はてなキーワード: 性的指向とは
アセクシャル寄りだとは思っているが、よく分からなくなってきた
以下に特徴を羅列するので、何か分かる人がいたら知らせてほしい
・自分が他者(性別関係なく)と恋愛関係になったり、体の繋がりを持ちたいと思わない
・恋愛を扱う作品に感情移入はできる、と思っていたが自信がなくなってきた 登場人物が抱く恋愛感情はある程度理解できるが、感情移入はせず、他者同士の恋愛として見ているだけかもしれない
・他者の体(身近ではない人)をセクシーだと感じることはある
・自慰はしない 自分の体に直接刺激を与えて快感を得ようと思わない 最近無理矢理なんとなく触ってみたけど全然気持ちよくならなかった
・体と心の性はどちらも女性
・メイクも服も興味が無く、自分を飾りたいと思わないので、表現したい性が分からない スカートもズボンも履くが、ズボンの方が好き
・BL作品を好み、動画も時々見る NLもたまに見るが、GLは全くと言っていいほど見ない
・他者と交際、セックスした経験がない
・同性の友達に、自分と同じくらいの友情を感じてくれているかどうか、とても不安になることがある
・他者とあまりスキンシップをとらない 信頼している相手なら多少受け入れられる
実は年上女性好きが、社会の風潮により捻じくれ婚姻出来ない状況になっているのではという仮説を思い付いた。
男性が年上女性を好きという事に関しては、AVの熟女ブームがそれなりに形として出来た(作り出された部分もかなりあるが)事からもあるし、極端なのはまだしもそっち側もあるだろうとは推測はするが。
どうにも女性の年齢<男性の年齢というのは、例えば女性アイドルと男性アイドルの年齢幅の違い、パパ活はあるがママ活はAVしか見かけないという現象を見るに、現代社会でもしっかりと根付いているステレオタイプではなかろうか。
実は年上女性好きが、社会の風潮により捻じくれ婚姻出来ない状況になっているのではという仮説を思い付いた。
男性が年上女性を好きという事に関しては、AVの熟女ブームがそれなりに形として出来た(作り出された部分もかなりあるが)事からもあるし、極端なのはまだしもそっち側もあるだろうとは推測はするが。
どうにも女性の年齢<男性の年齢というのは、例えば女性アイドルと男性アイドルの年齢幅の違い、パパ活はあるがママ活はAVしか見かけないという現象を見るに、現代社会でもしっかりと根付いているステレオタイプではなかろうか。
男児も含めて用語としては「児童性愛」だっけ? そうした考えを持つことそれ自体が悪だと見なす人がいる。
実際、Twitterでそうした主張の人と少しだけ意見交換して、「いくらなんでも内心は自由でしょ?」と言ったところで全く聞き入れてもらえなかった。
確か、幼女ドールで炎上していた頃だったかと思うけど、幼女ドールは児童性愛趣味自体を認めてしまうことに繋がるからダメなんだってさ。
でも無茶言うな、だとしか思えなかった。
私は特になんの変哲もないような大人の男性で、ロリ趣味はなく、どう説明すればいいのかわからないが、一般的なAV的なところを好む程度の性的指向があるだけだった。
だから、例えばまだまだ未熟な小中学生を見たところで、特になんとも思わない人間だ。……と割とずっと思っていた。
この冬、田舎に帰ったんだ。
この田舎には、地元では有名な温水プールがあり、冬でも楽しめる。
あんまり行かなかったんだけど、そこは大浴場もあり、ちょっとしたサウナもあって、それも目当てで半日くらいゆっくり過ごそうかとプールにも入ったわけよ。
その中に一人、ど偉い美少女がいたわけよ。
個人的には、かの国民的美少女コンテストの全国大会最終選考レベルだと思った。
歳の頃はどうやら小学六年生のようだった。その子が友達となんかそんな話をしていたのが聞こえたからわかった。
そこそこ広めの温水・室内プールに十数名程度しかいないんだから、どうしたってその少女に視線がいってしまう。
私は、田舎に来ていた親戚の子供を連れてプールに来ていたんだけど、親戚の子供なんか半ばほったらかし。
で、その少女が割と目の前のプールサイドに来て、ワンピースの水着の肩紐?を、その手でちょっと直すような感じで触れた時に、一瞬だけど胸が見えてしまったわけ。
勃起するな、なんて無理だった。
プールサイドの椅子に座っていた私は、慌てて近くの子供用プールの中に逃げ込んで、下半身を隠すようにして座るしかなかった。
その直後だったかと思うけど、ほんの一瞬だけその美少女と視線が合った。
彼女が私のえっちな視線に気づいたのかどうかは知らないが、それ以降は遠くの方へ離れていってしまったし、勃起してしまった私は恥ずかし過ぎて、もはやその美少女を見ることは出来なかった。
田舎から帰ってもしばらくはあの一瞬がどうしても記憶から呼び起こされてしまい、勃起こそ我慢できたものの、股間に熱いものを感じざるを得ない日々が数日続いた。
それくらい衝撃的だったんだと思う。
しかもそれ以来、街中で可愛めの小学生高学年くらいの女子を見かけてしまうと、どうしても意識がそっちにいってしまうようになった。
エロい想像まではしないように、別のことを考えるように努力はしているけど、一度そうなってしまうとこれがなかなか・・・。
今流行りのウマ娘を筆頭に、艦これ、アズレン、けもフレ、はたらく細胞、刀剣乱舞、ヘタリア等。すべて「元は人間じゃないよね?」と我に返ってしまい萌えられない。二次元の時点で人間もくそもないと思うがなぜか自分の場合、最初から人として作られたキャラクターでないと萌えない。
ほぼFateだが、他にも文アル、文スト、イケメン戦国、その他歴史系ゲーム、戦国系ゲーム。
萌え擬人化とは違って元々人間ではあるが、実在した人物を元ネタとして使っているという特有の不謹慎感があって苦手だ。あと非オタクで普通に該当人物について調べたい人にとって検索妨害だと思う。
結局美少女の皮を被った、ただのオタク系アイドルとしか思えない。確かにキャラクターは可愛いし魅力的だと思うが、中の人にはそんなに魅力があるのか?
人気のVTuberの実況をいくつか見てみたが、そこまで面白いとは思えなかった。ずっとテンションを保っているのはすごいなと思ったが。
あるいは中の人の顔が可愛いのかと思ったが、YouTubeで配信してちやほやされたいと考える自己顕示欲の強い人なら、現実で顔が可愛ければわざわざ二次元美少女の皮を被らずに顔出しして配信してるだろうし、中身の人物はおそらくそこまで可愛くないと思う(偏見)。
あと一部の人は作られたアニメ声って感じで聞いていられなかった。
艦これ、刀剣乱舞、その他ソシャゲ。こういう作品は想像する余地があるから面白いとよく言われているが、要するに二次創作で自分が好きなようにキャラを動かしやすいということであって、二次創作ありきの話だと思う。失礼な言い方だが二次創作用のフリー素材みたいな感じ。二次創作をしない人にとってはストーリーもなくただの可愛いキャラを眺めるだけのゲームと化す。
ツイステ、あんスタ、アイナナ、A3!、まほやく、刀剣乱舞等の女性向けソシャゲ全般。ファンはほぼ腐女子と夢女子で、運営もその層を狙っているようだ。大体男キャラ同士がベタベタしている。あだ名で呼びあったり、執着していたり、依存していたりと距離感がおかしい。そして主人公にも懐いてくる。運営としては腐女子も夢女子も両方釣り上げてやるという思惑なのだろうが、個人的にはそれが中途半端で気持ち悪い。乙女ゲー厶なら乙女ゲー厶、BLゲームならBLゲームとして出せばいいのにと思ってしまう。
ただそれができない現実があるのは分かる。腐女子は腐女子向けと公言されると萎えるようで、最近もまほやくの運営会社コリーが有価証券届出書で「『腐女子』層をメインターゲットとしつつも、幅広い層からの支持を獲得しております」と書いたことで炎上していた。(炎上した理由は他にも「腐女子」が差別用語だとか、メインターゲットから外れた夢女子が気分を害したとか色々あるらしいが)
あとこの手のゲームのファンは同担拒否やら地雷やらを持っていて面倒くさそうな人が多いのも苦手だ。
ただただ不快。
汚い。
TS百合はいいと思うが、TSして男の親友とそういう関係に…みたいなのが理解できない。脳も女性化しているから男を好きになるということなんだろうか?
そうだとしたら性同一性(心の性)と性的指向(好きになる性別)は別物では?
魅力が分からない。なぜ人気なの?
なぜあんなに男性器が大きいことが多いの? あと女性器と男性器が両方あるのが不自然で苦手だ。
なんと呼ぶのか分からないが、教科書のキャラクターみたいな絵柄でエロをやってるやつ。一時期そのジャンルの就活術みたいな広告が出てきて不快だった。
無理。オリジナルならともかく、ポケ○ンやどう○つの森みたいな子供にも人気な作品を変な目で見ないでほしい。ケモナーはクレクレ厨や出会い厨が多く、民度も低いと聞くしさらに苦手。
罰則はないとのこと。
これが実現したら、そもそもカミングアウトもアウティングも何ら問題なくなるから、あくまで過渡期の施策ってことだよね。
でも
これって第一者から限定カミングアウトを受けた『第二者』のことを基本的に気に留めてないよね。どういう意図で自分はカミングアウトを受けたのか、自分一人の心にしまい込むしかない。
結果として限定的なカミングアウトもしづらくなり、性的少数者は自らの指向を隠しがちになる。世間は性的少数者の存在をますます認知出来なくなるし、偏見という溝も埋まらないままの悪循環。
どうするのがいいんだろうな。乱暴な意見かも知れないが、性的少数者にはバンバンカミングアウトしてもらって、存在を半ば強引にに社会に根付かせるくらいしか思い浮かばない。
自らの性的指向を『隠す』のと社会に『受け入れられる』のって食い合わせがすごく悪い…、というか基本的に真逆なこととしか思えない。
こういう問題、マイノリティがマジョリティ側に来るか(基本的に性的指向は開けっ広げなものとして扱う)、マジョリティがマイノリティ側に行くか(基本的に性的指向は秘匿的なものとして扱う)、だと思うんだけど、社会としてはどちらを目指すんだろうか。
今まで認められず苦しんできた方々にはおめでとうと言いたい。自由に好きな人と性別関係なく結婚できる時代は、個人的にも素晴らしいものだと思う。
ただひとつ、そういった方々に覚えておいて欲しいことがある。
私自身にも当てはまることなのだが、どう頑張っても「同性愛が苦手な人」もいるという事だ。
申し訳ないと思う。でも、生理的に無理な人間も居るということを覚えておいて欲しいのだ。
同性愛という性的指向を苦手だという人が居たら、どうか差別だと怒らず、責めずにいてあげて欲しいのだ。
私のように、頭ではわかっていても受け入れられない人間もいる。
差別されてきた人々が普通に愛した人と結ばれることを願っている。ただ目の前でそう言った行為を見ることは、どうしてもまだすぐに受け入れられそうにない。
ゆっくりと、受け入れるための努力は怠らずに生きていきたいと思っている。でも、一生受け入れられることはないかもしれない。いつか受け入れられる日が来るかもしれない。
きっと本人も受け入れられないことで苦しんでいる。だから急いで受け入れろと責め立てずに、「同性愛を苦手」だということも、あなたがたから差別せず受け入れて欲しい。
互いに差別なく受け入れてもらえたら嬉しいと思う。
私はあなたたちを受け入れたいと思っているから、お願いだから受け入れる準備ができるまで、無理強いをしないでほしい。
同性愛が苦手だと言った時、差別だと言われたことがあった。異性愛と何が違うんだと怒られたこともあった。
私にとってはまだ、幼い頃に同性愛と異性愛は違うものだと教えられて生きてきたから、どうしても根本的なところで受け入れる準備が整っていない。いつまでも整えられないかもしれない。
お願いだから、同性愛を苦手と感じる自由も残しておいて欲しい。
差別を無くして欲しいと訴えるなら、そういう自由もどうかもらえないだろうか。
見てくれた人がいるみたいでありがとう。
怒られた時にこの内容を言えばよかったと言われたが、言えばさらに差別だと言われるばかりだったよ。こちらはそれ以上黙ることしか出来なかったから、少しでもこういう考えの人がいると頭の片隅に覚えておいて貰えたらいいなと思ったんだ。
体の性別はわかりやすい。見たらわかる。(両性の方の話は今回置いとかせてください)
じゃあ心の性別は何で判別してるの?皆さん何をもって私の心の性別は男だ!女だ!って考えてるの?
男性が好きだから女性ってわけではない。だから性的指向で判定してるわけではないと思うんだよ。
かわいいものが好きだから女性ってわけではない。趣味嗜好でも判定できないと思うんだよ。
女性らしくあれって言われるのが嫌だから男性ってわけではない。社会的立ち位置でも判定できないと思うんだよ。
自分は「自分の体に違和感を覚えるから自分の心の性別と体の性別は異なっている!」ってのがよくわかってないのかも。
その違和感だけが心の性別の証明なら多分本質的な理解は一生できないんだと思う。
心の性別ってなんだ。
もう心の性別には別の名前を付けたらどうだろう。男女にこだわるんじゃなく。
人の心をグループ化なんかせずに人それぞれの個性ってことじゃダメなのか。
っていうことを書こうとしてwikiでトランスジェンダーについて見てみたら、
「男女の枠にはまらない性同一性(Xジェンダー、ノンバイナリー、ジェンダークィア、エイジェンダーなど)も含む」とか書いてあってもう知らねーってなりました。
もう何もわからない。
大学の友人でぺドを名乗る男性がいるので、思い切って話を聞いてみることにした。
彼は正直典型的な非モテ男性と言っていい。覇気のない、あまり気を使っていない外見。コミュニケーション能力も高いわけではなく、気が利くか否かと言ったら、まぁデリカシーはないタイプだった。
彼は中高は男子校で過ごしており、今現在通っているのも理系の学部なのでほぼ男子校のような環境に身を置いているといえる。人生の半分が男子校コースだ。
性的指向(嗜好)の話に戻るが、彼曰く、彼は「小学生くらいの女子」しか恋愛対象として見れないそうだ。敢えて性愛対象ではなく恋愛対象と言ったのは、彼がしたいのは性行為だけではなく、デートや同棲生活など、そういう恋愛一般をその年齢の女子と達成したいと言っていたからだ。
最初は彼が先天的なペドフィリアなのかと思って聞いていたが、途中でどうやら違うらしいということがわかってきた。
彼は今でも淡い恋の夢を見るそうだ。相手は小学校の時の片思い相手。同級生だった彼女の姿は成長しておらず、性欲に自覚的になった今でも彼女のことが忘れられないのだそうだ。
……なるほど。
彼は先天的にどうこうというよりも、「女性像」が小学生の時から更新されていないのだと感じた。
漫画などの影響が取り沙汰されることも多く、私個人としてはその可能性もゼロとは言えないが、異様に男女別学が多いこの日本社会では、こう言った事例も少なくないのではと思った。
するよ
これこそが腐女子が大っっっっっ嫌いな理由、腐女子が嫌われる理由だよ
腐女子について書き連ねたい、けど面倒、けど書き連ねたい を先日からずっと繰り返してるよ
けれど、別ツリーでも書いた通り、
権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するプラットフォームの規約に反していない限り、
作品は作者とファンの共有財産です。しかし実際的な権利のすべては権利者にあります
なので権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するプラットフォームの規約に反していない限り、
"嫌なら見なければいい"のです
ですが、原作への敬意が感じられないポルノを発表する自由があるのと同様に、
しかしそれは、LGBTを嫌いと口に出す自由がなかったからで実は内心ではLGBTをよく思ってない人が大勢いて、実際LGBTは理解されていなった。
実際はまだ嫌われているのに理解が深まったと思い込んだLGBTが政党を作り政治に殴り込む。
そのとき有権者は、口では理解を示していたけどやっぱみんな嫌いだったんだと思い出す。
そして内心の嫌いが増幅される。
そういうこともあり、ある人事がLGBTを内心で嫌うようになったとする。
世間ではLGBTの理解が深まったように見えているので、履歴書の性別欄に男/女/ゲイ/レズ/…と表記されるようになった。(ここは性別書かなくていいと議論もあるがとりあえず仮定)
その人事はLGBTだから採用しないと言うことはできない代わりに、LGBTを不採用にできる理由を探し始める。
表に出ないけど、LGBTはマイナスからのスタートを強いられるようになり、LGBTと告白すると何故か採用率が低下することになる。
アファーマティブアクションで採用するようにすればいいかもしれない。
でも、内心で嫌われている職場で仕事をすることは、私個人としては想像するだけで胃が痛くなってくる。
そうなると表の世界ではこんなに受け入れられているのに、実際は相変わらず差別されている状況が続いて溝が深まるばかりだ。
結局、内心で嫌う自由は上っ面の世界を綺麗に見せたいけど差別することは許してほしい人の方便で、マイノリティの苦しみを解決するものではない。
そしてタチが悪いのは、内心は見えないので誰も内心の差別心を諌めることができないことだ。
内心で嫌う自由を認めてほしいと言っている人たちは(マイノリティに)理解のあるマジョリティ君として見られたいとしか言っておらず、マイノリティを救いたいとは一言も言っていない。
マイノリティを救うには、やはり内心で嫌う自由すら許してはいけないことになる。
(元増田もそのSagaを理解しているから内心で嫌う自由を許容したいんだろうけど、前述の通りそれは何も解決していない)
私はそこは嫌い方の問題だと思っている。
その複雑な関係性を紐解いて評価した結果として、当人(≠属性)を嫌うことは許されることにすればいいと思う。
レッテル、ステレオタイプだけで嫌いと言うのをやめようと言うことだ。
ただ、各々が今までレッテルやステレオタイプで人を判断することで効率化してきた人間関係に莫大なリソースをかける必要性が発生する。
anond:20210301102544 LGBTを嫌う自由はあるのか、に対する b:id:muchonov 氏の意見 anond:20210302093544 について、
結論に関しては同意しなくは無いものの、やはり倫理学的にみてロジック部分に引っかかる部分があったので指摘 & 自分の意見を書きます。
マジョリティがマイノリティーに対する嫌悪を公開することを悪的行為としているが
そもそもマイノリティーがどっからマイノリティーなのか、というのは実は非常に曖昧ですよね。
日本においては男女の人口比は 49:51 なので この論だと「男は嫌い」という意見も差別ということになってしまいますよね。
(もちろん、はてぶで見る過度なブコメはまずいと思っていますが)
そもそもマジョリティもマイノリティーも切り取るコンテキストによって大きく立場が変わりますよね。
前述したように切り取るコンテキストによって勾配の傾きは変わる以上、ロジックとしては非常に危ういんですよね。
何より、その理屈でいえばマイノリティーがマイノリティーに対する嫌悪は問題ないということになるのでは。
ゲイ本人が自身のもつ特性に嫌悪感がありそれをもって「ゲイの人間はクソだ」と言うのは問題ないんですか?
むしろその属性が持つ本人がいうことにより、偏見が社会的に強まりません?
表現をするものの属性のみによってその表現の道徳性が変わるのは倫理学的におかしいですよね。
だから社会的少数派へ嫌悪を表明してはいけない、というロジックはいささか問題ありますよね。
内心で嫌う自由はある。マジョリティに100%保障されたその自由を、存分に享受してほしい。それって、すごい特権だと思わないか? だってマイノリティにはさまざまな社会的抑圧や差別によって、内心ですら自分自身を100%受容・肯定することがままならない人達もたくさんいるんだぜ
まるで性的マイノリティは内心の自由すら無いような表現だけど余計なお世話。
本当に余計なお世話。
なんで他の人と違うんだろうとか自分が受け入れてもらえないとか悩むけど、その悩みがあることと内心の自由の権利の有無は別の話。
社会的抑圧のせいで自分の性を肯定できないでしょ、って言わんばかりの上から目線というか。
マイノリティーだから内心の自由が制限されているはず、という id:muchonov 氏の意見の方が内心のあり方に関する干渉にしか感じられない。
そこは人によって違うし性的にマジョリティであっても様々な要因でうまくいかない人もいるはず。
(突き詰めていくと自己決定はどこからか、という話になるんだけどそれを言い始めると全ての人に話がおよびますよね)
もちろん、嫌いの公言の仕方にもよります。なんらかの先入観や偏見を伴った言説を元に嫌いだとか排斥運動するのは
あと、「LGBTを禁止する社則/校則を作って欲しい」とか言ったりするの。
でも、そうーいうのをさけ、「男のくせに女の格好しているのは嫌いだ」とかの話は
ただ、この日本においてはTVのバラエティ番組などでLGBT、
というか特にホモセクシャルは面白おかしく扱われ、自分の性的指向を公開することをためらわせる
exclusive な流れがあった/ある、ということはご理解いただけると思います。
「私たちはあなたたちがこの社会の中で当たり前に存在することを許さない」という価値観の表明で、それは彼らに対する抑圧に直結する
とまでは言う気は無いものの、やはり結構きついものがあります。
なのでできたらやめて欲しいのです。
これを強制するつもりは無いですし、なによりできないでしょう。
何が言いたいかというと、あなたがLGBTを嫌いであったとしても敬意を持って欲しいということです。
敬意持って欲しいとは偉いと思ってくれってことではなく、僕もあなたと同じように仕事をしたり、遊んだり、
日々いろんな悩みを持って駆け回ったりしていて
ただ性自認があなたの想像と違うだけでそれ以外はほとんどあなたと同じ人間である、ということを認めて欲しいということです。
本来、多様性やダイバーシティとか言われることの根幹はそーいうことですよね。
だから、id:muchonov氏の元増田の考えを悪と断罪する考えは同意しませんし、
「嫌い」の原因が個人の言動なら「嫌いと言い合うこと」にも意味があるかもしれない。「嫌い」と言われた相手がそれの「改善」の必要性を感じればだが。
けど、性的指向や人種、障がいなどの自分で変えることのできない部分をもってして「嫌い」と言われたら、相手はどうすればいい?
増田を避ければいいのか?それはわざわざ相手を傷つけてまで伝えるべきことか?自分が極力関わらないように生きていけばいいんじゃないのか?
そもそも,「自由」って難しいよね,というとあほみたいだが,「自由」が「制約されている」という場合,法令がどのように制限しているのか,それともしていないのかということを考えることは必須だろうと思う。LGBTが嫌いだと言いたいという人の自由と,そんなことは言わせたくないという人の自由は基本的には等価であって,最終的にはその対立は法によって公的に整理されるわけで,法的に制限されない限り原則としてその行動は「自由」だ。
一般に誰か特定の人,あるいは,一定の属性を持つ人のグループに対して,「嫌いだ」と表現することを規制する法令は非常に限定的にしか存在していない。例えば,東京都には性的指向を理由に「差別的取り扱い」をすることを禁止する条例が存在するが,それこそ,「LGBTの人は入れない会社」のように取り扱いを規制するもので,「嫌いだ」と表現することだけでこれに当たるということは基本的に考えられない。
ちなみに,差別的言動の制約の例としてヘイトスピーチ解消法が言及元で例示されているが,この法律は「本邦外出身者」に対する差別のみを取り扱うものであり,かつ,その対象となる「差別的言動」は,かなり制約されたものになっている。
第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
発言の状況による部分もあるかもしれないが,「嫌い」というだけでこれに当たる場合は少ないか,あるいは,ないと入っても良いだろうと思われる。さらに,それについても法律上は発言の禁止の条項は存在していない。一般国民に宛てた規定は努力義務的になっている。
第三条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。
この具体化条例で禁止規定に罰則まで制定した自治体としては,ヘイトスピーチが極めて深刻な問題となった川崎市が出てくるが,罰則なしの禁止規定を置く自治体ですら多数とは到底言えない状態だと思われる(どこかに条例をまとめた研究もありそうなので誰か知っていたら教えてほしい。)。いわんや,その他の差別においてをや,というところだろう。
禁止規定が限定されている理由は,当然,表現の自由という極めて重要な自由との相克があるためである。私も差別は解消されるべきものだと思うし,差別的表現をすれば当然批判を受けるべきだと考える。しかし,「自由」という観点から言えば,その制約は安易なものではあってはならないのではないかと考える。差別的表現を禁止すれば,差別が解消するというのはいささか安直に過ぎるものであり,本質を見失っているように感じる。
なお,個人的には最初の増田の思慮に欠けた思考は嫌いだ。私自身は異性と結婚したが,公営住宅から追い出されたゲイカップル(「家族」でないので同居は認められない)や手術への同意ができなかったゲイカップルなどの苦しみを,気持ち悪いからという理由だけでやむを得ないと考えるような人間は軽蔑している。