Gabege In, Gabage Outという言葉がある。 何でもそうだけれど、たとえ考える力があっても、考えるための「最低限の知識」がなければ頓珍漢なことを言うものだ。
しかし、ちゃんと大学で卒論に取り組んだ人であれば、自分の考えを仮説としていったん保留し、それが正しいか検証したり、「そもそも自分にはまだ知識や情報が足りていないのではないか。足りていないとしたらどんな情報か」について考える訓練をすることになる。なので、あまりにも政治信条の話などで無い限りは、頓珍漢なことを言う割合は減ってくる。
しかし、残念ながら大学生がみなそういう訓練を受けているわけではなく、文系のいくつかの学部ではそもそも卒論がなかったりする。東大や一橋ですら卒論課題はない。基本的に「文系の学部卒」の人は、そういう訓練をしないまま卒業出来てしまう人が多い。まして、言い方は悪いが偏差値の低い大学を卒業している人は、自力で頑張った人以外は「そもそも思考の訓練を受けていない」として扱うべきなのではないか。
企業の採用活動って、営業職でもない限り、まずは学歴そのものを問うより、卒論に関する教授の評価を聞いたほうが早いと思うんだよね……。というより、それが学歴だと思う。東大の法学部卒より、MARCHの院卒のほうが偉い、となってないのは大量一括採用の名残とリクナビの都合による不合理な慣習でしかないと思う。
研究系企業は当然卒論を参考にするし、制作系やプログラム系も、制作物のPFを提出させるところが多いので必要なところはすでにそうしている。資格職は当然受験者に高いハードルを求める。コミュニケーション能力という意味でも、電通や総合商社などは「推薦」という名の成果物が前提にある。
基本的に、そういう「成果物」の存在を前提としない方向性で採用されない人間というのは、その時点で、たとえ東大卒であろうが「学歴」という意味では劣っているいると受け止めるべきだろう。 ネットでは就活の面接対策などの話が語られるが、「面接」をしている時点ですでにスタート地点で遅れている。それでもポテンシャルが高い人間はそこで一発逆転できるチャンスがあるのだから、能力の有る人間には良い制度だろうが、いつまで経っても採用の仕組みが改善されないのは「本命ではない、数合わせを採用するための仕組み」に過ぎないからであろう。
企業からすれば、「本当にポテンシャルが高い人間はこの仕組で十分一発でわかる」し、それ以外の人間は当たりであろうが外れであろうが構わない。大企業であれば有るほど、今の仕組みで優秀な人材が必要な数採用できる限りは、コスト的には高いがリクナビなどに負担させているリスクを今更背負って新しい仕組みを目指すインセンティブがない。
かくして、今日も「不合理」でありながらも「十分に効率的」な制度がゾンビのように続き、文系大学生は、思考こそが武器なはずなのにまともな思考力すら教育されないまま大学を卒業していくのである。
と、ここまで書いたけどフランス文学については素晴らしい発言をされる優れた知性を持っているはずの内田樹さんや、政治や経済といった門外漢のことについては頓珍漢なことをいう。物理学については素晴らしい知見をお持ちのキクチマコトさんもご覧の有様なので、卒論でちゃんと考えがつくというのはただの妄想かもしれない。
東大にコンプでもあるのか
https://anond.hatelabo.jp/20180509222208 逆。俺が東大文1で、理系院卒にコンプ持ってる。
と、ここまで書いたけどフランス文学については素晴らしい発言をされる優れた知性を持っているはずの内田樹さんや、政治や経済といった門外漢のことについては頓珍漢なことをいう...