はてなキーワード: 心の問題とは
http://anond.hatelabo.jp/20150527221444
この記事を読んで、心の問題について、個人で対処する方法はあんまり広く認識されていないと思ったので、自分がやっていることを書く。
心のちょっとした問題に対して、世間では相談するとか、瞑想だとかいろいろ言われているけれど、ぼくの場合は認知行動療法のセルフヘルプを使っている。
これは心療内科で使われている心理療法を自分でもできるようにしたもので、重度の症状では自分で行うことが出来ないかもしれないけれど、イライラしたり不安だったり、心のちょっとした問題に関しては、セルフヘルプを使えば良くなることが多い。
身体の健康を日々の食事・睡眠・運動でメンテナンスしていくように、心も自分でメンテナンスをする習慣をつけると、少し心が軽くなると思う。
メリットは2つあって、1つは自分で心をコントロールする能力が身につくこと。もう1つは自分の心理状態をモニタリングする癖をつけると、バランスが崩れている状態を把握できるようになってくる。そういう時に、専門家の助けを借りるようにすると、だいぶ精神的に安定してくる。
最後に、認知行動療法のまとめwikiを張っておく。2ちゃんねるのものなので、正確性には欠けるかもしれないけれど、取っ掛かりとしてはイメージがつかみやすいと思う。
なにを馬鹿なことをと思われるかもしれないが、僕ははっきりと主張したい。
もちろんママの方が大変だ。妊娠、出産の不安からくる心の問題だけじゃない。
お腹はどんどん大きくなるし、ホルモンバランスだって変わる。身体だって大きく変化するわけだから、マタニティブルーになったって当然だ。
でも、パパだってマタニティブルーになることはある。なったっていいじゃないか。
パパだって不安なのだ。立派な父親にならないと!だとか、ママの支えにならないと!だとか、日々そんなことばかり考えているのだ。
30歳の新米パパ
今でこそ、胎動を感じることができるので、赤ちゃんがちゃんと生きているという証拠があるから安心できる。
しかし胎動を感じるまでは、いつ心臓が止まってたっておかしくないわけで、いつも夫婦ともに死んじゃっていないか不安なわけです。
近いうちに検診に行くのだけど、もし万が一のことがあったら・・・・・・、と夫婦共にナーバスになってしまって、
お互いにイライラしたり些細なことで喧嘩することがほんと多かった。
2月頃の定期検診の一週間前。
パパもママも共にマタニティブルーになって、いつものようにほんと些細なことで喧嘩してしまったのでした。
喧嘩に疲れてお互いふて寝していたら、深夜二時くらいに妻が僕を起こす。
顔面蒼白で、唇をふるわせながら妻が枕元に立っていた。
どうしよう、トイレに行ったら、少し血が出た。
妻はか細い声でこう言った。
僕は体中の血の気が一気に引いていくのを感じた。
とにかく、妻には明るく接する。そしてうそをつく。
大丈夫大丈夫。ちょっとくらいの出血無いなら問題ないってネットに書いてたから。
でも念のため心配だから、病院に電話してみるね。24時間受け付けているみたいだから。
でも知識としては知っていた。この10週から20週の間の出血はまずいということを。
気が動転していて病院の連絡先の紙が見つからない。ネットで検索しようと思ってもキーボードをうまく叩けない。
スマホの音声検索を使ってようやく病院の電話番号を調べだし、連絡する。
優しい女性の看護師さんとお医者さんが電話に出てくれた。きわめて落ち着いた対応だった。
お医者さんが言うには、この週数での出血は心配なので、救急車の必要はありませんが、明日一番で病院に来てくださいとのこと。
妻には、心配だとかそこらへんのことは伏せて、とにかく明日の朝一番に空きがあるので、仕事休んででも一緒に病院に行こうと伝える。
とにかく妻を安静にさせないと。
妻の手を握って添い寝をして、とにかく寝かしつけることを優先する。
大丈夫大丈夫だから、ほんとに危険なら救急車を呼ぶようにお医者さんから言われるはずだから。
根拠のないことをさも正しいかのように妻に言って聞かせる。
初めは妻も不安で胸がいっぱいという風だったけども、30分すると、少し安心してくれたのか、ようやく寝息が聞こえ出す。
ここから、パパの眠れない夜が始まるのだ。
頭の中でぐるぐる回る後悔、自責の念。
どうして喧嘩なんてしてしまったのだろう。僕が真っ先に謝ればよかった。つまらないことで意地を張る必要はなかった。
ほんのスプーン一杯分の優しさを持てば、喧嘩なんかならなかったんだ。
妻はマタニティブルーなんだ。体の異変と心も不安を抱え、イライラしたって当然だ。
身体は何一つ変わっていない旦那が妻を支えるべきではなかったのか。
妻は何一つ悪くない。
僕が赤ちゃんを殺したのだ。
横になっても目をつぶっても眠れない。頭の中から後悔と自責の念が離れない。
早く朝になって欲しかったが、いっこうに時計の針は進まなかった。
僕はどうにかしてこの不安を断ち切るために、起きあがってスマホでいろいろと調べてみる。
しかし、僕の期待とは裏腹に、出てくる記事は怖い内容のものばかり。
この時期の出血は心配ですと言う産婦人科医の記事。流産したママさんたちのとても悲しい体験談。
ここで不思議なことが起きた。
えー助けてから助けるに変わってる!!
男前すぎるだろ!!
その文章を読んだとたん、なんだか少し不安が解消された気がした。
とにかく今悔やんだって結果は変わらないので腹をくくろう。
そうこうしているうちに夜が開けた。
そんなこんなで朝一番に病院に行ったのですが、検査の結果異常なし。赤ちゃんの鼓動も正常で、エコー診断委も異常なし。子宮の状態も全く異常なし。
まさかGoogle先生がインターネットの英知を使ってなおしてくれたのか?
これからパパになる予定がある人は是非読んでいてほしいことなのだけど、
やっぱりパパだってマタニティブルーになる。なるのだけども、やっぱママの方が負担は大きいわけで、支えていかないといけない。
そうしないと後悔しても後悔しきれないことが起きてしまうかもしれない。
妻にだけは当たらぬよう、喧嘩はしてもすぐパパが謝ることを心がけるべきだなぁ、とつくづく思いました。
あと病院の連絡先は書き出して冷蔵庫に貼っておくことと、Google先生は時として男前の発言をしてくれること。
それが今回の件で学んだことです。
ジョジョ3部2期
「last train home」って曲。オインゴ・ボインゴじゃないほう。
:淡々な口調で話す”ステルス”なヒロイン、その話し方に何かを感じていたが、2話にして化けた。
2次元ヒロインのセオリーを無視したこのヒロインは、今季アニメ1、すごく現実味のあるキャラで、
二次元っぽくない、いわば「現実の人間寄り」のキャラですごく好感が持てる。やはり二次元キャラに対しても、現実味のある人間性を求めるか。
:3話見たけどよく分からん。
オープニング曲、よく分からんまでの百合、デリシャスメル、ユリ裁判、本当によく分からん。
純血のマリア
:キャラクターデザインも個人的に好きで、キャラクターの個性・エロ・ストーリー・BGM・クオリティ等どれも高く、安心して期待している。
東京グール√A
:白髪のグールになっちゃった主人公と、個性的なキャラクターたち、そしてストーリー、漫画は見たことないけどすごく期待している。
とにかくキャラが魅力的!
ローリング・ガールズ
:よく分からないけど見てる。
ガンダムをあまり知らない僕でも、女性キャラが魅力的なのでおもしろく見れる。フェチズムを感じる。
エロ、グロ、残酷、主人公の強さ、ストーリー。おもしろ要素が盛りだくさん。
■最後に。
個人的に今期アニメは豊作だと思う。期待して見れるものがたくさんあるので。
途中で視聴を切ったアニメもいくつもあるんだけど、とにかく期待度が高いアニメがたくさんあるから楽しみ。
あと、東京グールの美食家グールで出てた、声優の宮野真守のように、立体的に感じる声が出せる声優が個人的に魅力的。
たぶん声優の心の問題だと思うけど、いろいろ開けてないと声も思うように出せず、まず心理的な影響で声の出し方も変わるんだろうなと思う。
その点、声優の宮野さん自身は、「顔がうるさい」と言われるほどいろいろ開けてるから為せる声を出しているように思う。
そういうわけで、こういう終わりだけど、終わり。
別居の祖母が死んた
が、私は結婚して家を出ている
年賀状シーズンだが、割りと私の友人たちは年賀状のやりとりがさかんで毎年お互い楽しみにしている
今年もそろそろ作成し始めたところなのだが、実家の母親から喪中ハガキ出した?と連絡が
そもそも喪中にするつもりないよ?いま年賀状の用意してる、と答えたら激怒された
親からしてみたら祖母は母親だからまぁ喪中にするのはわかるけど、別居の孫(ちなみに母も同居はしていない)までしなきゃならないのか
私は別に祖母が死んでもそこまで悲しくないし、そもそも言われるまで今年に死んだことすら忘れていた(4月だったので割と遠い)
なんで悲しくない人の死に喪中にしなきゃならないのやら
こういう事例を見ると、さすがにそれもさもありなん、と思ってしまう。
http://hondamaki.hateblo.jp/entry/2014/08/28/003106
1. 父親からDVを受けて育ったブログ主が、自分以上に酷い暴力を受けていた上の兄弟に対して、自分の結婚式に両親と共に出席してくれることを懇願。
2. 当然、兄弟からは当初きっぱり断られるも、「親への感謝を伝えたい、両親を喜ばせたい」と嗚咽する妹を見かねたのか、結局やむなく出席。ピアノ演奏までしてくれた。
3.ブログ主感謝。青空をバックに『やっぱり、結婚式をやってよかった。こんな家族だけど、私は大切に育てられて本当に幸せ』(※しかし、目下自分は夫のモラハラにより家庭内別居中)
以上に対して『自己満足のために兄弟をどれだけ傷つけ、苦しませてしまったのか分からないのか』『ただの自己陶酔だ』とか実にもっともな意見が出てきたものなら、「違うんです、私の書き方が悪かったんです反省しますごめんなさいすみません(r」とか言い訳を連ねておいて、一方では炎上だとか叩きだとか愚痴って類友と馴れ合うだけで(https://twitter.com/hon_da_maki)、肝心の問題の本質を顧みようとしないのだから、そりゃ、リアルでも同じような対応を取っていたら、周囲は正直腹立つし、まっとうな友人知人からは匙を投げられるし、モラハラ男にも付け入れられる、というものだ。
そもそも、公に、ましてネットという有象無象、不特定多数の目に触れうる場に己をさらけ出しておいて、「共感や同情だけ欲しい、反論や批判は一切見たくない、触れたくない」というのは不可能なのだ。前者がどうしても欲しければ、後者のリスクは当然受け入れなければならない。ときに誤解や齟齬が生じるのもやむを得ない。それを、「自分は傷つきたくないしリスクは取りたくない、でも他人には皆自分のことはありのまま受け入れて欲しい、ただ愛情と共感だけを自分に与えて欲しい、それをしてくれない人間はみな酷い敵だ!」なんていい歳の人間が臆面も無く主張していたら、それはまさにDV親やモラハラ夫と同類なのだ。
今の流れに近い話題だから投下。
半年ほど前、ADHDでミスが続いて人間関係が悪くなって心が弱って、軽度の欝病で仕事を辞めて療養してた。
しかし再就職後、また心の調子が悪くなって薬を再開。薬自体は、抗うつ薬ではなくて抗不安薬。薬はそこそこ利いてるけど、調子は悪い。仕事中に思考が飛ぶことがあるし、眠気があるし、気力でないし、ADHDの不注意も重なってミス連発。
人間関係的には一人の直属の上司が俺を嫌っているけど、それ以外はそこまで悪くない。「ま、仕事にまだ慣れてないからミス多いだけどよね」とか「厳しい上司に当たって精神的につらそうだね。本当につらくなったら言ってよ?」っていう感じで接してくれている。ただみんな俺を「のろい人」とは思っている人は多いみたい。
はっきりいって心の調子は悪くなる一方。体もどんどん動かなくなってきている。仕事中にうとうとすることもしばしば。
さあどうする?
ADHDはともかくうつ病のことはカミングアウトして配慮してもらうか? ただ結局どう配慮してもらうように頼めばいいのかわからないし、逆に職場での立ち位置が悪化する危険がある。「仕事できないのを心の問題にするな」とか「自分が仕事でミスして怒られて欝になるとか自分勝手すぎ」とか。まあそんな冷たいこと言う人はいないだろうけど、心では思うかもしれない。
それにうつを隠して転職したことにも触れないといけないかもしれない。
今試用期間は終わってるから簡単にはクビは切れないと思うけど・・・・
心が動かない。
最近というかここ何年かずいぶん頭がボーっとすることがあって、大丈夫かなと思うことが有ります。
もうこの年から脳の老化が始まってるのかな笑、もしかしたら数年後認知症になったりしちゃうんじゃないか?そんなわけないけど、異常ですよね。
そういえば最近、趣味と言えるものが全く無くて、何するにも有益性を考えて行動してしまってるかもしれません。
新聞よんだり本読んだり勉強したりで、ゲームをやるのは全くの無駄なこととして心理的にも嫌悪感がでてしまいます。
この何に対してもいつも嫌悪感を抱きストレスが溜まり思考が全然まわらないということなのかな。
並列的にパッと考えることができないのと連想的に考えられないのも悩みです。
やはり脳というより心の問題なのかもしれません。
うつ病になると思考がかなり鈍くなってしまうというのを聞いたことがありますし、心理的に負担がある時もそうです。
それが要因で仕事や様々な場面で失敗してしまいまた心理的負担が増すという悪循環になるとなかなかそこから抜け出せなくなりますよね。
私は大規模・小規模、それこそものすごい人数でのチームや、自分一人のプロジェクトまで経験してきた。化石のような連邦事務局でもクールなシリコンバレーの会社でも働いたことがある。私は12種類以上のプログラミング言語を学び使っていた。私の時代には ウォーターフォール/BDUF (big design up front), 構造化プログラミング, トップダウン, ボトムアップ, モジュラーデザイン, コンポーネント, アジャイル, スクラム, エクストリーム, TDD, OOP, ラピッドプロトタイピング, RAD, その他思い出せない様々な手法が生まれた。 でもそれらで上手くいってると思えるものは一つもなかった。
( 注:ここで書いてある「ソフトウェア開発手法が上手くかない」の意味について説明させてほしい。それらはソフトウェア開発のプロセスや、ソフトウェア開発そのものについて予測性や再現性を提供していないという意味だ。ほとんどのソフトウェア開発手法はプログラミングに工学風のプロセスを提供してくれる。しかし、上記の理由でそれだけでは不十分だ )
チーム生産性・幸福度・メンバーのつながり・1日あたりのコード量・人月・コードの品質・製造された成果物、、、そういったもの以外でソフトウェア開発手法が上手くいってるか、いってないかを図るものはあるのだろうか?
もちろんどんな手法論だって、それに合わせた正しい指標を使えば上手くいってるか・いってないかが計測できる。しかし一番肝心の問題 ーー予算と期限内で要求を満たす事ーー について定常的に結果を図れる開発手法を見たことがない。
上記は私の経験則だけど、僕の知ってる殆どのプログラマは同じような事を経験している。それらの話から言えるのは「ソフトウェア開発手法について厳密な研究は存在しない。なぜならソフトウェア開発上のすべての要素をコントロール事が出来ないからだ」
こんな思考実験をしてみよう、
2つのプログラマのチームがある。どちらも要求・期間・予算はしっかり確定していて、同じ開発環境・プログラミング言語・開発ツールを使うとする。一つのチームはウォーターフォール/BDUFをつかう。もう一つのチームはアジャイルテクニックを使う。
この思考実験にはもちろん意味がない。メンバー一人ひとりのスキルや性格、お互いにどんなコミュニケーションを取るか、そういったことの方が開発手法よりも大きな影響を与えるのは明らかだ。
アリスター・コッバーンが2003年に"People and methodologies in software development" (http://alistair.cockburn.us/People+and+methodologies+in+software+development) という記事でまとめている。
" 人と人の間で、更には刻々と経過する時間の中で変化するメンバーのキャラクターこそがチームの振る舞い、結果に影響する最初の要因だ。 "
私がプログラミングを始めた1970年当時、開発体制はプロジェクトマネージャー・ビジネスアナリスト・シニアプログラマと言った階層構造でガッチリと管理されていた。開発言語やツールを選ぶことは許されていなかった。私はいくつかの大きく複雑なプロジェクトに関わっていたが大体上記の様な働き方だった。成功したプロジェクトもあれば上手くいかないものもあった。
今は開発言語やツールに合わせて、開発手法・働き方をプログラマが選ぶのが当たり前になっている。アナリストやらがプログラマを監査することは殆どなくなった。プロジェクトマネージャーは"リーダー"・"スクラムマスター"という形で矮小化され、管理職の権限は無力化され「チームの意見をまとめる事」以外は何も出来なくなっている。
ガントチャート・スケジュール・ドキュメントを使った「厳格なマネジメント」は"ユーザー"や"ステークホルダー"の関与を省かせて、"ユーザーストーリー"を要約していた。今や私の周りではまともな大人が監督してるとは思えないプロジェクトばかりだ。プログラマのカウボーイスタイルのコーディングを放っておいてるのに、彼らは自分好きな手法を適用するか作るかさせて、1980年代以上に決め事・儀式だらけだ。
実際、今のプログラマは1970年代のCOBOLの現場以上に手法論について厳格で、盲信している。実際私が最近関わるプロジェクトは、大体の場合何も価値を生み出さないのに一人か二人のメンバーが開発したプロセスや"ベストプラクティス"を背負わされてるものばかりだ。
プログラミングチームが手法論を採用する(多くの場合チームの数名か、一人のいじめっ子が決めるのだが)と、やがて厳格に従うように要求を始め、やがてそれは宗教になる。そうなることではじまる無自覚な攻撃が、手法論やテクノロジーが生産性を高めるより早く、チームの生産性を下げてしまう。
私の経験から言わせると、アリスター・コッバーンの論文やフレデリック・ブロックスの「銀の弾丸はない」http://www.cs.nott.ac.uk/~cah/G51ISS/Documents/NoSilverBullet.html で述べられているように、プロジェクトを成功させるにはチームメンバーが共通のビジョンを共有する事(その本では「コンセプトの統合」と呼ばれている)が必要だ。特に何かの手法論を指しているのではなく、これと言ったプロセスがない場合でも同じだ。私はプロジェクト管理ツールの「完了」ボタンをクリックするだけのチームで働いことがあるが、何故か分からないがBDUFやアナリストの監査の元で働いていた昔よりも気分が悪いものだった。
私はプログラマは様式やツールにこだわるより、同僚の話にもっと耳を傾け、もっと一緒に働くことに注力したほうが良いとおもう。そしてプログラマは手法論やプロセスについてもっと疑って掛かった方が良いと思う。そうすればみんな魔法の様に生産性が上がる、間違いない。多分プログラマが社交的なスキルを高めるのは他の職業より大変な事だと思う。(私は必ずしもそうだと思っていないが。)でもそういったスキルを鍛える事は、手法論を試すより事よりはるかに元が取れる、間違いない。
これの翻訳です。
http://typicalprogrammer.com/why-dont-software-development-methodologies-work/
旦那は別に強い言葉で命令や強制、強要してるわけではなく、文面からは本人の希望を言ったに過ぎないことが読み取れる。
おそらく元増田が旦那としっかり話し合って自分の希望を伝えれば、さほど摩擦なく降ろすことも可能だと思う。
おそらく問題は、旦那が一瞬でもそういう志向を持っていることを知ってしまったため、元増田が自分の中の罪悪感を自覚せざるを得ない状況になってしまったことなんだと思う。
女性同士の付き合いなんかで多い(男性でも少数あるが)、正しい人がいると正しくない自分が悪い子みたいでむかつくってやつだ。
みんなでいない人の悪口言いまくってるのに一人だけ乗ってこない人とか。そいつがいなければ罪悪感なんてなかったのに。
「何あの子?いい子ぶって」「むかつくー」
でもそれは、お金には本質的には価値がないと言っているようなもの。
お金があることで、信用どうこうでなくお互いを信用できて通商できる。 物の価値は物を見る目が無いとダマされるけど、お金の価値は誤魔化しようが無いので、お金で取引すればよい。 となるから。
社会常識もこれと同じで。 時間を守ったりといったものを守ることで交渉できる。
② 社会性を叫ばれるとうざいのは何故?
社会人としての常識 などと言われると非常にいやな気分になる。 そんなもの本当には価値が無いというのは少し考えれば分かるから。
もちろん、心の問題では本質的には価値が無いけど、お互いが交渉するために必要だから身につけろ、というのは理解できる。
だけど、発言してる人が、『社会性がないヒトは軽蔑します』 のような感情や人間性を叩くような事を言うのが気に入らなくなる。
そんな根拠の無いものでヒトを判断するのはおかしいやん、と感じてしまうから。
逆に、それをやられてしまうと、 『あんた社会常識で俺を判断するけど、それをやってる時点で人間の心についてまともに考えたことが無いの丸出しやン。 なんでそんな人が人間性がどうこうっていうの? おかしいやろ』 となってしまう。
③ 本当の人間性
文学で、まあなんでもいいんだけど、主人公はたいてい社会性が無い。 ドストエフスキーでもチェーホフでもなんでもいいんだけど。
そういうのは社会性を余り問題にしていないというか、むしろ社会性でヒトを判断するのは危ないみたいな感じになっている。
国家に裏切られたヒトとかが、なんでだろう? と考えた末に、そういう考えになるんだろうと思う。
それをそのまま肯定してるのがたいていの文学のように思う。
と思うし、実際そうなってるようなので、だからこそ、『社会人としての常識が守れないのは人間性が無い、他人の事を考えられない自己中心だ 』 と言われると、 『あんたは心を学ぼうとしたのか? なぜ根拠も無いのに否定するの?』 となる。
もちろんです。
人を選別することが悪だから。
自分の利益の確保は自分自身にだけ影響を及ぼす範囲で実現しなければならない。
人と関係を持つ時点で、人は相手の利益をために生きなければならない。
でも相手もそれをやってくれるのでトータルでは(結果的に、意図せず)利益はもたらされる。
もし相手がこちらに利益を与えてくれなかったらどうなるか?
何も問題ない。なぜならこちらの要求は相手の利益になる行動をしたい要求だけであり、それ以外の自分の利益などは考えていないからだ。
では、相手を選別したい欲求が、自分の不利益からではなく、「好きでなくなってしまった」という心の問題から発生する場合はどうなるか?
それも巨悪です。心変わりは悪です。盗みたい気持ち、暴力を振るいたい衝動、人をおとしめる快感、それらと同等の悪です。
人間だから仕方ない、仕方ないの前に言葉が省略されている。人間だから「悪は」仕方がないということ。盗みや、暴力や、性暴力や、殺人や、どれもこれも仕方ない?みんなそれをしたがってる?
そうじゃない、人間はそうじゃない。大多数の人は悪じゃない。今ちょっとこの現代において、悪だと気づかずに悪を行なってる人が多すぎるだけだ。
童貞っておそらく心の問題なので、その点俺は完全に童貞と言っていいのではないかと自分では思っています。
女性と触れた経験をほとんど持たない童貞は、ちょっとしたことで女性に惚れてしまう。
なんでもない会話やメールのやり取りだけでも好意を抱いてしまう。
それだけなら良いことなのですが、拗らせた童貞だと、惚れると同時に相手も自分に対して好意を持っているような錯覚に陥ってしまう。
ちょっとした会話なら訓練された童貞であれば凌ぐことが出来るのだが、ボディタッチともなるとそうはいかない。
身体をベタベタ触られた日には、正常な判断能力が完全に麻痺する。
俺を童貞たらしめている積極性のなさと、童貞ゆえの自信の無さがそんな勘違いはよせと訴える一方で、
ぼぼぼぼボディタッたっっちなんて間違いなくぼくのこと好きだろぉおお!!と舞い上がってしまうDTハート。
実際のところどうなんでしょうか。
腕、背中、頭、ほっぺた。距離も近いです。
パーソナル・スペースで言うところの密接距離圏内です。
密接距離…ごく親しい人に許される空間
近接相(0~15cm)
抱きしめられる距離
遠方相(15~45cm)
頭や腰、脚が簡単に触れ合うことはないが、手で相手に触れるくらいの距離
インド人じゃあるまいし、やはりこれは彼女にとっても僕は特別ということになるのではないでしょうか。
横からで、どこにレスするか迷うけど、そこの認識なんじゃない、心理障壁とかつながれた象の概念を学んだほうがイイ。
大きな像が小さな鎖に繋がれて逃げない=逃げることをやりもしないのはなぜか?といえば、心理障壁があるわけで。
小さな頃に心理障壁を作っちゃうと大人になってから、簡単なことでもできない。
じつは、やってみる。ってのは、ものすごい大変な作業だって人もいるんだよ。
だから、子供の頃のボッチを放置するなって言ってるんだけどね。
なぜ やらないんだ!ってそりゃ心理学的にいって心理障壁があるからだろと。 わかりやすい言い方をすれば、大震災にあって、戦争に行って苦しんでる人に平気ですって言葉で言うようなもの。平気なわけ無いって。
あくまでも、わかりやすく言えばね。
そこはもう、何年もかかるんだよ。下手すりゃ治らない。