2012-03-04

私の人生修羅場(3件分)

好きだった人に告白して、フラれた。そうしたら、相手が私のストーカーになった。

姉がなくなる前日の話。これが第1の修羅場

姉が亡くなった日のこと。

普段は家庭を顧みない父も珍しく帰宅していて、母と二人で狂ったように食事をしていた。

ずっとずっと何時間2人して食べ続けて、歌を叫んで、そして眠っていた。

姉の事が大好きだった弟と従兄妹は飲みに行ってまったく帰ってこなかった。

祖母は放心していた。私は皆の分のカレーを作っていた。

これが第2の修羅場

姉の事は大好きだった。恋の話も進路の話も、仕事の話もたくさんした。今でも大好きだ。

それなのに、1人だけ涙も出なかった。

こんな薄情な女だからフラれたあげくストーキングされているのだと、

しつこくかかってくる電話の履歴と、増えていく迷惑メールフォルダの未読数を見ながら思った。

遠方から来た親族用の宿を取り、皆を宿まで案内したところで、反射的に鳴った携帯を取った。

「やっほー、この前貸したDVDなんだけどさ、面白かった?」

「もう返送しました、関わらないでください」

自分がフラれたからって人間関係を終わらせようとするなんて自分勝手だよ?」

「私には亡くなった姉のことでやることがたくさんあるんです、関わらないでください」

こんな感じのやりとりをしたことだけは覚えている。

あと

戦前特撮映画が好きとかいう女に好かれたって嬉しくない」

オタク女とかキモいwwww」

かいう内容のメール鬼のように届いてた。

今になって思い返してみても、彼は何をしたいのかが本当に分からない。


母も父も極限状態で、誰も頼れず、友達に連絡することすら思い浮かばず、

ただただ自分が悪いのだと毎日泣いていた。

一瞬、私があまりに薄情な女だから姉が死んだのかと勘違いすらしたレベルだった。

それは無い、と自分自分の思考につっこんだ瞬間に目が覚めた。


しつこいメール

鳴り続ける電話

贈られ続けてくるDVD

家の襲来が無かったのだけが幸いだったけれど、たぶん実家住まいだったから。

その回数と内容の全記録を持って、私は最寄りの交番相談しに行った。

お巡りさんたちは親切だった。その時関わってる誰よりも私に優しかった。

被害届は出せないけれど、見回りも相談の記録も残してくれた。みかんも貰った。



法職の友人にも相談した。

「確かにあんたはオタクだしキモいけどwwwwwwこのタイミングストーカーはねえよwwwww

しわかった、反撃の準備はするwwwwww」

僧職の友人は「そいつを上手いこと屠ったら俺が読経すればええのんな」と言ってくれたし、

ムスリムの友だちは「アッラー的にもそれは無いですジハードキタコレ」と手を貸す約束をしてくれた。

毎日泣いていたことに心配してくれた当時の職場の同僚たちも

不審者チェックに余念がなかった。

言ってみるもんだ、と思った。


いつもかかってくるストーカーから電話に出た。

電話に出たってことは反省したんだね?今度いつ遊ぶ?」と言いだしたストーカー

あなたのしている行為に関して警察相談しました。

名刺を送付しますので、今後は●●事務所の担当者を通して連絡してください。」

と告げたところ、それ以降連絡はない。ふられてからこの日まで三か月かかった。



そのストーカー結婚したと聞いたので、今、とても安心している。よかった。ほんとうによかった。

かわいそうな目に遭うであろう結婚相手の女性には申し訳ないけれど、

(なんせ25歳でこの対人感覚なのだから、マシにしようと思ったらそれこそ

子供を持つ間もなく、彼の矯正をしなくてはならないだろう)

私は今、彼に精神的な意味で殴られ続ける人間が私ではないことに、安堵している。



あと、連絡の無くなった日から半年以上、似たような体格の男性を見かけると、

恐怖で強張ってしまう私を見て、「これはストーカーを殴りに行くしかない!」とはりきっている

元ヤンの弟や従兄妹たちや友人たちを止め続けたのが、この話の3つ目の修羅場

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