これは間違ってはいない。しかし多くの人が決定的に間違っているのは、その文脈だ。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず…」と同じで、一番大事なのはその前後に書いてあることだ。
まとめブログのタイトルを見ただけでしたり顔で語り出すのと同じような反応をしたくなければ、その前後の文章をこそ読むべきだ。
ざっくり言うと、
性善説=人は生まれながらに善人なのにこれほど国が乱れているのは、王であるお前がクソみたいな政治をしているからだよ!あぁ?わかってんのかおい!?
と王に孟子が説教をぶちかますというもの。孟子はゆるふわ愛され哲学者じゃない。一国の王に向かって「お前さぁ…」と啖呵を切れる激する哲学者だ。
有名な「五十歩百歩」も、孟子が王に「あんたの政治は全然良くないからね?」と説教するときに例えに出したものだ。
それに対して
性悪説=人は生まれながらに悪人だ。教育がなければ獣のような行動を繰り返すだろう。人間の善なる行いというのは、その人が学び、行動した結果なのだ。(だから素晴らしいのだ)
と荀子が語ったものだ。荀子は極めて現実的な思考をしていた人で、東洋のアリストテレスとも言われる。
現実を見据え、できることを行えば世の中は良くなっていくと冷静に語るのが荀子だ。
両者の言い分は異なっているようだが、そのベクトルは全く共通している。
「どうすれば世の中は良くなるのか、充実した人生を生きられるのか」という大前提があり、また人間に対しての信頼があるからこそ、「こうすりゃいいじゃん」「こうすればよい」とそれぞれに熱く、また冷静に語っているのだ。
こういったことも知らず、知ろうともせずに「俺は性悪説だから〜」などと語り出す奴は孟子の如く「お前さぁ…」と説教したくなる。
ここ数日、はてブで性善説、性悪説と書いてる奴がことごとく勘違いをしているので、書いておいた。見るかどうかはしらんが。
「俺は性悪説の信奉者だからこそ、人の善を信じ、それが素晴らしいものだと確信できる」という風に「性悪説」を使っている人はほとんど見かけないな。
というか、性善説は政治に対して言っているもの、性悪説は個人に対して言っているものだから、どっちを選択するものではないはずなんだがな。
「君主と国民の信頼関係が何より大事だ。君主が信ずるに足りないなら、さっさと出て行こう。真価や国民に出て行かれたくなければ、君主は自らを戒めることだ」
という事は「ヴィーガン」って性悪説なの?
性善説も性悪説もソリューションに大差は無いし 言い回しをこねくり回して遊んでるようにしか見えない 儒教の言ってることってそういう無意味な空論が多い 実際彼等の生きてた時代...
分かりづらく言うと大衆はありがたがる。 イエス・キリストもそのようにしていたじゃないか。
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「修正がめんどい」
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性悪説はしょうわる説と読めてしまうのがよくないよね
遊説しながら、自分を雇ってくれる君主を捜し歩いていたのではないの? パトロン探しのためにもっともらしいことを話していただけでは。。
なぜもっともらしい論をでっちあげねばならないのか。別に君主に都合のいい論でもないのに。
政治家や王も人なのになんで性善説は適用されないの?
ほぼ同じ内容が田中芳樹の創竜伝に書いてあったな