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はてなキーワード: 世捨て人とは

2015-06-21

青二才くんの信者擁護すればするほど惨めに…

甘やかしたら付け上げるアバズレとかつぶやいちゃってるからねぇ…

青二才くん期待を裏切らずに今日喧嘩


青二才くんは起きた瞬間機嫌悪く、誰かに喧嘩売って(八つ当たり自己嫌悪鬱病悪化精神安定剤ループだね

2015-06-20

よー観察してるなー

http://anond.hatelabo.jp/20150620124355

まり今日

↑これはストレス発散の通り魔なのか

しかもいくらでも叩ける弱そうな奴を…おそろしいおそろしい

青二才くん期待を裏切らずに今日喧嘩を売る

このひと呟きでよく耐えた!明日楽しい呟きだけを目指そうな!

2015-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20150610173558

増田なんて表面はまともながら、内面は平気でコミュ障名乗れる人間不信世捨て人ばかりだと思ってたけど。

ともあれ、意見には賛成かな。

2015-01-22

例の会見で、日本イスラム法学者が叩かれてるようなので

中田考さん(イスラム法学者ムスリム)が叩かれてるようなので、ちょっとだけフォローしたい。

(なお自分ムスリムではないし、かの美しいと有名なクルアーンコーラン)も注釈しか触れたことがない)

ワリと面倒くさい宗教であるイスラーム

六信五行なんて訳されることもあるが、ムスリム義務としての決め事が多い。

判りやすいところでいくと、ザカート(Zakat)というのがあって、これは義務的な施しにあたる。

翻訳の難しいところで、これは税金として解釈されることもあるし、喜捨まり寄付の一種と看做されることもある。

財産税による社会福祉と言うのが実体に近く、アッラーフ寄進して、それを皆が使う、という再分配機能になっている。

と、言うようにイスラームというのは宗教であるのだが、その根幹が社会制度になっている。

王様世捨て人を経て悟った宗教とか、大工の息子が突如悟って国教なっちゃった宗教とは違い、

砂漠のど真ん中で戦国時代やってたような連中をまとめ上げてサバイブしてきた宗教なので、

政(まつりごと)やってる連中に好きに利用されちゃう宗教とは違って、

どちらかと言うとこれは、建国理念に近いところがある。

なので、イスラーム共同体を作り守り広げるぞ、いう感じなわけだ。

ウンマ・イスラーミーヤ(ummma islamiya)とか言われるものがそれになる。

ジハード義務

で、ジハードのことを聖戦と訳すとまたややこしいことになるんだが、

アッラーフのための奮闘努力」が多分一番近いニュアンスになる。

で、これに大ジハードと小ジハードとあるんだが、

意外(?)な事に、大ジハードとは個人的内面の戦いになる。現実戦争とか小ジハードなのね。

ラマダーン断食月間)だとか、宗教的に正しい行いをするのはより困難で重要である、というわけ。

これは、大体の法学者が見解を一致する数少ない部分でもあって、かなり重要概念なのです。

ジハードもまた義務

宗教というよりは生活様式というかまんま国是みたいなものですというのを理解してもらった上で、

さらムハンマドにもたらされたクルアーン絶対、というのが義務として五行に組み込まれていて、

ムスリムはみんなそれを守るのは重要だと考えている、という前提をおいた上で、

ダール・アル=イスラームと呼ばれる、イスラーム世界というのがあるわけです。

自分の家、というニュアンス

ダール・アル=ハルブと呼ばれる、非イスラーム世界というのもあるのです。

自分たちルールとは、違うルールを使ってる世界、というニュアンス

すると、当然、自分の家を守るのは義務、ということでイスラーム世界を守るのは義務なわけです。

宗教自由なので無理強いはしないけど、イスラーム世界ルールには従おう、みたいなのがあるのです。

結果、非ムスリムは許容するけど、非イスラーム世界イスラーム世界に組み入れる努力を怠ってはならない、

という、ワリと複雑なことになっているわけです。

敵前逃亡地獄に落ちるとクルアーンに書いてある

まあ、正確にはアラビア語クルアーンを読むべきなんだけれども、

信仰者の攻撃を受けて背を向けてはならない、戦略的撤退等を除いてはアッラーフの怒りを被り地獄に住むことになる、とか書いてある。

そうすると、非イスラーム世界から攻撃に、ムスリム防衛する義務があって、背を向けてはならないわけです。

そして、非イスラーム世界代表例とも言えるのがアメリカ合衆国で、これに背を向けられないと。

ただし、害がない場合イスラーム世界と和平を結びたがってる異教徒)には、和平を結んでも良い、とされている。

ここでやっと、イスラーム国への呼びかけになる

ムスリムである中田考さんの会見は、同胞であるムスリムに対する呼びかけになるわけですね。

イスラーム国をムスリムでないと断定できれば攻撃したり非難したりすることは簡単なんだけど、それは出来ない。

すると、非イスラーム世界と戦っている!と言われれば、背を向けよ、とは声掛け出来ない。

日本政府側に言ったこと

日本政府側には「ムスリムは異教徒と戦って背を向ける事は出来ない(地獄に落ちる)ので、戦うとか言わないで」とまず言ったと。

テロリスト、非テロリストという枠組みではなく、まずイスラーム世界と非イスラーム世界との枠組みの話ね。

で、トルコ経由で人道支援に限って渡すことも出来るよ、仲介するよ、と。

イスラーム国側に言ったこと

イスラーム国側には(イスラム法学者として)、

日本政府資金は、人道支援に限ってるよ(戦うために使っているわけではない≒非イスラーム世界だが敵対中ではない)」

「(君らも知ってると思うが、安部総理トルコレバノン支援すると言ってるわけで)トルコ経由で渡すこともできるよ」

「双方にとって時間が短すぎるよ、そこはなんとかならんかね。自分もそっちに行くよ」

「ヤージディー教徒解放したよね。そういう態度の方が、主張は通りやすいよ」

まとめに代えたポイント

ムハンマドにもたらされたクルアーン絶対、という前提のもとでは、攻撃に折れよとは絶対に言えないわけです。

ただ、テロリストとは交渉しない、テロリストに金を払わないという日本政府側の前提も曲げられないと。

すると、日本は非イスラーム世界だが、人道支援に限って金を出しているので敵対中ではなく、和平を望んでいると、

イスラーム国もムスリムなら、小ジハードを止めろとは言わないから、異教徒に寛大でも良くないか、

そもそも時間も短すぎるし、ちょっとムスリム法学者たる自分が間に入るから話を聞いてくれまいか、

と、そういう声掛けになるわけです。

質疑応答でも、身代金を払うんじゃない人道支援だ、と繰り返し言ってるのが、板挟みの回答になってるわけですよ。

まあ、ワリと中田考さんはイスラーム国側に立った物言いしてるわけですね。どちらかと言うとメッセージになってる。

敵対すると同じ派閥であっても即処刑する人達なので、非難して即斬首とか困るわけですよ。当然ながら。

(もちろん、ムスリムがみんなこうかとういとそうじゃなくて、過激派は認めないとか、イスラムの名を利用した単なる侵略だ、とか言ってるトコロも多くある)

とういわけで、ワリと詰んでる状況で、譲歩を引き出す限界ギリギリのところだったんじゃないかなあと思うわけです。

だって日本米国協調路線で、ガッツリ名前出してISIL壊滅の為にイラク政府に手を貸すとか言っちゃってるわけで。

本来なら政府テロリストと交渉しないので、引き伸ばしつつ救出(奪還)作戦を展開して成功させないといけないわけで。

家族とか所属会社経由で身代金に応じるっていう裏取引(政府は目をつぶる)も、時間が短すぎると。

うーん。さすがにウラマー(イスラム法学者)だと認めたら無視はしないとは思うんだけれども。

関係者各位が無事に解決することを期待したいと思っています

2014-12-01

anond:20141130183016

・以前は宗教者、世捨て人としてそのようなことがあった。

・今はある種の企業職業がそれを代行している部分がある

・・お客様神様なので従業員はささいな報酬以外すべての生活神様にささげる

・・それでは生きていけないので二次的に生活代行者としての「主婦」を要求することがある

・・ブラック企業と呼ばれることがあるが、自営業はむかしかブラック気味だった

・また、やむを得ず半生をヒトの世話に費やすひともいる

・・子供に障害があった、親が倒れて介護必要になったなど

 

まとめ:望まなくてもそのような事態になることは多々ある

そこで重要なのは「捧げさせられた」とか「生涯を捧げた」ではなく

自分自由意志判断した結果現状がある と思えることである

「捧げよう」という意志教典一冊よんで1日続く程度の気まぐれの結果であり

宗教企業という団体同調圧力でもなければ長続きしない。

ヒトの本能に反するからだ。

ただし「あの人は捧げてる」なら言ってもイイッ(プロシュート兄貴参照)

2014-09-25

職場の隣の人間の週末は忙しい。

必ず誰かと出かけて、月曜になってくると思い出を連れて帰るように、身体に痕を残して職場に来る。

顔の日焼け痕、筋肉痛寝不足髪型……etc

出かける相手も様々。

会社の同期、大学の友人、中学クラスメート、先日参加した読書会の……etc

属性が揃い踏み。けれども、そこに「自分自身はいない。

'まさかとは思いますが、この「友達」とは、あなた想像上の存在にすぎないのではない でしょうか。'

淡い猜疑心は、いつかの飲み会写真を交換して、溶けていった。

私は、時計回り攻略中の関東ふれあいの道写真、山ばっか。

は、小笠原諸島で友人と撮ったシュノーケリング風景

最近世捨て人のように週末を山で過ごして一般人話題ストックが全く足りなかったけれども、八丈島ならいったことあるよともらした自分言葉を上手く繋げるように、会話は徐々に盛り上がって終わった。

から、というか今思い出したが、その席で話した人の中で沈黙が痛くなかった唯一の人だった。嫉妬なのか、羨望なのか、よくわからないものが胸に詰まって今すごく痛い。

明日の金曜、定時ダッシュをしていいかと、確認が来た。この時間までお互い残ってる理由分かってる?と言えない。聞きたくない話を聞いて、了承して、お終い。

ここは残業代はきっちり出る会社だ。そして私に予定はない。進捗は今欠員が出ると不味いかもくらいには少し遅れ気味、でもカバーできる範囲トレード出来ない何かに苛立つ。

2014-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20140512133035

それな。イジメられない最大の防衛手段は殴り返すこと。というのと同じで。

世の中には、殴り返さな人間を殴ってスカッとしたい。という人が一定数いる。

自衛隊防衛のための軍隊というのと考え方は同じ。

結局、争いは絶えない。 争いを最小限にするために争う必要性がある。

 

ただ、世捨て人になることはできるし、それが一番平和であると思う。

2014-05-09

気に入らないから妨害する。 or 談合

でも 正義 といっても 正義から見て気に入らないから妨害するということで

あるいみ正しく生きようとすると 世捨て人になるしか無い。

まり人間とはやや悪である

2014-04-23

専業主婦=不幸っつーのはタブーなのか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140421-00000029-fsi-bus_all

ありがちな専業主婦志望の女性が増えてるよ!」記事だけども

(「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」に賛同するのは常に男性の方が多いってのは敢えて書かない辺りがいかにも産経だがまあそれは置いといて)

Yahooコメント欄を気紛れで読んでみたらこんなのを見つけた。

みなさん憧れの専業主婦生活10年やりました。

子育て家事だけに集中できて、最高に幸せ時間だったのは事実

しか子供の手が離れたので学費稼ぎのためにイヤイヤながらパートに出始めましたよ。

そりゃあ、最初の頃は辛かったけど、だんだんと脳が活性化してきたのが自分でもわかるんですね。

専業主婦もさすがに10年続けるとたるんできて、ちょいとぼんやりしてきてですね、実のところ世捨て人のような、もういつ死んでもいいわ、私なんて用のない人間と思い始めていたのです。

今はそんなこと考えもしないですね。

ささやか収入だけど生きてるって感じます

周りの卒専業主婦の奥さん達みんなそう言ってますよ。

子育ての期間だけ専業主婦で、いずれは正社員としての社会復帰もできるのが理想なんだけど、今の社会はどちらかしか選べないような風潮なのが何とも残念です。


「もういつ死んでもいいわ、私なんて用のない人間」と考えている状態が「最高に幸せ」な訳がなく、むしろ病的な状態ですらあるのに

その状態から脱した今でさえも「最高に幸せ時間だったのは事実」と言ってしまうその心理。

その後の書き方からして、この人は「その時間は実際は幸せではなく、むしろ病んでいた」という事を自覚出来ているんだろうと思う。

なら何故「最高に幸せ」などと言ってしまうのか。

そう言わなければならない抑圧でも感じているのか(だとしたらそれは誰に対して?子供?夫?それとも漠然とした「世間」?)

或いは「専業主婦とは最高に幸せものだ」と言う宗教じみた洗脳はまっている状態が未だ解けていないのか。

この人が特異なのではなく、こういう人は珍しくない。

この人のような(元)専業主婦だけではなく、専業主婦ではない女や男でも同じような矛盾した認識を持つ人は多い。

身近な専業主婦(例えば母親だったり妻だったり友人だったり)がいかにも不幸そうだったり病んでいるのを目の当たりにした経験があるのに

専業主婦」と聞くと漠然と「幸せなはず」と考える人達。はてなでもよく見かける。

ありゃ何なんだ。そんなに言っちゃいけない事なのか。それとも皆カルト宗教信者状態なのか。

と言う事で増田で聞いてみたい。何なんだそれ。自覚があるなら誰か答えてくれ。

2014-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20140220121045

そもそもそれは「精神異常」なのか?

疑わしいな

おまえは「攻撃」と言っているが

それは単なるコミュニケーションでは?

 

もちろん攻撃性として現れる精神異常も存在するし

ソーシャルネットコミュニケーション

精神異常の結果として形成される可能性はゼロではないだろう

ネトウヨコミュニケーション精神異常であるという学説もあるが

その説に一定説得力があることは自分も認める

 

だが おまえはそのような具体例を示していないし

少なくともおまえが書いた例は

医学意味での精神異常ではない

精神病医学定義DSMなりICDを自分でググって確認してくれ

 

もうひとつ書いておく

 

オリンピック中継にしても、スポーツ観戦にしても、

何で他人の功績を自分の功績のように讃えたり、

身内の恥みたいに責め立てるのだろう

どこの誰だか知らない他人の、個人的な生活の一部なのに 

 

この点に関しては

疑問に感じる気持ちはわからぬではない

 

国や宗教人種イデオロギーとは関係なく

ひとつルールのもとで「個人としての選手」が競い合い

その勝者の栄誉を称える 

そのような公正な態度はオリンピック精神と呼ばれている

メダルを獲った競技者の勝利は

競技者所属する国や宗教人種イデオロギーの勝利ではなく

あくまでも「個人としての選手」の勝利である

そのような考え方を実践することがオリンピック理想なのだろう

 

その意味で考えるなら

他人の功績を自分の功績のように讃えたり

身内の恥みたいに責め立てる理由は

単にその人がオリンピック精神理解していないからにすぎない

ということになる

「他人の個人的な生活の一部だから」と

理由を一般化するのは適切ではない

 

そもそも「個人的な生活」に

オリンピックのような共通の単一ルール存在しない

ルールは無数に存在

ルールは常に変化する

人々にはルールを変えたり創造する自由もある

 

他人の功績を自分の功績のように讃えたり

身内の恥みたいに責め立てたい人は 好きにすればいい

「他人の個人的な生活の一部だから」と

世捨て人のように無関心を装って生きたい人も 好きにすればいい

そういう生き方があってもよいし どう生きるのもその人の自由だ

そのように多様性を受け入れたほうが

より多くの人が幸福でいられると自分は思う

 

多様であること

それが自由の本質

 

2013-12-24

もし生まれ変わることができるなら俺は

今のスペックのまま、“ちんちんがそこそこ大きい”人生を歩みたい。

ちんちんの大きさは確実に人生を左右する。

俺はルックス的にはおそらく中の上、ブサイクだと言われたことはないが

皆の心の中で「なんか惜しい」と思われている空気を感じる、そんなクラスだ。

そして俺はちんちんが小さい。いわば“粗チン”であり、言うなれば SO・CHI・N である

ちんちんが小さいがためにできなかった事やなりたかった自分の幻影が俺の心の片隅を占拠しており、

このままでは死んでも死にきれないのだが残念ながら人はいつか死ぬので、

仕方ないから生まれ変わった時にちんちんが大きい男として生まれいろんな夢を叶えたい。

こういう事を言うと必ず「ちんちんの大きさな関係ない」とか抜かすアホが出てくる。

関係ないわけあるかぼけクソゴミ虫。ろくに考えもせず適当なこと言いやがって。考えれば簡単に分かるはずだ。

ちんちんの大きさによってそいつ人生は大きく変わるし、

ルックスいかに良くてもちんちんの大きさによって不可能な人生がある。

考えてもみろよ。

ルックスは良いけどちんちんがすごくちっさい男が、

毎晩美女をとっかえひっかえするプレイボーイになると思うか?

エロい乱交パーティーに呼ばれて、行くと思うか?

街中で超絶美女を悪漢から救いその晩、彼女を抱く事になると思うか?

答えは否だ。彼は絶対にどこかでちんちん必要にならない選択をしてしまうからだ。

やりたくないのではない。ちんちんが小さいから逃げざるをえないのだ。

どうしても最初のご開珍の場面を先に想像してしま無意識のうちにそうならないルートを選んでしまう。

風俗でさえパンツを脱ぐのと同時にどうしても「すみません」という言葉が出てしまう。

この「すみません」は、「小さくてすみません」「小さすぎて笑いたいのを我慢させてしまってすみません

という意味だ。

書きながら画面が滲んでよく見えない。

想像してみろ。

日本の歴代の戦国武将ちんちんが小さいわけがない。

ブラピちんちんが小さいわけがない。

桜木花道の、流川楓ちんちんが小さいわけがない。

前田太尊ちんちんが小さいわけがない。

ゾロサンジちんちんが小さいわけがない。

JAY-Zちんちんが小さいわけがないし、SnoopDogのちんちんが小さいわけがない。

トム・ヨークの、ノエルちんちんが小さいわけがない。

この世の中で活躍してるのは概ねちんちんがそこそこ大きいやつらだ。

反して、秋葉原などでブヒブヒ言ってるやつらはきっとちんちんが小さい。

じゃなかったら2次元がどうとかブヒブヒ言うわけがない。

今度アキバでチン長を調べてみて欲しい。平均チン長が明らかに小さいはずだ。

しろちんちんが小さくないヤツがアキバにいるべきではない。ちんちんが小さくないのならもっとやりようがある。

そもそもちんちんが小さいから、世捨て人の如く内に篭って外見にも気を使わずどんどん腐っていくというパターン

確実に多いと思う。

だってどんなに洒落て充実したところで、ちんちんが小さかったら最後ギャグになってしまうのを我々は知っているからだ。

そう、ご開チンが“最後セレモニー”だからタチが悪いのだ。(いやタチは良いのだが)

この手の話になると今度は女子が「女にだっておっぱい格差が」とか下らないこと抜かしやがる。

くそが。

おっぱいなんか大きかろうが小さかろうが大した問題ではない、おっぱいは常に素晴らしいものであるし、

そもそもそんなものは外見からも見て取れるものからイメージと実物の齟齬は乳輪くらいのもので限りなく小さい。

パッド偽装が非難されるのは当然であり、それはおっぱいの小ささへの非難ではない。

「小さくても問題ない」と言う俺を信じなかった事への非難だ。

あと女性のおメンクは大きい小さいという評価基準が無いのが羨ましい。

たまに広さを問題にする愚かな男がいるが、はっきり言ってそんな事はどうでもいい。

多少のガバメントは問題にすらならないし、もし産後であるならそんな素晴らしい事を責める男はクズ以下の塵に同じ。

まじであんなとこから頭が出てきた時の衝撃と神々しさは忘れがたい。

少々話が反れたが、言うなればおっぱいは“中ボス”、ストーリー上の通過点、装飾として添える華であり、

おメンクは“エンディング”なのであり、めでたしめでたしなのであるぶっちゃけエンディングってどんなんでもいいだろ?

ところがちんちんはそう甘くは無い。(いや実際の味は知らない)

ちんちんは“ラスボス”であり最後に登場するからタチが悪い。(いやタチは良い)

最後に登場したくせに小さいと、それはもはや“オチ”以外の何物でもない。ギャグなのである

その瞬間に流れる微妙空気は、実際にちんちんが小さいヤツにしかからない温度と匂いがある。

また画面が滲んできた。

たまに「セクロスの良さはポコニャンの大きさじゃないよ!」とか言ってくれる素敵な女性がいる。

氏ね。そんな優しさいらないしそれはあくまで常識的なちんちんの大きさがあってはじめて成立する話だ。

非常識ちんちんが小さい俺にはなんの慰めにもならん。

じゃあナニか?おまえのおマンションに小指を出し入れして本当に気持ちいいか?あ?

というかただでさえろくに満足させてやれなかった嫁も2人射出してからさすがにガバメント2.0になり、

なおさら俺のSOCHINでは満足させられなかったせいか見事にセックスレスになってて泣いた

もしも俺のちんちんが大きかったなら、想いのすべてを歌にしてからセクロスに持ち込んだかもしれない。

あの時すれ違ったストライクすぎる美女に気兼ねなく声をかけてその晩ゴルゴばりに抱いたかもしれない。

近所の不良どもを片っ端からやっつけ今頃関東○合のトップで仕切ってたかもしれない。

同じチームの女性陣を片っ端からひいひい言わせて味方につけ、会社トップに君臨してたかもしれない。

ちんちんが大きいと得をする”と言いたいのではない。

大は小を兼ねる、ちんちんが小さいとする躊躇もちんちんが大きければ何も躊躇しない。

ちんちんが小さいことを無駄に気にして避けてしまったルートを、なんの気兼ねなく検討できる。

この感覚ちんちん普通、もしくは大きいヤツには絶対に分からない事だ。

そんなわけで、ちんちんが小さい今世を頑張っていくしかないのでxvideos見ながら小さいちんちんマッサージしつつ(タチは良い)、

ちんちんがでっかい来世を夢見て。

2013-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20131213235943

もっともな話なんだけど、世捨て人はやめとけよ。

人もネット邪魔だ。

バカみたいに飲み会に参加して、アホのようにSNSを使えばいいってものではないが、

それなりの接点は作っておいたほうがいい。

増田の年齢や立場にもよるけれど、ぺーぺーの私は今になって人脈の乏しさを痛感してる

2013-12-13

人とネットからしばらく離れたら、人格が変わってしまった。

しばらくの間、人と接するのをやめ、ネットもやらずに過ごした。

今久々にパソコンを触っている。

毎日毎日人に接し、毎日毎日ネットをしていた頃の自分が今は思い出せない。

あの頃は何かに追われて日々を過ごしていたけど、今はただぼーっとしている。


人もネット邪魔だ。

長年かけて溜め込んだゴミを全て捨てた感じ。

これでいいのか分からないけど。


世は忘年会だなんだと浮かれてるけど、全部断ってしまった。

世捨て人になりたい。

今のこの感覚は、今まで生きてきて一番心地が良い。

なんとかこれを維持する方法は無いものだろうか。


気付けば今ネットに触ってるな。

パソコン捨ててしまおうか迷う。

2013-11-06

久々に実家に帰った日、待ち受けていたのは家族ドン引きした視線だった。

理由は単純。自分体重が三桁を超えていたから。

冷ややかな視線も痛かったがそれよりも心に突き刺さったのは妹のヒステリック叫びだった。

「外でお兄ちゃんだって言いたくない」

歳が離れている分、特に兄弟喧嘩をすることもなく仲良くやってきたつもりだったが

まさかタイミングで大っ嫌い発言である

母のヒステリー体質をしっかり受け継いでいるのもこの時知った。

父を除く家族一体のブーイングの中、這々の体で帰らざるをえなかった。

先ほどその妹から宅配便が送られてきた。20-21時の時間指定で。

玄関先で偶然配達のあんちゃんと顔を合わせたので、そのまま受け取ったが、

アマゾンではないことはプチプチの感触ですぐに分かった。

だが四角い。玄関の明かりをつけると、果たしてそれはタニタ体重計であった。

リアクションを取れずに固まる中、宛先人が妹の名前になっていることをかろうじて目が追った。

包装を破ると薄い緑色メッセージカード

有効に使ってほしいということ、先日は言い過ぎたこと、2月結婚記念日は絶対に痩せて帰ること、

かいが息せき切ったような字でみっちり書いてあった。

高校生お小遣いにしては少々額が張りそうな立派な体重計を見ると、母もお金を出したのだろう。

ただ、言い出しっぺは妹に違いない。家と会社を往復する世捨て人のような社会人生活を送ってきたが、

今更やばいと思った。私は意思弱だが、見栄っ張りだ。自分のためではなく妹のために痩せよう。

まずはメールを送ろう。

2013-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20130912155856

IT業界自意識肥大化した人だけをピックアップして自意識肥大しているといえば、そりゃぁそのとおりだろ。だけどそれは統計学的に言って母集団おかしい。

言いたいなら、自意識肥大化しているひとをサンプリングして、何割がIT業界出身かというデーターと

IT業界の中の何割が自意識肥大化しているか?というデーターを持って来て。

研究所の中で、世捨て人的に研究しているプログラマーは、そもそも外界から見えないってだけでしょ。

どこの業界にも、自意識肥大化している人はいるでしょ。

そもそも、増田に書き込む段階で、自意識肥大化してるよ。ここはROMの方が多いんだ。

2013-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20130911142049

そんなこともよくあったけど、そのおかしな奴よりも、居残るヤツのほうが多かっただけだ。

それにいちおう、完全匿名じゃないしな。

 

みんな、行く場所なんて無いんだよ。

ある意味だけど、半ば世捨て人の集まりなんだよここは。

2013-08-01

継ぎ目

人生90年?80年?いくつまで生きれるか分からないが、

あれだけ金がなく、あれだけ暇な時間が有り、あれだけうまくいかない恋愛ができ

たかだか大企業就職出来ないだけで世捨て人になったかのように絶望できる

たかだか4年間だが、もう死ぬまで経験できない貴重な経験だ。

2013-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20130723175920

どうすればいいんだろう?

私の地元飛行機の距離にあり、私自身は関東で働いている。

地元友達と話をすると、そちらや海外母子疎開する家庭は少なくなく、受け入れ体制の整備が町で動いている。離婚して母子家庭になる場合も考えられるので、その場合サポートとかね。

もし、私が関東で子を出産し、低線量の放射能晒しながら、子が成長していくのを見たら炙り焼きされているような危機感を持つ気がする。

地元に受け入れ体制はあるわけなので、子が成人するまでだけでも、そのまま仕事は辞めて離婚して、母子家庭で手当てもらいながら、そこそこ働いて、子のために未来のために畑作したり、本や音楽を作って生きていくのはとても魅力的に見える。まるでインドのオーロヴィルみたいだ。案外うまくいくんじゃないか

ただ学生の時にインドのあの町を見て、世捨て人世界、私はそっち側ではないという感覚を持ったので、そういうところが信仰の違いってやつなのかなと思う。この違和感はなんなんだろな。

子を産むリミットは限られているので、それを過ぎたら私はそっち側には永遠にいけないんだろう。

放射能について

福島を問題視して、関東に逃げ、

関東を問題視して、地方に逃げ、

日本全体を問題視して、海外に逃げ。

逃げて安全だと思っている人たちは、そうじゃない人のことをいつも心配しているけど、同じように偏見だって持ちうる。

心配のコアになっている部分と、その殻は何層にも重なっていて、上手な切り分け方がわからない。

殻ごと壁に投げつけるなんて乱暴なことはしないにしても、ある程度剥いたら折り合いをつけるしかない。折り合いをつけるというのは、殻の中が腐ろうが、ヒヨコになろうが受け入れるということだ。

結局、増田の妻は増田がどうなっても受け入れようとは思っているけど、それ以上はもう歩み寄ることはできないんじゃないかな。少なくとも子が成人するまでは。

2013-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20130722230759

「何のために」なんて考えたら負け。

そんなこと考えたら世捨て人になるしかなくなる。

2013-05-06

唐突だけど以前読んだ本で、「宇宙の果てまで―すばる望遠鏡プロジェクト20年の軌跡」というのがあったので紹介する。

関係ないと思ったらスルーしてください。

http://anond.hatelabo.jp/20130506111132

書いたのは、ハワイすばる望遠鏡設立に向けて尽力した小平 桂一という方で、

話はほぼご自身の経験に基づいた軌跡なんだが、

研究者としての彼の姿よりも研究者のために働くマネージャーとしての姿がとても印象的だった。

例えば、すばる望遠鏡設立が三十年越しにようやく決まった中で、

ハワイへ数ヶ月から数年単位海外赴任することになるであろう職員の海外赴任手当が大きな問題になった。

なぜなら、今まで海外にある国立設備といえば、第二次世界大戦の慰霊碑ぐらいしか前例がなかったのだから

国立機関研究者が常勤で海外に暮らすということに限って言えば、前代未聞だった。

既存の枠組みでは"出張"程度しかなかった海外赴任の手当をもっと増やせないか関係省庁を巡るなかで

彼は、少なからず「研究者研究をしたいからそこへ行くんでしょう。手当等増やさなくてもいいんじゃないですか?」という声を聞いたらしい。

このままでは「すばる望遠鏡」という箱はできても中に人がやってこなくなってしまう。

職員に職務命令で従わせることもできるが、志気が上がらない研究でなんの成果があがるんだ(この辺うろ覚えでごめんなさい)。

そういう危機感をもって活動した結果、待遇改善されたという話だった。


元増田の割り切れなさは当然だと思います

研究者世捨て人じゃない。市井の働く人たちは皆仕事プライベート二者択一を選ばなくて、研究者がそれを当然だと思うのはおかしいよ。

足りない部分をかける時間で補うような研究もあるとは思いますが、なんていうか大半が、環境が許せばそうはならないんじゃないかと私は思います

ピペド体験談など特に...すごく無責任に聞こえると思いますが、元増田は常勤職ということでそれなりのポストを得ていると思います

ご自身が今に納得しなかったなら、せめて次のひとたちのために、活動できるようになれる立場を目指されてはどうでしょうか。

構造的な問題は一歩ずつ解決することが鍵だと思います

長文にて失礼致しました。

2012-10-11

「ごめんなさい」「ごめんなさい」

悲痛な男の謝罪が、満員電車こだまする。

女性専用車両中年男が、今日も顔色をなくしたまま、次の車両へ移っていく。

汚れの落ちないスーツが包むのは、だらしのない中年体型。

クリーニングタグは外し忘れないように、黒ずんだカッターの襟袖は見せないように、努力はするのが独身男のたしなみ。

もちろん、女性専用車両に居座るといった、肝の据わった世捨て人など存在していようはずもない。

2012-09-10

富士山山小屋が大量に出来た訳

富士山の過剰に連なる山小屋の実態、商行為自然保護が決して結ばれない現実

http://gigazine.net/news/20120909-yamakoya-world-heritage/

何が言いたいのかサッパリ。何が主張したいのか意味不明であるし、富士山商業主義にたてつく割に自分が一ヶ月そこで働いて給料貰ったとかメチャクチャだ。

登山歴89年のオレが富士山の現状について噛み砕いて説明する。

整備された山小屋が無ければ、今以上に大混雑する

山小屋トイレなど登山スムーズに進ませてくれる有り難い施設があるからこそ、あれだけの登山者を捌けているという事実もっと尊重してください。もし山小屋が無くてこのチャリンダーが言う「山小屋に頼らないテント泊の登山」なんてもの登山者の5%がやり始めたら富士山は確実に崩壊する。そこら中にテントが溢れてメチャクチャなことになる。今以上に混雑して分け分からん事になる。3000m越えの山にあれだけの登山インフラが揃った経緯も少しは考えた方がいい。

富士山に登りたい人の気持ちを否定するな

富士山は多くの日本人にとって憧れの存在なんだよ。日本の象徴じゃないか。その山に人生一度は登ってみたいと日本から人が集まる。それの何が悪い?それを否定するなよ。登山冒険チャリンダーみたいな世捨て人だけのものじゃない。普段日本の為に汗水垂らして働いている人達が、休暇や老後を利用して憧れの富士山に登りにくる。そしてその大量の人達を大きな事故も無く捌けている今の富士山インフラは凄い。こんな山は海外じゃそうそう無いぞ。

このチャリンダーとやらの記事が気持ち悪いのは、富士山に登りにくるような一般ピープルを心の底で見下してるからじゃないかな。「オレは世界中の荒野を自分の足で走って来た それに比べてお前らは...」てな具合。それは違うと思うんだよな。世間の人がお前みたいに自由にわけのわからん生き方できないから。そんな生き方日本人が誰もがやったら、君みたいな人が存在する受容性も無くなるよ。

もちろんゴミのポイ捨てはダメだ。そこは当然同意する。なぜあんなところでゴミを捨てられるのか理解に苦しむ。しかしそれはそれ、これはこれだ。オレが知る限りこれだけの高山にこれだけの人が集まってたいした事故も無いっていうのは日本ぐらいのもんだよ。実際海外登山好きの奴に富士山の現状を話すと笑われる。「HAHAHA!そんな山、あるわけないですー。ウソよくない〜」ってな。そのくらいありえないんだよ富士山ってのは。すげーよ富士山

ゴミダメだ。でも富士山に登りたいという日本人の気持ちを否定しちゃダメだし、今の富士山インフラはむしろ誇るべきだ。以上。

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