・以前は宗教者、世捨て人としてそのようなことがあった。
・今はある種の企業や職業がそれを代行している部分がある
・・お客様は神様なので従業員はささいな報酬以外すべての生活を神様にささげる
・・それでは生きていけないので二次的に生活代行者としての「主婦」を要求することがある
・・ブラック企業と呼ばれることがあるが、自営業はむかしからブラック気味だった
・また、やむを得ず半生をヒトの世話に費やすひともいる
・・子供に障害があった、親が倒れて介護が必要になったなど
まとめ:望まなくてもそのような事態になることは多々ある
そこで重要なのは「捧げさせられた」とか「生涯を捧げた」ではなく
自分の自由意志が判断した結果現状がある と思えることである。
「捧げよう」という意志は教典一冊よんで1日続く程度の気まぐれの結果であり
宗教や企業という団体の同調圧力でもなければ長続きしない。
ヒトの本能に反するからだ。
ただし「あの人は捧げてる」なら言ってもイイッ(プロシュートの兄貴参照)
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人のために生きたい気もするが 究極に人のために生きようと思ったら、お金なんて稼げないでしょ、生活できない
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