はてなキーワード: お巡りさんとは
しかし待てど暮らせど届かず、販売業者と郵便局に「どうなってるの?」と聞きました。
七面倒臭いやり取りを何度もした結果、「ポスト投函後、不届き者に盗られた」可能性が大であることが分かったのです。
本がパクられただけなので「盗難届を出してね」と、軽くあしらわれるだけだろうなぁと思っていたら、
警官「今すぐそっちに行くぜ!」
きっと暇なのでしょう。
そう言えば、近所にある踏切にはよく警察官が張り付いています。
踏切にそれだけのリソースを割ける(血税の無駄遣いができる)わけです。
焦りました。
ちなみに買った本はこれです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/412002847X?psc=1&redirect=true&ref_=oh_aui_search_detailpage
あと、私は丸坊主で眉は剃っていて、よく"そっちの人"に間違われるんですよね。
まずいなぁ……と思っているうちにお巡りさんが来てしまいました。
阿片本の注文ページをスマホで見せても、警官は「何も見なかったよ」といった感じで、中身のない話を続けます。
身のある話は少しもしません。
警官「いや、それも……」
どうやら、ポストがブッ壊されていたり、よほどのことがない限り盗難届さえ出せないそうです。
泣き寝入りするしかないということです。なんのために来たんじゃワレ!
私(やっぱこいつら暇なだけじゃなぇか……)
これはびっくり 100人中100人が賛同してくれるものだと思ってた。そういう考えもあるんですね
自分の考えに全員が同意してくれると思ってる所が最高にヤバいが、本題じゃないから置いておこう。
何も無い行にまで空のコメント用意するのは流石に時間の無駄だとは思うが、
クソみたいなコメントのルールだとしても、コメントが無いより有った方がマシなことが多々ある。
で、そのコストを掛ける余裕があるならそれは意味が有る事だろう。
複雑怪奇で奇奇怪怪な処理なのにドキュメントもゼロ、コメントもゼロなソースを引継いだ事とかないのか?
リーダブルコードに記されてるように「一目見れば意味が分かるコードにすれば良い」はあくまで理想論。
理想論で現実が実際に回ってるなら、お巡りさんはやる事が無くて職を失ってるはずだし、
どうも、最近エロサイト作ってみたエントリ書いてるニートです。
自分と同じ生きる目標を持てないニートの暇つぶしになればと思ってエントリ書いてる。という名の定期宣伝エントリ。
賢者タイムに自分でシコれるエロサイトを作ってみようと思ったのがきっかけでエロサイトをつくった。
そしてだいたい1ヶ月くらいがたった。
外にでるのも嫌いだし人と話すのも嫌いだし、ましてや働くのなんてもってのほかだし
これで少しの小銭稼ぎでもと思ってたんだけど、意外と収益が上がるのが早かったので、近況報告。
今はシステム的になにも難しいことはやっていなくて、ただ単にXvideosから動画を拾ってきて
それでもだいたい1ヶ月で7000PV/dayくらいのサイトにはなった。
で、アダルトOKなクリック保証型の広告をいくつか貼っているんだけど、それが1日200円くらい。
だから1ヶ月で6000円くらい。
ってことは1日のPV数が1ヶ月の稼ぎになるってことがわかった。
正直こんなに早く収益があがるなんておもってなかった。
1ヶ月やって100円位になればいいと思ってたし、100円にもならなかったらやーめたってするつもりだった。
なんか動機は不純だったかもしれないけど、生きる目標みたいなのが見つかった気がした。
こんなしょーもないことしか家にいてやること無いニートには変わりないから笑いたきゃわらってくれればいいよ。はは。
とりあえず1日10000PVを目標にしてるんだけど、1ヶ月やってみて10000PV/dayに届かないってセンスないのかな。
エロサイトは1日30万PVとか50万PVとかが普通みたいなこと2chによく書いてあるし、
あの人達はどうやってそこまでのし上がっていったのか本当に謎。俺のほうが時間あるのに羨ましい。
ここからはシステム的な話になるんだけど、世の中にはエロサイトの運営を自動化している連中がいるっていうのも最近知った。
この前増田に書いたスクレイピングして云々とかいう話ではなくてもっと高次的な話。
世のXvideosから指定したキーワードに関連する動画を根こそぎ持ってきて、サムネイルも引っ張ってくる。
そしてタイトルも引っ張ってくるんだけど、それも同じにしてしまうと検索エンジン的にスパムサイトみたいになるらしく、
予め用意していた置換データベースみたいなものから置換できるキーワードを探してくる。
そんで例えば「痴女」→「ド変態女」とかにタイトル内のキーワードを置換してタイトルがオリジナルなものを作る。
いつもシコシコしてるサイトがこの方法で自動運用されているってしったときは驚愕した。
革新的なサービスを作る人はいつの時代もテクノロジカルな人なんだな。俺には到底ムリな作業だ。
いわゆる月額でいくら払うから広告はってよってやつ。月極広告。
で、びっくりしたのが今の時代でもお前らこんなことやってんのかよって内容。
紹介された広告を試しにクリックしてみたら「登録が完了しました。3日以内に下記料金をお支払いください。」みたいな。
1ヶ月5万〜10万くらい払ってくれそうな雰囲気だったけどさすがにサイト訪問してくれたユーザーに
ワンクリック詐欺広告を踏ませるわけにもいかないし、それはなんかナンセンスな気がしたので、やめた。
地道にクリック保証広告で稼いでいけるように頑張る道を選んだ。
今の時代でもワンクリック詐欺で振り込んでしまう人がいることに驚いた。まあいるから成り立ってるんだろうが。
お前もエロサイト運営とかやってること変わんねーからってのは無しな。
これはまだ手をつけてないんだけど、広告をクリックしてくれてその人が無料会員登録をしたり
実際にAVを買ってくれたりしたらいくら払いますよってのもエロサイトのマネタイズ手法として存在するらしい。
ある程度アクセスが多くなってきたらこっちのほうが儲かるっぽい。月額5000円の有料会員とかになってもらえれば
半永久的に自分のところにそのうちの数十%とかがチャリンチャリンしてくるらしいし、
買い切りの商品だったとしても1件あたりの報酬額が結構いい値段だから少ない成約件数でいい感じの金額が稼げる。
DMMに限ってはアダルトじゃなくて普通のオンラインゲームの会員登録とかで700円もらえるからそこら辺の成果報酬型アフィよりよっぽど割がいいよね。
クリック保証で手堅い収入を毎月稼ぎつつプラスαを成果報酬型のアフィで稼ぐみたいなのがエロサイトの王道っぽいこともわかった。
テレビとかで報道されているようになんかFC2がいろいろとアレな感じになってる。
WordPressで構築しておいてよかった。
2ch見てるとFC2終わったみたいに言われてるけど、たぶんオンラインのエロ産業は廃れないよね。
今回、表現の自由に言及しているのは宇都宮氏ただ一人となっている。
だから、ダンス規制反対派で消極的に宇都宮氏に票を投じるつもりの人も居ると思う。
そういう人に伝えておきたいがためのエントリーです。
だ、結果に責任は持たないので参考意見として読んで、自分で考えて入れてね。
少しだけ自己紹介しておくと私はクラブが好きな自称元お巡りさんです。信じるか信じないかは各自判断して下さい。
今回は無所属が異様に多いのだけれど、誰をどの党が推薦しているかはみんなちゃんと見ていると思う。見てない人は見て下さいね。
宇都宮氏は日本共産党、社会民主党、緑の党、新社会党が推薦しています。所謂「左」系ですね。
一番勝利に近いと目される舛添氏は公明党、自民党東京都連の支援を受けています。それを追う細川氏は民主党、生活の党、結いの党の支援。みんな無所属ではありますが、正直どの候補もパッとしない以上は、政党で選ぶ人が多いでしょう。ちなみに、マックさんはスマイル党。
結論から言うと、ダンス、クラブ、DJを続けたいクラバーは自民党と公明党が支援する舛添氏に入れましょう。何しろ左翼系に入れるのは愚策も愚策ですから注意しましょう。理由を説明しますね。
ダンス規制には2つの面があります。1つは「風営法」問題。そしてもう1つは「治安」の問題です。後者は地域住民との関係性と言っていいでしょう。
【風営法】
風営法の問題に目を向けると、基本どこに入れてもいいでしょう。宇都宮氏に入れたからといって何か変える力はないですし、舛添氏に入れたらはなから変えるつもりはありません。長い目で見れば、政策決定能力に優れる自民党を勝たせておいた方がいいんではないでしょうかね?というのが私の個人的な意見です。ただ、ここはそれぞれに思う所があると思います。
一応気にしておいたほうがいいのは、万が一風営法が改正されて深夜のダンスがOKになっても、クラブとそれ以外のダンスでそれ以外はOKだけどクラブはダメ!と云われる可能性についての議論が既にあるということです。実際に活動をしている人がその危機感が一番強いと思います。これの理由が治安問題です。
【治安】
今回はクラブが治安を悪化させると言いたいわけではないので、政治的なところだけかいつまんで説明します。
クラブで爆音でイベントをやるとどうしても音が外に漏れます。free dommune、メタモルフォーゼ、渚音楽祭のような野外イベントでは尚更です。これらの苦情受付窓口が110番で、これが鳴ったらお巡りさんは出動しなければいけません。幸い私はそういうことで出動したことはありません。そして、最悪は風営法で摘発なのですが、とりあえずは警察の指導が入ったということで、苦情を言った側の人と調整しなければなりません。つまり地域住民です。
共産党、社民党を始めとする左翼の方々は原則的に「市民」の味方です。共産党は労働者の味方だったはずですけれど、いつの間にか広く市民の代弁者だと自分たちを勘違いするようになりました。反対に自民党は「事業者・経営者」の味方なんです。というのは、極論ですが何が地域にとって得になるのか?についての発想が違うのです。
共産党は端的に「市民」が迷惑だ!という声に敏感です。特にそれが「事業者」による商行為の結果もたらされるものであった場合、これに強く反発します。「市民」に我慢を強いて「事業者」が不当に利益を得ているという発想です。高度経済成長期の公害問題と同じ構造です。クラブから発せられる騒音は"公害"なんですね。いや、私もそれに異論は唱えません。興味が無い人にとっては公害でしょう。公害を撒き散らすものは規制しましょうというのが彼らの発想です。本来、規制強化は左の人たちの得意分野なのです。
自民党はどうかというと、その「事業者」が事業を行うことで地域にお金が回って潤っていくのであれば、それはよしとします。その上で、問題が少ないように調整しましょうというのが彼らの論理です。規制緩和というのをよく聞きますね。できるだけ「事業者」に自由にやらせて経済的な利益をあげてもらってそれを「市民」に還元しようという発想です。
風営法が改正されても、されなくても、早晩ダンス規制の問題は治安の問題として見直されるでしょう。その時に、どちらが見方になるかというと、おそらく後者ではないでしょうか。海辺にカジノができたり、都内のバスや電車が24時間動くようになった時をイメージしてみるといいかもしれませんね。
【おまけ】
治安の問題にくっついた話ですが、おまけ。
クラブは◯暴と那珂が良いですね。日本一大きいあそことか、その次に大きいあそことか、その近くにあるあそことか。キリがないです。公安のリストに入っている経営者も多いですし、ここだけの話有名なDJでもリストに載っている方がいます。その人が構成員ということではなく、念のため載せているのです。
ここにも左と右とどちらが今後のクラブを良くしてくれるか?考える材料があると思います。クラブが発展するにはこの人達を追い出す必要があります。右と左どちらが上手く追い出せるか。単純に◯暴を嫌っているという点では共産・社民です。でも、嫌いすぎていて対話ができません。それから、現場で動くのは警察の人たちですが、左の人たちは警察とも上手くやれない人たちです。直接対話もできず、警察とも話せないのです。
自民党の人たちも最近はそっち系と直接話すのは嫌うでそう。けれど、警察とは付き合いが長いのです。警察に対して図っている便宜も蓄積があります。警察っていうのは、意外と貸し借りで動いたものです。警察の偉い人にしたら、自民党にはそこそこ貸しも借りもあるけれど、共産党や社民党には貸ししかないし、ほとんど焦げ付いてる!みたいな感じじゃないでしょうか。新宿の一斉摘発は警察がかなり頑張りました。
そんなわけで、一応参考になればと思ってまとめてみました。
あと、更にオマケすると、音楽に限らず地域の野外イベントみたいなのをやる時には必ず地元の警察の許可が必要で、そういうのはなかなか民間事業者だけでは通りづらいのですが、そういうことをやるのを理解して行政や警察を説得する政治家は共産・社民と自民では自民党の方が多かったですね。それよりも多いのは公明ですが(笑)
商店街の自営業の店で育った僕は、やくざはそんなに遠い存在ではなかった。
幼少期のぼくにとってのやくざは、父親の友人で、お小遣いをくれるサングラスのおじさんだった。
年に最低2回は決まった時期にやって来たことを覚えている。
よくついていった。お小遣いを貰えるので欠かせない財源だったが、酒臭くて長くはいなかった。
お気に入りの椅子が奪われるのを知っていたが、迎い入れるとお小遣いをもらえたので
それまでは遊びに行くのを我慢した。
僕が呼ばれることは無かったが、写真を見たことがある。
今思えばあんな店町内にあったのか?と不思議だ。
お誘いのために、家にヤクザがやってきたのをよく覚えている。
父親が普段とは違った態度で友人と接してたことや
小遣いを貰えるまで遊びにいけないのは僕の自由意思じゃなかったことを知った。
知識を得たから、そう思っただけかもしれない。
近所の蕎麦屋のオヤジ、自治会の会長、父、そしてヤクザが、一緒に酒を飲むことはあった。
最後に会ったのは高校時代だと思う。最近は厳しくなってねえ。と、挨拶に返された。
卒業後に東京に行くことを話すと、賢いから大丈夫だ。親父さん似だ。と、応援されたが
その頃、父が嫌いだったから、似てるというそれはとても不快だった。
後になって知ったが、その頃、90年代の前半は、暴力団対策法というものが施行されていた。
警察どころか一般の店が大手を振り、暴力団反対と言いだしたのだ。だから厳しかったのかもしれない。
警察と言えば、僕が知っているヤクザと警察の関係は、なあなあだった。
家にお巡りさんが訪れると、○○ちゃん元気?悪いことしてたらいってよー?ぐらい陽気だった。
派出所のポスターが胡散臭く感じるのは、当時からでかでかと暴力団追放ポスターがあったからだと思う。
その関係も、あの頃を境に変わったのかもしれない。派出所のお巡りさんが○○ちゃんの安否を訪ねることも無くなった。
僕が東京から返ってくると、商店街はシャッター商店街に生まれ変わっていた。
父も店を閉じた。父の理由は、年齢と売上というありきたりな理由だ。
ありきたりな理由だから、それがバブル崩壊の不況なのか、駅前整備のショッピングセンターなのか、
他に理由があるのかも分からない。
結びつけるのもおかしいが、もしかしてヤクザもと思うことがある。でも、まあありえない。
あの頃は、色々重なりすぎてて、なぜそうなったかなんて分からない。
年末に入れ墨の件で、誘いに来たヤクザのことをふと思い出した。
僕にとって、入れ墨銭湯禁止は、排除ではなく、他の人への注意に見えていた。
そこにはヤクザがいるんですよ。という印。
もう20年も立ったんだなと思う。
僕の知っているヤクザはもういない。
23時を過ぎたあたりだったか、先ほど山手線の外回りに乗っていたときの出来事。
私は席に座って膝の上にPCを開いてメールの処理とニュースの確認をしていた。
どこの駅だっただろうか、隣に座ってきた70代ぐらいのご老人が「君、電車内でPCをするのはエチケット違反ではないのか?」と問われた。
私は「そうは思いません。私はメールの処理とニュースの確認をしていただけです」と答えた。例えば、サラリーマンが電車内で仕事を処理している場面をたくさん見てきたし、それについて特に問題に思ったこともなかったためだ。
ご老人「君、そうは言うが、アダルトサイトや他の方が見られて不快に思われるものが不意に画面に表示されたら、君はどう責任をとるのかね」
私「私もそれは問題だと思いますのでそうならないように配慮しております。現に私はメールの処理とニュースの確認をしていただけです」
というやりとりをしていたら、ご老人、少々お酒を召されていたのもあってかどんどん興奮していき、
「俺はお前より何百倍も知性がある」
「俺は20代の頃から非常に高い知性を要する職業に就いている」
「お前のようなクソのような若造にうんたら」
「お前ホントぶっさいくな面しやがって」
「電車降りろ。決着つけてやる」
「てめぇ、半殺しにしてやる」
とかうんたら。
私はただ自身の行為がエチケット違反か否かの議論をしたかっただけなのだが…。ちなみに、このやりとりの間、一度ほど興奮のあまりご老人の口から入れ歯が飛び出しそうになって、ご老人もバツが悪そうにされていた。私は笑える気分ではなかったのでくすりともしなかった。
新宿で降りてからもこのやりとりが続いたので、新宿駅西口交番まで誘導してお巡りさんにご老人をなだめてもらい、その間に私はお巡りさんにお礼を言って家路を急いだ。人は年をとるとホルモンだかなんたらで堪え性がなくなるという話を聞いたことがあるし、本人は否定されていたがお酒を少々飲み過ぎてしまったのかも知れない。
今回の件について、私は自分に非があるとはまったく思っていないが、しかし、反省する点もあったと思う。というのも、後日重要な場面でたまたまご老人と鉢合わせになってパワハラを受けるおそれがあるからだ。なにしろ、相手は非常に高い知性を要する職業に就いているご老人である。私よりも高い権力を持っているのだ。は~、めんどくさ。適当にハイハイソウデスネと相槌を打っておけばよかったのだろうか。それにしても、老人というのは厄介である。若者よりも権力があり、一方的に意見を押しつけるだけで議論しようという姿勢がない。
ネタじゃなくてリアルに思い付く限りのギリッギりで明日リカバリ可能なレベルの酔っぱらい反則行為を挙げてみました。自分はまだ甘いでしょうか?百はねえわ。
元増田です。
細かな補足をしていきます。
これは私の思い違いで、当時の記事の日付を確かめると、記事を書いてから電話がくるまでに4日かかっていました。
通報がいつされたのかはわからないので、通報から電話までにかかった時間は存じ上げません。
これは元の記事に記したとおり、通報された方が広島の人だったからです。
警察はどうやって連絡先を知ったのか?について。
これは全くわかりません(何か説明を受けた気はしますが、電話の衝撃で全て吹っ飛びました)。
電話はケータイにかかってきて、私についての細かい情報も把握しているようでした。
その上で、「私が話してもいいと思える家族の電話番号を教えてくれないかな?それとね、いきなり警察がかけたらびっくりするだろうからね。まずあなたが話をして、それから好きな時に私に連絡をしてくるように伝えてもらえないかな?」と仰ってくださったのは、本当にありがたかったです。
当時の記事についていた「あなたはこう間違っている」「こうすべきだ」というコメントはどれも正論でした。
ただ、当時の私にはその正しさが痛かったのです。
また、私にとって就活システムはかけねなしに正しいもので、適応できないほうが間違っている、適応できなければおしまいだとさえ思っていました。
私が就職できたのは運の要素も強く、紙一重のところで今があります。
だからこそ、私は就活生にかけられる言葉を持ち合わせてはいません。
最後に、なぜ匿名に書いているのにポイントを贈ってもらえたかについて。
私ははてなで文章を書いたこともなければ交流したこともありませんでした。
だから記事のあげ方がよくわかっておらず、自分のID名がURLについている状態で投稿してしまったのです(ブコメで指摘があり、すぐに訂正しました)。
http://anond.hatelabo.jp/20130306163244
読んだ。
そして自分が就活していた時のことをいろいろ思い出したので、書いていく。
就職を見据えて授業を選び、同じように意識が高い学生が集うサークルに入り、インターンシップに参加していた。
3年の10月には本格的に就職活動を始め、OB訪問をしまくったり(40人ぐらい)、他大生と積極的に交流したり、大学の就職課に通った。
そうして人と交流するにつれて、私は「俺すげえ!」と勘違いをするようになった。
超大企業に入った先輩や「すごく見える」学生と話をすることで、自分も同じような存在になった気でいたのだ。
自分が意識が低いと思える周りの人間を、心の中で見下していた。
今思えば当たり前の話で、「レベルの高い俺に見合ったレベルの高い企業」を漠然と受けていたのだから、そりゃ人事に見抜かれるだろう。
でも就職活動という一種異様な空気に当てられた私は、ちっともそんなことにきづかなかった。
そして、上っ面だけをなぞった企業研究と薄っぺらい志望動機を繰り返した。
面接に落ち続けた私は、自分が思い描く「すごい俺様像」と一次すら通らない現実の自分とのギャップに苦しんでいった。
不眠症・食欲不振・情緒不安定とうつの症状が発症して心療内科に通うようになっても、同じことを繰り返していた。
耐え切れなくなった私は、処方されている睡眠薬と海外のサイトを経由して購入した注射器で死ぬことにした。
突飛な行動に思えるかもしれないが、当時の自分にとっては就職ができないことは死ぬよりも辛いことだったのだ。
死ぬ前に辛い気持ちをどこかにぶちまけたかった私が選んだ感情のゴミ捨て場が、はてなだった。
長々と死にたい気持ちを綴った。
翌日ブックマークが300くらいついてて驚愕した。
「甘えんな!」という罵倒のコメントが多かった。でも、共感や、慰めのコメントもあった。
「広島警察のものだけどね。あなた○○さん?あのね、インターネットであんたの文章読んだ人がね、心配して通報してきたんだよ。自分は何もしてやれないから、お巡りさん助けてやってくれって。
広島の人が通報してきたから、広島から電話してるんだけどね。あなたね。見も知らない人がこんなに心配しているんだから、あんたの周りにいる人はもっと心配しているんだよ。死んじゃだめだ」
お巡りさんは自分の話や家族の話を交えて、色々な話をしてくださった。
最後に「あんたはね。自分で溜め込んで無理しそうだからね。家族の人に話をさせてもらっていいかな?あんたの辛い気持ちも話して、決して叱ったりしないように言うから」と仰い、伝えた母の電話番号に電話をかけた。
母も家族も、私をせめたりはしなかった。
その後私は「この会社に絶対入ろう。もしダメだったら就職活動をやめよう」と決め、第一志望だった会社について徹底的に研究し、話す内容を数十枚にわたって書き、何度も何度もシミレーションを繰り返した。
今就職に苦しんでいる人を見ると、胸がぎゅっとなる。
気持ちも痛いほどよく分かる。
それでも内定が決まった私が何を言っても、安全地帯からの言葉にしかきこえないだろう。
ただ、せめて、私はこんなふうだったと。みっともなく、周りに沢山の迷惑をかけながら活動していたのだと、その様子を伝えたかった。
最後に。
当時「美味しいものを食べなさい」とはてなポイントをくださった方に、謹んでお礼を申し上げます。
ポイントで本を買い、就活で統合失調症を発症して入院した友人に送りました。
就活で苦しんでいる方。
苦しんでいる人はあなただけでなく、あなたがダメなわけではないと、そう私は思います。
追記
補足というか蛇足を書いたので、細かなところが気になる方は。
この金曜日の晩、飲み会があって、久々にバカ飲みして酩酊してしまった。
帰りに最寄り駅出たところで倒れたんだけど、いろんな人に助けてもらった。
おかげさまでケガすることもなく、持ち物がなくなることもなく、何とか家に帰り着くことができた。
お世話になった皆さんにはお礼を言いたい。
本当なら直接お礼を言いに行きたいけど、顔も名前もわからないので、ここで言わせてもらいたい。
帰りの京浜東北線で、泥酔した僕を見かねて声をかけてくれた方、ありがとうございました。
しかも最寄り駅で一緒に降りてくれて、倒れた僕の介抱と、警察に連絡してくれたと聞いています。
あなた方がいなければおそらく家にたどり着いてなかったと思います。
僕をタクシーに詰め込んだあとも、家につくまでフォローしてもらえたとのこと。
翌日の昼に着信履歴の番号にかけ直したら、既に交替されていて別の方が出たので、その方にお礼を言っておきました。
深夜にもかかわらず迎えに来てくれた家の人、ありがとう。心配かけてごめんなさい。
飲み方を考えます。キツい酒は2杯までとか、制限を設けるようにします。
好きだった人に告白して、フラれた。そうしたら、相手が私のストーカーになった。
姉がなくなる前日の話。これが第1の修羅場。
姉が亡くなった日のこと。
普段は家庭を顧みない父も珍しく帰宅していて、母と二人で狂ったように食事をしていた。
ずっとずっと何時間2人して食べ続けて、歌を叫んで、そして眠っていた。
姉の事が大好きだった弟と従兄妹は飲みに行ってまったく帰ってこなかった。
祖母は放心していた。私は皆の分のカレーを作っていた。
これが第2の修羅場。
姉の事は大好きだった。恋の話も進路の話も、仕事の話もたくさんした。今でも大好きだ。
それなのに、1人だけ涙も出なかった。
こんな薄情な女だからフラれたあげくストーキングされているのだと、
しつこくかかってくる電話の履歴と、増えていく迷惑メールフォルダの未読数を見ながら思った。
遠方から来た親族用の宿を取り、皆を宿まで案内したところで、反射的に鳴った携帯を取った。
「もう返送しました、関わらないでください」
「自分がフラれたからって人間関係を終わらせようとするなんて自分勝手だよ?」
「私には亡くなった姉のことでやることがたくさんあるんです、関わらないでください」
こんな感じのやりとりをしたことだけは覚えている。
あと
今になって思い返してみても、彼は何をしたいのかが本当に分からない。
母も父も極限状態で、誰も頼れず、友達に連絡することすら思い浮かばず、
一瞬、私があまりに薄情な女だから姉が死んだのかと勘違いすらしたレベルだった。
それは無い、と自分で自分の思考につっこんだ瞬間に目が覚めた。
しつこいメール。
鳴り続ける電話。
贈られ続けてくるDVD。
家の襲来が無かったのだけが幸いだったけれど、たぶん実家住まいだったから。
その回数と内容の全記録を持って、私は最寄りの交番に相談しに行った。
お巡りさんたちは親切だった。その時関わってる誰よりも私に優しかった。
被害届は出せないけれど、見回りも相談の記録も残してくれた。みかんも貰った。
法職の友人にも相談した。
「確かにあんたはオタクだしキモいけどwwwwwwこのタイミングでストーカーはねえよwwwww
よしわかった、反撃の準備はするwwwwww」
僧職の友人は「そいつを上手いこと屠ったら俺が読経すればええのんな」と言ってくれたし、
ムスリムの友だちは「アッラー的にもそれは無いですジハードキタコレ」と手を貸す約束をしてくれた。
不審者チェックに余念がなかった。
言ってみるもんだ、と思った。
「電話に出たってことは反省したんだね?今度いつ遊ぶ?」と言いだしたストーカーに
名刺を送付しますので、今後は●●事務所の担当者を通して連絡してください。」
と告げたところ、それ以降連絡はない。ふられてからこの日まで三か月かかった。
そのストーカーが結婚したと聞いたので、今、とても安心している。よかった。ほんとうによかった。
かわいそうな目に遭うであろう結婚相手の女性には申し訳ないけれど、
(なんせ25歳でこの対人感覚なのだから、マシにしようと思ったらそれこそ
私は今、彼に精神的な意味で殴られ続ける人間が私ではないことに、安堵している。
あと、連絡の無くなった日から半年以上、似たような体格の男性を見かけると、
よく言われることだけれど、ロードとかクロスバイクとかを買ったときに、必要な付属品がある。
例えばライトとかだけど、こういうのを買うと本来の自転車の値段より高くなるのが若干曲者。
楽しく自転車を乗るために、必要なものと値段をあげてみる。
絶対に必要なもの以外は、ちょっとずつ欲しいなと思ったら買っていけばよい気がする。
ある日の放課後、私は友人と一緒に駅まで徒歩で向かっていた。
近くなる学校祭の話や、気になる異性の話など、会話が尽きることは無かった。
そんな時、私は道端に100円玉を見つけ、それを拾い上げようとした。
「やったー!100円みっけ!」
私は大切に持ち帰ろうとした(すみません見逃してください)。
けれど友人はこう言った。
ここで私は思ったのである。平等って何、と。
一旦リセットし、新たに運で決めることが平等だと友人は主張したが、
私は違うと思った。見つけた人にとっては、平等じゃないだろう。
けれど私はそこまで100円に執着心は無いし、
お巡りさんにお世話になるのも嫌なので、100円は友人に渡した。
家に帰っても気になったので、パソコンで調べてみた。
【差別なく、みなひとしなみである・こと(さま)。】
とされている。差別なくみなひとしなみ???
私が100円を拾ったことが友人には差別だったのか?
それなら私は、100円を拾ったのにもう一度リセットっしようとすることに差別を感じる。
・・・うん、何か違う気がしなくもないけれど。
でも何か、小骨が引っ掛かる違和感がある。
○例えば、男女について考えるとしたら?
女性(の一部)は「男女平等!女性は社会的弱者!」と訴えている。
これって平等なのか?弱いからその分よい待遇をすることが、平等なのか?
そもそも女性がすべて社会的弱者ではないし、寧ろ男性より強い女性だっている。
平等を訴えるなら、生理休暇などの女性特有の制度も取り払うべきではないか。
映画の割引なんかも失くしてしまえばいいのでは。
○例えば、障がい者について考えるとしたら?
「障がい者にもっと理解を」と訴える人々がいるが、
そう訴える時点で、彼らは平等視していないのではないだろうか。
某テレビ番組で障がい者の方々が必死に何かを頑張っている姿が映し出される。
果たしてその光景を見ている視聴者は、一生懸命頑張る彼らを自分と平等だと思っているのだろうか。
○例えば、職業について考えるとしたら?
じゃあそれは本当に平等なのだろうか。
・・・と考えていくうちに、私の頭は混乱した。
男女という性別が無ければ平等は成立するのか。
私は平等であることが必ずしも良いことだとは思わない。
同じ金額を受け取るから平等だとか、
そういうのは違うと思う。
その中で自分なりの幸せを見つけて行くべきではないかと思ったりする。
ただ、「差別」と「区別」は明確にしなければならないと思った。
差別とは、取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
区別とは、あるものと他のものとが違っていると判断して分けること。
私は区別することは正しいと思うが、差別することは正しいと思わない。
その理由は何となく頭にあるけれど、文章にできないので保留。
そうして考えること数十分間、
私はやっぱり100円は自分のものだと考え、
友人に連絡したのだが、
100円はすでに友人の胃袋の中だった\(^o^)/
以上に書いたことは私なりの考えであり、
私の平等に対する考え方は、間違っているのかもしれない。
間違っていたらご教授お願いします。
したがって、記事が大変長文になることをお許しください。
●●さんは有名なのではなくて、その道の先にその家しか無いからだと思われます。
1日目、
「東京人は他人に無関心」「東京は危ない所」「東京人は無愛想」
そんな噂を聞いたことがあり、内心ビクビクしていました。
話しかけても無視されるんじゃないか。スリとかうじゃうじゃいるんじゃないか。
飛行機では不安しか頭に浮かびませんでした。降りた瞬間、むわんとした暑さにびっくりしました。
荷物を受け取りに行くまでの距離が長かったため、エスカレーターの平行バージョン的なものに乗ろうとしたのですが、
乗ったら負けな気がしたのでひたすら歩きました。
さて、どこへ行こう、と考えた結果、羽田空港から京急線に乗って、浅草まで行くことにしました。
着いてから多くの階段が待ちうけており、キャリーバックを預けなかった自分に後悔しました。
雷門までたどり着くのに少し迷いましたが、無事到着。
外国人の多さにびっくりしました。右も左も外国人。とくに韓国人が多く、
「韓国って日本嫌いじゃなかったっけ」と、ネットの知識を鵜呑みにするのはいけないと感じました。
お土産屋を見て回り、なんとなく満足したので、昼食を食べることにしました。
しかし、どこの店が美味しいのかわからなかったので、誰かに聞こうとしたのですが、そんな勇気があるわけもなく、30分以上浅草をうろうろしました。
でも空腹に耐えきれなくなったので、意を決して交番にいるお巡りさんに話しかけることにしました。
私「あのー…このへんで、安くておいしい食べ物屋さんありませんか?」
警官「安くておいしいの?うーんとねぇ、俺ら食べるのだったら、ラーメンとか?」
1人に話しかけたつもりが、もう1人もこっちに来ました。
警官「若いからパスタとか?あーでも東京じゃなくても食べれるもんねー」
私「あっ、じゃあ、鰻で美味しいとこないですか?」
警官「うんとねー、(地図を使って説明を受ける)、ここにあるから!」
意外にも親切に教えてくれた警官の方に感謝して、鰻がおいしいとされる店まで向かいました。
店に入ると、「え、お一人様?」みたいな雰囲気になって申し訳なかったので、2,000円する鰻を食べました。美味しかったです。
その後スイートポテトを食べて、東京メトロまで向かい、電車に乗って、上野まで行ったのですが、
電車に乗る時に、1番線なのか2番線なのかがわからず、5分間くらい軽く悩みました。
何でどっちも渋谷行きなの!どっち乗れば行けるの!わけわかんない!
上野はとても綺麗で、いかにも女の子という感じの建物でした。かわいい財布があったのですが、店に入る勇気はありませんでした。
次にどこへ行こうか迷った末、秋葉原へ行って本場のメイドさんを見ようと思いました。
そこで山手線を使って秋葉原へ行ったはいいものの、人の多さと暑さと独特の雰囲気にびっくりし、
特に何もすることなく、ただうろうろするだけで終わりました。メイドさんを見ることができただけよかったです。
次に、大きな本屋さんが池袋にあるという噂を聞きつけたため、山手線で池袋まで行きました。
降りてからどこに本屋があるのかわからないので、とりあえず外に出て30分くらいうろうろしたのですが、
足が疲れたこともあり、喫茶店で休憩することにした。すぐ左に本屋があることに気が付いたのは店から出た後でした。
本屋には、地元には売ってないような本が豊富にあり、沢山買いたかったのですが、予算と重量の関係上5冊だけ買いました。
そこで2時間程過ごした後、原宿へ向かおうと考えたのですが、暑さに負けてしまい、仕方なくホテルまで向かうことにしました。
よって山手線で品川まで。夕食が無いと気づき、駅で済ませました。駅内にはお菓子が沢山販売されており、
私は土産用にマカロン、自分用にケーキとアイスを買いました。何故アイスを混ぜながら歌うのか理解するのに苦しみました。
そしてそこから京急線に乗るのですが、ここで迷いました。「ここは出口ではありません」…じゃあどこから電車乗るんだよ!もう切符持ったままだよ!
乗り換えの切符を買う時に提示しなければならないことを理解し、直接窓口で切符を買いました。
そしてホームに並ぶのですが、この並び方も不思議だったし、電車の表示の仕方も不思議でした。
無事に電車に乗って、ホテルのある大森海岸まで行きました。ホテルに着いて部屋着を忘れたことに気が付き、近くのデパートまで行きました。
そこで部屋着と明日の朝食とお菓子を購入しました。途中で雷が鳴ってびっくりしました。
2日目、
この日は行かなければならない場所(親戚の家)があるため、午前だけの行動となりました。
やはり高校生だから原宿には足を運びたいと思ったため、朝から京急線で品川へ向かい、山手線で原宿へ向かいました。
店の半分ほどは閉まっている状態でしたが、町の雰囲気を味わうべく、周辺をぐるっとうろうろしました。
途中歩道橋を渡ろうと思ったのですが、キャリーバックとバッグ2個を持っている私はそこに立ち尽くしていました。
ここで止まっててはいけないと思ったので、一気に駆け上がりました。それからすぐ下へ降りるために休憩していたら、
通りがかりのスーツの男性に「荷物手伝いますか?」と言われたため、遠慮なく持っていただくことにしました。
少しの雑談をして、すぐに男性は去って行きました。駅に戻る頃には、ほとんどの店が開店していました。
私は原宿でリュックとバッグと服を買って満足したため、山手線を使って新宿まで行きました。
新宿駅をうろうろしていたが、物の値段が高いため欲しいものを買うことができず、昼食だけ食べることにしました。
ロコモコ丼が1,000円もすることに怒りを感じたのですが、とても美味しかったので許すことにしました。
京王線に乗らなければならないのですが、現在地から京王線までどうやって行っていいのかがわからなくて、
あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、地図を見て確認していたところ、
「どこへ行くの?」と私に声をかけてくれた男性がいました。
私「あのー、京王線に行きたいんですけどー」
男性「ああ、じゃあここからこう行って云々…」
と、親切に教えていただきました。私は迷わず京王線の乗り口に到着することができました。
そこから府中で降りて、行先がわからずに歩いていると、道路越しに、
「●●さん家へ行くのー!?」と、女性が叫んできました。
私「そうですー!」
女性「それならねー、ここをまっすぐ行ってねー、左に曲がって道なりにあるからー!頑張ってねー!!!」
まさかの応援をいただいて、私は目的地を目指しました。
道なりにあるのにも関わらずまた迷ってしまったので、水を飲んで休憩していると、前からサラリーマンの方が歩いてきました。
男性「●●さん家へ行くの?」
私「はい!」
男性「じゃあここをまっすぐ行って、神社を右に行ったらあるから」
さっきの人もですが、なぜこの人は聞いてもいないのに私の行きたい場所がわかるのだろうと不思議に思ったのですが、その通り進んで到着しました。
3日目、
新宿に再び戻ってきたのは13時頃でした。お腹が空いたので、今日もここで昼食をとることにしました。
次にどこへ行こうかと考えたのですが、17時までに空港に行かなければならないことを考えて、山手線で再び原宿へ向かいました。
というのは、昨日原宿でかわいい帽子を見つけたのに買わなかったことを後悔していたからです。
そういえば山手線でいつも思っているのは、なんでそこまで急ぐのだろう、ということです。
数分おきに電車が来るのにも関わらず、駆け込み乗車をしている人々を見ると、時間に余裕が無いのかと考えてしまいます。
急ぐくらいだったらもっと早くから行動すればいいのでは…などと考えていました。
私が住んでいる場所では、電車が1日2本しかないため、そう思ってしまうのです。
話を戻して原宿へ行ったものの、昨日の人の多さとはかけ離れた量の人間がわらわらしていたのにびっくりしたため、
そこを避けて、喫茶店を探して入ることにしました。そこは賑わっている所からは少し外れた場所にありました。
喫茶店のコーヒーはとても美味しくて、地元では飲める味ではないと感じておかわりをしていたら、最終的に2,000円を超えていました。
元気を取り戻して帽子を買いに人ごみへ入っていき、求めていた帽子を購入しました。
もういい加減疲れたので、少し早いのですが京急線で羽田空港へ向かうことにしました。
空港に着いて、荷物を預けて空港内を散策しようと思ったのですが、空港内にうろうろする場所がありませんでした。
ただ広いだけで、食べ物がメインにあるためか、雑貨を売っている場所が少なかったのが残念です。
なので仕方なく喫茶店に入って本を読んでいました。そして飛行機で無事帰って来ました。
今更ですが、飛行機の飛ぶ時と降りる時はとても怖いです。行きは大きな飛行機だったので安心ですが、
帰りが小さな飛行機だったためかすごく揺れました。降りた瞬間にベルトから抜けて滑ってしまって恥ずかしかったです。
ですが、私が暗い中で本を読んでいた時、隣の席の男性がさり気なく電気をつけてくれました。
なるほど、こういうのができる男性なんだなと思いました。
「どこから来たの?」と話しかけてくれたり、「切符落としましたよ」と言ってくれたり、
それはもしかして普通のことかもしれないけれど、最初の評判が悪かっただけに安心しました。
幸い3日間とも雨が降ることなく終わってよかったです。
また東京に行きたいなと思いました。