はてなキーワード: 二番煎じとは
自分のブログとかテキストをローカルに残すだけだとなかなか続かないけど、増田だと気軽にかけて反応もあったりして楽しいから続けられる
増田のおかげでテストで100点取れて彼女もできましたとはならないけど、
毎日何かしら文章に書くと、空っぽで何もないとしか思えない自分の頭でも何かしら生み出せているんだなという自信にもつながる
増田のいいところは一つのキャラを保つことを意識しなくてもいいところだな
実名とかローカルだとどうしても一貫性が出てきちゃってバリエーションが広がらない
増田だとわざとキャラ変えたりしてもそれが許されて自分の芸風を広げるのにも役に立つ
増田の二番煎じみたいなのもいくつか出てきた気がするけど、やっぱり増田にはかなわない
増田は匿名ダイアリーってだけじゃなくてはてな村とのからみもあるし、ブクマもあるし、めちゃくちゃ濃い
増田がなくなったら多分俺は
来年のプリキュアが「魔法つかいプリキュア!」になるらしいとのニュースを聞いてなんとなく思ったこと。
魔法少女モノもそろそろ一周まわって原点に回帰してきたかな?ってこと。
まあ魔法少女の定義とかから話し始めたら本当にキリがないので最近の話しかしないんだけど。
21世紀で魔法少女を語るのに外せないのは「プリキュア」「なのは」「まどマギ」とかかな。あと邪道魔法少女とか。
(少女漫画ものとか「ジュエルペットてぃんくる」とかもあるけど、本当にキリがないので言及しない。)
00年代に入ってきて魔法少女ってのはその概念をひたすら壊され続けてきたと思うんだよね。
深夜アニメ全盛の時代になって、それまでの少女向けってのが少なくなってオタク層向けの作品が魔法少女モノの主流になったのが大きいのかな。
少女の憧れとしての魔法少女じゃなくて、エンターテインメントの装置、つまり「設定」としての機能が重視されるようになったというか。
その典型的な例が「魔法少女まどか☆マギカ」で。
いわゆる「視聴者を裏切る」ってやつ。設定を利用してどれだけ衝撃的な展開を作り出せるか、みたいな。
社会現象、とまでは言えないかもしれないけど、確実に「まどマギ以後」っていう作品はあると思う。
「結城友奈は勇者である」なんてまどマギがなければ絶対に生まれていなかった作品だと思うし。
完全に二番煎じだと思われることをわかっていて、それでもあえてやって、さらに高評価を得ることが出来たという稀有な作品。素直にすごいと思う。
それで、冒頭の話に戻るが、「そろそろ一周するかな」っていうのを考え始めたのが今年の「放課後のプレアデス」という作品を見たときで。
この作品は、魔法少女でありつつSFジュブナイルでありつつ、という感じの「衝撃的な展開でびっくりさせる」タイプじゃない作品なんだけど、
プレアデス星人と名乗るマスコットキャラ的な存在がいて、いわゆるまどマギでいうキュゥべえみたいな立ち位置なんだけど、
視聴者諸賢は「いつ裏切るかな」と疑惑の目を当然のごとくプレアデス星人に向けていたのである。
魔法少女になることで支払うことになる代償はなんだろうなあ、と自然に考えてしまっているのである。
この時点で自分は「ああ、もうこういうのは陳腐化したんだな」と思った。
こういうの、とは魔法少女の設定を利用して衝撃的な展開を作ることである。
「放課後のプレアデス」という作品は、実際は少女たちの成長を真摯に描いた作品だったわけで。
しかももともとこの作品は「まどマギ」と同時期くらいにはプロジェクトが進行していた作品で、べつに「まどマギ」へのアンチテーゼとかは全く意識されずに作られたものだったのである。
プリキュアは、00年代以降の混沌とした魔法少女モノの中でずっと少女向けの王道を突っ走ってきた存在である。
とはいえ、セーラームーンなどからの流れの「戦闘魔法少女」的な感じで魔法少女といっていいのかはよくわからない感じなのだけども。(プリキュアファンには大抵魔法少女じゃない、と怒られる)
スマブラになれるかは知らんが、スプラトゥーンはマリカやスマブラとよく似ている。
子供でも遊べるところとか、スマブラと同じように従来とは違うルールを提供しているところとか。
いずれスプラトゥーンは携帯機に移植されるだろうが、次世代機になればF2Pで無料で遊べるようになるかもしれない。
スプラトゥーンがF2Pというだけでも次世代機NXのキラーソフトになりそうだ。
現在のレースゲームがリアル路線とマリカ路線しかないように、シューターもCOD的なものとスプラトゥーン的なものに2極化していく可能性がある。
いずれスプラトゥーンによく似たゲームが出てくるだろうが、たくさんあるマリカの亜流と同じように二番煎じ感は拭えない。
それに対するみんなの反応が気になるのも当然のことだと思う。
面白いと言ってくれたら素直に嬉しいし、
気分が悪くならない、と言えばウソになるが、
そのコメントにより反省し、次はより大勢の人が不快にならないような動画作りに励もうと思う。俺の場合はな。
情報発信していたという報告だ。
だから何、と俺は言いたい。
「情報が古い」「Wikiにあった」「知ってた」「新しい情報だけ載せろ」
うん。うん。うん。うん。
俺の中では撮れたてピチピチの最新情報のつもりだった。
既存動画との重複を避けるために、事前に似たような動画や情報が投稿されていないかチェックしているんだが、
調べきれていなかったようだ。申し訳ない。
でも、あと二つはなんだ!?
お前が何を知っていて、何を知らないのかを俺はわからない。
「新しい情報だけ載せろ」と言われても、
上に書いた通り、俺の中では全て最新情報のつもりだった。
情報の取捨選択ができていなかった点は申し訳なく思っているが、
お前にとって何が新しくて、何が古いのか俺にはわからない。
このコメントをするのであれば、どの部分が古い情報なのかの指摘も欲しいところ。
で、現状俺は二番煎じと言われるのを承知の上で動画を投稿している。
いくら事前に調べたところで、「漏れ」が生じるのは人間である以上仕方のないことだ。
それを知らなかった視聴者にとって、俺の動画は二番煎じではなく、最新情報であるはずだ。
真に最新ではないにせよ、少なくともそれを知らなかった視聴者の知識はアップデートされたはずだ。
知らない視聴者にとって、動画投稿というのは広告塔としての役割がある。
このうち、「知ってた」などのコメントを残す人は3つ目のタイプだと思う。
まず、コメントを残してくれるということは非常にありがたいことだと思っている。
再生数だけ無駄に増えても、全然嬉しくな……まあそりゃ嬉しいけど、
それよりやっぱりみんながそれを見てどう感じたのかを知りたいと思うものだ。
でも、「知ってた」とコメントするのであれば、「何を」知ってたのかが知りたくなるのが投稿者としてのわがままな気持ち。
はてブロとかツイッターならそれも容易だけど、まあ動画は基本的に情報が一方通行だからね。生放送なら変わると思うけど。
自分の未知は、誰かの既知。しかし、誰かの既知は、誰かの未知。
その日のうちに収録、その日のうちに編集、その日のうちに投稿。
何の情報を公開するかは最低限吟味する必要があるが、それよりも「鮮度」が大事だと思うんだ。
例えばつい最近自分がゲームを買って、その中で初めて発見したバグがあり、ネットで軽く調べても前例がなかったので投稿してみると、
で、改めて前例を調べてみると、一つだけあった。
三年前に投稿された20分弱の生放送の無編集動画に、説明はないが3秒程度軽く映っていた。
これって、「知っている」視聴者より「知らない」視聴者のほうが多いんじゃね?
俺は自分がやってるゲームで人気実況主があげたやつとか、再生数やコメント数が多い動画は基本的に全部見るようにしているが、
よーく調べてやっと見つけた、って動画までは調べきれないんだ。それは俺の怠惰だから反省すべき点ではあるが。
もしかしてその「知ってた」コメントをした人はその動画の投稿主ではないのだろうか?とか思ってみたりもする。
情報を出す上で非常に大事なのは、それを「誰が」出すかということなんだと思う。
この店員だから買った、とか、この店員だから買わなかった、とか。
無名な投稿主の動画は情報発信力が弱く、それにより知識をアップデートできる視聴者の数は指で数えるほどだ。
有名な投稿主の動画は情報発信力が強く、それにより知識をアップデートできる視聴者の数は指で数えきれないほどだろう。
どちらも重要なのは、二番煎じと言われるのを恐れずに「投稿し続けること」。
たとえ無名でも、ずーっと投稿していればいずれ固定ファンはつくものだし、有名な投稿主だってはじめは二番煎じだったし、無名だったはずだ。
こういう考え方をしている人は他にもいるはずだし、
そういう人にとってこの考え方は「知っている」はずだ。
でも人は絶えず入れ替わっていく。語り手が世代交代するように、読み手も世代交代する。
世代交代した読み手にとって、最近の情報というものは、真に最新でなくても、彼の中では最新情報のはずだ。
それで怯えて動画投稿をやめてしまえば、情報源がひとつ消えちゃうんだよ?
自分の動画によって知識をアップデートできたかもしれない複数の視聴者の可能性を消してしまうことになるんだよ?
買い被りすぎではあるが、情報は多いに越したことはないので、
みんな恐れずに、情報を発信し続けてほしいなと、俺は思いました まる
逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張りの逆張り
もういい加減辞めませんか
■本文。
最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観=ジャンルは求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域を侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限に肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれた中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景は認識することができない。
そんな現代において、旧来の世界観に回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディアの特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲームは存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理は自身のセクシャリティ=現実の恋愛やセックスを前提としているが故に、現実と虚構を対比し優劣を決定する方向性で結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和と自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムをインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。
美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある。言い換えれば、自身のセクシャリティに対する意識が希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システムの機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。
そして、セクシャリティに対する意識が希薄である=前時代的であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスはあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦と素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代の価値観が無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックスは結婚後に初めて行うものと考える人々が未だそれなりの割合で存在していたということだろう。だから、美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業の二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所の二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。
さて、現代の物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済やテクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位で解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語がジャンルとしての秩序を失い、単なる情報の集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為の目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報を収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体へスタイルを変化させつつある。
つまり、他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏な日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景=楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲームが遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統に回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。
例えば、他者との関わりは、現実世界の他人や社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点も存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景=楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去の価値観のレプリカと捉えた上で、同時に時間的な意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見『ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズと判断される危険性を孕んでいながらも、過去と現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。
また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰的であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法で物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームのユーザーであり続けると思う。
■あとがき。
本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。
とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムのバックナンバーを順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年とちょっとの間、どうもありがとうございました。
なかなかに読ませる文章だが、これくらいのインパクトで叩きつけてもやはり読まない人は読まないんだよな。
興味ないから読まないのではない。ちょっとやそっと興味あるくらいでは駄目。死ぬほど興味あって、共感できて、「おっいいこと書いてそうじゃーん」と思えるくらいでないとなかなかね。
例外もいる。いいオッサンでも多忙な人でも、サクッと速読で長文を読んで、ちゃんとした反応が返せる人だっているんだよ?
だけど、そんなのはごく一部。不特定多数に文章を公開すれば、必ず読めない人が混ざってくる。それも1人や2人じゃなく沢山混じってくる。いやあ、イマドキの「長文識字率」の低さはすごい。
彼らは文章の表面だけなぞり勝手に解釈しステレオタイプで分類したのち「まーた二番煎じか」「中身ゼロ」などと非難して悦に入るのが常だ。
まあネットの遊びと割り切ってわざとテキトーな読解をしてる分にはいいが、常日頃からそんな調子でやってるなら人生の行く末が思いやられる。
自分の意見がない人、知識や経験がぐちゃぐちゃで整理されてない人、スピーディーな生活についていくのが精一杯な人、感動・驚きが少ない人などは、その可能性が高い。
歳とった、疲れてる、忙しいなどと言い訳せずに、ちゃんと日常接する情報を咀嚼してきっちり綺麗に整理する思考習慣をつけたほうがいいと思う。
私、32歳。父親、61歳。
今日は敬老の日ということで、旨い押し寿司を買って実家に行った。
以前父の日だか母の日に買って行ったのと同じ代物で、二番煎じではあるのだけれど。
父親は「いくら親でもやって良いことと悪いことがあるからな」とつぶやいて不機嫌になった。
どうやら侮辱されたように感じたらしい。
俺はまだまだ元気だぞ、とでも言いたいのか。
あんた老眼鏡し始めたし明らかに体力落ちてきてるじゃん。
「こういうのはな。普通は子どもを連れてくるもんなんだ。お前もさっさと結婚しろ」と攻撃的なことばかり言う。
歳取ると丸くなる人が多い印象があるが、残念ながら父親は頑固親父に成長しているっぽい。
最近はマンガ雑誌は廃刊の話が多いけど、もし自分がマンガ雑誌作るならという妄想を吐き出してみたい。
1.作家
2.どんなマンガを描いてほしいか
・鶴田謙二
プロットだのストーリーとかどうでもいい。女の子が主人公ならあとは好きにして。ページ数少なくていいからカラーで。でもイラストじゃなくてマンガで。
・石黒正数
「バーバラ」みたいな目からうろこの短編を量産していただきたい。
・大武政夫
短編のギャグ系は石黒先生にお願いしたので、大武先生には続き物で。
どんなマンガを描いてほしいか : 日常/恋愛/SF要素なしで
SF要素なしでお願いしたく。学園ものでも社会人ものでも何でもいいので、さらっとした演出で空気感を感じられるものを描いていただきたいと。カラーページもいっぱい。
・びっけ
雑誌的には先が気になる作品がマスト。その手の鉄板、歴史もの枠をお願いしたい。王国の子の二番煎じって話だけど、歴史ものなら設定はいろいろだと思うので。運命に翻弄される美しい少女をたくさん書いてほしい。カラーページもたくさん描いてほしい。
・いみぎむる
サイトーくん~と美術部は同じ学園ものだけど、前者はドタバタ系で、後者はほのぼの系というイメージ。ほのぼののほうが良さが出てると思うので、ほのぼの系で描いていただければ。
・植芝理一
ストーリーや内容はどうでもいいので、複雑なポーズ/アングル、パースの効いた構図で美少女を描きまくってほしい。とするとスポーツものはうってつけではないかと。
・シモダアサミ
エロ要素を期待してるわけではなく、既存作品の踏襲でかわいい人たちのかわいい日常をたくさん描いていただければそれで。
チマちゃんが謎な終わり方をしているので、和服をもいっちょお願いしようかと。カラーも大量におねがいしたく。
好きなのは新月~だけど、惜しかったなあと思うのはSatoShio。あれダラダラ続けたら面白かったと思うので、衿沢先生にはここでオフィス寺越えを目指していただきたく。
・茶菓山しん太
ハーレム枠はマスト!ということで、茶菓山先生に美少女を量産していただきたく。
・あさのゆきこ
別にロリ作家でもなんでもないのは存じ上げております。が、女の子の成長もっかい描いていただきたく。
・八十八良
パキっとした線の作家が少ないので、八十八先生にご登場いただこうかと。キャッキャウフフした感じのラブコメ作品で美少女をたくさんお願いします。
・小坂俊史
どんなマンガを描いてほしいか : 旅
マンガ雑誌には旅系は一つあってしかるべき。小坂先生はモノローグ作品もギャグも良いが、ここはひとつわびれもの路線でお願いしたく。
・黒田硫黄
旅がマストなら、食べ物だってマストだろ。昨今の食い物漫画ブームに決定打を打ち込むべく、茄子の続きを。女の子はたくさん登場させていただけますよう。
・野村宗弘
良い感じのおっさん達をベースとしつつ、かわいい奥さん連中をたくさん登場させてもらえればそれで。
ここまであまりに既存作品の踏襲ばかりなので、ここらで以外性を。関谷先生にはロリ少女が運命に翻弄されて次々に切なく死んでいくバトルものなどお願いしてみる。ぜひガンスリ/ブリュヒル越えを狙っていただきたく。
・吉元ますめ
くまみこが和ロリなので、次は洋ロリなどどうかと。舞台が外国だとネタがきついということなら、日本に住む外人でも。カラーもたくさんお願いしたく。
・田中相
どんなマンガを描いてほしいか : 都会っ娘
既存作品でおれが好きな作品:地上はポケットの中の庭
外国、地方が舞台の作品が多いので、たまには都会っ娘などどうかと。あえて学園/会社なんかのありがちなプロットで。
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ホッテントリ上がってたこれみたいに、いかにもアフタヌーン的な怠惰な中二病風味のモラトリアムの方が俺の好み。
無限の住人はどろろの二番煎じ感が強くて最初らへんで読むのやめた。
んでもって今おひっこし読んでるけどやっぱこっちの方が自分には合ってる。
たぶん三十路あたり以降の無限の住人イメージが強い人間にとっては意外な面白さがあると思うからぜひ読んでほしいなあ。
無限の住人なんて知らない若い世代だとこっちのイメージが先行することになるのかなあ。
そんで無限の住人読んで驚く、みたいな。
でもおひっこし読んでから↑のマンガ読むと、ぶっちゃけワンパターンなキャラ演出ストーリーしか書けないのかなあという気もする。