はてなキーワード: 頭痛とは
わたしの一挙手一投足が誰かに不快感与えてないか心配で、わたしの書いたものがあまりに不快でジャンルの人たちに嫌われてやしないか心配で……。気になりすぎてツイッターの2次創作用に作った公開のアカウント、鍵掛けたり外したりしてしまう。ただの被害妄想と自己否定ってことは分かってるけどやめられない。
無言=否定と受け取ってしまう。わたし個人的には嬉しい?というかマシ?なのは「好かれる>嫌われる>いてもいなくても同じ」という感じ。好かれたら嬉しいけど、好かれないなら嫌われたい。いっそあなたの書くものが不快ですって言ってきてほしい。いてもいなくても同じ空気より、マシ。たとえマイナスの感情でも誰かには見てもらえたんだからそれでいいや……って、思えちゃう。
反対に、全然知らない人からいいねをもらえたらするとすごく嬉しくなる。相互さんだから……フォローしてるから……で見てあげてるんじゃない、検索やタグからわたしを見つけて、何かしら反応をしたいと思ってくれたのかな……と舞い上がる。
誰にも見てもらえなくてもわたしが気に入ってるから良し!って言える人はすごい。わたしは一時的にできても、後々寝る前とかに自己嫌悪とかがぶわーっと来て消したくなる。これ治せるものなのかなあ……。
嬉しいも悲しいも一定の基準値内では変動するけど、大喜びしたり、その大喜びした反動でドン底気分になることもない。今日はすこぶる体調が良くてバリバリ仕事/勉強が捗る!なこともないけど体調不良でゲロゲロしたり些細な頭痛に悩まされることもない。極論、無機物が羨ましいに落ち着いてしまう。
昨日は結局朝起きれず迷惑かけた。自分が悪いのになんか、いろいろ、自分が子供っぽすぎてつくづく嫌気が差す。いつまでも成長できない周回遅れだと思う。
自己肯定感増長して毎日ある程度幸せになれる薬が欲しい。世間ではそういうのは危ない薬になるんですけどね。幸せ錠剤とか欲しいね。
嫁がヘアピンや髪留めを片付けない。
もっと言えばお風呂上がりのスキンケアに使った濡れたティッシュ?やヘアゴムを至るところに置いたままにしている。
仕事から帰宅し自分の机で作業をしようとすると、毛抜きとハンドミラー、使用済みのティッシュがそのまま置いてある。
自分の風呂上がり、髪を乾かそうとするとピンセットがドライヤーの線に引っかかりパラパラと床に落ち、多少のストレスを感じる。また、ギザギザした髪留めを踏むこともある。
洗面台で歯を磨こうとするとヘアゴムが洗面台の流しのところに引っかかっている。
そのまま口をゆすいだものを流すわけにいかないのでつまんで捨てる。
最初は「これこれ(上記のこと)はちょっと気になるなあ」という程度に注意を示した。
だが治らない。
そのくせ、私の本がリビングのソファに置きっぱなしであったり(これは深いだろうか?)、調味料が出しっぱなしだと怒る。
毎回言うのも疲れるし、その場を写真に撮ってみせたり、そのままにして回数を数え、10回それらを見たら注意する、とした。
どうしたらいい?
また、普段ご飯を作るのも自分なのだが、仕事の帰りが遅い日、嫁がご飯を作ろうとしてくれる。
しかし嫁が料理をした後、流しが泡だらけ、コンロ周りが油や調味料だらけになるので、やらなくていいよ、というと怒った。
私は嫁が怒っている状態がひどく怖い。
以前はマグカップを投げつけられたり、本をビリビリに破かれたり、デスクライトを床に叩きつけて割られたりした。
嫁が怒るたびそれらの思い出が脳裏をよぎり腹痛と頭痛、手先の震えが怒る。
私の言い方が下手なのだろう、とも思う。
私が口下手なのは理解しているが、なんと言えばうまく解決に至るのかわからない。
嫁は専業主婦なのだが、最近は昼夜逆転しているようで、朝方までテレビを見ている。
チカチカ動く光が気になって眠れないまま仕事にいく日々が続き、帰宅するとヘアゴムの件がある。
安らぐ場がなくなって家に帰りたくないとさえ思い、仕事の帰り道、涙がポロポロ溢れて出てきた。
嫁を見放したい気持ちもある。
とても自由で可憐な女性なので、生活と男性に困ることはないだろう。
けれど、私が出で行った後の直後のことを想像すると、出で行くことをためらってしまう。
私の荷物がなくなって少し広くなった部屋に、ぽつんと一人座っている彼女のことを想像する。
私は彼女が大好きだ。
でも直して欲しいところがある。
どうしたらいいのだろう…
うつ病から復職して半年足らずで社内に全例のないプロジェクトに投入された。
2ヶ月後リーダーが退職、カバーに入ると約束したはずの管理職は口だけで何もしない。
自分の作業だけでも大変なのに調整事や管理もさせられるはめになった。もう一人のメンバーはまだ若くやはり自分の作業外に関心を持つ余裕なんてない。カバーが必要。
上司は問題が起きてるのはわかっているけど実験だと思って頑張ってほしい、と言う。そうだね、あんたはつらくないもんね。
起きると寝汗でパジャマがぐっしょり、頭痛がひどく吐き気もする。
週の半分ほど会社に行けず、関係部署から苦情が出ているらしい。知るか、おまえらの失策のしわ寄せ食ってるんだ。
ボロボロになりすぎてからやっとプロジェクト外そうという話になったらしく、どんな仕事に興味があるか聞かれた。
もうあんたの下で働きたくない。ふざけんな。
初めて指摘されて気付いた私。
きっと丸まった枯れ草が風で転がるサボテンの花咲く西部のパタパタ扉のよそ者厳禁の酒場でも
酔っ払っていたらきっと誰かと仲良く出来るのかもね。
インターナショナルな席でさ、
豚とかはなんか料理に使って入ってることを知らなかったらセーフみたいな感じで
意外と緩いのねって思っちゃったわ。
そんで、
ご飯食べててもお酒なしで楽しいのかしらね?っても思っちゃうわ。
そういった習慣の違いって
なかなか日頃目にしないから
ワールドワイドに微笑ましいわ。
今日はここまで、
うふふ。
朝はやっぱり玉子は欠かせないわ。
ふと思ったんだけど玉子の王子様って
ぱっとみ字面で見るとややこしいわよね!
結局葉物野菜は高いままで今冬シーズンも終わっちゃうのかしら?
例の頭痛薬を使えば優しさの半分が染み出てもっと優しい味になるわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
有名ブクマカいじりばかりが蔓延ってて増田と有名ブクマカの馴れ合いになりつつある増田界に一石を投じてみる。
闇属性とか鯖とかギルド団長とかセルクマとか採掘師とかよく知らない人とか、そんな四皇や七武海のことは置いといて、たまにはルーキーブクマカに光をあててみようぜ。
とりあえず俺からは4人のルーキー候補を紹介するぜ。他にも気になってるブクマカいるけど一応配慮して、あまりいじられたくなさそうなやつは除外してる。
ルーキーの星。なんとこの認知度でまだ9ヶ月も活動していない。アイコン画像のいまいち萌えない娘の選択チョイスの賜物。
得意技は無言ブクマだったけど徐々に方針変更。とにかくブクマの数が多い。最近は少し減りつつあるものの30〜40ブクマ/日がデフォ。
ブコメは下ネタからアニメ、ゲーム、音楽、英語、なんでもござれで偏った見解もないので人畜無害。
これだけだと面白みがないので一つ下ネタをぶち込むと、年齢のせいか自慰の回数が月1くらいに激減しててしかも事後に頭痛がするらしい。
15年からブクマカ活動を開始しているが17年から活動が活発化してる気がする。転機は不明。
適当な相槌の連続の中に垣間見える割と知的なコメントが得意技。
"生きていること自体に意味なんてそもそもないし、意味を自分で見つけたとしてもそれは普遍的なものではないよ。" http://b.hatena.ne.jp/entry/351931511/comment/thnn
適当書いてるだけではなくて本人はちゃんと文化人だったりする。
猫。パピョー
雪。http://b.hatena.ne.jp/entry/355286310/comment/ueno_neco
見た目的にルーキーっぽさがないけど活動期間は1年半くらいなのでれっきとしたルーキー。
増田界隈でも徐々に存在感を増しつつあるおっさん。アイコンは素顔で小一時間かけてキメ顔を撮影したとか。
持ち芸は "ここに並ぶ勇気ない"
教育に一意見ある人。thnnがやんわり文化人なら、この人はがっつり文化人というところか。
※なんか思いのほか反響があったので何点か追記。ちなみにギルド団長=b:id:AQM。たしかアイコンがギルドの旗だったはず(違ってたらスマン)
と、ここまで書いて、そういえば最近匿名ダイアリーの情報開示云々が話題になってたのを思い出した。ビビりなので本人から指摘あれば速攻消します。
朝から大変くたびれることがあったので一息つきたい
コーヒーでも飲みに行くならデスクのある部屋に移動する必要がある
本当なら熱いコーヒーをひと口飲んで、手を額に当ててうつむいて十秒ほど目を閉じて、またコーヒーを飲んで目を閉じて少しだけ休みたい
しかしそんなことをしたら近くのデスクのジジババどもが「増田さんどうしたのッ!?」と声をかけてくるに違いないのだ
「熱があるの!?」「風邪!?」「頭が痛いの!?」「早退する!?」
そんなことを矢継ぎ早に聞かれ、ただただくたびれているだけの自分は「アッ!!ダイジョウブナンデッッ!カゼジャナイデスッ!!デュフッ!アッダイッダイジョウブデスッ!!」と言って残ったコーヒーを一気飲みしてまた仕事部屋に戻るしかないのだ
声をかけてほしいアピールじゃないのに
頭痛も腹痛も熱もない、ただだるいから静かに少しだけ休みたい、それは許されないのか
職場のジジババはこれでもマシだ
疲れてぐったりしていると、不機嫌アピールや何かのあてつけと思い込んで、私は実の子にいびられている!許せない!家庭内暴力!精神的DV!やられたらやり返す!と、疲れてぐったりしている自分に向かってぎゃんぎゃん怒鳴り散らす
もし自分が疲れた様子の人を見かけたらああ疲れてるんだなあと思って放っておくんだが
丈夫な体になりたい
ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。 口調とかもあまりきれいじゃないかも、ごめんなさい。 私は自分が絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います!
人間って生まれてからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。 たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。
親
って言われているもの。誰から生まれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。
その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。 実家がどういうところだったか、少しだけ書くと 2017年夏(当時20歳)の時点で
•自分の部屋がない
•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活
•就寝は祖母と一緒の布団
•窓を開けてはいけない
•カーテンも閉め切る
•オーブントースターの温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない
などなど。
母親も祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。
母親が19の頃にデキ婚で私が生まれて小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママの彼氏』。
「これから私たちの生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。
誰だったんだろうあいつ。
見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。 私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。
最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。 そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。
そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。 だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。
祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。 それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。 働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。
祖母は祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)
そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、 へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。 その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。
そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係に不具合が生じるのもまた事実だ。
私は本当に親がわからない。
親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。
今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、 そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。
母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。 だから自分は普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。
生まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。 いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。 幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそばで
「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。
小学生のころは学校のすぐそばに煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら 「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。
服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。
私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。 私が大きな声を聴くと自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。
中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。
幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。 しかし受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問は学校のテストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。 もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強が楽しいと思えなくなった。
結局中学の好成績を生かして公立の高校に推薦で入学した。 ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた
「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」 挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。 スカートの丈をひざまで上げただけで。 意味がわからなくて怖くてたまらなかった。
親のなかでは
ひざ丈のスカート
=男にもてたい
=恋人ができる
=セックス
=妊娠
という式があるらしい。
一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったときも説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。
大学は必ず行け、しかし国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているから学費の負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。 しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒の資格を買っている。」とご高説を垂れる。 この辺まで来るともう物事の判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教は気持ち悪くて仕方なかった。 知らないものをぼろくそにこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。
結局興味のある分野に近いコースの国立大に入学して3年が経とうとしている。 実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。 「もっと近くにあるだろうが」
帰りが終電になればまた怒られ、
「美術なんかやって何になるんだ」
といった風な小言も絶えなかった。
掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。
場所もない、理解もない、朝は母親と祖母による自分の悪口で目が覚める。 ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。
2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。 家にいると親に対する嫌悪感で頭痛や吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。
学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。
もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。
講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。
実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。 どのみち自分には帰る場所なんかないのだから居場所を作るしかないと思ってのことだった。
親には一言も伝えずに休学、
お金を貯めて部屋まで決めて、
もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。
自分の判断能力と精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。
「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからないから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。
少なくともこの半年、
「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。
時間潰すために夜の公園で電池なくなるまでスマホいじることもなかった。
自分だけがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。
窓を開けて部屋の換気ができた。
たったそれだけの事だ。
私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。
春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。 ようやく自由になれた気がした。
家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。 誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。 部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。
ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。 自分の人生はこの1度きりしかないのだから、自分が幸せになるために生きなければもったいない。
4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正。それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーションは学校の課題へのモチベーションに変えよう。
レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟が必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。
こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。
でも起きた時から具合が悪く、やりたかったことがほとんど何もできずに1日が終わってしまった
具合が悪いを具体的に言うと、8時間以上寝た(ただし職場の人が出てくる悪夢を見た)にもかかわらず眠気が異常にある、頭痛がする、腸内ガス?が活発すぎて動くのも横になるのも苦しい、寒気がする、特別思い当たることもないのに精神がやや不安定、足が痛い
など
最近ずっとこんな感じで、仕事の日はちゃんと朝起きて活動できてるのに、休みになると起きる時間も遅く、起きた時点で身体的にも精神的にも調子が悪く、せっかくの休日が無駄になることが多い
もともと読書が好きで休みに読もうと思ってた本なんか大量にあるのに、文字を読む気にすらならない
で、他の人は休みにも勉強したりしてスキルアップを図っているんだろうな、と思いますます落ち込む悪循環
人と会うと疲れるタイプなので起きた時に調子が悪いと遊びに出かけることもできない
最近はもう溜めてる洗濯物や皿洗いができればマシな方で、ほんとに一日中寝転んで何もできずに(スマホをいじるくらいで)夜になってしまうことも多い
なぜだかどうしても体が動かず風呂に入れない日もあり、そういう日は次の日早起きをしてシャワーを浴びてから家を出ることになる
ただ休日は夜ちゃんと寝つけないことも多く、これをすると睡眠不足になりがちなのでかなりつらい
せめて休日に家事をやらなくてよければいいのになと思うものの、台所が狭すぎて食洗機が置けない&住民専用ランドリールーム付きだけど自室には洗濯機置けるとこがない単身者用マンションに住むしかないカス人材なのでどうにもならない
どうすればいいんだろうな
まあ模範解答は「病院に行け」になるんだろうが、以前も何ヶ月か体調悪い日が続いて仕方なく病院に行ったら「食事がよくないですね」などと指摘され、「これでも出来るときは自炊などしていてもう精一杯なのですが…」などと浅はかにも反論したところ、「工夫次第でもっとやれると思いますけど」と医者をやりながら3人産んで育てたとかいう体力強者の女医にボコボコにされたので行きたくない気持ちが強い