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はてなキーワード: 国立とは

2024-03-27

国立研究法人研究者じゃ無い人

普段何やってる人なんだろう。

雑用係?

anond:20240327151838

国立栄養研究所研究者の講演を聞いたことがあるけど、運動一所懸命行なってエネルギーを消費したとして、次の日は疲れてぐーたらして動かなくなったりするので、トータルで見るとエネルギー消費はトントンになってしまう……という研究結果があるのだとか。

増田文章を読んでそのことを思い出した。

増田が言っているのは運動量の変化の話ではなく、基礎代謝量にもホメオスタシスが働くって話だからちょっと違うんだけど、いずれにせよ人間ってのは行動量にせよ基礎代謝量にせよある程度はホメオスタシスが働くんだろうなと。

自分経験則ではあるが、その均衡を破壊できれば減量効果が出てくるんだと思う。

2024-03-26

同じマンション高校生のガキが住んでて、

よく1階の玄関で友だち呼んで喋ってる

友だち呼んで喋ってるときに私が玄関を通ったらなんかジロジロ見てくるし聞こえる声で馬鹿にしてくる

あれお前の姉ちゃん?そんなわけないwwとかうーん50点!!wwww(←これが一番ムカついた)とかなんかカバンデカい!!wwとか

そいつは近所で一番(というか都道府県内で一番)賢い私立高校に行ってて、そんな賢い子でも普段こんなんなんだーと思ってた 勿論嫌いだった

そいつは私の部屋の上の階に住んでるんだけど、

先々週ぐらいからなんか部屋の様子がおかしくて

夜遅くにお父さんらしき人が怒鳴る声とかガキが大声でなんか言ってる声とか聞こえてきて

邪推だけど、受験失敗したのかな〜と思ってた

父親と出かけるときにその子一家玄関で遭遇して、世間話が始まったので聞いてたら案の定受験失敗してた

予備校どこ行くかで迷ってるらしい

うちの父親親馬鹿から、すかさず娘の私の話をして自慢してた

うちの娘は〇〇駅の河合塾浪人して〇大行きましたよ!wwって 特に悪意はなくてただ自慢してるだけなんだけど

そしたらその子の親がすごい感心してて、え〜大したもんやぁ!ってめっちゃ盛り上がってて

あんた、〇〇さん〇大行ってたんやって!あんたも見習わな!ww」って

そのあと話聞いてたら、そのガキは地元国立関大京産落ちたらしい

有名な進学校京産落ちるとかあるんだ 親可哀想過ぎるだろ

一生こいつのこと馬鹿にできるじゃん

うーん、50点!!wwwwwwwwww

2024-03-21

anond:20240321175359

にっこまマーチ地方国立はい全入時代でガラが悪いし、勉学環境もあまり良いとは思わないのでお勧めできないな。神戸大のサークルニュースとか、ああいう娘息子に育てたいと思うならOKかも。文系ならまだやんごとなき方が通われている学習院とか上智とかの方がマシなのでは?

anond:20240321175128

女はにっこまマーチ地方国立辺りで適当な男捕まえて主婦やったり働いたりするのが幸せだよな

くっそ才能あるホテル女王とかゲーム女王みたいな人はしらん

anond:20240321122246

国立組織って、国鉄やら郵政省もそうだったけど、サービス提供するという意識希薄というか

戦前のオイコラ体質のままなのが凄いよな

だいたい、民営化独立行政法人化で変わっていったのに、大学教育委員会みたいな組織って謎の全能感持った無能多いし、

組織として古いままなんだろうね

2024-03-20

anond:20240320130719

俺も大学事務員だけど、対応したのが非正規なんじゃね?と思ったね

正規職員だとやらないかな普通

筑波大学でしょ?国立だし、非正規多いと思うよ

我が家安楽死渇望事情

 若い世代がどうして安楽死を求めるかといえば、それはもう自分死ぬめしかない。

 多くの人間が考えている。自殺はなかなか出来ない。だから事故とか災害とか、あるいは事件唐突に死なないか毎日のように望んでいる。そうすれば「自殺した馬鹿野郎」でなく「社会のために生きて死んだ立派な人」になれる。

 逆説、今の社会死ねるのはその苦しみを乗り越えた勇気正義感のある者しかいない。自分の弟はその一人だった。

 彼がどんな人間かと言えば、簡単に言うと頭のいい、賢い人間だった。地頭を生かして国立工学部を現役で卒業していた。ただ就職は上手くいかなかったようで、30手前にもなって小さい企業年収400だか500万(詳しくは忘れた)の平社員をしていた。結婚はおろか彼女も作らず、友人とゲームに興じていたらしい。遺品はゲームハードソフトの山だった。

 まぁ、今時の巷の言葉では弱者男性だとかジャップオスとか言われる手合い。即ち、現代日本においてもっとも蔑まれるべき命であった。だから死んだ。彼は賢かった。動機かに対しては色々な情報が断片的にしか得られなかったし、妹とも「世の中が悪い」みたいな形で合意したけど、その断片的な情報から自分は「世の中のニーズに応えた」が本質的なところだと思った。

 しかし、遺体と対面した瞬間に自分が(悲しいけどこれで少しは世の中が良くなったかな)と思った脇で、妹は泣くどころか呼吸困難に陥っていた。父親陰謀論みたいなのは一切信じない人間だったはずが、一時は「誰かが裏にいるに違いない」みたいな思考に陥っていた時期もあった。親から見ればあれでも死ぬ要素のない真人間に見えたようで。ともあれ、それが無くとも金銭的にも色々と飛んだ。とにかく家族が大ダメージを受けた。

 ひどくない?せっかく世間要望を受けて死んでくれたのに、世間的には「勝手に死んだだけ」みたいな扱いをされて、遺族だけが一方的ダメージ食らって終わっているの。いやまぁ、わかる。彼は有害人間の中でもまだ無害(?)な人間だったから。世間に対する害が顕在化する前に予防策をとったとも言える。だから、繰り返しになるが彼は賢かった。でもこれでは駄目だ。もっと彼より愚かな、救いようのない人間に死んで貰わないと世の中は良くならない。頼むから彼よりもダメな人たちは、早く後を追ってほしい。

 これは自分にも言い聞かせている言葉だ。本当であれば今すぐにでも死なねばならない。リーマン後の地獄就活の末に今の給料は彼よりも下かせいぜい同程度。若いときに色々あって女性恐怖症なので子孫も望めない。この世から去る理由無限にあるけど、残るべき理由など一切ない。実際のところ、彼より先に自分が実行すべきだったのだけど、順番が入れ替わったせいで出来なくなった。だから余計に問題悪化した。無理でしょ。これで自分も同じ事やったら、妹が呼吸困難どころかマジで命を落としかねない。

 だから安楽死制度必要なんだ。本当はそれで今頃は自分と弟が穏便にこの世を去っているのが理想だった。老人や障害者が追いやられる懸念はわかる。なら簡単な話で、50以下の健康な男とでも限定すればいい。とにかく、死にたい若者簡単死ねるようでなければ一向に世の中は良くならない。そもそも、みんな人の命に対して無責任すぎる。この社会からいなくなって欲しい。けど、社会の為に死んでもらった扱いにはしたくない。あくま自己責任。そんな生かさぬよう殺さぬよう、では駄目だ。みんなで責任を持って、しっかり死ぬシステムを構築しなければ。

 これから自分安楽死を求め続ける。自分のために、自分の死を願う世の中のために。うかうかしていると40、50と年を重ねて、どんどん死ねない環境になってしまう。安楽死賛同をし続ける一方で、自分自身でも早く死ぬ算段を完成させねば。おい聞いているか自分と同世代やそれより若い駄目人間共。みんなもちゃんと準備しとけよ。わかったか

朗報英国公式トランスへの思春期ブロッカーを中止

https://abcnews.go.com/Health/england-nhs-halts-puberty-blockers-transgender-youth/story?id=108077330

イングランド国民保健サービスは、トランスジェンダー未成年者における性別違和または性別不一致の治療のための思春期ブロッカー使用禁止した。

NHSは、英国国立医療技術評価機構National Institute for Health and Care Excellence)が行ったエビデンスレビュー検討した結果、このような決定を下した、と述べた。

思春期抑制ホルモン安全性や臨床的有効性を支持する十分な証拠がないため、現時点ではこの治療日常的に行うことはできないと結論づけました」と、NHSの広報担当者ABCニュース声明で述べた。

やっぱり根拠のないトンデモ医療だったんやね

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-14

anond:20240314202242

時代が違うだろ…。人と人の繋がりと熱意さえあれば何とかなってた昭和時代と違って、自社で優秀な技術を抱えていることと、それを技術的な観点から論理的説明できことが最低条件となった今ではコミュ力()武器文系は無価値だよ。今の国立理系位になれば普通に、求められる倫理観をともなったコミュ力も持ってるし、ウェーイでそのあたりで有耶無耶にして育ってきた文系利益に絡む仕事はできない。せいぜい、政治屋気取りしてればいい。

専門家が開発した素晴らしい技術を搭載された製品さえあれば良い。営業は誰でもできる仕事社内政治事務屋乙」とか言ってる国立理系院卒マンってすぐ腐るので使い道のなかったパイナップル商品化して生産者にとっても消費者にとってもwin-winにして設けた商社マンイランから石油直接買い付けた出光サラリーマンたちをどう思ってるだろうか。

2024-03-13

高校の友人と金感覚が合わなくなった

タイトルの通り。

現在33歳になって、いよいよ友人との関係が終わりを迎えつつある。

似たような内容の増田を数日前に見かけて、俺も少し書いてみたくなった。

元々高校同級生で、同じ部活の4人でかなり仲良くしていた友人たちがいた。

たぶん最初分岐点大学受験だったと思う。

仲のいい4人ではあったものの、成績は俺だけが学年でも下位30%程度で、残りの3人は上位10%に入るような成績だった。

結局俺は関関同立に進み、残り2人は京大に2人と国立医学部に1人が進学した。

仲のいい友人が良い大学合格したのは嬉しかった。

ただ、思えばその時点で軽いコンプレックスを抱くようになっていたと思う。

明らかに俺だけ大学レベルが違ったし、会う都度、彼らの大学生活の話に出てくる同級生や先輩の質みたいなものが、俺の周りとは違うような感覚があって、表現し難い疎外感のようなものがあったと思う。

もう一つ、他の3人と俺との間の隔たりとして、実家の太さの違いがあった。

俺以外の3人はかなり実家が太く、いわゆる高級住宅街に住んでおり、それこそ家の床が大理石だったり、よくわからんけど高そうなステンドグラスがあったりした。

初めて友人の家にお邪魔した時にケーキコーヒーが出てきて、心底驚いたのを今でも覚えている。友人を家に招く時は、ポテチ煎餅に、ファンタなんかを出すのが俺の中の常識だった。

俺はというと、地元でもあまり平均所得が高くない地域に住んでおり、2LDKで築年数もかなり経過したボロマンション住まいだった。家には呼べなかった。

そんなことを気にする様子もなく、3人とも本当にフラットに接してくれたが、その邪気の無さがかえって妙な居心地の悪さに繋がっていたような気がする。

卑屈なだけと言われればそうなんだろうが、それでもなんとなく恥ずかしいような情けないような気持ちは心のどこかにあったと思う。

大学入学して以来も定期的に会っていた。卒業後の進路として、俺は公務員を目指しており、大学4年の夏に試験合格し、無事公務員として就職した。

俺以外の3人だが、1人が司法試験受験勉強に励み、1人はそのまま院進し、1人は医学部のため卒業時期が違うといった形で、俺だけが少し早く社会人になった。

定期的に飲みに行ってはいたが、やはり俺以外の3人の方が学生時間が取りやすく、俺だけが参加できない会も増えていった。

参加しても、俺だけが仕事の話をしている中でみんなはまだ学生として話しているので、なんとなく噛み合わない感覚も抱いていたと思う。

それでも一緒に過ごした時間も長い大切な友人たちだったので、話を合わせながらみんなで学生レベルの安居酒屋でワイワイ楽しんでいた。と思う。

なんか当時は本当に楽しかったはずなのに、今思い返せばそうじゃなかったような気がしてきてしまうのが本当に悲しい。

俺と3人の差が顕著に現れ始めたのは、25歳になったあたりだと思う。

みんなそれぞれ社会人になり、それぞれ医師弁護士一流企業勤めと、同い年だというのに、俺が40代になってようやく辿り着けるかどうかというレベルの金を稼ぐようになっていた。

もちろんみんな良い友人ではあったので、年収の話になることは少なかったが、最近した買い物の話や住んでいる場所の話でなんとなく、経済的格差を感じることが増えたように思う。みんなで行く店も、俺にとってはけっこう背伸びしたお店へといつの間にか変わっていた。

思えば年収の話なんかは、明らかに俺だけ水準が違うことを気遣って、あえて避けてくれていたのかもしれないな。なんかそうやって、友人同士なのに、薄ら弱者として気遣いを受けている状況が本当に耐えられないと感じてしまった。

年に数回会うような関係がずっと続いていたが、最近になって、旅行に行かないか?という話題が出た。

普通に近場の温泉なんかに行くイメージでいたが、話を聞くとシンガポールに行くとかいう話になっていた(たまたま2人で話していたらしい)。

旅費なんかも密に調べてくれていた。言っても目玉が飛び出るような金額ではないものの、妻子もいる中で、正直シンガポールに行くだけの金銭的な余裕は全くない。

が、妻子持ちなのは俺以外の3人も同じだし、おそらくお金のことを気にしているのは俺だけなんだろうなと思う。

なんとなくだが、今回の旅行を断ってしまったら、いよいよ3人と俺との関係はもう終わってしまうような気がする。

もう明らかに属している社会階層が違うということは気づいているのに、それでも背伸びしてしがみつくべきなのか、正直言ってわからなくなっている。

ただただ一緒にいて楽しかったはずの4人なのに、どこで間違えたんだろうな。

まれ持った能力のせいか環境そもそも違ったのか、わからないけど、本当に胸が苦しい。

こう言ってはいるけれど、本当に楽しかったんだよな、一緒にいて。

2024-03-12

anond:20240312000052

たとえば魚の生態を極めたさかなクン寿司職人になったみたいな感じ

さかなクンは魚好き芸人ってだけで高卒なのに大学准教授(しかも変な私立じゃなくまともな国立)ってのが対応すると思う

限界ポスドクとしては歯がゆい

30になった

30になったら人生リセットするつもりだった。

そのため高卒独身貯金ゼロ引きこもりという3Kも真っ青の不良債権になってしまった。

区切りをつける決心も準備もないまま30を迎えた。

年代の話を聞いてみると、子育ての話や同居、昇進の話が飛び交っていた。50でリストラされ無職の父と、破産した弟に挟まれ細々と働いている私とは別世界だ。

無気力になったきっかけは大学の願書を破られたことだ。学費理由に進学は許されなかった。

ただし高卒で入れる会社は総じて低賃金で、12年働いた今も手取り20万未満だ。

大学奨学金の話を見ると、社会人をしながら受験しようとした過去を思い出す。

私は一年で諦めてしまった。残業があれば勉強する時間は取れず、一年働いて国立二年分の学費しか稼げない。奨学金は両親の記入する欄があり使えなかった。

社会人をしながらの受験は大変な労力が必要なので、進学したい子が不安なく勉強でき、のびのび研究できる環境を切に願いながら、今日リセットきっかけを求めている。

2024-03-08

地方大学方言で教えてるだろうからまあ田舎国立より首都圏私大よな

それも文化から変えないでいいよ

2024-03-04

anond:20240303132824

ワイとこもそうやわ。全員国立以上、ワイは京大。兄は大学教授。ワイも含め働き方が自由収入高めなのが多い。みんな善人やし、ADHDの分寛容やし、事務的なことの多いところに行ってやり直したりした人もおるけど、正月や盆の親戚集まった時の才気煥発アイデア乱発の面白さを見ると、「障害」というよりは恩恵やで。無能な凡人がADHD発狂してるのは、書類仕事してる連中に迷惑かけてるのもあるやろけど、才能に嫉妬してるんだろ。

anond:20240303132824

ワイとこもそうやわ。全員国立以上、ワイは京大。兄は大学教授。ワイも含め働き方が自由収入高めなのが多い。みんな善人やし、ADHDの分寛容やし、事務的なことの多いところに行ってやり直したりした人もおるけど、正月や盆の親戚集まった時の才気煥発アイデア乱発の面白さを見ると、「障害」というよりは恩恵やで。無能な凡人がADHD発狂してるのは、書類仕事してる連中に迷惑かけてるのもあるやろけど、才能に嫉妬してるんだろ。

2024-03-03

anond:20240303220645

まず私大医学部偏差値は頑張れば一般人が受かるレベルだけど費用が高すぎてみんな医者になれないってとこから覚えようね

国立医大設定にすべきだったね

2024-03-02

anond:20240302224448

高学歴男は女に比べ学歴へのこだわりが低いか対象女が多い

女はこだわりが高いか対象が絞られる。

ここに需給の非対称性ができて、高学歴女のリスクが高くなる。

例をあげると東大卒男はマーチから地方国立ivyまで相手にするが東大卒女は東大とかivyしか狙わないかリスクが高くなる。

婚活中のバツイチ40代後半おじさんの愚痴

職業 地方公務員

学歴 地方国立文系

身長 187cm

体重 77kg

年収 約600万円

元妻との間に2人の子あり

街コン最初利用した。

ちゃんペア成立するし良い人も多かったが、軽い感じの街コンだったからか若い人が多かった。

女性だと最年少20代中盤、最高齢で30代後半。

女性若いとやっぱり子供がほしいって人が殆どなんだよな。

俺の場合、定期的に会う子供への配慮からもう子供はほしくない。

それから結婚相談所を利用して同年代上下3歳差くらい)から相手を探している。

世間で言われるほど結婚相談所で会う女性は癖の強い人たちじゃない。

普通に優しいし雰囲気も良いし、上から目線女性や横柄な女性や態度がキツイ女性も今のところ出会たことがない。

ただ、俺と同じ歳でも子供希望女性がかなり多い。

というか今のところ紹介された女性がみんなそうだった。

出産歴があるならともかく、40代で初産はかなりキツイと思うのだが…

もう少し年取るまで婚活は中止しようかな。

2024-03-01

anond:20240229075737

結婚に対する社会的圧力の減少」と言う整理は間違っているよ。

その前提には「従来は結婚したくない人までもが社会的圧力結婚させられていた」ということを暗黙的に持ってきているけど、国立人口問題研究機構調査では、結婚を望む人の人数は大きな変化が無い。

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