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はてなキーワード: 召集とは

2022-10-19

anond:20221019005555

でも自民って壺だよね?

円安に指くわえて見てるだけ

五輪予算膨れ上がってゴミみたいなレガシー量産

プーチン北方領土謙譲

消費増税したのは安倍自民

別に野田擁護する気もないが

臨時国会召集シカトして国会さぼり

どうやら0か1かみたいな発想しかできない人には参院選ねじれを作るという考えなんか浮かぶわけもないか

そういうことすらしなかった結果今があるってことを受け止めろよ

オマエの大好きな韓国人以下の1人当たりGDPを誇りに思え

2022-10-08

anond:20221008062253

いや、過去大戦国民ほとんどが戦争賛成で、実際召集されてたくさん戦争行ったぞ

戦争やりたいやつらが戦争行ってただけの話や

2022-09-29

報道ロシア30万人召集も戦況を変えるのは難しい」

メディアには人海戦術って概念がないの?

ウクライナ効率よく一発で一人殺しても30万人倒す前に弾薬が尽きるわ。

ロシア勝利以外考えられん。

2022-09-22

30万人召集って言うけど

今までウクライナ戦争してたロシア人って何者なの?

自分達が戦争いくってなると大反対なのってロシア人いろいろ種類いるのか?

2022-09-21

プーチンロシアで部分動員を設定、敵を威嚇

プーチンロシア部分的な動員を設定し、敵を脅す

KARL RITTER 著 2022年9月21日(水)

キエフウクライナAP) - ウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナでの戦争が7カ月近くに達し、モスクワ戦場地盤を失う中、ロシアでの部分的な動員を発表した。

プーチン氏はまた、ロシア自国領土を守るためにあらゆる手段を用いることは「ハッタリではない」と西側諸国を警告した。

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召集される予備兵の総数は30万人であるという。

ウクライナ東部南部ロシア支配地域が、ロシアの一部となるための投票を行う計画を発表した翌日、ロシア指導者国民に向けて行ったテレビ演説水曜日に発表された。

プーチン発言は、ニューヨークで開催された国連総会で、モスクワ住民投票計画について警告を受けたことも背景にある。

クレムリン支援する4つの地域を飲み込もうとする動きは、ウクライナ成功に続いてモスクワ戦争エスカレートさせる舞台となりかねない。

戦争最初の数ヶ月から行われると予想されていた住民投票は、ルハンスク、ケルソン、そして一部ロシア支配するザポリツィアとドネツク地域金曜日に開始される予定である

プーチンは、西側諸国が「核の恐喝」に関与していると非難し、「NATOの主要国の高位代表の中には、ロシアに対して大量破壊兵器使用する可能性について発言している者もいる」と指摘した。

ロシアに関するそのような発言を自ら許している人々に、私は、我が国も様々な破壊手段を持っており、NATO諸国のものとは別の構成要素のために、より近代的であり、我が国領土保全が脅かされるときロシア我が国民を守るために、我々は確かに我々の処分ですべての手段使用するだろうことを思い出してもらいたい」とプーチン氏は述べた。

さらに、"ハッタリではない"と付け加えた。

プーチンは、水曜日に開始される予定の部分的な動員に関する法令署名したと述べた。

"我々は部分動員について話している。つまり現在予備役である市民のみが徴兵対象となり、とりわけ軍隊従軍した者は、一定軍事的専門性と関連する経験を持っている。"とプーチンは言った。

ロシア国防相のセルゲイ・ショイグは、水曜日テレビインタビューで、関連する戦闘と勤務の経験を持つ者だけが動員されると述べた。

また、ウクライナ紛争で死亡したロシア兵は5937人で、ロシアが数万人を失ったとする西側推定値よりはるかに少ないと述べた。

プーチン大統領は、部分的な出動の決定は「直面する脅威、すなわち祖国とその主権領土保全国民解放地域の人々の安全を確保するために十分適切である」と述べた。

水曜日未明ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、国民投票計画を「雑音」と断じ、金曜日から予定されている投票非難したウクライナ同盟国に感謝した。

ゼレンスキー大統領は毎晩の演説で、今回の発表には多くの疑問があるとしながらも、ロシア軍に占領された地域を奪還するというウクライナの決意に変わりはないことを強調した。

前線の状況は、主導権がウクライナにあることを明確に示している」と述べた。

私たち立場は、騒音やどこかの発表で変わることはない。そして、我々はこのことでパートナーの完全な支持を享受している。」

部分的な動員であっても、ロシア人の間では戦争に対する狼狽を増大させる可能性がある。

反対運動団体ヴェスナは、水曜日全国的な抗議を呼びかけ、「何千人ものロシア男性、つまり我々の父親兄弟、夫が、戦争という肉挽き機に放り込まれることになるのだ。彼らは何のために死ぬのだろうか?母親子供たちは何のために泣くのだろうか?」

ロシアが反対派を徹底的に弾圧し、兵士軍事作戦の信用を落とすことを禁じる厳しい法律がある中で、どれだけの人が抗議する勇気があるのかは不明だった。

今度の国民投票は、モスクワ意向に沿う形で行われることがほぼ確実だ。キエフ軍隊東部南部戦場で勢いを得るのを助けた軍事的およびその他の支援キエフ支援している西側指導者たちは、この投票をすぐに非合法と見なした。

ロシアが新たな偽りの住民投票を行おうとしていることに対して、ウクライナのすべての友人とパートナー今日原則的に断固として非難したこと感謝する」とゼレンスキーは言った。

ロシア紛争を長引かせ、激化させる可能性があるというもう一つのシグナルとして、クレムリン支配下の下院火曜日に、ロシア軍による脱走、降伏、略奪に対する法律を強化することを決議した。議員はまた、戦闘拒否する兵士に対して10年の禁固刑を導入することに票を投じた。

もし予想通り上院承認され、プーチン署名すれば、この法律兵士士気低下に対する指揮官の手腕を強化することになる。

ロシア占領下のエネルダールでは、欧州最大の原子力発電所周辺での砲撃が続いた。ウクライナエネルギー事業者ネルゴアトムは、ロシア砲撃によりザポリジャー原子力発電所インフラが再び損傷し、原子炉の1つの冷却ポンプへの緊急電源として2台のディーゼル発電機を起動させることを作業員一時的に強いることになったと述べた。

このようなポンプは、原発原子炉6基すべてが停止しているにもかかわらず、原発メルトダウン回避するために不可欠である。エネルゴアトムは、主電源が回復したため、発電機スイッチを切ったとしている。

ザポリジャー原子力発電所は、砲撃による放射能漏れ懸念されるため、数ヶ月間、懸念の的となっていた。ロシアウクライナは、砲撃について互いに非難し合っている。

source:

https://apnews.com/article/russia-ukraine-putin-donetsk-f64f9c91f24fc81bc8cc65e8bc7748f4

2022-09-15

16歳の女の子が駆け抜けた戦争

飛び散る女性の頭、自らも死のうとした元従軍看護師戦後72年…激戦地で生き、戦後助産師で赤子抱く

2017年8月14日埼玉新聞

もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」

 元従軍看護師木村美喜さん(89)=桶川市=は激戦地フィリピンルソン島で約1年、敵の爆撃機砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。

 生まれも育ちも桶川日本赤十字社埼玉県支部看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外陸軍病院派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。

 9月、マニラ空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院解散。絶え間ない空襲の下、部隊マニラから北に約250キロバギオに移動した。

 悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。

 埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。

 4月、バギから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」

 埼玉班の仲間も一人、また一人と病気栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだい手紙写真日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。

 終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラ先住民足跡を見つけるたびに背筋が凍った。

 ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。

 約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。

 戦後助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。

 今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ。」


https://www.saitama-np.co.jp/news/2017/08/14/07_.html

2022-05-30

anond:20220530225407

では!!召集料として100万円を!!

よろしいですかな!!

返事がない場合コダックを30体ボックスに送りますぞ!!

2022-05-18

機雷威力ってやべえな

こんなもん地上で爆発したらどうなるねん

https://www.youtube.com/watch?v=wtthhilAO3Y

 昭和17年1942年5月日本軍の攻勢により推移していた太平洋戦争は、後に戦局の変わり目として位置づけられる事になる「ミッドウェイ海戦」を目前に控え、重要局面を迎えていました。

 しかし、戦時中とは言え普段ほとんど変わらない生活を送っていたここ下湧別村の漁民にとっては、そんな国家の重大事など知る由もなく、折しもオホーツク海沖合に現れたニシンの大群の行方が目下の関心事でした。

 ニシンの豊・不漁はその年の村民生活水準にそのまま直結するため、その群の到来に村はにわかに気づきます

 そんな5月17日、その日も沿岸では村の漁師たちが総出で網を仕掛けていましたが、その作業中に一人が波間に浮遊する金属製の樽状の物体発見します。

 そして、素人から見ても異様な雰囲気を醸し出すその”水に浮く不思議な鉄の塊”がおそらく「機雷」であろう事に彼らが気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。

 思わぬ危険物の漂着に漁場は騒然となりましたが、「これが機雷であればなおさら放置しておく訳にもいかぬ」との”勇気ある”漁労長指示により網に掛けながらひとまず浜まで引き揚げる事にします。

 数十分後、幸い移送途中で爆発する事もなく「ポント浜」の砂上に”恐る恐る”陸揚げされた直径約1.2m・長さ約1.5mの機雷対峙した一同は、まず警察への通報が先決との判断により代表者市街地にある派出所へと向かいました。

 ところが、その時派出所では村の東側に隣接する「サロマ湖」内で時を同じくして発見された”もうひとつ機雷”を巡って既に大騒動となっていたのです。

 ”国籍不明”の危険物が二つ同時に漂着したこの”大事件”については、一帯を所轄していた「遠軽警察署」を経て直ちに北海道庁警察部」へ連絡が取られましたが、意外にも警察からの回答は「所轄署責任において爆破処理せよ」というまことに素気ないものでした。

 実は北海道特に日本海沿岸地域における浮遊機雷の漂着は当時それほど珍しくはなく、これまでの事例では当該所轄警察署の手によって難なく処理されていたという事実が、先の無関心とも思える本部指示につながる訳ですが、当地では前例がなく、ましてや爆発物処理の専門知識もない遠軽警察署としてはその対処方法に頭を悩ます事になります

 その後即刻開かれた署内幹部会議上では「軍の協力を仰ぐ」という策も提案されたものの、遠軽警察署長としては「他の署が自力で処理しているレベルの事案について他所の助けを乞う」などその自尊心が許しませんでした。

 こうして、意地でも地元の手によって行わざるを得なくなった作業は約1週間後の5月26日午後1時に決行すべく、二つの機雷を「ポント浜」一箇所に集め、遠軽警察署の監督の下、その運搬・管理地元警防団警察消防業務を補助する民間組織)に、そして爆破処理を管内にある「生田原銅山」の”発破技師”に依頼する事が正式決定されました。

 しかし、この時署長の頭の中ではこれを機にもうひとつの”とんでもない”計画が進行中だったのです。

 ここ下湧別村をはじめとする遠軽警察署所轄管内では普段大事件が発生する事もなく、平穏であるがゆえ警察署長の立場としては至って”退屈”な日々を過ごしていました。

 また、生活のため日頃と変わらず農・漁業に勤しんでいる人々が、署長の目には「戦時中にも拘わらず危機意識がない不心得者」のようにも映っていました。

 そこで、この機雷爆破処理作業一般に公開、爆発の威力を見せる事で庶民の「戦意」と「国防意識」を高めると同時に、警察威信を確固たるものにするべく画策していたのです。

 かくして、村役場などを介し回覧口コミで村内はおろか近隣地域にまであまねく周知されたこの”一大イベント”は、物珍しさも手伝っていたずらに人々の興味をそそり、更には当日わざわざそのために臨時列車が手配された事もあって、その日は爆破時刻の午後1時に向けて老若男女合わせて一千人規模の見学者が各地から現場へ向かっていたと聞きます

 さて、決行2時間前の5月26日午前11時頃、現場のポント浜では遠軽警察署長以下警察官9名と、署長命令によってなかば強制的にもれなく召集された下湧別市街及び近隣集落警防団員約150名が事前集結していました。

 二つ並べられた機雷を前に、あとは生田原から火薬専門家が到着するのを待つばかりでしたが、しかしここに至って爆破方法を巡り現場が混乱する事になります

 通常、機雷の爆破処理というのは水中において一つずつ行われるのが定石であり、その日もそれに従って実行される予定でしたが、当日になってその事実を知る事になった漁業本職の警防団からの猛反対を受けます

 というのも、海中での爆破は一帯の魚介類死滅させる恐れがあり、それは漁民にとっては明日からの生きる糧を失う事を意味しました。

 彼らにしてみれば死活問題だけに警察からの再三の説得や恫喝に対してさえ一歩も退く事は出来ず、しばらくの”攻防”の末、漁師たちのあまりの頑強さについに根負けした署長は陸上処理への変更をやむなく了承します。

 粘った甲斐あって勝ち取った結果に安堵した警防団員たちでしたがその代わり、陸上で爆破するには現在近過ぎる二つの機雷を、誘爆させない距離として設定された約50mの間隔まで引き離す作業が待っていました。

 こうして気乗りしないまま予定外の力仕事をする羽目となった彼らの心中には、これらが「既に機能を失った不発弾に違いない」という思いが一様にあったようです。

 発見されてから1週間まったくの変化も見せなかったこの”錆びた鉄塊”に対して徐々に警戒心が薄れていった事に加え、ことサロマ湖から運ばれてきた方には、実は数日前に”命知らず”な村の鍛冶屋によってあろうことか持ち寄ったハンマーで叩くという危険まりない試みがなされていますが、結果その衝撃にもびくともしなかったという事実も、「もはや危険ではない」と彼らを暗に確信させる要因になっていたのでしょう。

 それぞれ多忙仕事が待つ警防団員たちにとって、本業もままならない毎日を無理強いするこの”いまいましい敵”への扱いは、そんな思いもあってか最初最後では大きく異なっていました。

 初めこそその取扱いには慎重を期され、移動も衝撃を与えないように砂上をゆっくり”引きずる”方法がとられていましたが、この段階では労力を惜しんでか本体ロープが巻きつけられ無造作に”転がされて”いたと言います

 しかしやがて、鍛冶屋の”無謀な挑戦”を受けていない方、つまりオホーツク海発見された機雷が、軟らかいから馬車道の硬い轍(わだち)の上に転がり出た瞬間…それは既に浜に到着していた気の早い数百名の”観衆”が見守る中で起こりました。

 今まであれほどいかなる反応も示さなかった機雷が、まるでこの時を待っていたかのように火花一閃、大爆発を起こしたのです。

 そもそも軍艦をも爆沈させるほどのその破壊力は当初の想像はるかに超えるもので、破片は爆風に乗って障害物がない砂浜の中を数百メートル渡り飛散、傍らにいた警防団員や警察官は言うまでもなく、一応安全考慮して遠巻きに置かれた一般見学者の多くも無事ではいられませんでした。

 爆発による黒煙が消えた後には、直径10m・深さ3mの穴と共に、周辺に斃れたおびただしい数の人々が残され、そのほとんどは瞬時にしてその命が失われたであろう様子が一目で判るほど現場凄惨を極めたそうです。

 現場から4kmほど離れた下湧別市街地でさえもその轟音と震動に激しく揺れたと言われるこの前代未聞の機雷爆発事故においては、死亡者112名・重軽傷者112名という未曽有の惨禍を見る事になりました。

 そして、この”公開爆破”を企画した遠軽警察署長や、直前において爆破地点を変更させた警防団代表者も、その過ちを悔やむ時間すら与えられないままこの日帰らぬ人となっています

 この大惨事により現場居合わせ警防団員のほとんどが死傷し、下湧別村は多くの”働き手”を、そして家族にとっては一家の”大黒柱”を一瞬にして失いました。

 「一体誰のせいでこんな事になってしまったのか」…機雷を放った知らざる敵か、現場に丸投げした道庁警察部か、それとも無謀な計画立案した警察署長あるいは陸上処理を主張した警防団員か…もはやそれをぶつける相手もいない中、人々の行き場をなくした怒りと悲しみだけがポント浜には残されました。

https://touch55.hatenablog.com/entry/2019/06/09/181743

合掌

2022-03-23

対話のドアはいつもオープン

彼はおもむろにチャックを下ろし

このときの「おもむろ」は誤用なのかどうか

動きがゆっくりとしているという本来意味であるならば

国会召集の求めになかなか応じなかった安倍政権はむしろ正しいのではないだろうか

2022-03-04

鉄血勤皇隊を知らんとか。さては日本人じゃないな

anond:20220304005333

鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)は、第二次世界大戦末期の日本沖縄県において、防衛召集により動員された日本軍史上初の14~16歳の学徒による少年兵部隊である

2022-02-25

anond:20220225112215

宣戦布告なり侵攻されて全部取られたら何されるか分からんし全てが終わるから、非戦闘員戦闘員になるべく召集して1か月くらい訓練させて戦争に駆り出されていくんやで。最近ジェンダー論のアレもあるから性別わず戦闘員になるんじゃなかろうか。

2022-02-24

anond:20220224143442

沖縄とかそんな感じって聞いたわ

から召集かけられると断れなくて警察署襲撃したりするんだろうな

anond:20220224142822

こんな時に急遽休みをとった同僚

もしかして召集されたのかな…

2022-01-08

パウパトロールを息子と見てる

四六時中トラブルが起きるのはいいとして、ケントから召集かかったら即座に集まらなきゃいけない子犬たちがかわいそう

手当たくさんもらってて欲しい

2021-09-29

自民党は29日投開票総裁選岸田文雄氏を第27代総裁に選出した。1回目の投票岸田文雄氏が256票、河野太郎氏が255票、決選投票で257票を得て河野太郎氏の170票を上回った。

自民党は29日投開票総裁選岸田文雄氏を第27代総裁に選出した。決選投票で257票を得て河野太郎氏の170票を上回った。

1回目の投票で全候補とも全体の過半数に届かず、首位の岸田氏と2位の河野氏による決選になった。

10月4日召集臨時国会菅義偉首相の後継となる第100代首相指名される見通しだ。

1回目の投票岸田文雄氏が256票、河野太郎氏が255票、高市早苗氏が188票、野田聖子氏が63票を...

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anond:20210929150618

2021-09-16

キューピーキユーピーかについて

キューピーのユが大文字なのに書き方が間違っている!と指弾する人がいるので説明するが

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2021/09/15420359.html?p=all

 

「ュ」などの小書き仮名を捨て仮名というが、これは以前は登記に使えなかった。そもそも昭和63年までは法律行政文書に捨て仮名を使うことができなかった。

 

時系列順に並べるとこんな感じ

 

明治公文書カタカナを使う事が決まる(平仮名は大量の変体仮名があったため)

外来語が沢山入ってきてそれへの捨てガナの使用が始まる

法令行政文書には小書きカナ不可、故に屋号商号登記への小書きカナも不受理

この為小書きカナを大書きしたり、小書きを使用しない表記一般化する(例:キューピーキユーピーディーゼルヂーゼル

戦後昭和20年代後半くらいから擬音などで小書きを使うことが一般化していく

新聞では昭和末期まで小書き不使用表記が続く

末期には見出し:小書き仮名使用表記記事本文:小書き仮名使用という混在状態

昭和63年1988年):昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』

法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記については,(中略)昭和六十三十二月召集される通常国会に提出する法律(中略)から,小書きにする。」

これにより行政文書などにも準用されて小書き仮名使用されるようになり登記可能になる

2002年11月1日商業登記規則改正

ローマ字アラビア数字使用できるようになる

これ以前はローマ字をカナ書きした表記(例:YKK→ワイケイケイ)にしたり数字漢数字にして登記する必要があった

 

こういう経緯なので昭和63年以前に登記した会社は「キュ」などの小書き仮名表記商号登記に使えなかった。

からそれが正式表記かというと法的制約によるものなのでちょっと違う。YKK正式名称がワイケイケイかと言えばおかしさが判るだろうか?

キューピーの社名の元はキューピッドの子供読みで-yを付けた人形なので一般的な「キューピー」でいいはずだ。

登記上の制約で商号一般認知商号登記が違う、NHK新聞けが登記上の商号を使うという状態は嘗ては当たり前だったので、今も昔のままの商号を使う会社の「正式名称」に事更に拘るというのはナンセンスかと思われるよ。

 

 

昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号を受けての商業登記規則改正があったかも知れないが探しきれなかった)

2021-09-03

anond:20210902174107

直近だと、はてブSNSで「臨時国会召集をしないのは違憲」というコメントが多数ありますが、こちらについてはどうでしょう

また、例えばこのはてブでは、そこから少し変わって「期限の無記載=遅滞なく」論が見受けられます

ただ、自分が調べた範囲※ では、借金で「貸主は、相当の期間を定めて返還の催告できる」であって「遅滞なく」ではなくね? と自分は思ってます

この「無記載=遅滞なく」論も、元増田論理ではどのようになるか、併せて教えて欲しいです。

※ 期限の無記載で、自分が参考にしたサイト

https://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/law2kasiki.html

https://www.nagareyama-lawoffice.jp/blog/2015/11/post-1-162837.html

https://sakura-hokuso.com/houjinhoumu/saiken-kaishu/hennsaikigen.html

2021-08-30

anond:20210830181036

どこまでわかってコメントしてるかしらんが。

野党7月衆議院議長を通じて憲法53条に基づく臨時国会召集要請をしているので、内閣がこれに応じなければ憲法違反になる。

憲法53条に開催時期の制約がないので、菅政権があと伸ばしにしてるだけ。

今日ニュースも「自民党総裁選挙前の臨時国会召集を断念」となっているので、総裁選後に召集することは排除していない。

なので土壇場で召集する可能性は残っているし、憲法違反にならないためにも最終的には召集するだろう。

一方で、総裁選から衆議院任期タイムリミットまで時間がなさすぎて、補正予算通すための審議が十分できるとも思えない。

結局、臨時国会召集を避けたことは、衆院選与党に不利に働くだけだったんじゃないかな。

2021-08-24

anond:20210824162243

医療崩壊する理由日本医者の頭数が足りないからだけど、それを認め増員すると平時医師椅子争奪戦医師同士でやる羽目になる

医師免許を持っているけど医師にならず学校教師や配管工になるのがデフォ世界にもなる

予備役みたいに必要時のみ召集される不安定身分医師も生まれ

それが嫌なんだろうね

2021-07-23

政治的不都合人間召集して切っていくことで、そういう領域人間政治的に殺していく戦法かもしれない

国に都合の良い文化人しかさないような

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