はてなキーワード: 名言とは
あなたが辛いのはわかる。
私は彼氏に拒否られて1年半なので。
まだお互い20代で、今は向こうも浮気なし(私は徹底的に調べ済み'風俗なしですが。。
でもなんだか、自分のことばっかり考えてるという印象です。
二人の子ども出産里帰り中に、証拠も隠さず、が嫌なのは本当にわかる。
でもあなたの言い分を聞いてると、
と言いたくなります。
と思ってしまってる可能性ありませんか?
セックスも含め愛し合いたいのに、
デリヘルはショックだったって言いましょうよ。
ただ、デリヘルなんてありえない!
気持ち悪い!私の自信を傷つけたー!!
でも、好きだからこそ、嫌だったって伝えるのは、
大丈夫なんじゃないかな…?
とか言わないでくださいね。
何でもかんでも手に入るわけじゃないんですから…
常習の可能性も低いし、大丈夫なんじゃないかなー?
と思いますけど……
なぜランナーズハイが起きるのか、考えてみたことはあるかい?マラソン選手が「無心」に走るとき、いやマラソン選手じゃなくてもいいけど、人が走るとき、その人の脳内で何が起きているのか、それを考えてもみてくれ。
「無心」という言葉がある。また、「無為」という言葉がある。それらは何を意味する言葉なのか、ちょっと考えてみようか。
例えば、「美味しそうな桃があるなあ」と思って、桃をつかむ。これは「有心」なわけですよ。やろうと思う→動こうと思う→動く→反応がえられる。必ず、こういう順序になっているわけ。これはね、人生の最も普遍的な構造の1つなんだ。あらゆる所で、今言った順序のプロセスがついてまわる。
ところがだよ、「美味しそうな桃があるなあ」と思ってつかんだら、前の席の女の子のお尻だった。これはどう考えるべき?
「無心」に近いのだよ、これは。たしかに「やろうと思った」。桃をつかもうとした。でも、痴漢行為という違うことをやっちゃったわけ。つまり、桃に関しては「有心」かもしれないが、痴漢に関しては紛れもなく「無心」。やろうと思わないで、動こうと思わなかった動きをやった。そしてビンタされるという反応をもらった。簡単なことだろう。
これは、先ほどの矢印で表すなら、 動く→反応 というシンプルな構造をしておる。これが無心の構造だ。
有心と無心の構造の違い、それが何をもたらすのか?ここが重要なところであるぞ。有心だと、「やろうと思う」「動こうと思う」という意志が行動に先行していた。すると何が起きるかというと、動きがよく意識される。当たり前だ罠。やろうと思って動こうと思って動いたんだから、その動きはよく自覚される。当然である。
ところがどっこい、無心の場合は動きが「特別視」されない。ここがポイントね。特別視されないから、動きと反応が渾然一体となって、心に「どぴゅっ」と入ってくる。射精音を「どぴゅっ」と最初に表現した人は天才だと思う。話がそれた。渾然一体となって行動とその反応が入ってくるから区別がつかない。これが「主客未分」とか「無我」なわけです。
おそろしく単純だけどそれを厳密にやるのは難しい。だから「無我」はむずかしい。からまりの糸をほぐさないと外れない、でも外れたフリは簡単にできる、そんな知恵の輪がそこにある。
以上から、「無為」のヒントが分かったろう。「やろうと思う」「動こうと思う」といった「意志の想念」を無くせばよい。もちろん難しい、難しいけど無くせればもうそこには「無為」がある。
ランナーズハイのえもいえぬ快楽はまさにこの「どぴゅっ」であろう。ランナーは走り去る景色を見ながら走る。過ぎ去る路面を見ながら走る。やがて走ろうという意志が消えて走行が自動化すると、何ということでしょう、過ぎ去る景色が「どぴゅっ」「どぴゅっ」と飛び込んでくる。エンドレス射精が気持ち良くないなんて人はこの世にいるだろうか?いや居ない。射精だに気持ち良いのに、いわんや連続射精においてをや。世間では「ちんぽには勝てなかったよ」という名言があるそうだが、それは自身のちんぽとて例外ではないということだ。話がそれた。
私はジョギング以外にスキーもやるのだが、スキーにも似た感覚がある。過ぎ去る景色がやがて「どばばばば」という射精感で飛び込んで全身の喜びとして一体化される。バイクはやらないんだがバイクなんかもそうなのだろうか?
その気持ちよさを味わってみると、ああ人間ってのはなんて自分の動きにやたらと注意を払う生き物なのかと叫ばずにいられない。そのようにhumanbeingを特徴づけても差し支えないくらいに、自分の動きを意識しすぎている。それは挙動不審とか自意識過剰とよばれる。自然界から有心な生き物だけ集めると、すまないがホモサピエンス以外は帰ってくれないかってことになる。
要するに、「○○しよう」って意志が人間を人間たらしめ我らが誇る文明を築き上げてきたのであると同時にだな、人間を大きく縛り付ける枷(かせ)ともなっている、と言いたいのだ。
その枷から逃れる術は実はあるのだがここでは詳しく立ち入らない。簡単に触れると、動きの意志からの離脱が動きを無為へと解放したように、「意志の意志」というか「意志へのこだわり」を捨てればよい。さすれば、己が意志すらも「どぴゅっ」と飛び込んでくる。イメージとしては川の上流が滞りなければ、中流も下流もさらさら流れやすいだろ?そういうこと。感覚としては小学生でも分かる簡単なことだ。また、部分的実行もさほど難しくない。だが完璧な実行は、言うは易く行うは難し、である。
だから、意志は最小化(minimize)したい。そう思うのも当然だね?それをシンプルに「没頭したい」「熱中したい」と言い換えることも可能だ。人々は意志の中身を問題にするが、意志の量はあまり問題にされない。意志の量を問題視しよう。
アメリカの政治家ナサニエル・シモンズはいみじくも「習慣は最高の召使か、最悪の主人のいずれかである。」と言い放った。
しかし、こと意志の最小化に関しては、習慣化は善である。すなわち、習慣化すれば意志は減る。換言すると、動きを自動化すれば、動きに関して気にすること(daily hassles)が減る。当然だよね(キュウべえ口調)。
習慣化なんてやだよーと枕に顔をうずめて手足じたばたさせているそこの貴方に朗報。習慣化しなくても意志は減らせます。キーワードは「リズム」。リズムに乗れば確実に無駄な意志は減ります。ジョギングってリズム運動じゃないすか~?だから効くんすよ~。
リズムというと「リズムに乗る」という言い方をするだろう。「リズムに身を任せる」ともいう。意識せずとも身体が動く。無為。これはもう完全に、意志で「動こうとする」のとは正反対のことですわい。
ジョギングでも音楽演奏でもなんでもいいんだけど、リズム運動するとき最初はリズムに「乗ろうとする」。けど、やがて「リズムに乗る」。すると、意識の上でも逆転現象が起きる。こういう順番なわけ。
逆転現象ってのは、世界と自分を対立させて自意識過剰にキョドってうまく動こううまく動こうとするモードから、世界に乗って世界のあやつり人形となったお任せモードへと変わる。あやつり人形なんておそろしい言葉・・・。しかし、これはあくまで行動の細部が自動化されることを感覚的に表現しただけで、実際に大筋を決めるのはモニタの前に座ってるそこの貴方だ。びしっ。
是非ともこの逆転ということを幾度となく経験してどんなものか掴んでほしい。「無為ってなあに?無為ってなあに?」と彷徨っていると夜のとばりが突然降りたかのようにガラッと変わるから。
自分の動き、自分の身体が景色の一部に取り込まれて、景色全体が一挙にドドドドドドと押し寄せてくる、飛び込んでくる感覚。
そして、そのとき漏れなく付いてくるのが「どぴゅっ」である。それも連続。つまり、「ドドドドドトド、どぴゅどぴゅどぴゅどぴゅ」なのである。
やべえよあのブログ。20代半ばの痛々しさが端的に表現されている。
30代に入ると「あーあったよねえ」って思う系の書き方。そしてものすごく恥ずかしい。
・社会人として少し余裕がでてくる年齢だからか、いろんな人にボクチンの経験と自分の意見が言いたい!という気合が感じられる。
・経営者になったことが嬉しくて嬉しくてしょうがないので、経営者、起業家、企業家という言葉が多い(でも例えば父親の立場では書けない)
・家族等の”誰かのため”ではなく”自分のため”に仕事をしている感があふれているので、やっぱり結論が小さいんだよなー。
・意見は原則論的で筋は通っているように見えるんだけど、実は筋しか通ってない。
・後半になってくるに従って興奮してくるのか、文章の勢いがどんどん気持ち悪くなる。(多分勃起してる)
って下の記事を読んで思った。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131218/1387384044
そんな彼のたまらん名言。これはいいブツでさあ。痛々しさマニア垂涎の品です。
・だってそれって目の前のサラリーしか見えてないってことじゃないですか?
・本来仕事って、例えばよくわからんデータ入力作業とかだったらマクロ組んで早く終わらせましたんでもう帰ります、とか、そういう仕組みをつくった人間の方が高い給料もらうべきであって
・気がつけるニーズとか手に入るネットワークって結構あると思うんです。
の後の一連の文章のグルーブ感。本の作者が言ってるつもりで書き始めたのに興奮が抑えられなくて途中から自分の意見とカウパーが出まくっているところがポイント。
・ぼくは、新卒では会社にはいってとっても「いい経験」をさせてもらって、とっとと会社を辞めてしまって会社をつくってしまいました。
うふふふふ。
読みなおす度に味が出てくるーーーー!
いいなあこの26歳いいなあ。
単なるお笑い好きの素人さんなので、単純に面白かった、面白くなかった、
異論は認める。そんなもん人それぞれだ。評価辛めで。
俺いつも思うんだけど、こういう類のショーレースってちょっとだけ、何か?
を感じずにはいられないんだよね。いつも。優勝にふさわしいか?どうかなんて
とやかく言わないけど、視聴者が面白かった!っていうのと審査員の評価ってやっぱり別なのよね。と思った。
正直なぜ?決勝に残ったのか?というのが良くわからないんだけど、
ワイルドカードの流れ星の方が面白かったし・・・別に二人とも嫌いでは
ないけれどそれぞれピンでやっていて、コンビになったらこんなにも生きない
というのもなかなかだな。と見てて思った。
HGが先に売れて好感度的には高そうだけど、正直ツッコミ下手だと思う。
他の先輩芸人の方がよっぽどRG上手く使う。後脱ぎネタってのも引っかかった。
普段脱いでる人が脱いでも面白くない。
もっと笑ったと思う。
きっともっとやりようがあったと思うんだよな。
そのあたりの練度が足りなかったと思う。
良かった。正直予選突破はここかと思っていた。
去年のダジャレネタをちゃんとねって進化していたし、欲を言えば、
ツッコミの暴走をどう止めるか?というところが一番の大きな「オチ」だと
思うのだけどそこが弱かったと思う。
いやハマる時もあるんだけど今年は全然ハマらなかった。
審査員としてはやっぱりこういう「新しい系」とか個性がある感じの漫才
って受けるのかな。。。と思った。
でもそんなに会場も湧いてなかったように自分は感じたし、
そう考えるねぇ、なんかやっぱり千鳥に対する評価が高すぎる気がして
ならない。
中くらいの笑いがずっと続いてそのまま。そんな感じ。
そこは面白かった。
緊張とかそんなのもあるんだろうな。リズムの悪さを感じた。
4分だから難しいんだけど、もう少しだけ最初もっと「ゆっくり」を
緊張とかもあるんだろうなぁ。。
好きです。俺はオーソドックスが好きなんだなと、再確認。好みです。
特に「マイク」生なので仕方がないけどちょっと「聞きにくかった」
後緊張もあると思うんだけど滑舌がいつもより悪くなっていたように思う。
という基本さえ押さえれば、、、もっと面白かったんだけどなぁ。。。
ノンスタはそういうの上手いと思う。常にマイクを意識している。
遠くでしゃべる時は意図的にしているのも感じる。
銀シャリは好きなのでまた頑張ってほしい。
正直バイトリーダーのイメージしかなかったから、ネタ自体が新鮮だったのと
客の盛り上げ方知ってたよね。くらいかな?拍手とかさ、別に面白くて叩いた
わけじゃないと思うよ。盛り上がりで拍手ってあるでしょ?それも入ってたと思う。
良いとは思うんだけど、どっちかというと1人漫談に近い。もちろん内容は相方が
いないと成立しない内容だけど、もう少し掛け合いを生かしてもよかったのではなかろうか?
とも思います。予選的にはこのグループなら突破ですが、AとかCなら危うい感じ
だったと思うよ。1本目としては。下手したら銀シャリに負けてる。
正直全然ハマりませんでした。面白い時ものすごい面白いんですけどね。
それだけ。
漫才という中での「技術」とか「リズム」で言ったら、ここが一番じゃないか?
ただ、世間や先輩がそろそろ井上のフォローに回り始めているので嫌われてるネタは
そろそろやめて、違うことして欲しいね。
でも基本面白いし、見ていてテンポがいいからやっぱり引き込まれる。
M-1とってるし、やっぱりすごいよね。と思った。
俺、これ好きなんですよ。なんかわかんないけど。
天竺鼠とは反対で、ハマった。
今度はもっとボケがすごいはっちゃけて、二郎さんが冷静に突っ込むいつもの
パターンが見たい。本人たち飽きてるかもだけど、意外と認知されてない
と思うんだよね。このパターン。まだいけると思うから是非やってほしい。
俺が好きなだけかもだけど。
ノンスタがいたのが不運だけど、組合せによっては予選突破もありえたかと。
でもなんだろうね、すごい「練習」が見えるんだよね。
特にツッコミの人。ツッコミ上手かったらなぁ・・・って思った。
ハマカーンもそうなんだけどね、神田が正直ツッコミ上手くない。
で、いつもの下衆の極みで受けないから、女子っぽさから、神田がツッコミを「捨てて」
浜ちゃんが結局全部ある程度を請負ながらの漫才が完成して、これがハマったように、
新しいスタイル考えたらもっといいかもね。それかツッコミもっと上手くなれ。
自分はツッコミが好きなタイプです。だからそっちサイドをよく見てしまうのだけど、
生かすも殺すも、ネタが跳ねるかしぼむか?笑いの種をまくのはボケだし、その後やっぱり
ごっそり笑いを収穫するのがツッコミだと思ってるので、種をたくさん撒ける人はそれだけ
笑いの総量を多く作れる、でも結局その後バーンと刈り取れるか?ってツッコミ次第だと思う。
銀シャリはウナギさんがあんまり種をまけないけど、刈取りがものすごいうまいから、面白い。
ノンスタは種をまくのがものすごくうまいから総量が多いし、刈取るタイミングが良いから、
テンポが良い。そんな感じに思っている。
え?優勝者の話?んー・・・なんだろうね。決勝ネタはまぁ、面白かったかな。
でも、正直これで優勝?という感じ。
相方を嵌めていくパターンのネタだというのはわかるんだけど・・・
もう少し相方のセリフがあっても良いのかなと、言い争いとかその辺。
決勝ではちょっとあったよね。それが変化になって1本目との差ができてよかったのかな。
他二組はそこで差があまり大きくなかった。ネタ自体は面白いんだけどね。
こういうショーレースだと、やっぱりそういう差が効いてきたりするのかなぁと思った今年のTHE MANZAIです。
以上、すべての芸人さんに愛をこめて。
いつも笑いをありがとう。
世の中には「程度問題」という単純なことが分からない人が沢山いる。オールオアナシング、白黒でなんでも考えてしまう人。程度によって話が違ってくるのが分からない人。
認知を簡略化することでストレスを軽減しているのだろう。言うなればストレス社会の家畜。おのれストレス社会めと貴方がたは武器を手に立ち上がるべきだ。
一方で「恥の暴力」という特徴的な現象も日本にはある。日本は「恥の文化」と言われるが、それは恥が大きなパワーを持つ国ということでもあるんだよ。
つまり、相手が恥ってことにしてしまえば勝てる。これが恥の暴力であり、村八分やGoogle八分の原理である。
で、実は「程度問題」と「恥の暴力」って相性がいいんだよ。「程度問題」って要するに解釈のねじ曲げじゃん?
「カネないから毎日カップラーメン食ってるわ」と聞いて「カップラーメン買えるとか金あるだろ」と突っ込むようなマヌケは居ない。
でも「疲れたからゲームしてた」と聞いて「疲れてるなら寝ろ」「ゲーム何時間もやるとか疲れてないってことじゃん」くらいのねじ曲げであれば、世間でいくらでも散見される。
程度のねじ曲げって便利で、テンプレに当てはめることさえできれば簡単に相手を陥れることができる。良い子は真似してはいけない。
我々のライトな日常感覚からしてもねじ曲げの問題が多発するのだから、もっとデリケートなことになるとそりゃもう大変で、
イジメとかセクハラとか夫婦喧嘩とかもっと哲学的なことでもいい。簡単に程度のねじ曲げが発生してしまう。
もはや程度の数値化で解決できる話ではない。なるほど一見あやふやなことでも数値化できるケースは多いが、じゃあ数値化のプロセス自体に客観性はあるのか?そこなんだよ。
中途半端にしか勉強しなかった理系とか一切文系を受け入れないようなガチガチの理系に多いけど、
数値化した時点でそこから先は完全に客観的な話になった、もう主観的なことは考えなくてよいと錯覚しやすい。
しかしその場合「何が」客観的になったかが問題なのだ。なるほど数字は客観的だ。数値化すれば客観的になる。
でもその数字は何を表しているのか。何が客観的になったのか。そういうことを考えないから、すぐ程度問題のワナにブチあたり、争いの余地が生まれるんだよ。
貴方がたも心あたりあると思う。理系の学会なんかでも、くだらないねじ曲げあいの応酬が見られたりするね?
これが文系だともっと簡単で、相手の主張に表面的であれ反していそうな文献を掲げて、読んだことはあるのか問い詰める。
読んだことがない=恥であるから、日本の文系は延々とそういう喧嘩をやっているのだね。
争いは同レベルでしか起きないという名言があるけど、本当にその通り。似たものどうしでしか争わない。
本当に異質なものどうしでは、自然と離れてしまう。いじめのように一方が暴力をふるっているならともかく、
双方が更格廬のようにボクシングしているのは、これはもう完全にお互い同類としか言いようがない。
向上心ということが世の中では重んじられるけど、それは支配の道具として用いられているだけであって、
実際に本当に文字通り向上心のある人は少ないものだ。上を見ているなら横の対立は気にならないはず。斜め下からの攻撃も、隣人の目も気にならない。
自己啓発では目標設定が強調されるけど、これもくだらない支配者の論理であって、本当に脇目もふらずに目標を目指している人はごくごく僅かだ。
で、日本人のいう「恥」というのも斜め上にいるみんなから足蹴にされているという妄想だけれども、これも真上が見えているなら気にならない。
でも真上って何?そこが問題なわけ。上には雲がたちこめてて真上にあるはずの星が見えない。そういう世の中だから。
だから意識して真上を見ようとする。そうすればたまに真上から光から差してくるのに気付く。
そうでもしないと恥の暴力に巻き込まれる。暴力する側かされる側になる。それくらい恥の暴力は強い。なぜなら程度問題と密接だから。
程度問題というのは言葉の曖昧性の問題とも言えて、さらに言い換えると先ほどの上空に立ち籠めている雲でもあるのだ。
例えば、人に嫌な態度をとられて止めさせたいときについつい余計な嫌味を言ってしまう。相手を恥の暴力に陥れてしまう。
仕事には必ず一番いいやり方が存在するのと同じで、こういう時ももっとも良い言い方(星)があるのに、その星に気付かない。
嫌な態度という「言語=雲」にとらわれて、その曖昧さを都合良くねじ曲げてしまうから、正解である星が見えない。
本当はスッと上空全体を見ることができれば、見ようとすれば、ふいに正解が見えるものなのに。それをしないから、恥の暴力が生まれてしまう。
齢32歳。今まで付き合った人数0人。
正直もう恋人が出来るなんて全くできるなんて想像もしていなかった私に
今日ついにお付き合いする人ができた。どういうことだ。
2,3年前のほぼ日手帳の下のほうに書いてあるその日の名言的なコラムに
「人生ってエロ小説みたいな事が2,3回起こるじゃないですか」って書いてあってケッて思ったけど
今まさにそれが現実化した。この味わったことのない不思議な高揚感は何だ。ヤバい。
こちらからなんとなく気になって声を掛けてちょこちょこご飯食べに言ったり
悩みの相談にのったりして、何気ない会話で相手の笑った顔を見たりしているうちに
もう相手の事が気になって気になってしょうがなくなった。
まさか30過ぎてこんな甘酸っぱい気分いっぱいになるなんて。うわうわ。
これをあまり人に言いふらすのもかっこ悪いんだけど、どうしてもどっかにメモを残したくなって
ここに書いてみた。恋人がいないなんて嘆いている人もいつかチャンスは来るかもしれないので
希望を捨てずに頑張って欲しい。
まず最初に断わっておくと自分は、どうでしょうの大ファンです。
多くの人の目に触れるように、タイトルは少し大げさに付けました。
タイトルを観ただけで気分を悪くした人がいれば、本当に申し訳ないです。
また、地方によって放送開始日にバラつきがありますが、最新作のネタバレが文中に
入っていることも予めお断りしておきます。(私は現在第7夜まで視聴済)
× × ×
現在、最新作の『アフリカ』が全国で順次放映中ですが、観ていても
「この4人が揃って旅をしているのが見られるだけで充分嬉しいんだけど、やっぱりなんか違うんだよなあ」
と、私は思ってしまうわけです。この違和感は、前作『原付日本列島制覇』から続いているものです。
その違和感の正体を自分なりに考え、予測を交えいくつかの項目にまとめてみました。
× × ×
①【企画を引き延ばし過ぎている】
最も大きな原因はコレかな?
前回の『原付日本列島制覇』から顕著になっている傾向ですが、番組の人気(加えて大泉洋の人気)が
飛躍的に高まったおかげでしょうか、一つの企画の放送回数が大幅に増え、ファンとしては長い時間
どうでしょう班の活躍が見られることは嬉しい一方で、結果的には一回一回の放送の中身が
レギュラー放映終了後の企画を順に追っていくと
2005『西表』全8回
2007『ヨーロッパ完全制覇』全9回
2013『アフリカ』全14回予定
となります。
レギュラー放映時に長丁場とされていた『対決列島』が全10回。
レギュラー最後の企画『原付ラストラン』が全8回(放映回数は全7回だが最終回が1時間枠)
と考えると、前作と新作が、いわゆる「取れ高」を引き延ばして作っている企画であることが伺えます。
逆に考えれば、例えば今回の企画の回数が半分の全7回であれば、これまで放送したシーンの内の
半分はカットされ、もっと笑いが凝縮された作りになっているはずなのです。
大泉さんのエッセイネタの繰り返しも、冗長なサバンナの動物のカットも、半分ぐらいの時間でちょうど良いのでは?
②【出演者が無茶をしなくなった】
二つ目の原因はこれでしょう。
テレビの業界事情に私は全く詳しくありませんが、全国区の俳優となり、過密スケジュールの大泉さんが
万が一どうでしょうのロケで怪我をし、仕事を休業せざるを得なくなった場合。あるいはそれ以上の
大怪我を負った場合に関係者に与える影響がとてつもなく大きい、と言うことは想像に難くありません。
そんな中での今回の『アフリカ』です。
最初、旅の行先がアフリカだと知った時、多くのどうでしょうファンは色めきたったことでしょう。
「ついにどうでしょう班が長年、未開の地として挙げていたアフリカに!」
「これはブンブンやベトナムを越える危険が降りかかるかもしれない!」
私も思いました。
しかし、実際今のところの放送内容を見ている限り、番組史上最高レベルと言っても良いほど
サバンナの動物たちを、安全な車の中から見渡すだけの旅。食うものにも何一つ困らない旅。
次々と映し出されるサバンナの動物たちは確かに生で見れば見応えがあるのかもしれません。
どうでしょう班が興奮する姿には実感が籠っていることは理解出来ます。
しかし、その映像って視聴者が本当に水曜どうでしょうに求めている大事な要素なのでしょうか?
キー局でお笑いタレントや人気俳優が出演する、ありきたりな○○アフリカ紀行と何が違うのでしょうか?
『ジャングルリベンジ』で剝き出しの軽トラの荷台に乗って野生のヒョウを観に行ったこと。
『ユーコン』で、いつクマに襲われてもおかしくない状況でテントに毎晩寝泊りしていたこと
『ラストラン』で異常な数のカブ渋滞を潜り抜け、事故車が横たわる悪路を走っていること。
それらを知った上で最新作を観ているのです。
パワーダウンした感は否めません。
また、これは身体的な危険に限った話ではありません。
なども含む、「出演者が嫌がっているのに企画に抗えないシーン」の欠如が前作・最新作には著しいのです。
もしも、人が苦しんでいる姿を見て笑うなんて、と言う否定をする人がいるならば、それは過去の
どうでしょうの企画の大半、この番組の根幹の部分を否定することになるでしょう。
③【旅の目的が無い】
例えば、過去の海外企画でも『中南米コスタリカ』は、身体への危険が起こる可能性はほとんど無い
企画でしたが、そこには「幻の鳥、ケツァールを写真に収める」と言う実際に高難度の目的があり、
そのゲーム性のおかげで、視聴者は最後まで緊張感を持って楽しむことが出来たのではないでしょうか?
(とは言え、この企画の一番の楽しさは制作陣が予期していなかったであろうバズーカの功績が
大きかったことは言うまでもありませんが)
では、今回の旅の目的は何でしょうか?
それともどうでしょう班が初めてアフリカに行く、と言う事ですでに目的は達成されるているのでしょうか?
アフリカと言うセンセーショナルなイメージを与える場をロケ地に選んでおいて
冒頭で藤村Dが言っていた
「アフリカに着いてからの流れはムゼーにすべて任せている」と言う趣旨の言葉は恐らく真実でしょう。
そのノープラン至上主義のスタンスはどうでしょうらしいのですが、いかんせん企画の骨子の部分すら無く
それを14週持たせるのは、いくらなんでも無謀すぎたんじゃないかなあと感じてしまいます。
④【その他】
偶然的要素が強い部分ですが。
思いつくままに箇条書きで
→西表のロビンソン、ベトナムのニャンさん、アラスカのジム、ユーコンのピート。
・アクシデントが起こらない
ただこればっかりは狙って出来るものでは無いのでしょうがないですね。
・名言が出ない
→不作かなと個人的には思っている前作でも「文久三年!」などは印象に残っているのですが
最新作では、今のところ名調子が無いなあ。死の危険が迫っているとかじゃなくっても
暑いとか寒いとか眠いとか腹が減ったとか、そう言う時に大体名言が出るんですけどねえ。
× × ×
などなど、次から次へと文句ばかり書きましたが、それでもやっぱり私はどうでしょうが好きですし
一生どうでしょうするつもりです。
冒頭にも書きましたが、出演者の高齢化も進み、いつまで全員の元気な姿が見られるかも分からない中で
あの四人が揃って旅をしているだけで嬉しくて仕方が無いのです。だからこそ、昔の放送の方が良かったなんて
懐古主義には陥りたくないとも思うのです。
であれば、企画の方向性の見直しは必要なんじゃないかなあとは。
・長期の放送スケジュールに耐える企画の創出。あるいは、スケジュールの短縮。
これらを踏まえた上で、カントリーサインとかサイコロの海外版とかって駄目でしょうかね?
それか試験に出るどうでしょうの世界史版とか(安田さんのスケジュール抑えるのも大変だ)
あまりに熱狂的なファンの前では、どうでしょうって否定しずらい雰囲気があるし、頭ごなしに否定する
一部の自称お笑い好きにも辟易しているのだけど、同じように感じてくれる人がいたら嬉しいです。
「今ちょうどテレビで新しいのやってるから観て!」って、どうでしょうを知らない周りの友人に
自信を持って勧めたいんですよ。
「昨日見た!?」って周りのどうでしょう好きと言い合いたいんですよ。
ほんとそれだけです。
まかり間違って、制作陣の目にこの駄文が触れることで、何かを考えてもらえるキッカケになれば
最高なんですけどね。そりゃ無いか。
まず、さやかの壊れ方。
まず、杏子。
どう見ても家出娘です。
まずこれが直球で卑猥。
さらに、何度もループしてやり直しているほむらは、やりすぎて不感症になった女。
学年の違うマミさんは援交グループをとりまとめているゴッドマザー。
次に、まどか。
魔法少女の最期は、死ぬか売春婦 = 魔女。これはどちらも明らかに理想的で清純なロリータの象徴であるまどかの対照として描かれていますし、さらには、そのまどかの口を通して売春婦になる前に死になさいって言ってるようにしか解釈できません。
ほむらは時間を止められるんです。V&RプロダクツのAVです!
なんたる卑猥さでしょう!
こんな悪趣味で卑猥なまどか☆マギカという作品が日本で感動の渦を巻き起こしてるなんて不思議でなりません。
http://anond.hatelabo.jp/20131116000330
キュウべえ→インキュベーター→子宮もあったら、卑猥!に直結しやすかったし、キャラ的に入れたかった。あと、「ピーチにクッパ。ピーチをパックパク」は名言すぎて、当てはめようがなかった。
そうだ。
だから、ショートカットキーを全然使えずにマウスカーソルが泳ぎまくって作業がめっちゃ遅くて実際仕事も全然できなくてかといってショートカットキーを覚える気もなくよく使うフォルダorショートカットをデスクトップに置くことすら言われないとせず普段からコピペのCtrl+C,V程度すらまともに使ってないとすら思われてしまうようなぎこちなさで左手小指をCtrlキーに置くレベルで効率化のこの字も脳内辞書になさそうなクソ上司を、責めちゃいけないんだ。
いやちげーよ。
挙句の果てに自分の要領の悪さで部下にさんざん迷惑かけといてその部下がそのせいで時間取られて自分の仕事を残業してやってるときに「俺は仕事できるから定時で帰る(残業するのは仕事ができないやつだけ)」とのたまうクソ上司。
① 人気実況者 は つまらなくない だけ
② おもしろい実況 と 人気実況者かどうかはあまり関係が無い
③ マイナーなゲームをしている おもしろい実況者 が一番おいしい
④ マイナーだけどおもしろいゲーム をしている おもしろく無い実況者 は応援したくなる。
の4つを語りたい
これネガティブな評価かもしれないが、多分真実だと思う。 なんらかの人気実況の「おもしろくない点」を実際に書こうとしても、余りでないことが多い。 じゃあおもしろい点があるかというと、、、、まあ、1動画2,3個だろうか。 名言っぽいのがおもしろいとか、山場があるとか。
おもしろさを作るのは難しいんだけど、 「失点を少なくする」ことは時間を注げばできうる。
実況者自体のおもしろさが70点 でも、失点しなければ 基準点の60点を超えることは可能。 的な。
失点を少なくするにはどうするのか? 編集+後付け実況+数字が取れる人気ゲーム+ブログやツイッター、コミュでのまめな更新+動画を数日に1回ペースでアップ。 とにかく、加点でなく、失点を減らす。
上位50位くらいに入る実況者は、どれもこれも、人気ゲームしかやらない。 フリーのマイナーゲームをやり続ける的なのはマイナー実況者が多い。
どうやれば人気が上がるだろうか?
「撮りだめ&接合のいいように後付け&編集」
とりあえずこのあたりは必要だろう。
「人気実況 かつ おもしろい」 80%
「人気実況 かつ おもしろくない」 5%
「人気実況でない かつ おもしろい」 80%
「人気実況でない かつ おもしろくない」 20%
くらいの感じだと思う。
まあ、確かに、人気実況なのに、おもしろくない ってのはあまりない。
かといって、 人気実況でないと おもしろくないか? と言われるとそんなことは無い。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22187270
人気実況とは言えない再生数だが、確実に 上位実況者並のおもしろさがある。
いやホントこれ。
たとえば、 GB原人 これおもしろいんですが、隠れた名作ですね。
たとえば、 歌恋 これもおもしろいけど、余り知られていない。
こういうマイナーゲームって、自分でやる機会って余り無いんですよ。 ダウンロードしてやろうっていうのも余り無い。
皆がやってるおもしろいゲームはフロンティアが無い けど、 皆がやってないおもしろいゲームは、 「おもしろい所を探す」という楽しみがある。 この楽しみがあるからこそ、実況がおもしろいんですね。
ピクミンとか、もう何人も何回も見てるから、実況者それ自体を楽しまないといけないけど、 もうおもしろいところってテンプレでつまらない。
だけど、まったく未知のゲームは、楽しみ方が分かってないのがおもしろい。
しかも、マイナーゲームをやってる実況者って、 人気取りに行ってないんですね。 純粋に好きだからやってる。 編集もたいてい無い。 その素人っぽさがいい。 何が飛び出すか分からない。 その緊張と。 タグとか付けるプロデュース感がヤバい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20003755
ドマイナー ゲームではないが、 人気実況者は選ばないだろうゲームをしている。 このダニーという実況者は半端なくおもしろい。 人気実況者とおもしろさは変わらない。 だが再生数は300行かない。
失礼な言い方かもしれないが、 こういう人はホント凄い。
ランキング圏外 どころか、再生数100行く? みたいなのでも実況してる。
それも、マイナーなゲームを たくさん シリーズでやってるとホントいい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10210525
多少失礼かもしれないが、たとえばこの実況者。 字幕実況で編集が簡素すぎるんだけど。 そしてこの 『四面楚歌3』っていうゲームはマイナーなんだけど、本当におもしろい。
再生数10代~100 くらいなのに、70パートくらいアップしている。 大量にアップしていると 個人的にポイントが高い。
こういう人を応援したい。
地下アイドルのおっかけとでも言えるかもしれない。
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ベクターでフリーゲームを探す → 実況を探す → 実況を見ておもしろいかどうかを決める
で時間短縮
マイナーゲームをやるおもしろい人を発掘 → その人が実況してるシリーズを一つずつ見ていく → マイナーだけどおもしろいゲームが見つかる → 同じゲームをやってる実況者を探す → 無限ループ
うむ、やはりゲーム実況 と ゲーム購買 というのは直結してる。
人気実況者 になるためには、 どうしてもおもしろいゲーム、人気の定まったゲーム、万人受けするゲーム (『僕の夏休み』、『ピクミン』、『ゼルダの伝説』、『青鬼』みたいな) になってしまい、 どーしても飽きる。
それも一つの楽しみ方だけど、 ゲーム実況の可能性はそれだけじゃない。
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実況プレイが好きになると、 神ゲーなのに実況プレイがないと、悲しい気持ちになるw
玉虫色 っつー神ゲーがあるんだけど。 フリーゲームで作者サイトも閉まってるみたいな。
私の楽園~Welcome to The Darkness~ も神ゲー。
さて、今回も感情の整理と現状の把握と、いつかこの気持ちを思い出せるように。
それでは始めましょう。
彼女とお別れしてしばらくが経ちました。
意外とそんな気分にもなれずに大人しく過ごしております。
彼女ありきの浮気などといったどうしようもないレベルの名言まで飛び出す始末です。
本当にどーしよーもねーなー。
某SNSで彼女がいい別れができたって書いてて(ネトストこあい)
それだけが、まぁ救いです。
少し渡す物があったので、彼女にメールをして、それでまた連絡するって言われて、
あぁ、これでもう自分から連絡することもないのだろうな、と思いました。
意外なくらい、淋しいくらい、彼女の居ない日常に慣れていきます。
ただ、気付けば身の回りの物に貰ったモノが意外と多くて、
彼女の存在が日常に根付いていたのだなぁ、愛されていたんだなぁと思います。
そして、不在を強く感じるのです。
今もまだ好きだけど、戻れるとかは思っていなくて、こうやって過去になっていくんですね。
別の側に居てくれた人が去っていってとても淋しく思ったり、
気分転換に久々に行ったコンパが人生で一番盛り上がらなくて死にたくなったり、
それでもほとんど喋ってなかった女の子が気に入ってくれて後日二人で飲みに行ったり。
飲みに行けばすごく素敵な女の子で、そのままスムーズにホテルに行ったり。
すったもんだでちんちんかもかも。ちんちんかもかもって言いたいだけですけど。
その女の子はどうやら僕を気に入ってくれている様子だし、
可愛いと思うし、一緒に居て楽しいし、セックスは気持ち良いし。でも、それだけ。
好きだなぁとか、付き合いたいなぁ、とかは思えない。
若い頃ならそのまま次にいけたのに、まだちょっとそういう気分にはなれない。
いや、きっとそういう気分になれないんじゃなくて、きっとそういう気分になりたくないだけ。
もう少し、彼女と付き合っていた日々の、余韻に浸りたいんだと思う。
映画のエンドロールの後の感じ。本を読み終えて本を閉じて目を閉じる時のあの感じ。
だって思い出主義者だもの。くだらない感傷に浸るのが好きなのです。
人はずぶとくてたくましいな。ほんと馬鹿だしすごく愛おしいや。
余談ですけど前回書いたアレは、賛否両論ですごく面白かったです。
アレはホント知り合いには見せられない。
自分の知り合いがあんな文章を書いてたら、どんな顔をして会えばいいか分からない。
自分で読み返して、我ながら気持ち悪かったです。
すごく自分に酔っていて、すごく自分大好きな感じが出てて、すごく名文だと思います。
あんな文章は今は書けないもん。あの文章は、あの時にしか書けなかった。
別れたての一人でモヤモヤした寝れない夜の布団の中でこそ、書けた名文なのです。
この文章も、いつか黒歴史となる日がくるのでしょうね。
その日がとても、楽しみです。