はてなキーワード: 便意とは
その「守護霊のような」不思議な存在を逆手に取ったのがログインに載っていたアドベンチャーゲーム「死人は便意を催さない」。
ネタバレすると→【ココにマウスポインタを置いてね】という仕掛けだったそうだ。
東京の電車の中やコミケの行列に並んでいる最中に下痢便をもらすやつのことをちょっとバカにしてた。
赤ちゃんの沐浴をしている最中にもよおしてしまって、せめて赤ちゃんを洗い終わって服を着せるまで持ってくれ!!と思った。
しかし、タオルで裸の赤ちゃんを拭いているうちに、うんこが肛門からはみ出そうになり裸の赤ちゃんを置き去りにして急遽トイレに駆け込んだ。500mlはありそうな大量の下痢弁に引いた…今朝、大量の便秘うんちを排泄したばかりなのにこんなにまた大量のうんこが出てきたよ。お腹スッキリ。
赤ちゃん泣いてるかも~と思って戻ってみると赤ちゃん泣いてなかったわ!急いで服を着せて湯冷めしないようにした。
妊娠する前に君の名は。を見に行ったときも下痢になり、映画の中盤くらいからエンドロールの前までずっと便意を我慢していたことがある。一時間以上。映画にお金払ってるしうんこを我慢して最後まで見たかったけどエンディングを見るまで我慢できなかった。本編は全部見た。
けっこう長時間便意を我慢できる人間だったから上に書いた電車の中やコミケの行列で洩らしてしまうやつを内心「どうしてそうなるの??」と思っていたが、出産後色々と下の方が緩くなってしまい、下痢の凄まじさを実感した。
本稿の著作権・著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。
○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
本稿の著作権・著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。
○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
所属:総務課庶務係
年齢:33
増田が個室内で用を足した後、お尻を拭いたトイレットペーパーで鼻を擤もうしたもの。
朝のコーヒーで便意をもよおすことをルーチンとしている増田は、溜まった決裁を処理したのち、溜まった腸内の糞便の処理に向かう。
静かな3階奥のトイレは彼のホームグラウンドであり、ペーパー位置の確認や鍵の閉め忘れも起こりにくい状況。
前日より季節の変わり目で鼻水が出ており、デスクにおいてもティッシュを用いた鼻水の除去を行っていた。
程よく湿り気のあるうんこは日々の野菜と肉と炭水化物のバランスのとれた食事の賜物である(お前の腸内はナイルか!)。
便秘しらずであることは、コーヒーをきっかけにするルーチンからも明らかだ。
排便中、手持ち無沙汰なこともあり、便座左側に備えるペーパー(うっすい安いやつ)で鼻をかむ。
その後、新たにペーパーを手に巻き尻を拭く。
脳がバグって、尻を拭いたペーパーで鼻を擤もうとしたのが0929ころと考えられる。
鼻をついた猛烈な異臭により辛くもうんこを拭いたペーパーでの鼻かみは回避できたものの、猛烈な匂いに襲われた該増田は鼻にウンチがついたものか判断し得なかった。
あわてて新しいペーパーで鼻を拭いて、恐る恐る確認ののち、不接触を認識。こと無きを得る。
しかし鼻腔内に不快な匂いが残り、しばらくはトイレから出られなかった。
数分後にトイレから脱出し、廊下で髪の綺麗な吉田(佳)さんとすれ違う。
いっつもはすれ違った時に髪のいい匂いをクンクンするところを我慢する(うんこの香りが残っていたらいやだから)。
その後席に着き、何食わぬ顔で隣のデスクの吉田(裕)さんに午後からの会議のちょっとした指示を出すにいたる。
しかしながら何点かインシデントを避けうるタイミングがあった。
まずは鼻をしっかりかむことを意識していればこんなことは起こらない。
排便中仕事のことを考えすぎており、本インシデントにつながった。
またティッシュで鼻をかめば良いものを、横着してトイレットペーパーの目的外利用があったことも注目するべき点であろう。
トイレットペーパーは尻を拭くものである。こうした規律違反が本インシデントを招いた。
また、この一年ほど前にもどうようのインシデントが車内の別のトイレおよび自宅で発生しており、その反省が活かされなかったことも本インシデントの要因となっている。
風邪気味の時はうんこが鼻につくのを防止するため、マスクをする。
鼻をかむデバイスとお尻を拭くデバイスを、しっかり脳内で峻別する。このために、自宅トイレにティッシュ箱を設置し啓蒙を図る。
尻を拭く時は仕事のことを考えず尻を拭く。
昨日のこと。
少し洒落たお店でひとり優雅にランチ(1,200円)を楽しんだ後、ほのかに便意があるような気はしていたんだ。
まあ大丈夫だろうと歩き出し、気分も良かったので無駄に一駅歩いた。歩いている途中、急激な便意がやってきた。都内だというのに運悪く近くにコンビニもなかった。
思いっきり手を強く握って踏ん張ってなんとかそこは引っ込めた。引っ込んだのでとりあえず駅まで歩いて電車に乗った。電車に乗ったらまた便意。
次の駅で降りて、駅のトイレより駅ビルの方がきれいだと思って早足で向かうと、個室は使用中だった。
このビル他にトイレ無かったっけとちょっとうろついてああやっぱり無理、と先のトイレに戻ると空いていた。
入って、ベルトを外して、前を開けて、パンツを下ろす前に少し出た。
途中で解決するタイミングは何度もあったのに、先延ばしにした結果がこれだ。お前はいつもそうだ。
よく拭いて、履いて、よく手を洗って、帰った。
夏休みも終わり、既に肌寒ささえ感じる今日この頃。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
社会人の皆さまは休みが無かった人もいるかと思います。今年もあと四ヶ月です。頑張りましょう。
自分ははつい先程、トイレでぶちまけた下痢便を泣きながら処理したところです。
今年の夏、めちゃくちゃ暑かったじゃないですか。去年ほどでは無かったかも。だからか、急に裸族に近い者になってしまったんですよ。家の中だとどうしても服を着ていられない。肌着で済ましちゃう。寝るときも昨日までそんな格好だったからかな。身体が丈夫な方なんですけど、最近お腹ゴロゴロ言ってるな〜って思ったんです。でも下痢なんか滅多にならなくて、その上腹痛に悩まされたこともなかったので、スルーしてました。
スマホ眺めながら、あ〜きもち〜一生ぬるま湯に浸かっていたい〜ガチャ課金処女捨てちゃうかな廃人になりたくないな〜こういう人たちってなんで15万とか使っちゃうんだ。脳みそ酒に浸してんのか?う〜んどうしよう便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意!!!、!、!!、!!、、!z、っz、、z、っ便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意便意z、、z、z、z、z、z、っっz、z、z、、!!!!!!!!!!!!!!、、!!!!!!!!!!!便意
頑張れアナル耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!、、、!!、!!!!!!!!!!!おま、なんのための若さだよ!?待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って
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静寂
恥ずかしい話だが小2の夏に俺は脱糞した。
狭いアパート暮らし。トイレまでの直線距離5メートルもなかった。
だがスマッシュブラザーズDXに夢中だった俺は便意をギリギリまで我慢して、結果として盛大に漏らした。
俺の後で実況パワフルプロ野球12をプレイする為に同室で待機していた兄貴は俺の脱糞をしかと目撃した。
以後10余年、この人生の恥ずべき汚点を事あるごとに弄くられ続けている。
と密告するのが通例だった。これは高校まで続いた。
脱糞yearの年末年始に祖父母宅に帰省すると、兄貴が従兄弟達にすぐに密告し、以後未だに従兄弟からも弄られ続けている。
内容が内容なだけに打ち明ける場所がここしか無かったので、反省と対策も含めて備忘録的に書き記しておきたいと思う。
私はもともと腸内環境が悪く、ホルモンバランス的に月のものが終わってから1〜2週間ほど便秘がちになる。だけど下剤は慢性化するから使いたくないという頭があり、ビオフェルミンを飲んだり、コーヒーを飲んだりしながら最悪でも3日に一回は排便を起こす努力をしている。
旦那は私の腸内環境が安定していないことにおそらく多少は気付いているだろう。というか我々夫婦はお互いのうんこ事情をあまり公にはしていない。
新婚であるというのと、お互いシャイな性格なのか下の話を堂々とするのが恥ずかしいというのがあり、同棲時代から約2年、お互いのうんこネタをほとんど話題にしたことがないのである。
たまに旦那がトイレに入っている時に爆音なりオナラの音が聞こえてくることがあるが、聞く機会といえばそれくらいである。もちろん旦那も、私がトイレに入っている時は同じことを思っているだろう。あとはお互いに時々「なんかお腹の調子悪い〜」とか言ってるくらい。
ちょっと日帰り旅行しようかって話になり、隣県までドライブがてら観光に行くことになった私達。不運にもこの日の私の腸内環境は最悪だった。
いつものようにビオフェルミンやコーヒーを飲んでも出すことができない2日分のうんこ。出発時間になっても出ないから仕方なくそのまま出かけることにした。
腸内環境が悪い人は共感してくれるだろうと思うけど、便意というのは「今来るなよ!」という時にやってくるものである。この日も例によって、高速道路を走っている最中に強烈な腹痛と便意に見舞われてしまった。
「トイレに行きたい」と言えばいい話だが、まだ出発して15分も経っていない状態での便意。「今出発したばっかりだしすぐトイレ寄ってもらうのもなぁ…もうちょっと我慢しよ」と、いつものノリで我慢してしまう。
これが悪手だった。
お盆のラッシュで渋滞気味の高速道路。次のサービスエリア(以下SA)までがとにかく長い。しかしうんこを我慢することにかけては経験上自信があった私は、己の我慢強さを過信しすぎて「トイレ行きたい」コールを出すタイミングを見誤ってしまった。
結局「トイレ行きたいから、次のSA寄って」と言えたのは出発から30分後。最寄りのSAまで約5分を切っていたあたりのタイミングだった。
運転していた旦那はすぐに次のSAに入ってくれた。車から降りて「ついでに昼飯食ってくかー」みたいな感じでのんびり歩いていく旦那だが、私としてはもうそれどころではなく、なんなら猛ダッシュでトイレに駆け込みたい気持ちで一杯。
そして、車からやっと降りられた安堵から、一瞬気を緩めてしまったその瞬間の出来事だった。
肛門括約筋がこれまで生きてきて感じたことのないような挙動を始めた。なんか肛門がビクビク振動するみたいな?反射的に「ヤバイ!」と感じた私は思い切り肛門を締めた…つもりだった。
やっとの思いでトイレに入ってパンツを下ろしてみたところ、そこには少量だが脱糞の跡。しかもなんか粘血便が混じっている。おそらく先ほどの肛門の挙動によるものである。
粘血便に本来もっとビビるところだが、この時はもうそれどころではなかった。あんなに自信があった「うんこ我慢」にあっさり失敗してしまったことの驚きとショック、そしてこの脱糞パンツをどうしたら良いのかという焦りが沸き起こった。
幸いにも脱糞の量は少量だった為、ティッシュでしっかり拭き取ってから、近くに設置されていた便座除菌スプレーをティッシュに浸し、それで何度もパンツを拭きまくった。アルコールには多少なり除菌・消臭力があるので、これで応急処置をするしかなかったのである。
それでも完全に汚れを取るのは難しかった。しかし旦那の目の前で替えのパンツを買うわけにもいかず、私はこのまま一日を過ごす羽目になる。
運転中、パンツから悪臭が出ていないかだけが心配だった。自分個人では臭っていないように感じたが、周りが感じる臭いとはまた違うこともあるだろうからだ。旦那は香水を付けていたし、タバコも時々吸っていたからそっちの匂いの方が強かったはずと信じたい。
以上、地獄のような夏の1ページでした。
今回教訓になったのは、「自分のうんこ我慢力を過信してはいけない」という事。最初にヤバさを感じた時点でトイレに行きたいと申し出ればこんなことにはならなかったはずである。肛門括約筋は歳とともに衰えてくるのだということを痛感した。
そして、もう少し旦那とうんこに関してフランクに語り合える環境を作っていこうと思った。私がたとえ出発してすぐであっても「うんこ行きたい!!」と躊躇なく言えるタイプだったなら、旦那も「あ、じゃあ次のSAとまろっか」みたいな感じで進んでいってくれてたと思うからだ。
あと、粘血便についてはおそらくいぼ痔へのダメージか大腸炎かなにかだと思うのだが、万が一ガンの類だったら怖いので、病院へは行っておこうと思います。
長文お目汚し失礼いたしました。
ワイは出社直前に便意が襲ってくることが多いやで