はてなキーワード: 健忘症とは
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
俺はそろそろ嗜好用大麻が解禁するって海外のある街に行った際、地元の人の大麻についての価値観にカルチャーショックを受けた。
そこから、自分なりに調べたりしているんだが、雰囲気で「やばいやつ」、「人間をだめにする」みたいな考えが日本では流布していることがとても気になっている。
今、一部の地域で嗜好用大麻が解禁しているが、欧米では数年後にはほとんどの地域の嗜好用大麻が解禁になるだろう。
ここから、先進国での大麻についてのギャップが更に生じてくると思うし、日本はどういう道を歩んでいくか?というのを正確な情報を得て、
幻覚剤はLSD、マジックマッシュルームなどで大麻はそこに分類されない
ここは環境要因などといったところによるところがあると思うで一概にゲートウェイドラッグというものは定義できないとおもう
ただ、データとして上げたいのは日本の大麻、覚醒剤の摘発数(https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544241.pdf)
大麻の摘発数が上がる一方で覚醒剤が減少しているというのをみると、
大麻がゲートウェイドラッグではないという1つの反例となるのではないか?
肉体依存というのはないとは言われているが、酒などと同様に精神依存はある
逆にグリーンラッシュという言葉で大麻ビジネス産業でとても利益を生み出している
まずは、大麻というのが長年に渡り、酒、タバコと同じように一般社会に行き渡っているから
また、摂取割合はさほど変わらないのに有色人種が逮捕される割合が多く、人種差別の温床となっていたから
一時的な健忘症となり日頃悩んでいるような慢性的なストレスから開放される
五感が研ぎ澄まされ、娯楽が楽しくなる
空腹作用があり、食べ物が美味しく感じる(逆にこの作用により肥満になりやすい)
注意散漫となる
今の日本の大麻摘発数の上昇を見ると、使用者が増えているのは確か
このまま進んでいくと、他の国と同じように蔓延し、解禁すると思っている
逮捕者が大量発生してなし崩しに解禁というのは脱法行為が正しかったみたいでとても気持ちが悪い
しっかり、討論をして、どうやっていくのか話し合って解禁するのか?それとも正当な理由、根拠でこれからも禁止していくのか?というのを国民は考えるべきだし、国は方針を出してほしい
8年でおまえが健忘症になっただけだな
サーバーから情報が消えてしまうことが欠点であることは古くから分かっていたので、その欠点を少しだが補うためのサービスである。
https://japan.cnet.com/article/35076968/
だが、全てを記録することは不可能であり、またいわゆるGoogle一般検索ではアーカイブに保存されたページはほとんど検索されない。
wwwはそもそも、ハイパーリンクを持たせることによって情報を他に依存することが出来る仕組みなのだが、そのリンク先が消えてしまうと途端にその利点を失ってしまう。
さらには、技術がどんどん進化するので、古いwebページは「スマホでは読みにくい」という問題が発生していたりする。
あるいは、一般人が利用していたHP作成サービスのサービス毎消えてしまうことが増えていて、有用だったwebページの他のサービスサイトへの移行に莫大な手間がかかる(大抵個人がやっているからである)などの問題も起きている
大抵は、サービス毎消えてしまうとwebアーカイブにでも保管されない限りはそれで消失である
図書なら、どんな下らない本でもそれが一旦国会図書館に入れられる限りは半永久的にその存在を守られる。私も一冊だけ本を出したが、国が何か劇的なことで崩壊でもしない限り私が死んでもずっとその存在を守ってくれるだろう
インターネットにはそれがない。
随分昔になるけれど、いわゆる歴史問題で濃密な議論をしていた掲示板があった。かなり濃密で有用な知見を参加者が有志で自身で調べつつ共同で検証していくようなことをやっていた。
それからほんの一ヶ月で掲示板毎それら濃密な情報は消えてしまったのである。
ネトウヨがデタラメを垂れ流す、しかしそんなデタラメはそこで論破済みでありリンクを示すだけで良かった……としても、消えた情報は参照できない。
そんなことを最近しばしば見る。あのデタラメはあそこで論破されていたのに、自分では情報を持っていないから反論できない、みたいな。
情報をネットから消えないようにする仕組みは作れないのだろうか?
「忘れられる権利」は、インターネットでは重要な権利の一つだとは思うけど、そのために有用な情報まで消えてしまっていいとは思えない。従ってそれとこれとは全く別の問題である。現状は、結局の所、極端な話が政府レベルの機関にまでならないと情報の半永久保存はないと言っても過言ではない。個人的にはP2Pのような仕組みで、半永久的に消えない仕組み自体は作れると思う。ブロックチェーンだって出来たわけだし、あの犯罪の温床とされたWinnyは当にその仕組だった。あれが消えたのはほんとに痛い。どうしてその利点に誰も気づかなかったのだろう?
追記2
誤解する人がいるだろうなと思ったら案の定だった。WinnyはP2Pのその象徴例として出しただけであり、あのWinnyのままでいいなんていうつもりはないよ。だけどWinny2は掲示板を実装しつつあったんだ。これを知らないのか忘れているのかはともかく、その延長線上に消えないWebサービスがあり得るのではないのか、と思ったんだよ。そもそもがサーバーに依存しないという仕組みのことを言っているわけ。
P2Pはノードさえあれば、そのサービスに接続している端末がある限りは、半永久的にデータが消失することはない。まぁ俺には技術がないから夢物語だけどな。
でも、Winny2はいっとき、ひろゆきが2ちゃんねるに使おうと画策してたんだよ。そしたら金子氏が逮捕されたんだ。
でもああいうのの延長線上にある仕組みがあったらなぁと思うんだよね。
「弱者度」が何に基づいて算定されるものかは一概になんとも言えなくて、現時点ではうまく扱いかねるが。
シスヘテ女性は、生殖を通じてこの社会の中では必要な部分として社会構造上必ずみなされる。
そこがマイノリティでありつつも、マジョリティとしての権力性に近しいところ。
母性主義的な主張は子を抱え込む母としての立場を、国や社会が認めざるを得ないところを接点として出てきている。
「日本のフェミニズム」は主流は今も昔も圧倒的に「日本人の」「母性」表象をもって主張されてきた。
だからこそ、90年代の性的少数者からの、在日女性からの異議申し立てがなされた。
2000年代のバックラッシュ騒動の時にもそこは必ずしも改善されず。
2010年代にはトランスへイトを煽動する勢力をそのうちから排泄した。
歴史的健忘症に陥りやすいツイフェミが、「私は一時期ネトウヨだった」とか平然とブログに書いてるのを見れば、何も学んでないんだな、と思う。
「年がら年中言ってる」と言ってるが、ソースは?
俺は女性専用車両に乗ってることは宣言してるが、その他の女装だのすね毛だの、しょーもない中傷については一貫して否定してるが?
当然、一度たりとも言ってない。
https://anond.hatelabo.jp/20190805174644
これもそうだけど、年がら年中言い続けてることをその場の都合だけで「言ってない」って言い切ってるし
これで君に健忘症の気が有るならこっちの言ってることも間違ってもないだろ
おっすおら無敵の人。小卒だ。
なんとかベッド抜け出して、夜はパキパキ過ぎて寝れないから
ただ世の中には、そういう形の葛藤もあることは理解してほしい。
誰もがそれぞれの地獄で、何とかやりくりしていると思うけど、
まぁ、その典型例の一つなんだと。
俺は大名ってとこに住んでいる。
ピンと来た人もいるかもしれないが、低能先生が事件を起こしたあの小学校の近くだ。
特定の誰かに殺意を抱いたことなんてないが、彼は俺でもあり得た、と思った。
幸いにも、今の俺には愛する人がいて、愛する音楽も映画もある。
早いところ、食い扶持を稼いで、支えなきゃいけない両親もいる。
月曜日に配信のSpotifyの”Discover Weekly"はブルーマンデーとやらも色めき立たせてくれるし、
リアルにはてしない物語ばっかのHBOのドラマシリーズは、週末を待ち遠しくさせてくれる。
GOTが終わったのは寂しいが。
一方で、俺が頑張らないといけない理由が、こんなにあって幸せだったとも思う。
ぎりぎり踏みとどまってられるからだ。
警察に薬中扱い(”Fuck the police" by N.W.A)されてマグショット撮られたり
ときに打ちのめされたりして、葛藤と後悔で潰れそうにもなるが、
もっと早い段階にあれば、話は違ったのではないかと思うからだ。
先生や事務には察知されている。はなから白眼視してくる人もいたし、
稀に同情的な人もいた。最近になって、少し距離を感じた人もいた。
普段は、知的で自由を尊ぶ人々が、基地外を怖がってるのが辛い。
自分が辺境にいるStrangerだということは、もう本当に重々承知していて、
30年かけて、やっと折り合いをつけた。それでも村八分にされたり、
後ろ指さされるのは、少し訳が違って、未だに新鮮な辛さがある。
”窮鼠、猫をはむ”かどうかは、本人の資質に依る部分が大きいと思うが、
そこまで追いこむかどうかってのは、コントロールが効く部分だと思う。
でも、ただ恐れるんじゃなくて、リスクマネジメントする方向に向かって欲しい。
ほんの少しの優しさと理解を携えて。それで救われる基地外はきっとたくさんいる。
ADHD。Kendrick Lamarの1stアルバム。ではなくて、病名。小5のときに、担任教師からADHDの疑いでの受診を進められていたが、両親が”うちの子が障害をもっているわけない”と突っぱねた。うーん、時代。仕事を始めてから、やばいぐらいミスしまくって初受診。
──────────
Blue Monday。New Orderの曲。名曲である。だが俺は自殺しないと決めた。ボケかけの親父と癌の母親の介護をして生きていく。
──────────
辛いやつ。頭に生ゴミ乗っけられた時、そこまでの侮辱の経験がなくて、状況が飲み込めず、ヘラヘラしていた。その後、ひどく相手を恨んだ。毎日、胃が痛んだ。だが、ある日、相手が作ったまかないのとん汁がべらぼうにうまくて、とりあえず許した。福岡の名店、中田中よりうまかった。
──────────
辛いやつ2。結局、福祉手帳を提示し、照会してもらい事なきを得た。しかし、家族に警察署に迎えに来てもらわなければならなかったりして大分キツかった。2年ほど前だったが、”Huaweiなんてスマホ聞いたことがない。どこで入手したんだ ”というセリフはさすがに笑った。あと露骨にGood cop, Bad copやられたのも笑った。恐ろしかった。
おっすおら無敵の人。小卒だ。
なんとかベッド抜け出して、夜はパキパキ過ぎて寝れないから
ただ世の中には、そういう形の葛藤もあることは理解してほしい。
誰もがそれぞれの地獄で、何とかやりくりしていると思うけど、
まぁ、その典型例の一つなんだと。
俺は大名ってとこに住んでいる。
ピンと来た人もいるかもしれないが、低能先生が事件を起こしたあの小学校の近くだ。
特定の誰かに殺意を抱いたことなんてないが、彼は俺でもあり得た、と思った。
幸いにも、今の俺には愛する人がいて、愛する音楽も映画もある。
早いところ、食い扶持を稼いで、支えなきゃいけない両親もいる。
月曜日に配信のSpotifyの”Discover Weekly"はブルーマンデーとやらも色めき立たせてくれるし、
リアルにはてしない物語ばっかのHBOのドラマシリーズは、週末を待ち遠しくさせてくれる。
GOTが終わったのは寂しいが。
一方で、俺が頑張らないといけない理由が、こんなにあって幸せだったとも思う。
ぎりぎり踏みとどまってられるからだ。
警察に薬中扱い(”Fuck the police" by N.W.A)されてマグショット撮られたり
ときに打ちのめされたりして、葛藤と後悔で潰れそうにもなるが、
もっと早い段階にあれば、話は違ったのではないかと思うからだ。
先生や事務には察知されている。はなから白眼視してくる人もいたし、
稀に同情的な人もいた。最近になって、少し距離を感じた人もいた。
普段は、知的で自由を尊ぶ人々が、基地外を怖がってるのが辛い。
自分が辺境にいるStrangerだということは、もう本当に重々承知していて、
30年かけて、やっと折り合いをつけた。それでも村八分にされたり、
後ろ指さされるのは、少し訳が違って、未だに新鮮な辛さがある。
”窮鼠、猫をはむ”かどうかは、本人の資質に依る部分が大きいと思うが、
そこまで追いこむかどうかってのは、コントロールが効く部分だと思う。
でも、ただ恐れるんじゃなくて、リスクマネジメントする方向に向かって欲しい。
去年あたりから67歳の母の物忘れがひどくなったので今年の4月に神経科にいって脳のMRIスキャンをしたら、脳全体の萎縮、特に海馬のあたりが同年代の平均よりも縮小が早いらしく、このままだと認知症やアルツハイマー型認知症の原因になると診断された。
正直僕には認知症とアルツハイマー型認知症の違いがよくわからないのだが、母親はすでに自分の停めた車の場所がわからなくなったり、以前なら作れた料理のレシピを忘れていたり、昔住んでいた地区に電車で行こうとしても現在地がわからなくなったりパニックを起こしたりと、私生活に支障がでるレベルになってきている。一緒に住んでいる父親も最初は健忘症か寝不足によるストレスじゃないか?と話していたが、さすがに最近は認知症らしいと認めざるを得なくなってきた。
担当医からはドネペジルとメマンチンという薬を処方されて、とりあえず母には忘れないように毎日飲んでもらっている。ただこれらもうまくいっても進行を遅らせる程度の効果で、一度始まった認知症を回復させる方法はおそらくないのだろう。
担当医からは薬の服用以外にも、進行を遅らせる手段として日頃から散歩などの運動、または手芸、生け花、絵画など脳をよく使う趣味、そして人とのコミュニケーションを増やして脳を活性化させることを勧められたのだが、困ったことに母がなかなかその気になってくれない。最近は家庭内トラブルが続いて長期的なストレスで自分から行動する気力がなくなったようだ。以前は人付き合いが得意で話上手だった母だが、些細な事で怒ることが増え以前まで仲良くしていた友人たちと次々と疎遠になっていった。
そもそも病院への診察も非常に嫌がり、結局僕が病欠をとって会社休んで同行することでやっとMRI検査までこぎつけた。正直車で2時間離れている距離にいる僕が今後も毎回通院の際に仕事休んで同行するとか経済的にもしんどい。
一緒に住んでいる親父は僕からみてもよく頑張っている。事情があって弟の高校1年の娘を引き取って高校卒業まで一緒に暮らしているのだが、75歳の高齢でありながら年金だけでは暮らせないので週に5,6日ほど仕事を続けながら出不精になった母をなんとか散歩に連れ出したり、料理のレシピを忘れた母とyoutubeのレシピ動画を見ながら一緒に料理も作っている。昔は傲慢で家庭をほったらかしだったあの親父があそこまで頑張っている姿は毎回感心するし、42年生きてきて最大級に親父を尊敬している。
こんな日記を書いている僕といえば、すでに実家から離れ結婚して子供もいる共稼ぎ夫婦。なんとか月に1度程度、まだ小さい息子を連れて遊びにいったりたまにアマゾンでギフトを送るのが精いっぱいである。
母は以前はウザいくらい僕に電話してきたので、今年になって俺が「病院に行け」だの「趣味を始めたほうだいい」だの言いすぎたせいか、あっちから連絡が来ることがぱったりなくなった。僕からの電話も素っ気ない対応になった。まぁ息子にあれこれ言われてウザいんだろうね。
実家近所の役所やらNPO団体などを探せば、高齢者向けのサポートサービスがいくつかあるのは知ってる。ただどれも本人たちが自発的に訪ねていかないと何もしてくれない。役所やNPOも暇じゃないから当たり前の話なのだが、うちの母のように精神的にふさぎ込んで助けを求める気力すらない人間はどうすればいいんだろう。主治医にはあまりに母が落ち込んでいるのでうつ病の可能性も指摘されたが、どうやって母に自発的に精神科に通院してもらえばいいのか見当もつかない。(もちろん頼んだが「そんなとこいっても治らない」と拒否)
このままにしたらどんどんひどくなる。わかっているのになにもできない。どうしたらいいんだろうか。
追記:みなさん暖かいコメントありがとうございます。日頃は手厳しいブコメを残してる方々も親身にアドバイスしてくださって、感謝の気持ちと自分たちが置かれた状況の深刻さをかみしめてます。
地域包括支援センターにはすでに相談に行きましたが、現在の母親の状態ではまだ本格的なサポートは受けられないみたいです。介護付き老人ホームなどすでに探してますが、どこも5年~10年待ちです。忙しい父親に頼んで仕事の合間に申請書類を用意してもらってますが、正直いつ入居できるか検討もつかないのでこんな事務作業やらせるなら少しでも休ませたほうがいいんじゃないか?と自問自答の日々です。
主治医に診察に連れていくのが正直しんどいです。嫌がる母親をなんとか説得して一緒に診察にいっても、主治医は簡単な質問をいくつかしただけですでに処方してもらった薬を追加するだけ。しかもその薬も効いているのかよくわからない。(調べたところ、認知症について現状処方されている薬以外の代案がないのもしってます)こんなのが続くと僕だって「こんな診察を嫌がる母親を説得してまで行く必要あるの?」って思えてきます。
今後のことを考えると憂鬱になりますね。幸いにも姪は成績優秀なのでなんとか返済なしの奨学金(ローンじゃないほう)をもらって大学に進学できそうですが、彼女が高校卒業する2021年までは父親も頑張る、でもそのあとのことは考えたくないと言っています。今後の母親の介護プランについて考える余裕もないようです。なにせ高齢の親が高校生の孫を養うだけでも一苦労です。いままでは姪とその父親であるクソ弟の対応に振り回されて、ストレスでボロボロだった母親に対応する余裕がありませんでした。
会うたびに両親からは「お前に苦労ばかりかけて申し訳ない。これ以上お前に負担をかけたくない。姪が大学に進学したら早く死にたい。これ以上生きていても辛いだけだ」といわれます。そういわれて「とりあえず今はできることからやっていこう。後のことなんて誰にもわからないよ」とお茶を濁した対応をしてますが、正直僕も逆の立場になったら現在幼稚園児の息子にそんな苦労かけるならさっさと死にたいって思うだろうから返答に困ります。
うちの両親は決して完璧ではなく、大人になった僕から見たら過去に「なんであんな馬鹿な決断をしたんだ」「あのお金をもっと大事に運用してたら今もっと楽できたのに」と思うことも多々ありますが、それでもこんな悲惨な老後を送らなければならないほど酷いことをした人間ではないです。先のことを考えすぎてもどうしようもないので、なるようになるさっと割り切るしかないですね。