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はてなキーワード: 内田樹とは

2018-05-21

ちきりんは終わった

ちきりんが終わっていた

数年前俺が愛したちきりんが終わっていた

革新的知識人がただの飽きられたブスになっていた

世の中の移り変わりは激しい

派手な花火ほどすぐに終わってしま

ちきりんは終わった

内田樹池田信夫ナントカ優も終わりだろう

人気者は長続きしない

栄枯盛衰ということか

学校教育競争原理持ち込むな

競争原理を持ち込む事で、効率の良い行いこそが正義になって学力低下ヤバイ

内田樹センセが何年も主張してるので、少なくともエリート層はすでに「真面目に働くと馬鹿を見る」になってんじゃねーかな?

2018-05-09

anond:20180509221831

と、ここまで書いたけどフランス文学については素晴らしい発言をされる優れた知性を持っているはずの内田樹さんや、政治経済といった門外漢のことについては頓珍漢なことをいう。物理学については素晴らしい知見をお持ちのキクチマコトさんもご覧の有様なので、卒論ちゃんと考えがつくというのはただの妄想かもしれない。

その辺の連中は専門分野のインプットが多すぎたせいでその分野だけに特化しちゃったタイプだよな。過学習してしまったAIみたいなもんだ。

専門分野に閉じこもってれば普通に有能扱いなのに、その分野で評価されたことで過剰な自己肯定感を得てしまって、専門外の分野に突っ込んでいったのがダメだったんだろう。

日本文系大学学部卒業しただけの人間は全員二流とみなすべき

Gabege In, Gabage Outという言葉がある。 何でもそうだけれど、たとえ考える力があっても、考えるための「最低限の知識」がなければ頓珍漢なことを言うものだ。

しかし、ちゃん大学卒論に取り組んだ人であれば、自分の考えを仮説としていったん保留し、それが正しいか検証したり、「そもそも自分にはまだ知識情報が足りていないのではないか。足りていないとしたらどんな情報か」について考える訓練をすることになる。なので、あまりにも政治信条の話などで無い限りは、頓珍漢なことを言う割合は減ってくる。

しかし、残念ながら大学生がみなそういう訓練を受けているわけではなく、文系のいくつかの学部ではそもそも卒論がなかったりする。東大一橋ですら卒論課題はない。基本的に「文系学部卒」の人は、そういう訓練をしないまま卒業出来てしまう人が多い。まして、言い方は悪いが偏差値の低い大学卒業している人は、自力で頑張った人以外は「そもそも思考の訓練を受けていない」として扱うべきなのではないか

企業採用活動って、営業職でもない限り、まずは学歴のものを問うより、卒論に関する教授評価を聞いたほうが早いと思うんだよね……。というより、それが学歴だと思う。東大法学部卒より、MARCHの院卒のほうが偉い、となってないのは大量一括採用の名残とリクナビの都合による不合理な慣習でしかないと思う。

研究企業は当然卒論を参考にするし、制作系やプログラム系も、制作物のPFを提出させるところが多いので必要なところはすでにそうしている。資格職は当然受験者に高いハードルを求める。コミュニケーション能力という意味でも、電通総合商社などは「推薦」という名の成果物が前提にある。

基本的に、そういう「成果物」の存在を前提としない方向性採用されない人間というのは、その時点で、たとえ東大卒であろうが「学歴」という意味では劣っているいると受け止めるべきだろう。 ネットでは就活面接対策などの話が語られるが、「面接」をしている時点ですでにスタート地点で遅れている。それでもポテンシャルが高い人間はそこで一発逆転できるチャンスがあるのだから能力の有る人間には良い制度だろうが、いつまで経っても採用の仕組みが改善されないのは「本命ではない、数合わせを採用するための仕組み」に過ぎないからであろう。

企業からすれば、「本当にポテンシャルが高い人間はこの仕組で十分一発でわかる」し、それ以外の人間は当たりであろうが外れであろうが構わない。大企業であれば有るほど、今の仕組みで優秀な人材必要な数採用できる限りは、コスト的には高いがリクナビなどに負担させているリスクを今更背負って新しい仕組みを目指すインセンティブがない。

かくして、今日も「不合理」でありながらも「十分に効率的」な制度ゾンビのように続き、文系大学生は、思考こそが武器なはずなのにまともな思考力すら教育されないまま大学卒業していくのである

と、ここまで書いたけどフランス文学については素晴らしい発言をされる優れた知性を持っているはずの内田樹さんや、政治経済といった門外漢のことについては頓珍漢なことをいう。物理学については素晴らしい知見をお持ちのキクチマコトさんもご覧の有様なので、卒論ちゃんと考えがつくというのはただの妄想かもしれない。

2018-02-12

社会貢献とやらについて考えた

募金ボランティアをやる人が、もっと増えるといいのに、と思う。

日本人社会貢献意識が薄いのは、単純に「周りのみんながやっていないから」だろう。

人は、みんながやっていることは簡単にやるのに、みんながやらないことは簡単に出来ない。当たり前だけど。

これはやるべきか否かという選択自分の手から離して、集団に任せてしまった方が基本的に楽だからだ。この判断善悪とは全く関係がない。

例えば、「殺人を犯すべきではない」というのは、”一般的に人は人を殺さないから、自分他人を殺さない”そんなマインドが実は根底にある。

逆に言えば、それが犯罪であっても、周りの人がみんなやっていれば、多くの人は流されてやるのだ。そんなことが膨らんで起きた凄惨事件がたくさんあったことは言うまでもない。

個人自我は人が想像するよりもずっと弱くて、その選択は多くの場で集団に左右される。だからこそ、社会的空気が変われば、きっともっと皆が自然募金ボランティアをして、遠い他人支援するのが当たり前の世界にもなるのにな、と思う。

そういえばたまに、「偽善である」という理由だけでボランティア全否定する人がいるけれど、「偽善であるからやらない」というのは理屈としてはおかしい。

感情として、”私は私のためだけに生きていきたいから、他人お金や労力なんて割かないよ”というのであれば、「私には時間お金がありません」で良いのだ。つまり偽善であるからやめなさい、とはならない。

しかし実際はそうではなくて、おそらく偽善者嫌いの人たちは、「自分は格好をつけない正直ものである」と言いたいのだろう。だけど実際人って気づかないところでたくさん見栄を切っているのではないか

それが人間なのだから、仮にボランティアという行為に格好をつけた部分があるとしても、いずれにしても放っておけばいい、のに。

そもそも募金ボランティアというのは、基本的には「弱者支援」だ。それは皆が受けてきたもの、受けるであろうものであることを忘れている人も多い。

どういうことか。

最初から大人だった人はいない。人間は誰しも最初子どもからスタートする。

子ども弱者典型だ。誰かが衣食住を与えなければ、大人にはならない。子育てとは一般的に、親から子に無償で与えられる支援のことを指すのだ。

また運が良くおじいさんおばあさんまで生きられた人は、言わずもがな介護を受ける。これも多くの人が「弱者支援」の当事者になる可能性を持っている。

介護貨幣を介しているなら、支援ではなくサービスだろう」と、そんなことを言うのであれば、その人はインフラにも同じことを言えるのか、と思う。

お金で今の生活が全部手に入ると思ったら大間違いだ。お金で何でも手に入るようになったのは、今の生活基盤、経済システムが作り上げられたおかげだろう。

支援や贈与というのは、貨幣経済の前提にある概念であり、否定対立するものではない。

なんでも貨幣解決する、というのは大きな間違いだろう。人はスマホがなくても生きられるけれど、水がなくては生きられないし。

そういう点で、「弱者支援」は根本的に私たち生活を持続させる上で欠かせないものなのだ

弱い人を切り捨てていく集団は、最後の独りになるまでそれを許せない。このあたり内田樹先生が確か良く言っていたな。

ちょっと大きな話になってきたけれど、今現在必要支援ギリギリで支えている(支えられていないところもある)のが公的セーフティネットであり、それを動かすための税金だ。

ところが大抵の人にとって納税は「メシの食い上げ」であり、節税はやれる分だけやる方が良いものだ。だから故郷でも無い自治体納税をして、税金無駄遣いという言葉に異常に反応をする。

実際に税金が遣われている大部分は、目に見えないもの、実感を持ちづらいものだ。その必要の是非は検討すべきことだけれど、そもそも税金無駄遣いと、自分納税をする、という問題は別である

無駄遣いされる税金なら払わない!」という発想はごく簡単に「自分だけ得したい」に変わり、「自分が使わないサービスはいらない」という発想になる。

具体的には、自分の納めた税によって自分のために何がなされたか、ではなく、社会のために何がなされたか、という視点で考えると、納税感も少し変わるのではないか

話が転じてきたけれど、つまり納税社会貢献である、ということを多くの人は忘れているのではないか納税は、政府にただ取られる、無駄遣いされるお金ではなく、社会を持続可能性を少しでも上げるためのお金だと冷静にとらえ直すべきだろう。その点は、多く納税をしている人は誇りに思ったっていいはずだ。

ここまで何がいいたいか、というと、自分のために100中100の意識を持つのではなくて、1でもいいか弱者社会のために意識を向ける、それが当たり前になればいいのにな、ということだ。

0と1の差は、私の感覚では1と100の差である99よりも大きい。なぜなら、1が100人いれば100になるからだ。

人は1人では生きられないんだな、という気持ちがあると、生きていくのも少しずつ楽になっていくだろうに。

さぁ帰りにコンビニでお釣り募金するか、街頭でおっさんからビッグイシューを買うか、次の連休をどうするか、知らん人のために何が出来るか考えるか、

2018-01-19

仏教書籍に推薦文寄せるのがヤベエ奴ばっかり

イケダハヤトとか香山リカとか内田樹とかですよ。

我や妄想思い込みがことのほか強く、

貪欲や怒りに支配された言動が目立ち、

無執着の反対みたいな人達ファッション仏教に接近して推薦文。

著者(外国人のお坊さん)はどれぐらい推薦文の書き手人格をわかってるのだろうか…。

そんなもん出版社任せだろうか。

2017-11-22

anond:20171122091534

そもそも政治厨にはキャリアアップ能力向上も無いのだから政治厨になった時点でおわり

見るたび変な人になっていくのは当然

香山リカとか内田樹とかもすごいことになってるでしょ

2017-09-20

Twitter向いてない著名人三銃士を連れて来たよ」

「『乱暴言葉遣いはあったが発言の機会を剥奪するほどのものとも思えない』、江川紹子」「うっす、よろしく」

「『ツイッター社は個人情報を売っている』、内田樹」「がんばります、よろしく」

「『凍結判断は外部の差別対策団体に任せるべき』、津田大介」「よっす、どうも」

2017-08-29

悠木碧を「ゆうきゆう」と読んでいた

正確に言うと、内田樹を「うちだき」と読むような感じで

「多分違うんだろうけどとりあえず一般的な読み方をしておこう」という気持ちで「ゆう」と読んでいたんですよ

ただ、見ての通り彼女名前は「碧」であり、私も「碧」単体だったら「あおい」または「へき」と読むところを

悠木碧」に限っては「ゆう」と読んでいたんですよ

何なんですか?

2017-06-06

知っているか知っていないかはかなり重要

この前、職場人間飲み会していてキャベツブロッコリーは親戚だ。みたいな話になって。

同僚の宮川がそれを言ったんだけど、ちょっと年上上司長谷部さん(かわいい)がめちゃそれを否定するわけ。んなわけねーべ! と。

長谷部さんはキャベツめっちゃ好きな一方で、ブロッコリーネットの濃縮された森信者なんじゃ。それくらいブッコロリーのこと嫌い。

で、今はスマホで何でも調べられるから調べたら、確かにブロッコリーキャベツからまれ野菜なんだとさ。

んで、宮川田島(たしま、ね。たじまじゃない)が盛り上がったわけなんだ。キャベキャベと。

長谷部さん(美人)はちょっとプライドいから知らなかったのをバカにされたような気になったみたい。

「そんなわけないし!」と珍しく声を荒げていたんだけど、ちょっとわかるかな、楽しい会なんだけどちょっと微妙空気になるあれになったっつーわけだ。

吉田(佳さんのほう。富は欠席。デートとの由。)が上手く話題を変えてそのまま流れたんだけど。

長谷部さん(もうね、かわいい美人アウフヘーベンしとる)はもちろん全然悪くないんだけどさ、もし長谷部さん(モデルみたいなスタイルしとるしなんかい匂いする)がキャベツブロッコリーが親戚だって知っていたら微妙空気にならなかったわけだ。

何度も言うけど、致命的なことになったわけじゃないんだが、知っていると知ってないとでは、未来が変わってくるよなと思う。

知識として持っているか否かで、自分の振る舞いも変わるし、周囲の雰囲気結果的に変わりうるだろう。

内田樹が言っていたことに近いのかもしれないけれど、学校とかで学ぶ、一見くだらなく見えるすぐに役に立たない知識も、もっていると何か良いことがあるのかもしれない。

知らなくても謙虚振る舞うってのも大事だろうけど、それはまた何かあったときに考えてみたい。


わしはそんなことを、この些細な経験から思ったわけじゃ。

登場人物はみんな仮名です。内田樹、おめーだけは仮名じゃねーからな! 自分で解っていると思うが!

2017-06-03

景気が悪くなって不幸になるなんてオカルト

いやー内田樹とか好きそうだなこの人

2017-04-06

http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2017/03/31/120638

人文学は何の役に立つのか?」

これとても素晴らしいと思うんだけど、これ採用すると非実在青少年みたいなのとちゃんと向き合わないといけなくなるよね。とくにこのあたり。

"この記事クリストフが論じていることの一つは、文学を読む習慣が普及したことは人々を道徳的にさせた、ということだ。例えば、アメリカ奴隷解放運動を支持する人を増やしてやがては運動成功させた要因の一つは、ハリエット・ビーチャー・ストウの小説アンクル・トムの小屋』が広く読まれたことであった。最近心理学実験においても、フィクション作品を読むことが人々の他者に対する共感を強くさせる、ということが示されている。"

ちなみに記事でさんざんにされてる内田樹はこういう主張もしてる。

http://blog.tatsuru.com/2010/04/24_1046.php

2017-03-15

マウンティング』はなぜ流行してるの?

あらゆる事象を『マウンティング』を使って説明しようとする傾向を不思議に感じる。マウンティングと言われても機械の取付金具のたぐいしかイメージできない。いつからマウンティング』が人口膾炙し始めたのだろうか?

純正検索機能で見つかる増田での初出は2014年11月25日18時25分。でもこれははてな検索が『マウンティング』を形態素解析可能になったのが2014年秋頃というだけの話で、それ以前のエントリでもマウンティングが見られないことはない。2014年7月13日には既に見つけることができた。

Googleトレンドで見てみると2014年の春頃に急増している。その頃のニュース記事検索してみると、渡辺千穂脚本沢尻エリカ様主演のテレビドラマファーストクラス』が女性同僚間での『マウンティング』をテーマとして描いていてそれで一気に流行語になったのだと書かれている。

Googleトレンドでは2014年2月時点で既にグラフが上昇しつつある。これは2月8日に発行された瀧波ユカリ犬山紙子著『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子実態https://www.amazon.co.jp/dp/4480815198の影響が大きいのではないかと思われる。

2014年1月以前も細々とながら使われていた。その中には2013年4月20日発行の『嫌われ女子50』https://www.amazon.co.jp/dp/4584134928という本についての言及も見られる。これも犬山紙子氏の著作である犬山 紙子氏がこの人間の行動を『マウンティング』で解説するブームを作ったと見ていいのではないだろうか。

はてな村では2011年内田樹氏がブログ内で使ってプチブームが発生した。「暴言と知性について」http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php

更に前になると2008年ごろからid:Nagise氏がはてなダイアリーで多用されてきた。はてな村での流行id:Nagise氏にルーツがある可能性もある。

それ以前の言及普通に動物の生態を書くために使われた用例が多い気がする。

2016-11-16

なぜ内田樹はこれほど認識を誤り続けるのか?

http://blog.tatsuru.com/2016/11/15_1128.php

「なぜ内田樹はこれほど認識を誤り続けるのか?」

その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。

ふつうリベラル批評家発言力を持ち続け得るのは(事象に即した言説のクリーンヒット時の「ご祝儀」を除くと)批評のまなざす先の恩沢に現にリベラル市民が浴しているかである

だが、内田樹はそうではない。

特別顧問で参画した大阪市改革頓挫した。旗を振るったSEALDsは見るべき成果を上げていない。野党連合の結託をいくら煽っても鳥越醜態や民進のグズっぷりばかり悪目立ちしてしま自民党打倒の糸口が見えない。安保法案への言及ではシーレーン国防自衛隊員の命の軽視と反知性主義の態度が露呈した。五輪計画福島原発豊洲移転問題では共産党走狗となり知性の欠如があきらかになっている。どれも老いたリベサヨの末期の徴候である。にもかかわらず内田は高い読者数を保持している。その根拠は何なのか?

一番簡単なのは、「リベサヨ市民現状認識の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である

しかに話は簡単になるが、先がない。

リベサヨの過半が愚鈍であるなら、こんなあげつらいも何の意味も持たないからだ。だとしたら、問いの次数を一つ上げるしかない。「リベサヨ内田を支持することでどのようなメリットを得ているのか?」である

保守速報などネトウヨまとめサイト観測によれば、内田支持理由トップは「他に適任者がいないから」である

だが、現実には「他にどのような言論人が適切か?」という問いは誰も立てていない。いずれ支持層急逝して「ポストリベサヨ」がリベラル市民話題になればリベラル市民は「人気投票」を行うだろうけれど、今は話題になっていない。

私の解釈はこうだ。国益が損なわれ、国民が日々損害を被りそうな諸言説を垂れ流すにもかかわらず、「内田を黙らせろ」という声が上がらないのは、リベサヨ代表格の適格性を最終的に判断しているのは「リベラル市民たちではない」とリベサヨが思っているかである

残念ながら、リベサヨ界隈において、内田言説の適格性を判断しているのは理性ではない。

リベサヨ自分たちの歪んだ情念から現実を歪ませて認識することはできる。でも、現実に即した言説に身を委ねるはできない。

リベサヨ指導者を最終的に決めるのは中共である

リベラル市民たちが誰を選んでも、中共が「不適格」と判断すれば、リベサヨメディアでのオピニオンリーダーの座には就けないし、就けても短命に終わる。そのことをリベサヨは知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。それを認めてしまうと、リベサヨ権力圧政に反して日本社会市民生活をより良くしようという正義善意集団ではなく中共の野望の片棒を担ぐ工作機関であるという事実直視しなければならなくなるからである

2008年頃からネトウヨ嫌韓豚の吹き溜まりである保守速報などのまとめサイトで「朝日新聞中共工作機関である」との言説が広まった。反日朝日の誌上におけるオピニオンリーダーの任免権は事実上中共が保持している、と。

日本リベサヨ言論はこの発言をまともに取り合わなかった。違うと思うなら反論すればいい。だが、「反日朝日中共工作機関ではない」と述べたリベサヨ言論は一つもなかった。

サントメプリンシペの政治学者ガバーヌ・マンコニックは〜中略〜同じことを指摘した。だが、リベサヨはそのような意見ネトウヨ社会では当然のように行き来している事実のもの組織的黙殺している。

内田樹は「宗主国中華人民共和国属国報道官である実質的権威づけは中共が握っている。もちろん、外患誘致に問われるから権威付けの作業は「アウトソーシング」されている。中共情報誘導朝日新聞日刊ゲンダイへの記事コラムを通じて醸造され、外国人特派員クラブワシントンポストニューヨークタイムズなど外信へ逆輸出することでマッチポンプ効果で言説の信憑性がより強化される。そういう仕組みでリベラル言説が制御されていることをリベラル市民はもう知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。

「他に適任者がいない」というのは朝日新聞など反日工作メディア判断である

内田樹日本国益よりも中共国益を優先的に配慮してくれる「理想言論人」である。だから反日メディアがそう評価するのは当たり前である。そして、リベサヨの多くは朝日新聞判断の方がリベサヨ当人自身生活の延長線上にある主観的現実評価よりも夢想的でありかつ幻想であると信じている。

いちご白書〜の時代からそのマインドは少しも変わっていない。

「追記」

ただ、アメリカ大統領ドナルド・トランプに交替したことで、「宗主国代官」にどのようなタイプオピニオンリーダーを選好するかについての判断基準がこの後変わる可能性はある。

これまで、「属国代官」の適不適を事実上判断していたのは辛淑玉たち「差別の当たり屋」であった。

リベサヨのグズっぷりに「市井の人々」は巨大な「マイノリティ利権」をひさしく貪っていた「差別の当たり屋」たちから取り上げようとするだろう。

差別の当たり屋」たちのお気に入りであった日本リベサヨ言論人たちはこれから新たに「オーディション」を受けなければならない。

明日11月17日に安倍首相トランプ西側首脳として最も早く表敬訪問をするが、これは「日本総理大臣である以上当然のことであり、これは安倍首相にとっては「新しいカウンターパート」に対する「牽制」に相当する。

中共が「虫が好かない」という判断を下す可能性はある。

日米の関係がより進歩的に発展するという「(中共にとって残念な)結果」になった場合反日メディアではオピニオンリーダーリテラマガジン9も「アベシネホントシネゲリグズ野郎」と(はじめはおずおずと、そのうち猛々しく)言い始めるだろう。

そして、そうなることを(自分の手を汚したくはないが)切に望んでいるのである

2016-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20160919221323

国語という科目がよくわかってない。

国語」の授業は単純に「日本語」の授業だけではないことは明らかだし、「国学」とも違う。

外国語に訳したら、なんという言葉になるのだろうか。

内田樹のいう国語力とは、ethicsなのか、japaneseなのか、rhetoricなのか。

明治時代国語という科目を作ったとき、なにを目的にどういう設計をして作ったカリキュラムなのか気になる。

推論だけど、自由七学芸のうちの修辞学、論理学文法を輸入して、まとめて1つの科目にしたんじゃないなかと思う。

修辞学のうち、弁論術が大きく省かれて、文章においての修辞だけに特化したのは、それまでの儒学教育からの流れか。

品詞分解と詩学に特化してたのは江戸時代から伝統だし。

古典小説評論と詩と、ぶっちゃけ授業の目的とする方向性はまったく別だよね?

教材として日本語文章を使うところは共通してても、別のカリキュラムだと思う。

2016-06-16

内田樹を一発叩いて

仲間入りですみたいな連中がマジウザい。

内田樹は確かにどうかと思う面があるし、適切な批判はあって当然だし望ましいとマジで思ってるけど、

本質的じゃないところをフワッと叩いて気持ちよくなりあってる連中がマジウザい。

別に共感する必要はないしこんな書き方でしてもらえるとも思ってないが、こんな脱力した意見が片隅に散らかされる社会であってほしいなと思う。

2015-07-31

左翼リベラル、反安倍とか。SEALDSとかしばき隊とか

ちょっと括りが多すぎてわかんないよ。

俺は左翼リベラル安倍なんだけど、

SEALDSとかしばき隊とかとは一緒にされたくない。

左翼リベラルっていうと、内田樹みたいなのを思い浮かべるかもしれないけど

あんな老いぼれボケかけみたいなのとも一緒にされたくない。

はてぶによく湧くとりあえず、すぐリテラとかサイゾーとかバザップとかブコメして内輪でスターつけまくる集団とも思われたくない。

もっとちゃんとしたカテゴリーが欲しい。

2015-06-26

内田樹さんの、弔いの倫理学という本を読んでいる。

2015-05-30

内田樹出世したもんだな。

フェミ正論で殴りかかっても上野センセイにあしらわれるだけw

2015-05-29

物差しが短いと長いものを計れない

dankogaiは頭も良くないし、教養もない。ゴミみたいな本をたくさん読んでるみたいだけど。

fromdusktildawnは超頭いいけど、それを使いきるにはもっと教養必要

kawangoも頭いい、教養のなさが足を引っ張って伸び悩んでたのが最近改善しつつある。角川かジブリのおかげ?

shi3izも頭いいんだから漫画以外も読めばいいのに。

左は鈍いのが多い。昔ならともかく、ちゃんと頭使える人間はてなの左になんかいない。

内田樹例外的に頭いいけど、政治のことになると支離滅裂になる。

はまちちゃんとhitodeはすごく才能ある気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20150529114245

2015-05-24

誰なんだよこいつらは

http://b.hatena.ne.jp/entry/japanese.engadget.com/2015/05/22/drones/

人気コメント上位五人をはじめ小泉の次男坊を褒めてる奴らとそれに☆付けてる奴ら。

俺はこいつらを全然見たことない。でも調べてみたらこいつらブクマ四桁五桁の常連なんだよ。

本当に全然知らない。まあ棲み分けができてるってことか。

 

言わずもがなだが俺は左寄りで、ツイッターフォローしてる著名人

小田嶋隆松井計内田樹想田和弘山崎雅弘、メイロマ赤木智弘あたり。

2015-05-16

内田樹

ほんと最近ひどいな

安部嫌いは構わんが知性の劣化はなはだしい。ほんとひどい。

あの人一応文系の人じゃない、なのに日本語曲解したおしてもうただのバカになってる…

学生の質が落ちてるとかいってたけどそうじゃなくて貴方にふさわしい学生が来るようになっただけだよ。

まり樹の質が落ちてる

2015-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20150504145814

はてなブックマークの整理をはじめてみたら、使い始めて6年ほど経っていることが分かった。6年も飽きずに使い続けているのだから呆れる。

ちなみに、はてなブックマークを使い始めた頃は以下のブログを熱心にブクマしていた。個別コメントは控える。

2015-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20150413162711

安倍首相のすべてが好ましいと主張している人は、殆どいないきがするけど。

内田樹理想とする世界地獄ってのはよく判るし、彼らの主張は聞かなくていいってのもよく判る。

2015-02-26

沖縄に核は配備されるの?

前に内田樹の本を読んでたら「海兵隊なんかいても抑止力になるわけないじゃないか。抑止力っていうからには核が持ち込まれてるにきまってる。常識で考えたらわかる」みたいなことが書いてあって、別に世界中どこからでも核を打ち込めるんだから沖縄に置く必要ないじゃんって感じたんだけど。

持ち込まれるとしても核ミサイルを積んだ潜水艦とか船が日本に寄港するくらいだよね。

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150226/1424938992 このエントリーが目について思い出した。

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