はてなキーワード: 下位互換とは
多様って言っても下位互換じゃなあ
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
女子スポーツって基本的に全部男子スポーツの下位互換であって、人に見せるもんじゃない
スポーツってのは常人にはたどり着けないレベルに達した超人を見るのが楽しいんであって
だれがそんなもんを見たいと思う?
個人で楽しむ分には大いにやってください
けど、それが特別なことと思うのは辞めましょ
それだけの話
そもそもトランス女性は、女性の権利を獲得するためにコスト払ってるんだろ
それで女性の権利をやっと獲得して、けどスポーツには参加出来ませんとかあり得ないだろ
アホかと
理屈で考えろよ
俺は別にどっちでもいいんだよ
けど、トランス女性が女性の権利を持ってるならスポーツに参加するのも自由、トイレを使うのも自由だ
それが筋だろ
女子スポーツって絶対男子スポーツの下位互換になる運命になってる
そもそも女子がちゃんとしスポーツに関心を持ってれば、女子スポーツにも生きる道があるんだけど
盛り上がらないと、ただただ衰退していくのみ
衰退して女子スポーツなくなっでも構いませんって言うならそれでもいいけど、社会的には嫌なんでしょ?
じゃあ、性的にして盛り上げようよ
おっぱい振り乱すだけで、メッシを超えるプレイヤー出てくるんじゃない?
メッシぐらい稼げるとしても、絶対おっぱい振り乱したくないって言う女子スポーツ選手いるの?
いないでしょ
メッシ程じゃなくても、性的に見られぬるのが嫌ですって言ってる女子スポーツ選手も金になるとわかったから、絶対そっちを選ぶと思うんだよね
俺に何億って税金投入してくれるなら、性的女子スポーツの確立やってあげてもいいよ
お前らにも投資させてやってもいい
自分好みの性格・外見のAI恋人やAI友達が作れるようになったら、社会はどうなるんだろう
しょせんAIなので、一緒にスポーツやアトラクションを楽しむだとかセックスするだとかの肉体的な関わりについては代替できないが、逆に言えばそういうAIが出てきた時点で生身の人間は肉体があること以外の全てがAIの下位互換となってしまう
今でも誰かと一緒に何かをする事になったらできれば自分と気が合う人とやりたいと思うのが自然だろう
現在でもアイドルや芸能人など、自分ではほぼほぼ付き合えないとわかっている存在であれば、それらを推しながら身近な恋人を作る人がたくさんいるが
その推しが24時間いつでもチャットを受け付けてくれて一切嫌な顔をせずリクエスト通りの(画像生成で作られた)写真や動画、通話ライブをやってくれるようになったらどうなる?
アイドルはただの一般人の自分ひとりには構ってくれないが、AIにはそれができる
ハグやキスやセックスはできないが、それらを求めた時、相手になるのはAIよりも(自分の好みに合わせてくれるかどうかにおいて)劣る人間だ
単純な快楽目当てのセックスの需要は残ると思うが、恋愛とは切り離されることになるかもしれない
好きだったソシャゲが死んだ。
死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。
ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルのURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲームの悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。
●好きだったところ
そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自のシステムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意のコマンドを使用して特殊なコマンドを使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。
自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットのレアリティが存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度は現在実装されているメインストーリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意のユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージのクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである。
このユニークな戦闘システムの面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムでPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定のユニットをリーダーにして一定回数PvPイベントで勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。
また、グラフィックやストーリーや音楽もゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストとストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味でソシャゲらしくない重厚長大でシリアスなファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターのモデルやBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。
また、ソシャゲにありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度のストーリークエストをクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイドイベントはあるが、育成が進んでいないユニットは個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイドイベントさえも気楽に遊べる。
新感覚の戦闘システム!色んなキャラクターが活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー!個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象のソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味で体現しているゲームであった。
本当に、好きなゲームだった。
●少しモヤモヤし始めた頃
最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明が憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存のキャラクターの衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者のキャラクターのことは元から少し苦手であった。
問題のイベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者のキャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的に使用できない期間が生まれる理由付けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。
性能面のバランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換の概念はほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニットは採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャで実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージを簡単に攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定のユニットを除けば他のメンバーは特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃を分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvPの環境も崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。
しかしここで一つ加えたいのは、自分はストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信のコメントは全て荒れに荒れ、中の人がレイドボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザーも自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。
「配布されたユニットは扱いやすく初心者向けの性能である。半月後のガチャで実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」
そう、ユーザーの認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。
半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢は否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレも否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーなユニットが出るのも仕方のないことである。しかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営のバランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。
●ユーザー層の変化
先述した炎上したイベントは賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストーリーが進むと主人公とメインストーリーでの配布キャラクターが中心の冒険譚から、ガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターにフォーカスして個人のストーリーで描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクターが世界観の深掘りのなされるメインストーリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。
特定のキャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストーリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである。
布教する側はもちろん新感覚のシステムによる歯応えのある戦闘もストーリーやキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句が有象無象のソシャゲと同程度に捉えられがちである。キャラクターにレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係でストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットやギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。
そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベントの半月後のガチャで実装されたユニットであった。
当時実装されていたストーリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的に戦闘スキップ権となったのである。半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。
だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対にクリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットでクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHPを盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。
メインストーリーでストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーやイベントとは別にランダムに現れるボスやミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザーが布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツにアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツの報酬は暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベントの報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者が特定ユニットで一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまったからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。
気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。
●キャラゲー化
ストーリーとキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームはキャラゲー路線を歩んでいくことになった。
まず、メインストーリーを戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザーに迎合しないで欲しい。
このゲームでは定期的に既存のユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルのテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットのスキルの効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的なテコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニットが存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。
次に、レベルキャップの解放が実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクターを10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータスは雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルのテキストも全く変わらない。つ Permalink | 記事への反応(2) | 07:36
女増田はなにも悪くないし、悪意を持って読んでさえ女増田は責められない。
はてながネットの最先端だったのは過去になりつつあるのを実感してる。
皆んなは、そうは思わないのか? いや、同意する人ならとっくの昔にここを去ってるか。
男性の性欲を否定されたり女性の拒絶心を露わにされたりするとブチ切れる傾向は昔からあった。
はてなって今で言う弱者男性、昔は非モテ論壇なんて言われてたけど、そんな人たちの居場所だったから。
それでも日陰者同士で傷を舐め合うような優しさと、古き良きオタクらしい紳士性を兼ね備えた人たちが人気者だった。
何かが変わった。
スターを競い合うかのように、過激で人を傷つけるのに容赦のないコメントが増えた。
建設的コメントフィルターが実装された以降も、心なさの加速は止まらなかった印象がある。
加えて、どういうわけか反ポリコレやミソジニーが爆発的に増長して、いまの姿になった、そう思ってる。
俺は、憂鬱になりつつも代替を探すのが億劫だったから、ガマンして使い続けてたが。
心が折れたのを実感したよ。
トドメはむしろ、あまり酷くはない、ささやかなコメントだったな。
私に興味は持ってもらえなくて「お仕事は何してるんですか?」「ご実家はどちらですか?」とか事務的な確認されて、私個人について深掘りされたり話を広げてくれなくてすごく悲しくなった。
…
相手からは私のスペックを確認されて「そうなんですね〜」とか言われて、別れて「また会いましょう」って何?
…
女子大生に聞くようなこと、とは人生経験に触れず個人を掘り下げないスペックの事務的な確認を指す。 「お仕事は何してるんですか?」って質問はその範疇にあって必要だからこそ例示してある。文面上同じ質問が女子大生に聞くような質問だ、などとは筆者は主張していない。
…なんかもう、疲れたわ。
マッチングアプリで真面目そうで真剣に交際できる人探してますって人とマッチしたのに、実際に会っても俺に興味は持ってもらえなくて「お仕事は何してるんですか?」「ご実家はどちらですか?」とか事務的な確認されて、俺個人について深掘りされたり話を広げてくれなくてすごく悲しくなった。
こちらは相手に興味を持てるように色々聞いてるのに相手からは俺のスペックを確認されて「そうなんですね〜」とか言われて、別れて「また会いましょう」って何?俺程度の男なら好きになると思われてるのかな?
そりゃもう37歳だし顔もかっこよくないし背も大きくないけど、定職に就いてるし奨学金返済終わったし貯金も頑張って50万円くらい貯まったしそれなりに人生経験もしたつもりなのに。
就活生に聞くようなこと聞くなら37歳とマッチしないで欲しい。37歳は30歳の下位互換じゃなくて別の生き物だよ?真剣に交際したいって人でも、相手はヤバくない他人なら誰でもいいんだね。
真剣に言うと、27歳を20歳の下位互換だと思ってるなら素直に人生経験ない20歳となんとかして繋がった方がいいよ。私が大学の頃も友達に時給いいからってバーとかスナックで働いてる子いたし、就活で病んでたり働かなくない子も結構いるからそこそこ身の上が潔白ならワンチャンあると思う。
[追記2]
私の態度が受け身と言われてて初めはよく分からなかったんだけど「一対一での雑談」を積極的にしたいと思ってたこと自体が受け身と思われるんだね。
私の振る舞いは男性側が活動で気をつけてることとは相性が悪いんだろうな。
でもやっぱり、やり手の営業みたいなコミュニケーションってなんだか苦手で、最近コスメカウンターでも男性の店員さんたまに見るけど「今日は何しに新宿に来たんですか?」みたいに商品に全く関係ないことも聞いてくれるような人が好きなんだ。
現在そうじゃなくても将来的にそんな関係になれそうな人が好みで、関係の初期に「興味のない話は深掘りしないのが当たり前」って思ってそうな人と発展して雑談できるようになる未来があまり想像できなくて難しいなと思ってる。
[追記]
夜中に書き殴って翌日は友達と遊んで帰りの電車でランキング見たら自分の書いた増田が出てきてびっくりしてる。
奨学金繰上げについては確かに返済しないという道もあったけど、親が極端な無借金運営論者だから何度も「溜まってるなら返さないの?」って言われるし返しちゃった。これを伝えたら頭が悪いと思われることもあるんだなあと勉強になりました。実際悪いのかもしれない。
誠実だからこそ条件の確認なんじゃないの?って意見が多かったけど、基本的には条件の確認はメッセージで済ませてるつもりだったんだ。
元の投稿は誰か1人のことを言ってるわけじゃなくて3人くらいとマッチした感想の合成だからもちろん一言一句このまま聞かれたわけじゃないんだけど、その話題一回メッセージでやったよね?って話題の周辺をもう一度聞かれたり
例:「お仕事は人事とのことですが、リモートワークですか?」「いいえ最近出社になって。通勤時間は大変ですが、同僚とランチの時間話せてリフレッシュしたりポジティブに受け止めてるところもあります。そちらはどうですか?」
メッセージで聞かれてないことも聞かれるけど、わざわざ会ってまでテンプレのような話をされて「まだそういう話するの?」って思ってしまったんだよね。
私の心の動きとしては
「なんで同じような話をするんだろう?似たような話メッセージでしてきたのに」
「自分は確認するだけして個人を出してくれないのはなんで?条件だけで好きになると思ってるの?」
って段階で変化してて、これは飛躍かもしれないけど許して欲しい。
ちょっと考えが整理されたけど、自分は「距離を縮めてみたら思ったより素敵な人だった」とか「いい条件だけど自分とは合わないかな」ってあると思うから個性を見たいのに、個性を出してくれる人が少ないし個性を求められないことに鬱憤が溜まってるんだと思う。個性って言ってもすごい経歴を求めてるとかじゃなくて「コロナの外出自粛のときに鶏ハム作るのにハマった」(これは行きつけの美容師の話)とか、そういう話を聞きたいんだけどなあ。
それも高望みなら、泣いても現実は変わらないからゆっくり受け入れて順応していくしかないと思ってる。
[追記ここまで]
マッチングアプリで真面目そうで真剣に交際できる人探してますって人とマッチしたのに、実際に会っても私に興味は持ってもらえなくて「お仕事は何してるんですか?」「ご実家はどちらですか?」とか事務的な確認されて、私個人について深掘りされたり話を広げてくれなくてすごく悲しくなった。
こちらは相手に興味を持てるように色々聞いてるのに相手からは私のスペックを確認されて「そうなんですね〜」とか言われて、別れて「また会いましょう」って何?私程度の女なら好きになると思われてるのかな?
そりゃもう27歳だし顔も可愛くないしおっぱいも大きくないけど、定職に就いてるし奨学金返済終わったし貯金も頑張って50万円くらい貯まったしそれなりに人生経験もしたつもりなのに。
女子大生に聞くようなこと聞くなら27歳とマッチしないで欲しい。27歳は20歳の下位互換じゃなくて別の生き物だよ?真剣に交際したいって人でも、相手はヤバくない他人なら誰でもいいんだね。
シンギュラが起きない限り人類の存在価値は揺るがないっていう考え方は危険な平和ボケに思える。
人類がその存在価値について考慮するための時間を得るためには、むしろシンギュラはさっさと起きてしまった方がいい。
今の中途半端な状態、AIに全能力に劣った人間<AI≦AIに出来ないことが出来る人間という図式は非常に危険だ。
「AI未満の人間」「AIより上の人間」という階級構造がいつ誕生してもおかしくない。
人類全体が豊かになることでようやく少しずつ取り払われてきた階級の垣根が大きくそびえ立つことになる。
シンギュラさえ起きてしまえば全ての人類を等しくAIの下位互換としてくくるチャンスが生まれてくる。
そういうロジックを組み立てられる余地があるかどうかが重要なのだ。
お役所じみた発想になってしまうが「0を1と言い張るのは大きな歪みを引き起こすが、1を100にするのは意外なほど簡単に終わる」というのが人類社会の基本法則である。
今の状況はまずい。
シンギュラが起これば-1も-100も等しく0未満として五十歩百歩として扱えるようになる。
文末に追記した。
===========
・33歳 男
今まで住んできたところはここ。
・社会人7~9年目(ここで結婚):港区白金・広尾・恵比寿らへん
野村不動産のタワマン(プラウドタワー)を買った人は本当に勝ち組。今後20年は資産価値減らない、むしろ上がる。それくらい住む価値のある街。
木場はまず一番何がいいって言うとスーパーが最高(正確に言うと木場じゃなくて東陽町なんだけど自転車で行けるので…)。
イキイキ生鮮市場っていうスーパーがあるんだけど、「安すぎ」「食材の鮮度よすぎ」「日替わりで安い食材が変わるのでレシピも閃く」「買い物してて楽しい」で最高。
一例をあげると、旬の時期は超でっかい白菜が一株100円で売ってた。カートに10株くらい載せて山盛りにしてる人もいたw(飲食やってる人だろうけど)、それでも1000円って安すぎる。
あと、もちろん白菜だけじゃなくてキャベツ、玉ねぎ、ナス、トマト、長ネギ、きのこ類などだいたい 安い、助かる。
きのこに関してはたまに舞茸が1株1パック39円で売ってたり、なめこが39円で売ってたりとかするからそれで味噌汁作ったりするのが最高。なめこって普通の生活してたら買わないけど凄く安いと手に取ってみるかぁってなる、なめこ汁の良さに気づけたのはイキイキ生鮮市場のおかげ、ありがとう。
なんでこんなにイキイキ生鮮市場が良いスーパーになっているかっていうと、東陽町に関してはスーパー激戦区でイキイキ生鮮市場の目の前にSEIYU、裏側にはオーケーストアがあるっていう地獄だから。切磋琢磨しまくってる。SEIYUが潰れないかちょっと怖い。(SEIYU無くなったらイキイキ生鮮市場が怠ける気がする…)
ちなみに、オーケーストアは安くていいんだけど 品揃えが毎日同じだから買い物してて そこまで 楽しくはない。調味料とかお菓子とかそういうメーカー品はオーケーストアで買って、野菜とかお肉はイキイキ生鮮市場で買うっていう使い分けが一番いい。
いいこと2つ目はまぁまぁ都心に近いってこと。
日本橋の高島屋で、速攻で売り切れちゃう限定スイーツとか、オーボンビュータンのケーキとかを、自転車で開店ダッシュしちゃえるくらいに、気軽に行ける。
日本橋は三井不動産が全力で投資するから(これから1兆円投資するらしい)これからめちゃくちゃ発展するだろうし、そこまで東西線で3駅で行けるとか最高。(というか自転車でいけるの最高)
あとはまぁ、人形町、水天宮、秋葉原、錦糸町、神保町、蔵前、スカイツリー、上野、ギリギリ浅草あたりまでは、全然自転車で遊びにいける。平坦な道だから自転車だとスイーっと行けるから、あんまり大変じゃない。僕は渋谷ぐらいまでは自転車で行ってた(笑)
木場あたりは道がかなり良い。道路の幅もかなり広いし歩道も広い、車は幹線道路を走るからその他の生活道は交通量がかなり少ない(何故かっていうと川というか運河がいたるところにあり、橋があるのが大きめの道しかないから必然的に車は幹線道路を通ることになる)。あと夜でも凄い明るい(都内は全般的にそうかもしれないけど)、なので歩いてて安全だなって感じる。散歩もしやすい。
西千葉や鵠沼海岸だと、夜に散歩、ランニングする時は懐中電灯とか持って歩かないと結構危ないと思われ。
いいこと3つ目は木場は清澄白河にも近いから飲食店とかカフェがたくさんあって外食も満足できるような土地になってきたってこと。
・カレーだと「カマルプール」が素晴らしい。「ナンディニ」も結構良い。ここらに飽きたら銀座行けば「グルガオン」、「カーン・ケバブ・ビリヤニ」とか美味しいカレー屋がある。(こうなると木場ではないが…)
・ピザだと、門前仲町だけど「ピッキ」って店が結構良い。(門前仲町と木場はほぼ一緒みたいなもんだからこれは木場と言っていいと思う)
・タイ料理屋さんで「マキン」っていう店があるんだけどそこも結構おすすめ。なかなか美味しい。
・ちょっと贅沢したいなぁって時には、「イ・ビスケロ」ってお店は雰囲気も良くて、なかなか素晴らしい。白金とかのお店に比べると、料理のクオリティは変わらず、値段は少しお手頃で、使い勝手がかなりよい。まぁ白金にあるお店もピンからキリまであって、キリのほうしか行ったことないけど(笑)
・パンだと、「ブーランジェリー エス イガラシ」が素晴らしいが、やっぱり都心のほうが色々とクオリティの高いお店が沢山あって楽しい。広尾に「SAWAMURA」っていうパン屋さんがあるのだけど、最高。レストラン付きの店舗もあって、ランチは本当に安いし(といっても1800円~とかするけど)、美味しいし、パンも食べ放題だし、牡蠣と岩海苔のクリームパスタは本当に最高。ちょっと独特だったりするから、人を選ぶかもしれないけど本当に最高。あとパン食べ放題って最高すぎやん。鎌倉パスタ行ってる場合じゃない!鎌倉パスタ10回分くらいの満足度ある。
・スイーツはやっぱり白金、恵比寿が断然クオリティが高い。白金高輪の「メゾンダーニ」の焼き菓子は最高だからみんなにおすすめしたい。恵比寿だと「レザネフォール」のモンブランが本当に美味しいからおすすめ。今まで食べてきたモンブランの中で一番美味しかった。しかも結構ダントツで。
・お酒は飲まないから、夜ご飯屋さんはあまり行っていない。門前仲町とか結構楽しいお店が多いらしい。
いいところ4つ目は、木場公園が最高ってところ。駒沢公園と同じぐらいにぎわってると思う。まぁそれは言い過ぎかもだけど、23区内でトップクラスには賑わってると思う。
広い芝生エリアではテント張って子供を遊ばせまくってるし、犬飼ってる人はドッグランで犬遊ばせまくってる。BBQエリアは「無料」で肉焼き放題。
僕は、犬は飼ってなかったけどドッグランに行って可愛い犬を30分ぐらい眺めるだけで犬成分補充できて最高だった。飼い主も2割ぐらいは自慢したいっていう気持ちでドッグラン来てるから快く見せびらかしてくれるから最高。
平日は保育園とかの子供がめちゃくちゃ公園で遊んでる。木場公園周辺にある保育園に預かってもらえる子供たちは楽しそう。車も入ってこれない公園だから結構安全な気がする。
あと、木場公園の中に東京都現代美術館 があるんだけど結構たまにいい展示もするしまぁまぁ楽しめる。 年1回、都民の日は美術館が無料で開放されてるから 年1回のそのタイミングだけでも楽しむといいかも。あと地下に図書スペースがあって、美術関連の本が結構沢山あるし、あんまり人がいないから、ゆっくり読書できるスペースになってる。電源もあるし、結構使える。
僕はあんまり映画は見なかったんだけどイトーヨーカドー木場に映画館あったし大抵の映画は観れる。まぁ日本橋行っちゃえばTOHOシネマズあるし、 結構映画は充実してるかも。
あと川があるのは隠れgoodポイントやね。住んでみないとわかんないかもしれないけど、川があることで空が広くなるし、見晴らしも良くなるし、日当たりも良くなるし、歩いてても川沿いの遊歩道の木々を見ながら歩けて、かなり自然も感じられる。川沿いの桜結構きれいだよー。
千石周辺には有楽町線の延伸で新しい駅もできるし、これから20年ぐらいは安泰な感じがするなぁ。めっちゃ広いショッピングセンター行きたいと思ったら有楽町線に乗って豊洲まで行ったらららぽが楽しめるし。(まぁショッピングセンターってそこまで楽しくないけどね。子供がいると違うのか?)
マンション売ってたらすぐに買え!!
無職ってのはただ単に仕事がつらくて辞めた。1~2年くらいはニートやろうと思ってる。
引越し理由は無職になったからってだけ。東京で仕事も無いのに高い家賃払うのはあたまおかしい。
ちなみに、木場の家賃は55m2・築35年で15万円、鵠沼海岸の家賃は58m2・築11年で11万円。しかも家の質は絶対鵠沼海岸の方が良い。
なぜ藤沢なのかっていうのは、奥さんが妊娠したので妻実家のある藤沢市を選んだ感じ。あ、ちなみに散歩で海行けるの最高やで。木場公園??湘南海岸公園の方が10倍いいでwww
でもイキイキ生鮮市場がないのよなぁ。スズキヤはあれは鵠沼民の成城石井や。店員さん蝶ネクタイしてる…。
・水害について
マンション買えってのは、ホットエントリに載りたくて盛りました…。正直絶対買えないと思ってたからマンションの価格も知らない。調べたことない…。
まぁ僕は賃貸民なので、正直水害はどうでもよかった。リスクは大家さんにしょってもらってました。
・東西線について
まじで混雑えぐいよね。一生乗りたくないって言ってる人の気持ちわかる。
でも僕は下り線しか乗ったことないし、東西線の本気はみたことないわ。
一回乗り過ごして南砂まで行っちゃって、上り線乗ったら地獄だった。しかもドアの開く方向反対だから降りられないかと思ったよ。
それな。外観とかめっちゃかっこいいよね。でも住所書くときマンション名書きたくないやつw
これも良いポイントだね。プール、ジムが1回400円で使えるの良すぎる。が、続かなかったから意味なかったわ…。
いいよね。でも正直、コーナンの方が使ってたかな。コーナン最高。俺たちのコーナン。
いやぁこれはないっしょ。豊洲にイキイキ生鮮市場あるかって話。
豊洲が羨ましいのは、海辺の公園とあの夜景。東京の夜景は最高すぎて5時間くらい居れるわ…。中高生とか海沿いでだべってるの羨ましすぎる。青春の1ページにあの景色が刻まれるの羨ましすぎる。最高だろ。
まじで少ないよな。もっと作れ。あと都心民が一方的に迷惑してるみたいな言い方してるけど、都心民も自転車使うだろ。お前らは被害者でもあり加害者でもあるんだよ。中央区の勝どき民と江東区民は加害だけだけど。
確かに団地があるからマナーの悪い爺と婆が多い。だけど僕自身が治安悪めの人だからあんまり気になんなかったなぁ、むしろ馴染んで良かったよw
白金はみすぼらしい人まったくいなかったなぁ。僕が平均値下げてた。散歩してたら小学生が好きな前菜の話してたのにはビビったよwww
====追記ここまで====
最近、「働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。」というタイトルのnoteを読んだ。「働きたくない」という理由で生活保護を受給し始めた人の体験談で、労働に追われることのない悠々自適な暮らしを手にいれ、現在は読書を通じて勉強したいことを自由に勉強する日々を送っているという。「現代の高等遊民」ともいうべき生活をしている様子が窺える内容だった。
しかし、ふと疑問に思った。
「どれだけ知識を身につけたところでそれを使って世の中に影響を与えないなら無意味で、いわば"百科事典の下位互換を目指すだけの人生"なのでは?」と。
確かに読書や勉強は世界の見方を変えるとは思う。例えば英語が分からない人生よりは英語が分かる人生の方が読書も映画鑑賞も幅が広がるし、翻訳や吹き替えでしか作品に触れることができない人よりも深い理解や感動が得られるだろう。だから働くつもりがなくても知識を身につけ続けること自体は悪いことではない。
しかし、それでもやっぱり"百科事典の下位互換"を目指しているようにしか思えないのだ。
学んだ知識で(良くか悪くか)世の中に影響を与え、賞賛や批判というフィードバックを受けることが現代人の「生きる実感」なんじゃないだろうか?
noteを読む限りまだ若い人のようなので、この人自身は読書の日々で得られたものが将来何かの仕事に繋がることもあるかもしれないし、仕事ではなくてもSNSで多数のフォロワーに影響を与えるのも「世の中に影響を与える」に当てはまるかもしれない。
ただ、このnoteを見て「ワーキングプアになるくらいなら生活保護」と言っている人が一定数いるのは事実で、その人たちの多くはSNSで多数のフォロワーを抱えるわけでもない、「なんでもないただの無職」になる確率が高いのではないだろうか?いくら労働から解放されて自由に学べたとして、それを発揮する機会のない人生に虚しさを1ミリも感じないほど達観できる人はそれほど多くないと思う。
最近はひろゆきブームもあってカジュアルに語られることが増えた生活保護だが、「働きたくないから生活保護」の人生にはそれなりの苦労があると思う。「耳をすませば」のセリフじゃないけど、「人と違う人生は、それなりにしんどい」というのが現実なんじゃないかな?