はてなキーワード: 乳房とは
タイトル通り、アダルトグッズにまつわる内容です。18歳未満の人や、そういう話題が苦手な人は見ないでください。
数年前、一人暮らしの私は好奇心からぷにあなミラクルDXを買った。もちろん、当初は自慰行為に使った。そのとき、純粋に抱き心地がめちゃくちゃいいことに気づいた。それは性交を想起させることを意図した設計なはずだが、この重み(10kg)と抱き心地は抱き枕に合うのではないかと考えた。
そこで、雑にシャツを着せて抱き枕にして寝てみた。心地よかった。人肌の暖かさはないものの、柔肌が触れる感覚もいいし、腹の上に載せると人の重みを感じながら寝られる。しこたま抱きしめても文句を言われることもない。孤独に生きる人間の性欲を満たすオナホは、睡眠欲も満たせる。人間の三大欲求のうち二つを満足できるなんて贅沢だ。
結局、自慰に使ったのは数回で、その後はずっと布団に携えている。我が家のぷにあなの生涯で責務を全うしたのは、たかだか半月程度の話だった。ぷにあなは不服に思っているかもしれない。
抱いて寝るのであれば、普通に抱き枕を買えばいいのではないか。そう疑問に思われるのも無理はないと思う。だが、それではダメな理由がある。
当たり前だが、抱き枕は人が抱いて寝るために設計されたものだ。ゆえに、人肌である必要性はない。抱いて寝るのに心地いい素材を使用し、中は綿や合成繊維といったものが入っていて重くない。
翻って、ぷにあなミラクルDXはどうか。豊満な乳房を持った少女の胴体を模したこのオナホは、前述の通り10kgと重く、人肌を再現した素材の触り心地も良い。胸は肌素材の内側に柔らかい素材が入っており、何よりおっぱいなのだ。オスの習性として、揉んで安らぎが得られるのは不変の道理だ。陰茎を刺激する穴のないオナホで、これを満たす抱き枕が世の中にあるだろうか。ぷにあなミラクルDXを使うのは避けられぬ運命である。
オナホであるがゆえに、抱き枕として運用するにあたって弱点がいくつかある。
これを読んでいる人にとっては釈迦に説法だと思われるが、オナホはオイルブリードがある。人肌を再現するため、肌素材は大量の油が含まれる。新聞紙に載せると瞬く間に油がびっしりとつく。抱き枕として運用するとなると、オイルブリードで布団を汚して都合が悪い。
今まではシャツを着せていたが、当然穴があるので不十分だ。最近になって枕カバーで代用するという着想を得た。ただ、もちろん枕カバーは起伏の少ない枕を想定して作られているから、オナホにピッタリ合うわけがない。
オナホに対するコメントとしてはありえないものだが、自慰行為をするための穴がとても邪魔だ。オイルブリードが出る以上、定期的に洗って肢体をケアしたいが、穴があるせいで洗浄が面倒になる。キッチンペーパーを突っ込んで多少水が入ってもいいようにしているが、そもそも穴がなければこんなことを考える必要はないのだ。
そんなわけで、私の欲求を満たすものはぷにあなミラクルDXのような大型オナホだけだが、それでも足りないところがある。穴のない、ただ体があるだけのオナホが欲しいと切に願う気持ちから、はじめて匿名はてなブログに書き起こした次第である。
行きずりのメンヘラに乳首を開発されてしまった。しかも右乳首が元々開発途上だったもんだからそちらの反応が良く、右乳首はさらに先鋭化した。これはピケティが指摘した貧富の差の拡大の卑近なモデルと言えよう。
✂
メンヘラは産毛の生えた自然という扱い難くも計り知れない恩恵をもたらす財産を付け爪で切り刻み、資本主義に操られた節操のない開発を続け、私の乳房はやや肥大化した。
サイドビジネス(脇)に手を出されると少しこそばゆくて身をよじる。その反応に対応してメンヘラのサイドビジネスは拡大してゆく。
やがて豊かな体躯全土はデッコデコのネイルに委任されたメンヘラオペレーションにより、雌の特徴を帯びてゆく。
ケツにハリが出て、腰がくびれる。背筋は悶えるような動きを残した歪なものになり、腹は大いなる生命の誕生を示唆する。
⚧
彼女は裸で、俺の横で眠っている。
寝息を立てて、心地良さそうに。
俺はプログラマーで、決して優秀ではないが、人並みに仕事は出切ると思っている。
ゼロから何かを生み出すことは出来ないが、コードを見ればどのような動作をするのか大体想像がつく。
だから既製のコードを応用することで仕事をしている。所謂リバースエンジニアリングというやつだ。俺はそれが得意なのだと思う。仕組みが原理に還元されるような、そうした一連の流れには耽美ささえ感じられる。
俺は彼女の裸体を眺める。
付き合い始めて二年になるが、彼女のことを芯から理解できているとは思っていない。
心の底では何を思っているのか。
俺と会っていないときにはどうしているのか。
もしも今ここにメスがあって、彼女のお腹を縦に切り裂き、ピンク色の肝臓や、規律よく波打つ心臓を見れば、彼女のことがより理解できるのかもしれない。
日本人の、子宮と乳房を10代のうちに外科手術で切除した出生時女性・性自認男性の、追跡ドキュメンタリーを思い出した
その人は手術から数年経って違和感をおぼえ、男性化「治療」をやめていたが
子宮がないゆえの健康問題があり生涯ホルモン剤を飲み続けなければならないという
負わなくてよかったはずの心身のダメージとともに生きなければいけなくなった
アメリカではLGBTQ活動を煽った結果、青少年の間では、疑う必要のない子まで性自認を掘り下げはじめてメンタルが不安定になっているそうな
日本にも以前から「10代をグルーミングと孤立化で性転換に誘導するな」と警句を発するLGBTがいる(この本の発売も歓迎していた)
というのは、性自認が曖昧な10代に対して「決めつけるな、後悔する」と保留を勧めるゲートキーパー的LGBTが見えなくなって、代わりに性転換のメリットばかり挙げて「仲間」にしようとするLGBTが動画やSNSで目立ってきているとのこと
子宮頸がんワクチンの後遺症騒動に似てる。確かにワクチン後遺症は0ではないが、思春期のメンタル不調をワクチンのせいと騒ぐ連中がいるように、少女たちのメンタル不調を「それはジェンダーのせい」と決めつける人々が沢山いるとの告発が、本書の中核だと思った
まとめ
•アメリカの白人少女たちの多くが居場所がなく、メンタルを病んでいる。一方でネット上ではマイノリティが注目を集めている。そこで「自分の生きづらさは、自分がトランスジェンダーだからではないか」と思い込みやすい環境がある
•学校や病院は、少女に冷静な判断を促す代わりに、自殺を防いだりするために少女の訴えを全面的に受け入れて、ホルモン治療や乳房の外科手術を勧める
•その結果、少女たちが「自分はトランスジェンダーではない」と思い直して治療中断をした時には、家族の絆も、声も胸も生殖機能も元に戻らない状態になってる事態が複数ある
誤読しそうな点
•本書の批判は、第一にジェンダーイデオロギー活動家に向けられており、第二に性別移行処置を子どもの希望通りに行う医療者に向けられている。それらに比較すると性別移行治療を受ける本人と家族への批判は極めて乏しい
•本書で騒いでるのは、本書で主に批判されているジェンダー活動家が、「トランスジェンダー当事者への差別扇動では」と論点をずらしてる場合が多いと思う
•メディアは、ジェンダー学者の代わりにトランス治療を途中で中断した人や、トランス治療を完遂した人の声を積極的に取り上げよう
•学校と病院は、男性ホルモン治療をすぐに勧める代わりに、SNS依存などの、他のメンタル問題に対処しよう。他のメンタル問題がへれば、性別違和が消える場合も多い可能性がある
•トランスジェンダーの人への差別も、突然抱きついて応援してるPRするのもやめよう
追加
〉「トランスジェンダーなどというものは実在しない」という本ではないのね
その通り。ワクチンの副作用が出る可能性が0.1%以下の確率でも、1万人受けたら1人以上いるのは自然だよね。この本は「これまでは性別違和を訴える大半が男児だったのに、なぜこの10年で、アメリカだけで、思春期の少女が急激に増えたのか」がテーマ。
〉トランスジェンダーについて「滅多にないのでトランスジェンダー主張は棄却せよ」というのが同書の主張の本質
私はそのような主張は読み取れなかった。私が読み取った同書の主張の本質は以下の通り
「SNSや動画サイトは、子どもが影響を受けやすいことにもっと配慮を。学校は子どもの健康に親に隠し事をしないで。医療者は医学処置より傾聴を。アメリカに少女の居場所を。」
子宮頸がんワクチンの後遺症騒動に似てる。確かにワクチン後遺症は0ではないが、思春期のメンタル不調をワクチンのせいと騒ぐ連中がいるように、少女たちのメンタル不調を「それはジェンダーのせい」と決めつける人々が沢山いるとの告発が、本書の中核だと思った
まとめ
•アメリカの白人少女たちの多くが居場所がなく、メンタルを病んでいる。一方でネット上ではマイノリティが注目を集めている。そこで「自分の生きづらさは、自分がトランスジェンダーだからではないか」と思い込みやすい環境がある
•学校や病院は、少女に冷静な判断を促す代わりに、自殺を防いだりするために少女の訴えを全面的に受け入れて、ホルモン治療や乳房の外科手術を勧める
•その結果、少女たちが「自分はトランスジェンダーではない」と思い直して治療中断をした時には、家族の絆も、声も胸も生殖機能も元に戻らない状態になってる事態が複数ある
誤読しそうな点
•本書の批判は、第一にジェンダーイデオロギー活動家に向けられており、第二に性別移行処置を子どもの希望通りに行う医療者に向けられている。それらに比較すると性別移行治療を受ける本人と家族への批判は極めて乏しい
•本書で騒いでるのは、本書で主に批判されているジェンダー活動家が、「トランスジェンダー当事者への差別扇動では」と論点をずらしてる場合が多いと思う
•メディアは、ジェンダー学者の代わりにトランス治療を途中で中断した人や、トランス治療を完遂した人の声を積極的に取り上げよう
•学校と病院は、男性ホルモン治療をすぐに勧める代わりに、SNS依存などの、他のメンタル問題に対処しよう。他のメンタル問題がへれば、性別違和が消える場合も多い可能性がある
•トランスジェンダーの人への差別も、突然抱きついて応援してるPRするのもやめよう
追加
〉「トランスジェンダーなどというものは実在しない」という本ではないのね
その通り。ワクチンの副作用が出る可能性が0.1%以下の確率でも、1万人受けたら1人以上いるのは自然だよね。この本は「これまでは性別違和を訴える大半が男児だったのに、なぜこの10年で、アメリカだけで、思春期の少女が急激に増えたのか」がテーマ
私もそう思う。性虐待を受けた人の治療と、治療で偽りの記憶が生まれない配慮を両立出来るように、トランスジェンダー医療はもっとバランスが良く改良が出来ると信じたい。
〉上っ面の理解で、本当の性自認を否定し、LGBTを差別する人がいるのでは
まさに私がこれを書こうと思った理由です。Amazonで一位になったけれど、積読のまま差別に利用する人が出現すると思ったから、その意見を前にした時に「この人、ちゃんと読んでなさそう」と思ってツッコミ出来る人を増やしたかった。
もちろん私の読解にも限界があるから、他の人もどんどん私のまとめを建設的に批判して発信して欲しい。
私はLGBT当事者で、家族とは絶縁しました。私も思春期の思い込み、大人になったら卒業するかなと思ったけど、どうやら私は「ワクチンの副作用が出る0.1%のほう」だったようで。
この本でインタビューに答えてる家庭のように、LGBTが理由で家族と取り返しのつかない喧嘩から絶縁に至る家族が減って欲しいと思います。
運転手の男はとろんと口を開け恍惚とした表情で運転し、助手席の女が男のソレをフェラしていた。
その光景が忘れられず、俺は心のどこかでずっとそのシーンを体験したいと思って生きてきた。
そして先日。俺は実際に体験した。
深夜の幹線道路。走行車の数はまばらで、彼女には事前に話を通していた。
当初は断られるのではと思っていたが、実際に話してみると彼女は乗り気であった。
何だかおもしろそうじゃん、それに昔からやってみたかったんでしょ?と彼女は微笑み、俺は彼女に感謝した。
月極の駐車場から車を出し、慣らし運転に少し走るときから既にドキドキしていた。
彼女は胸の膨らみが著しいニットを脱ぐと下には何も着けておらず、露になったたわわな乳房を目に俺はすぐさま勃起した。
俺は運転に集中した。
いよいよ幹線道路に合流すると彼女は二つに折った身体のまま俺のファスナーをゆっくり下ろす。
下は何も履いていない。屹立したそれが彼女の顔の前でおっ立ち、彼女はそれを右手で包み込むようにゆっくり握る。
「あぁ……」と思わず声を上げてしまい、アクセルを踏みそうになる。
そのとき脳裡には幼少期の記憶、小中高の学生時代の記憶が蘇り走馬灯のようなものを瞬くように垣間見た。
同時に、悦楽に溺れる自分と至極冷静に運転を行う自分の存在を感じ、まるで二人の人間が同時にこの世界を走行しているように感じられた。
俺は射精した。
赤信号にブレーキで止まり、ピントが合わず二重に重なっていた自己がひとつに収斂するような感覚。
はっ…とした。
思わず顔を下げると彼女は俺のソレから頭を離し、ごくんと喉元を揺らした。
俺たちは無言でそのまま走り続けた。そしてコンビニに寄った。
バインバインの支配人がしゃぶってくれたりしたら10万の価値がある
そのあと妻の膣に怒張した陰茎を対面座位で挿入し、バインバインの支配人の舌を思いながら果てたい
翌朝外出しようとしたらフロントに立ってるバインバインの支配人と目が合って、にこりとこちらに微笑みを投げかけながら、手でシコシコする仕草でからかって欲しい
忘れ物をしたと妻に嘘をついて先に行かせ、イソイソとテルホに戻り、バインバインの支配人の乳房を片手で軽く持ち上げながら、部屋に忘れ物をしてしまったみたいだと告げ、部屋に二人で戻って行きたい
そこではもちろん昨夜の続きをしたい
続きというのは、つまりバインバインの支配人の膣に陰茎を挿入し、前後運動して、とうとう射精することをいう
好ましくは2つもしくはそれ以上、より好ましくは3つもしくはそれ以上の体位で続きをしたい
最も好ましくはバインバインの支配人の二つの乳房の間に甲の陰茎を挟み込み、バインバインの支配人の粘滑なよだれでドロドロにされながら往復運動を繰り返したい
「あの子もトランスジェンダーになった」が「トランスジェンダーになりたい少女たち」に改題するんだな
勝手に育って勝手に価値を見出されて望んでいなくても収奪対象になることへの嫌悪が遥か昔からあるのだろう
昔の人なんかは初潮がきたら嫁に出されるんだからより深刻だっただろう
二次性徴が嫌な女の子にはトランスジェンダーを自称すれば女の子でいなくても済むというのは甘い誘い
男の子が女の子になるのは下位へ落ちることだが、逆はランクが上がることだと錯覚する
先天的女がいくら男を装ったところで結局下位扱いされるものだが
馬鹿な俺に教えてくれ。どのサイト見てもいつも肝心なところではぐらかされてる気がするんだわ。
自分を肉体の性と違うな、と思うのって何を以てそう思うの?性自認ってジェンダーの話なのかセックスの話なのかどっち?トランスジェンダーというくらいだからジェンダーなのだろうが、ならジェンダーレスな世の中になったとしたらトランスジェンダーは消えるのですか?
男らしくとか女らしくとか、そういったものを良くないものだと排除していく過程にあるこの世の中で、ではその「性自認」はなんなの?男はスカート履かないものだとかセーラー服着てたら通報されるとか、そういう性別による枠組みがジェンダーレスな世の中の実現によって一切なくなるなら、それでも性自認という概念は残るの?
完全に世の中がジェンダーレスになっても、陰茎があることが許せないとか乳房が膨らむのか気持ち悪いとか、そういうのは残るの?それはあくまで世間の規範を押し付けられることで自身の性別として服装なり言動なり趣味嗜好なり役割なりが固定化されることによっての気持ち悪さとは異なるの?性嫌悪とも異なるんですよね?
なんとか言う議員が増税メガネに「そもそもトランスジェンダー女性は『多様な男性の一類系だ』などと言う人がいる」と言ってそれを否定してるけど、なぜそれがそうではないのか、性自認の根拠とは何なのか、具体的に説明をしてほしいと思うのだが。言い張れば女性になるわけではない、とは?真に女性と思っているとか、そういうこと?それって程度はないんだ?あなた程度と思いでは女性とは言えませんよとか、そういう判断があるってことですか?もちろん犯罪を犯すための詭弁として用いるのは悪いことだよね。でもそれは刑法なりで裁くべきことであって、性自認がどうとか関係ないよね?女が女盗撮しても逮捕なわけで。
ここ何年もこの疑問をハラに持ち続けて、ネットで検索したりテレビとかでそのうち明瞭な説明が来るんだろうなと思うのに、一向に出てこずただただ「配慮しましょうね」だけ。
そりゃ外ではトランスジェンダーなんて存在しない!なんて言わないし喧嘩するつもりもないよ。そういうのは社会性のない暇で頭のおかしい連中がするものだからな。俺は皆様が正しいんだぞと言うことにハイと言うだけ。
でも心の何処かではずっと納得を探しています。女らしいとか言うな!というジェンダーレスの話と性自認の話は私を今日も混乱させます。表面的に対応する限りは困らないけど、腹落ちしてないから境界に来ると困るし、実際それで衝突おきてんじゃないの?と。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3fd7ea9f01d4d210fb7c61515e0884c9915b4a45
カナダのトロント郊外の高校に勤める、あるトランスジェンダーの女性教師が物議を醸している。
現在、彼女は巨大な人工乳房を持っており、録画された動画では、それを強調するかのようなトップスにショートパンツという服装で授業をおこなっている。
雇用問題を専門とする弁護士は、教師としてプロフェッショナルにみえない彼女の服装を「支援する」ことは、ジェンダーの権利の推進を妨げるものになるだろうと、主張している。また、「乳首を透けさせて女性の胸を誇張するような姿は、私には性差別のようにみえる」とも語る。
「女子生徒たちのなかには、不快に覚えるだけでなく、馬鹿にされているようにすら感じている人もいると思います」
実際に、各紙の報道によれば、生徒のなかには、この教師の授業に参加しなくなった者もいるようだ。
同紙で社説を執筆するアンソニー・フューリーもまた、教育委員会、および学校側が、この件を「トランスジェンダーの権利」として扱い、結果的に「何も対応しようとしていない」ことについて、違和感をあらわにしている。
あのような格好で教師に教鞭をとらせている学校側の対応は「正常ではない」し、本来「学校側はこの教師に対し、教育の場にふさわしい服装をするように促すべきだ」と主張
あなたは好きに描いていいし、女性キャラをどんな体型にしようと自由だよ。
でもさ、一度世に出してしまえば、ある程度の人に、女性性を釣り餌にして利用してる? と疑惑を抱かせてしまうよ。心理的安全性を提供してくれるペット、という女性のステレオタイプを強化してる、と批判される。本当に乳房の大きいキャラクターにする必要性があったのか、手癖で描いてないか、リアリティがあるかなどなど、性的強調する合理性を疑われてしまうわけ。
現実の女性の身体は、天が与えてくれたもの。自分で自由にいじれる余地なんて、実はほとんどない。
でも、フィクションの女性の体は創造主が自由に作れるのだから、あなたが全責任を持たなきゃ。
言っとくけどこれ、男女逆転させて高収入185cm男性でも同じだから。
表現の自由には責任が伴う・誰も傷つけない表現なんてない・誰かを傷つければ必ずクレームがくる。
クレームを出すのも表現の自由なので。もし、それらのクレームを「知ったことか」と撥ね付けるなら、あなたが胸に抱いてるのは、覚悟じゃなくて開き直りです。巨乳を描くならちゃんと覚悟を決めて。
俺は男だけど、
まさに「異性キャラと自分を同一視する男性は少ない。」の少ない側の男の立場で
この増田を読んでも、概ね傾向としてはそんな感じだとは思う。
・・・思うのだけど、
「俺は気にしないけど、世間が許さないだろ」みたいな他責的学級会文化は男性にもあるし、
貧乳よりの美乳エロを求める俺からすると、巨乳エロが主流派の現代では、夜のおかず探しに「生きづらい」を感じることはあるよ。
手のひらにすっぽり収まるかおさまらないかぐらいのおにぎりくらい大きさで、
乳房の下側の皮膚と腹の皮膚が挟まることは絶対ないくらいの垂れを感じさせない大きさが好きなのに、
Not for me が出来る人って、結局どこかに、 for me なものがあるから、Not for me と言えるんだと思う。
何処探しても Not for me ばかりだと、自分で作るしか手段が無くなってしまい、それは生きづらいに当てはまる気がする。