はてなキーワード: 交通費とは
今回の「ラスアイ、よろしく」はラストアイドル運営のダメさを濃縮したような回だったな……
もう一周回って泣けるよ
今までのシングルの企画を全部振り返ることによって、どれだけ行き当たりばったりの思いつきで一流人材を使い流していったかを反省している点は素晴らしいが、
この内容をやりたいなら1ヶ月前くらいから始めないと。
メンバー集めておいてYouTubeで見られるようなVTR流して、
それで時間圧迫して、せっかく集めたメンバーのコメントはせいぜい数秒ずつって、
何もかも無駄すぎるだろ。
そのために人件費もかかってるんだろ?
それを回収できてるだけの内容とは思えないんだが。
そういうところだよ。
何もかも中途半端
判断も遅い
・コミュ力
あると良いもの
・英語力
・ロシア語力
・数日分の保存食
・日用品
ポーランドあたりの隣国へは自力でいく、帰りの交通費は殆どの日本人にはいらない。
日本からの直通はないので、隣国のウクライナ大使館へ入り、志願する旨を伝える。自衛隊を含めた軍隊経験を証明する書類がある方が良いが、口頭で伝えれば深く確認されないと思われる。
一応日本語だけでも良いとなっているが、それほど受け入れが整ってるわけではなく、誰でも良いというだけ。
すぐに武器を持たされて前線に送られる。訓練の時間や手間はない。着替えや防寒はもちろんだが、簡易なキャンプ用品があると便利。
寝床が足らずに床で寝る可能性が高いのと、至急される食事はたぶん冷え冷えなので、隣国で買っておくのが良い。全部捨てて逃げる可能性があるので注意。
人数の増減はかなり激しくなるから、食事の配給は多すぎたり滞ったりする。滞った時にある程度凌げるようにしとく。
志願した義勇兵たちの間は英語でやり取りすると思われるが、簡単な英語は知っておくべき。
「逃げるぞ」はゲレウェィ!みたいな、アルファベット無視した発音で言われると思われる。これだけは何パターンか覚えて、できるだけ義勇兵間のスラングも把握しておく。緊急で逃げる時、周りを見てる間に置いてかれる可能性がある。
ボッチだと食事の受け取り場所や、小休止を把握できないので、日本語でも構わず話しかけるか、翻訳アプリ使って機会を探して話しかけよう。
アジアの国々は今回の戦争に冷ややかなので、アジア人は日本人ばかりになる。差別の対象になるのでコミュ力マジ大事。
義勇兵は練度も士気もあてにされないので、反撃には使われずに防衛に使われる。死守を要求されないが、ロシア兵から国際法に則った兵士だと認められない可能性が高い。逃げ遅れたら死ぬまで戦う方が、良い最期を送りやすい。
アメリカの識者は、ロシアは二週間ほどでキエフを陥落させるとしている。義勇兵たちは危険な場所に配置されるので、大半は助からない。生きて帰るには手足を失い、後方に送られる事をあてにした方が良いが、そんなのあてにするならそもそも行かない方が良い。
行って銃をとれば大半は死ぬので、日本で逆に借金しまくって行くのも手かもしれない。
ウクライナは今たまたま善戦してるが、ロシアの気の緩みと、人道に彼らなりに配慮した手加減のせい。なりふり構わず攻撃すれば、全土とは行かなくても主要都市は遠からず陥落する。
なので日本の生活を全て捨てた上で、ウクライナで補償もなく手足をもがれて死ぬ事になる。
何者にもなれないくらいならウクライナで英雄の墓に入る。何者にもなれなかったおじさんたちの、その判断を誰が責められるだろうか。
ロシアは国際的な地位が大きく低下するので、日本人が義勇兵に紛れてる程度で、日本にできる嫌がらせは殆どない。
行く気のある人は安心して行っておいで。
私はすごく食べるの好き、調べ上げて月一くらいで美味しい外食行くのが楽しみ、出かける時は美味しお店を調べ上げるし、旅行はその地方ならではの料理が一番の楽しみ、適当な外食は出来るだけ避けたい、それくらいなら疲れてても刺し身やベビーリーフでも買って家で適当に食べるって食が趣味人間で、紹介された相手は食への興味無し、緊張しないチェーン店に行きたい、母親も料理しないからほぼスーパー弁当で育った人で、デートで奢ってくれてたから店選びで強くも言えず、いい加減なチェーンばかり入ってて苦痛だった。
初回は調べていたみたいだけど、結構歩いて連れて行かれると大行列で、並ぼうとしたらそれは嫌だったみたいで止めとこうとUターンし、お洒落して下ろしたての靴はいて大阪の何駅分か長時間歩かされ、足にマメできて潰れ派手に皮がズル剥けになった末にチェーン居酒屋。
足痛いから座りたいなーとかこの店どうですかーと声かけたけど、定崩れてパニクってる様子だった。
私何もないクソ田舎住み、相手は大阪だったから、二人で遊ぶ場所は大阪になり、食い倒れの街には当然行きたい店が唸るほどあるのに交通費かけて大阪まで来てこんな飯食べるなんて!!!と大変悔しかった。
結婚したら食への興味のなさが、好きな分野に口を出されず自分色に染め上げられて楽なんだけど、付き合ってたころは、チェーン嫌だったなぁ。
最近まで共通テストの記述導入だとかで二転三転したのを誰も言わないのが不思議でならないのだができもしないことをするとどこからかもわからず言い始めて誰もそれを実現する方策をとらず余裕のまったくない現場がかもしれない運転で研修重ねて最終的にやっぱり無理よね〜なんて直前で無くなっても誰も責任取らないのがこの国の教育なのね。ともかく子どもの教育なんていっちょかみしたいくらいで一銭も出したくないし興味もない。そもそも記述導入無理でしょ?は現場はずっと言い続けていたけど増田の人々は最後の最後になってほらじぶんの思ってたとおりだとかしれっと後出しジャンケンするわけ。クソダサいし少しは恥ずかしいことだと認識してほしい。
情報に関してもそうで、情報の免許だけでの地方高校で採用枠ほぼ無い。ずーっとないの。その中でその免許とって高校で働こうって考える若者いるわけないのよ。これまでも商業や数学、理科の一部が伊達と酔狂で取ってるくらいで免許としては情報一つでは採用されないし週16時間で片道30km距離ある2校掛け持ちで非常勤講師手取り10万交通費なしの世界です。そもそも教員採用全般が団塊世代の大量退職の割に採用できてなくてひたすら人員削減されてる割にそれを補って有り余るくらい人気ない。小学校なんて2倍切ってたりするのでまあ誰でもなれて採用側選べないからあと5.6年で小学生先生に妊娠されられたり教師による無差別殺人みたいなのボロクソ出てくるよ。
つまり情報の共通テスト必須化はしてもほんとムダで現代社会みたいに学んでても学んでなくても誰でも平均点は取れるくらいのテストになるだろうし良識的な少しは考える大学は参考値みたいにするしかないものになる。
あとすぐに「それこそオンラインにして〜」とか「民間人を〜」ってやつ、そういう人が利権を得たくてやってるだけの世界なのでおめでたいです。子どもをあらゆる意味で食い物にするなんてうつくしいにほん。
当然だけどその費用は外注が払ってくれるわけじゃないので持ち出し
俺としては交通費がもったいないし、そいつが席を外していることによって
その間に起きたトラブルを周りの人間でフォローしないといけないのもキツいので
外注のトラブル解決能力を高めるべきだと主張していたのだが「俺が行かないとダメ」と取り合わず
結局、そいつだけ出張費が高額なことが問題になって本部長呼び出し
本部長に対しても「俺が行かないとダメなんです」と主張したため、
本部長から「百歩譲って相手に出張費を出させろ」と指令が下るが本人がゴネたため、
寸借詐欺(財布を落としたので交通費を貸してくれ、みたいなの)は本当に害悪だなと思う。
困っている人を助けようという善意につけ込んで金を騙し取るわけだが、
寸借詐欺に遭った人は「もう声掛けられても誰も助けねー」となってしまう。
寸借詐欺が行われるたびに、困っている人を助けない世の中が少しずつ形成されていく。
俺はこれに憤っている。
悲しいかな寸借詐欺という犯罪に走る連中自身も、いわんやどん詰まりの弱者だ。
どん詰まりの弱者が、困っている人が助かりづらい世の中をせっせと作ってやんの。
まぁ乞食も軽犯罪法的にアレだが……寸借詐欺とどちらが罪深いかはもう説明不要だろ。
小学生。近所に住んでいた友達と些細なことでもめ、いじめられた。幼稚園までは親の転勤で新しい環境に飛び込んでもすぐに友達を作れるくらい明るかったが、いじめられたことで私の強みは潰された。自分が何を言っても誰にも聞いてもらえないが、言動で私を傷つけようとしてくる人があまりにも多く、少しでも人に話を聞いてもらいたくて異様なほどの早口で話したり傷つかないために自分に対する悪口を軽く受け流したりする癖はこの頃ついたと思う。
中学生。音楽部に入った。ピアノ等未経験の音楽初心者で入ったなりに努力して1年生の頃の顧問の先生にはたくさん褒められていたが、2年になってその先生が退職し、新しい顧問には嫌われ、3年生になっても自分だけ役職につけてもらえないなどの仕打ちを受けた。
家に帰ると勉強はあまりせず、全然楽しくない部活の憂さ晴らしとしてアニメばかり見て絵を描いていた。
そのせいで親にはよく怒られており、小学生の頃いじめてきた子を引き合いに出して〇〇さんよりいい高校に行きなさい、悔しくないのなどと言われ続けていた。
高校受験では3年夏には国際系の行きたい高校を見つけたものの、内申書と数学と理科が最後まで振るわなかった。本命1校の公立高校に落ちたら私立に行かなければならない県に住んでおり、私立に行かせる金はないと毎日気が狂いそうなほど言われた。やる気のない生徒が集まる塾に通っていて、講師もいかにも大学生バイトという感じであまり教えてくれないし、親に塾を変えたいと言ったものの、お金がかかると言われて叶わなかった。
最終的に家から近い、自分の偏差値で行けそうな公立高校を受験し、合格した。通っていた塾にも私と同じ高校を受験した人が何人かいたが、私以外は落ちたようだった。私より高い偏差値の高校に行った生徒はいなかったらしい。
高校生。トラウマと化した中学とは180°違う運動部に入った。先輩の中にも初心者で始めた人がいて、とても優しく教えてくれた。友達もでき楽しくて良い環境ではあったが、初心者だったこともあり周りと比べて体力もなく競技は全く上達しなかった。そのうち教えてくれる先輩とか友達にも引け目みたいなものを感じ始めた。先輩や友達は強かったため地区大会や県大会の応援に行くたびに交通費がめちゃくちゃかかり、お小遣いでは足りなくなった。親からは毎月のように応援に行くたびにそんなことをして何の意味があるのと言われた。もうお金は借りられないと思った。
親に黙ってアルバイトを始めた。部活と勉強との両立はとてもキツかったが、将来のために少しでも働いて、お金を稼いでいると思うと何か安心感のようなものがあった。この頃にお金を稼ぐことの楽しさを覚えた。
特に頭がいい高校ではなかったからか高校時代の友達は美醜の話で盛り上がる人が多く、昼休みのたびに誰が可愛いとか誰がブスとかそういった話ばかりしていた。ブスで恋人もいなかった私はそういった話を聞くのも嫌だったが別の話題に持っていく力もなく、適当に相槌を打つことしかできなかった。
高2の3学期に大学受験に対して危機感を持つようになった。前述の部活とバイトの掛け持ちで学校の勉強は疎かにしており、特に2年生の頃は学校をサボりがちで午後から高校に行ったり部活だけ参加したりしていた。そのため、親が最も期待していた指定校推薦は望めそうになかった。
高3になる直前くらいに部活もバイトもやめ、親に頼み込んで塾に入れてもらった。部活もバイトも辞めるのはすごく気が引けた。親のせいと周りには話したものの、全部自分で決めたことだった。子供の頃から学歴コンプや貧困などの話を読み漁っており、親から絶対に私立には行かせられないと言われたことも相まって絶対にお金のない大人にはなるまいという思いが強かった。
大学受験では入りたかった塾に入れたが、中学時代から得意だった国語以外あまり成績は伸びなかった。英検をとれば有利になる大学が多数あることを知り、受けた。検定には合格したものの一番行きたい大学の英検利用はスコアが足りず諦めざるを得なかった。
受験の前、大学に全落ちしたらどうするかの相談を親に持ちかけたところ、お前は女なんだし、落ちたら浪人しないで働け、結婚して早くいい旦那さん見つけろと言われた。自尊心がズタズタになっていた私はつらくなって泣いた。
その頃は12月だったためなんかもう全てのやる気を失ってしまったが、英検と得意だった科目を活かしなんとか2月、一般受験で世間的に有名な大学に合格することができた。
親も喜んでくれた。塾の先生も高校の先生も喜んでくれた。見返せた気がして嬉しかった。
大学が決まると以前働いていたバイト先に戻り、たくさんシフトを入れて働いた。その頃の店長や先輩がいい人だったこと、先輩に同じ大学同じ学部の人がいたことも私のバイト先への帰属意識を強めた。他のバイトを探すなど考えられなくなっていた。
4月になり大学に入学した。東京の大学だったためダサいのは恥ずかしく、今まで友達が本当に少なく親からあんた親友いないよね、と毎日馬鹿にされていたので東京でも生きれる普通の女の子になってみたいという気持ちがあり、大学デビューしたいとの思いから服や化粧に金を注ぎ込んでバイト代は一瞬で飛んだ。家では夜10時までに帰ってこいと門限が決められ、お金もなかったためサークルや部活の新歓期間は逃したまま結局入らなかった。
大学で最も楽しかったことは(私の周りだけかもしれないが)人を容姿で揶揄する子がいなかったことだ。周りはみんな頭のいい高校を卒業した子ばかりで、発言に強要が含まれていて聞いてるだけで面白かったし、オタクでも1人でいても陰口たたかれないし後ろ指を指されることもないしすごく快適だった。プライベートでは相変わらずバイトばかりしていた。
秋になり、バイト先では私がお世話になった店長が別の店に飛ばされた。そのころからバイト先の環境は少しずつ悪くなっていった。めちゃくちゃ気が強い先輩が何人も入ってきた。今思うとここで辞めておけばよかったのだが、当時のバカな私はそれをしなかった。
2年生になった。コロナが流行り、授業は全部オンラインになった。生活リズムはグチャグチャ、なんのために生きているのかよくわからなくなったが、2年から入ったゼミの授業が週2であり、カメラオンのzoomで同期や先輩と話ができたことだけが精神安定剤となった。この頃には授業とバイトの両立が不可能と親に訴えたことで門限はなくなり、2年生からやっとサークルに入り直せると思ったがコロナのせいでできなくなった。
というのも親はとてもコロナを気にしており1年くらいバイト以外の外出ができなくなった。友達と遊ぶというとものすごく苦言を呈され、一緒に住んでいる人のことも考えてと言われた。落ち着いた頃友達とチケットを取ったディズニーランドもバレて延期せざるを得なくなったし、成人式もそのあとの友達との軽い夕食の話も断らざるを得ず、そのあとだんだんと誘われなくなっていった。
唯一の息抜きはゼミの教授がきっかけで始めた昆虫観察だけだった。自然がたくさんある郊外に住んでいるため、邪魔されずに散歩だけはできた。自然の中を歩いて、虫を観察している時だけは面倒な親のことも溜まっている課題のことも忘れられ、癒された。そうして私のつまらない大学2年は終わった。
3年生になり対面授業が再開し始め、相変わらず親は文句を言っていたものの少しずつ大学に行くことができるようになった。
5月ごろに就活を意識しいくつかの長期インターンに応募したが全て落とされた。夏休み、やっと参加できた地元のボランティアの活動期間はまたしてもコロナが猛威を振るい、親にはまた文句を並べられた。東京に行くなんてもってのほかで、ずっと地元から出られなかった。ボランティアもコロナのせいであまり活動できなかった。
8月に親の職域でワクチンを打つことができ、9月からは感染状況の落ち着きもあって割と自由に出歩けるようになった。1年も延期していたディズニーランド、ゼミの同期との飲み、泊まり、1年生から憧れていた「大学生らしいこと」をやっとできた。
さらに転機が訪れる。大学でやっていた勉強会に参加し、そこで今まで会ったことないくらい頭がよく、私に色々な世界を教えてくれる人たちに出会った。そこで初めて勉強の楽しさを知った。なんでこんなに楽しいのに今まで気づかなかったんだろうと思った。高校受験で諦めさせられて以降嫌になっていた外国語も、友達と一緒に高校の時履修したけど知識は身についていなかった政治経済も学び直し始めた。遠くへ行って、知らない世界をたくさん見たいと思った。生まれ直した気分だった。
しかし、11月ごろから周りは一気に就活ムードに入りそれどころではなくなる。夏からインターンには応募していたが、1年次から興味のあることが一切できておらず、環境は最悪だったが6年続ければ何か足しになるだろうとしがみついていたバイト先でも、社員や先輩に嫌われ責任者にはなれなかったため、俗に言うガクチカも自己PRもなく、落ち続けた。周りには何人か休学して長期インターンやボランティアなどをする人も出始めた。私も一度きりの新卒就活、後悔しないように休学か就留か就浪して長期インターンをし自分のしたいことを見つけたい、ちゃんと何かに打ち込みたいと相談したところ親にこっぴどく怒られた。家を出てってくれと言われた。インターンも何も参加できず、就職先が決まらないかもしれないと言うと、女なんだからバリバリ働けないでしょ。就活なんか適当に地元ですればいい、それより男に好かれる、愛されて結婚するための努力をしろと言われた。あまりに呆れてしまい、返す言葉がなかった。私の人生ってなんなんだろう。
実は大学に入り、見よう見まねで都会の女子大学生としておしゃれをしてみて何か嫌悪感のようなものを感じるようになった。女として扱われるのが嫌だ。バイト先で自己肯定感の低い私をたくさん褒めてくれる先輩が入ってきて仲良くなったが、軽く肩を叩かれる程度でも体を触られたり、下ネタの話をされると途端に気持ち悪くなり、おまけにとんでもないクズだったので、関わるのをやめた。親とか同性の友達とかにも体を触られるのが嫌で喧嘩になったこともある。飲み会で酒が進み、恋バナや性行為みたいな話になっても嫌悪感があった。そのせいか恋人は今まで一度もできたことがないしまだ処女だ。
それなのになぜ女として振る舞い、男に好いてもらうために努力しないといけないのだろう。憤りしか感じなかった。自分のためだけに生きたい。
この間中学時代の友達と話す機会があったが、彼氏と同棲するなら〜とか、結婚を考えると全国転勤ありは嫌だよね〜とかの話をされ、私はやっぱりそういう考え方はできないなと思ってしまった。
年が明け、またコロナの感染者が増え始めた。親は毎日毎日感染者数をLINEで送りつけてきて、外出しているとどこにいるの早く帰ってきなさいと頻繁に連絡してくる。もう外食もできない。
こないだ休日のランチタイムにバイトしていたら普段は担当しないホールに回された。満席になった店で楽しそうに食事をする家族連れを見ているとなんだか辛くなってきた。コロナがなければ、もっと自由に生きられたのだろうか。誰も何も悪くないけど、涙を堪えながら接客をした。
人をまとめる力もなく、卒業見込みの大学に見合った頭もなければ普通に女として愛嬌を振りまくこともできない、これからの私はどうしたらいいのだろう。
今興味があるのはコロナ禍で始めた一眼レフでの写真撮影と昆虫と小学生の頃から好きだった自然、あとは自分が悩んだジェンダーとかお金とかの問題で、私みたいにやりたいことを諦めなければならない女子もいるだろう現状の社会には割と不満を持っているけど、別にものすごい性差別を受けたとかめちゃくちゃ貧しかったとかではないから何かの志望動機にするにしても説得力ないなと思っている。志望動機を書いていても自分ごとにできてないってキャリアセンターの職員には言われた。多分大学時代にあまり興味のあることも好きなこともしてないしどこにも行けてないからだと思う。
強みは今でも偏差値が70以上ある国語と、性格面では小学生の頃いじめられたからか自分と違う意見でも人の話をよく聞こうと意識しているのと最近いろんな友達との交流を経てやっと取り戻した明るさ、あと昆虫について詳しくなろうとする探求心だと、友達とか教授に教えてもらった。これが活かせるところがあれば知りたい。
それか生まれ直した私でもう一度勉強し直したい。もう4年生なので、そのためには社会に出てお金を貯めてからもう一回大学に入り直すか大学院に行くことかなと思う。
もう自分の人生において、お金にこだわる私はいない。今までは親の影響でコスパばかり考える気味が悪い子供だったが、たくさん遠回りをしてこそ学べることがあるのではないかと考えるようになった。
一度自立し、一人暮らしをしてからであれば親からはなにも言われないだろう。けれど1人で生きていくにあたってやっぱり職がないのは困るし、20代後半で大学を卒業してもちょっと貯金ができ、一人っ子なので自分しか頼れない両親の老後の面倒を見れるようなお金がもらえるところに就職できるかが不安だ。それかとりあえず行けるところに就職して、後々自分の興味関心があることができるところに転職するか。転職のことを考えると気が重くなる。新卒キャリアがどんなものでも、そこから転職ってできるものなんだろうか。
とりあえず早く親元を離れたい。
私の大学生活を返して欲しい。
本当に無知ですみませんが、向いてそうなものとか、どこに転職するにしても役立つスキルみたいなものがあれば教えて頂きたいです。
未だに数字に関わる部分はノータッチ。交通費の計算すらやらせてもらえない始末
それはまあ自分が無能だから仕方ないと、ある程度諦められるのだが
それはそれとして、間接的に雇用している人たちから今月の交通費の支給まだー?とせっつかれるのも自分なので
自分にさっさと計算式を教えるか、月初の給与振込と同時に交通費も支給できるようにしておいてほしい
単価が一定以上になると別の計算式を適用するらしく、その分岐点がどこなのか判断できないせいで自分一人では交通費の支給ができない
そのくせ交通費の支給ができる先輩は趣味を満喫するために有給を使って連休。そしてせっつかれる自分。なんだこの状況
無能なので何も言えないが、正直この先輩が業務を属人化している状態はクソだと思う
先輩と自分しか管理部門が居ない状態なのに、先輩は業務を属人化するので優先順位が高いと理解してても手が出せない業務が山ほどあるし
そもそも先輩に「これどうしますか?」と訊ねると、「私がやるからいいです」と返事だけはするのだが大抵はやらない。二回、三回ぐらい催促してようやく手を付け始める
自分一人で進めようにも手順が分からないので進められないし、上の人間からは早くやれと怒られるし、アルバイトさんからは交通費まだ?と言われるし、何のために複数人体制でやってるのか謎