ。ぜったいに。
ゆるりと同人活動している者なんですけど、
その売り子さんは特に創作活動している訳でもなく、レイヤーさんとかでもないんだけど、
毎回の所属サークルの新刊を「うちの本です」と言って渡してくる。
気になるのは、その売り子さんは本の内容には全く関わっていないこと。
奥付等に手伝った人とかで名前が出てくるわけでもない。
個人的には新刊交換って名刺交換みたいな意味もあると思ってるので、
なんというか他人の名刺を渡されて挨拶を受けているような感覚でどうしても気持ち悪い…。
本を渡される以上こちらも申し訳なくてこちらの本を差し出すので、毎回新刊交換する感じになっていて、
向こう的にはかなり親密になっていると思われているように感じるけど、
こちらとしては、他人の創作物を我が物顔で使っているようにしか見えなくて、
はてな匿名ダイアリーなる物を見つけ見てみたらなんと結構人々のホンネがカキコされていて驚きΣ(´∀`;)ナントォ!!
特に印象に残ったのは同人を辞められない人の話。自分の創作物を楽しんでもらった快感から同人が辞められないとか。
書く云うワタシも同人をやりたい(そして副収入にしたい)が為に5ヶ月ほどデッサン教室に通っているクチだが、如何せんいつになったら人物が上手く描けるのか見通しが一切立たない始末。
コレハスゴイ ヮ(゚д゚)ォ!
だって同人って儲からないって聞くじゃない?( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー
だから道の途中にいる(そして金の亡者である)ワタシ的には結構な勇気を頂いたワケだ。
何よりも、同人という趣味に理解が無かった恋人から4年間かけて理解を得る事ができるようになったとかとても凄いことだと思う。
そんなワケで はてな匿名ダイアリー anonymous diary 別名"増田" (どうでもいいけどこういう呼び方ってカッコイイよネ)
そして、時折見返しては
(;'A`)ウワァァ!!
ってなったり
ε-(´∀`*)プッ
ってなりたいと思うのさ。
ってことで、一つよろしく。
( ´Д`)ノ~シクヨロー
あくまでもエビデンスが乏しい憶測語りということを前提に読んでほしいんだけど、
日本は「特定層向け」を意識して作られた作品の領分が大きいのではないか…と思うんだよね。
この2つの違いは「嫌なら見るな!」が通じるか通じないかのチガイ。
海外はありとあらゆる層が見ることを想定して創作をしなけらばならない。だから嫌なら見るなが通じない。
その一方で日本は特定層向けが多い。男向け女向けは無論、子供向け大人向けオタク向けウェイ向け…
あらゆる層を意識した作品が少なめなんであるし、かかる批判について
「お前に向けて作った作品ではない!嫌なら見るな」で済ませることが容易である。
この差異が、海外産であるところのポリコレやら多様性やらを日本に当てはめようとしても、
もう一度言っとくけど、所詮エビデンス乏しい憶測語りだからね。
広義をとれば指すことはある。
しかし「その人固有の性格、人間的特性」くらいの意味であれば、ヤンキーに憧れるとかサッカーを始めるだとかは偶有的属性であり、
それ以前の、アウトローに格好良さを見出したり、競技を通して自己実現しようと思ったりするところまでがそうだろう。
何で「明らかに」なの?
まず、自分ならば老女ものポルノをいくら見せられようがたまたま見てしまおうが、老女を性的に好むようになったりはしない。
他者の観察経験や各種の知見からも、もともと受け手に素地が無い性的欲求を植え付けることは出来ないと考えている。
が、それにあなたが同意しないのならばそこは尊重し「明らか」は撤回する。
しかしそこを措いても、「幼児を性的に意識するから、ロリ漫画を読む」のと外形的に区別は付き難いはずであり、ロリ漫画を読むことで幼児を性的に意識するようになると考える根拠の提出は必要だろう。
(それとも「ロリ漫画を読む奴は、幼児を性的に意識したりする」は影響の因果関係ではなく単なる事実の説明なのだろうか。そうとも読めるが、それならば影響の例として挙げること自体不適当だからそれはないか)
誰もそんな事言ってないんだけど、誰と戦ってるの?
前投稿の冒頭で言ったように、多くのオタクの言う「影響」は「犯罪が増える」といったメディア悪影響論に対する反論として出てきている、ごく狭義のもの。
そしてそういう文脈のなかに割って入ってきて「影響がある」と言ってのけることはつまり、「犯罪増加として顕在化するレベルの悪影響の存在」の肯定となる。(そういう「影響」はないよ、という立場を「いやあるだろ」と否定する以上はね)
もともとアウトローやら競技やらに親和的なやつが創作物の影響で、ヤンキーを好もうが清水次郎長を好もうがサッカーを始めようが野球を始めようが、その観点では「影響」はないと言っていい。(これはショートケーキかチーズケーキかに相当する話)
「その表現物が無ければ起こすはずのなかった逸脱」を起こさせるほどのものがここでいう「影響」であり、その要因となる「その表現物が無ければ起こらなかったはずの性向の変化」が「人格的影響」と呼ぶに値する、そう自分は考える。(これが「奪ってでも手に入れる」とか「甘いもの好かないやつがスイーツ好きに」に相当)
わかりにくいようですまんね。