はてなキーワード: 銭金とは
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2009/08/
話題になっているよしもとばなな。8月4日の日記を見ると、あーやっぱりこの人は根っからイタい人だったことがよく分かる。
日記を要約すると、「頼んでいた冷蔵庫と洗濯機が届いたけど、配送業者(ビックカメラからの委託業者)が設置に手間取っている。見かねたよしものと友人が加勢を申し出るが、お客さんに手伝ってもらうことはできないと断られる。結局、男手が十分あるにも関わらず、応援部隊が到着するまで、ボーッとみんなで待っていた。そんな融通の利かない配送業者を、自分にはなんの権限も判断もしない、ロボットみたいな変な仕事を毎日汗水たらしてする人たちとよしもとは言う」
俺も配送してたから分かるけど、こういう力自慢の素人が一番困る。
冷蔵庫にしろ、洗濯機にしろ持ち方なり、設置の手順なりが存在する。それを知りもしないで手伝うなんてことを簡単に言ってくれるな。迷惑だ。
冷蔵庫が入らないからカウンターを越えて設置しろよ、なんてことをよしもとの友人が言うんだけど、冷蔵庫は必要以上に傾けることはできないし、そもそもそのよしもとの友人に持たせたものの落として壊しちゃったり、家の中を傷付けたり、友人が怪我したり、冷蔵庫が壊れたとしたら、よしもとは不問にしてくれるのだろうか?
壊れた冷蔵庫をビックカメラに交換させることもなく、黙っててくれるのだろうか?
たしかに効率的ではないかもしれないが、銭金が絡んだ仕事で、素人にほいほいお願いする方がよっぽど無責任だろう。
なにか問題が起きれば委託先からペナルティを背負わされるのはこの配送業者の人たちだ。
そういう必死に生きている人たちが、頑張って職責を果たそうとしているのに、あほとか狂ってるとかよく言えたもんだ。
どこかのブログで、よしもとばななは友人知人以外の他者への想像力が欠落しているって書いてたけどほんとそうだと思う。
この日記読めば読むほど腹が立つ。
こういう舞台裏を覗き込むような質問はちょっと無粋だとは思いますが、通常は軽くスルーです。
内心はともかく、笑顔で嘘八百もしくは虚実取り混ぜてのもっともらしい返答をするでしょう。
勘所すらつかめていない一見のお客に本心(らしきもの)を話す勇気は、自分にはないっすよ。
自分の応対や態度がえげつないまでに銭金に直結するのが、キャバクラの給与体系ですから。
件の女の子はきっと仕事に対する意識が低いか、とんでもなく善良か、とんでもなく阿呆か、
この3つの内のいずれかではないでしょうか。でなければ剛の者か、ツンデレ。
個人的には「元増田が全面的に悪い!」とは思いませんでした。
質問攻めはどうかと思いますが、答えたくないなら女の子は話題を変えたり気を逸らせばいいんです。
プライヴェートではなくお仕事なんだから。快い気分にさせる事でお給料もらっているんだから。
比較の問題ではないのかも知れないけれど、酷いお客というのはこんなもんじゃないぞ、と言いたい。
むしろ変に口説いたりしなかった点を褒めてあげたい。
あ、今気付いたけど「将来的に金にならないと思ったから手を抜いた」という事もあるか。
死んでも影響がない、などいうことはない。
君が死んだら、どこかの誰かが死体という物体になった君を発見し、処理する。
発見が遅ければ君の体内には確実にガスが充満し膨張し腐乱し虫が湧くし、
発見が早くても君の選択次第ではすでに目を覆わずにいられない状態かもしれない。
それを目にした者の以降の人生に何も変化がないと、どうして君は言い切れるだろう。
葬儀には金も手間もかかる。60万から100万くらいはかかるだろう。
無縁仏として埋葬するにも20万ほどかかるのだ(無論これは行政が払う)。
あえて死を選択しない理由は、金と面倒。
君に充分な蓄えがあるなら、生前に葬儀に関する一切の手続きを済ませる事も出来る。
もっとも、死んでしまえばこっちのものとも言える。
死人に銭金の催促はできないし、死んだ者を弔うのは生きている者の仕事だから。
死について観念的に考えるのは悪いことではない。だが、それだけでは片手落ちだ。
死ぬことで物質としての肉体がどうなるのか。血縁者はそれをどう処理するのか。
具体的・現実的・即物的に探ってみれば良い。
沖縄戦で自決がどうのこうので揉めているのは、反日とか左翼とかじゃなくて「俺達の歴史を東京者が決めるんじゃねえ」ということなのか。
当時の本土の人間からしたら、沖縄なんか植民地みたいなもんだったのだろう。今もだけど。
沖縄に移住しようとしている奴なんか植民地主義の糞野郎だと思いますが、どうか。本土でうまくやって行けなかった奴が遥か遠くに離れた沖縄に仕事もなく行ったってうまくいくわけねえじゃん。銭金に出てくる離島移住貧乏なんかも同じ違和感を感じる。というか、あの人たち貧乏じゃないし。
離島や田舎が本当にいい所ならふるさと納税なんて話は出てこないだろうが。じゃあ都会の貧乏さんはというと今やただ単に悲惨なだけだしな。そんなもん夕飯時に見せられても困るっちゅーの。ネットカフェ貧乏さんとかな。
雨宮処凛とか赤木智弘とかの言ってることは正しいんだけど、そのベクトルは間違ってると思うがどうか。正直今はフリーターなりの当事者である若年者にしか届いていないのではないか。もっと言えば単なる自己憐憫にすぎねえんじゃねえの。俺も若年者のフリーターだけどそう思う。
もっと色々書きたいけれど昼飯を食うのでこれで終わり。
最初に言っとく。俺もあなたの宝だという意見には賛成しますよ。
んでこれ、別に批判じゃなくてふとおもったからかくだけなんだけど
「大金を積んでも手に入れることが出来ない」
っていうこの文脈が日本中どこいっても通じるって、
なんかずっと日本で生きてるともうほんとに金がぼくらの脳みその、
ものを考える際のフィルターに入っちゃってるのかもしれんね。
こういういいまわしってほかの国にもありそうだけど
それを言ったときに「それ、どういう意味だ?」と聞き返されるであろうという可能性も
ぜんぜんちがうだろうなあ。
「大金を積んでも手に入れることが出来ない大切なものを手に入れたね」
大金というものが価値があるというシステム、共通認識で硬直している感じがする。ほんとに。
そういうのをこわす、組み立てなおす、他の考え方を示す力がメディアにはあるんだろうけど
テレビ番組とかCMでも金の使い方のバリエーションしかながして無いしなあ。
うーん、でもおれあんまテレビみてないしな。わからん。
いや、貨幣ってのは少数の人々がどうにかしてってわけでもなさそうだし
しすてむそのものはかわんないけど
なんていうかな、金とは関係ないところでほんとうに幸せにいきてる人のモデルが
ちょっと日本にいると見えないって言うか。
若くしてホームレスしてる友達とかと暮らしてたときには、わりと
金と距離をおいたところで人生をやっていくために考えながら生きるというスタイルと、行動、
そういうものをいろんな風に見たんだけどそういう風に生きてる人の魅力って
やっぱ伝わらないし、傍目で見てたらやっぱ魅力的でもなんでもないし
生き方なんてそもそも誰かに伝えたりするもんでもない
でも日本の街はやっぱ異様なほど閉塞してる。田舎もそうかもしれない。
まとまるのかな。無理だな今時間ねえや。
まとめたらじぶんのところにかくとしてとりあえず今はこの辺で