はてなキーワード: 不正解とは
教師が採点の上で付ける「×」は「数学上の絶対的な×」ではなくて「正しいとされている回答とは違います」くらいのものなのでは(教師じゃないから断言できないけど)。
もちろん、教師が何の説明もなく問題を出して、不正解にしたあとでも何の説明もしないのなら、それは批判されるべきだと思うよ。
でも教師は、授業でも、テストの答え合わせでも、ちゃんと解説しているはずなんだよ(というかそれが仕事だよね)。
こういう理由でこうなります、こういうふうに解いてください、次からはこう考えてみてください、とかね。
それをテスト用紙だけみて「前後を入れ替えても正しいはずだ!」って批判するのは違うよね。
「前提無く問題を出す」とか「間違った生徒をフォローしない」とかは、よっぽど職務放棄している教師でないかぎりありえないよね。
というのが自明じゃないんだよなぁ。
そこを説明するためにわざわざIf文/Switch文に置き換えているんだよ。
掛け算足し算の順序の入れ替えは(暗黙的に)交換法則を用いることで行われるんだから、
交換法則を教えていない段階で、勝手に使ってはイカン、というのは解る。教えた内容で回答して欲しいというのも解る。
だから、「不正解」にするというのが判らん。間違っている、ということなんだろ?
禁止する(switch文を使わずに、if文で回答せよ)は、解る。禁止してもいいか?なら、してもいいと思う。
それを不正解にしても良いか?なら、イカンだろ。間違ってないのだから。
☓にするなら、「switch文では、if文と同じことは出来ない」と宣言していることになる。不正解にするなら。
だから、switch文で回答した生徒に対して、△にして、「実行はできるし結果は同じになるが、if文で回答しましょう」とコメントするのはアリだと思う。
(繰り返しになるが、「if文で回答せよ」と問題文に入っていて、switchを使ったら☓にして良いと思う。)
特に前提無く最初の問題出して、switch文で回答した生徒に☓つけたら、プログラマーなら総ツッコミだと思うが。使って欲しいという出題側の願望とか知らねえし。百歩譲っても問題文がクソだろ。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/syuukatu-kowai
こういう就活に失敗した人がわからないわからないだけ言ってる生産性が全く無い記事にブクマつけてもすっきりするだけで時間の無駄だと思う。たぶんこの人ブログたいとるを見る限り社会人経験がない大学生だと思うけど、就活のおかしさとか会社のおかしさばっかりいうことに頭使いすぎてて自分の課題と向き合ってない。こういう記事ってすごく共感できるかもしれないけど、就活中の学生が変えていくために10年20年単位で時間が掛かる話考えても無駄だと思う。就職して会社を体験してからじゃないとわからないこともあるし、大学生のかたる就活おかしいよ論なんて下手の考え休むに似たりでしかない。
ってわけで俺が就活生の時に読んで参考になった記事貼っとく。この記事にはかなりお世話になった。就活って正解はないかもしれないけど不正解はある。この記事は不正解が何かってことを教えてくれてよかった。
(ここから)
大前提として私と同じFラン大学生が中堅企業を志望する場合を想定してる。大企業に行きたい場合は違う人に聞け。長くなってしまったので、時間のない人は最後の3行まとめだけ読んでくれ。
就活の時に「就活の王道」みたいな本を買って読んだこともあったけど、それで思ったのは「王道を歩めるものは限られている」って事だった。叶わぬ夢を追い求めるのは上位大学や院卒のエリート様だけでいい。自分が小物だと思うんなら、へっぽこな頭を使って賢く立ち回るべきだ。これから「これはやらなくてもいい」ってことを書いていく。俺達は普通以下のところからスタートするんだから、普通の人ですらできないことを一生懸命やろうとしなくていい。普通以下の俺達はあんまり器用じゃない。だから普通の人があれもこれもやってることをおなじようにやったら負ける。俺達は普通以下だからこそやれることを理解して、それだけを集中してやっていくんだ。総合点で負けても、どれか一科目で合格点を超えるように戦うんだ。
2次に大まかな方向性を決める
本当はマーケティングを先にやるべきなんだけど、どうせこれできる学生少ないからできなくても気にしなくていい。。中堅企業なら、選考プロセスの中で突っ込んで話をしていけば十分相手が新入社員に求めていることはわかる。というかそれができない中堅からは逃げろ。一方、大企業志望はそう甘くないから先輩訪問とか頑張るのは必須。
方向性については好みの問題だけど、一例として私の場合は「こんな時期だからこそ」守りを固めるべきだと思う。絶望的な戦況で歩兵で突撃するのはあまり好ましくない。撤退戦のような意識で、絶対防衛ラインを意識しながらそこに戦力を集中させるべし。避けるべき企業はしっかり避ける、その標準をしっかりつくっておくことおすすめ。地力で波を乗り越える力がない小物であるFラン組は、しっかり今のトレンド把握して、絶対に流れに逆わないように気を付けないとな。とにかく、入ったらしばらくはやめなくて済みそうな所を選ぶ。そんな贅沢言ってられないという奴がいるかも知れないけど、本当にここを第一優先にするなら、いくらでもあるよ。ただし中堅に限る。
学生どころか採用側でさえ今だに勘違いしてるところあるけど、今はタグの時代だ。今でも人間性とか総合力で採用担当者をうならせる学生がいるのは確かだろうだが、それは例外だと思え。少なくとも私らFランには関係ない戦略だ。もっとミクロに攻めていこう。もうちょっとしたらストーリーまで要求されるかもしれないが、これもマーケティング同様出来てる学生のほうが少ないから、まだタグだけでも十分いける。 相手にちゃんと分かる形でタグ貼ってるかい?ニコニコでタグ職人やってる暇があったらまず自分に貼るタグ考えようず。不況だから厳しいって言ってるのに「大企業志望」しかタグ貼ってない学生は今すぐ自害。
ただ、自分にタグ貼るとき、意外と難しいだろ。特にプラス面とか志望動機とか。大丈夫。これはみんな難しいから。昨日ホッテントリに上がってた人(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110106)くらい大学時代に経験積んでれば話は別だけれど、普通に大学生活送ってくるくらいだったらまともに考えるネタすら殆ど無いだろう。この部分で点取れるなら是非とっておくべきで、そのためにNBLなるものが推奨されるけど、ここも必須ではない。むしろ中途半端にやると不正発覚して一発退場だから、ハッタリに自信ないならやめとけ。
ここで1がちゃんと理解出来てる学生なら次やることはわかるな?自分のことくらい自分でちゃんと判断できるって考えないこと。それができるならお前は学生時代グータラ過ごしてなかっただろ?私らは「自分の望みさえ自分で把握できない程度の人間」であることの痛みを今ここで十分噛み締めるべきだ。その上で本当に確実に判断できるものはなにかって考える所からスタートするんだ。そしたら、自分にとって明らかなものは何がある?たいてい「自分が嫌な物」「絶対にやりたくないこと」の方だ。まずそういうタグからでいいからどんどん自分に貼っていけ。
ここで「そんなことはない。俺は自分の好きなことを自分で理解してる」「俺にはこんな誇れるタグがある」って反発できるやつ、あるなら私に文句言ってないでさっさと貼ればいいのよ?ただ、それが勘違いでないことを確認するために「これ仕事でやりたいか?」って質問を忘れないようにな。
当たり前だけが、「私は~が嫌いです」ってタグだけだと企業の人お前のことをいらない子扱いして終わりだ。でも、お前にはこれしかない。そうだろ?じゃあどうする?「これだけは嫌だ」をもっと掘り下げろ。人間自分のいいところを掘り下げられる奴はそうそういないが、悪いところならいくらでもえぐれる。血反吐はいて死ぬ寸前まで掘りつくせ。行き止まりまで掘ったら、ある時急に「俺、これ以外ならいけんじゃね?」という開き直りにも似た清々しい心境になるぞ。ここから「あえて言えば自分がやってもいいことはなにか?」とか「無理やりアピールできるとしたら何がある?」とか考える。タグはとりあえず30個くらいは準備しておこう。
ここで徹底的に自己嫌悪を体験しておくのは面接だけでなく五月病対策のためにも必須だ。絶対やっとけ。ここまでやらないと、ちょっと面接で自分の弱いところつつかれただけで腰砕けになるからな。どうせ自分を痛めつけなければならないなら、自分でやるんだ。他人にやらせると加減がわからないから最悪ぶっ壊される。
4 実践では「すでに自己否定は済ませたこと」は大いに武器になる
面接において、俺たちFラン大は基本的に足切りの対象だ。とにかくFランにしかいけなかったのは甘え野郎だし、こういう奴はやとっても自分可愛さに人の言うこときかないんだろうと思われてる。もともと頭悪いのに、躾からやらねばならん、まして教育など不可能だ、そう思われてるわけだ。だからほとんど機械的に殺しに来る。すごいいじわるな質問をして、答えられなかったら即終了。これは魔女裁判のようなもので「お前はクズだ」と行って、素直に認めたら「クズはいらん」、「クズじゃありません」と答えると「クズのくせに自分がクズであることも認められないとは最悪だな」でDEADEND。一見詰みにみえるが、機械的対応であるがゆえに隙はある。「私はクズでしたが、今はクズであることを悔い改め、御社のお役に立つ人間になりたいと考えています」とアピールすることは可能だ。
ピンと来ない奴のために俺の例を書いとこう。俺はバイトもサークルも全部1年もたずに投げ出すくらい根性なしだった。勉強も全然やってない。経済学部だったけどマクロのマの字もわからない。御社のために活かる大学の知識はありません。かといって遊び上手だったかというと全然。旅行もしてないし特に趣味もない。やってたのはひたすらニコニコ見たりゲームやったり。友達もいないからコミュ力とか全然ない。それでも俺は去年ちゃんと一部上場企業に営業職で就職できた。
何を言ったか?「そのとおり私は不まじめな人間です。その分私は真面目な人では絶対にわからない、ちょっとした退屈とかクレームの元になりそうなことならよくわかります。自分が嫌だと思うことをお客様にも感じさせないような提案をしていきます」とか「他人のクレームとか罵詈雑言には慣れているので、それに付き合うのは平気です。むしろ窓口とかやっちゃうよ」とか。(実際は違う言い方したよ。このまま言ったら相手切れるだけだから注意)まぁ手を変え品を変え営業なら営業、販売なら販売で、増田で鍛えた自虐ネタを使いながら返した。
コミュ力ないのにその場で切り返せんのか、って言うかもしれないけど、この人達どの会社行っても本当に機械的に対応するから慣れる。あと上でやった自己嫌悪に比べれば面接官の圧迫などクソのようなものだ。自分のほうが優位だと思ったら自信を持って返事できるヨ。しかも、面接官の人は、なにか嫌味を言ったときに、それでもへりくだって返せる奴を気に入ることが多いみたいだね。なにはともあれ、3で「絶対いやな事」だけは自分で把握してるから、かなりへりくだる余地はあるし、自己アピールする余地も出てくる。「馬鹿は馬鹿なりに反省してます」とか「僕頭悪いから先輩の教えに素直に従います」ってだけで評価されるんだから楽なもんだ。ある意味東大卒のほうが大変なんじゃないかな。
5まとめ
汝自身を知れ。俺たちFランにできるのは、最悪の環境を回避することに努め、それ以外には妥協せず自己否定を受け入れてでも行けるところに行くことだけだ。途中で心が折れないように、予め自分で折って立ち直ってから挑戦すんべ。Fランだからこそブラック企業に入るのは恥だと思え。
“31歳無職に彼氏を自称されていた時に学んだこと、か。書いてる内容は正しいと思うが、なんか好感の持てない文だ。選民意識高そう
僕が彼女に「選民思想でもあるんじゃない?」と言った理由を少し書いとく。どちらかと言うとアートニート寄りな人間のいうことなので、ハヤカワさんの言う不正解な人間の言うことだからコバエが飛んでると思って無視していただければ幸いですよ…
まず、僕は女の人のブロガー・ライターが増えたことで、「自分が出会ったダメンズへのヘイト」を書き散らかすブロガー・ライターの存在を山のように見てる。本当に彼女達が弱者で被害者ならまだ応援する気にもなるけど、ある程度モテてる人間による、モテない人間へのマウントでしかない用に感じ、不快
僕はハヤカワさんについて「選民思想」といったけど、具体的に言うとうしじまいい肉とか峰なゆかとかそっちの人と同じ系列の選民意識を感じています。自分が男性にモテるような位置に行って、実際多少なりモテた結果、モテの弊害も経験し、その弊害を語ることで私はモテてるとでも言いたげなナルシズム
ダメンズについて綴る女性のブログやツイートに対して、ある種のセクハラやセカンドレイプだという自覚「自分は被害者でかつ、相手を汚い言葉で見下せる立場であるから殴るんだ」という被害者最強(クレーマー的)な発想と「でも、そんな経験のある私はモテてるの」というナルシズムが感じられる
クレーマー的に人を殴るのも、被害者としてナルシズムを発揮する発想も僕から見るとなんかご都合主義で論理的でない(この人と関わると立場や印象で態度をコロコロ変えられるのだろう)という懸念を感じて、不信感が募る。ハヤカワさんに限らずね
とは言え、僕はアートニート寄りの人だからきっと彼女に何を言っても「お金というグッドをもらってないあなたが何を言っても、それはコバエ程度のノイズにしかならないよ」って意見でしかないだろうし、そのことは僕も自覚してます。しかし、ハエでも生きてる以上飛び回るし、生きようとはするんです
あとは20歳のガキに説教するのもどうかと思うけど、人間ね、はじめから道が決まってる人ばかりじゃないんだよ。進んだ道が合わなかったり、塞がってたり、転落して見失ったりしてその都度模索しながら生きてる人もいるんだよってことを若くして成功なさってる彼女に差し出がましくもいいたい僕がいる
どうせみんなハヤカワさんの味方をする負け戦だと知ってるから、僕はこの場で言っておくか。よく、女の人はヤリチンが女の子との行為を成果物のように言うことを批判するが、最近溢れてる自分の関わったダメンズを晒して批判して同情を集める行為もヤリチンのそれと本質的には同じことなんじゃないの?
はいはい、負け戦。今回も僕はまた女に負けた。お金に負けた。攻撃される前からこうやって愚痴ってる時点で自分にも負けてる。オーディエンスも戦意がない僕に味方しない。そこにナルシズムはないです。僕も彼女が正しいとは思うから、僕を否定してますます彼女が正しいと示されたらいい。全部僕が悪い
病んでもないさ。ただただやる気をなくしているのさ。
kanose お金がなくて女性に対する自信がないからって女性のブログを無料でキャバクラ代わりに使って心を癒やそうとするかのような鬱陶しいつぶやき。これシラフで書いてるなら怖いな
こういうことを言うとなんだかトゲがあるし、お前が自己中なだけじゃ…って思われるかもしれないが書きます。
授業内に演習プリントが出されそれを解き提出するとき、僕の解いたものを「見せてー」と言いながら写すのは構わないし、僕自身何度もやったことだから何とも思わない。
でもそいつは、ちゃんと解いてから「なんでこうなるの」と聞いてくる。
いや、お前解けてるじゃん……
毎回そう思う。
僕自身GPAも低く頭もよくないし、プリントを解くときでさえTAさんにやり方を聞いて、なんとか答えを導いている(正解とは限らないが…)。
そいつはGPAの高い人が学校からお金をもらっ下の学年の人に教えるチューターというのもやっていた。
僕自身普段はうるさくバカで、飲み会だとウェーイってやるタイプの人種で、加えてめんどくさがりである。はっきり言うとそいつの点数が低かろうが高かろうがどーでもいいし、僕の解答がもちろん合ってたらうれしいけど間違っててもしゃーないなぁって思う。でも、そいつは出来もしないのに満点を求める。研究者としてはとっても大切な心構えだと思うし必要であることもわかる。でもさ、僕もそいつも学生。特に責任も何もない。
実験班も一緒で毎回レポートのグラフや計算で求める値を聞いてくる。めんどくさい。計算式も決まってて後は数値を叩き込んで電卓に打つだけ。誰だって同じ数値を使ってるんだから普通にしたら同じ値になる。間違うはずがない。なのに聞いてくる。
これ以上書くとほんとに愚痴になるしそいつを嫌いになるからこれ以上具体例は書かない。
やっぱ愚痴る。
恥ずかしながら。
心配性で不正解が怖いのではないかとは思う。にしても要領が悪いし勉強面じゃない頭が悪い。一緒にいると疲れる。向こうが僕をどう思っているのかは分からない。
が、僕はそいつが苦手だ。聞かれることに素直に答えられない自分が嫌いだ。ここに書かないとイライラしてきそうな自分の心の弱さが大嫌いだ。
授業にするっていうことそれ自体はいいんだろうけど、現在の小中学校教諭にマイケル・サンデル並の教育能力を求めなきゃ意味がないとも思う。
例えば船に乗ってるときに事故にあって、自分は浮いてる木につかまってれば救助されそうなとき
近くからその木をめざして泳いでくる別の人がいたときに逃げたり追い払ったりするのは画一的に評価すれば道徳的に悪=不正解なのってことになちゃうじゃんね。
口先では「自分が溺れても他の人を助けます」なんていくらでも言えるんだし。
日本人は建前と本音の使い分けが上手だから実際にそうなったときに「そうはいっても自分の命って大事でしょ?」とか笑顔で同意求めるのかもしれないけど、それって道徳の授業にする意味ないじゃん。
つーかただの受験科目か推薦のための点稼ぎに落着いてただの天下り先が増えるだけじゃん。
どうせ道徳を授業にすんなら、行為のどこが正しくてどうしてそう考えるのかっていう論理とか哲学とかの分野に踏み込まないとお偉いさんの言ってるような効果ってのぞめないんじゃねーの。
要するに、無駄なことやめろって言いたいだけだけど。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/02/20/170139
こういうの反吐が出る。
あの選択のシーンは、前提として「犠牲を強いなければ滅びる」くらいの戦力差がある。
だからこそ、レオナールの決断も一方の正義であるのに、カオスルートにしか行かない輩は、騎士レオナールを卑怯者と断じるのだろう。
国家の存亡と、そこに住む数多の民草の命運を、「人間として正しい選択」をしてレオナールに全部背負わせるのは、【あの場面に関して言えば】ただの逃避だ。
代案が無いのだから。
その「人間として正しい選択」の結果、ゲーム中で国が滅び民草が恨み言を主人公に吐いたら、きっとこいつらはゲームに悪い評価をつけるんだろう。
「間違った選択をしたのはロンウェー公爵と騎士レオナールでぼくじゃない」と、「人間として正しい選択」をしたのに不正解なんておかしいと。
劇中の主人公のように言うのだろう。
ずっと言い続けるがいい、「ぼくじゃない」と。
こういう人らは、ゲーム中で「カルネアデスの板」のような状況に遭遇した場合、「人間として正しい選択」の結果、ゲームを進めないという選択を選ぶんだろうか?
当然、その場でクソゲーとして売り払うんだよね?
逃避でしかない自分の選択を、「人間として正しい」とか誤魔化すな。
その逃避をして、自分は正しい価値観を持っているなどと思い上がるな。
クソ共が。
ある種の人々は言いようのない劣等感を感じている。というか、青春期、人々の多くは言いようのない劣等感を感じているように思う。それは書物で見る限り昔からのようだ。
「その劣等感はどこから来たのか?」とか「どんな理由で感じるのか?」という問いにはあまり意味はない。おそらくそれは青年が何者でもなくて何が出来るかもわからない不安感から生じているのだとは思うけれど、そんなことが分かったところで劣等感はなくならないからだ。正解でも不正解でも、あんまり意味がない。
十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20141202220427
上の増田は嘆いているけれどその苦しさってそこまでユニークじゃない。「大人」の多くはその苦しみを経過して(乗り越えてとは言わない)大人になっているよ。
大人だってむかしは若者だったし若者だった以上にチンピラだった。Webの情報支援がなかった昔の若者はいまの若者以上に何も出来なくてずっとずっとボンクラだった。大人の多くは自己努力で青春だの成長だのしてきたつもりでいるから、上から目線で説教したりするかもしれかもしれないけれど、それって高度成長期があったせいであって別段昔の若者が優れてたわけじゃない。
断言する、昔の若者はボンクラだった。公平のために弁護すると、それは昔の若者の能力が低かったというよりも、さまざまな課題解決のためのフレームやマニュアルが共有化されていなかったせいだ。だからその時代、口コミや師弟関係や親族関係が重要だったしコミュ障は今よりずっとスポイルされてた。また、だからこそ「無鉄砲な行動力」が重要視されていた。体当たりでノウハウを積み重ねるというのが今よりずっと意味があったからだ。(なぜならそうして取得したノウハウは簡単には共有されないので差別化の原資になったからだ)。
今の若者はWebによる情報支援があり、さまざまな課題に関して極上のマニュアルを入手することが出来る。遭遇しうるありとあらゆる問題に対して、それを解決した先人がいて、おおよそどうすればいいのかわからないということがない。進学、就職、研究、技術的な学習、恋愛、人間関係、法律問題。様々なマニュアルや手記がWebにはある。少なくとも手がかりは存在する。
そのメリットがある半面、隣を走ってる同年代の姿もよく見えるようになって、それが劣等感レンズとして視界をゆがめている部分があるにせよ、それでもこの情報支援は大きい。今の若者は昔の若者の無意味に強気なボンクラさに比べて、様々なことを実にスマートにこなす。紳士だし慌てないし礼儀正しいし、誤解を恐れずに言えば「有能」だ。
それはおそらく、いわれのない劣等感にさいなまれている増田でさえ有能なんだ。
オタクがサブカルを敵視したのか、サブカルがオタクを差別したのか、はてなブックマークのコメント欄も白熱しており、ヤンキーも巻き込んで混然としています。
http://hatenanews.com/articles/201412/23089
だから、この記事に見られるようなオタクとサブカル、あるいはそれに加えてヤンキー同士の抗争というのも実は本質的ではない。本質は劣等感だ。
いわれのない劣等感がまず先だって存在し、その劣等感は消去できない。麻痺させるしかない。劣等感を麻痺させるいわば痛み止めとして、この種の抗争が存在する。ほとんどすべての人間は、無名の置換可能な消費単位でしかない。若者であればそれはなおさらだ。そんなことは当たり前なのだから、そこで劣等感を感じるべきではない。しかし青春期の自意識にとってはそうではないので、劣等感を感じるし、その劣等感を痛み止めするために、近しい場所にいる別の消費者を罵倒してるだけだ。
歳をとるとその過程で様々なケーススタディを経験するし、見聞する。若いころ、世界には才能ある人(100点)とクズ(0点)しかいないように思う。
もちろん年を取ったこの世界にも100点の人と0点の人はいる。でもそれ以外の点数の人々もいるってわかってくる。わかってくるっていうのは、例えば42点の人がいるということじゃない。そんなことは(理論的には)若者の時だってわかっていた。
わかるのは「42点の人と41点の人の間にある差」だ。そのわずか1点の差が、彼我の間の明暗を分けるというような例をたくさん目にすることになる。「1点の差の大きさ」が実感としてわかるようになる。そもそもある年代を100点で分割すれば、任意の社会人が自分の職場で見ることのできる人間の幅なんて5点差くらいしかないんだ。「俺の今いる会社にいるのは38点~43点」とかそんな感じ。しかしたかがその5点の間の距離が、越えがたく遠いということもわかる。新入社員39点が40点に成長するのはすごく大変だ。
そしてこの点数はジャンルや技能ごとに分かれていてその種類も百種類じゃ利かないってこともわかってくる。つまりどういうことかというと、人間ってのは恐ろしく膨大なパラメータで構成されていて、若いころ思ってたよりもその距離感は遠く、埋めがたく、複雑だってことだ。マクロに見てみれば確かに消費単位としての人間なんて似たようなものだけど、ミクロに見てみればAさんにできてBさんにはできない、って問題にあふれすぎている。卑近なことでいってみれば「議事録を手際よくまとめてコピーして事前に配布しておく」程度のことでさえ、人間と人間の間には差があって埋めがたい――それが中年になるとわかる。
その種の格差ってのはもちろん絶望でもあるんだけど、一方で解脱というか、いいことでもある。
少なくとも「世界は才能ある人(100点)とクズ(0点)でできている」みたいに乱暴で便利で安易な絶望には向かわないですむようになる。
世界を二種類で塗り分けるってのはずいぶん簡単で、その若い絶望は手抜きだったんだな、ってわかるようになるんだ。
若者はまだケーススタディが足りてないから「俺は0点だ!世界はクソだ!」とか叫ぶけれど、ちゃんと観察を続ければ(たとえば)自分は28点だってのがわかってくる。もちろん自分が28点しかないってのは、そりゃたしかにがっかりするけれど、27点の人との間にある圧倒的なアドバンテージも同時にわかってくる。それが解れば、28点全部を放り出して「俺は0点だ!」なんて思いもしなくなる。
それに遠いとはいえ29点の方向もわかるようになる。29点になる為の1点を100分割して28・01点のためになら多少歩くことだってできる。これはなにも努力至上主義みたいな話ではなくて、どちらかというと、真っ暗で見たことも聞いたこともない砂漠に放り出された時、地図を持ってるのと持ってないのとでは大違いだ、という話に近い。努力をしなきゃならん、すべきだ、という話ではなくて、自分に何が出来て何ができないか(=自分の点数もわからない)で生きていくのは、生死にかかわるほど不便だってのももちろんだけど、ただわからないというそれだけで死ぬほど不安で不幸なことだって話だ。
そんなわけで、ここでいう若さ特有の劣等感は嵐みたいなもので中年になれば消える。すくなくともどっかの職場で働いて自分の姿が見えてくれば薄れていく。1点の差を乗り越えるためにグダグダ数年を過ごせば、懐かしくなる程度には過去になる。そこだけは、おっさんとして、安心してもいいんだよ、と言いたい。
僕はネトウヨって言葉ができる前から2ちゃんのニュー速をROMっている不名誉な事実があるんですが、この言葉ができてから韓国や中国への反感を持った書き込みが知識人()に批判されるようになっていきました。たしかブサヨの対義語としてでてきたんだっけな。
ネトウヨ批判もいいけれど、なんで反韓、反中が訴求力を持っていたのかってのはよく検討されるべき問題だったと思うんですけど、ここに在特会が出てきて話が変わってきました。
彼らが極端な言葉を使うことによって、反韓、反中への反感が社会的な悪になってしまって、さらにヘイトスピーチという言葉があてはめられて、国連まで持っていかれました。
在特会はよくないと思いますし、嫌いですが、向こうの勢力のレッテルづくりの能力はすごいなぁといつも感心してしまいます。そんでレッテルがシンボルになってむしろ強硬な人がそこにたくさん集まるようになっているのにはなかなか哀愁を感じさせます。
そんなこんなで、日本人の反韓、反中は弱まるどころか強まっている気さえします。少し前なら見なかった2ちゃんの書き込みですか?っていう駅前演説を聞く機会が増えました。というか、2ちゃんでも使い古されたネタを堂々と「こんなのおかしくないですか?」とやり、それにけっこうな人々が足を止めるんですね。
きっかけはいろいろあると思うんですが、フジテレビと李元韓国大統領の竹島上陸と天皇への批判がターニングポイントだと思うんです(個人的に、テレビ批判はアサヒとT豚Sとかの方がなじみがいいです、はい)。「あの」外務省が強硬な姿勢を取ったのは本当に驚いたし、日本のマスコミがタブーっぽかった韓国批判を大っぴらにし始めたのは素直にびっくり。おまけをつけるなら、尖閣ビデオと石原閣下の対応で中国をブチ切れさせたのは超wktkでした。
あちらの国では日本の経済が下がってきたからとか、サムスンが日本企業を抜いたからってのが主要な理由としてあげられとるんですが、正解、不正解半々で考えてます。まぁ時価総額だけで考えるなら、現時点で、トヨタの方が上ですし、トヨタの上には中国企業やインド企業がいますしおすし。ただ、相対的に貧しくなると、排外思想が増すってのはナチスもたどった道ですし、ヨーロッパ中が絶賛、極右政党議会入りな感じですし、日本も例外ではないのかと。
つまるところ、隣国を見下して自分を有意に見せたいってのは、サルの時代からの本能だと思うので、しょうがないかなと思うんですが、10年も2ちゃんにいて、人生の貴重な10代、20代を削りに削り、ついに韓国ネタ、中国ネタに生あたたかい目線を向けられるようになった僕としては、駅前でメガホン使ってワーワー言っているおっさんおばさんを、熱いなぁ若いなぁ元気だなぁと思ってこちらにも生あたたかい目線を送っているわけです。
「男を誘ってるのではない、男が自ら誘われてるのだ」説は半分不正解。
男の服も女の服も、すべては如何に異性からウケるかを着地点に設計されている。
デザイナーがわざわざ異性からキモがられる服なんてデザインするわけないじゃん。
この世に「異性を誘わない服」など(ごく少数を除き)存在しないし、すべては「異性を誘ってる服」なんだよ。
良い服ほど「男性らしいライン」や「女性らしいライン」を強調してくれるでしょ?
なぜそれを強調するかといえば、それを評価してくれる異性という存在があるからこそ。
したがって「誰でもいいから誘っているわけではない」は通らない。
まんまんぬれぬれびっしょびっしょ、どうもー! 新人シンガーソングライターでぇぇぇす!
私が作詞屋と喧嘩した後、仲直りのために二人っきりでしたことはなんでしょう?
はい、一番最初に手を挙げるのは誰かなー、はい君だ! なになに、クンニ?
下ネタ禁止ですよー、このライブは、下ネタ禁止ですよー、反則です、販促しちゃうぞー、CDの販促PV流しちゃうぞー!
次の人ー、手マン?
だから、下ネタ禁止って言ってるだろ! いい加減にしないと、我怒るぞー、我怒るぞー!
ヒントは「女と女でしかできないこと」でーす。
おっ早速手を挙げてる人がいますねー、はいなんでしょう? え? セックス?
あーーーーーー、おしい! おしいよ、もうすぐ答えにたどり着けます。
でも、もう時間ぎれでーす。
答えはーーーーーーーーー
作詞屋のまんまんをすりすりして、こすこすして、はすはすして、ペロペロして、ちゅっちゅっしたでしたー。
まんまんぬれぬれびっしょびっしょ、どうもー! 新人オフィスレディーでぇぇぇす!
まんまん舐めてるー!?
私が先輩と二人っきりでディナーを食べて、お酒を飲んで、先輩の部屋に上がり込んだあと、二人っきりでしたことは何でしょうー!?
はい、そこの人!
え? なに? セックス? ぶぶぶぶぶぶぶぶーーーーー!
はい、次の人ー、なになに、食後酒?
だめだめだめ! だめだめだめだめだめ! そんなおっさんみたいなこと、私と先輩の二人がするわけないでしょ!
ヒントは「女と女でしかできないこと」でーす。
下ネタ禁止でーす。
もうみんなダメですねえ、答えはーーーーーーーーー
先輩のまんまんをすりすりして、こすこすして、はすはすして、ペロペロして、ちゅっちゅっしたでしたー。