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はてなキーワード: 性善説とは

2017-02-28

気遣いのできるいい子

2月が終わる。今年はうるう年でもないので、例年通り28日までだ。

2月が終わるから時効だろうと思って、書いてしまう。

思い出すといまだにもやもやとする、今年のバレンタインの話だ。

 

 

***

 

 

私が所属する部署は、私を含め女性が二人しかいない。

先輩の女性社員と、私だけだ。

私は入社したあと、初めてのバレンタインが近づいてきたときに先輩に確認した。

会社によって、チョコに関する色々な習慣があるのをわかっていたからだ。

先輩は社則で決められているわけではないが、全社員暗黙の了解義理チョコはないと教えてくれた。

ただし、仲の良い女性社員同士は、こっそり友チョコ交換しているよ、と。

私はそれを聞いて、チョコの用意をすることなバレンタインを迎えた。

先輩に教えてもらった通り、誰も男性社員義理チョコを配っていない。上司例外なく、だ。

昼食を共にするような仲のいい女性社員たちは交換しているのを見かけたりしたが、それ以外は本当に誰も配っていなかった。

 

 

そうして、何年もすぎた。

相変わらず私の会社義理チョコ禁止だったし、自部署も他部署も、誰も公にはチョコを配らなかった。

今年のバレンタインも近づくけば、女性社員チョコ話題をそこここでしていた。

もちろん私と先輩も、友人の会社義理チョコがあって大変らしいという話題をしてみたり、自分たち会社義理チョコがなくてよかったと笑いながら話していた。

 

 

そして、バレンタイン当日。

今年は平日がバレンタインだったので、いつも通り仕事をしていた。

仕事をして、お昼もすぎ、おやつ時間になってきたころ。

ふいに、先輩が席を立った。

お手洗いかな、と最初は思った。

けれど、給湯室に向かって行く姿を見て、おや?と疑問が生じる。

給湯室に姿を消してすぐ、先輩は何か箱を手にして出てきた。

かわいらしいピンクの箱と、そのあとに続いた先輩の言葉で、初めて事態を察した。

 

チョコだ。

 

先輩は自部署人間に「今日バレンタインなので、よかったら、チョコどうぞ」と、言葉を添えて、配り始めた。

個包装になっている、明らかにばらまき用とわかるチョコだった。

それでも、男性社員はそれだけでワントーン明るい声を出して、先輩からチョコを受け取っていた。

先輩がチョコを配りながら自部署を練り歩くその姿を見て、足元がぐらつくような心地がした。

チョコを買いに行ったと話したときも、そのあとに会社で配らなくてよかったねと話した時も、今年に限って配るだなどと一言も聞いていなかった。

やられた、と、その一言が頭の中を渦巻いていた。

 

そんな私のところに最後に来た先輩は、私にもチョコどうぞ、とすすめてくれた。

私は、はい、と小さく答えて、引きつった笑顔で受け取る以外に道はなかった。

退社するまでのそのあとの時間は、針の筵に座らされているような心地だった。

男性社員たちから気遣いのできない嫌な女だと、感謝配慮の足りない女だと、そう見られているような感じがした。

もちろん、私の被害妄想だと思う。

けれど、確かにそう思われているような気がしたのだ。

男性社員たちは表に出さないけれど、心の片隅でなんで私はくれないのだろうと思ったことだろう。

もともともらえなかったところで、急にもらえるようになったら、比較してしかるべきだろう。

 

 

退社して、電車に乗って夜に沈む街並みを見ながら、私はぼんやりと裏切られたと感じていた。

チョコを配らなくて楽だと、あれほど話したのに、どうして急に配ったのか。

チョコ話題はそれこそ何度も出たのに、どうして一言教えてくれなかったのか。

一言教えてくれさえしたら、私だって安かろうが配る用のものを用意したのに。

そんな気持ちでいっぱいだった。

同時に、私への評価相対的に下げられたのだろうなと思った。

感謝気持ちがないから、チョコを配ることもしない、気遣いの足りない女なのだというレッテルを貼られたのだろうと。

 

 

前々から人間としてどうかと思うところがある先輩ではあった。

仕事に対する態度も社会人としてどうなのだろうと疑問に思う点があったり、仕事をよく押し付けてくるのでずるい人なのだなと思うところが多々あった。

けれど、わざとらしい今回の件は、さすがにひどくはないだろうか。

そこまでして、自分評価を上げたいのだろうか。

 

 

こんな小さなことでうだうだいまだに悩んでいる自分もばからしいとは思うけれど、どうしても毎日先輩の顔を見るたびに思い出してしまうのだ。

不意打ちの、苦い気持ちしかならないバレンタイン出来事を。

そうすると、どんどん嫌な点ばかりが目について、先輩のことが余計に嫌になってくる。

人を嫌ったりするのは仕事という公には不要な点だと思うから、たとえ苦手だろうと平等に接する努力はしていたのだ。

だけど、どうしても、この先輩だけは人間として尊敬できないし、いまだに唖然としてしまうことをしているのだ。今回のこと然り。

私生活交流があったら、軽蔑して速やかに人間関係を整理するような相手だと、私は思う。

仕事から付き合いがあるだけで。

 

 

抜け駆けする人間なんて、いくらでもいることはわかっている。

誰もが平等に行動してくれるなんて、そんな性善説は唱えない。

けれど、私にも一言言ってくれていても、いいのではないだろうか?

そんな気持ちが、消えない。

気遣いのできるいい子だとアピールしたのだろうが、私から見ると、抜け駆けしたごますり女だ。

やられた人がどう思うか考えられない、そんな想像力もない人間が、気遣いなんてできると思えない。

 

 

端的に言えば、この先輩に対して呆れて、そして失望している。

たったそれだけ。

それだけのために、こんなに時間文字を消費して、心を沈ませていた私はバカみたいだ。

こんなこと、ずっともやもやとさせていたなんて。

 

 

毎日、何かしら、この先輩が呆れることをしてくる。

そのたびに、もやもやするのだ。

私の気にしすぎだということはわかっている。

けれど、一度染みついてしまった苦手意識は消えないし、嫌な気持ちは増えるばかりだ。

 

どうしたらいいのだろう。

2017-01-26

性善説チケットディスパッチ

いまいる開発チームでは,Redmineプロジェクト管理ツール)と,チャットを使っている。

普段は,機能ごとに大体担当が決まっているので,誰がどのチケットをやるか簡単に決まる。

しかし,障害調査などの(がんばれば)誰でもできる類のチケットも時々出てくる。

そういうときリーダが「このチケットやってくれるひといませんか!」といってチャットに呼びかける。

指名して依頼するのではなく,あくまで,善意担当してもらう形を取っている。

この性善説チケット担当者を決める方法は,以下の点で優れている。

ちなみに善意チケット担当しても,特にメンバの評価に影響はない。

えっと,誰もやりますと名乗りをあげなかったとき? さあ,なかったことになるか誰かが何とかしてるんじゃないんでしょうか。

2016-12-25

世の中は性善説ではない

優しさだけでは成り立たない

正しく生きてれば誰かが助けてくれるなんて起こらない

身を守るために言葉の槍と盾が必要

世の中は多様性に満ちていてどう判定されるかわからない

自分の足で生きてくには強くなるしかない

戦う強さと守る強さが必要

強さとは正義なんだ

強くなければ優しくなれない

2016-12-09

???モラルで守られないといけないのでモラルで守ってください」

性善説、信じてます

2016-10-26

技術に明るくないWeb系開発会社

まあうちの会社ことなんだけどさ。

エディタ秀丸 (ライセンスがどうなってるかは知らない)

テキストエディタ秀丸推奨。というかエディタに金を出してくれない。

OSSエディタが増えてきたにも関わらず、意識低いので秀丸メインが多い。

バージョン管理は「ファイルを別フォルダコピー

最近ようやくSVNを導入してこれは解消されつつある。

しかGitではなくなぜSVNだったのか。

英語から」という理由Github却下

前述の通りようやくSVNが導入されたけれども、Github提案は「英語で使いづらい」という理由却下

パスワード使い回し当たり前

社内システムパスワードは全部ほぼ同じ。

総務だろうと何だろうと全社員rootで見ようと思えば見られる状態

性善説に頼りすぎだろ。

枯れた技術しか使わない

簡単というだけの理由jQueryを今更正式採用

ReactやAngularJSといったモダンものは難しいという理由俎上にすら乗らない。

そして誰も勉強しようとしない。勉強しても評価されないから。

何年もメンテされてないようなプラグインフレームワークを使い続ける

既に開発が打ち切られたjQueryプラグインなんかを当たり前のように使う。

当然開発が打ち切られてるもんだから新版jQueryでは動かない。

結果、特定プラグインを動かすためだけに複数バージョンjQueryを読み込ませたりする。

にも関わらず「何で遅いのか」と問題になったりする。

コード見ろよ。

コミュニケーション手段メール

Slackチャットワークはおろか、Skypeなども使われていない。

チーム・部門の連絡は全てメール

受信するメールの量が多いため当然取りこぼしも増える。

技術的な話題がない

社内の技術者から最新の情報共有が一切流れてこない。

基本、技術共有という文化がない。

結果、話しても無駄だという空気になる。

営業技術に無関心

当たり前のようにIE8対応仕様書必須要件に含まれている。

最新ブラウザ以外の対応に別料金でも取ればむしろ工数と金になるものを、無知なので最低要件に含めてしまう。

何度言っても理解しない。


もちろん、別にこれがダメってわけじゃない。いやダメなのもあるけど。

「これ使えてるだけまし」って人もいるかもしれない。

ただ、数え役満っていうのかな、技術力の低さがインクリメントされていって、現状の「技術に明るくない我が社」を作ってるように思う。

自分が少しずつ会社を変えていけばいいのはわかるけど、決定権持ってる人間技術に明るくないと、枯れた技術がいよいよ朽ち果てる寸前まで現状をよしとする。

それが、うちの会社

気がついたら「まともな技術持った人」が全員辞めていた。

そろそろやばい感じがする。気づくの遅かったかもしれない。

2016-09-27

性善説を信じる

やっぱり世の中、性善説で回っているような気がする。

最初から誰かを困らせようと思っている訳ではなくて、

それぞれの立場で正しいと思う事をしていれば、自然

誤解とか争いが生まれているだけなのかもしれない。

2016-08-19

記事へのコメントする前に他人コメントを読むべき

議論になりそうなテーマを取り上げると、個々の意見を持った人々がたくさんのコメントを残していく。

これを俗に炎上というのだろうけど、そうした記事を見ていると筆者が不憫にあるケースが多くある。

理由としては重複したコメントが多すぎることにある。同じ内容を、別の人が違う言い回しコメントするのだ。

筆者はそれに対して真摯コメントするも、同様のコメントが何度も何度もつく。

次第にコメントするのがバカらしくなるのが想像できる。

 

もっと厄介なのは、同じ内容のコメントであることをコメントを書く側が理解していないことだ。

別のコメントへの返事を参照させても、そもそも国語力がないか理解していないし、無視された、軽く扱われたなどと憤慨する。

これはたまったものではない。

性善説を信じるものに取っても、やはりバカは悪なのではないかと思わされてしまうだろう。

 

コメント欄建設的な議論をしようと考えても、

そういったコメント汚染が進むと見栄えも悪くなり、筆者の意欲が削がれていくのを感じる。

新たにコメントをする側も、動物園議論をしても仕方ないと考え退散していく。

 

ネットバカ暇人のものとはよく言ったもので、スマホの普及によるものか、バカさらに目立つようになってきた。

一昔前にインターネット免許制にすべきという話題があったが、そこまでは求めないが、

他者へのコメントに関してはまともな国語力があるかないかを一目でわかるような制度を作って欲しいと思う。

fecebookさんでもtwitterさんでもいい。よろしくたのんます

2016-08-14

9条別に性善説ではないよ

9条が前提してるのはアメリカ軍じゃなくて「国連軍」なんだがな。「国が国の防衛をする」から国権の発動たる戦争」が起こるので、「国連軍」が侵略行為に対して防衛行動としての武力行使を行うという趣旨なら9条空理空論でもないし性善説でもない。最低限の抵抗はするけど、原則として自宅の防御は警察とかALSOKに任せるというだけのモノ。それでも犯罪ゼロにはならないとしても、全員が「ちきゅうはかいばくだん」とかでガチに武装してる社会よりなんぼかマシ。

http://anond.hatelabo.jp/20160814092244

http://anond.hatelabo.jp/20160814091433

勘違いしない方がいいのは日本武力放棄してアメリカ依存するという事ではないということで、

そこら辺が9条主義者とは違うところか

戦争で人を殺すくらいなら自分が死んだ方がいくらかマシというのは性善説でみんながそう思ってるならいいし、人間としてはアリだけど

国として認めちゃうダメでしょと思う

2016-07-05

性善説性悪説を誤解してる人が多すぎる

性善説=人は生まれながらに善人

性悪説=人は生まれながらに悪人

これは間違ってはいない。しかし多くの人が決定的に間違っているのは、その文脈だ。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず…」と同じで、一番大事なのはその前後に書いてあることだ。

まとめブログタイトルを見ただけでしたり顔で語り出すのと同じような反応をしたくなければ、その前後文章をこそ読むべきだ。

ざっくり言うと、

性善説=人は生まれながらに善人なのにこれほど国が乱れているのは、王であるお前がクソみたいな政治をしているからだよ!あぁ?わかってんのかおい!?

と王に孟子説教をぶちかますというもの孟子ゆるふわ愛され哲学者じゃない。一国の王に向かって「お前さぁ…」と啖呵を切れる激する哲学者だ。

理想のために現実に挑みかかる熱い男、それが孟子だ。

有名な「五十歩百歩」も、孟子が王に「あんたの政治全然良くないからね?」と説教するときに例えに出したものだ。

それに対して

性悪説=人は生まれながらに悪人だ。教育がなければ獣のような行動を繰り返すだろう。人間の善なる行いというのは、その人が学び、行動した結果なのだ。(だから素晴らしいのだ)

荀子が語ったものだ。荀子は極めて現実的思考をしていた人で、東洋アリストテレスとも言われる。

現実を見据え、できることを行えば世の中は良くなっていくと冷静に語るのが荀子だ。

両者の言い分は異なっているようだが、そのベクトルは全く共通している。

「どうすれば世の中は良くなるのか、充実した人生を生きられるのか」という大前提があり、また人間に対しての信頼があるからこそ、「こうすりゃいいじゃん」「こうすればよい」とそれぞれに熱く、また冷静に語っているのだ。

こういったことも知らず、知ろうともせずに「俺は性悪説から〜」などと語り出す奴は孟子の如く「お前さぁ…」と説教したくなる。

ここ数日、はてブ性善説性悪説と書いてる奴がことごとく勘違いをしているので、書いておいた。見るかどうかはしらんが。

「俺は性悪説の信奉者だからこそ、人の善を信じ、それが素晴らしいものだと確信できる」という風に「性悪説」を使っている人はほとんど見かけないな。

というか、性善説政治に対して言っているもの性悪説は個人に対して言っているものから、どっちを選択するものではないはずなんだがな。

いずれにしても、孟子荀子はこう言っている。

君主国民信頼関係が何より大事だ。君主が信ずるに足りないなら、さっさと出て行こう。真価や国民に出て行かれたくなければ、君主は自らを戒めることだ」

これが儒教の根源であって、一方的搾取を良しとするものではないのだ。

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

2016-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20160412105805

あーそれわかります

資本主義って、性善説で成り立つと思っていて、

お金を持つほど幸せになれるわけですが、宗教的観点でいくとこの幸せをみんなで分かち合うようになるべきなんですよね。

でも日本なんか特に無宗教から自分さえ裕福になればOKという考え方で利益の再分配がない。

儲かったもん勝ちなんでしょ?といわれて、誰も文句が言えない。

確実に限界にきてますね。

2016-03-17

http://anond.hatelabo.jp/20160317155408

相手が悪い、と思ったらたぶん録音してるさ。

大体最初は「相手も悪いが自分にも悪いところがある。話し合えばきっと分かってくれる」と思って関係の修復を図ろうとしている人が黙って聞いている。

性善説にたつ人が、相手に追いつめられるのさ。

そして追いつめられると「自分が悪い」という思考誘導され(相手もそう言うしね)、むちゃくちゃ言われても黙って耐えている。

2016-02-02

違和感しかないんだけど

中途半端性善説なんてやめてしまえ、

今の日本人には性悪説中心のほうがいいんだよ。

自分価値観がずれているのはわかっているけど、

でも違和感ばっかり目についちゃうんだもの

ます

2016-01-18

http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20160116-00053462/

いい加減、性善説夢物語だと認識するべきだと思うの

善意は親の行動のミラーリングか、あるいは教育によって後天的に身につく物であり、それが無い者は何をやらかしても不思議では無い

2016-01-08

臆病なリーダー人間じゃないリーダー

実質的に力を持っている人はその組織を変えることができる。

地方消防団飲酒運転慣行なんてリーダーがいえばすぐにやめられる。

だけど、彼はなぜそれをしないのか?

伝統?違う。それは後付けだ。

答えは怖いから

いい子ぶってるとか、真面目だとか、つまらないとか、

そういう評判が怖いだけなんだ。

でも、そういう悪習を変えることができるのはその人しかいないんだよ。

悪いものが変わらないのはリーダーが臆病だからなのさ。

これからはそうやってリーダーを責める習慣を作るといい。

もちろん、名ばかりリーダーで実質支配している奴は別ってパターンもある。

その時はそいつを責めろ。

じゃないと何も変わらない。

理不尽は力があるやつしか変えられない。

自分理不尽な目にあったからと言って、後輩や他の人間にその目に合わせるのは日本人として恥ずかしいことだ。

それは動物のやることだ。

さな、目立たない理不尽を減らしていくのが人間だろ。

あとな、心がない奴。自分快楽やこだわりしか追求しないタイプは魅力的だがトップにはするな。

悪い言い方だがあいつらは残念だが人間じゃない。

他人気持ちなんてどうでもいい。そういう奴らは一定存在する。

その現実から目を背けるな。

奴らはできるだけ想定される悪影響を与えにくいポジションに置くんだ。

もっともらしい理由をつけてな。

トップになったらイナゴのように養分を吸い尽くし、荒らし自分だけ肥え太るのがオチだ。

その先に自分が滅びようとも笑顔で死んでいくさ。迷惑だけかけてな。

こういう現実から目を背けるな。それを前提に動くんだ。」

疎覚えだけど、昔じいちゃんが言ってたことをまとめた。

じいちゃんが何者かは言えないけど、大人になっていってることがすごくわかる。

俺は性善説を支持してきたけど、そうじゃないんだよな。

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107130306

具体的に言えよの回答がそれなの?

元増田認識が「普通そんなことしないだろう」で、俺もそう思うという感想

その後のそういう価値観のそれは性善説とかそういう要因じゃないかって話してただろ?

貴様はそれでも性善説警察か。恥をしれ恥を。

http://anond.hatelabo.jp/20160107123141

性善説警察です。

性善説とは、

本来人間性質は善だが、放っておくと悪になってしまうので、道徳を以って善性を維持すべきである

という考えのことであり、

元増田が言うような「普通そんなことしないだろう」というものではありません。

また、「性善説」は孟子思想に由来する言葉であり、日本語警察ではなく中国語警察を呼ぶべきでしょう。


cider_kondo、別におまえが間違いを指摘したわけでもないのに、いまさらやってきて何でそんなに偉そうなん?

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