はてなキーワード: 銭金とは
たとえば、うちの近所の道路が災害で壊れたことがあるんだけど、役所に連絡しても「わかりましたー」みたいな反応しかないのよ。
で、役所で働く知り合いに話を聞くと、「今年度は予算を使い切っているので、来年度だねー」みたいな反応だったりするわけ。
で、その件を知り合いの政治家に話すと「よっしゃよっしゃ」みたいな反応で、翌日には役所から電話がかかってきて、すぐに直してくれる。
無かったはずの予算がどこから湧いたのか、というと、有体に言えば、役所はだいたい政治家ルート用の予算を別に確保してるんだよね。
もちろん、政治家の影響力やタイミング次第では、この別枠が取れずに来年度に持ち越しになることもある。
銭金の話で言うと、こんな感じ。
制度設計や許認可だとまた別の形だけど、まあ、似たような感じのフェアじゃないけど違法でもないルートが役所には多々あるわけよ。
たたた倒せたー!
初バトルから何度手持ちの中で組み替えても勝てなくて一年以上放置してたけどやっと倒せたー!
初見時、主人公が80レベル、仲間(変換が面倒だからこれで書くよ)が60後半。
仲間はどれも一撃死。主人公が耐性無視の防御力重視防具でギリギリ残る。そして他の技でオチる。
このゲームの死亡はベンチに落ちる仕様だから、普通の復活手順は
で2ターンかかるんだけど仲間が一撃死するんだからジリ貧どころかマッハ貧。
クラウ・ソラスに予備動作もクールタイムも無く毎ターン撃ってくるとわかったときは絶望した…
なんとか序盤を耐え切り攻勢できるか?というところに飛んでくる全体魅了!一気にパターンが崩れて壊滅する。
仲間の魅了とかの耐性ってわかりづらく結局主人公に耐性持たせて頑張るんだけど主人公の負担がマッハすぎるし今回攻略するまで無効アクセサリーがなかったから根性で1/3ぐらい魅了係のアモンを削っても耐性を貫通して乙る。
なんとかデバフをかけきって全員がギリギリ耐えられるようになったかと思えば
静寂の祈り→ラスタソウル→クラウ・ソラスでいきなり攻撃力4段強化クラウ・ソラスが飛んでくる。乙る。
デバフは必須として序盤を超えるにはバフなしでクラウ・ソラスを耐える必要がありさらにバフを積む必要がある。もちろん軽減したとはいえ大ダメージの回復も必要。
殴る暇ある!?
(クリア後に攻略を見たらバフデバフは3回に抑えるのではなく2回に抑えるべきだそうで。忘れてたよー)
極悪単体攻撃が特徴なボス戦だけど、対策としてヘイト管理みたいなタンク戦術ができない。
多分隊列の概念もないと思うから4人等しく大ダメージがふってくる。
しかも耐性無視だから、今までのようにレベルが低めでも役割や愛着があってつれまわしてる仲間を使うとかはできない。
道中すべて法則とか考えず適当に合体させまくって進行した結果か、強い味方を図鑑から探してみても、なんかぜんぜんブフ系覚えてる高レベル悪魔がいないの!
まあ技はソースでなんとでもなるんだけど、でもデフォで活躍できそうな仲間が全然居ない!
いやあるけど、普通のRPGに比べたら仲間はまったく成長しない。
クラウ・ソラスを耐えるにはステの体が50後半は欲しいなと見回してもそんな仲間は居ない。
かといって育てるのもかなり時間がかかるし上昇ステってランダムだよね?辛い。
今までちょっと苦労したボスは耐性を見比べてコイツで行けそうって体質型採用してたんだけど、今回は体目当てで募集したらだれも基準をクリアしてないの!辛い!
適当合体のツケで御霊もそろってないしだいだいそれで体をドーピングするのもかなりリソースが必要で面倒!
ゴリ押ししようと今まであまり使ってこなかった特殊合体や御霊合体をしようとしたら80レベルという終盤特有の費用のインフレがひどい。
普通に10万単位でマッカが飛んでいくのに収入は1戦1000ちょっと。やろうと思えば複数セーブできるとはいえ試行錯誤であれもつくってこれもつくってはやりにくい!
アクセサリー素材集め中にマッカビームを食らったときは本気でやめようと思った。(カンギテンだから宵越し銭金で50%だけどな!)
あとその稼ぎに付随して主人公のレベルが上がっちゃう。工夫で勝ちたいのに結果的にレベリングで勝てた感じになって辛い。
打撃耐性<炎無効以上 を目安にメギドフレイムを無視できるように。メギドラオン?あきらめよう!
おめめピカピカになった人。
久々にプレイしたらアレックスの感動的なムービーにデモニカスーツがダサくてダメだった。やってると慣れてくるんだけどね、耐性薄れてた。
剣 なんでも。使わない
ドラゴンベストとリングの素材集めが辛かった…シルキーどこに出るのよ…ファフニールもドロップ率渋い!
打撃吸収・炎反射
不屈の闘志(未使用)
メギドラ
体目当てで採用したら技がぼろぼろだった。
ラスタキャンディ目当てにヴィヴィアソースを使ったらついでについてきたマハブフーラがメイン火力になりました。
打撃耐性・炎反射
メギドラ
セイオウボソースでメデアラハンと招来の舞踏を継承させたデバフと回復役。幸運にランダマイザがブーストでついていたので隙があればデバフも。
毎ターン全体全回復を打つのはゲーム性を否定しているようで嫌だったけど、そうも言ってられなかった。
打撃耐性・炎吸収
ランダマイザ
そしてなぜか持っているデバフ。
スキルの追加無しのオリジナルのままで通用した意外な仲間ナンバーワン。
ジオダインはお供のことしか考えてなかった対アレックスの唯一の有効打になりました。MVP
ねえよんなもん!
バフデバフをかけ終わったら全回復とマハブフーラ!CO-OPは大事!
主人公はアイテムの最速利用を利用して宝玉を投げ!MP回復を投げる!
ラスタソウルがきたらデカジャの石を投げる!投球制限など知るか!右腕が壊れるまでアイテムを投げ続けろ!
とにかくアモンの効くかわからない魅了とメギドラオンの事故が怖いからアモン集中狙い!トールは殴る!
デバフのおかげでたまにクラウ・ソラスも外れるからアールマティもメギドラる!
流石に初見から10レベルも上げたら後攻全回復でメギドラオン込みでもセーフみたいで。
強敵が出るたび仲間がアイテムを使えたらもっと楽なのにねとよく思わされます。でもアイテム最速使用の仕様とトレードオフなら少し悩むかも。
そんなせわしない仲間のお世話係なママさん主人公は今後どうなるのか。
カオスルートの結末とは!?ラスボスの強さとは!?LやNルートでもアレックスと戦うのか!?周回するほどやる気があるのか!?
23年前に開発終了したにもかかわらずいまだ「定番」と呼ばれるアプリがあるらしい
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/1390753.html
駆け出しエンジニアだった20年前、仕事でバイナリ見る機会はあまりなかったけど、TeraTerm、FFFTP、DF(差分比較。インストールが要らないのでサーバー作業で重宝した)あたりはよくお世話になった。当時のフリーソフト作者ってのはマネタイズとか全然考えてなさそうな連中ばかりで、俺もべつだん作者に感謝とかせずに当然みたいな顔して使っていた。今だったらこれくらいの定番ソフト作れたら会社立ち上げて売り抜けて一生遊んで暮らせる目もあると思うが、この現在の風潮を見て昔のフリーソフト開発者たちはどう思ってるんだろうか。裏切られたような気持ちでなければいいんだが。フリーソフトに限らずSHIFT the Oracleとか、Mr. XRAY(Delphi)とか、メーリングリストで親身にアドバイスしてた面々とか、そういう人々って半分は趣味にしても残りの半分は使命感というか、基本的にはアテネの学堂式インターネットコミュニケーションの理想を胸に、金銭的利益を求めずにそれぞれの形でコミュニティに貢献してたんだと思うんだよね。それが俺みたいな木っ端エンジニアとかに散々フリーライドされて、とくに見返りもなく、マネタイズの波にも乗り損ねて、もう年齢的に60手前ってところだと思うんだが、みんなどこでどうしてるんだろう。当時は銭金じゃなかったんだろうけど、いまの銭金一色のネットスケープをどう思ってるんだろう。みんな秀まるお氏くらいには報われてくれてればいいんだが。秀丸は買った。
昨今、改めてテレビのヤラセが話題なので、唐突に自分が知っていることを書いておく
1つ目
過去にテレ朝で銭形金太郎(銭金)という貧乏な人を紹介するバラエティがあった
その俳優は事務所に所属していて、タレント活動もやっていたけど、番組上では完全な素人として扱われていて、スタッフに言われたキャラもつけられていた
その俳優はちゃんと仕事をしていて暮らしぶりもなんとかやりくりしていたけど、番組上では無職で生活苦だということになっていた
自分の知っているその俳優とオンエアでの扱いがぜんぜん違うのにびっくりした
その後、事務所を通じてその番組の出演料はタレントとして支払われたそうだ
2つ目
名前は忘れたけど、TBSの番組で素人参加のものに知り合いが出た
その知り合いは確かに素人だけど、その番組のディレクターとはもともと知り合いで、いろいろとディレクターの指示を受けたキャラを演じた感じだった
番組上でその知り合いのプロフィールや名前も公開されたけど、全部事実と違っていた
3つ目は、水曜日のダウンタウンで、金田一少年のトリックは実現不可能みたいな説
これも知り合いのスポーツ選手が出演して、本人曰く、撮影ではトリックの通りの動きができたので説立証ならずとなったはずなのに、オンエアではまるまるカットされて説は立証となったらしい
これは、その知り合いから聞いただけで友人が出演するはずのところはオンエアされてないので、そんな信ぴょう性のある話ではない
とりあえず自分の周りで合ったのはこんな感じ
全く業界と関係ない自分でも明らかなヤラセがあるぐらいだから、他にも色々あるのかなと思った
なんとなく思い出したのでここに書いておく
少なくともビジネスとして萌芽であっても、科学技術としては明証分析総合枚挙と、合理的批判に耐えられたものは科学技術としての成果なわけだ。
とすると、科学技術としての萌芽・基礎研究を積み上げていくしかないと思うがね。望むらくは並行して顧客と技術のすり合わせをして。
あとどのみち科学技術でも専門家も近い分野の技術しかわかりません。ビジネス系の人間はまずわかりません。せいぜいブームになったテーマでちょっとわかるか程度だろうか。
けどね、例えばある有望な商品Aが非常に高価だったとする。である時商品Aを安く作れるというベンチャーが海外で生まれた。そして日本でも後追いで新しい技術で商品Aが安くできるといくつもの大金を集めたベンチャーが生まれた。
最終的にどうなったかって?実はそのころある商品Aというのは特許切れが起き始めていたんだ。安く作れるというベンチャーは特許切れの技術でそこそこ安かろう悪かろうの商品Aを作れたというものだったんだ。
最初に起こしたベンチャーや、商品Aで強いと言われていた日本の有名企業、その他一時天下を取ったという企業、多くの企業がつぶれた。
結局最後には古い特許切れの技術のみに対してチキンレースで大量の銭金をぶち込んだ中国企業が複数残ってる。なんて言う栄枯盛衰があるね。
ブームになってビジネス系の人間もこれなら安く作れるかもしれないと思って大金ぶち込んだけど、実は全員技術の勘所をわかっていなかったんだわな。
それやらないでいい仕事じゃないの?
君が同調圧力や使命感でやっちゃうからババを引くのであって、まずは君が本当にやるべきやらないでいい仕事を見極めて逃げるスキルを身につけるべきだよ。
適当に逃げて、空気的にやめてもいいんじゃないですか?と言える状況でいえばなくなるよ、その仕事。
銭金も、やっての満足感も得られない仕事はやらないでいい仕事よ。むりしてでもやるべきなのは銭金が絡む仕事だけ。
後、美術関係の大学か?それなら尚更、美術系をやめて、デザイン関係ないサラリーマンにならない限り、やる価値のある仕事、やる価値のない仕事を見極めないと生涯苦しむよ。
他人を同調圧力で安価で使い倒したい連中なんかいっぱいいる。今のうちにやるべき仕事、やるべきでない仕事を見極め、やる価値がない仕事から逃げるすべを身につけないとならない。
資本主義というより、純粋資本主義の欠陥として、銭金にならないものは無視される。
ただ、日本人が情ややりがいで動いてしまうから、銭金にならないが世の為人の為になるものは頑張ろうという気概で動いてしまう。
本来、銭金にならないが世の為人の為になる仕事をしていても、安らかに暮らしていけるように、役所が金と人を増やさないとならない。
けど、情ややりがいで動いて人が来てくれるのなら、金を出す必要はない。ましてや、政府が何もしないのが望ましいという純粋資本主義の再来の新自由主義者にとっては望ましい。
よって、銭金にならないが世の為人の為になる仕事がどんどん買い叩かれる。だろう。
銭金になって世の為人の為になる仕事は儲かるよ。加えて、純粋資本主義は欠陥があるものだってことだ。
まあ、銭金の方を先に見るべきだろうがな。
全部読まなくてもコードから理論がわかればオリジナルで書き下ろすというのもある。
古いのだとFORTRAN77とかで書かれてんじゃない?
根性論なのは申し訳ないけど、いわゆるデスマーチのヘルプで投入されて火消しをするってようするにこういうことをしている。
ということで、出来ないわけじゃない。
だからなんっていったらいいかわからないけど、知的興味から開けたいと思う人がいれば開くし、いなければどっちみち教える人が存命でも引き継がれない。
だって、その人が存命中もみんな中身を聞いたりしないで、ブラックボックスとして使い続けたんでしょ?
引き継ぐ人に引き継ぐ気がないものは引き継がれない。銭金の問題じゃない。
引き継ぐ気があれば最悪のケースでコードが残っていれば引き継がれるし、引き継ぐ気がなければどんだけ金があっても引き継がれない。
幕末ともなれば穀潰しを遊ばせる余裕も世情も無く、結局のところ彼は糊口を凌ぐ為に己の才能を切り売りした。
どうやら武に纏わる技芸はさほど優れたものではなかったようだ。さりとて彼には商売の才能はなかった。
しかし彼には類まれなる発想と、稀有な才能があった。
それは、勘定をし、その勘定結果がどのような未来を描くか、どうすれば違う未来を描けるかを、説明する才能だった。
今で言う、ファイナンシャル・プランナーである。
彼が歴史に名を残したのは単なる偶然でしか無く、江戸の醤油売から東北の豪商に至るまでそこここの日記や書付にその偽名が残るのみである。
幅広い人脈を築いた結果得られたものが何だったのかも、どこの誰だったのかも結局判らない。
しかし、大店の影にその人ありと実しやかに囁かれた風聞は、今も色褪せることのない伝説として語り継がれている。
分を弁えよ、ではない。
人が贅沢を夢見たり、買えなかったものが買えるようになるのは良いことだとした。
一定の石高を常に保証される武士にとっては、倹約を旨とすればその分貯まる。
武士にとっては、勤めを果たすことが上向く方法だからだ。後は倹約しか無い。
しかし、町人や商人は異なる。己の才覚で事業を行う必要があるからだ。
ケチケチと貯めるばかりでは、生活は全く変わらず何のための商いか分からぬ
しかし、稼いだ分を使ってしまってばかりでは、商いを大きくすることは出来ぬ。
こう、説いたのである。
すると、分相応な使い方は出来ないが、使え、と言っていることになる。
これはどういうことか。
貯めてばかりでなく使え、使ってばかりでは貯まらぬ。
そして、その加減は余人にも当人にも図りがたし。
だから、そもそも無いものとして考え、ある分を使えば良いと、こう伝えられている。
これは意外なことに好評だったようだ。
元々宵越しの銭は持たない気っ風の良さを心情とする江戸っ子以外にも、粋や趣味には金がかかる。
これを抑えるのではなく、存分に使えと言うわけである。
大圓朝の芝浜と偶然にも結果は同じことを言っているわけであるが、後世の創作を加味すると、村田の方が時代を先んじていたと言えよう。
使うと言ってもここでは、無かったものとした貯めた分のことである。
そもそも無いものとして生活せよ、とする場合、言ってみれば稼ぎよりも貧乏になれ、と言っているのと同じである。
誰しも貧乏よりは裕福が良い。
程度はあれど銭金があって困ることは少ない。
だから、如何に使うかを考え、決してあるものとして勘定してはならぬ、それは無いものだ。
なぜならば、使い処が別にあるからだと、こう言っていたようだ。
この使い方指南こそが村田の真骨頂であったようだが、商売の正に秘伝とも言うべき部分の事で、手に入る資料の中にはさほど面白い事由は残されていない。
さて、よほど複雑なものでもない限り、商売の基本は数を数えることになる。
いくらのものを、いくつ仕入れ、手間賃をいくら払って、いくらで売る。
この管理ができなければ店の維持も難しいが、といって、数を数えてピッタリに合わせるだけではそれこそ丁稚にも出来る仕事である。
まず数を数え、その数を増やすのか減らすのか、増やせばいくら儲かり、減らせばいくら損するのか。
安く仕入れ高く売れればそれが一番良いが、なかなかそうはいかない。
小さな損に怯えず、最後に儲かる為には使うことを恐れるなと、指南していたようである。
どうやら、村田は積み上げて説明するのが好きだったようである。
これは、昨今の結論から話せという風潮からすれば迂遠に聞こえるが、相手には伝わりやすかったようだ。
無いとはいえ実はある、だから理由をしっかり考えて手をつけるな。
使い処を考えるのであれば、損することを恐れず最後に儲かるようにせよ。
こう話していけば、ではどうすれば儲かるのか、と、儲かるためには貯めねばならぬということが前提として相手に伝わっている。
先に述べたように、実際の使い方指南は、秘伝として秘されてしまい、伝わっていない。
しかし、その大本の考え方自体はどうやらこういうことのようだ。
大風呂敷を広げるだけ広げてしまい、その穴だらけでボロボロの風呂敷の穴を、繕って埋めていけ、
小さく着実に繕っていけば、いずれ大きな風呂敷が完成すると、こういうことのようだ。
商売の形態は大きく変わり、今となっては古臭い考え方でもある。
しかし、こと家計に関しては、今も村田の教えを活かす部分は大いにある。
ボーナスでご褒美を買っても良いだろう、
偶には飲みに行くのも構うまいと、
人は自分がどれだけ使っても良いかを客観的に知り、それを見極めるのが酷く難しい。
高収入でも貯められないのは、その人が自堕落であるというよりも、使い方を知らないからだと言える。
余ったぶんを貯金しようという考え方では、貯められないというのは良く聞く話である。
勤労者に対して天引きで貯蓄を促すというのは、財形等で政府が主導した手法でもある。
結局、分相応が難しいのであれば、元々給与が少ないものとして考えるのが良いわけだ。
貯めるのが目的なのではなく、使い処を考えろということなのだ。
そして、しっかりと考えた使い処があれば、今月の呑み代に窮して手を付けることは無い。
逆に言えば、手をつける程度の使い処は、余りしっかり考えたとは言えないのだ。
ここが、昨今の風潮とは一線を画すると言える。
村田は、まずは数えよとは言わなかった。どうやらどんぶり勘定の相手もしていたようである。
家計簿をつけて家計を見直すのは、もっとずっと後のことだと、つまりはこう言っているわけである。
家計簿をつけるのが目的ではない、無駄を見つけて節約することだ、というのは良く言われることである。
村田は、手順としてそれは後のことだと言っているのだ。
無駄を見つけて節約するのは、無いものとして考えた残りで自由にやりくりすれば良い。
最初に、何に使うかをしっかり考え、それは最初から無いものとして意識から外せと、繰り返し言っているのだ。
そして、単純に今欲しい物を考えよとも言わなかった。
大風呂敷を広げよと、こう言っている。
欲しい物のために我慢するのは馬鹿げていると手を付ければ元の木阿弥なのだ。
これは、大風呂敷を広げるだけの甲斐性がなければ、貯める必要がないという突き放した目線でもある。
日々の生活に事欠く人間に、夢を描け無いものとして貯めよと言っても虚しく聞こえるのは重々承知の上だろう。
享楽に行き、明日路傍に倒れるとも已む無しという無宿人も多かった時代だ。
これは現代でも変わらない。
小さくとも庭付きの一軒家で犬と子供に囲まれた幸せな家庭を築きたい、今は何もかも欠けている。
その夢を描くには、何が足りないのか、何を足してどうなればそこに辿り着けるのか。
無いものとして考え、ある中で使ってやりくりをする。
まずは夢こそが大切であるのだ。
村田惣右衛門という商人は、夢を描く手助けをし、それを現実に落としこむ手腕が鮮やかだったのだろう。
現代にも通づるそのファイナンシャルの考え方は、まず夢ありきであった。
夢を見つけ、具体的な道筋を立て、その手段として帳簿を使う。
帳簿を使って無駄を探るノウハウを伝授しても、無駄に使ってしまっては何にもならない。
最後までお付き合いいただいた読者諸兄におかれては、