はてなキーワード: bpoとは
遅まきながらフワちゃんの件を知ってみているのだけれど、非常に混乱している。
フワちゃんのあれはイジりだいや裏アカ誤爆だと両者が両者それなりの規模居るみたい。やすこが悪い説までいくととても謎だ。
自分の主観ではあれをイジり芸とは受け取れず、(本人も言うように)裏でもリアル周囲にでもこっそりやろうとしたやつの誤爆だと思っている。
もう最近はテレビで芸人バラエティをガッツリ見ることは久しくなくて、フワちゃんすらGoogleのCMでしか存在を知らない程度の人間だけど、自分が子供のときと比べてすごくクリーンになっているのは感じる。
ダウンタウンの二人が古くてあたりがキツいなぁと感じるぐらいには感性が変わった。BPOのお叱りでいろんなことが自粛され、漫才で頭を叩くことすらもう消えそうだったと思う。
そんななか、最近?新たらしい新星のフワちゃんはクリーンな今の新時代の、さらに一歩先の変革を体現する存在、だと自分は認識している。実際に動いてるところを見たことが無いので風評になるが、そういうキャラだと思っている。失礼キャラ?に似せた新しいなにかだと。
そういう新世代のキャラがいまどきのテレビに出て、芸人として過ごす中で、「死んで」というワードを『芸人として』チョイスするかはとてもとてもとても疑問だ。
もちろん、やすこさんの「生きてるだけ」という言葉にかけて、という文脈を理解しておかなければならないが、それでもテレビ業界でのし上がってきた芸人のとっさでもない文章入力でこの辺の『危険な匂い』をいじり芸する前に気付けなかったのは不自然だ。
自分はフワちゃんを知らないが、今回の件で炎上するということは日常的に「死んで」というワードをフワちゃんがいじり芸の武器として使ってこなかったことの証左であると考える。イメージでも、今のテレビ番組で「いや死ねよ」なんてドギツイ突っ込みをしているのは、ダウンタウンなど古い世代を除いてイメージにない。
自分が学生のころは「いや死ねよ」と突っ込みする雰囲気はあった。多分してた。今の学生でもリアルではあるんだろう。でもテレビで「いや死ねよ」のイメージは、ない。「死んでください」だってフワちゃんの失礼キャラのイメージでも、ない。
テレビでしない・できない発言をラジオやネットやyoutubeでする、というのは確かにあるものの、フワちゃんがそういう発言をするキャラじゃないことはフワちゃんが一番分かっていると思う。見られ方・受け取られ方に鈍感なタレントは少ないだろうし、フワちゃんはさらに薄氷を踏むような道を駆け抜けるバランス感覚が武器な芸人だったはずだ(見てないので憶測100%)。
超高難易度の綱渡りをしている雑技団の人が、突然バランスをとるために使っていた棒をバランス無視してこちらに突き刺してきたら、「すごい!綱渡りの芸だ!」と思う人はまずいないだろう。
素人でも一目で分かる使っちゃいけないワードを使った時点で一発レッドと容易に断じられるのだが。これが同じくテレビでいじりに使わないだろうワード、「障がい者になってパラリンピックでも優勝してくださーい」でもいじり芸として認識されたのだろうか?
弁護士の渥美陽子は「農業アイドル裁判」で事務所側につき、アイドル遺族に勝訴した
農業アイドル裁判は、ローカルアイドルをしていた女子高生が自殺し、遺族が社長のパワハラによるものだと主張して盛大にこじれた事件
社長のパワハラ的な言動はLINEに残っており一部は認められたものの、
「辞めるなら1億出せと社長に口頭で言われたのが自殺の原因」については証拠がなく認められなかった
遺族側弁護士の佐藤大和は、同じグループのアイドルが「社長はパワハラをしていた」と語る陳述書を提出したが、
その子は「そんな発言はしていない、陳述書は捏造だ、社長はパワハラなんかしていない」と証言
遺族は、遺族→社長の裁判で負け、社長→遺族の裁判でも負け、社長に賠償金を払って終了
その後、自殺したアイドルと同じグループの子が「社長にパワハラされていた」とTwitterで告発して脱退
そのパワハラの内容、認められなかったが遺族も同じことを言っていた
木村響子は自殺した木村花の母親で、テラスハウス制作者やネット中傷者への訴訟や、中傷厳罰化のための活動などで様々な弁護士と組んでいた
侮辱罪厳罰化を求めるNPO「Remember HANA」の立ち上げに佐藤大和が関わり、法改正され厳罰化は果たされた
渥美陽子は、テラスハウスに人権上の問題があることをBPOに認めさせる申し立てを担当し、結局認められなかった
農業アイドル裁判は法クラで話題になり、佐藤大和叩きが流行った
木村響子は、別件ではどうか知らないが自分に対しての佐藤大和は優しく、彼がいるおかげで生きられたと全面的に佐藤大和をかばった
春名風花ことはるかぜちゃんは中傷裁判をいくつかやっており、その関係ではるかぜちゃんママは法クラと懇意で、ママも佐藤大和叩きに加わった
はるかぜちゃんママは木村響子に対して、佐藤大和と縁を切るよう求めた
詳しいやりとりはここ→https://archive.md/2tGY7
以上のことがtogetterにまとめられ、別件の関係ないことで叩かれる木村響子が同情され、はるかぜちゃんママは批判を受けた
はるかぜちゃんママはツイ消しし、まとめからも自分のツイートを削除してコメント欄でブチギレ→https://archive.md/y9Cgd
その後コメントも削除して木村響子に絡みついたことをなかったことにした
その後、暇空茜がシュナムル叩きでバズった
はるかぜちゃんは、小川たまかと揉めた時に何故か本人ではなく町田彩夏にぶつかり、「本人に言えよ」とシュナムルに批判されたことがある→https://x.com/chounamoul/status/1235167279655956481
それ以来はるかぜちゃんママはシュナムルを恨んでいたらしく、批判内容は到底「中傷」とは言えないものだったが、「これうちの子を中傷してた人だわ」とシュナムル叩きに飛びついた→https://x.com/sakurako_haruna/status/1555776368100618241
はるかぜちゃんママは人格的には暇アノンとの親和性がかなり高いが、シュナムル叩きに乗っかっただけで以降は暇空に絡まなかった
これは、暇空の相棒のなるくんが昔はるかぜちゃんと揉めたため、なるくんの存在に気づいたことが暇アノン化へのストッパーになったのだろう
昔はるかぜちゃんは、「はるかぜ.」というグラドルに「名前をかぶせられた」と怒り、彼女の名前を呼ばず「おっぱいが大きい人」と呼びながら執拗に絡み、「水着は泳ぐ時か好きな人の前で着るもの」と水着写真集を出しているグラドルを貶した
「子役のはるかぜちゃんが今ではグラドルになった」と勘違いした文を書いているブログに憤り、ブログを訴えるための費用を折半しろとグラドルに迫るなどしていた
「グラドルの信者が中傷のDMを送ってきた」と下品な発言を載せるも、前々からDM解放しておらず下品な発言ははるかぜちゃん本人がせっせとでっち上げたものと判明するなどして非常に荒れた
なるくんはグラドル側に立ってはるかぜちゃんを強く批判しレスバになり、はるかぜちゃんが反論できなくなってなるくんをブロックして終わった→https://skmz.one/?p=10466
はるかぜちゃんママは裁判沙汰を通して法クラや傍聴系youtuberの山口三尊と懇意で、「みんなが叩いてるものを私も叩く」という傾向が強い
山口三尊は熱心な暇空茜信奉者で、いつもの流れならはるかぜちゃんママも暇アノン化しそうなところを、なるくんによって深みにはまらずに済んだ
人気漫画『推しの子』には、「リアリティショーに出演した女優が、切り貼り歪曲によって嫌な女に仕立て上げられ中傷され自殺未遂する」というエピソードがある
作画の横槍メンゴはテラスハウス視聴者であるとTwitterで語っており、「このエピソードは木村花自殺を元ネタにしている」と噂された
このエピソードがアニメ化され、木村響子は実際に視聴はしていないが「娘の自殺がネタにされている」と聞いて抗議表明した
推しの子ファンの暇空茜は憤り、「遺族棒を振り回すな」「被害者を自称してる」「カス」と批判した
この発言を見た時、木村響子と暇空茜両方の代理人を務める渥美陽子のことを思った
BPOに負けて撤退した後でもう渥美陽子は木村響子と関わりないのかもしれないが、「自殺遺族のために戦う」と一時的にも味方でいた木村響子が暇空茜に罵られることに、渥美陽子は何も思わないのだろうか
木村響子への罵りの言葉は渥美陽子にはなにも響かなかったか、賛同する側であって、大量の裁判を引き起こしてくれて継続してお金をくれる暇空ファーストなのだろう
渥美陽子の投票報告を見て、はるかぜちゃんをママの発言を思い出した
「芸能人や話題の案件を引き受ける事は莫大な広告効果がありますので、無償で手を挙げてやりたがる弁護士は大勢います。被害者が世間の同情をかいやすい、若い女の子なら尚更です。もちろん本当に良い人もいるでしょうが、親の私達が出来る事は、そういったものを見極めてゆくことです。
木村さんや私たち被害者家族の周囲には、私たちを利用して名をあげようとする人間が大勢います。他人を信用せず、誰が本当の意味での誹謗中傷を無くそうとしているか、自分から見て正義の味方に見える人が他の人を傷つけていないか、良く見極めて下さい」
これは佐藤大和のことを指しているのだが、「莫大な広告効果」「利用して名をあげよう」と木村響子に近づき、正義の味方のように振る舞いつつ本当に誹謗中傷をなくす気などないというのは、渥美陽子こそそうだよなあ
うーん、例えばこう、
先日にクイズ番組を観ていたら、ミスをした人を糾弾するよくある演出に抗議をする人がいて、でもその後で今度はそれを遠回しに真似して揶揄して笑いを取るようなことをしてたわけよ。そしてみんな笑った。
俺は不愉快だと思ったし、それを日常的に認めるべきではないと思ったけど、でもどうしたらいいかわかんねえな。俺も言うほど良い人間じゃないし。それは置いとくとしても。
bpoに言ったとして、この程度のことで何言ってんだってなりそうだし……
まあ、なんだ、こういう悪意ある行動は抑制するべきだという風潮にできればしたいけど、ちょっと難しいよねと。
表現の自由戦士を自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。
ここには20世紀の規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀のコンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。
「昭和は自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12)
それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業が不祥事を起こしたり、市民がトラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。
しかしそうしたやり方では、人々の活動が規制の網の目に阻まれ、自由な競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。
しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題が顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブルに市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。
しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処のコストの予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視の機能を全面的に行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たちで自分たちを監視するようにする、という方針だ。
その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たちで監視し、自分たちで律してください、そのために自分たちで行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。
BPOが出来たのもこの頃よね。
それはいわば、上からの規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的な主体を作り出していくための手立てだった。
その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月に施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念は日本社会の中に急速に定着し、普及していった。
お疲れ様にござる。増田殿に代わって、誰が悪いのかを妄想で押し付けるブクマカ共に、誰が悪いかの正解を講釈して進ぜよう。
この件の責任は100%出版社にある。他の登場人物の責任を全部足しても0.何%にしかならぬ。
マンガ家サイドが自分の見聞した範囲ですべて真実を書いていたと仮定すれば(そうでなくても出版社の責任は変わらないのでこの仮定は実は不要)、出版社は
「(実現出来るはずのない)条件をのませた!」
とマンガ家に嘘をついていたとしか解釈できぬ。伝言ゲームで実際の契約内容が違っていたパターン以外に、実際の契約書の文言にそのような条件が盛り込まれていたパターンでも、会社間・部門間の力関係でそれを実際に行使するのは至難であると理解してない編集者がいたら、社会人失格レベルの無能にござる。
テレビ番組とは、局以外にも、スポンサー・代理店・事務所・出演者・BPOなどなど、無数の人間が関わる大伽藍のような物にござる。それを、原作者の思惑だけで全部ぶち壊せるというのは、法理上そうなっていても、現実的とは言えぬ。実際に企画が走り出して枠が決まってしまったら、立ち止まることは許されぬ。マンガ家個人の担当編集者以外は、全員、この企画を回して無事に放送を終えることを最優先に行動するほかなくなるのでござる。
マンガ家に出来ることは編集者を通じて要望を出すことしかなく、編集者が100%マンガ家の味方をしようとしても、映像化に合わせて色々と企画を立てているであろう社内の各部署が味方になってくれる可能性すらそれほど高くはござらん。雑誌の看板作品であれば編集部は味方になってくれる可能性はあるやもしれぬが、テレビ局との窓口になっている部署は、当然、局の顔色を窺うであろう。そういう仕事であって、個人がどうだったとか考えて始まらぬ。
「作者にどんな不満があっても、なんとかなだめすせば放送を終えることができるだろう」と担当編集者以外の全員(あるいは、担当編集者を含む全員)が考えていても、何ら不思議な事ではござらぬ。それに、何かの間違いで、今回の事案に限っては出版社が全社挙げてマンガ家の味方をしていたとしても、やはり責任の100%は出版社にある。
その場合の最適解とは「原作を尊重したドラマ化など現在の情勢ではほぼ不可能だから、今回の話は惜しいですがなかったことにしましょう」と誰でも分かる常識的判断を下すことでしかなく、あるいは、本読みの初期段階で「やはり無理なので原作を引き上げます」と撤退することにござる。それまでの数々の先例から考えれば、守られる可能性が極めて低い約束を結べたなどとマンガ家に告げて、徒に疲弊させることではない。
最後のブログへの投稿に至っては言語道断である。出版社はなんとしてでも止めるべきであり、マンガ家を守るため、出版社名か、それが無理ならせめて編集部名で何らかの説明を出すべきだった。それをせずにマンガ家個人に情報発信させるというのは、最悪中の最悪手であり、先の仮定『何かの間違いで、今回の事案に限っては出版社が全社挙げてマンガ家の味方をしていた』可能性は、やはりゼロだと考えるほかない。社内政治だか局との関係だかなんだかを優先して、本来やるべきだったことを怠り、守るべきマンガ家を悪意の中に抛擲したとしか言えぬ。
この後、第三者委員会が作られて真相が解明されるかはわからぬ。分からぬが、仮に、何かの間違いで、出版社が本当に作者に説明したとおりの内容の契約書のもとにメディア化を許諾し、それを守らせようと最大限努力していて、局の側もそれを誠実に守ろうとしていたのに、ひとり脚本家だけがそれに逆らっていた、という子供の正義感を刺激するような話が結論になったとしても、それは出版社を免責する物ではない。そしておそらく、真実はそんな簡単な話ではなかろう。人の噂も七十五日。報告書が出る頃にはこの件で騒いでいた人間は何も覚えておらぬだろう。今はただただ故人の冥福を祈るのみである。合掌。
何なんだろ、そこまでいい子ちゃんなのか
時代は変わったとかなんとか
確かに時代は変わってるのかもしれんがあれじゃ集団ナンパにしかならんだろ
(今の法律ならわからないけどね、法改正したてでまだよくわからん)
ていうか売春斡旋にならないように金を渡してないんだと思うけどね?
芸人共も馬鹿じゃないんだからそのギリギリのラインでやってんだろうよ
松本がここ10年で祭り上げられた結果、コンプラ的には厳しくなったけど
よくある昔やんちゃしてた現政治家が週刊誌に掘られるみたいなパターンだよな
もっと昔ならスポンサーとかBPOとか糞食らえ的な立場だったし
キャラが雑談するだけ。バカ。でどや顔で気持ち悪いセリフを吐く。
〜だろ俺たち、ドヤァからの、〜で良かった ドヤァw
何もストーリーも人間ドラマもないのに、意味がわからねぇよアホ
ジジイを山に連れてってよかったです。死にましたドヤぁ? 魔法使えアホ 、空飛んでるし
顔をおぼえろアホども
てか一面に咲いてる花を見つけるのに何年もかかるアホ、すごい見つけやすいよ?
魔王倒して良かったです。仕事探し大変ですドヤぁ!?? 魔法使えアホ
メガネを作れるのに茅葺き屋根と馬車があるアホ世界、感光紙でカメラを作れ無能ども
なんで子供の自殺を止めたの?→勇者ならそうした。?頭大丈夫?BPO案件だから。子供に悪影響だろ
葬送のフリーレン
https://www.bpo.gr.jp/?p=11739
犯罪だと指摘されているのに
2023年8月にBPOに寄せられた意見は 2,115件で、先月から 508件増加しました
芸能事務所創立者による性加害問題について、さまざまな意見が多数寄せられました。8月の意見のうち3分の1以上がこの問題に関するものでした。
放送全般への意見の中から20件を選び、その抜粋をNHKと日本民間放送連盟の全ての会員社に送りました
例
芸能事務所の再発防止特別チームが指摘した、“マスメディアの沈黙”について、当該事務所の所属タレントを起用して番組を制作するなど関係の深かったメディアは、“忖度”の有無などを検証し結果を公表してほしい